読者達のアインクラッド   作:秋宮 のん

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待たせたなっ!
本当に待たせたなっ!
ついにバレンタインイベントの完成だ!

本気でバレンタインどころかホワイトまですっ飛んじまったが、存分に楽しんでくれたまえ!



☆バレンタインイベント☆:中篇

 5

 

 

 

 ・そろそろ本命にアタック!

 

 

「さて、そろそろ良い頃合いかしら? 本命チョコ持ってる方は順番に用意してください」

 ウィセの号令に従い、数人の女の子が、本命チョコを片手に外出の準備を始める。そのうち何人かは私服に着替え、休憩を取り、何人かはウェイトレス姿のままだ。

 頃合いを見計らい、シナドが店内へと声を張り上げる。

「これより、当店特別抽選イベント! 『本命チョコ』のサービスを行います! アナタを気にしている女の子から告白と一緒に『本命チョコ』をプレゼントしてもらうイベントです! 誰が誰にプレゼントするかは、こちらで用意したクジにより、ランダムに決定されますので、お楽しみにしていてくださいね!」

 シナドの報告の後、数人の女性が≪本命チョコ≫を片手に現れ、真直ぐ本命相手の元へと向かう。

「あ、あのっ! これ、私の気持ちですっ! 良ければ付き合って下さいっ!!」

「これ、以前のお返事です。受け取ってくださいますか?」

「お待たせ。ヤキモチ妬いてた? ゴメンね。でも、今からは、アナタにだけのチョコレートだから。一緒に味わってね♡」

 次々とチョコを贈る女の子達の姿は、まるで演技とは思えない気持ちの籠った告白ばかり。受け取った男性の方も、あまりのリアルさに本気の対応で受け取ってしまう。

 それもそのはず、これこそ≪ケイリュケイオン≫がこのイベントを企画した真の目的。女の子達に、イベントに恰好を付けて、本当の告白をしてしまおうと言う物なのだ。周囲にはイベントによるラッキーにしか見えないが、当人達にとっては本気だと言う、サプライズバレンタイン。しかも、店の企画と思わせているので、断られる心配が無いと言う、臆病な女の子達の背中を押す効果もあったりする。

(まあ、本命が店に来とらんかったり、超鈍感を発揮されて本気だと最後まで気付いてもらえんかったり、結局最後まで本気だった事のネタばらしが出来なかったり、っと言う連中がいないわけじゃないけどね~~………)

(そこまで面倒は見ませんよ)

 ジャスとシナドが視線で言葉を交わし合う中、≪ケイリュケイオン≫からも数人、イベントに恰好つけて、告白しに行くモノがいた。

 

 

 

 ・私だって、たまには違う顔が見てみたいです

 

 

「あ、あの………、ケン………ッ!」

 テーブル席にNPCの如き存在感を消していたケンを見つけ、私は思い切って声を掛けた。

「ラビット? 仕事お疲れ」

「はい………っ! えっと………、これ、企画イベントの………」

「アア、本命チョコ? 僕が貰えるんダ?」

「はい」

「そっか、ヨカッタ」

「ふぇ?」

「彼女のチョコを貰えなかっタラどうしようカト思ってたカラ」

「!! ////////」

 ケ、ケンは、いつもこう言う事を平然と言うよね? 私が告白した時も、大した反応せずに受け入れてくれて………、その癖、他の女の子との浮いた噂なんて一つもないし………。

 ―――いや、普通に存在に気付いてもらっていないだけの様な気もするけど………。

「その………、じゃあ、食べてもらってください………」

「ウン。………ンン………、うん、ヤッパ美味い。ラビットから貰えたからこそダナ」

「は、はう………~~~~っ//////」

 だからどうしてそう言う事簡単に言えちゃうのさ~~~! ///////

 今日は企画内容的に男の子の方が照れるはずだったのに………! なんで私の方がこんなに照れる事になっちゃうんだろ~~~………っ!?

「………」

 そしてこの人はいつも殆ど表情を変えない人だ。本当にNPCみたいな人で、時々私の事を本当に好きになってくれているのかどうか疑いたくなってしまう。

 いやいや、今更疑っても仕方ないんだけど………。不安になるといつもサヤちゃんの事が羨ましくなってしまう。

 どうやって彼女はケンと普通に喋ってるんだろう? なんでか知らないけど、ケンとサヤちゃんが二人で話している時は、ケンも嬉しそうな顔する時多いんだよね?

 羨ましいだけで嫉妬しないのは、ケンが笑ってる時、大抵サヤちゃんが本気で泣き掛けてる時だからなんだけどね………(ちなみに最近は、その後ウィセさんがケンを正座させる日常が追加されていたりします)。

 私がケンの事を好きになったのは、こう言う“人っぽくない”ところなんだけど………(←何気に失礼)、それでも私にくらいは照れてくれたりして欲しいな~。

 ―――よしっ、今日はがんばろう私!

 私は密かに気合を入れ、ケンが反応してくれそうなバレンタインイベントを押し込んで行く事にした。

 …………。

 

 ―――速攻で思い付かないっ!? どうしようっっっ!?

 

 私ピンチです。一人焦ってしまい、顔がどんどん熱くなっていきます!

 で、でもっ、どうしようっ!? 本気で何も思い付かないっ!? 私、焦ってばかりで俯いたまま一人暴走なんてっ!? 私一体何してるんだろう~~~~っ!?

 チョコ渡したらやる事無くなりました。―――なんてっ!? シャレにならないっ! これじゃあアルクの事何も言えない~~~っ!!?

 そうやって、私は何もできず、ただ一人、ケンの隣で照れまくっていただけで終わってしまい、自己嫌悪に陥ったのですが………、後に彼にこんな事を云われてしまいました。

 

「ホント、ラビットと一緒にいると、それだけで楽しいヨナ? こんな僕に照れてくれる子なんて全然いなかったカラ、それだけで幸せすぎてサ、話す気も起きなかったよ。………僕、退屈させてなかった?」

 

 その後、私が爆発赤面状態のパフを受けた事は言うまでもないのかもしれません。

 嬉しいけど、でもやっぱり、彼の照れた顔とかそういうの見て見たかったなぁ~//////

 

 

 ・俺の彼女が目覚めたのは俺の所為っ!?

 

 

 テイトク事、オレと、シリカが付き合い始めたのは半年くらい前になる。意識し始めたのはどちらかと言うとオレなんだが、付き合う事になったのは、偶然が重なってくれたからだと思う。おかげでオレはシリカとラブラブな関係を築き上げていたのだが………、最近、何だかちょっと彼女の様子がおかしいです。

「テイトクさん! お待たせしました!これ、特別なバレンタインチョコです!」

「おおっ! シリカ! 良かった。オレ、すごく楽しみにしてたんだぞ!」

「はい! 五百円になります♪」

「『五百円』!? コルじゃなくてっ!?」

「テイトクさんになら、百円にまけて上げても良いですよ………?(もじもじ」

「いや、無理ッ!? SAOじゃ一円も払う事不可能だからっ!? せめてコルにしてくださいっ!?」

「ユーロでも良いですよ? ドルとかドーンでも」

「ゲームの世界にリアルマネーは無理だってばっ!?」

「それじゃあ、ゴールドとかポッチとかガルドとか?」

「ゲームだけど世界観が違うっ!? お願いですからアインクラッド通貨でお願いしますっ!?」

「テイトクさん………、私のチョコをそんなにお金で買いたいんですか?」

「あれ? なんでいきなり責められてる視線?」

「愛情をお金で買おうとするなんて不謹慎です。このチョコはキリトさんにただで上げちゃいます」

「なんであいつなんだよっ!? ちくしょうキリトの奴~~~っ!?」

「嫌ですか?」

「イヤだよ! シリカのチョコは俺だけのもんだっ!!」

「そんなに私の事好きですか?」

「滅茶苦茶好きだよ!」

「そ、そうですか? それじゃあ仕方ないですねぇ~~?(ゾクゾクッ」

「うぅ………っ、やっとシリカのチョコを貰えた………。ってか、なんか最近シリカ意地悪ばっかりしてないか?」

 オレの涙声に対し、シリカは朱に染めた頬を両手で覆いながら恥ずかしそうに答えた。

「だ、だって、テイトクさんが私に嫉妬してくれるのって、なんだか………、極上で………っ!!!」

 その時のシリカの瞳は、沢山の星が瞬き、未だ嘗てないほどの輝きに満ちていた。

 最近、彼女の様子がちょっとおかしいんだが?

 

 

 

 

 ・私、なんでこの人の彼女なんだろう?

