それでは、どうぞです
今まで何回も、彼女を突き離すタイミングはあったはずだ。どうして俺は、こんな時までズルズルと引きずり続けたのだろう。
一緒に出かける約束なんてせずに、さっさと嫌だと伝え、彼女を拒絶しなければいけなかったはずだ。
「……その結果がこのザマか」
《
「嘘っ……。嘘だよね、ベルデ」
信じられないような顔をするシリカ。だが、それが事実であり、それを覆す事は俺には出来ない。
「嘘って言ってよ! ベルデっ!」
「ホントだって言ってんだろ、シリカちゃん。こいつは本当に殺人者なんだよ。生憎、証拠はねぇが、仲間だった俺たちが言うんだから間違いねぇ」
本当に彼女が、俺に嘘であると言って欲しかったかどうかは分からない。ただ、一つ言えるのは、もう終わりだという事。ここで生き残ろうが死のうと、結果は同じ変わらない。
今でも、俺があのギルドでやった事は間違いだと思っていない。でも、それは真実であって事実ではない。何をやろうと、俺は《
シリカと別れていた約一年。俺は彼女とは一切関わろうとしなかった。巻き込みたくなかったというのもある。それ以上に知られたくなかった。彼女との思い出は、俺にとってとても新鮮で、かけがえのないものだからだ。それを、きれいなまま取っておきたかった。
「おい、さっさとヤッちまおうぜ。《聖竜連合》が来ちまうだろ」
「だそうだ、シリカちゃん。一緒に楽しもうぜ」
一番近くの幹に押し付けられるシリカ。腕を掴まれ、ウィンドウを呼び出され操作されそうになる。必死に抵抗するも、シリカのステータスでは敵わない。
シリカの胸につけていた防具が外される。どうやらあいつは、防具を上から順番に解除していくつもりらしい。
「……いやっ。やめてッ。助けて……ッ!」
目に涙を浮かべ、こちらを見るシリカ。
「そぉれッ!」
「ッ……!」
更に、俺を見張っていた奴が、見ているだけに飽きたのか、俺に向かって槍を突き刺して来た。赤いダメージエフェクトが漏れ出す。《貫通継続ダメージ》だ。
「ベルデッ!」
「ほら、ちゃんとこっちに集中しろよ」
シリカは、こんな状況でも俺を心配してくれる。嘘を吐き、本当の事を言わず、彼女を危険な目に遭わせた昨日の自分が憎い。そして、何も出来ない今の俺を殴ってやりたい。それすらも、動けない俺には叶わないのだが。
「……ッ!」
ナイトさんなら、こんな時どうするんだろう。いや、あの人はそもそも、守りたい人との関係は断ち切り、そんな事は起きるはずがない。
じゃあ《黒の剣士》――キリトならどうだ。あの人ならいとも容易く、己の剣でシリカを助けてしまうだろう。
そもそも、俺にとって彼は理想の姿だ。同じベータテスターなのに、こんなにも違うのか。元々の技術の差はあっても、ここまでの差が広がるはずがない。彼と俺には存在するのだ。決定的に違う何かが。
右上にある俺のHPは、もうすぐ半分。
「もう、ダメか……」
俺は、全てを諦めたかのように呟く。
「ダメじゃないぜ」
「グホッ!」
目の前に奴を踏みつけるようにして現れたのは、年齢不詳の黒づくめ。黒いロングコートを翻し、颯爽と登場した
「キリト……」
「ベルデ、ようやく名前呼んでくれたな。俺さあ、一度も呼んでもらえないと思ってたぜ」
《黒の剣士》は、俺の口にポーションを突っ込み、頭の上に手を乗せる。その手を退かし、睨みつける。
「何で、俺を助けたんだよ。シリカを先に助ければ良かっただろ」
「確かに、シリカからでもよかったな。でも、お前はケジメをつけなきゃいけないだろ。ちゃんと、責任は取らないとな」
ケジメ、責任、か。
「おいおい、何余計な事してくれてんだよ!」
「おいやめろ。こいつ、攻略組のソロプレイヤーだ。確か名前は《キリト》」
「そんなに恐れる事もねぇだろ。こっちには人質がいるんだからな」
シリカを強く引っ張り、その首元に剣を突きつける。
「……人質から助けるべきだっただろ、絶対」
「大丈夫だ。そろそろだぜ」
《索敵》に約十人もの反応があった。
「おいキリト。俺達が皆、お前みたいに動けると思うなよ」
「悪い悪い。でもさ、お前らが捕まえ損ねていた奴等を捕まえられるんだから、そう怒るなって」
あのギルドアイコンは《聖竜連合》。真ん中にいるのは、討伐戦にも参加していたディフェンス隊のリーダー。
