とりあえず、ヒロインはこの娘です、というのと、主人公の家庭環境はこんな感じ、というのを知って頂ければ。
プロローグ
「ぃやぁぁあああ──ッ‼︎」
掛け声と共に勢いよく振った竹刀が防具に当たり、気持ちの良い音が道場に響く。これで今日は5連勝。別に大会でもないのに今日は調子が頗る良いらしい。この後も幾らでも出来そうだったのだが、顧問に一度休憩しろと言われ、大人しく従う。
夏はとっくに過ぎ去り、季節は秋。とはいえ、既に11月が始まってからもうすぐ1週間が過ぎ、冬の訪れすら感じさせる。尤も、気温は低いとはいえ、スポーツの後はどうしても身体が火照って仕方がない。それに剣道は防具をつけるから余計に熱が篭る。汗を拭いてびちょびちょになったタオルを首に掛け、バッグから水筒を取り出して一気に飲む。しかし朝からずっと飲んでいたせいで、中身は殆どなかった。
俺は追加の飲み物を買おうとバッグから財布をとり出すために蹲み込む。見つけたそれを手に持って立ち上がろうとしたその時。
「──うわっ⁉︎」
突然首元に冷たいものが当てられ、びっくりして思わず声を上げてしまった。慌てて後ろを見ると、胴着を着た短い黒髪の女の子が青いラベルのペットボトルを持って笑みを浮かべていた。彼女は俺と目が合うと可愛らしくウィンクした。どうやら俺は、怒るタイミングを逃してしまったようだ。
「お疲れ、
そう言うと、彼女は俺に向かってそれを放って渡す。それをしっかりとキャッチすると、キャップを開けて一気に煽る。本当に買ってくれたばかりらしく、それは程良く冷たくて、火照った身体に良く染み渡る。
「ありがと、桐ヶ谷さん。悪いね、コレ」
「ううん、別にいいよ」
「桐ヶ谷さんも今から休憩?」
「そーだよ。一緒に行こっ」
俺は桐ヶ谷さんと共に外に出た。そして入り口の階段の所に腰掛けると、ペットボトルのキャップを開けてもう一度一気に飲んだ。
隣を見ると桐ヶ谷さんがこちらを見つめいた。
「どうかした?」
「ううん。何でもないよ」
そう言うと、彼女も自身の可愛らしい黄緑の水筒を飲んだ。
「それより、前の試合見てたよ。さっき試合してた先輩、この間の県大会でベスト8まで行ってた人だよね。その先輩に勝っちゃうなんてすごいよ、紅林君!」
「うん、ありがと」
「それでさ──」
そして俺たちは、休憩時間の終わりまで話し続けた。
◇◇◇
朝の8時半からやっていた練習もようやく終わった。途中までは桐ヶ谷さんも同じ帰り道なので、お互い自転車を押しながら帰る。
自転車に乗って帰らないのか、かつて彼女にそう尋ねた事がある。だがその時は曖昧な返事しかくれず、その理由は分からず終い。本人にも、大した意図はなかったのかもしれない。でもそれで良かったと思う。小柄な彼女の歩幅に合わせて歩くから、帰宅までの時間は当然かかる。だがそのおかげで、俺は彼女と一緒にいる時間を長く楽しむ事が出来る。可愛い女子と一緒に帰る事を不満に思う男子なんていない。
「ねぇ紅林君、この後予定ある? よかったらさ、お茶でもどうかな、って」
だから勿論、このお誘いもとても魅力的だ。でも──、
「ああ……ゴメン。今日さ、俺この後用事があって。用事って言ってもゲームなんだけど……。桐ヶ谷さん、〝ソードアート・オンライン〟って知ってる?」
すると桐ヶ谷さんは凄く不満そうな顔でこちらを見る。そりゃそうだ。彼女は今までずっと剣道をやって来ていて、ゲームとは全く縁がない。
彼女には兄がいるのだが、彼は重度のネトゲ中毒者らしい。そしてゲームばかりで、2人の間に兄妹らしい会話は少ないらしい。それもあって、彼女はあまりゲームには良い印象を持っていない。勿論彼女が身体を動かす方が断然好き、というのもあるのだろうが。