 

 

 喫茶店を出たヴィオは、胸にチョコレートを抱えて裏路地を走っていた。

 この近くで付き合い始めた彼氏と待ち合わせしているのだ。

 裏路地の行き止まりに、少しだけ開けた広間がある。そこが待ち合わせの場所なのだが、ヴィオが着いた時には、人影らしいものも見られなかった。

「まだ来てないんでしょうか?」

 なんとなく、彼ならバレンタインチョコ欲しさに、未だに喫茶店で女の子を物色していてもおかしくないとも思える。

「どおおぉぉぉ~~~~~~んっ!!」

 そんな不安を抱き、気を抜いた一瞬、その隙を突くかのように背後から誰かに抱きしめられた。それも思いっきり胸を掴まれてだ。一瞬で身体中を真っ赤にしたヴィオは、当然の如く悲鳴を上げた。

「きゃあああぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っっっ!!!!」

「ん~~~っ! ヴィオッ! 可愛いよヴィオッ! さすがは俺の嫁だよヴィオッ! この柔らかさが堪らないっ!! もっと揉ませろ! 触らせろ! 舐めさせろ! 吸わせろ! いっそのこと入れさせろ~~~っっ!!」

「なにをっ!? って言うかイヤですイヤです!! 変態さんっ! 触らないでください! 揉まないでください! これ以上私を汚さないでください~~~~っ!」

「安心しろ! 汚してるのはお前の彼氏だっ! 何も問題無いっっ!!」

「他人より安心しましたっ! でも変態さんなのは同じでしたっ!!」

「おいこら暴れるなよ? 上手くスパッツが脱がせないじゃねえか?」

「ひ………っ!? イヤァァァーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!!」

 羞恥の限界に達したヴィオは、地面を蹴り上げ、空中に逃れると、相手の後ろを取り、相手が振り返ったとのに合わせて顔面を片手でつかみ取り―――、≪拳法スキル≫掴み技≪ベイスクラッシャー≫を発動し、掴んだ頭を全体重を掛けて地面に叩き付けた。破壊不可能オブジェクトのはずの地面が砕け、変態の頭は地中に深くめり込んだ。

「はあ、はあ、はあ………っ、()っちゃった?」

「いや、彼女の愛はいくら受けてもダメージにはならないっ!!」

 ズゴバァッ!! っと言う物凄い音を立てて頭を引き抜いた男、マソップは、変態行為をした人物とは思えない爽やかスマイルを一発決めて見せる。

 マソップのタフさに慄くヴィオだが、これが彼の普通でもあるので、溜息一つで全部忘れる事にした。………ついでにバレンタインチョコを渡すのも忘れる事にした。

「それじゃあ、私仕事に戻りますね………」

「恋人が待ち合わせしたのに、出会った瞬間にデート終了だとっ!? お前、オレをM属性に目覚めさせて何をするつもりだっ!? だがそれがお前の望みなら甘んじて受けようっ! もっと俺を地面にめり込ませると良いっ!! さあっ! さあっ!?」

「すみませんでしたっ! 無視するの止めるのでMモードで迫ってくるの止めてください~~~っ!!」

 慌てて泣きながら訂正するヴィオに、銀髪の青年、マソップは「ふっ、注文の多い恋人だ。だがそこが可愛いっ! 俺の嫁可愛いッッ!!!」っと、一人で拳を握り、何処かに向かって宣言していた。

 もう、どう声を掛けて良いのか解らない彼氏を相手に、ヴィオは常套句となった疑問を抱く。

(どうして私はこの人と付き合ってるんでしょう?)

 好きになった時、告白した時、その時は確かに抱いていたはずだった好意が、普段はどうしても思い出せない。それほどにマソップと言う男は自分とは相性が悪いように思える。主にセクハラの面で。

 ヴィオは、未だにテンション高めの彼氏に呆れながら、無駄と解っている注意を試みる

「あんまりセクハラばっかりしていると、その内牢獄エリアに飛ばされちゃいますよ?」

「そんな事は無いさ。俺がセクハラするのはお前だけだぜっ!(キランッ」

「………/////」

 ドヤ顔でそんな事言われも嬉しくない、と返したかったのだが、何故か勝手に照れてしまうので思わず沈黙を返してしまう。この辺、ヴィオはマソップと相性が良い証拠なのかもしれないが、本人としてはどうしても認めたくないところだ。

「っで、俺のチョコは?」

 とてつもなく期待した視線を送られたので、反射的に地面にチョコを捨て踏み潰した。自分だって怒る時は怒るのだと言う意思を示したつもりだったのだが………。

「なるほど、脚を舐めろと言う事だなっ!!?」

「さっそく屈むの止めてくださいっ!?」

 スパッツを穿いているとは言え、さすがに下から覗かれるのは嫌だったので、ヴィオは必死にチャイナ風のスカートを押さえて後ずさる。

「さっきのは義理用の一口チョコです。本命はこっちですから、ちゃんと立ってください………」

「解っているさもちろん。例えヴィオの足でも、俺は気にせず舐めたがなっ!!」

「私にそんな趣味は無いですぅ~~っ!?」

「そうだなっ! ヴィオは“攻め”るより“責め”られる方が好きだもんなっ!?」

「違いますっ! 違いますかっ!? 違いますよねっ!?」

 何とも不毛な言い合いだと思いながらも、つい応じてしまうヴィオ。その辺を考えれば、やっぱりこの二人はお似合いなのかもしれない。

「それで? 俺のチョコは?」

「はあ………、ここにありますよ?」

 今更渡し方に気を使う気にもなれず、ヴィオは無造作に取り出したチョコを、適当に差しだした。

 そして突然抱きつかれた。

「ありがとうヴィオ~~~っ!! 本当に嬉しいよ! コイツめコイツめ! 世界一可愛い俺の嫁め~~~! もう大好きだ~~~! 結婚してくれ~~~!」

「も、もうしてます~~! 落ちついてください~~~!?」

 正面から抱き付かれ、頬擦りをされ、顔中にキスの雨を飛ばされ、好き好きと連呼されて、ヴィオの沸点があっと言う間に六回転くらい振り切った。

 とてつもなくテンションの高いアホの子なマソップに呆れつつ、何だかんだと好意を正面から向けられる事に喜んでしまうヴィオ。

(ここで、“やっぱり悪くないかも?”って思っちゃうから、きっとダメなんだろうなぁ~~………)

 そう思いつつも、何気に抵抗を止めて好意を受け入れるヴィオは、やっぱりマソップと相性が良い様子だった。

 

 

 

 ・不満解消! ですわ♪

 

 

 バレンタインイベントも残す時間が少なくなってきた頃、空が茜色に染まる中、一人のプレイヤーが丘の上を悠然と歩いていた。カーソルの隣に≪杖に絡みつく翼を持つ蛇≫のシンボルが、彼が≪ケイリュケイオン≫に所属している事を示している。

 彼の名はマサ。このSAOで戦い、“唯一負傷した”プレイヤーだ。

 幾多の戦いを繰り広げた先で、大切なモノを失い、時に支えられ進んできた彼は、現在周囲の音をとても聞き取りづらい状態になっていた。その代わり、周囲の全ての動きを把握できる空間把握を手に入れているのだが、チームワークは多少なり不向きになっている。これでも良くなった方で、今では把握した仲間の行動に合わせ対応できる様になった。耳も僅かだが音を捉えられるようになっている。

 現在ある恋人とコンビを組み、攻略を続けているのだが、ボス戦攻略には退かざろ終えなかった。

 そんな彼が今いるのは、圏外でありながらモンスターが全く出ない丘の上で、街を一望できる、フウリンお勧めの隠れスポットの一つだ。だが、ここがお勧めなのは昼まで、夕方に来る意味は殆ど無いとされている。

 どうしてそんな場所に彼が居るのかと言うと、実は全然意味は無い。ただ単に、人気のない場所を探していたらここに辿り着いたと言うだけの事だ。なので、彼はやる事もなく、ただ夕日を眺め黄昏て見たりなどしてみる。

「マサくん」

「?」

 声が聞こえ、振り返ると、そこにはお姫様の様にドレスで着飾ったブロンドの少女が、綺麗な笑みを浮かべて立っていた。そう、とっても綺麗な笑みで。

「スニー、なんかとっても良い笑顔なんだけど………、俺なんかした?」

「ええ♪ とっっっっても………っ♪」

 声は弾んでいるし、相変わらずの笑顔だが、これ以上ないほど笑えないオーラが渦巻いている。マサは半分本気でSAOにおける隠しスキルで≪魔法≫の存在を思案してしまった。

「な、何をしちゃったんだろう? 俺には憶えがないんだけど?」

「あらあら? うふふっ♪ 本気で言っていらっしゃるんですからこの方どうしてくださいましょうねぇ~~? この崖って突き落としたらダメージ判定されるのでしたっけ?」

「笑顔で恐ろしい事を言わないでくれっ!?」

「私は崖の話をしているだけですわよ~~~? 別にマサくんの事を………切り刻んで、はたき倒して、引き摺り回した後に崖下へ向かって蹴り落とそうとか………、まったく考えていませんわよ~~♪」

