読者達のアインクラッド   作:秋宮 のん

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ヘルプ通りにルビ変換してるのに、実際確認してみたらルビになっていない事実に今更気付く………。どうしてこうなった?

それはさておき、中篇スタートです。


第五章グランドクエスト02:ルナゼス

グランドクエスト02:ルナゼス

 

 

 5 敗北の代償(ペナルティー)

 

 

 鉄のぶつかる鈍い音が鳴り響く。

 気付いた時には戦闘は始まっていた。

 次から次へと繰り出される赤い閃光が、攻略組プレイヤー達を襲い、薙ぎ払っていく。

 閃光は止まらず、躊躇わず、曲がる事無く直線的に突き進むだけ。だが、誰もその進行を食い止める事が出来ない。閃光が≪解放隊≫の一パーティーを薙ぎ払い、次の標的に向けて疾走する。標的となったサヤは、咄嗟に槍を構え、防御の姿勢を取るが、ソードスキルと思われる赤い閃光をまともに受けて、冗談の様に打ち上げられてしまう。それはまるで、トラックに撥ねられた人形にも等しい程に、あっさりと、抵抗なく、いっそ出来の悪いテレビの演出とも思えるほどに………。

「わわ………っ!?」

 空中に投げ出され、慌てたサヤが意味もなく手足をばたつかせるが、空中で何かを掴むなど出来る筈もなく、無防備を晒したところに斜めの線を描く閃光が更に追撃を掛ける。

 吹き飛ばされたサヤの視界は、既に混乱をきたしていて、今現在、自分が何処でどうなっているのか正確に判断できないでいた。

「きゃっ!?」

「わむぷっ!?」

 吹き飛ばされたサヤが、偶然、後方で控えていたウィセとぶつかり、お互いに悲鳴を上げる。互いが状況を確認する前に、疾しる閃光が二人目がけて突き進む。

「サヤさんっ!」

「させるかっ!」

「ぬんっ!!」

 ワスプ、マサ、タカシが、この電光石火に対応し、一列に並んで盾の壁を作り進行を阻む。激突する閃光を辛くも受け止め、ようやく閃光の正体たる≪ザ・ミューズデット・アイリオン≫の姿が晒される。

 その僅かな間で、マサは見た。彼女の口の端が楽しそうにつり上がるところを………。

 弾かれたアイリオンが、地面に着地すると同時、彼女の右肩から黒い手の様な物が伸び、壁となったマサ達に更なる追撃を仕掛ける。

 三人は足を踏ん張り、前のめりになって一撃を防ぐが、弾かれた手は、猫が爪とぎでもするかの様に何度も何度も叩き付けてくる。その手の先は鋭くなっているのか、盾は爪で引っ掻いたような甲高い音を響かせる。そうやって壁が足止めを受けている隙に、アイリオンは踵を返し、再び真っ赤な閃光となってフィールドを縦横無尽に駆け回る光となってしまう。

 速度に自信のある者が彼女に追いすがろうとするが、速度差があり過ぎ、誰も追い付く事が出来ない。壁タイプが動きを制限しようと整列するが、閃光は彼らの身長を軽く飛び越える事も出来てしまう。三次元移動が可能な閃光を止める術は、誰の手にもなかった。

 この状況下にあって、各ギルドの首脳陣は、自分達も標的にされているため、上手く周囲の状況を認識できず、出せる指示も近場に居る何人かに向けてしかできないでいた。そのため、元々ソロで動き回ることの多い、在野組のメンバーこそが力を発揮し、状況を覆さねばならないのだが―――、

「………っつぇぇいっ!!」

 何とかアイリオンの正面に躍り出たキリトが≪レイジ・スパイク≫で攻撃を相殺しようとするが、スキルにより、文字通り閃光にしか見えないアイリオンの剣を確実に捉える事が出来ず、惜しいところでカウンターを受けて吹き飛ばされてしまう。それでもアイリオンの三段あるHPバーを、僅かに減らせた事は賞賛に値する。

「………はあぁぁっ!!」

 すかさずキリトのバックで構えていたアスナが≪トリニティ・スプラッシュ≫による三段突きを放つが、これらの攻撃も相殺はできず、やはり彼女も吹き飛ばされてしまう。キリトより多くのHPを削ってはいたが、やはり、ボスに対して与えたダメージとしては微々たるものだ。

「な、なんだよこれっ!? 勝てるわけねえだろっ!?」

「に、逃げよう! 逃げなきゃ殺される………っ!?」

 あまりの圧倒的な状況に、次々と逃げ出す者、慌てて≪転移結晶≫を取り出す者が続出する。ディアベルとキバオウがそれを止めようと叫ぶが、一種の恐慌状態にあり、慣れ親しんだメンバー同士で固まれない状況にまで隊を崩されているため、指示がまったく機能していなかった。

 完全に崩れ去った陣形は、アイリオンの動きを僅かでも阻害できなくなり、むしろ最初よりも縦横無尽に移動させてしまう。その速度と自由さが、≪結晶≫を取り出した者を順に吹き飛ばし、扉近くまで逃げていた者達を黒い手で掴み取り、中央へと投げ飛ばし戻してしまう。彼女の動きを止めなければ、逃げることすらできない。身を持って教えられ、レイド全体の士気も下がっていく。

 それでも、例え本人の意識が追い付かない状況であったとしても、彼女の明晰な頭脳は、唯一の脱出手段を叩きだす事に成功していた。

(方法は恐らく………これ一つ!)

 視界の急激な変化に、軽い目眩を感じる頭を押さえ、ウィセは視界の端に捉えた人物に向けて指示を飛ばす。

「ルナゼス! ≪マズルフラッシュ≫です!」

 ≪マズルフラッシュ≫。

 そんな名前のソードスキルは存在していない。それは便宜上、この場に置いてウィセが例えただけの、とある現象だ。

 ルナゼスのソードスキルは、彼自身の脳内イメージによる、行動短縮思考によって、SAOでのみ、発生する特殊な斬激。システムアシストを超える速度で放たれるソードスキルの事だ。アシストを超える速度であるため、システム上では、まるでマズルフラッシュが起きただけの様に見える現象から、ウィセが例えて言っただけに過ぎない。だが、あの目視不可能な斬激なら、アイリオンの閃光と正面から打ち合い、相殺させる事ができる。そうすれば、システムによる遅延が起き、その隙を突いて吹き飛ばし攻撃を当てる事も出来る筈だ。距離が出来れば≪転移結晶≫を使って逃げるくらいの隙はあるはずだ。

 だが、ウィセの指示を聞いたルナゼスは、弱々しく背中の剣に手を伸ばし、重そうに鞘から刀身を抜くが、手から滑り落としてしまい、床に転がしてしまう。足取りもふらふらしていておぼつかず、必死に伸ばしている手が自身の言う事を聞いていない様子だった。

「ルナゼスッ!」

 切迫した状況に急かすウィセだが、ルナゼス本人も自分で自分を制御できていなかった。

 彼にも状況は理解できていた。今何をすべきなのかはウィセの一言で理解はできていた。だと言うのに、心の動揺が彼の行動を阻害し、上手く動かす事が出来ない。

(な、なんで身体が………っ!? こうしてる内にも皆が危ないのに………っ!)

 閃光は次々と仲間を吹き飛ばしていく。一撃で吹き飛んでしまうため、他のボスの様に連続攻撃を受けて、すぐにHP全損という事態だけは間逃れているが、回復したところでまたすぐに吹き飛ばされる。ともかく何もできない。最早ただの嬲り殺しだ。そうでなくても、いつしかPOTが尽きて敗北するだけだ。

(このままじゃ………っ! また繰り返しちまうっ!? またアイリに、同じ事を繰り返させてしまう………っ!?)

 それはいけないんだと、何度自分に言い聞かせようとしても、それでも心が揺れたルナゼスのアバターは、彼の意思を正確に組み取ってはくれない。

「何してるんですルナゼス! アナタでなければ―――ッ!」

 そうとは知らないウィセは、何故ルナゼスが動かないのかと困惑し、更に急かす。それでもやっぱり、ルナゼスはしっかりと剣を握り、構える事さえおぼつかない。

「………ッ! ………っんの、役立たず………っ!?」

 さすがに我慢の限界に来たウィセは、小声で吐き捨て、別の方法を思考しようとする。だがこの時、異常が起きていたのは彼女も同じだった。もちろん、ステータス的な何かではなく、感情的な何かだ。

 ウィセは、これまでの状況を想い返し、より効率が良く、最適な行動を取れる誰かを見定め続けてきた。全てを一目で見抜けたわけではない。それでも、確実に役に立つであろう人材を見極め、選出してきたつもりだ。特に今回は………、今回に至っては、細心の注意を払い、最も自分に都合良く動いてくれるであろう人材を選んだつもりだった。それがどうだ? 実際に始まってみれば、ここまで役に立たない状況に陥っているではないか? どんなに彼女の頭脳が明晰でも、彼女の脳は普通の人間のそれと変わらない。思い通りにならな過ぎる事が続き、さすがのウィセも、心の方が疲労困憊に至っていた。

「………~~~~~っ!! こんなチームで………っ! どうしろって言うんですっ!?」

 片手で片目を塞ぐようにして額を押さえ、自棄になった様に叫んだ時、彼女の肩の当たりの服が引っ張られた。

「ねえウィセ………、動きが止まれば、何とかできる………?」

 服を引っ張ったのはサヤだった。何度も独楽の様に弾き飛ばされ続け、さすがに気分が悪いのか、HPは全快しておきながら、俯いた表情は疲労に満ちていた。

 多少混乱気味になっていたウィセは、質問の意図を汲み取れず、ただ返答だけを返す。

「え? ええ………、できる、っと思いますが………?」

「じゃあ、僕が何とかするから、なんとかして―――」

「へぇ? サヤ、何を―――!?」

 言葉を言いきる前にサヤは一人飛び出していた。

 サヤが目指すのは、出来るだけ人が密集していない、開けたエリア。まるで、自ら孤立し様とする行動に、気付いたワスプとマサが制止の声を上げるが、それよりも早く反応したアイリオンは、閃光となって彼女の背中を襲う。

(人の多い所じゃ、雑音が多すぎる………っ! でも………っ!)

 開けた場所の中央に立ったサヤは急いで目を閉じ、周囲の音へと耳を澄ませる。

 すぐ後ろに驚異が迫る音を聞き付け、慌てて前に倒れ込んで回避しようとするが、間に合わず肩を吹き飛ばされ、地面を転がった。

 転がる勢いを利用し立ち上がる。閃光の気配が側面から再び攻撃を仕掛けてくるのを感じ、槍で受け流そうとする。だが対応が遅い。そのため失敗して槍越しに一撃を叩き付けられてしまい後ろ向きにでんぐり返りする様に転がってしまった。

 それでも諦めず再び立ち上がる。

 気配に耳を済ませ、三度訪れた攻撃を回避(イベイト)しようと飛び退く。

「きゃあぅ………っ!?」

 また躱し切れず、身体の端を轢かれ、空中を独楽の様に舞ってしまう。

 だけど今度は地面に激突する前に手を付き、一度手の力で飛んでから、しっかり足を付いて着地して見せる。

 槍を構え、瞼の裏で敵を探る。すぐ背後に気配があった。

「ふぅ~~~ん? やっぱりあんた耳がいいんだ? でも………」

 背後から迫る一撃に対し、ソードスキルで相殺しようとするサヤ。

 互いの一撃が交差し、弾け飛ぶ。

 地面に落下した槍が、カランッ、と虚しい音を奏でる。

「でも、アンタが特別早いわけじゃないッ!」

 素早く右手の二本指を切って、≪クイック・チェンジ≫。短槍を呼び出し、右手一本に掴み、迫ってくるであろう閃光に向けて突き出す。ソードスキルでも何でもない、ただの突き。だが―――!

「でえぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーいッ!!!」

 ≪ソニック・チャージ≫を使ってのではないかと見紛う長距離チャージ。距離感を無視する様なその突きは、正確に閃光の中の剣を捉え、僅かに逸らし―――、

「きゃああぁぁぁっ!?」

 ―――それでも威力を抑えきれず、弾き飛ばされる。

「―――………んのっ!!」

 無理矢理身体を捻り、体勢を立て直し、からくも着地。

 気配が転身して、正面から迫ってくるのを感じ、急いで右手の槍を構え直すが、その時には既に気配は眼前にあった。

「音による察知能力は高くても、アンタ自身の反応速度は常人並み。そんなんでフロアボスに対抗できるかぁ~~~っ!!」

 嬉々とした声が真っ赤な閃光の突きを至近距離から放つ。、防御事吹き飛ぶサヤ。地面をゴロゴロと転がる彼女を追い掛け、更に飛び込んで来る。

「させるかっ!」

 瞬間、間に入ったマサが一撃を盾で受け止める。防御成功率に関しては、マサの右に出る者はいない。が―――、

 

 ドバンッ!

