ソードアート・オンライン 紅鬼と白悪魔   作:grey

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皆さまお久しぶりです。本日より投稿再開です。

以前活動報告にて色々書きましたが、あまり気にする事なく本作をお楽しみ頂けたらと思っています。その中で何か感想があれば、短くてもくださっただけで、私はテンションとモチベが上がります。

今話はほとんどが蓮視点で、一部だけ直葉視点です。

しばらくはシリアスが続きますが、どうぞ。


17.予期せぬ会合

 

 もしも過去に戻れるなら……、そんなの考えるだけ無駄だって事は分かってる。

 

 過ぎ去った時は戻らない。

 過去は二度と変えられない。

 

 でも、無理だと分かっていたとしても、考えるのはやめられない。

 その過去に大事な何かがあって、自分のせいで失ってしまったとしたら、そう願うのは当たり前。むしろそうあるべきだと、俺は思う。

 

 SAOから帰還してから──いや、あの日からずっと、俺には戻りたい過去がある。

 二度とデスゲームなんか御免だが、もしもその時に戻れるのなら、もしも過去を変えられるのなら、俺は何度だって戻ってやる──そう思えるほど。

 

 約1年前の3月初旬。アクアさん率いる捕縛隊がナイトによって返り討ちにあった直後の事。俺はたった1人の妹を失った。

 あの日の出来事を、俺は一生忘れる事なんて出来ない。

 

 俺の行動が、俺の選択が、メグミの〝死〟を招いた。

 

 あの出来事の背景に誰かの思惑があったとしても、それが明確な悪意だったとしても、それは何の慰めにもならない。

 

 ──俺がメグミを()()()

 

 それが確かな現実で、紛れもない事実で、覆しようのない真実。それ以上でも、それ以下でもない。

 

 それが、俺が戻りたい過去──。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「…………っ」

 

 最悪の目覚めだ。今日の午後から世界樹を攻略するというのに、なんて幸先の悪いスタートなんだろう。

 目の前には、長時間操作しなかったために画面が暗くなったPC。確か見ていたのは……、

 

 その時、ドアをノックする音が聞こえた。

 

「紅林君、起きた?」

「ああ、うん。起きたよ」

 

 俺はそう答えると、PCを閉じてからドアを開けた。

 

「おはよう、紅林君」

「おはよ、桐ヶ谷さん」

 

 外にはジャージ姿の桐ヶ谷さんの姿があった。以前はこんなラフな彼女の格好を見る機会なんてなかった事を考えると、何だか妙な気分になる。

 そういえば彼女は同級生の中ではそこそこ人気がある方だったはず。〝クラスのマドンナ〟や〝高嶺の花〟というのは──失礼ではあるが──彼女には似合わないのだが、その分非常に明るく活発で人柄が良い。そんな中にも女の子らしさを感じさせる言動も多く、中1らしい恋心を抱いていた男子もいたとかいないとか。

 

 要するに何が言いたいのかというと、居候生活に突入してからというもの、彼女の言動に赤面させられた事は少なくないという事。

 

「……あははっ」

 

 ほら、こうやって笑うだけでも、俺の注意はそちらに向いてしまう。

 

「……紅林君っ。そこっ……ふふっ、そこに、キーボードの跡ついてるよ……っ。あははっ──」

「──えっ、ま、マジ?」

 

 俺は左手で桐ヶ谷さんが指差す位置に触れる。確かに跡が残っている気もする。

 ヤバい。普通に恥ずかしい。

 さっきから少し様子が変だと思っていたら、俺の寝落ちの証拠を発見し、笑いを堪えていたからだったのか。

 

「パソコンのやり過ぎは注意してよ。まあ、あたしも今日は人の事言えないけどね」

「わ、分かったよ……」

「じゃあ、下で待ってるね。早く来ないと、お兄ちゃんが紅羽君の分まで食べちゃうよ」

「──ちょっ、それだけは勘弁っ」

 

 桐ヶ谷さんが去り際にそんな事を言った。和人さんの事だから、冗談だと断言出来ない。彼は本当にそれをやる事がある。

 流石に朝食抜きはキツいので、シャットダウンしてから降りる事にする。

 