 曇りのない笑顔が、逆に狂気じみた気配を引き立たせ、考えるより先に逃げ出したい気持ちが高まってくる。

 それでもマサが逃げないのは、別に勇敢に立ち向かう誇り高い覚悟からではなく、ただ単に逃げ出した後の方が酷い目に遭うと知っているからだ。経験上………。

 ただ怖がるばかりしかできないマサに対し、スニーは失望したように溜息を吐くと、今度は悲しそうな視線でマサを見上げる。

「本当に本気で解りませんの?」

「う、うん、ゴメン………」

「もう………っ」

 じれったい様な、怒ったような微妙な表情で頬を染めたスニーは、不機嫌な声音で答えを教える事にした。

「マサくん、今日は一度も私に会いに来て下さいませんでしたわね?」

「え? あ、うん。特に急ぎの用事もなかったし、普段からスニーの事を連れ回してもいるし、今日はギルドの仕事で忙しそうだったから控えたんだけど………?」

 スニーの背に、ドス黒いオーラが立ち込めた。

 マサは慌てて「ごめんなさいっ!?」と謝る。

 スニーは再び落胆の表情で溜息を吐く。

「私に気を使ってくださる事は嬉しい限りです。ですけど、それならそれで、私の予定を私自身に尋ねれば良かった事でしょう? どうしてそれすらもして下さらないんですの?」

「や、だから、特に急ぎの用事もないわけだし、別に呼ぶ必要なんて―――」

 マサは蹴り飛ばされた。

 マサは崖から落ちた。

 彼が最後に見たのは、瞳孔が開いた瞳で見降ろす、少女の姿だった………。

 

 

 

 ・いいか? 騙されるなよ? 絶対騙されるんじゃないぞっ!?

 

 

「待て待てっ!? まだ俺は生きてるぞっ!?」

 マサは必死にしがみついた崖の出っ張りを頼りに、何とかロッククライミングしてスニーの元まで戻ってきた。

「た、タイトルが変わったからマジで死んだのかと思った………っ!」

「タイトル? 何の事ですの?」

「い、イヤ何でも無い」

 血の気が引く体験をしたマサは、何とか息を整えると。再びスニーと向き合う。念のため、今度は崖を背にしないように努める。

「いきなり落とすの勘弁してくれないか? 俺が一体何をしたと言うんだ?」

「現在進行形で不誠実極まりないですけどね」

 最早笑顔も浮かべて下さらないスニーさんに、マサはたじたじ状態になってしまう。

 しかし、精神的に答えているのはスニーも同じ、もはや限界と言わんばかりに声を張り上げる。

「解ってるんですかマサくんっ!? 今日はバレンタインなんですわよっ!? そして私達は付き合っているんですわよ!? だと言うのにどうしてこの日に会う予定が無いって言うんですかっ!?」

「…………。…………。…………。…………。…………? …………! あ」

「百年の愛も冷めると言わんばかりの間が空きましたわね?」

 昔のウィセを思わせる冷ややかな瞳がマサへと向けられる。自分の失態にやっと気付いたマサは、崖に落とされた時以上に血の気が引いて暗い表情で震えだす。

「ご、ごめんなさい………。突き落とされても文句言えませんでした………」

「言われて解るくらないなら、なんで最初から呼ばないんですか?」

「今日は、本当にスニーも忙しそうだったし、俺は普段からスニーを引っ張り回してばかりだったから………、だからせめてこんな日くらいは、って思っちゃって………」

「マサくんが優しいのは知ってましたけど、優しさのベクトルがおかしいとその辺で気付いてしかるべきですわよ?」

「御尤も………」

「まったく、本当にもう………っ!」

 怒りに肩を震わせるスニーだったが、不意に怒りを鎮め、拗ねたような表情でそっぽを向いた。

「もう………、本当にサヤさんはマサくんの事を何でも解ってしまわれるんですのね………」

「? サヤちゃん?」

 予期せぬ人物の名が上がり、疑問を浮かべてしまうマサに、スニーは少し悔しそうに答えた。

「サヤさんが言ってらっしゃったんです! 『マサの事だから、自分と相手の関係なんて関係無く、相手の事だけを考えて優しくしようとするから、待ってても絶対呼んでくれないと思うよ?』って? マサくんが期待を裏切ってくれる事に期待したんですけどね?」

「ぐぅ………っ!」

 完全に言い当てられ、マサは反論できず呻き声を漏らすしかない。サヤとは長い付き合いだが、あのお子様少女がそこまで自分の事を理解しているとは思いもよらなかった。どうやら自分は女心と言う物をまったく理解できない鈍感人間らしいと悟らされる。これはもう、スニーに好きなだけ怒られても文句を言えない。マサは続けられるであろう罵声を覚悟した。

 だが、それに対しスニーは怒るどころか、どんどん暗い表情になって沈んでしまう。

「何だか嫌になりますわ………、私はいつもあの子に負けてばかりです………。最初の≪デュエル≫に始まり、復讐は説き伏され、お友達の一番を持っていかれ、挙句には恋人の理解力まで奪われては、私の立つ瀬がありませんわよ」

「スニー………、そんな事ないよ。俺の一番を取ったのは、間違いなくスニーじゃないか?」

 スニーの両肩に手を乗せ、そう伝えるマサ。しかし、スニーは落ち込んだ表情で俯いてしまう。

「サヤさんが言ってましたの。アナタの様に、自分より他人を優先して、それが逆に相手を傷つけてしまうような男性は、大体が自分に自信を持っていらっしゃらない方だそうですわ? 自分が愛されているという自覚が無いから、それを確信できる自信が無いから、無意識にその可能性を否定してしまう物らしいですわよ? ………つまり、私がマサくんに誘われない理由って、私に魅力が無いからじゃありませんの? マサくんにとって、私の事を恋人と思える自信が無いと言う事なのでしょう?」

「違うっ! そんな事だけは絶対にないよ!」

「でも、誘ってくださいませんでした………」

「うっ」

 マサの胸に矢が突き刺さった。

「突き落とされるまで中々理解してくださりませんでした………」

「あぐ………っ!?」

 マサの胸に剣が突き立てられた。

「挙句、私達付き合って半年以上経ちますのに、最初の抱擁以来、一度も恋人らしい事してもらっていませんわ………?」

「ばはぁ………っ!!?」

 マサの背中に無数の槍が浴びせられる。

 マサの精神的HPバーは赤色へと変わる。

「あの子は他人の弱さをとても理解していますものね………? 結局私なんてマサくんにとっては―――」

「スニー!!」

 スニーの弱音を途中で遮るように叫び、強く肩を握る。

「確かに俺には自信なんて無いかもしれない。でも、君を一番に愛しているのは間違いなく俺だ! それを証明するためなら何でもできる」

「本当に、何でもできると言うんですの?」

「ああ」

 想いが嘘でない事を伝える様に、マサは真摯な瞳でスニーの瞳を覗き込む。

 その眼差しを受けたスニーは、少しだけ微笑むと、懐から一口サイズのチョコを取り出す。

「それでは、私のチョコを食べてくださりますか?」

「もちろん。それくらいお安い御用さ」

「本当に? “お安い”かしら?」

 意味あり気なスニーの微笑みに、嫌な予感を感じるマサ。

 お構いなしにスニーは取り出した一口チョコを、自分の口へと持っていき、そのまま咥えてしまう。ハート形のチョコは、とても小さく、スニーの小さな口でも、咥えてしまうと半分近くが口の中に収まってしまう。そんな状態のままスニーは、唇を突き出す様にしてマサを見上げてきた。「さあ、食べてみろ」と言わんばかりに。

「………このまま食えと?」

「ン………」

 催促するように突き出され、おまけに目まで閉じて雰囲気を出してくる。

 これは明らかに口移しだ。チョコを食べればそのままキスしてしまうと言う恥ずかしい構図だ。ポッキーゲームの比ではない。食べるためにはキスするしかない。もう、食べる=キス。に直結している。どうあっても避けようが無い。

 あまりにストレートな催促に緊張して固まってしまうマサ。

 だが、戸惑いながらも、彼にだって退いてはいけない事くらい解っている。ここで退いてしまっては、先程の言葉が嘘になる。何よりスニー自身を傷つける事になってしまう。それだけはどうあっても避けたい。周囲に人がいない事を用心深過ぎると言う程必要以上に、且つ、念入りに確認してから、マサは意を決してゆっくりと口を近づける。

 心臓が早鐘を打ち、連続で爆発でもしているのではないかと言う程に騒音を鳴らす。

 もしかして自分が気付いていないだけで、その辺に誰かが隠れて見ているのではないかと言う無駄な警戒心が羞恥心を一緒に連れて来てしまう。身体がガチガチになって、思った以上にゆっくりした動作になってしまうのを感じながらも、彼はそれでもなけなしの根性を振り絞って突き進む。

 あと十センチ、八、六、三、二、一………―――!

 

 ぱくんっ!