「……まあ、知ってるよ。CMでも見るし。でも紅林君もゲームなの? ゲームってそんなに楽しい?」
「うん、楽しいよ。身体動かすのも勿論好きだけど、何と言うか……ゲームの方が性に合ってるんだよね、俺」
俺は色々あってゲームには沢山手を出したし、自分が中毒者の域に片足突っ込んでる自覚もある。おかげでこの話題なら、永遠と喋り続けられる自信さえある。
「ふーん、あたしはよく分かんないけど。
SAOか……。そういえばβテスト? だっけ。確かお兄ちゃんがやってたよ。毎日ほとんど会話もせずに、あのヘルメットみたいなの被って」
「へぇ、桐ヶ谷さんのお兄さんってβテスターなんだ。めちゃくちゃ運良いじゃん。倍率半端なかったんだぜ。今度紹介してよ。色々レクチャーしてもらいたいな」
「まさか。お兄ちゃんはあたしやお母さんともあんまり話さないんだよ。やめといた方がいいって」
「それがそうでもないんだよ。ゲームの中だと性格変わる奴も普通にいてね、ゲームだと現実とは違う自分になれるから。桐ヶ谷さんも今度、お兄さんとやってみなよ。もしかしたら色々話せて、また仲良くなれるかもよ」
その時、左手首につけた腕時計が目に入る。短針は12、長針は6を指している。12時30分。大ピンチだ。ついうっかりしていた。彼女との時間を楽しんでいたら、SAOのサービス開始時間を忘れていた。
「──や、やばいっ‼︎ あと30分しかねぇっ‼︎ ごめん、桐ヶ谷さん、俺急ぐからっ‼︎ じゃあ、また明日!」
半ば強引に話を切り上げ、俺はここまで押していた自転車に乗った。桐ヶ谷さんの返答など一切聞かず、ペダルを全力で漕いだ。別れ際に彼女が何か言っていたようだが、その声は風に掻き消されて聞こえなかった。
◇◇◇
「ただいま」
言ってもどうせ無駄なのだが、何となく言ってしまう。勿論「おかえり」の4音は聞こえない。
「あ、お兄ちゃん」
その時丁度二階から降りて来たコイツは、1つ下の妹の恵。この家で、唯一俺を家族だと言ってくれる奴。だけど俺はコイツが嫌いだ。その理由は──、
「ようやく帰ったのか」
その時恵の声に反応したのか、会いたくなかった男がリビングからこっちに出てきた。ああ、最悪だ。
「部活が終わってから随分と時間がかかったな。何を余計な事をしてたんだ?」
このうるさいのが俺の父親。現在親父は、結城彰三氏と共に《レクト》という会社を支えている。CEOの結城氏にCOOの親父。2人のおかげで着々と規模を拡大しているらしい。
まあ、俺にとってはどうでもいい話だが。
「関係ないだろ、俺がいつどこで何をしていようが。あんたが俺を息子だと思っていないのと同じように、俺もあんたを父親だとは思ってねぇんだからな!」
俺はすぐに親父の目の前から消え、二階にある自室に入る。そして、一度全てをリセットするためにベットに飛び込んだ。手探りでナーヴギアを見つけ、急いで準備を進める。
「……危ねぇ。あと1分だった」
今残る心配事はあんな事があったせいでトイレに行ってない事。これは学校でも済ませてたので何とかなるだろう。家族にナーヴギアを引っぺがされる事だが、あいつらは俺が何をしようが興味ない。どうせ、飯も一緒に食わないのだから。
そして俺は心の中でカウントダウンを始める。
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【DATA】
・紅林家
埼玉県在住。父、母、息子2娘2の6人家族。
実家は結城家に勝てずとも劣らない名家。昔から、多くの著名人を出している。
次回もお楽しみに!