 

 タンクのマサを防御の上から吹き飛ばした。見た目はプレイヤーと変わらなくても、そのステータスはボスのそれだ。たった一人でソードスキルを受け止める事は出来ない。本来はタンク役が数人がかりで押さえるのが普通なのだ。それを一人で何とかできるわけがない。

「今だっ!」

 もちろん、それはマサも理解していた。だから、彼の影に隠れていたワスプが飛び出し、マサを払いのけるために剣を振ったはずのアイリオン目がけ≪ソニック・リープ≫を放つ。

「まだよっ!」

 その一撃を、アイリオンは余裕の笑みと共に、切り上げる剣で弾き返した。

 更にもう一撃、切り返した刃がワスプの腹を切り裂く。

「ぐ………っ!?」

 逃げようにも動けない状況にあるワスプ目がけ、アイリオンは容赦なく四撃目を振り被り―――、

 

 タンッ!

 

「うわっ!?」

 刹那、ワスプの肩を蹴って、サヤがアイリオンの頭上を奪う。

「甘い」

 ニヤリと笑い、アイリオンが天を穿つ柱の如く飛翔する。

 まるで空を飛ぼうとするメロス目がけ、レーザー光線が放たれた様に、真直ぐサヤへと向けて閃光は奔る。

「だあぁぁぁーーーーーーーーっ!!!」

 対抗してサヤもソードスキルを使って突き込む。

 しかし、今まで同様、弾かれたのはサヤの方。撃墜された鳥の様に地面に落下するサヤ。それを追って閃光が落下予想地点に向けて疾しる。

「………そこっ!」

 突然、空中で体勢を立て直したサヤは、短槍を投げ、自分が落下する予定の地面に突き刺す。床を貫き柱の様に立った槍を踏みつけ、飛び上がる事で落下のタイミングをずらした。

 閃光となったアイリオンは、突き刺さった短槍を吹き飛ばしただけで過ぎ去ってしまい―――それを空中でキャッチしたサヤは着地と同時に、己の背に向けて切り付ける。まるで閃光から吸い込まれる様に、サヤが斬り付ける槍の先へと突き進んだ。

(音のパターンで、次の行動を予測することだってできるもんっ!)

 

 シュパンッ!!

 

 次の瞬間、綺麗に斬激の入ったエフェクトサウンドが響き渡り、ダメージがヒットした証である赤いポリゴンが大量に舞い散る。

 同時に宙に浮かんでいた武器がゆっくりと弧を描き、二人の間に落下した。―――片腕と共に。

 

 パシャン………ッ!

 

 軽いサウンドが入り、片腕はポリゴンとなって消滅した。

「だから、遅いって言ったでしょ?」

 剣を振り抜いた体勢で、サヤの右腕を部位欠損させたアイリオンは、残忍な瞳で笑った。

 

 ドゴンッ!

 

「あぶっ!?」

 同時に、その表情は苦悶と困惑へと変わった。

 アイリオンの腹部に、健在だったサヤの左腕が拳を作り、体術スキル≪閃打≫を打ち込んでいた。

「やっと捕まえた………っ!」

 腕を切り落とされた事で、多大な精神疲労を受けているらしいサヤは、完全に憔悴し切った表情で呟く。ダメージを受けた事で、アイリオンのスキルがキャンセルされ、赤いライトエフェクトが消失し、元の少女の姿を露わにした。

「固めてッッ!!」

 悲鳴に近い叫び声を上げるサヤ。その意図に気付いたマサ、ワスプ、タカシが盾を構え三方向からアイリオンを押さえ込む。通常、一列に並び、敵の進行を抑える壁役を、周囲から囲むようにして無理矢理抑え込む、実際の戦争でも使われていた戦術。さしずめ、SAO風に≪包囲(ロック)≫とでも言う対アイリオン戦だからこそ使えた手段だ。

「このまま突き刺す!」

「大人しくしてもらうぞっ!」

 マサとワスプが盾越しに剣を構え、タカシが渾身の力で押し固めようとする。

「この程度でぇぇぇぇっ!!」

 アイリオンは右肩から黒い霧を噴き出し、それを鋭い爪を持った黒い腕へと変える。

(しまった………っ!?)

(これがあるの忘れてた………っ!?)

 黒い腕が伸び、固めている三人に迫ろうとした時、その腕の存在を忘れていなかった、別の黒い影が、その腕をソードスキルで断ち切った。黒い様相に身を纏い、漆黒の剣を持つソロプレイヤー、キリト。彼はサヤが一人で奮闘している時点で、何かをしようとしていたのに気付いていた。だからこそ手を出さず、いつでも手助けできる位置でずっと待っていたのだ。この最も厄介な黒い腕が、全てを台無しにしない様に。

「今です! フウリン!」

 このタイミングを逃さず、ウィセは既に話を付けていたフウリンへと指示を飛ばす。

「ふっ、とべぇぇぇぇぇぇ~~~~~~~~~~ッ!!!」

 大きく振り被っていたフウリンの≪ストライク・ブロウ≫が、吹き飛ばし効果を持つ、片手棍のソードスキルを受け、一気にHPバーを消費し、冗談みたいに遥か後方へと吹き飛ばす。

(え? あれ?)

 自分の攻撃に一瞬違和感を覚えるフウリンだったが、考えてる暇もなく、指示が飛ぶ。

「「「全員撤退ッ!!!」」」

 ウィセ、リンド、キバオウの指示が同時に重なり、一斉に撤退行動が始まる。

 ≪転移結晶≫を取り出す者、その足で出口まで走りだす者。様々だが、キバオウ、リンド、そしてサヤも、ギルドリーダーとしてメンバーが全員撤退するのを見届けるために残る。

 そんな中、一人呆然としていたルナゼスを、タカシが逃げるついでに肩に担いで連れて行く。

「ぐおおぉぉ~~~~っ!! おもてぇ~~~~~! 俺のステータスじゃ、まだ人一人はきついぜぇ~~~!」

「………! だ、大丈夫だ! 一人で走れる!」

 気がついたルナゼスが叫ぶが、止まってる時間が惜しいと、タカシはそのまま走る。生憎、彼は殆ど下層に居るので≪転移結晶≫の持ち合せがないのだ。正式な≪ケイリュケイオン≫でもないので、彼等からの支給品として渡されてもいなかった。

「逃がすわけ………ぁうっ!?」

 吹き飛ばされたアイリオンが、再び立ち上がった瞬間、その身体を次々と三種類の飛び道具が突き刺さってくる。

「御免ッ!」

「好き放題してくれたお礼よっ!」

 今までどこに居たのか不明のサスケが匕首を、マフラーを剥ぎ取ったアルクがナイフを投げ、アイリオンの動きを阻害し―――、

「当たれぇーーーーーッ!!」

 最後にキリトの投げたピックが彼女の額に命中し、クリティカルを発生させる。

「………っ! 調子乗るな~~~~っ!!」

 仰け反りから復帰したアイリオンが、剣で飛び道具の群れを弾き飛ばし、閃光となって疾しる。一番近くに居たキバオウ、リンドが同時に武器を構え、二人の近くに居たテイトクが、どちらのカバーもできる様に身構える。

「急いでっ!」

 それを確認したウィセが、出口へと走るメンバーを急かす。

 瞬間、アイリオンの口の端が不気味に持ちあがった。

 閃光は、リンドとキバオウの間をすり抜け、真直ぐテイトクに向かう。

「オレかよ………っ!?」

 瞬時に対応したテイトクがソードスキルの構えを取り―――、

(―――!? 違うっ!?)

 彼が気付いた時には、既に閃光はテイトクの脇をすり抜け、とある人物の元へと真直ぐ進んでいた。

「………っ!?」

「アンタ、ルナの事、役立たずとか言ってたでしょ? ちゃんと聞こえてたんだから?」

 気付いたウィセがカタナを構えようとするが、反応が遅れて間に合わない。

(失態………ッ!!)

 必死に身体を逃がそうとしながら、迫る閃光に対して歯噛みするウィセ。最早このタイミングでは回避も防御も間に合わない。装備上、防御の薄い自分がクリーンヒットを受ければ、致命的なダメージは間逃れない。それでも全損する事は無いはずだが、果たしてその後の追撃に耐えられるのかっ!?

 一瞬で思考してしまう絶望の未来。目を瞑る暇もない中、赤刃がウィセの身体を両断せんと迫る!

「ウィセッ!!」

 

 ドンッ!

 

「あ………」

 ウィセの身体が何かに押し出された。

 側面から、得意の突進力を活かして駆け付けたサヤが、余った左手を一杯に伸ばし、ウィセの身体を押しのけていた。

 スローモーションに映る世界の中、ウィセは一杯に目を見開いた。

(どうして………?)

 この一瞬、彼女の脳裏で様々な疑問が頭の中で巡りに巡った。

 彼女の眼に映るのは自分を助けようと、必死に伸ばされたサヤの腕。

 誰かを助けようとするのは意外じゃない。きっとこの子は助けるだろうと思った。でも、果たしてこんな局面で飛び出せるほど、度胸のある子だっただろうか?

 いや、この子は元々そうだった。初めて会ったあの時も、誰かが死にそうになると、変な責任感を抱き、自分が助けようとする。そうでなければならないと言う強迫観念を抱いているようにさえ見える。なのに………、

(どうして………?)

 その表情は、誰かを助けた事による安堵ではない。誰かを助けようとして、代わりに自分が死ぬかもしれないという事実を知って、恐怖していた。

 怖いんだ。彼女は純粋に死ぬのが怖いはずなんだ。自分の選んだ結果でも、死んでしまうのは嫌だと、心の奥底から望んでいるんだ。

(どうして………?)

 それなのに………、それなのに………、彼女はどっちも選べず、どっちも取ろうと必死に足掻く。漫画の主人公の様に、そんな第三の選択肢など選べる都合の良さなど持っている筈もないのに。

 現実の厳しさを彼女は知ってるはずだ。だから彼女は、迫る赤刃を目に映し、死の事実を理解できる。なのに、彼女は矛盾した行動を取る。まるで、“嫌いな物から目を背ける(余計な事を考えない)”ように………。

(どうして………?)

 そんな彼女は、それでもウィセを助けようと手を伸ばし続ける。

(どうして………?)

 彼女の疑問が晴れる前に、スローモーションは終わりを告げ、一人のアバターが両断された。

 一拍の間をおいて、ポリゴンの砕ける音が、虚しく響き渡る。

 この世界で何度も耳にし続けた、オブジェクトが消滅する音が………。

「サヤーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!!?」

 

 

 

 6 意見分離(デイファー)

 

 

 

 バシンッ!! っと、乾いた音が≪アンダーグラウンドデパート≫内に響き渡った。

 続いて倒れたルナゼスが、近くにあった椅子を巻き込んでしまい、騒々しい音が追加される。

「ルナゼスッ!?」

 倒れたルナゼスを庇う様に助け起こすマサ。上体だけ起こしたルナゼスは、ぶたれた頬に片手を当てながら、ぶった本人を見上げる。そこにはいつになく、荒い息を吐いて感情を剥き出しにしているウィセの姿があった。普段から冷静で、冷徹な表情を崩した事の無い彼女が、今までに一度たりとも見せた事の無い表情に、事情を聞いたばかりのメンバー達は悲痛な思いを抱いてしまう。

「あ、アナタは………ッ! アナタの所為で………ッ!? 解っているんですかっ!?」

 なおも言い募り、ルナゼスを糾弾しようとするウィセを、カノンが止めに入る。

「落ちついてくださいウィセさん!? 気持ちは解りますけど、今は落ち着いて………!?」

「いや、言っておくべきだ」

 制止しようとしたカノンの肩を掴んだワスプは、瞳の奥に怒りを宿し、真剣な声音で告げる。

「今回、間違いなくルナゼスは重要な立場にあった。なのに、彼はなんの働きもしなかった。それが原因でレイドパーティーは多大な被害を被り、沢山の犠牲だって出たんだ。それに………っ!!!」

 最後の一言は告げる前に奥歯を噛み締められ、言葉にする事が出来ないようだった。

 ボス戦から帰って来たメンバー達が、こんな険悪なムードになってしまい、集合していた他のメンバー達も、≪デパチカ≫常連達も、理由を既に聞いた後なため、この状況に重い空気を纏う事しかできない。

 現在、この≪デパチカ≫内では、御馴染のデパチカ常連の他、色々あって成り行きで付いてくる事になった、ボス戦に参加していた≪スペシャル・ウエイポン≫のメンバー、ゼロ、シヨウ、タケ、フウリン。その他、シナド、アルク、アレン、ヴィオ、セリア、そして≪ケイリュケイオン≫の“一人欠けた”全メンバーっと言う、大所帯が揃っていた。

 仮店主であるジャスにしてみれば、いつにない繁盛振りに歓喜するところだが、さすがにこの空気では喜べる気はしなかった。

「ごめん………っで、済むわけないよな………」

「当たり前ですっっ!!」

 悲鳴のような怒声がウィセの口から放たれる。

 驚いたクロン、セリア、ラビット、ヴィオの四名は、それほど馴染あるわけでもないのに、自分達の身を守る様に仲良く固まって震えてしまっていた。

 ウィセが怒るのも無理もない事は誰もが解っている。

 殴られたルナゼス本人でさえ、後悔と罪悪感の念で一杯なのだから。

「もう良いだろ? 確かにルナゼスは何もしなかった。足を引っ張った。でも、あの状況で俺達だって何もできなかった。何より、ルナゼスにとって、あれほど動揺を誘われる事態なんて無かったはずだ?」