 

「おっそいですわ!」

 マサの口がチョコに届こうとした瞬間、スニーは咥えていたチョコを、そのまま自分で食べてしまう。思わず呆け顔になってしまうマサを押しのけ、そのまま横を素通りしてしまう。

(まったく………っ! マサくんは優し過ぎて、女の子を待たせ過ぎるんですわよっ!)

 内心、自分もドキドキして待っていた。彼女だっていつまでも待っていられるほど毛の生えた心臓を持っていない。恥ずかしさで無意味に叫びたくなる気持ちを一生懸命堪えている状態では、スニーの方にだって待てる限界がある。

(思いっきりの無い男性は、これだから困りますのよ………っ!)

 好きであるからこそ相手を求める。だが、好きであるが故に大事にし過ぎ、求めに応じられないのでは不完全燃焼も良いところ。スニーは不満を募らせ、恥ずかしさと怒りを胸に、早歩きで立ち去ろうとする。

「まって、スニー!」

 それを追いかけて着たマサが、スニーの肩を掴む。

「なんですのっ! 意気地無しさんは放っておいて―――!?」

 スニーが怒りのまま叫び、振り向いた瞬間、言葉を続けられなくなった。何故なら彼女の口は、別の口に塞がれていたからだ。

 至近距離にマサの顔があるのを、大きく見開いた目で確認したスニーは、自分が何をされたのかを正確に理解し、やがてゆっくりと瞳を閉じた。

 ややあって、やっと唇を放したマサは、頬を軽く染めながら、安心したように呟く。

「良かった。まだチョコ残ってた」

 自分の唇に触れたスニーは、頬を真っ赤に染めながら、嬉しそうにはにかむのだった。

「もう………っ! //////」

 

 

 

 

 ・人生初めての羞恥にゃっ!?

 

 

「きゃあああああぁぁぁぁぁ~~~~っ!!」

「うわああああぁぁぁぁ~~~~ッ!! 撮られた!? 思いっきり恥ずかしい写真を取られた~~~~~っ!」

 夜の街並みにバレンタインにはそぐわない悲鳴が木霊する。今さっき、恋人同士でイチャ付いていたところを、横から出てきた第三者に盗み撮りされたところだ。

「にゃはははっ! 写真後で送りつけてやるにゃっ! それまで見られた恥ずかしさに悶え苦しんでいると良いのにゃ~~~!」

「ちくしょう~~~! なんて恥ずかしい事をっ!? 金も要求せずに後で写真を届けやがるだとっ!? なんて恥ずかしいサービスしやがるっ! 良い思い出な分だけ文句が付けられねえだろぉっ!」

「実は割と楽しんでるだろっ!?」

 被害者に対して笑いながら去っていく影と、ツッコミを入れる影。二つの影は路地を折れ曲がり、建物の庇や壁を蹴って屋根まで逃げていく。まるで軽業師のような芸当に誰も追いかける事が出来ない。

「にゃふふっ! 二人で夜の街を散歩していたら、とんだサービスカットの宝庫っ! おかげで私の脳内CGも大量確保なのにゃ!」

「目的完全に変わってるだろ?」

 興奮気味に大量の≪記録結晶≫掲げて笑うライラに、キリトは溜息交じりにツッコミを入れる。

「そもそも二人っきりになりたいって言ったのライラのはずだぞ? 他の恋人冷やかしまわってどうすんだよ?」

「はっ!? しまったっ! ついその場の面白さにつられて本来の目的を忘れてしまっていたっ!?」

「道理であんな捨て台詞まで撒き散らしていたわけだ」

 キリトに呆れられるものの、ライラは全く堪えていない表情で「うっかりしたもんだにゃ~~っ♪」っと適当に笑い飛ばしてしまった。

「まあ、何はともあれ、いつの間にか建物の屋根と言う、私達二人だけの空間に辿り着く事に成功したわけですしにゃ? 結果往来!」

 ライラはテンション高目を維持して踊るようにくるくると回り始める。

 付き合い始めて結構経つが、ライラの態度は殆ど変わらない。いつも通り迷惑なくらいはしゃぎ回って、いつも笑顔で、見ているこっちまで楽しくなってきてしまう。悪戯者の部分もあるが、彼女の悪戯はいつも皆を笑顔にしてくれていた。「またライラか、仕方ないな~」っと言わせる何かを、彼女は持っているのだろう。

 そんな彼女の恋人になった自分は、中々に度胸が据わっているモノだ。キリトは自分で自分を自画自賛する。

「キリトも踊ろ~♪」

 呆れ半分に見つめていたキリトを、ライラが無理矢理両手を取って、踊らせる。

 慌てるキリトなどお構いなしに、ステップを踏んで軽快に踊り始める。

「おお~~~っ! キリト意外と上手い~♪」

「ま、まあな………」

 実はライラと付き合う前に、夜な夜なサヤと踊る機会が何度もあったので、それなりに踊れる様になったのだが、さすがにそれを口にしないくらいのデリカシーはあった。っと言うかサチに強く口止めされていた。

 

※(サヤとキリトが何故夜中のダンスをしていたのか、それをどうしてサチが口止めしているのかは、いずれ本編で語る機会もあるでしょう)

 

 踊り疲れたのか満足したのか、適当なタイミングで立ち止まったライラ。高いところで結わえた藍色の髪が猫の尻尾の様にパタパタ揺れて、主のご機嫌を表現しているようだ。

 しばし雰囲気で見つめ合う二人。

 ライラは腰のポシェットに仕舞って置いたチョコを取り出すと、無言でキリトに手渡す。

 「なにこれ?」っとはさすがに尋ねず、「ありがとう」と言って受け取る。

 互いに笑顔が漏れ、僅かに頬を染めながら、やはり雰囲気に従って顔を近づける。距離に比例して閉じられていく瞳。耳に届く鼓動が、どちらの物か区別できなくなっていく。唇と唇が迫り、互いに触れ合う。

 

 パシャッ!!

 

 突然鳴り響いたシャッター音。

 慌てて二人が視線を向けると、そこには四者四様の表情を浮かべる男女が二組いた。

 ニヤニヤとイヤらしい笑みを浮かべるタカシに、顔を真っ赤にしてミーハーに照れるフウリン、苦笑いのカノンと、呆れ顔のサヤだった。タカシの足元には彼がテイムした子供くらいの大きさの円柱型をしたゴーレムが、赤い宝石の瞳をチカチカ点滅させている。

「な、なんでサヤちん達が―――っ!?」

「お前らいつからそこにいたんだよっ!?」

 慌てる二人に、サヤが代表して教える。

「≪ケイリュケイオン≫にまで苦情来てたよ? 『お宅の()が、恥ずかしい写真撮りまくってるからどうにかしてくれ』って。でもライラの事だから普通に注意してもダメそうだから、予防策として恥ずかしい写真でも撮ってやろうと思ってきたところだよ」

「ちなみに、到着したのは二人踊っている最中でした………」

 カノンが補足した事で、結構全体的に見られていた事を知った二人の顔が、一気に赤くなっていく。特にライラのテンパリ具合は凄まじく、両手で自分の頬を押さえながら、目を白黒させている。

 やがて羞恥心が許容限界値を超えたらしく、ドカーーーンッ!! っという景気の良い音を鳴らして頭を沸騰させたライラは―――、

「○×▼☆□◆@~~~~~~~~っ!!?」

 ―――恥ずかしいと言う意味を込めた国籍不明の言語を発し、両手で顔を隠しながら建物を飛び降りて行った。

「あ、おい待てよライラ~~~~っ!?」

 後を追いかけるキリトは、今日は追ったり追いかけられたり一日中走ってばっかりだな、っと呆れるのだった。

 

 

 

 

 ・諦めてやるもんか

 

 

