二人の話   作:属物

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第二話、正太が蓮乃を叱る話(その四)

 ……舞台の上、月明かりの元。瞬き一つ二つの間に恐るべき数の槍戟が振るわれる。その上、振るわれた技の全てが必死の鋭さと必殺の迅さを備えている。にもかかわらず、それは美しかった。演舞などではない。その全ての技が殺意を帯びて、その全ての動きが敵を討つためのものだ。だが、そこには間違いのない美があった。突き・振るい・攻める薙刀に、反らし・弾き・防ぐ薙刀が応じ、刹那の間に攻守が巡る。それはまるで相手の一挙一動に互いに答えあう即興の舞曲だ。お互いの技前があまりにも近しいが故に起きた奇跡のような一戦。もはやこれは武闘でありながら舞踏であった。

 養父の影が薙刀を鋭く突き出す。彼女の薙刀は絡めるように上へと弾き、跳ね返るように上段からの切り込みをかける。影は薙刀を回して石突きを跳ね上げ、彼女の薙刀を横にそらす。それと同時に手の中で前後を逆とした薙刀を滑らせて、石突きを岩を砕かん勢いで顔めがけて突きだした。彼女は流れる水の動きで影の横へと踏み込んで石突きをかわすと、さらに水面に反射した陽光のような目を眩ます一閃をふるう。だが、影は体を落として刃をかわすと同時に、風車のように薙刀を回転させる。対して彼女は大きく後ろへと跳びすさり、致命の円弧から逃れる。互いの距離は離れ、双方が薙刀を構えなおした。

 その瞬間、ため息とも感嘆の声ともとれる音が辺りに響いた。それを眺める者は全て、瞬きをしてなるものかと目をかっ開き、息する間も惜しいと呼吸を止めていたのだ。それほどまでに濃密な戦いだった。

 しかし彼女は強い違和感を覚えていた……

 

 そこまで一気に読んだ正太は、潜水から上がった海女のように一つ深い息を吐いた。小説の文字列を追うのに疲れた目をゆっくりと揉む。時計を見上げれば、そろそろ清子が帰宅する時間だ。蓮乃はどうしているかと横目で見ると、机の上に開いたハードカバーに、顔を突っ込ませるように背中を丸めて熱中している。昨日とあいも変わらずの有様に、正太は微苦笑を頬に浮かべた。こりゃ清子が帰ってきたら笑われそうだな。

 

 「たっだいま~」

 

 「噂をすれば影」と、清子の帰宅の挨拶が居間まで届いた。ついでにソファーの背もたれの頂点を軸に背筋を伸ばしつつ、正太はそっくり返るようにして玄関の方へと目を向ける。見えるのは悲しいことに自分によく似たいつもの妹の姿だ。教科書満載のランドセルを下ろし、清子もまた体を捻って筋を伸ばしている。

 

 「おかえんなさい」

 

 正太はそっくり返った体勢のまま行儀悪く、逆さの清子へ挨拶する。正太の挨拶にようやく気がついたのか、蓮乃は小説に沈めていた顔を跳ね上げた。読書時の脳波は睡眠に似ると言うが、確かに蓮乃は自分の居場所を見失っている風に見えた。目覚ましに叩き起こされた直後と同様に、キョロキョロと周囲を見渡し、五感を通して現状と現在を脳味噌にアップデートしていく。

 

 ――私はソファーの上、手にはハードカバーの小説、部屋はお隣さん、九〇度横には怖い顔、廊下の先にはトランプの顔。ああ、そっか!

 

 ようやっと五W一Hの内、「何時(When)」「何処(Where)」「何故(Why)」「誰(Who)」の四Wを理解した蓮乃は、廊下の先の清子へと顔を向け、腕を突き上げ元気よく挨拶する。

 

 「いーっ、むーなーっ」

 

 「えっと、その、なんで蓮乃ちゃん家にいんの?」

 

 そして自分語での挨拶を終えると、蓮乃は再び物語へと飛び込んでゆく。蓮乃の顔を見た清子の顔が理解不能な困惑色に染まった。

 昨日の約束で「許可を貰わなければ宇城家にはこれない」はずだ。昨日見た限り、蓮乃の母である睦美はすぐさま許可を出すような人間に思えない。ならば、ここにいる蓮乃は一体全体何なんだ。

 

 「あー話せば長、くはないな、うん。説明するからランドセル置いてきな」

 

 上下逆で顎を掻きながら返答した正太に、清子はひきつった顔でわかったと答えた。ランドセルの肩掛けベルトを二本まとめてひっ掴み、子供部屋へと歩いてゆく。その後ろ姿を見やりながら、正太は未だそっくり返ったまま、どう話したものかと首を捻った。

 

 

 

 

 

 

 子供部屋に荷物をおいて体格以外身を軽くした清子は、正太と直角のソファーに腰を下ろした。正太の対面かつ清子の隣には、蓮乃がハードカバーに突っ伏しながら読んでいる。

 