 多少語気を強く、マサはルナゼスの弁明をした。

 彼には確かに非があった。だが、彼が最も追い詰められる立場であった事は紛れもない事実だったはずだ。それは、事情を知っているギルドメンバーなら誰でも解っている事。

 それでも、やっぱりウィセとワスプの視線は鋭いままだ。

 彼等も本気でルナゼスだけを責めているのではない。何もできなかったのは自分達も同じなのだ。だからこそ、自分達の不甲斐無さに苛立ち、行き場の無い感情の捌け口として、正当な場所を見つけ、普段より強く当たってしまっているのだ。

「正直、僕もウィセ達と同ジ考えだケドね。話聞く限りデハ、ルナゼスが行動していれば、モット楽に逃げられたと思ウシ」

 ケンが呟くと、マサとテイトクが非難めいた視線を向けてくる。ケンは肩を竦めて返しながら続ける。

「デモ、動揺しないっテノも無理があるデショ? ルナゼスにとっちゃ、奇行はシテモ、ずっと同じプレイヤーで、仲間って認識だったんだからサ?」

 ケンのフォローを受けて、多少なり、周囲の目は和らいだ物となる。それでも、やっぱり完全には険悪な空気が払えずにいる。

「はっ! 気持ち悪ぃ空気だなおいっ!?」

 空気に我慢できなくなったのか、ずっと黙っていたアルクが苛立たしげに発言する。

「正直よォ? お前等ギルドの問題に口出しするのもなんだしぃ? ましてやアイツとお前の関係なんか俺様達が知るか? って話しなわけだ。だから口を挟まないつもりだったが………?」

 机に座って脚を組み、心底つまらなさそうにアルクは告げる。

「平行線の会話がしたいなら人のいないところでやったらどうだ?」

「あぁ? なんだよお前? こっちは血の上った頭で、必死に冷静になろうとしてんじゃねえか? 会話に割り込んどいて言う事がそれかぁっ!?」

 アルクの挑発的な発言に、決して口を挟むまいと心に決めていたクロノが、我慢できず睨めつける。

 彼は≪ケイリュケイオン≫に恩がある。マサとルナゼスは更に恩人とさえ思っている。だから彼はギルドの仲間を大切に思う様になった。だからこそ、一度失敗した自分が、ギルド内の事で知ったかぶった発言はするまいと、心に決めていた。ルナゼスが責められる謂われは無いと思ったし、自分も仲間を失い、自棄になった事があったので、彼の気持ちは痛いほど解った。そのため、ワスプやウィセの発言や行動には怒りさえ感じたが、それでも、自分の発言は、解っていないモノの言葉だと自覚していたので、必死に言葉を呑み込み続けた。

 だがそれを、部外者であり、最近までほとんど面識のないソロプレイヤーに言われてしまっては、堪忍袋など役に立たない。

「あぁんっ? っんだコラ? 俺様は事実をただ言っただけだろうが? 本当の事言われて逆切れか?」

「マフラーのお前、空気を読めって言ってんだよ? 部外者が口出ししたら腹立つに決まってんだろうがぁ? 解ってるくせに口出しして燃料撒き散らしてんじゃねえよ!?」

「はあ? 俺様達がなんで集まってると思ってんだよ? 理由解ってて言ってんだろうなぁおいっ!?」

 アルクが腰の剣に手を掛けて威圧する。呼応するように、クロノも純白の外套に隠されていた剣に手を掛ける。

「止めなさいっ!!!」

 鋭い声が制止を掛け、二人は本能的に肩をビクつかせた。

 声の主はシナドだ。見た目通りの大人の女性としての芯の通った鋭い声は、母親にしかられたかのような威圧感があり、二人ともバツの悪い表情を作ってしまう。

「今、私達がする事は口論などではないわ。私達が集まった理由は、これからの攻略についての筈よ?」

 更に睨めつけられ、二人はしぶしぶと言った感じに敵意を収める。

 それを確認してからシナドは話を進めるべく、続きを口にする。

「流して良い話じゃないから喧嘩するのは構わないわ。でも、喧嘩ばかりされても仕方ないでしょ? 彼をどうするかは一先ず置いておいて、今は攻略方法についての議論に変更しましょう? ≪ケイリュケイオン≫の交易交渉もしておきたいところだしね?」

「解っています………」

 ウィセは俯き、前髪で目を隠しながら、それでも低い声で同意した。

「現在やるべき事は、第10層フロアボス攻略の糸口を見つける事です。ともかく、あの厄介なスピードと黒い腕をなんとかしなければ、まともに戦う事もできません」

「そうですね。あの速度の前には生半可な“壁”は飛び越えられてしまいますし、同じ速度では圧倒的に置いて行かれ、勝負になりません」

「アレと戦うには、今までのフロアボスとは違う戦術を考える必要がありそうね? 今考えられる手段としては、“使われる前に止める”くらいかしら?」

「方法の一つとしては良いですが、それだけではファーストアタック失敗後は先の二の舞です」

「そうですねぇ~? 最後に使ったアレに関しても、対処しなければならないでしょうし………、だとしたら~~………」

「ちょ、ちょ………っ! ちょっと待ってくれっ!?」

 ウィセ、ゼロ、シナドが相談している内容を聞き、ルナゼスは慌てて間に入る。

「なんでアイリを倒す方向で話が進んでるんだよ!? アイツを助ける方法だって………!」

「そんなのあるわけないでしょう………? アレはフロアボスだったんですよ? アナタも本人の口から聞いたでしょう?」

 ルナゼスに視線を向けないまま、ウィセは暗い声で事実だけを口にする。

「でも、まだ迷宮区周辺のクエストも探しつくしたわけじゃないだろ? だったら、何処かにアイリを救う方法があって、それこそが本当のフロアボス攻略方法かもしれないだろ!?」

「それを考えるのは私達ではありません。退却した時、その事は話したでしょう? 私達は、倒す方法を考えるために集まったんです」

「だけど………! だけど、こんなのおかしいだろっ!? 明らかに今までの攻略とは毛色が違う! なんか裏があると考えた方が良いし! 何より、アイツは、俺にとっては仲間なんだよ!」

「“アナタにとっては”、そうなんでしょうね………。それで? 私達がアレから受けた、今までの被害は? アレを敵と見るに充分ではないと? これはそもそもそう言うクエストなのでしょう? 9層以下で謎の襲撃者が存在し、その襲撃者が10層のフロアボスだった。オンラインゲームではありそうなシナリオです………」

「なんでそんな簡単に割り切れるんだよっ!? 解ってるのかウィセッ!? ボスを倒すって事はっ! “アイリを殺すって事なんだぞ”ッ!?」

「………ッッッ!!!」

 

 ドガンッ!!

 

 アンチクリミナルコードの紫の輝きが迸り、再びルナゼスが吹き飛ぶ。吹き飛んだ彼を何とかタドコロが受け止める。

 ≪閃打≫を打ち出したウィセは、肩で息をしながら、髪を振乱す勢いで叫ぶ。

「アレは“NPC”ですッ!! 今まで倒したモンスターと同じ! 命の無いただのデータですっ!!」

 激昂するウィセに、誰もが鎮まる中、暗く低く、そして憎悪とも言える怒りに満ちた声が、静かに発せられた。

「取り消せ………!」

 タドコロを突き飛ばすように立ち上がったルナゼスは、暗い瞳でウィセを睨み、同じく激昂する。

「取り消せよっ!! アイリは………っ! アイリはただのデータなんかじゃないっっ!!!」

「救いようのない………っ!?」

 ウィセが腰の剣に手を掛ける。

 ルナゼスが背中の剣に手を掛ける。

 互いに抜刀したのは同時、そして―――、

 

 ビシャアァッ!!

 

 二人同時に水を被らされ、動きが止まった。

「頭は冷えたか小僧共? 水で足りないなら、今度は麻痺毒でもぶっかけるか?」

「圏内じゃ効果ないですよ………」

 声のした方向に皆が視線を向けると、≪デパチカ≫入り口で、メガネを掛けた男子が二人程、ちょうど入室してきたところだった。

 一人はレドラム。その手に空になった水筒を二つほどぶら下げて憮然とした表情をしている。その後ろに居るのは文屋のシンだった。

「なんだいお前さんは? 文屋、そっちは?」

「レドラムさんですよ~~。俺とはあんまり親しくないッスけど、なんかアイテム調達したくてジャスさんに相談があるとか言うんで連れてきましたぁ~! あと俺は、ボス攻略の進行の程をインタビューしに来ただけです」

 ジャスに訪ねられ、気さくな態度で接するシン。

 それらを無視して、レドラムは、勢いを殺がれて棒立ちになっている二人の元へと向かう。

「喧嘩するなとは言わんさ。事情も良く解らんしね。でも、刃傷沙汰はシャレにならないだろう? 例えここが圏内だったとしても、喧嘩で刃を抜くのは褒められないな」

「………」

「………」

 二人は黙って剣を刀室に収めた。

 互いに心中を察せない暗い表情で俯き、誰とも視線を合わせようとはしない。

「えっと………、一旦ここで止めないか? 皆、ボス戦後のテンションで来ちまったから、頭に血が上ってんだよ? ここらで休憩して頭冷やそうぜ?」

 誰も口を開かぬ状況に耐えかね、テイトクが提案すると、ゼロが無言で頷き、ギルドメンバーを引き連れ、退出する。

 シナドも、「仕方ないですね」と溜息を一つ漏らすと、在野組の何人かと共に退出した。

「………頭、冷やしてくる」

 ルナゼスも、圏内とは言え、仲間に対して剣を向けてしまった罪悪感から、この場を後にした。

 残されたのは≪ケイリュケイオン≫のメンバーと、≪デパチカ≫常連ばかりだ。

 気まずい沈黙の中、気を利かせたタドコロは真っ先に口を開く。

「おっさん、ここで裸踊りでもした方が良い?」

 

 ソードスキルの雨嵐。

 

「少し上がってます………」

 暗い表情のまま、ウィセは階段を上がる。

 その背では、全員が肩で息をしながら、ボロボロになったタドコロを中心に、第二陣を出すかどうか思考していた。クロン、ラビット、ヴィオと言った、大人し目の少女達も、戦闘系でないシンやレドラム達も、例外なく。

 

 

 二階、一時的に借りている部屋の前で、ウィセは一度立ち止まる。

 一拍の間を開けてから、彼女は扉を開き、入室する。

 

「わっ、わわっ!? ウィセッ!?」

 

 室内では、黒い髪の少女が上半身裸の状態でベットに座っていた。普段、纏めている髪を解き、大人びた印象を与える彼女の手には、濡れた布が握られている。どうやら気分だけでも身体を拭いておきたかったようだ。

 彼女は見てるこっちが恥ずかしくなるくらい泣きそうな瞳で、顔を真っ赤にしながら、慌ててメニューを操作していつもの格好に戻る。桜色の振袖に、紺の袴。髪をうなじの当たりで纏める、幼い印象を持ったいつもの少女。

 気付いた時、ウィセは彼女の両腕を取って、確かめるように何度も握っていた。その目は、いつにない程に真剣なものにして。触られた本人はそれどころではなったが………。

「ひぃ~~っ! ひぃああぁぁぁ~~~~っっ!? な、ななな、なにウィセ~~~!?」

「………。戻り、ましたか………?」

 やっと手を放したウィセは、彼女の腕が両方ともあるのを確認して、ほっ、と息を吐く。次の瞬間、腰から力が抜けた様に、その場に座り込んでしまった。

「わわっ!? だ、大丈夫………?」

 ふぅ~~~っ、と細い息を漏らしてから、ウィセは安心したような表情で見上げる。

「ええ、私は大丈夫ですよ。サヤ………」

 

 

 

 7 事の過程(プロセス)

 

 

 

 サヤがウィセを助けようとした時、それは本当にギリギリのタイミングだった。

 だが、それが逆に功をなしたとも言える。

 ウィセを突き飛ばしたタイミングと、アイリオンの赤刃が降り降ろされたのはほぼ同時。故に、サヤはその身体を斬られるより早く、無事だった左腕を二の腕あたりからスッパリ切り落とされた。部位破損と見なされ、切り落とされた腕は、身体から離れると同時にポリゴンとなって消えた。

 この瞬間、両腕を失ったという喪失感。ギリギリの戦いを演じていた緊張感。そして、急激なHP喪失の事実による恐怖心。度重なる心の疲労に耐えかねたサヤは、精神的な限界と、自分が死んだと思い込んだ誤解とが重なり、その場で気を失ってしまった

「サヤーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!!?」

 自分の身代わりとなり両腕を破損したサヤの姿に動揺したウィセは、倒れそうになった彼女へと必死に手を伸ばし、床に倒れる前に抱きとめる。

 そこへ向けて、アイリオンは容赦のない追撃を仕掛けてくる。

「く………っ!」

 ウィセは咄嗟に、片手でサヤを庇うように抱きしめる。カタナを持っていた手は、指を器用に動かし、くるりと回転させ逆手に持ち変える。降り降ろされた赤刃を受け流そうと、取った構えだったが、強力な一撃は容易に受け流す事さえさせてくれない。

 互いの刃が鍔迫り合い、力負けしているウィセのHPが徐々に減少していく。

 本来両手で握るのが当たり前の≪カタナ≫を片手で持っている上に、サヤを抱きとめた所為で、しゃがんだ体勢になっている。上から押しつぶされる様な状況は体重を掛けやすく、ステータス負けしている相手に対し、圧倒的不利な体勢だった。

「くぅあ………っ!?」

 必死に押し返そうと抗ったウィセだったが、ステータス差があり過ぎる。カタナを握る指が次第に解けていく中、苦悶の表情を浮かべながらも、ウィセは無意識にサヤの事をきつく胸の内に抱きしめる。

 

 ガッ、ガギンッ!!