「ライラのあんな顔、一生に一度拝めるかどうかといった会心の顔だったな! むしろあっちの顔を撮っておいた方が強請(ゆす)れたかも知れんぞ?」

「タカシ~~? 仲間を強請ってなにする気なのさ~~?」

「今日はバレンタインだしな? 義理チョコでも貰うか?」

(ウチ)に来なよ」

「義理チョコに金は払えん」

「バレンタインチョコを強請りで取るのはいいんだ?」

 楽しそうにおしゃべりして帰り道を行く四人。

 先頭でタカシとサヤが楽しそうに会話をしている。二年前は言われた事をただ受け取るだけだったサヤも、今ではしっかりタカシにツッコミを入れる様になった。

「良いかサヤちゃん? 恥ずかしがってる女の子の写真を枕に敷いて寝ると―――快眠ステータスが50上がる」

「何それすごいっ!?」

 しかし信じやすさは全く変わっていない。

 そんな二人の後ろを歩くカノンとフウリン。

 カノンは、少しだけ成長した子供を見る様な目で微笑ましそうにサヤを見つめていた。

 そんなカノンに対し、横目で確認していたフウリンは、少しだけ切ない気持ちを胸に過ぎらせた。

「あのさカノン………、カノンは誰かにチョコ上げた?」

「上げたですか? 貰ったじゃなくて?」

 苦笑いするカノンに、フウリンはちょっとだけ舌を出して笑い軽い謝意を伝える。それだけで意味を汲み取ったカノンは、正直に答える。

「まあ、どっちもありませんよ? 上げる予定なんてもちろんありませんし。貰いたい人には………貰えないと解ってますから」

 そう言って切なそうな、しかし温かい眼差しでサヤの背を見つめ直す。

 そんなカノンの姿を見て、少しだけ俯いたフウリンは、ぽつぽつと問いかける。

「あのさ………、どうしてもサーヤじゃないとダメ? 別の誰かとか考えない?」

「もう、迷いたくないって決めちゃいましたから。サヤちゃんに旦那さんが出来るまでは諦めきれませんね」

「カノンの事好きな誰かがいたら、泣いちゃいそうな台詞だね?」

「ははっ、僕なんかに恋してくれる殊勝な人は早々いませんよ」

 軽く笑い飛ばすカノン。視線は相変わらず楽しげにタカシと御喋りを興じるサヤの後ろ姿に固定されている。

 ―――っと、突然彼の視界を何かが現れ、視界を完全に遮断してしまう。

 慌てて足を止め、半歩下がったカノンは、自分の視界を妨げたのが、板チョコである事を知る。それを突き出しているのはフウリンだった。

「………その殊勝な人………」

 そう呟くフウリンの顔は、少しだけ不貞腐れた様な表情で、頬だけがピンク色に染まっている。その癖、真剣な瞳には恐怖と不安が一杯で、怯えたように潤んでいた。

 しばし、驚いた瞳でチョコとフウリンを交互に見やっていたカノン。だが、その目は驚きながらも、予想外とは思っていない様な、ちょっと複雑な目をしていた。

 やがて、視線をフウリンに固定し、真直ぐ正面から見つめ返す。それに軽く驚いたフウリンが戸惑った様に一歩後ずさったが、すぐに意を決してもう一度目を瞑ってチョコを突き出す。

「ず、ずっとさ………っ! 私の棍棒スキルの練習に付き合ってくれてたよね!? いつからだったのかは、正直私も憶えてないけど………。でもっ! 私、サヤには負けないよ! カノンがサヤの事を想っている以上に、私はカノンの事が好きだよっ!」

 サヤの事を愛称で呼ばず、珍しくテンパった声で告げるフウリン。その声は多少音量高めで、前を行くサヤとタカシに聞こえそうなものだったが、幸い二人は話に夢中で聞こえていない様子だ。

 カノンは、フウリンの告白をしっかりと正面から受け止め、目を閉じて、自分の中で言葉を反芻させて、自分の気持ちを確かめ、言葉として噛み砕いて行く。

 瞼を上げたカノンは、とっても真摯な瞳で―――、

 

「ありがとう………。そしてごめんね………」

 

 そう言った。

 フウリンは俯き、きつく瞑っていた目を開く。表情を失くし、ただ目の前にある地面を見つめる。

 カノンは、痛々しい気持ちを抑え込み、優しく言葉を伝えた。

「ずっと一緒にいたから、考えなかったわけじゃないんだ………。サヤちゃんの事を諦めて、おリンちゃんと付き合ったら、って………。それは想像するだけで胸が高鳴って、ワクワクする程楽しそうな事だけど………、でもごめん………。どんなに君との事を考えてもね? やっぱり出てきちゃうんだよ? 僕の中の、サヤちゃんが………」

「…………」

「おリンちゃんが嫌いなわけじゃないんだ。でも、君と本気で付き合うつもりなら、やっぱりサヤちゃんの事をちゃんとふっ切らないとダメなんだよ。僕は、恋人の隣で、別の女の子の事で心を揺らしたくない。それは君にも失礼だから。そして僕は、まだサヤちゃんを諦めきれない。………だから、ゴメンね………?」

 カノンの言葉を聞き、しばし悔しそうに震えていたフウリン。

 心配するカノンが、顔を覗き込もうとした時、パッ、と顔を上げ花が開いた様な笑みを見せた。

「うん! OK~~! カノンの気持ちはよく解ったよ! まあ、お姉さんなんとなく予想はしてましたよ? カノンは未練たらたらのヘタレくんですからねぇ~? こんな結果になっちゃうだろうなぁ~? って思いました! だから大丈夫! そんなカノンも私の大好きなカノンだよ? だから平気です! 正直チョコを受け取ってもらえないのは残念無念ですがねぇ~~!」

 パタパタとリアクションを交えながら百面相して見せるいつも通りのフウリンに、カノンは苦笑を浮かべてしまう。

「でも―――っ!!」

 フウリンが背を向けると同時、途端に声のトーンを強くし、彼女は振り返って言った。

「諦め、ないもぉん―――っ!」

 肩越しに振り返った顔は、とても強張っていて、頬には大粒の涙が一筋、堪え切れなくなったように零れた。

 天真爛漫を謳い続け、何が合っても必死に涙を堪え続けていた少女が零した、一滴の涙。その意味するところの重みを感じ取ったカノンは、それでも優しく頷いて、正面からしっかりと受け止める。

 そんなカノンにどうしても惚れこんでしまうフウリンは、視線を外し、カノンを置いて前の二人を追いかける。後ろからすぐに、カノンがゆっくりと追いかけてくる足音が響いてくる。

 フウリンは受け取ってもらえなかったチョコの包装紙を適当に破り、チョコの端をカリッ、っと齧った。

「………っ! ビターチョコだ………っ」

 それはチョコの味なのか、それともフウリンのバレンタインの味だったのか………。

 どちらにせよ、この二人の恋物語は、まだ始まって間もなく、終わるには早すぎる様だ。

 

 

 

 

 ・一人二人分のチョコレート

 

 

 

 元オレンジギルド≪バンダースナッチ≫メンバーにして、恐らく最もシャバウォックに轢かれていた男、レンは、星の光を放ち始めた空の下、崖から街を一望しながら一人座り込んでいた。

 ≪バンダースナッチ≫崩壊後、生き残った彼は、これからどうするべきか思い悩んでいた。自分が死力を尽くして戦った相手、ウィセは、最後に手を差し伸べ「私達は必ず友達になれる」と断言したが、未だにそれを受け入れる気にはなれなかった。

 それでも可能性の全てを否定してはいない。バンと戦ったヌエがそれを証明し、サヤが守りとおした道、≪ケイリュケイオン≫がまだ残っているのだから。

「だからって………、今更友達とか信用できるかよ………」

 バンの衝動とも違い、シャバウォックの信念とも違い、レンの拒絶は心の傷が原因だ。どんな楽園を目の前にしても、恐れはするし躊躇もしてしまう。特にあのギルドはあまりに無防備に暖か過ぎて、躊躇の度合いも大きい。正直な話、不気味とさえ思えるほどに恐怖している。

「………まあ~、コイツがある内は、まだ決めなくて良いよな~?」

 自分の頭上で輝くオレンジのカーソルを確認し、レンは自嘲の様に口の端を歪めた。

 

「そう言うのを逃避って言うのよ。さっさとカルマクエスト受けなさいよ」

 

 カツンッ!

 

 声が物量を持って後頭部にぶつかってきた。

 一瞬、本気でそう感じるほどのナイスタイミングで声と衝撃が重なった。

 慌てて起き上り振り返ると、そこには何度となく剣を交えた相手でもあるアルクの姿があった。ただし、マフラーをしていない。少女らしさが表に出やすいタイプのアルクだ。

 正直、レンはこっちのアルクが苦手だった。何処がどうという事は無いのだが、どうにも戸惑ってしまうのだ。

 ただ、今回は別の事が気になって戸惑いは端に追いやれた。

「………お前、なんで顔赤(あけ)ぇんだよ?」

 指摘された途端に更に赤くなって視線を逸らすアルク。

 しばらく沈黙を返すアルクだが、混乱しているのはレンの方なので、彼から話題を振る事も出来ない。それを理解しているからこそ、諦めた様に彼女は溜息を吐く。っとは言え、素直に質問に答えられる度胸もなかったので、別の話題を振っておく事にした。

「こんな所にいるつもり? オレンジのままだと街にも入れなくて不便でしょうが?」

 途端にレンは不愉快そうに表情を歪めた。

 この女アルクは、どうして、いつもうるさい事を言い出すのだろうか? そんな感情をまったく隠そうとしていない表情に、アルクも苦虫を噛み潰したような表情を見せる。

「俺がどうしようと勝手だろうが?」

「私が何を心配しようが勝手なのね?」

「屁理屈女。ウゼェ~」

「屁理屈になってるだけ私の方が上等よ。意気地無し」

「黙れ万年マフラー~」

「うっさい、灰色てるてる坊主」

「はっはぁ~~………! ウゼェ~~、ブチコロス?」

「え~~? だるいからヤダ~~?」

「俺もメンドイから止めとく~~」

「結局やめんの~~? はんっ!」

 二人、静かに厭味を応酬した後、同時に噴き出し可笑しそうに一言つぶやいた。。

 