「……待ってろよ。もうお前には、()()()負けねえからな」

 

 画面の中の()を睨みつけながら、俺はそう呟いた。

 

 

 

 一気に眼を覚ますため、外の水道の冷たい水で顔を洗ってからリビングに行くと、朝食に手を伸ばした所を桐ヶ谷さんに叩かれている和人さんの姿があった。ホント、油断も隙もあったもんじゃない。

 

「遅いぞ、蓮。まったく……、夜遅くまでネットとは感心しないなあ」

「あなただって同じでしょうが」

「俺はちゃんと起きてるからいいんだよ」

 

 現在の時刻から考えると全く早いとは言えないのだが、俺の方が遅かったのは事実。これ以上何を言っても、彼から一本を取る自信はなかったので諦めて座る。

 そこへ桐ヶ谷さんが俺の分の食器と飲み物を持って来てくれた。

 俺はキリトさんの隣に、その向かい側に桐ヶ谷さんが座る。

 

「ねえ、紅林君は今日はこれからどうするの?」

「午後から予定があるから、その前に病院に行こうかと思ってるよ」

「……そっか。アスナさんの所?」

「いや……、違うよ。でも、SAOの頃にお世話になった人なんだ」

 

 今日中には世界樹に挑めるだろう。その前に、自分の中にあるこの形容しがたい不安をどうにかしたい。そのためにはやはり、SAOで何度も相談に乗ってくれた湊さんに聞いてもらうのが一番だと思ったのだ。

 

 それを聞いた桐ヶ谷さんは「ねえ……」と言ってから顔を上げた。

 

「あたしも、行っていいかな。会ってみたいな。紅林君がお世話になった人。SAOの紅林君の事とかも、ちょっと気になるし」

 

 少しだけビクッとしてしまった。俺の顔を覗き込むようなその視線。まるで、何かを探ろうとしているように感じてしまう。

 

 ──流石に、ナイーブになり過ぎだよな。

 

「……うん、いいよ。じゃあ、もう1人知り合いを呼ぼうかな。すごくフレンドリーな人だから、桐ヶ谷さんもきっと仲良くなれると思うし」

「確かに。スグもきっと、会った事ないようなタイプだと思うぜ」

 

 トマトを食べながら、そう付け加える和人さん。

 少なくとも俺は、彼女に会うまであんな人とは会った事はなかった。

 

「和人さんは、今日もアスナさんの所ですか?」

「ああ。あいつには謝っておいてくれ。今度はちゃんと行くから」

「分かりました。でも、あの人はそんなんじゃ怒りませんって」

 

 パリパリと音を立てて生野菜を食べていた桐ヶ谷さんが、「ねえ、お兄ちゃん、紅林君」と言った。

 

「2人はさ、学校はどうなるの?」

「えっと……、SAO帰還者の中高生のために、学校を用意してくれる、とか言ってたよな」

 

 和人さんが自信なさげに訊いてくる。俺は頷いてから、総務省の眼鏡の役人から聞いた事を思い出しながらこう付け加えた。

 

「確か、統廃合で空いた都立高の校舎を利用してくれるとか。入学試験はなしで、卒業したら大学受験の資格までもらえる。それと、都心から離れた所に住んでるプレイヤーのために、都内のアパートに格安で住まわせてくれるらしいですよ」

「へえ、そうなんだ。いい話……だとは思うよ」

「俺も一回資料を見せてもらったけど、学校自体も結構キレイになるみたいだし、部屋だって1LDKも結構あったよ。まあ、ボロい所もあったから、当たりハズレはあるけとね」

 

 俺も、いつまでもここにお世話になるわけにはいかないと思っている。まだ翠さんにしか話してはいないのだが、遅くても3月までにはそちらに引っ越そうかと考えている。家賃は本当に安いし、少しバイトすれば生活費も問題ないはずだ。

 

「……でも、なんか出来過ぎじゃない?」

「お、いい勘してるな」

 

 和人さんが桐ヶ谷さんの言葉にニヤっと笑って見せた。

 