「さあどうする? 数でも負けてるお前らに、勝ち目はあると思うか?」
こんな事を言って挑発している《黒の剣士》。実際は、事態はさほど変わってはいない。人質がいる以上、俺達は動く事が出来ない。
「……! 動く事
俺は、右腰に手を伸ばす。そこには、俺の奥の手であるブーメラン。ナイトさんに教えてもらった二本目の刃。
「さあ、ベルデ。お前がやるべき事をしっかりやって来い」
《黒の剣士》が、俺だけに聞こえる声で囁く。まずは、前にいるシリカを人質に取っている奴。次に後ろの二人。殺す必要はない。無力化、いや、一種だけでも隙が出来れば、あとは彼らに任せればいい。
俺は、左前方に向かって合図を出す。以前、一度だけ使った手を覚えてくれているか。……、そんな心配はいらなかった。
「セアッ!」
奴は不意を突かれ、反応が遅れる。背後の二人は、攻撃をした俺に向かって来る。
「ハアァッ!」
ブーメランは、回転しながら奴の武器の柄に当たる。武器を弾かれて丸腰になった所を、ピナの突進によって飛ばされる。
俺は、振り向きながら連続技のソードスキルを発動。背後の奴等の武器を破壊して無力化する。
「今だ!」
《黒の剣士》の掛け声で、《聖竜連合》のプレイヤーがラフコフの残党を捕縛。シリカも解放され、その腕にはピナの姿がある。
そして、俺は戻って来たブーメランを左手でキャッチした。
《黒の剣士》が俺の頭に手を乗せる。ていうか、こいつ何でこんなに俺の髪を撫でるんだよ。
「お疲れ。見事だったぜ。完璧じゃないか」
「あんたが、シリカから助けてりゃ、もっと迅速に解決してたけどな、《黒の剣士》」
「結局戻るのかよ……」
俺は、何か呟いている黒いのを無視して、シリカの元へ行く。嫌われても、怖がられても、全てを話す準備が出来た。それに、
「あいつになら、捕まえられても文句はねぇしな」
《聖竜連合》と話している彼の方を見て、そっと呟く。すぐに目線を戻して初めて会ったその日のようにしゃがみこむ。
「大丈夫か。怪我はしてねぇか?」
「大丈夫だよ。ありがと」
立って、彼女の手を引っ張り立ち上がらせる。
「……その……、シリカ。あのさ……」
「大丈夫。ちょっと驚いただけ」
「ごめんっ。俺、お前を裏切ったな……」
手をまだ握ったまま、俺はシリカに空白の一年間を話す。
レベリングの途中に、《
話を終え、彼女は一言こう言った。
「おかえり、ベルデ」
「……ッ!」
涙が溢れて来た。今まで、どんなに怖くても流さなかった涙が、初めて出て来る。悲しいのか、それとも嬉しいのか、何の涙なのか分からない。その間ずっと、俺はシリカにそっと抱き締められていた。
俺が泣き止む頃には全てが終わっていた。それでも、《黒の剣士》はそこで待っていてくれていた。
「……《黒の剣士》、サンキューな。もうこれで、思い残す事はねぇよ。さあ、俺を黒鉄宮まで飛ばしてくれ」
すると、《黒の剣士》は意味が分からないという表情をする。何か、急に頼りなくなった感じがする。
「おーい、聞いてるか?」
「いや、聞いてるけどさ。実はな、俺の用事ってのが、《聖竜連合》が逃してたあいつらの捕縛の手伝いなんだ。それを引き受ける代わりに、ベルデの処分を俺に一任してもらった。お前に任せるよ。逃げてもいいし、黒鉄宮に行ってもいいし」
やっぱり、掴めねぇ奴だな、マジで。
「でも、それを決める前に、お前にはやる事があるはずだ。ここに来た目的、まだ果たしてないだろ」
後ろにいたシリカが、微笑みながらこちらを見ている。
「…………サンキュー、キリト」
「……まあ、進歩した方か」
◆◆◆
途中、何度かモンスターに遭遇したものの、ベルデによる遠距離攻撃で退ける。
「ホントありがとね、ベルデ。怖かったから、助けてくれた時、すごく嬉しかった」
あたしはピナの頭を撫でながら、ベルデに言う。あの時のベルデの動きは、本当にすごかった。一瞬の隙を見つけて動き、最小限の攻撃で無力化してしまった。
「……別に。俺のせいで、あんな目に遭わせたってのもあったしな」
「本当にありがと。……結構、かっこよかったよ」
つい言ってしまった。ヤバい。顔真っ赤だ……。
「ありがとよ」
やっぱり、ズルいよ。あたしはこんなに恥ずかしいのに、顔色一つ変えないなんて。