「「ウザイ………♪」」

 

 こんなモノだ。

 二人はどうしてかそんな風に納得した。

 最初からウマは合わない方だと思っていた。

 いつでも睨み合い、憎まれ口を叩き合っては汚らしい罵詈雑言をBGMに剣を交えた。

 いつか自分達はどちらかを完膚なきまでに倒し、胸がすくほどの嘲笑を上げて勝ち誇る時が来るのだろう。そんな確信すら抱いていたのに………。

 気付けば戦いは終わり、互いに剣を交えない静かな厭味の応酬をして可笑しそうに笑い合っている。

 互いに取って互いが特別になっているのを自覚した。相手を怒らせるのに一秒も必要無い関係だと言うのに、どうしても失いたいとは思えなくなっている。

 アルクは、損じ自分の胸に込み上げるぬくもりに満足したのか、軽く頬を染めた笑みを向けて―――思いの他、簡単にその言葉を漏らした。

 

「でも、好き………」

 

 一瞬、レンは何を言われたのか解らず呆けてしまう。本能的に、厭味を言われたのだと思い違いをし、そうでないと気付いてもう一度言われた言葉を素直に飲み込む。

 

「好き」

 

「………は~? いや~、ちょっと待て? 何かの冗談~?」

 その言葉も以外なら、タイミングもおかしい。何がなんなのかまったく理解できない。

 そんなレンを、アルクは満足そうに微笑む。

「逃げる事が悪い事なんて言わないけどさ………、逃げなくて良いモノにまで逃げ出さなくても良いんじゃない? 少なくとも≪ケイリュケイオン≫は同じ穴の狢(むじな)ばっかだよ?」

「………え~、なに突然? ちょっと話が急過ぎて付いていけ―――」

「もう半年近くたってんだよ? いい加減、歩き出しても良いんじゃない?」

「………」

「立ち止まってる時間はそろそろ終わりにしてさ? 前でも後ろでも良いから歩き出しなよ? そして出来れば? 私はレンが隣に来てほしいって思ってるんだからさ?」

 そう言いながら振る里と踵を返し、アルクは去り際に伝える。

「今度の場所は、もうあんたを一人にしない。私が居るんだから絶対、ね………♡」

 そう言って去っていくアルクの後ろ姿に、レンはどうして良い物か解らず、頭の後ろを無意味に掻く。―――っと、不意に足元に転がっているモノに気付いた。先程までは無かったはずの野球ボールくらいある四角い箱だ。先程アルクに投げつけられたのはどうやらこれらしいと悟り、レンはなんとなくその箱を拾い、中身を確認する。果たして出てきたのはハート形のチョコレートだった事に、軽いショックを覚えた。

 先程の告白が脳裏を過ぎり、僅かに気恥しくなってしまう。

 同時に、レンは駆け出した。

 今追いかければ、きっと今更恥ずかしくなって赤面しているアルクの貴重な表情が拝める。それを思うと、無性に楽しみで仕方がない。ついでに今日がバレンタインである事を思い出した。受け取ったチョコを目の前で食べてやったら、アイツはどんな顔をするだろうか?

 想像するだけで笑みを漏らしてしまうレンは、それ以上を深く考えるのを止め、真直ぐ駆け出したのだった。

 

 

 

 ・きっとあの子も送ってくれた。

 

 

 

「~~~♪ ~♪ ~~♪」

 夜の≪琴の音≫では、バレンタインイベント終了と共に、片付けながら元の酒場へと戻っていた。チョコ目当ての客は帰ってしまったが、照明を落とし、バーの雰囲気を醸し出す≪琴の音≫には、ゆっくり過ごしたいカップルがちらほらと残っている。おまけにカップル達も雰囲気を出してまでイチャ付きたい者ではなく、遊び気分で残りたくなっている者たちばかりなので、一人身男子達も安心してゆったり過ごしていた。

 ミスラの歌う『ユメセカイ』が静かに響き、それに合わせゆっくりと踊るセリア。

 二人を椅子に座って見守るサチの膝の上では、ユイが気持ち良さそうに耳を傾けている。

 カウンターでは本来の定位置に戻ったサカキがグラスを磨きつつ、注文されたワイン(っぽい味のするジュース)を振るまい、イチャ付くカップル達を傍観していた。

「もう~~っ! ま~だ拗ねてんのヴァロ? アレは演技だって言ったじゃんか~~?」

「どうだかな? リズはキリトに御執心の様子だしな」

 拗ねる彼氏を苦笑いで宥めるリズベット。

 彼氏であるヴァジュロンは赤い顔で拗ねたまま明後日の方向に視線を向ける。

 この二人とは別のボックス席では、微妙な表情をしているアルカナと、先程からチョコを貰ってもらえず混乱しているクロンの姿もあった。

「アルカナさん? これアルカナさんの分なんですけど?」

「………、いや、別にお金出してないし」

「あの? 個人的に持ってきた分です?」

「ああ~~………」

 一度視線をクロンに向けるアルカナだが、その更に後ろで、クロン達からチョコを貰って男の子連中がはしゃいだり怒ったり泣いたりと、一喜一憂している姿が見る。

 更に近くに座っている元居候仲間へと視線を向ける。

「………ん?」

 クロンから貰った、他の皆より出来の良いチョコを片手に食べるヌエ。コイツまでクロンのチョコを貰っているのかと思うと無性に腹立たしくなってくるらしい。アルカナは表情を歪めて腕を組むと、断固としてクロンからチョコを受け取ろうとしない。

「アルカナさん?」

 彼にしては珍しい意地悪な態度に戸惑うクロン。それを見ていたヌエは呆れ顔になって頬杖を付く。

「どうしたロリコン? クロンのチョコを食べんのか? 幼女からのチョコだろ? 喜んでもらっとけよメンドくせぇ~~」

「何勝手に人をロリコンにしてんだよっ!? ってか、俺はロリコンじゃねえよっ!!」

「シスコンか?」

「妹いねえしっ!」

「まさか………っ!? ペド―――ッ!?」

「………。え? 何それ? マジで初めて聞く単語何だが? でも否定しないとやばい気がぷんぷんするっ!?」

「………―――ッ!?」

「ってクロン? なんでいきなり顔を青ざめさせてるんだよ? お前は知ってるのか? ペドって一体何だ!?」

 言い合いをする三人を眺めていたカウンター席のジャスは、呆れ半分、微笑ましさ半分で薄笑いを浮かべていた。タカシ、タドコロ、シナドも席に同伴し、見た目だけは大人な雰囲気を醸し出して、バレンタインとは無縁な様にも見える。

「今ッ! あの人がリアルの私にチョコを持ってきてくれている様な気がしますっ!? 錯覚かもしれませんが私は信じますっ!」

「おっさんの所にも彼女が来てくれようとしている気配を感じるっ!? もう少しだ! もう少し待てばおっさんにもチョコが~~~っ!!」

「さて、サーシャとセリアちゃんから割と本気っぽいチョコを貰ってしまったんだが………、どうしたものかな?」

「さて、このバレンタイン限定チョコ(っと言う名のカオス食材により出来た見た目からヤバい謎チョコ)を、誰に送るかのぅ? 誰か面白そうな相手はいなかったものかえ?」

 しかし、内容はかなりアレな方向だった。拗ねるているメンバーを嗜めるでも無く、彼等は彼らで割と自由に楽しんでいた。

 一人身で、ミスラの歌を聞き入っていたロアは、付き合いで残っていたシヨウと共に≪ケイリュケイオン≫らしい騒動に苦笑いを浮かべていた。ただ拗ねているだけとはいえ、ここにはブレーキ役になってくれそうな人員が不足している様子だった。仕方なく彼はシヨウに視線で断ってから席を立ち、仲裁に入る。

「そろそろ許してやれよ。ヴァロもアルも、本当はそこまで怒ってるわけじゃないだろう?」

「………いや、まあな?」

「別に怒ってるわけじゃ………ねえよ?」

 ヴァジュロンはすまなそうに手を合わせて「許して?」っと苦笑いを浮かべるリズベットをチラ見し、アルカナもトン枠した様子で見上げるクロンへと視線を向ける。

 二人の様子を見て安心したロアは、軽く笑って肩を竦めた。

「ツンデレも良いが、このままだと本気で好きな人のチョコを食い損ねるぞ?」

「ま、まあ………、それは、確かに困るな。俺だってリズのチョコは食べたい」

 ヴァジュロンの言葉を聞き、少しだけ頬を染めて喜ぶリズベット。

「べ、別に俺は好きとかそう言うのはだな………っ! まあでもっ! クロンが好意でくれるチョコを無碍にするのも、確かに礼儀に反したよなっ!?」

 頬を真っ赤に染めて言い訳しながら、アルカナもクロンのチョコを受け取る。

 クロンは小首を傾げて困惑の意を示していたが、不思議とその頬が、少しだけピンクに染まっていた。彼女もやっぱりアルカナにチョコを受け取ってもらって嬉しかったようだ。

 とりあえず仲直りしたらしい皆を見届けたロアは、やれやれと言いたげに肩を竦めてシヨウの元に戻る。

「さて、一人身の俺達は、友チョコの交換でもする?」

「シヨウ? それはなんの自虐プレイだ?」

「一部の女子が見れば喜んでくれるかもしれないぞ?」

「その一部に喜んで欲しいか?」

「まさか」

 軽く小馬鹿にしたように薄ら笑いを浮かべるシヨウ。余程暇なのか、覇気のない口調でロアをからかってきたようだ。ミスラの歌も終わっていて、今はサチと楽しげに会話している真っ最中だ。