「政府の狙いはそこだと思うよ。まあ、性善説の体現者みたいな蓮は、特に疑問を持たなかったみたいだけど」

「……それってどういう意味ですか?」

 

 和人さんは俺の追求を笑って誤魔化し、続きを話す。

 

「俺達は2年間もデスゲームに囚われていたんだ。精神的にどんな影響があるか分からない。政府としては、そういう奴等は一箇所にまとめて管理したい、って事なんだろうな」

「そ、そんな……」

 

 桐ヶ谷さんが顔を歪める。それを見た和人さんが慌てて付け加える。

 

「でも、管理云々はさて置いても、セーフティネット的な対処をしてくれるのは有り難いよ。蓮は兎も角、俺が今から普通に受験しようとしたら、今年一年は予備校漬けさ」

「……だから、和人さんはさっきから俺を何だと思ってるんですか」

「いやいや、褒めてるって。どこが癇に障ったんだよ」

「何となく、皮肉っぽいなぁと」

 

 今度は曖昧な表情をやり過ごされた。どうやら和人さんは、俺を真面目な優等生だと思っているらしい。

 

「そうしても大丈夫だよ、きっと。お兄ちゃん成績いいし、紅林君も成績()よかったもんね」

「……何か悪意を感じるな」

 

 まあ、思い当たる節がないわけじゃない。主に徹夜ゲームの翌日とか。

 それにしても、あれは本当にキツかった。プレイしている時は全く眠くないのに、終わると急に襲って来るんだよな。

 

「それに、不安ならあたしが2人の家庭教師してあげる!」

 

 桐ヶ谷さんが自信満々にそう言った。

 

「ほう。じゃあ数学と情報処理をお願いしようかな」

「うっ……」

 

 和人さんは、言葉に詰まる桐ヶ谷さんにニヤニヤ笑いを向け、バターを塗ったトーストを口に運ぶ。

 

「まあ、大丈夫だよ。俺達が別に何かしたってわけじゃない。やましい事なんて何もない。堂々と通ってやるさ」

「まっ、そういう事だな。それとスグ、一緒に行くなら早く食べた方がいいぞ」

「えっ? ──あっ、紅林君もう食べ終わってるの?」

「ごちそうさま」

「お、お兄ちゃんまで──っ」

 

 会話しながらも、ちゃんと食べ進めた俺は、元々朝はあまり量を食べないのもあり、もう朝食を終えた。自分の洗い物はさっさと済ませて、自室に戻って支度をする。

 だが流石に、桐ヶ谷さんを置いて行くほど、俺は薄情者じゃない。彼女が支度している間にある人物にメールを送って、終わるのを待っていた。

 

 そして、支度の終わった桐ヶ谷さんと共に家を出て、電車に乗って東京方面へ向かう。

 そして桐ヶ谷さんと共にやって来たのは、一昨日も訪れた、アクアさん──湊さんが入院している病院だ。彼の病室のあるフロアに着くと、エレベーターホールに人影が見えた。あのオレンジっぽい髪色はおそらくレモンさん──陽梨さんだろう。

 

「あっ、こっちだよ、蓮!」

「はいはい、分かってますよ」

 

 ぴょんぴょん跳ねながらこちらに向かって手を振る陽梨さん。俺は桐ヶ谷さんを連れて彼女の元へ向かう。

 

「こんにちは、陽梨さん」

 

 一昨日会った時は、少し元気がなさそうだった彼女だが、今日は大丈夫そうだ。病院にも関わらず、大声で俺を呼んでくるのだから、もう心配はいらないだろう。

 

「ねえ、蓮。こっちの大っきい子は? 初めましてだよね」

 

 陽梨さんが俺の斜め後ろにいた桐ヶ谷さんに気づいた。

 

 因みに、桐ヶ谷さんの身長は決して大きい方ではない。陽梨さんが何を指して「大きい」と言ったのは明白だ。

 

「あ、あたし、桐ヶ谷直葉って言います。こちらこそ、よろしくお願いします」

「そんなに畏まらなくてもいいのに。ウチは浅黄陽梨。よろしくね、()()()()

「は、はい。──えっ、()()()()?」

 