 「それで結局なにがあったの?」

 

 「大ざっぱにまとめると、

その一:蓮乃が家の前で待っていた

その二:しょうがないので睦美さんに連絡して許しもらった

その三:そしたらどこにも蓮乃がいない

その四:大急ぎで蓮乃を探し回った

その五:見つからないので睦美さんに連絡すべく家に戻った

その六:蓮乃が家でラムネ飲みのアミセン摘みので雑誌読んでた

その七:蓮乃をぶん殴って叱りつけた

その八:二人で本読んでいたら清子が帰ってきた

という感じだったな」

 

 靴の中の小石を見る目で蓮乃へ視線をやりながら、清子は正太へ促した。指折り数えながら、正太は今日あったことを並べ立てる。

 清子は渋柿をかじった表情で、昨日の約束について正太に聞く。昨日、蓮乃の帰り際に正太が「許可貰ってからこい」という約束を書いたメモを渡したのだ。

 

 「昨日の約束は?」

 

 「『後で許可貰うから大丈夫』だとさ」

 

 清子の言葉に応えて、正太は蓮乃を親指で指さした。蓮乃を見る目は、同じ所で粗相を繰り返す子犬へのそれだ。清子は正太の発言を否定するように、顔を覆って頭を振る。声もどこか掠れている。

 

 「それ、ぜんぜん大丈夫じゃない」

 

 「ああ、全くもって大丈夫じゃない。だから、睦美さんに連絡して許可を貰ったよ」

 

 清子同様に正太も額を覆って、泥水のようなため息をついた。顔を覆う手をはずすと、清子は気になっていた言葉について問うた。

 

 「叱ったってのは?」

 

 先に聞いたことを思い返す範囲では、ぶん殴られるような粗相なのかどうか判別がつかない。あまり考えたい話ではないが、散々探し回った兄の堪忍袋が緩んでいて思わず蓮乃ちゃんに拳骨の雨を降らせたとなれば、さすがに問題と言わざるを得ない。

 

 「他人ん家の食い物勝手に飲み食いしてて、それが罪悪とも思ってないんで、ぶん殴って叱りつけた」

 

 正太の返答に清子は内心胸をなで下ろしていた。道理と言えば間違いなく道理だ。これは叱りつける必要があるだろう。それも自覚のない相手となれば、時に体罰を振るう必要も出てくる。

 実の所を言えば、清子の懸念はあながち間違いというわけでもない。間違いなく正太は、蓮乃を感情のままに殴りつけている。さらに言うならば、清子の安堵もまた間違いでない。正太は蓮乃を叱りつけて「なにが悪いのか」「どうして悪かったのか」を理解させている。この違いは二人の認識の差に起因している。清子は「叱りつける『中で』拳骨を振るった」と考えており、実際には正太は「拳骨『の後で』叱りつけた」と答えているのだ。

 

 「蓮乃ちゃん、それで自分がなにやったかわかったの?」

 

 「一応、『なにが悪かったか』を蓮乃自身に確認とったから、間違いはない、と思う」

 

 叱りつけた目的が達成できたかを清子は訊ねた。目的に達さなければ、多くの事柄は意味を失う。そこら辺はきっかりしてもらわなければ困る。

 対して頭をかきつつ先を思い出しつつの、正太の言葉はやや曖昧なものだった。「前の一件」からか、正太は自信というものを持ちづらいのだ。

 

 「なら、大丈夫かなぁ」

 

 兄に自信がないのはいつも通りなので、清子は話した内容から吟味する。どうやら問題はなさそうだ。

 安堵を含んだ息を吐き、清子は改めて蓮乃へと目を向ける。二人のやりとりも何のその、蓮乃は物語の世界を満喫している真っ最中のようで、清子からは流れる黒髪しか見ることができない。

 

 ――ほんっとにこの子は……

 

 ついと蓮乃から視線を外すと、同じく蓮乃に視線を向けていた正太と思いもかけず目が合った。お互いに苦笑を浮かべる二人は、自分の事柄なのに気も向けない蓮乃のマイペースっぷりに深い深いため息をついたのだった。

 

 

 

 

 

 

 正太と清子も子供部屋からお気に入りの小説を持ってきて、約一時間が経過した。掛け時計の気の抜ける時報の音に、蓮乃がふと顔を上げた。前かがみの姿勢でずいぶんな時間を過ごしていたせいか背中が凝った様子で、猫めいた延びをして背筋を伸ばしている。伸ばした拍子に蓮乃の口から、人の声と猫の鳴き声をごった煮にしたような音が漏れた。

 

 「ん~ぅな~ぁ~」

 

 その声に気がついた正太は「動物かこいつは」とでも言いたげな視線で蓮乃を眺めている。すると、蓮乃が正太の方へと顔を向けた。何の用だと正太が見返す。対して蓮乃はなにやら小首を傾げている。妙な顔をした二人のお見合いが十秒ほど続いた後、蓮乃はポーチから取りだしたノートに質問を書き付けた。