 

 あと一歩でウィセの手から刀が零れようとした時、槍と剣がウィセの刀を押す様に重ねられ、進行が止まった。同時に防御量が上がったと判断されたのか、HP減少も抑えられた。

「こぉの………っ!!」

「クソ重ぇ………っ!!」

 ウィセを助けたのは、槍使いの女性シナドと、片手剣を握るテイトクだった。二人は、ウィセの刀に合わせ槍と剣を重ね押し返そうと試みるが、三人がかりでもボスのステータスを上回る事が出来ない。

 加勢しながら助けきれないのかと焦りが生まれる瞬間、シュパアァッ! っと言う綺麗に切り裂かれる音が奔った。

 アイリオンの腕に小さくも赤いポリゴンの破片が舞い散る。アイリオンが視線を背後に向けると、小さな少女が、短剣≪フラッシュ・ダガー≫を手に、地面を滑っていた。

(コイツに斬られたか………)

 アイリオンは眼を細くして襲撃者を確認する。

 くすんだ金の髪を靡かせる小柄な少女、セリア。彼女の瞳は、見た目の幼さに反して鋭く、何処かワスプと似た物を感じさせた。

 セリアが地面を蹴り、アイリオンの背後を狙う。

 アイリオンは鍔迫り合いをしていた剣を弾き合わせ、後方に飛びながらも振り向き様に横薙ぎの一閃を振るう。その身体は、一度足を止めてしまった事で、閃光化してはいない。だが、タイミングピッタリのカウンターは、セリアの短剣が届く前に、その幼い身体を両断する―――はずだった。

 刃が迫る直前、セリアはもう一度地面を蹴り、真上方向へと身体を浮かし、まるで物理法則を無視するように宙を浮く。素早くアイリオンが対応して、空中のセリアを撃墜しようと剣を振るうが、その全てを空中で姿勢制御とバランス感覚だけで躱される。

 一体どうやっているのか、傍目からは解らない技術で空中を舞い踊ったセリアは、アイリオンの背後を取ると、その背に向けてソードスキルを放つ。振り向き様にアイリオンも剣を振り抜くが、交差する刹那に斬られたのはアイリオンだけだ。

「ふぅ~~~ん………、そう言う戦い方もあるわけだ………」

 面白そうに頷いたアイリオンは、交差の瞬間、僅かに斬られた腕を舐める。

 この隙に、マサとワスプは、ウィセとサヤを助け起こし、出口へと走る。

(………私は、どうしてこの子を庇った? 捨てておけば、あんな危険な目には遭わなかったはずを………?)

 自分の行動が理解できず、動揺するウィセ。

 その間にも、セリアは必死に全員が脱出するまでの時間を稼ぐ。

(次の交差で斬らずに通り抜ければ………!)

 逃げる算段を組み立て、セリアはアイリオンに向かって飛び出す。

 それに対し、アイリオンは先程と同じく正面から迎え撃つように走り出て、剣をかち上げる様に斬り上げる。もちろん、セリアはその軌道に合わせ、まるで磁石の同極が離れる様に空中を回転しながら浮いて躱す。その後、空中で迎撃されても、先程と同じように空中旋回して躱す事が出来る筈だった。

 瞬間、切り上げた剣は、そのまま背中に回され右手から左手に剣が入れ替わる。逆手持ちでキャッチした左手の剣が、セリアの予想外の軌道から繰り出され、回避するのが僅かに遅れる。切っ先が僅かに頬を掠めるが、直撃は避ける。だが、左の剣を振り切ると同時に回転しながら右手に持ち変えられ。僅かに飛び上がる様にして斬りつけられ、右腕を斬りつけられた。

 先程までとは違う、トリッキーな動きに、セリアの舞うような動きも対応されてしまう。動きの身軽さにセリアのアドバンテージはあっと言う間に失われた。

「トレース完了。なるほど。当てるだけなら、こう言う戦い方の方が都合が良いのね?」

 ニヤリと不気味な笑みを浮かべたアイリオンは、横薙ぎに振った牽制の一撃を躱したセリアを左手で捕まえ、そのまま地面に叩き付けた。同時に切っ先を向けたまま剣を振り被り、躊躇なく彼女の胸を穿つ。

「ふぐ………っ!?」

 僅かな不快感が胸を貫き、喘ぎ声を漏らすセリア。彼女のHPは、急速に減少し、すぐにでも空になりそうな勢いを見せる。

「………?」

 気配を逸早く感じたアイリオンは、あっさり剣を引き抜き飛び退く。彼女が飛び退いたすぐ後に、アレンの抜き放った斬激が通り過ぎる。

 これに呼応したセリアが跳ね跳ぶようにして起き上り、アイリオンの右へ―――、同時にアレンが左へと入り込み、回転しながら勢いに乗せた刺突と斬激を同時に放つ。

 アイリオンは、それらの動きを目で追いながら、アレンの剣撃を剣で受け止め、セリアの刺突を左腕でガードする。左腕を貫かれ、HPが急速に減少する中、彼女は慌てることなく、スゥ~~~………ッ、と息を吸い込み―――、

 

「RAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」

 

 ―――悲鳴のような耳に突く咆哮を上げた。瞬間、まだボスフィールドに残っている数名に劇的な異変が起きる。

「く………っ!? なんだっ!?」

(身体………重………ッ! 力、入らない………!?)

 アレンとセリアがその場でいきなり膝を付く。

 まだフィールドに残っていたリンドとキバオウにも同じような影響が出始める。

 慌てて自分達のステータスを確認すると、未だかつて見た事ない程のバットステータス表示が大量に出現していた。

「有効範囲内に居る相手にあらゆるバットステータスを与えるスキルだって!?」

 リンドが信じられないと言う様に叫ぶ。

 それを理解したアレンとセリアは、同時に危機感を感じた。

((この状態で一撃でも受けたら………っ!?))

 到底、堪えられるはずは無い。

 もちろん、アイリオンは舌舐めずりなどする事も無く、剣を思いっきり振り被っていた。逃げる事の出来ない二人に対し、無慈悲に、無関心に、ただ仕事をこなす機械の様に、彼女は剣を振り降ろす。

 

「もう止めろアイリーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」

 

 ピタリッ、と、剣が静止した。

 アイリオンは剣を引くと、声の主であるルナゼスへと視線を向ける。

「≪転移結晶≫!」

 慌ててフウリンが叫び、意図に気付いたアレンとセリアが結晶を取り出す。反応してアイリオンも剣を振り上げるが、再びルナゼスに名前を呼ばれ、諦めた様に渋々剣を下ろす。二人が転移の光で消え去った後、アイリオンはルナゼスへと体の向きを変える。もう、彼女が戦えるボスフィールド内には、一人のプレイヤーも残っていない。

「ねえルナ? 私伝えたよね? ここに来ちゃダメって?」

「アイリ………」

「なのにルナったら、こんな所まで来ちゃうんだもん? 本当に仕方ない人だよねぇ?」

 ニッコリと笑うアイリオンの表情は、先程までボスとして振舞っていたのが夢であったかのように、可愛らしい笑顔を見せている。それが逆に不気味さを与え、誰も口を挟めない。

「でもね? 私、今ではルナが来てくれて良かったって思ってるのよ? だって、ここに一人でいるのは退屈だもの。………だからね、ルナ? 次来る時は一人で来てね? じゃないと―――」

 そして、その不気味さは、祈りよりも強く、絶望よりも深い感情に満ちた、何かだった。

「SAOのデータ………、また軽くなっちゃうよ?」

 

 

 

「今思い出しただけでも、あまり生きた心地のしない戦いでしたね………」

 床に座り込んだまま呟くウィセに、サヤは苦笑いで応じる以外にない。

「って言うか、ウィセ、本当に大丈夫?」

「だ、大丈夫ですっ!」

 ちょっと恥ずかしくなってきたウィセは、少し慌てた様子で返答する。

「はっはっはっはっ!さすがのお前も、サヤの前だと気が抜けるか?」

 突然上がった声に驚いた二人が入り口付近に目を向けると、壁に寄り掛かった白髪メガネの男が、愉快そうな笑みを向けていた。

「ナッツ………、何が言いたいんですか?」

 憮然とするウィセに、ナッツは可笑しそうに笑みを漏らす。

「いやいや、俺も意外だったぜ。お前も相当サヤに入れ込んでるみたいだなぁ?」

「ふぅえ?」

「何の事ですか?」

「いやぁ~~、俺だって考えた事無かったぜぇ? 怒る時も冷静なお前が、今回に限ってあんなに感情を露わにするんだからよぉ?」

「そ、それがどうしたって言うんですか!? それとサヤは関係ありません!」

「あのなぁサヤ? コイツさっきすごい剣幕でルナゼスに突っかかってたんだぜ?」

「ちょっと! サヤに余計な事を云わないでください! 誤解を招く可能性があるでしょう!?」

 ゆっくりと立ち上がりながらもウィセは抗議した。ギルドの要であるリーダーに余計な誤解を作ってしまっては今後の重大な亀裂となる。そのつもりで諌めようとしたのだが、サヤは苦笑いを浮かべたまま「えぇ~~~っとね………?」と不器用なりに会話に入ってくる。

「ドア、少しだけ空いててね? 一階の声、全部聞こえてたよ?」

「「………」」

 ウィセとナッツは同時に渋面になる。

 いくら扉が空いてたとしても、一階でしていた話の内容全部を聞き取るとか、どれだけ耳が良いのだろう? ≪聞き耳≫スキルを取得したらしい事を知っているウィセでさえ、呆れてしまうほどだ。

(ですけど………、それならどうして身体拭いてるんですか? 私が上がってくる事にも気付いて準備しておきなさいよ)

 どんなスキルを持っていても、サヤは結局のところでサヤなのだと言う事を知り、ウィセは溜息を吐くばかりだ。

 だが、聞いていたと言うなら不安も浮かぶ。自分達が言い争いをしていた事もそうだが、サヤの意見と言うのも気になるところだ。サヤの性格から考えると、ルナゼスの仲間と言うだけで、アイリオンを助けようなどと言い出しかねない。気になったウィセは、軽く尋ねてみると、サヤはとても困った様な苦笑いを浮かべたまま気の無い笑い声を漏らした。

「あはは………っ、正直、解んない………」

 視線を逸らす様に俯き、笑おうとして失敗したような表情で続ける。

「なんでナッスーは、ボスを助けようと出来るのかなぁ? あれってNPCだし、どんなに高性能でも、やっぱ人間じゃないんだよ………? 高性能AIを持ったMobだっていたし、それだって僕達は倒してきたよね? それに、ナッスーはボスの事をデータだって解ってるのに助けようとしてるみたいだったし、………ちょっと、僕には解んない」

 既に頭が追い付かず、ルナゼスの考えを理解できないと、遠回しながらサヤははっきり告げる。

 その言葉が意外でありながらも、安心したウィセは少しだけ気を緩める。

「なら、アナタもボス攻略に賛成を―――」

「でも、解らないからって頭ごなしに否定したらいけないとも思ってる。“解らない”って、“知らない”だけで、解らない事が悪い事ってわけじゃないだろうし………?」

「あ………」

 ウィセは言葉に詰まってしまう。

 言われてみれば、自分にだって解っていない事は山ほどあるはずだ。なのに、その解らない事を解らないからと言って、全てを否定するのは自分にとっても嫌いな考え方だったはずだ。それなのに、あんな風に激情を露わにしてしまうなど………。

 自分は本当に頭に血が上っていたらしい。反省したウィセは、純粋なサヤに視線を合わせられず、背中を見せてしまう。

「どうやら私達は、アナタに見苦しいところを見せて―――いえ、聞かせてしまった様ですね………」

 きっと上手くいかない日常ばかりで、自分も相当なストレスを溜め込んでしまっていたらしい。それを理解して、申し訳ない気持ちが胸中を巡る。

(全てを操れる段階でもないのに、全てを自分の思い通りに動かそうとした結果がこれ。―――っと言う事なのでしょうね………。相手が思い通りに動かぬと言うのなら、いっそ好きに泳がせるのも手だと言うのに………)

 自分もまだ未熟だと自覚し、肩を落とす。

 人との触れ合いに対し反省したのは生まれてこの方初めてかもしれない。それだけ個性の強い連中に囲まれ、自分も調子を狂わされているらしい。ウィセはこれからは適度に手を抜く事を覚えた方が良さそうだと判断し、苦笑を浮かべた。―――と、