 っと、先程までミスラの歌で踊っていたセリアが、小走りでロアの元にやってきた。

「あ、あの………、これ………っ!」

 そうして突き出してきたのは、四角いケースに入ったチョコレートのようだった。

 ロアは、それが自分に向けられて差し出されている事に困惑する。自分の見解が間違いでなければ、この子はタカシの様なおや―――おじ様が好みのはずだ。それがどうして自分などにチョコを送ってきたのだろうか。

 しかし、その疑問はすぐに本人の口から伝えられた。

「これ………、ロイ、ちゃんの、分………っ! 私も………、妹、だから………、きっと、お兄ぃちゃん………チョコ、上げると思うから………」

 未だに会話が苦手なのか、しどろもどろでつっかえるばかりの喋り方だが、それでも彼女の気持ちはしっかりと伝えられた。

 このSAOに共に来た際愛の妹。どんな苦難が待ち受けていようと、彼女を守るためなら強く慣れると信じ、手に手を取り合い、攻略へと望み、ずっと一番傍で支え続けてくれた理解者。そして、既にこのSAOに存在しない、ゲームをクリアしても二度と会う事のできない、たった一人の肉親。

 思い出して、胸に痛みを走らせるロア。妹と同じ名前の彼女にどやされ、同族の少女に励まされ、矛を収める事になった復讐の刃が、再び鎌首を擡げかける。

 だが、もちろんそんな物は今更出てくる事はできない。それ以上に温かいモノを込めて、彼女の友達だった少女が渡してくれたチョコ。これに慰められない筈が無いのだから。

「………っ、ありがとう」

 とても優しい気持ちに慣れたロアは、妹の事を思い出しながら柔らかな笑みでチョコを受け取る。

 そんな表情のロアを見たシヨウは、口の端を少しだけ笑ませ、セリアの事を「よくやった」と褒める様に頭を撫でた。セリアもそれを嬉しそうに受け入れる。

 

「来た~~~~~っ!! 今おっさんの所に彼女からのチョコが来た~~~~っ!! 今手がビリッとしたから間違いねぇ~~~っ!!!」

「うるさいですよタドコロッ!! あの人がリアルで囁いてくれる愛の言葉が聞こえなくなるでしょう!? 集中させて下さいっ!!」

「お二人さん? 夜のバーは静かにしてくれないか? それともレドラム特性の毒薬を御所望かい?」

 

 優しい雰囲気などどこ吹く風で騒ぐ大人達は、まったく空気を呼んでいない。さすがにサカキがマスターらしく嗜めるほどに、大人達は子供の様に騒ぐばかりだ。

「ははっ、ここじゃあ誰も暗い顔が維持できないよな?」

 シヨウの言葉に、聞こえた皆が一斉に笑いを漏らすのだった。

 

 

 

 ・忘れるな! 私はここにいる!

 

 

 現実世界。周囲も暗くなり始める中で、病院に向かう少女が一人いた。

 彼女は自分の妹がSAO被害者になっていて、毎日の様に御見舞に来ている。

 ショートヘアーの黒髪は、夜を思わせる寒色系で、妙に静かな雰囲気を思わせる。サイドに一房だけ長く伸ばした髪を赤いリボンで纏め、左側に尻尾のように流している。僅かに吊った目付きは、活発そうな雰囲気を窺わせた。

 セーターで防寒対策を整え、お気に入りらしい茶色のカーディガンを肩に掛け、お見舞い道具らしい紙袋を抱えた姿は、いかにも優等生が歩いている様にも見える。

 

「さて、今日は妹にどんな悪戯をするか? 手の平に『姉、LOVE♡』と油性マジックで書くのは母に止められたし………、ナーブギアに勝利の旗を突き刺すのは医者に止められたし………、妹の身体をまさぐり、成長具合を確かめ―――もとい、マッサージしてやる事に関しては危うく警察を呼ばれそうになる勘違いまで起きてしまったし………、姉妹設定で私達の名前に変えた官能性説の迫真朗読は、同室連中の女子に叱られてしまったしな………。今日はバレンタインだし、妹の全身にチョコを塗ってから私が食べるか?」

 

 しかし、本人優等生とはかなりかけ離れた性格をしている様子で、何やら面白ネタを一生懸命思案している様子だった。

 彼女の妹が今正に大ピンチ―――否、驚異の真っただ中に陥っている。

 本人が知れば卒倒しそうな内容だが、この姉はまったく容赦するつもりはない。

 ………っと、妹が入院している病院前まで来た彼女は、足を止めた。病院目の電柱に隠れているつもりらしい不審人物を発見したのだ。

 それは本当に怪しかった。

 行動からなにまで怪しいのだが、今時、サングラスにマスク、帽子にコートと言ったチョイスが隠密行動に不向き過ぎて目立ちまくっている。その癖、豊かな胸はコート越しでも最大の主張を誇り女性だと一発で解る。オドオドした態度がとても可愛らしく、帽子に隠し切れていないふわふわの髪も良い意味で目を惹かされる。これで怪しい恰好でなければ誰もが声を掛けたであろう美貌は、不審人物になっても衰えを見せない。

 それでも不審者には違いない。もちろん目立ってもいる。

 係わりたくないと言う意味に於いては、ある意味ナイスチョイスなのかもしれない。先程から通りがかる皆が皆、何も見なかった事にして視線を逸らしまくっていた。あんな怪し過ぎる相手、普通の人間なら積極的に避けようと考えるが当然だ。

「ちょっ!? 何やだあれっ!? メッチャ係わりたいっ!!?」

 この場合、普通でない彼女が不運なのか? それとも普通でない彼女に見つかった不審者が不運なのか? 神すらも検討が付かなかった事だろう。

 少女は一直線に不審者の元に直進し、好奇心でキラキラと光らせる瞳をサングラスに向けながら、いきなり両手を掴み取る。

「ひゃうっ!? な、なんでしょう? 私は通りすがりのスパイですよ!?」

 ありえ無さ過ぎる上に、本当なら警察を呼ばれても文句が言えない言い訳に、少女の瞳は更に星を瞬かせる。

「お姉さんっ! 目的地は何処でしょうっ!? やっぱ国会議事堂っ!?」

 何が『やっぱり』でそのチョイスになるのか意味不明な質問を掛ける少女は、目の前のスパイ女性に負けていない。外見が真面目そうなだけに、こちらの変人さにも磨きがかかっている。

「え、え~~っと、ちょっと火星まで用事があって、そこの病院に………?」

「宇宙エレベータッ!? 何号室がお目当てっ!? 戦闘準備は何を用意すればっ!?」

「け、毛糸と串で充分です………っ! 部屋番号は解らないので、人間爆弾………?」

「車用意しますっ!? 突撃できますよっ!? って言うか私先陣切っても良いですかっ!? むちゃくちゃ楽しそうっ!?」

「私、血なまぐさいのはちょっと………っ、鈍器でお願いします。それと、お嬢さん一体どなた?」

「姉をよろしくっ!! さあ行きましょう!」

「は、はい! 目的地はアルゼンチンですか? 出来れば病院が良いです」

「それじゃあ、私達の暴走の始まりですっ! さあ、御用ですよっ! さあ、一緒にっ!?」

「「アッモーーレッ!!」」

 ツッコミどころ満載過ぎて、何処がツッコミどころなのか解らなくなり始める会話が、何故か成立し、二人は病院内へと突撃した。中に入った瞬間、多くの患者や看護師達が目を丸くしたが、何故か姉を名乗る少女と、不審人物全開女性を見た瞬間、誰もが死んだ魚の目で視線を逸らした。

 最早ここで理由を語るのも億劫だ………。

 

 

「なるほど! SAO被害者の浮気彼氏のお見舞いで、ここまで来たとっ!?」

「一言もそんな事言ってないのになんで解っちゃうんでしょうっ!?」

 驚く不審者女性に、見せかけ優等生は、見せかけに似合う優等生らしい真面目な表情で答える。

「私ッ! 面白そうなものは全力で理解できる能力(スキル)がデフォルトで備わってるんですっ!! ちなみにお姉さんのお目当ての病室ももう発見しときました! こちらが彼氏の部屋です!」