 桐ヶ谷さんが、自分を指しているであろう謎のニックネームに反応する。

 

「うん、そうだよ。直葉ちゃんだから、スグスグ。可愛いいでしょ?」

「えっと…………」

 

 このやり取りだけで分かる通り、彼女のネーミングセンスは独特だ。渾名の付け方は間違っていないのだが、何かが違う。

 因みに俺も現実で初めて会った時は〝レンレン〟と呼ばれた。今回と同じように、「可愛いでしょ?」という言葉と共に。

 誤解のないように言っておくが、俺は別に可愛いと言われて喜んだりはしない。もちろん、褒められて悪い気はしないのだが、男である以上カッコいいとかの方が嬉しい。

 

「陽梨さん。先に湊さんの所行きませんか。ここで騒ぐのもよくないですし」

「ん? まあそうだね。じゃあ、湊の所行こっか、スグスグ。でも、湊のカッコよさに惚れちゃダメだよ。湊にはちゃんと、もうお嫁さんがいるんだからね」

「──お、お嫁さん⁈」

 

 お嫁さんとは間違いなくリズさんの事だろうが、そんなの知るはずもない桐ヶ谷さんが困惑しないわけがない。おそらく桐ヶ谷さんは今日だけで、何度も陽梨さんに驚かされる事だろう。

 俺は彼女にそこら辺の事を軽く説明しながら、陽梨さんについて行った。

 

 病室に入ってベッドの横に立つ。やはり湊さんはまだそこで眠っていた。もちろん、彼の頭にはきちんとナーヴギアがある。

 

「……また、来ちゃいました。こんにちは、湊さん」

「は、初めまして。桐ヶ谷直葉です。お兄ちゃんと紅林君がお世話になりました」

 

 横で聞いていた陽梨さんが、「ウチ、スグスグから『お世話になりました』って言われてない気がするんだけど」と言っていたが無視する。

 

「……あのさ、財布渡すから何か飲み物買って来てくれない? 2人も買っていいからさ」

 

 俺はポケットから財布を取り出しながらそう言った。

 

「えっ、別にいいよ。それぐらいは自分で──」

「オッケー。いいよ、買って来てあげる。やったっ、蓮のおっごりー! ほら行こっ、スグスグっ!」

 

 自分のぐらい自分で買うと言った桐ヶ谷さんを引っ張って、陽梨さんは俺の財布を握り締めて病室の外へ行った。だが、陽梨さんは去り際にこちらに向かってウィンクをする。

 こういう時はやはり、彼女には敵わないと思わされる。

 

 陽梨さんの楽しそうな声と、まだ戸惑いの色が残る桐ヶ谷さんの声が遠ざかるのを確認し、俺はベッドの脇の椅子に座る。

 

「……湊さん。そのままでいいので聞いてくれませんか?」

 

 返事はもちろんない。

 俺はそれを承知で続ける。

 

「……多分俺はまだ怖いです、ナイトの事が、戦う事が。もうデスゲームは終わったって分かっていても、やっぱり怖いんです。またあの日のように、俺の中の何かが変わってしまいそうで」

 

 あの日砕かれたのは〝自信〟。

 だがそれは、俺が本気を出せば、どんな世界(SAO)でも負けはしないというただの〝驕り〟。

 悲しい事に、それだけが俺のたった一つの〝誇り〟だったのだ。

 

「……俺は証明し続けなければいけないんです。俺の強さを、存在価値を。俺は〝落ちこぼれ〟なんかじゃないって、誰からも認めてもらえるぐらいに。

 あんなにも優秀なメグミが死んで、俺なんかが生き延びた事に意味があるとすれば、もうそれしかないんです」

 

 俺はそのために全てを犠牲にする。

 例え和人さんのアスナさんへの想いを利用しても。例えリーファの優しさを利用しても。

 どんな手段を取ってでも、どんなにそれがみんなの理想からかけ離れていても、俺はやり遂げなければいけない。

 

 俺の正義は上っ面だけ。やはり俺には、〝ヒーロー〟なんて向いてない。

 

「俺は、みんなが思ってくれてるほど、優しくなんかないんですよ」

 