 突然、背中の服を引っ張られ少し体が揺れた。何かと思い肩越しに振り返ると、深く俯いたサヤが、片手で服を引っ張っていた。

「そんな事ないよ………」

 小さく呟きながら、震える様な声でサヤは言う。

「一度も喧嘩しない人同士が友達なんかになれるわけない。自分の考えを持った人がこんなに集まってるのに、一度も喧嘩しないで仲良くやってたら、そんな人の方が僕は怖い………。だから、喧嘩してたって良いよ………」

 「でも………」とサヤは続け、泣いている様な声で、心底悔しそうに一言を漏らす。

「“私”も、そこに居たかった………」

 その言葉に、如何な真意が隠されていたのか、それは誰にも解らなかった。言葉通りに受け止めるにしては、あまりにも沢山の感情の籠った一言。背中越しに伝えられた少女は、それに対し、どう返して良いのか解らなかった。

「………ナッツ」

「ん………?」

 不意に呼びかけられたナッツは、視線を向けて、心の中だけで驚いた。

「私、今どんな顔してますか………?」

 尋ねてくるウィセの表情は、ほんのり頬を赤く染めつつも、とても表現し難い物に直面したような難しい顔をしていた。頬が赤く、瞳も潤んでいるが、照れているとか恥ずかしがっているとか、そう言う類の物とも思えない。本当に、ウィセは自分の胸の内に湧き上がった感情を理解できず、困っている様子だった。

「………。“難しい”って顔してんぜ」

 そうとしか答えられなかったナッツは、素直にそれだけを伝える事にした。

 聞いたウィセの方は、答えを聞いても何も解らなかったらしく、ただ戸惑うばかりだ。

(こんな感情………、私には解りません………)

 

 

 

 8 迷走(コンフィージョン)

 

 

 

 第一層はアインクラッドで一番の広さを持つ。転移門を使い、その最果ての街にまで飛べば、プレイヤーと出会う事はまずない。おまけに夜のフィールドギリギリ手前の平原となると、近づこうと言う者さえいない始末だ。おかげで一人になりたい時は都合が良い。

 ウィセと喧嘩して剣を抜いてしまった俺、ルナゼスは、こんな場所まで来て落ち込む事しかできない。情けないと解ってはいるが、それ以外にできる事がない。

 ウィセの言う通り、アイリオンを倒さなければSAO脱出なんて夢もまた夢だ。彼女がボスとして俺達の前に立ちはだかると言うのなら、俺達が立ち向かうのはプレイヤーとして当然の事だ。だから、アイツと戦う事自体は決して間違いなんかじゃないんだ。

 でも、それはアイリを殺すって事だ。そんな事が俺に出来るのか? 嫌だ。そんな事、出来るわけがない。きっと何か方法があるはずだ。アイリを殺すことなく、フロアボスを攻略し、11層に行く術が、きっと何処かにあるはずだ。

 じゃあ、それは何処にあるんだ? 何処を探せばその方法が見つかると言うんだ?

「くっそ………!」

 俺は歯噛みしながら自分の右手を見る。

 現実世界なら、俺には“彼女”が残してくれた力が使える。コイツで接続すれば、大抵の事は上手く行った。何でも出来た。大切な奴等を守る事が出来た。でも、ここでは………、このSAOでは、“特殊能力”なんて使う事は出来ない。精々、能力を使う過程で得た演算能力と過程短縮を応用して、ソードスキルの運動をちょいと弄ってやれる程度だ。その力も、今は何の役にも立てない。

 この世界が所詮はデータだと言うのなら、そのデータを弄れば、どんな事だってできるに違いない。けど、この世界に囚われた俺達は、この世界の仕組みを知っていても、この世界に干渉する事は出来ない。この世界で決められたルールに従い、決められた結果を受け入れる事しかできないんだ。例え自分達の乗っているレールの先、枝分かれする全てを拒もうと、拒み切る事は出来ず、いつしか限られた選択肢を強制的に選ばされる。

「そんな事が………っ、許されるかっ!」

 拳を握り、俺は自分の思考を自分で否定した。

 アイリが殺される必要なんて無い。確かにアイツは沢山の悪い事をしたかもしれない。でも、それを償うことだってできるはずだ。その機会を一度も与えないなんて、それこそあんまりだ。例え世界の全てが敵になったとしても、俺がアイリの味方になり続ける。そのくらいの覚悟はある。

 だけど、その覚悟も、握った拳も、何の役にも立たないと、俺は知っている。

 よくよく考えてみろ? 冷静な部分の俺がそう語りかける。

 これは現実と変わらないじゃないか? 現実にだって受け入れ難い事はあった。だけど、その全てを覆す事が出来たのか? 出来なかったはずだ。もし出来ていたなら、俺はあのクリスマスに、“彼女”を死なせずにすんだのだから。

 “彼女”を引き合いに出されると痛いな………。

 俺は俺自身に諭され、悔しい思いをかみ殺す。

 SAOは現実と変わらない。ただ現象や法則が、俺達の知っている現実世界とは違うと言うだけだ。こればっかりは受け入れるしかない。

 

 だからどうした?

 

 それでも俺は、アイリを殺すなんて選択肢は選べない。選びたくない。選べるはずがない!

 俺はアイリを見捨てない。例えギルドを抜ける事になろうとも、俺はアイリを見捨てたりなんかするもんか!

「ああそうさ………、誰もがアイリの敵になると言うのなら、神すらアイリを救わないと言うのなら………、俺が―――!」

 出来るのか? 本当にやるのか?

 冷静な俺が迷いを口にする。

 それを実行するのは簡単だ。お前にとって行動とは、それほど困難な物ではない。だけど、行動する事が、どんな意味を持つのか解っているのか? 解った上で、お前はその選択肢を選ぶのか?

「うるさいっ!」

 じゃあっ! どうすればいいって言うんだよっ! 俺以外は皆アイリを殺すって言ってるんだぞ! だったら、俺しかいないじゃないか! アイリの味方をしてやれるのは………、俺しかいないじゃないかっ!!

「俺が………、俺だけがアイリの味方になってやれる………。だから………っ!」

 それしかないんだ。アイリを助ける方法はそれしかないんだ。

 でも………、本当に………、それで………?

「随分思いつめてるみたいだな? 頭の冷却には失敗したのか?」

 突然正面から声を掛けられた。

 こんなに近づかれていたのに気付けなかった。俺は本当に思い悩んでいたようだ。

 果たして俺の目の前に居たのは―――、灰色がかかった髪に緩い目つき、武士みたいな恰好をしたカタナ使いの男。確か名前を………、

「アレン………」

「随分考え込んでいたようだけど、選んだ結果はボスの味方って事で良いのか?」

「ボスじゃない………。アイリは俺の仲間だ!」

 俺がはっきりと否定すると、アレンはしばらく俺を見つめ、徐に溜息を吐いた。

「………ったく、頭冷やすつもりで一人で考え込むからそうなんだよ」

 頭をガリガリと掻き毟った後、彼は腰を落とし刀に手を掛けた。

「構えな………、焼きいれてやるよ………」

「!?」

 何を………っ、言ってるんだコイツ………ッ!?

「ここは圏外ギリギリのラインだぞ? 戦闘中に圏外に出るとも限らない………!」

「そんな事が不安か? それならこうしてやるよ」

 アレンが右手を振り、メニューを操作すると、俺の眼前にデュエルを申し込まれた事を示すメッセージウィンドウが出現した。ただし、ルールは≪完全決着モード≫だ。

「なッ!?」

「逃げるなよ?」

 俺が何か抗議するより早く、アレンは鋭く言い放った。

「これからプレイヤーの全てを敵に回そうって奴が、この程度の勝負に逃げたりなんかすんなよ?」

「………ッ!」

 これは誘いだ。断れない誘いだ。

 もし断れば、結局俺にはアイリのために世界を敵に回したりなんかできないと言ってしまうのと同じ事になってしまう。そうなれば、俺は戦う前から負けを認めた様なものだ。

 受けるしかない。例え≪完全決着モード≫であったとしても、俺の覚悟を示す為にはそうするしかない。

 目の前の男を………、殺すかもしれない覚悟を………ッ!

 迷いはある。戸惑いもある。

 それでも俺は、俺は………ッ!

 意を決した俺は、震える手で承諾をタップする。

 ギルドの仲間達相手には何度も見た≪デュエル≫開始の秒読み。長い長いと思っていたこの秒読みも、今は短いとさえ感じる。腰を落としてカタナを収めたまま構えるアレンに対し、俺は背中の剣に手を伸ばし、抜く。初撃を≪レイジ・スパイク≫の≪マズルフラッシュ≫と決め、構えを取った時には、既に開始のブザーが鳴っていた。

 常時より、一拍遅れて飛び出す。だが、そんなの関係無い。いくら出だしが遅かろうとも、俺の神速のソードスキルは、ウィセから≪マズルフラッシュ≫“銃が弾丸を撃つ時に放つ一瞬の光”と称されたほどの速度だ。まず初見で躱す事も対処する事も出来はしない。

 絶対の自信を持って振り上げた剣は、刃にエフェクトライトを纏わせ、放たれる刹那を待つ。地を蹴ってアレンとの距離を詰める中、スローモーションに映る視界の中で、アレンは微動だにしない。俺の事を視界に捉えていながら動こうとしない。突撃系のソードスキルに対し後手を取る? その事に疑問を抱きながらも、距離を詰め、攻撃を放つタイミングをギリギリまで待つ。

 俺の待てるギリギリのタイミングで、アレンの姿勢が前傾姿勢に変わった。カウンターを放つため踏み出そうとしているのだと解る。アレンが俺に対し有利な点があるとしたら、それはリーチの差だ。俺が剣を抜き、ソードスキルで飛び出したのに対し、アレンはカタナを鞘に収めたままだ。そうする事でカタナのリーチを俺に計らせず、自分の有利な距離に持ち込もうとしているのだろう。

 だけどな、俺の剣はお前が抜いて、俺に届くより早く、お前を切り裂ける。≪一撃決着モード≫じゃないのだから、ソードスキルでも何でもない一撃くらい食らってやる覚悟で踏み出せば良い。こっちの一撃は、当たればそれこそ全損の危機感を与える程の一撃なんだからな!

 アレンが踏み出す瞬間を狙い、俺は刃を振り降ろした。俺に向かって踏み出したアレンは、敢え無く俺の一撃で一刀両断されて―――、

「ッ!?」

 ―――されていないッ!? って言うか届いていないっ!?

 俺の神速のソードスキルは、前傾姿勢のアレンの眼前を切り裂いただけで、彼自身には切っ先一つ届いていない。

 なんだっ!? どうした!? どうして俺は空ぶった!? アレンは踏み出すふりをして踏み出していなかったのか!? いや、それでも俺の剣のリーチなら、腕一本くらいは切り落とせていたはずだ! なんで完全に空ぶっているんだっ!?

 混乱しながらも、視線を彷徨わせ、アレンの足元を見て気付いた。アレンの足元前方の土に、何かを引きずったような跡が出来てる。アレンは前傾姿勢で飛び出すふりをして、そのまま下がったんだ。俺の剣が放たれるタイミングを狙い後ろに下がった。たったそれだけの事で、俺の一撃は躱されてしまった。

「恐ろしく速いな。だけど対処できない技じゃない」

 瞬間鯉口を切って刃が閃いた。だが見えない。確かに刃は俺の身体を横一文字に斬り、二度、切り裂いていた。俺のHPが一気に減少し、おまけに腹を蹴飛ばされ、地面を転がる羽目にまでなったと言うのに、俺はアレンの刃を見る事が出来なかった。奴が蹴りを放つ頃には既に刃は刀室に納められ、本当に抜いたのかさえ疑いたくなってしまう。

「このカタナスキルって言うのを手に入れてから、試してみたくなったんだが? 意外と出来るもんだよな? 居合。やっぱ身体を使うゲームだけあって、攻撃力とか無視すれば、ある程度の技術反映を出来るらしい」

 なんだそれっ!? 俺も人の事言えないが、リアルのステータスがゲームに役立つとかどんな主人公補正だよ!

 けど、まだだ。まだ決着がついたわけじゃない。今の攻撃だって速いだけでダメージとしてはまだまだ。逆転ならいくらでもできる。弾みを付けて立ち上がった俺は、もう一度剣を構え直す。

 さっきの攻撃を躱せなかったのは、俺が≪マズルフラッシュ≫使用後のペナルティー、硬直時間の延長があったからだ。硬直さえなければアイツの居合も躱せる。確かに見えなかったが、来るのは解った。それに、なんとなくだが単純に速いわけでもないようだ。アレは“速く見せている”だけだ。時代劇の映画撮影とかで、役者がやるのと同じ、ある種の目の錯覚だ。まあ、実際こうやって実戦に活かされてしまう以上、舐めれる技術ではないんだろうけどな………。

「は………っ!」

 それでも、対処できると解っていて怖気づく必要はねえ!