「なんて万能なんでしょうっ!? 私もその力欲しいです!」

「練習してみます? 割と真面目に頑張れば習得できますよ?」

「か、革命的発言っ!?」

 ツッコミ不在の状況で彼女達のやり取りは進んで行き、病室へと侵入していく。

「さあ、この中で不必要なモノを述べよ! 私、面白おかしく追い出します」

「いえ、さすがに御見舞の方を追い出すのはちょっと―――」

 六人部屋の病室に入るなり、物騒な事を言う見せかけ優等生に、さすがの不審者女性も常識を思い出す。

 病室にはナーブギアを装着したままベットに横になっている患者が六人と、一人の男性医師だけだった。その男性は、突然現れた不審人物を一瞥し、首を傾げた。

「おや? そちらの怪しいお嬢さん? 何処かで会った事がありませんでしたかね?」

「っ!? い、いえ! 人違いですっ! 私は決して九鵬院とは縁の無いもので………っ!」

「ああ、そうだ思い出しました。九鵬院の娘さんでしたね? 何度か私の妻が身体の弱いアナタの定期検診に出向いていたので、地主さん………アナタのお父様とは面識が―――」

「これを排除してください」

「抉り込む様にして打つべしっ!!」

 不審者女性の要望を受け、姉を名乗る少女の拳が医師の鳩尾目がけアッパー気味に打ち上げられる。

「おおっと危ないっ!」

「躱されたっ!?」

 医師とは思えない身のこなしで回避して見せた医師は、掛けていたメガネをキラリと光らせる。

「SAO囚人として眠っているとは言え息子の前なのでね? 父として、格好悪い所は見せられません」

「さすが千田先生!? 妹がいつもお世話になってます!」

「いえいえ、甘楽さんの妹さんは以前からのお付き合いでしたからね~」

 礼儀正しくお辞儀する見せかけ優等生に、爽やかな笑みで余裕の対応をして見せる医師。次にどんな不意打ちがこようとも、見事に対応して見せようと言わんばかりだ。

「妹がお世話になってるからもう先生は狙いません!」

「今攻撃しましたよね?」

「だからこっちを狙うっ!!」

 そう叫んで飛び出した見せかけ優等生は、ナーブギアを装着して眠っている一人の少年目がけ拳を握る。

 しかし、その間に素早く入り込んだ医師は、余裕の表情を崩さない。

「私の息子を狙う事くらい予想が―――」

「ホレ」

 少女は紙袋の中に大量に入れていた小さい磁石をバラ撒いた。

 ナーヴギアが故障すれば、電気ショックでSAO囚人の脳は焼き殺されてしまう。そこに機械の天敵磁石を躊躇なくバラ撒かれ、さすがの医師も口から心臓が飛び出す思いだった。

「アナタは私の患者全てを人質にとるつもりですかっ!?」

 009でも現れたかのごとく超加速した医師が全ての磁石を手の中に収めていく。しかし、明らかに出来てしまった隙に、少女は容赦なく狙いを定める。意思の股間に………。

「さらば先生の息子!!」

 

 カチ~~~ンッ!!

 

「わだじのむずご~~~~っっ!!?

 

 バタリ………ッ。

 

 倒れた医師は、不審者女と見た目だけ優等生の犯人コンビの手によって廊下に引きずり出された。

 扉に『関係者すらも入室禁止』の立て札を掛けると、実行犯は綺麗な笑みを向けて敬礼した。

「後はお二人仲良くどうぞ! 私は充分楽しめたので妹をおちょくりに行ってきます!」

「ありがとう! 見知らぬ悪の味方! 私も彼との一時を満喫させてもらいます!」

 そうして去っていく共犯者に手を振った不審人物は、部屋の扉を締め、カーテンで仕切った後、目立ちまくりだった変装を全て脱ぎ捨てる。

 変装の下は秋物のワンピースを纏った灰色の髪を持つ美女だった。こちらはこちらで人の目を引く容姿だが、明らかに意味合いが真逆の方向だ。むしろこっちであった方が世間的にはまともであっただろう。

 彼女は丸椅子を持ってくると、ベットに横たわる一人の男性の傍に座る。

「浩二さん。私、待ち切れずに来ちゃいました。もし、こんな事がお父様にバレてしまったらお仕置きされちゃいます」

 少し可笑しそうに冗談めかして言う彼女は、不審人物丸出しだった先程とは別の存在の様だ。

「次のお仕置きはきっとネッシー探索ですね………。浩二さんがお父様の冗談を真に受けて10メートルの大イカを捕まえてきたばっかりに、お父様のお仕置きが探検方向に傾いてるんです………。お父様に逆らっていたら、私いつか本気で死んでしまいますね………」

 すぐに現れた死んだ魚の目の笑いが、さっきの不審人物と同一人物である事を思い知らせてくれる。良くも悪くもまともな人間ではないらしい。

「でも私………、諦めてないんですよ? 浩二さんの言ってくれた希望、私はまだ諦めていないんです」

 陰りは一瞬、彼女は晴れやかな表情になると、男の手に小さな小箱を握らせる。

「アナタが生きてくれている限り、私は絶望に抗い続けます。私はアナタが戻って来てくれると信じています。だから、最初の予定と順序が逆になってしまいましたけど、今は私が先に行って待ってますからね?」

 女性は立ち上がると、変装道具を拾い集め、手早く不審人物へと戻っていく。

 去り際に彼女は、肩越しに振り返り、満面の笑みを彼に向けた。その笑顔が必ず届くと、まったく疑う事無く、誇らしげに………。

「次は、ALOで会いましょうね! ずっと待ってますよ。タドコロさん♪」

 

 ―――同時刻、SAO内で自称エンターテイナーが歓喜の声を上げていたのは、バレンタインが呼び寄せた素敵な偶然(奇跡)だったのか、絆が織りなす当然だったのか………。その答えは、解らない。

 

 

 

 

 ぱたりと扉が閉まる。

 妹の部屋へ訪れた自称姉は、先程まで輝かせていた瞳の星を失い、優等生然とした固い表情になっていた。

 彼女の妹の病室は個室だった。元々、彼女が何度もお世話になっていた事もあって、この個室を宛がわれたのだ。この病院の院長が担当医になってくれたという偶然も、少なからずあるのかもしれない。患者ではなかったが、彼女自身も、あの医師には大変お世話になっていた。今では先程の様な悪ふざけもし会える仲にならせてもらっている。

(でもさすがに磁石はやり過ぎたかな? 本当はただの小石なんだけど………?)

 小さく細い溜息を吐いた彼女は、部屋に入ってから扉を閉め、その扉に背を預けたままそれ以上入り込もうとしない。なんとなく視線を向けた先はでナーヴギアに拘束されて、ベットに横たわる妹の姿を眺める。

(本当なら、アレは私の物だった。ああなる筈だったのは私だった………)

 考えまいとしていた事を、彼女は考えてしまう。

 過ぎた事は仕方ないし、誰かが予想できたことではなかった。それでも彼女は妹に対する罪悪感を拭えず、表情を強張らせる。

(また私だ………っ! また私がこの子を壊そうとしている………っ!? ずっと一緒だって約束したのに、“目に見えないモノ”まで交換して、約束したのに………っ!)

 気付いた時、既に身体は傾いでいた。

 バランスを失い膝を付く。いつの間にか荒くなっていた呼吸が止まらず、必死に酸素を求め、肺の活動を活発にする。指の先が痺れ、頭の奥が霞む様に思考能力が低下していく。

 ヤバイッ! そう思って胸に手を当て、意識的に呼吸を落ち着かせようとする。

「甘楽さんっ!? 大丈夫ですか甘楽さんっ!? ………先生っ! 甘楽さんがまた(、、)っ!」

 いつの間にか現れていたらしい看護婦が、彼女の事を後ろから支えながら声を上げる。

 呼吸を落ちつけ始めた彼女は、看護師の手に触れ自分は大丈夫だと伝える。

「………お姉さん、結婚線が出てますね? 最近彼氏で来たんじゃないですか? それも相手は高校生でしょう?」

「嘘っ!? ヤダなんで解るのこの子っ!?」

 うっすらと汗の滲ませながら、彼女はいつも通り優等生の皮を被った変人の笑みを作って見せる。このくらい大した事無いのだと、自分に言い聞かせるように。

(大丈夫だ弥生っ! 私は、“私”なんかに負けたりしない! そう言っただろうっ!)

 

 SAO内では比較的穏やかで、笑っていられる時間も、現実の者達には恐怖の延長戦から解放される事は無い。SAO事件の被害者は、仮想世界に閉じ込められた彼らだけではなく、リアルの親族達もだと言う事を、忘れてはいけない………。




僅かにオーバーしてしまったので………後篇に続く!

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