 

 『名前は何て言うの?』

 

 それを見た正太は、バツ悪げに頭を指で掻く。考えてみれば昨日今日とも蓮乃に自己紹介をした覚えはない。もっとも蓮乃の側もしてくれた覚えはないのだが。せいぜいが、ノートの一ページ目に乗っている著:睦美さん(推測)の自己紹介文を読んだだけだ。

 

 「あ~~~、そういや言ってなかったなぁ」

 

 本から顔を上げていた清子が、言い訳るような正太の声に、文句混じりの攻める視線を向けようとして、自分もまた名前を伝えていないことに気がついた。

 

 ――ま~た自分を棚に置いて、人様にご指摘するとこだった。あたしもぜんぜん人のこといえないなぁ

 

 途端に胸の内で自分自身への悪感情が膨れ上がる。額を押さえるようにして、清子は口から漏れそうな自己嫌悪を押さえ込んだ。代わりに口からは、むやみやたらとずしりと重いため息が漏れ出す。

 そんな清子の様子に気がつくことなく、正太は蓮乃からノートを受け取ると、改めて自己紹介の文を書きつづった。読みやすいように、名前にはルビもふってある。

 

 『俺の名前は、宇城正太(うきせいた)な』

 

 清子も続いて女の子らしい丸文字で、ノートに姓名を書き込む。

 

 『あたしは、宇城清子(うきせいこ)ね。わかってると思うけど兄ちゃんの妹』

 

 蓮乃は二人の名前を妙な声を上げながら読むと、一人一人を指さしながらノートに確認の名前を刻んだ。

 

 『清子』『正太』

 

 それを見てうんうんとうなずく清子とは対照的に、正太の顔は渋い色でしかめられている。元々の凶悪なご面相と相まって、交渉が荒事になる寸前のヤクザ者みたいにも見える。そして正太は腰元からピストル型の手を抜いて、人差し指で蓮乃の額を突っついた。

 

 「ぬぁぅ」

 

 思わずのけぞった蓮乃の口から尻尾を摘まれた猫のような、微妙な声が漏れた。どうやら蓮乃の口からは、妙な音しかでないらしい。

 

 『人を指さすんじゃない。それと年上を呼び捨てにするもんじゃない』

 

 どうやら正太は蓮乃の呼び方と行動に不満があるらしい。子供相手に少々器が小さかないかと、清子から白くて冷たい視線が走る。それを正太は意図的に無視する。子供相手だからこそ躾はとても大事なのだ。が、泳ぐ視線とひくつく口角が、降雪のごとき清子の視線を無視できてないことを証明している。

 一方、そう言われた蓮乃はどう答えたものかと首を捻った。首は先に名前を聞いたとき以上の角度に捻られている。そして捻られる首と一緒に宇城家の居間を半回転しかけた蓮乃の視界が、ノートとその上の文字列を再びとらえた。脳天に白熱電球が暖色で灯り、蓮乃は丸めた手で平手を打った。なお、宇城家は冷光色の有機EL灯を使用している。

 いそいそとノートになにやら書き込む蓮乃。書かれたのは「正太」「清子」の呼び名と矢印。今度は指を指さずに、ノートに書かれた矢印で二人を指している。

 

 『兄ちゃん』『姉ちゃん』

 

 どうやら、清子が書き付けた自己紹介文から思いついたのだろう。蓮乃は当然のどや顔である。満足の仕上がりなのか、小鼻がぷくりと膨らんで「んふぅ」とご満悦な息が漏れている。宇城家兄弟は思わず顔を見合わせて、先同様の、しかしずいぶんと柔らかな暖かい苦笑を浮かべた。

 

 「なんだか、妹ができたみたいだね」

 

 「こっちとしては一人で十分なんだがな」

 

 苦笑は変わらないまま、じゃれついてくる子犬への視線を清子は蓮乃へと向ける。一方、正太は照れたような仏頂面だ。もっとも元々の凶相で、照れで現れる愛嬌がどこか彼方へ行ってしまっているが。

 そんな正太の照れ隠しの返答に、清子は嫌みな笑みを浮かべた。

 

 「そうだネ、あたし一人でも持て余しているもんネェ」

 

 「……その言い方止めてくれ」

 

 顔は似合っていないものの小悪魔じみた清子の言に、正太は嘆息とともに首を落とす。

 白旗代わりの挙手を見て、清子はくすくすと笑みを漏らした。それに当てられたのか、蓮乃もけらけらと明るく笑い出す。もう降参と両手をあげた正太も、疲れたような笑いをこぼした。雲の隙間を通った太陽光が三人を照らす。天気予報通り、曇り空から日が射してきた。

 

 現在時刻一五:四五。楽しい時間はもうしばらく。


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