 もう一度飛び出し、今度は普通に剣を袈裟掛けに斬り降ろす。また退がって躱されるが、今度は硬直がないので瞬時に剣の軌道を変えて斬り返せる。アレンは後ろに、斜めに回避し、俺の隙を窺っている。どうやらこいつのスタイルは一撃必殺の様だが、SAOに於いてそのスタイルは致命的だぜ。SAOには単発のソードスキルは殆ど強くない。もちろん、スキルレベルが上がれば別かもしれんが、それでもこいつの攻撃はソードスキルが使われていない。つまり、一発逆転できる程の攻撃力を、コイツ自身が持っていないって事だ。なら、俺も≪マズルフラッシュ≫って言うイレギュラーな技を封印し、SAOらしく連続攻撃に集中し相手に攻撃する隙を与えなければいいだけだ。何より、アレンの居合と言うスタイルには致命的な弱点がある。その弱点と言うのが攻撃を受け止められないと言う事だ。居合は刃を鞘に納め、力を溜めて解き放つ技だ。防御のために鞘から抜き放てば二の太刀は撃てない。鞘に納めたまま受ける手もあるが、そんな体勢から居合は撃てない。どの道、俺が有利な事に変わりは無い。

 そう思っていた矢先、アレンが脚を止め、刀室から刃を抜き、俺の一撃を弾き返した。そのまま両手でカタナを握ると、ズンッ、と重い踏み込みで超接近してくる。咄嗟に振り降ろした刃をいなされ、勢いのまま柄頭を俺の喉元に突き込んできた。

「うぶぅ………っ!?」

 現実世界で言うところの、喉を潰された痛みと苦しみは無かったものの、不快な衝撃が喉を貫く。同時に減少するHPから察するに、打撃として見なされた様だ。

「僕が居合だけの男にでも見えたの? 生憎、アインクラッドではこっちが主流だよ」

 連続で放たれる剣撃。対応して俺も剣を弾き合わせるが、どうしても押され気味になってしまう。

 コイツ、俺以上に連続攻撃に慣れていやがる………っ!?

 今更失念していた事に気付いた。俺はつい最近までギルド内でもボス戦参加を拒否られるほどにレベルの低いプレイヤーだった。今でこそボス戦を認めてもらっているが、それでも仲間と協力して戦ってきた。正直、本物の強者とサシでやった経験は薄い。経験の差。そんな物がここに来て致命的に現れるとは思わなかった。

 それでも、俺だって現実で命を掛け戦いをしてきた。戦闘経験の差なら劣ってはいないはずだ。そう思っていた。だけど、それは本当に俺だけが持つアドバンテージだったのか? 目の前の男も、それなりに喧嘩慣れしていたんじゃないのか?

 その疑問の答えはすぐに証明された。

 横薙ぎに振るわれた刃をしゃがんで躱し、二の太刀が来る前に後ろに下がろうとした時だ。

 

 グンッ!

 

「!?」

 素早く踏み出したアレンの足が、俺の足を踏みつけ、地面に縫い止める様に捕縛する。

 動けなくなった俺の顎に、柄頭がかち上げてくる。足を放され数歩下がると、今度はソードスキルが飛んできた。地面を転がり回避する≪ローリング≫を使って躱す。だが、俺が圧倒的に追い詰められている事は解った。このままじゃ防戦一方じゃないか!? どうすればいい!?

「アンタさ、ボス戦の時も思ったけど、ちゃんと考えてるのか?」

「何が………っ!?」

 攻撃に曝されながらアレンに話しかけられ、俺は気が散りながらも必死にしのぐ。

「“誰かを守らなきゃ”、“誰かを助けなきゃ”、その気持ちは解る。でも、アンタが守ってるモノは、本当に守るべきモノなのか?」

「お前も、アイリを殺せって言うのかよっ!?」

「それがアンタにとって正しいならな!」

 ソードスキルを正面から受け止め、大きく後退されながらも、俺は根性で踏ん張り、切っ先をアレンへと向ける。

「正しいわけないだろうっ!? アイリを殺して、無事にここから出たとして! そんなのが正しいわけないだろう!?」

「じゃあ、お前の守ってるモノは、一体どれだけ大そうなもんなんだよ?」

 互いの剣がぶつかり合いながら、押され気味の俺は必死に自分の思いを込めて剣を叩き降ろす。

「アイリは俺の仲間だ! 仲間を見捨てたりなんてしない! 誰もアイリの味方にならないなら………俺がアイリの味方になってやるっ!!」

「じゃあ、アンタにとって………、ギルドメンバーは“仲間”じゃなかったのか?」

「!? それは………っ!?」

 刃が打ち合わされ、鍔迫り合いになる。

 次の言葉を探しながら戦う難しさに苦心しながらも、俺は必死に頭と体を働かせる。

 負けたくない。負けたら大切な仲間を失う事になる。剣でも言葉でも、俺は負けたくない。

「アンタが仲間を大切にするって言うなら、ギルメンの事を見捨てようととかしてんじゃねえよ………!」

 負けたくないのに………っ! コイツの言葉は一々俺の胸に突き刺さってくる。俺の心に引っかかっている棘を正確に見つけ、刺激してくる。

「仕方ないだろ………! 仕方ないだろっ!? 俺だって! 全部を助けたいよっ! 全部救える方法を考えてるんだよ! 今だって本当は諦めたりなんてしてるもんかっ!? でも、それでも、どっちかしか道がないんだよ!? どんなに時間があっても、誰も待ってくれないんだ!? だったら………! だったら俺は―――!?」

 せめて………、二度と“彼女”を一人ぼっちにしないよう………俺が傍に………っ!

「そんなに仲間が大切なら………っ!」

 飛び退き、カタナを刀室に納めるアレン。構わず俺は前に出て、≪ホリゾンタル・スクエア≫を放つ。

 左右からの斬撃をステップで回避される。

 正面から斬ると同時に相手の側面に身体を回転させつつ入り込む。

 正面からの一撃も見事に避けやがったが、今度は側面に入ってのラスト。躱せるタイミングじゃない。俺の渾身の一撃がソードスキルに乗って放たれる。

 

 パチンッ!

 

 鍔鳴りの音が小さく響く。

「間違った事してる仲間を、正そうとか考えないのかよッッ!?」

「!?」

 抜き放たれた刃。神速の閃きを持つ居合。

 通常攻撃とソードスキルなら、システム上、よっぽどステータス差がない限り、ソードスキルが打ち勝つ。だから、俺の一撃も勝てるはずだった。正面からぶつかっていたなら………。

 

 ガチンッ!!

 

 刹那、アレンの刃は、俺の剣の柄と鍔の間を見事に捉え、攻撃の軌道を押さえ込んだ。これにより、システムはソードスキルのモーション失敗と見なし、キャンセルされた。硬直状態に入った俺は、無防備になった懐に思いっきり体当たりを食らって転がる。

 転がる勢いを利用し起き上る俺に対し、アレンはカタナを両手でしっかり構え直し、ソードスキルを放ってくる。俺は………。

 

 パパッ!

 

 ギャイィィンッ!!

 

「………!?」

 フラッシュが瞬き、アレンの刀が宙を飛ぶ。ゆっくりと回転した刀は、重力に従って落下し、地面に突き刺さった。

 ≪マズルフラッシュ≫の≪スラント≫を放った姿勢からゆっくり持ち直した俺は、しばらくの間を持ってから、背中越しのアレンへと言う。

「感謝するよ………。おかげで二年越しの問題に決着がつきそうだ………」

「………そこまで深く踏み込んだつもりは無かったんだが?」

「ははっ、そうかもな………」

 軽く笑って返した俺は、「リザインだ」と宣言する。それを聞いたシステムが、俺の降伏を認め、俺達の頭上に大きなシステムウインドウが出現、アレンの勝利を知らせた。

 いくら≪完全決着モード≫と言ってもこの程度だ。挑まれて、挑んでしまったとしても、この一言で簡単に脱出する事が出来てしまう。変な意地さえ張る必要がなければ、元々恐れる必要なんて無いわけで………。

「リザインしたって事は………、頭の整理付いたの?」

 アレンの問いはその通りだったが、結構押し負けていた事を思い出して癪に障ったので、別の言い方をする事にした。

「お前は嘘吐きだな? 焼き入れるとか言っておいてガス抜きしに来やがったんじゃねえかよ?」

 後ろでアレンが肩を竦めた様な気がしたが、確認はしない。俺のやるべき事は解った。後は、俺の責任を果たすだけだ。

 

 

 

 9 境界外の説明者(エクスクラメイション)

 

 

 

 第10層フロアボスボス部屋にて、アイリオンは退屈そうに頬杖を付いていた。他のボスと違い、多くの自由な権限を持つアイリオンだが、フロアボスとしての役割は、何よりも重要視される。さすがの彼女も、優先順位には逆らう事が出来ない。今はボスの格好を脱ぎ捨て、普通のレザーコートに身を包んでいるのは、ボスと“アイリ”を分けているからだ。彼女にはそうする必要がある。

「暇ねぇ~~………。このフロアを開門された以上、いつ挑戦者が来ても良いように待機しとかないといけないとは言え、“私みたいなの”にとっては拷問にも等しいわよね~~………?」

 一人ごちって寝返りを無意味に繰り返す。ゴロゴロ、ゴロゴロ、っと繰り返してる内、重大な事に気づいて跳ね起きる。

「しまったっ!? 私、まだ一つだけ仕事こなしてないっ!?」

 アイリオンは、自分に与えられた特別な権限と引き換えに、ある二つの役割を命じられている。その内の一つは既に二人見つけ、どちらもここで待っていれば役目を果たす事が出来そうだ。だが、もう一つ、彼女は命じられている事がある。

「まっ、いっか………。ここで私が頑張ってボスの仕事を全うしてれば、その内“マスター”がなんかしてくるかもだしね?」

 すんなり諦めたアイリオンは、また寝転がろうかと考えた時、その音は聞こえた。

 

 ギギイィ………。

 

「ん?」

 ボス部屋の扉が開かれる音を聞き、アイリオンは訝しんだ。

(誰? アレだけ痛めつけた攻略組がとんぼ返りしてきたとは思えない………? 反応は………一つ? 単身ボス部屋にって、誰よ?)

 単身ボスに挑もうなどとするのは一体何処のいかれたプレイヤーか? 怪訝に思いながらも警戒心を持って待ちかまえる。果たして現れたのは、戦乙女の青い甲冑を纏った、蛍火の様に淡い輝きを燈す銀髪の少女。その背には太く長い≪両手剣≫を携え、悠然とした足取りで歩み寄ってくる。その姿は正に聖女と称するに相応しい様相、風格。何より恐ろしいのは、AIプログラムでしかないアイリオンにさえ“ただ者ではない”と思わせる、独特の“気配”。それら全てが『聖女』を象徴するためであるかのように、彼女の存在は強く際立たせていた。

 彼女がプレイヤーだとして、聖女と例えるなら、フロアボスであり、彼女の敵であるアイリオンは、さしずめ魔女と言ったところか。そんな想像をしてしまい、女として負けた気分になり、一人苛立つアイリオン。

 『聖女』は、SAOと言う枠組みに居る存在でありながら、たった一人でアイリオンと相対できてしまいそうな、そんな不思議な気配さえ感じ取らせる。

(いや、待て………?)

 ある事に気付いたアイリオンは、スッと目を細め、彼女の装備品に目を向ける。データを検索したところ、アレらの武装は、60層クラスの超レアアイテムだと知れた。こんな下層では逆立ちしたって手に入らない。よしんば、何かのバグで手に入れたとして、アイテムがレア過ぎ、必要ステータスにレベルが追いつかず、装備など出来ようはずがない。

「何者………アンタ?」

 自分と同じ存在かと一瞬逡巡したが、そんな筈は無いとすぐに切り捨てる。

 鋭い声で質問を投げかけると、彼女はその圧倒的な存在感とは裏腹に、少し強張った表情で背にした剣を抜き、構えた。

「―――システムコンソールID≪ザ・ミューズデット・アイリオン≫!!」

 即決で最大の力を発揮したアイリオンは、すぐさま露出度の高い人魚を思わせる鎧を纏い、続いてボススキル≪嘆き≫の叫び声を発し、『聖女』の全ステータスをダウンさせる。

「う………っ!」

 僅かに苦悶の表情を作った『聖女』を、『魔女』は容赦なく閃光となって襲い掛かる。

 

 バシンッ!!

 

「きゃあっ!」

 今までと同じく、閃光に轢かれた『聖女』が宙を舞い、そのHPを減らす事になった。だが、彼女は空中で身を捻り、鮮やかに地面へと着地して見せた。

(重い………っ!?)

 まるで重量級タンクを五人相手にしたのではないかと言う手応えに、アイリオンは戦慄した。この『聖女』、もしかすると本気で、単独でボス攻略が出来るのではないか? そんな不安さえ抱かせる。

 閃光となった『魔女』は、ボス部屋内を縦横無尽に奔り、再び『聖女』へと突撃する。

 『聖女』はその攻撃に合わせ、絶妙なタイミングのソードスキルを放ち、見事アイリオンと攻撃を相殺させた。

「!?」

 違和感。

 アイリオンのセンサーが、接触時に違和感を捉えた。この違和感は既に二度経験し、それらが自分の目的の一つであった事は確認している。

(まさか………“三人目”?)