 ──結局俺には〝偽善者〟がお似合いだ。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「おっごりー、おっごりー、れーんのおっごりー!」

 

 隣で楽しそうに歌う浅黄さんは、失礼だとは思うがとても歳上とは思えない。

 

「ん? どーしたの、スグスグ。あ、分かった。ウチの事、『ホントに歳上?』って思ってたんでしょ」

「えっ、何で……っていや、そんな事は全然──」

「いーよ、別に。蓮からもよく言われるからさ」

 

 紅林君は特に何も言ってなかったけど、浅黄さんとはどんな関係だったのだろう。恋人とかだったらちょっと──いや、すごく嫌だな。

 

「あの、浅黄さん」

「ん? どーしたの。悩みがあるなら、この陽梨おねーさんに言ってみ。蓮だって、SAOの頃はウチが色々と相談にのってあげたんだよ」

 

 この一言で、ますます浅黄さんの事が分からなくなった。SAOでは、頼りになるお姉さん的存在だったのだろうか。それは少しイメージが違う気がする。

 

「……SAOの頃の紅林君って、どんな感じでしたか。あまり聞いた事なくて」

 

 あたしがそう訊くと、浅黄さんは初めて悩む素振りを見せる。そして、すぐにこちらを振り返り、笑顔を作るだけで何も言わなかった。

 まるで、あたしの質問なんてなかったかのように振る舞う浅黄さん。その様子は、まるで「触れるな」と言われてるみたいに感じた。

 そんなに、聞いてはいけない質問だったのだろうか。

 

「ねえ、スグスグ。スグスグは何飲みたい?」

「えっ──あ、ええと……、紅茶でお願いします」

「りょーかい。スグスグは紅茶、蓮はコーヒーでー、ウチは何にしよーかなー」

 

 あたしと紅林君の分の飲み物を購入した浅黄さんは、自販機の前で唸り続けている。何だかとても楽しそうだ。

 

「スグスグってさ、何か考えてるか分かりやすいって言われない?」

「えっと……、どうでしょう。そう見えますか?」

「ううん、すごくよく隠せてると思う。でも、うちレベルになると、それでも分かっちゃうんだよ」

「得意なんですか、そういうの」

「全然。でもね、SAOにいた頃に心理戦のプロからコツを教えてもらったんだ」

 

 ガコン、そう言って自販機から飲み物が出て来た。浅黄さんが買ったのはオレンジジュース。それを取り出し、紅林君のお財布をポケットにしまった。

 

「ウチはさ、ちゃんとゲームやるのはSAOが初めてだったんだ。まあ、デスゲームを()()()()()()()って言うのは変だけど」

 

 浅黄さんが紅茶をこちらに向かって放り、あたしはキャッチする。「ナイスキャッチ」と言ってから、手前の椅子に座って浅黄さんはジュースを飲む。

 それに倣ってあたしも隣に座り、蓋を開けて一口飲む。

 

「ゲームの事なんてさっぱり分かんなかった。辛い事もいっぱいあって、楽になりたいって思った事は一度や二度じゃない」

 

 あたしの質問に答えなかった事に対するお詫びなのか、浅黄さんは自らのSAOの頃について話し始めた。

 

「……じゃあ、何で頑張れたんですか。戦わずにいる選択肢だってあったのに」

 

 思わず訊いてしまった。クリアを目指す理由なんて一つしかないのに。

 

「友達が頑張ってるから。蓮やカズだけに、辛い思いはさせたくないから。2人共、色々背負っちゃう人だから、ウチらがちゃんと見ていてあげないとね」

 

 あたしの失礼な質問にも、浅黄さんは気を悪くする事なく答えてくれる。でも、今の浅黄さんはどこか懐かしげで、悲しそうだった。

 

「それにさ、たくさん〝希望〟をもらったから。いつかSAOはクリアされるって、2人の背中を見てたらウチは素直にそう思えたんだ」

 

 結局、浅黄さんはあたしの質問にはちゃんと答えてくれなかった。でも今のあたしには、それだけで十分な気がする。

 