「見えて来たな。あの真ん中の幹の中に、《秘密の花園》に繋がる道があるんだろ」
「うん。NPCからはそんな感じで聞いてる」
幹の中に入ると、外からは見えなかった道が見えてくる。先に何があるのかは、さっぱり見えない。
「入るぞ」
「う、うん」
あたし達はドキドキしながらも、一緒にその道を進む。しばらく歩くと、ようやく光が見えて来る。そこを出ると……、
「うわあぁっ! きれいっ!」
目の前に広がるのは、一面お花畑。四十七層の主住区もとても素敵な花がいっぱいだったけど、ここはそこが霞んでしまうレベルだ。こんな所が、まだ誰にも発見されていなかったなんて。
「ああ。すげえよ。言葉が出て来ないな」
ピナがあたしの腕から離れ、お花畑の上を元気に飛び回る。嬉しそうな声を出し、とても満足そうにしている。
「……ッ! ねえ、ベルデ……」
こんな素敵な場所に、好きな人と二人きり。この時間が永遠なら、どんなにいい事か。あたしは、右手をそっとベルデの左手に重ねる。少しでも、それを感じていたくて、控えめに。
でもベルデは強く、あたしの手を強く握り返してくれる。ああ、あたし今すごく幸せだ。
「俺、この後キリトの所に行くよ。そんで、自首する。やって来た事が間違っているとは思ってないけど、許される事でもない。こんなに満たされたら、思い残す事なんてあるわけない」
ずっと、そう言い出すと思っていた。ベルデは、毒舌で無愛想で失礼な所も多いけど、誰よりもストイックで真面目だ。
「そっか。何だか、残念だな。あたし、もっとベルデと一緒にいたかった。これからもコンビ組んで、いっぱい冒険して、それで……ッ」
ベルデの、決して大きいとは言えない手が、あたしの髪をそっと撫でる。
「ホントだよな。レベリングなんて行かなきゃよかったよ」
ベルデは言っていた。
当時の彼は、ベータテストの知識が通用さずに苦しんでいた。あたしの面倒もみていたため、自分の時間もあまり取れない。焦った結果が深夜のレベリング。そして、ラフコフに遭遇してしまったと。
「ねえ、写真撮ろ。あたし達の、最後の、最高の思い出の」
「おう」
ストレージから《記録結晶》を取り出して、撮影にいい場所を探す。見つけたら、タイマーをセットして、写真を撮る。焼き増しをして、片方をベルデに渡す。
「あー、もう最高だよ。ずっとここにいたいっ」
「ああ。……なあシリカ」
ベルデがあたしの方を、真剣な眼差しで見る。
「お前と会えてよかったよ。俺がこの世界に来たのは、多分お前と出会うためだったんだな。お前と会って、世界が変わったよ」
「あたしもだよ。ベルデがいたから、ここまで頑張れたし、楽しい思い出も作れた」
この世界に来て、楽な事ばかりじゃなかったし、デスゲームなんて巻き込まれるものじゃない。でも、ベルデと出会うためだったなら、それでもいいと思ってしまう自分がいる。
「……
「えっ?」
「教えてくれよ。シリカの本当の名前。このゲームが終わったら、必ず会いに行くから。またこうやって、楽しい思い出を作ろう」
心臓がキュッと掴まれたような感じになる。苦しい。これが、そうなんだ。
「いいよ。あたしは、綾野 珪子。あたしも誕生日はまだだから、十三歳。ふふふ、あたし達って同い年だったんだね。大人びてるから、もっと上だと思ってた」
「……俺は下だと思ってた」
「ちょっ。酷いよ、それは!」
「ゴメンゴメン。じゃあ、今度は向こうで会おう」
「……うん」
SAOはあたしに、大事な人と出会うチャンスをくれた。一度はすれ違ってしまったけれど、もう一度会う事が出来た。
ベルデと共に生きて、あたしが感じた感情。それは確かに恋だった。恥ずかしくて言えなかったけど、向こうに帰ったら、ちゃんと伝えたい。
「好きだよ、ベルデ」
あたしは、あの日撮った《記録結晶》を使用する。そこには、笑顔でピースをしているあたしとベルデ。ピースをしていない手は、指を絡ませて握られていた。
結局ベルデには黒鉄宮に行ってもらいました。彼も、自分の罪から逃げるようなキャラだとは考えられないので。お互いの気持ちはまだ届いていないようですが、完全に両想いです。二人の恋路にご期待ください。
いよいよ次回からは、原作一巻突入です。SAO編の終わりも見えて来ました。
次回もお楽しみに!