 疑心を抱いたアイリオンは、違和感を感じ取った今だけ使える『反則(イリーガル)』を使用する事を即決した。

「システムコンソールID………≪mhcp000≫!! ≪オブジェクトイレイサー≫をジェネレート!!」

 アイリオンの言葉にシステムが応え、要求された炎を纏う巨大な剣が出現、彼女の手へと収まる。

「えっ!? ちょっとそれは………っ!?」

 風格に見合わない、慌てた表情を取りながら、『聖女』は的確に左手を翳す。

「でえぇぇぇ~~~~~~いっ!!!」

 何かされる前にと『魔女』は炎の魔剣を振り降ろす。まるで『聖女』を魔女狩りの炎で焼き、同じ『魔女』へと貶めようとするかのように。

 剣が彼女の左手に激突し、刃が止まる。『聖女』は苦悶の表情を浮かべながら、ポリゴン片へと分解されていく己の左手を見る。

「さすがに、これは無理だよね………。仕方ない………!」

 意を決した『聖女』は、左手の籠手が完全にポリゴンとなると同時に力ある言葉を口にする。

「『境界交差(クロスオーバー)』:≪固有世界創造(ワールドクリエティブ)≫!!」

 刹那、彼女の左腕の籠手が復活し、その籠手から発せられた光の障壁に阻まれ、炎の魔剣は弾き返されてしまった。

「な………っ!? ありえない………っ!?」

 さすがの『魔女』も、これには驚愕せざろ終えない。今の魔剣は、このSAOに相応しくないバグが発生した時、それを削除するために作られた物。≪武装≫というカテゴライズに収まる物ではなく、完全な≪プログラム≫と言っていい代物だ。それを跳ね返すなど、SAOの根幹を揺るがしかねない存在だ。

「あ~~~………」

 だと言うのに、それをやってのけた本人は、やってはいけない事をやらかしてしまった反則プレイヤーが如く、罪悪感に満ちた微妙な表情をしていた。

「………“アンタら”って、皆そう言うでたらめな奴らなわけ?」

 ある確信を持って『魔女』は質問した。

「い、いえいえ! 出来ちゃったりする人もいると言うだけです………っ! 私が特別なだけですから………っ!」

 『聖女』の謙遜なのか自慢なのか解らないフォローを聞き流し、『魔女』は確信に迫る事にした。どうやら、この『聖女』は戦う気もなければ、黙秘するつもりもない様だ。

「っで? 何しに来たの? 『転生者』」

「わあ~~~………、そういう言い方されるの、最近は懐かしいですね~~?」

 困ったような表情で『聖女』は『魔女』の言葉を肯定した。

「私は≪ツグミ≫と言います。ここに来た理由は、アナタがなんなのか確かめたかったからです」

「私は、“アンタら”がなんなのか確かめたくなったけどね………?」

 皮肉を言うと、『聖女』はすぐに申し訳なさそうに小さくなる。風格に見合わない少女らしさが、逆に悲劇を辿る『聖女』らしさが出ているようで、何処か痛ましい。

 『魔女』と『聖女』は互いに視線を交わし、二人っきりの説明会を始める。

「まずは一つ、謝らせて下さい。私の様な者が、アナタと戦った事、分不相応にも過ぎた行いでした」

「それ皮肉?」

「いいえ本心です。この世界の行く末は、この世界に生きづく者がすべきこと。私みたいに、“外側に外れた力”を振りまわす様な者が出しゃばって良いモノではありません」

「………知らんけど? さっきのプログラムをレジストした力の事言ってんの?」

「あ、アレは、更に反則を通り越した禁じ手だったんですけど………!」

 またもや申し訳なさそうに慌てる『聖女』こと≪ツグミ≫。

 良く解らないが、この少女に対しては対等な立場として扱った方が良さそうだと判断した。

「まあいいわ。それより聞きたいのはアンタがここに来た目的よ」

 尋ねつつメニュー画面を呼び出し、幾つか操作し、テラスにでも置いてありそうな机と椅子をオブジェクト化する。ついでにティーセットも取り出し、さり気無くカップを持ち上げる動作でツグミを相席に誘う。

 ツグミはニッコリと微笑み、「ありがとうございます」とお辞儀してから椅子に座り、武装の全てをストレージに収め、居住まいを正してから答える。

「はい、私の目的は、アナタが『食い荒らす存在(プレデター)』ではないかを確かめるためでした」

「なにそれ?」

「一から説明すると長くなるんですが………?」

「適当に要訳」

「は、はい………」

 苦笑いを浮かべつつ、コホンッ、と咳き込んでから気を取り直す。

「二次創作ってご存知ですか?」

「知ってる。エロイ奴」

「大きな誤解を抱いてますよっ!?」

「冗談よ」

「もう………っ! ええっと、簡単に説明しますと、この世界を二次創作に例えた時、この世界には『原作』が存在する事になります。二次創作に於いて、この原作を酷く逸脱する行為………『原作レイプ』や『原作ブレイク』っと言った行い。それらを誘発し、最後には世界観さえ崩壊させてしまう様な存在を、私達は便宜上『食い荒らす存在(プレデター)』と呼んでいるんです。………まあ、何処かの“黒猫”さんは『根底破壊者(デストラクター)』なんて呼んでいらっしゃいましたが………」

「え? 何それ? 呼び方違うの?」

「そこに食いつかれますか………!? ええまあ、私達『無限転生者(リピーター)』の間だけで共通するようにと、私達が考えてつけた名前ですから………」

「何それ? そのネーミングセンスはアンタのって事? うわ………」

「ちょっと引かないでくださいよっ!? 全部を全部私がネーミングしたわけじゃありません!! た、確かに『異端存在(イレギュラー)』や『転生者(ラストオーダー)』、『派生存在(エラー)』などと言った、転生者の細かい区別に名前を付けたのは私ですけど………」

「いくつ専門用語ブッ込んでのよ? 世界観壊しに来たの?」

「そんなことしませんっ! ………まあ、これらの事を理解していただく必要はありません。この世界の流れに於いては、まったく関係の無い知識です。これは私達『無限転生者(リピーター)』だけが知っていればいい事です」

「無駄話しに来たわけ?」

「さっきから、言葉の棘が酷くありませんか!? 私だって普通に傷ついてるんですよっ!?」

「解ったから話進めなさいよ?」

「うぅ………っ、………。私は、アナタがこの世界の世界観を破壊するための存在なのかどうかを確かめに来ました。もし、アナタが『食い荒らす存在(プレデター)』だったとしたら、この世界の決められた制限を超え、世界その物を破壊しに掛るはずです。それは、この世界で、この世界の住人として運命を決めようとしている人々の邪魔でしかない存在です。文字通り、“あってはならない存在”なんです」

「そっ。つまりアンタは、私がそんな魔王みたいな存在だった時に現れる………文字通りの『聖女』様ってわけ?」

「私は『無限転生者(リピーター)』とは言え、他の転生者と変わらないのですが………、まあ、そんなつもりでいたと言う意味ではその通りです」

「あらそ? じゃあどうすんの? 私を倒してヒロインにでもなる?」

「しません。アナタは『派生存在(エラー)』っと言うだけで、この世界に存在するモノです。世界観を逸脱できる程の存在ではないし、むしろその世界によって作られただけの存在です。私の様な存在が『境界交差(クロスオーバー)』まで使ってどうこうして良い存在ではありません」

「その専門用語疲れるんだけど………?」

「憶えなくて良いです。癖になってるのでついつい使ってしまっていますが、アナタ達には関係ありませんから」

「ああ、知ってるわ? 厨二病と言う奴ね?」

 

 バンッ!

 

「それは“黒猫”さんにだけ使ってくださいっ!!」

「誰よそいつ?」

 机を叩いて立ち上がる程抗議してしまったツグミは、すぐに自分の行動に気付いて座り直す。カップを取って、一口飲んでから仕切り直した。

「失礼しました。ともかく、アナタはそう言う異常な存在ではない以上、私はアナタに手出しはしないし、もう二度と目の前に現れる事は無いと思います。今の内に聞いておきたい事はありますか?」

「なら、せっかくだし聞いておきたいんだけど? アンタら『転生者』って、さっきみたいな凄い力持ってるような連中ばっかなわけ?」

「いる者といない者がいます。転生者には、私が知っているだけでも大きく分けて三つ、『無限転生者(リピーター)』『異端存在(イレギュラー)』『転生者(ラストオーダー)』です。私はこの中の『無限転生者(リピーター)』に属しています。『無限転生者(リピーター)』はその世界で体験した物を次の転生先に持ち込む事が出来るんです。ただし、肉体の性能は転生の過程上リセットされます。だから、基本的には、その世界の平均より少し上くらいしか強くなれませんね」

「“アレ”をやった奴が平均だと?」

 ≪オブジェクトイレイサー≫を弾き返した事を思い出しながら尋ねる。予想していたのか、今度は冷静に返答が返ってきた。

「“アレ”は私達『無限転生者(リピーター)』が“使命”に辿り着くための過程で得た特別な力です。本来は同じ転生者にしか使いません。この力についても知らなくて結構です。この世界には関係ないですから」

「他は?」

「『異端存在(イレギュラー)』は高確率で凄まじい力を持っていますよ? それこそ世界観を破壊したりする程。けれど、『異端存在(イレギュラー)』に属する存在は哀れな人達ですけどね………。彼等は本当の意味で転生者ではありませんから」

「どう言う意味よ?」

「これも関係無い事なので詳しくは省きますが………、『異端存在(イレギュラー)』は転生モノ二次創作主人公の魅せ場を作るための存在なんですよ。つまり、ていの良いやられ役です。そのための圧倒的な力と………、ありえないはずの仁徳、御都合主義、異様なほどに人に好かれ、逆に優しいはずの人を『アンチ』と言う最低な人間へと変える。転生者達の試練であり、見せるための捨て石であり、そして世界的には傍迷惑な存在。何より酷いのが、彼等は自分達を『異端存在(イレギュラー)』だと自覚していません。作られた“設定”でしかない存在だとは思わず、本物の“転生者”だと思い込んでるんですよ………」

(………全然省いてないじゃん? 『異端存在(イレギュラー)』って言うのに恨みでもあんのかコイツ?)

 暗い表情で、意外に詳しく説明されたが、気を取り直してもう一つの説明を求める。

「っで? 『転生者(ラストオーダー)』って言うのは? なんかネーミングがパチもんっぽいけど?」

「便宜上つけた名前が定着してしまった事は認めますけど………。『転生者(ラストオーダー)』は私達と同じ、肉体をリセットされた転生者です。『チート』的な能力を得たとしても、転生した世界ではまったく使えなかったり、意味がなかったりする不運な人達でもありますかね? 普通に転生しただけですから、才能や素質は運次第ですけど、比較的私達より恵まれた存在ではありますね。『無限転生者(リピーター)』との違いは、死んだらもう二度と転生できないという点と、絶対に世界観を超える力は手に入れられないと言う事ですかね?」

「一応聞くけど、アンタ以外に世界観ブッチするような奴は、このSAOに居るわけ?」

「私も全てを見たわけではないので確約はしかねますが………、いないんじゃないですかね? 私、≪サヤ≫を探して色んなプレイヤーを影から見て周っていましたけど、そんな感じの人はいませんでしたし?」

 聞き覚えのある名前が出てきたが、興味がなかったのと、余計な説明を求めるのが面倒になりスルーした。

「アンタ以外の転生者とかあと何人いるわけ?」

「それは私より、アナタが御存じなのではないですか?」

 ツグミはくすりっと微笑みながら、口の中で転がす様に補足する。

「転生者と言う存在が生まれ、二次創作に入り込んだ以上、その時点で既に『原作』ではなくなっている。その煽りを受けて生まれる存在達。すなわち、転生者の煽りを受けて生まれた新たな存在………『派生存在(エラー)』の代表とも言えるアナタは、転生者を探し出し優先的に消し去るプログラムとなった。違いますか?」

 『聖女』の確信めいた質問に『魔女』は肩をすくめてみせる。

「さあ? そんな設定私が知ってるわけないでしょ? 仮にその通りだとしても、私には答えようがないわよ?」

「御尤もでした。そう答えることこそが、アナタがこの世界に生まれた存在である証拠。この世界の外に居る“転生者”の考えとは違いますね」

 『魔女』の返答に、むしろ喜びを見せる『聖女』。そんな彼女に、『魔女』はついでとばかりに付け足す。

「ただ、言わせてもらうなら? 私の優先順位で『転生者殺し』は、最優先事項三つの内、“最低ランク”だけどね?」

「………」

 『魔女』の付け足した言葉に『聖女』驚いた様に目を丸くし、ついで満足そうな微笑みを向けた。

「何よ?」

「いえ………、ちょっと安心したんです。きっとこの世界は、『転生者の物語』と係わる事は無いのでしょうね。私が今日話した内容など、読者にとって退屈な無駄説明に終わる事でしょう。感想欄があったら『この話いらねぇ』とか言われちゃうんでしょうね?」