「……ゴメンね、ちゃんと教えてあげられなくて。スグスグが単なる好奇心だけで訊いてるわけじゃないって事は分かるんだけど、蓮が話さない事をウチが話しちゃダメかなって」

 

 そう言うと、浅黄さんは立ち上がってあたしの頭をポンポンと撫でた。

 

「うーん。男の子って、こういう思わず守りたくなっちゃうような女の子が好きなのかな?」

「……さ、さあ?」

 

 突然何を言い出すのだろうか。

 さっきまでのシリアスを、リセットどころかマイナスまで持って行くような気の抜けた言葉。あたしでは、まだこのスイッチの切り替えについて行けない。

 

「大丈夫だよ、スグスグ。蓮はスグスグの事、ちゃんと想ってるよ。いつか必ず、話してくれる日が来ると思う」

「本当に、そうでしょうか」

 

 それには何も答えない。浅黄さんはポケットから紅林君の財布を取り出し、追加でコーラを買った。

 そして、振り返ってあたしを見た。

 

「蓮と今後、どうなりたいのか、どうしたいのか、どうして欲しいのか。それはウチには教えられないし、示してあげられない。決めるのはスグスグ、君だよ」

 

 そう言ってニコリと笑う浅黄さん。なんて素敵な笑顔なんだろう。見ているこっちまで嬉しくなり、思わず頰が緩む。

 

「うん、その顔。やっぱりスグスグは、笑顔がホントに似合うよ。それなら、男の子はみんなイチコロだね」

「──そ、そうでしょうか」

「もちろん。ウチが言うんだから間違いないよ」

 

 浅黄さんがおどけるように言った。

 

「よしっ、じゃあ戻ろっか、スグスグ」

「はい、浅黄さん」

「──陽梨でいいよ、スグスグ。友達から苗字で呼ばれるの、あんまり好きじゃないんだ」

「──はいっ、分かりました、陽梨さん」

「うーん、まあ敬語はいっか」

 

 あたしと陽梨さんは、このまま話をしながら清水さんの病室まで戻った。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 2人が戻って来たのは、病室を出てから大分経ってからだった。戻って来た陽梨さんから、飲み物4()()()の代金が抜かれた財布とコーヒーを受け取った。

 

 結局病院を出たのは1時前。お昼を食べてから帰るのであれば、都合のいい時間だった。

 

「さてと、何か食べて帰るか。多分、和人さんもそうするだろうし」

「そうだね。じゃあ、一緒に行きたいお店が近くにあるんだけど、いいかな?」

「いいよ。俺は特にそういうのないし。どんなお店?」

「サンドイッチとかコーヒーとか、そういうカフェっぽいお店なんだ」

 

 ALOのアプデは3時頃には終わる。フルダイブ前にあまり胃に入れ過ぎるのは良くないとされているため、サンドイッチのような軽めのものは俺にとってもありがたい。

 そもそも桐ヶ谷さんが誘ってくれたのだから、断る理由など一つもないのだが。

 

 俺は「じゃあ行こうか」と返して、桐ヶ谷さんのガイドに従う。10分ほど歩くと、目的のお店が見えてきた。

 お昼頃なのに並ばずに済んだという事は、この辺りの有名店というわけではないのだろう。それでも、空席は2、3箇所ほどしかない。知る人ぞ知る、的な店なのだろうか。

 桐ヶ谷さん先頭で店に入り、一番手前の空席に入り口に背を向けて座る。その向かい側には、メニューを見て嬉しそうにしている桐ヶ谷さん。

 

「すごくいいお店だな、ここ」

「でしょっ。知り合いの人に教えてもらったんだ。紅林君と一緒に来れたらな、って思ってここにしたんだ」

 

 そんな無邪気な笑顔に、俺も釣られて顔が綻ぶ。

 せっかくなので、桐ヶ谷さんがオススメしていたサンドイッチとコーヒーを頼む。桐ヶ谷さんはそれに加えて日替わりデザートを頼んだ。

 

 注文したものが来るまで、軽い雑談をしながら待つ。これと言って意味のない話。だが、そんな何気ない会話がとても楽しかった。

 そういえば、SAOにログインする直前に彼女からお茶に誘われたのを思い出す。あの誘いを断っていなければ、俺はSAOにログインする事もなかったのかと思うと、何とも言えない気分になる。

 

「このサンドイッチ、レシピとか聞けないかなあ」

「あはは、それは無理だと思うよ。でも家でも食べたくなるぐらい美味しいよね」

 

 割と冗談抜きで聞いてみたい。それぐらい美味しかった。

 

 ところで桐ヶ谷さんは、一体どこでこんな店を知ったのだろう。

 俺のそんな疑問を感じ取ったのか、桐ヶ谷さんはこう言った。

 

「このお店ね、知り合いの人に一回連れて来てもらったんだ」

「へえ。知り合いって事は、学校の奴じゃないのか?」

「うん。病院で知り合ったんだ。〝芽依さん〟って人でね、あたしと同じ、身内がSAOに囚われちゃった人なの。色々あって、仲良くなったんだ」

「…………今でも、その人とは連絡取ってるのか?」

「うん。あ、でも最近はないかな。大学が忙しいみたいだし」

 

 その時、俺の背を冬の冷たい風が撫でた。突然の冷気に思わず身震いしてしまう。

 

 おそらく、新しい客がガラス戸を開けて入って来たのだろう。1人分の足音が少しずつこちらに近づいて来た。

 そのまま俺達の横を通り過ぎるかと思ったのだが、足音はその手前で鳴り止む。その誰かが、俺の後ろで立ち止まったのだった。

 

 嫌な予感がする。そして、俺のこの手の予感はよく当たる。特に悪夢を見た日はその確率が跳ね上がる。

 

「あれー? 久しぶりー。まさかこんな所で会うなんて、お姉さんビックリだよ」

 

  後ろを向いているため顔は見えないが、声や話し方から女性だと分かる。

 

「──あっ、芽依さんっ!」

「あれ? 桐ヶ谷ちゃん?」

「はいっ。お久しぶりです」

「うん、桐ヶ谷ちゃん()久しぶり。元気にしてた?」

 

 彼女がおそらく、桐ヶ谷さんが懐いている〝芽依さん〟。

 なるほど。確かに桐ヶ谷さんが懐くのも分かる。その明るさと人当たりの良さ、何よりも彼女の姉のような雰囲気が、桐ヶ谷さんをそうさせたのだろう。

 

「へえ、この店また来てくれたんだ」

「はい。とってもオシャレで美味しくて。紅林君──そこの彼を連れて来たかったんです」

「そっかあ。よかったね」

 

 ──でも、俺は知っている。この女が、桐ヶ谷さんが思っているような〝素敵なお姉さん〟なんかではない事を。

 

「で、いつになったらそこの〝紅林君〟は、挨拶してくれるのかな? ねえ、聞いてる? それとも……聞こえてない?」

 

 桐ヶ谷さんも、彼女の雰囲気が変わったのに気づいたのか、さっきまで嬉しそうに話していたのをやめる。

 一方彼女は、俺を煽るようにそう言った。

 

「……そんなに耳は悪くないさ」

「じゃあ、私の声が分からない?」

「あいにく、嫌な事を何でも忘れられるほど、都合の良い脳みそじゃないんだ。2年経っても、そう簡単には忘れられないよ」

 

 煽ってくる相手には、こちらも同じような態度を取るしかない。こういう奴は、調子に乗らせちゃダメなのだ。

 

「ふぅん。じゃあ、もう一回だけチャンスをあげる。久しぶり、()。元気にしてた?」

 

 俺は自分でも驚くほど冷たい表情のまま、彼女の方を振り向かずにこう言った。

 

「ああ、久しぶり。もちろん、俺は元気にしてたよ、()()()()さん。──いや、それとも……、()()って呼ばれた方が嬉しい?」




というわけで、番外編の過去編で、直葉を包み込んだ〝芽依さん〟は、蓮の姉でした。色々と疑問はあると思いますが、次話以降で解き明かしていきたいと思います。

いつもより長かった今話ですが、最後までお付き合いありがとうございます。
お気に入りや感想、評価が欲しい──というか求めてます。よければお願いします。

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