「この世界を完全に二次創作として見てるわよね? それ?」

「あら? これ、私達『無限転生者(リピーター)』共通の考え方ですよ? 例えオリジナルの世界に飛んだとしても、“世界”その物が『物語』であり、その“世界”に“転生”と言う形で入り込む“私達”の物語は、全て『二次創作』と言えるのですから♪」

「………アンタら“転生者”に『原作』は存在しないってことね」

「はい」

 『魔女』と『聖女』は笑い合い、互いの理解を得る。

「さて、お茶も飲み終えましたし………、そろそろお暇させていただきます」

「あら? いいの? アンタは私の事とか聞かないで?」

「必要ありません。私はこの世界の行く末を幾つか知っています。ですから、アナタに余計な命令コマンドを送り込んだのが、誰と誰であるのか? アナタが転生者以外に探している存在がなんであるのか? そもそもアナタと言う存在は何処から生まれた者なのか? 大体予想できていますから」

「転生者怖ッ」

「くすくすっ、………それに、私は≪サヤ≫がいない時は、何もしないと決めてるんです。『聖女』が一人でがんばった結果は『魔女』になる定めですから………。だからきっと、私達が出会う事はもう二度とないでしょうね?」

「そっ、本当にアンタ、ただ読者のために説明しに来た≪説明者(エクスクラメイション)≫だったわけね?」

 『魔女』は笑って『聖女』を見送った。『聖女』は笑って『魔女』に手を振り別れた。

 とても不思議な一場面。誰にも知られず、生涯語り継がれる事の無い≪説明会≫は、こうして幕を閉じた。

 

 

 

 10 開戦(アウトブレイク)

 

 

 

 ギギィ………ッ、

 

 ボスモードからノーマルモードに移行しようとしていたアイリオンは、再びボス部屋の扉が開かれた事で首を傾げる。

「なに? 忘れ物でも―――!」

 また『聖女』が戻ってきたのかと思い、振り返ったアイリオンは、そこに立つ少年を見て言葉を失った。

「よっ」

 まるで、隣の家の友達に挨拶でもするかの様に、ルナゼスは軽く手を上げた。

「ルナ………!」

 待ち人に出会えたことで喜びを露わにする。衝動にに駆られ、走り出し、勢いのまま抱きつく。

「いらっしゃい! 私の所に来てくれたのね!」

「ああ、お前と話がしたくて来た」

「なあに? どんなお話?」

「他愛のない話だよ。まずは………“元気にしてたか?”」

「ええ、元気にしていたわ! 退屈で死にそうなくらいだったけど、ルナに会えたら一瞬で吹き飛んだわ!」

「なら、来た甲斐があったな」

「もちろんよ! ルナが一生ここに居てくれれば良いのにっ!?」

「それは無理だな………。アイリがボスを止めてくれるなら、きっと叶うんだろうけど?」

「それは無理よ。私にだって逆らえないルールはあるもの」

「ボスを倒さずに11層に行けたりとかしないか? それでもどうにかなりそうなんだが?」

「SAOの根幹的ルールを逸脱してるわよ? フロアボスを倒さずに上に上がれたりなんてしないわ! もし上がれたとしても、それをフロアボスである私が許すと思う?」

「やっぱダメか?」

「ダメよ」

 ルナゼスは冗談を言う様に笑い、アイリオンも冗談を言った様に笑う。

 至近距離で交わされる笑顔は、同じ微笑みのはずで、とても仲睦まじいカップルの様に見えるのに、その瞳の奥には温度差があった。

「アイリ。俺はお前に頼みたい事があるんだ?」

「何かしら?」

「ボスを止められないなら、せめて、俺達に協力してくれないか? プレイヤーの誰も殺さず、お前も傷つけず、このSAOをクリアするために、俺と協力してくれないか?」

「それ無理♪」

 ルナゼスの真摯な懇願に、アイリオンは即答した。

「だって私はフロアボスだし、どうしたってSAOクリアを望む連中とは対立する関係にあるもの。そうでなくても、ルナを誘惑する様な女は全部消しとかないとね♪ あ~あ………、私の権限で無条件削除できれば楽なのに………、それが使える相手は限られているし、乱戦じゃ使用不可になっちゃってるし~~?」

「アイリ………」

「そうだ! 今度ルナが邪魔な女共皆ここに連れて来てよっ!? そしたら私が一人残らず消しちゃうからさ! それで何もかも解決!」

「アイリ………ッ」

「あ~~、でもそれだけじゃ不安だな==、ルナとずっと一緒に居られなくなっちゃうものね~~っ!? 何か別の方法でルナと一緒に居るには~~?」

「アイリッ!」

 悲鳴のような叫び声。それを耳にしても、アイリオンは笑顔を崩さず、可愛らしく首を傾げる。

「なぁに? ルナ?」

 やっと耳を傾けたアイリオンの腰を軽く抱き寄せ、ルナゼスは、今までにない程、真摯な瞳を向けて呟く。

「俺は、アイリの事が好きだ」

「………! うん! うんうんっ!! 私もルナが好きよ!」

 未だ嘗てない程、アイリオンの表情が華やぐ。その言葉を、人生の全てを掛けて待っていたか少女の様に、彼女はしきりに頷く。純粋とも言える笑顔を向けられ、一抹の罪悪感を抱きながら、ルナゼスは告げる。

「でも、お前が俺の大切なモノに傷つけるなら、俺はお前を許さない」

「?」

 ルナゼスの言葉が本気で理解できないと言った風に、首を傾げる赤い少女。彼女は困った様な笑みを向けつつ言う。

「もう、私がルナの大切な物を取るわけないじゃない? ルナは私と一緒に居てくれるだけで良いのよ? 私はルナが居てくれれば、他に何もいらないんだから?」

「でも俺は、お前だけが大切じゃいやだ」

 ピクリッ、と、ルナゼスの首に回していたアイリオンの手が震える。

「どうして?」

 先程とは質の違う笑みを、光の無い瞳で向けられ、胸に僅かな痛みを感じながらも、ルナゼスははっきりと告げていく。

「お前にとっての“好き”は俺だけが居ればいいと言うものかもしれない。でも、俺にとっての“好き”は、お前だけじゃダメなんだ」

「ううん、そんな事ない。私が居れば良い。そしたらルナも幸せになれるよ? だってルナも私の事が好きなんだから?」

「俺には大切な仲間がいる。俺は仲間が大好きだ。だから俺は、俺の好きな奴が、俺の大切な奴等を傷つけるって言うなら戦う。それは、俺がそいつらを好きになった責任だから」

「そんなの知らない。私の大切はルナだけ! どうしてそんな事を言うの? ルナも私の事を好きだって言ってくれたのに?」

「好きだよ。でも、俺は俺の大切なモノを傷つける奴は嫌いだ。だから、お前が俺の仲間を傷つけると言うなら………っ!」

「アイツ等っ!? アイツ等の所為でルナはそんな事を言うのっ!? そうか………? そうだよね………! 私の事を好きだって言ってくれたルナが、こんな事言うはずないもん! ルナは、アイツ等に何か脅されたんでしょ? 騙されちゃってるんでしょ? 待っててルナ! すぐにアイツら殺して、ルナを解放してあげるから―――!」

「アイリッ!」

「ルナ~~! 私だけを見てよっ!? 他の奴等を見ちゃダメ! 見ちゃダメなんだからっ!?」

「アイリこそ、俺を見ろよ! ちゃんと俺を見てくれ!」

「見てるよ? 私はルナだけを見てきたよ………?」

「いいや、見ていない。俺もそうだった。俺はお前を見ているつもりで、ずっと違う奴を見ていた。だから、もう目を逸らさない。俺はお前をちゃんと見つめる。だからお前も………、ちゃんと、“ここに居る俺”を見てくれ」

「見てる………! 見てるよ………!? 見てるのに、なんでルナはそんな事言うの………っ!?」

「アイリ………」

「アイツ等? アイツ等の所為なの………!? やっぱりあいつら殺さないと………! 待っててねルナ? 絶対、絶対、ゼッタイ、ワタシガるなヲタスケテアゲルカラ………ッ!」

「………」

 ルナゼスは一度目を閉じて考える。

 俺はずっと、逃げていたのかもしれない………。

 あのクリスマスの日から、ずっと………。

 でも、もう逃げない。逃げたくない。だって俺は、本気でアイリの事を―――。

 決意したルナゼスは、首に回されていた手を優しく解くと、僅かに微笑を向け、数歩下がる。そして―――剣を抜いた。

「ルナ………?」

「アイリ、俺は大切なモノを守るためなら、誰だろうとどんな奴だろうと戦う。だから、お前を消し去ろうと言う奴がいるなら、そいつが何人いようと戦い続けてやる。だから―――、俺の大切な仲間を傷つけるのがお前だって言うなら、俺はお前とだって戦ってやる! この身が砕け散るその瞬間までなっ!!」

 ルナゼスの啖呵に衝撃を受けたのか、アイリオンは呆然とした表情で一歩後ずさる。

 しかし、次の瞬間には、瞳の奥に狂気じみた光を宿し、三日月の様に口の端を釣り上げる。

「あは、そうだよね? そうだったんだね? ルナがこんな事言うはずない。こんなのルナじゃない。待っててねルナ? すぐに、私が、元通り、してあげる、から………!」

 腰の剣を抜いたアイリオン―――否、≪ザ・ミューズデット・アイリオン≫は、閃光となってルナゼスへと迫る。開幕の一撃に合わせ、ルナゼスの≪マズルフラッシュ≫の≪スラント≫で迎え撃ち、弾き返す。互いの剣が弾け合い、開戦の鐘を鳴らす。

 




 今回は一番苦労したかもしれません………。亀裂の入ったギルドがどうなってしまうのか? その答えもここで乗せておくつもりが、文字数制限により次回に持ち越しとなってしまいましたスンマセン………。
 終わり方が中途半端なのも急いで削ったからです。ゴメン………。

 さて、今回は中篇、ルナゼスの葛藤を中心に書こうとしたのですが、上手く行ったでしょうか? 何だか妙にサヤの出番が多くなってしまった気もします。でも、ギルドリーダーなので、そろそろあの子にも活躍してもらいたいと思った次第です。

 他にも複数キャラを登場させ、出来るだけ発言させているのですが、何だかその場しのぎ的な使い方になって申し訳ない限りです。もうちょっとちゃんと出してあげたいのですが………。
 グランドクエストは、既に登場している既存キャラは必ず全員登場すると言う目的で書かせてもらっています。未だ、大した活躍もないキャラがいるかもしれませんが、その辺は勘弁してください………。

 『9 説明者(エクスクラメイション)』は、この作品に登場している転生者キャラのための設定説明をする良いタイミングだと思って書いたけど、思いっきり転生モノ二次創作における、世界観ブッチな能力使うもので、正直書いてる最中、「これは読者に怒られても文句言えんのでは?」っと、後悔しつつも必要なので消せなくなってしまっている始末。
 おお、神(読者)よ、私を許して下さい………! 割と本気で!
 『聖女』こと≪ツグミ≫さんは、この作品にはもう二度と出て来ない予定です。転生者の話になったら、必要に応じて登場するかもしれませんが、出来るだけ登場させないつもりです。
 一応言っておきますが、ワスプくんの告白時に出てきた銀髪少女と『聖女』は別人です。
 この『聖女』さんは『TINAMI』で投稿している『無限転生、甘楽』のクロスオーバーなのですが、まだこっちの作品では登場してないんですよね? 設定だけはあるので、都合良くこっちで登場させちゃいました。
 『聖女』さんの言っている≪サヤ≫は別のサヤで、一応男の子です。だから、この世界のサヤとは何の関係もありませんよ。『聖女』さん風に言うなら『派生存在』ですが、これは皆さんのキャラも同じ扱いなので、やっぱり『聖女』さんと係わる事はありません。
 『聖女』さんが強力な武器を既に持っていたのは、以前の転生でSAOを既に何回か経験していたので、その時に魂が取得したスキルと装備をデータ化し、自分のアバターに反映させるチートを使ったからです。ただし、これは普段から使っているのではなく、アイリオンの正体を確かめるために完全装備で向かったと言うだけの事です。普段の彼女は第一層の辺境で、生産スキルでスロットを埋め尽くし、のんびり一人暮らしをしています。

 アイリオンの説明も少しだけ出来ましたね。
 前回言い忘れたのですが、アイリオンのスケイルメイルは『ギルティクラウン』の祈ちゃんみたいな格好です。アレが鎧化した様な感じです。

 重い話が続く回となりましたが、次回はやっと解決篇です。
 戦闘と交渉の二つを題材にした解決篇。かなり私のメンタルダメージを稼いでくれていますが、がんばらせていただきたいと思います。

 最後に、文字数制限により、はみ出してしまった小ネタを、後ほど番外で出す事をここに伝えておきます。
 質問等がございましたら、メッセージの方で受け付けます。
 あと、『9 説明者』については罵倒されても仕方ないと思ってるので、感想欄に批判があったとしても大目に見てください。私もこれについては受け入れるしかないっす。
 それでは、また次回お会いしましょう~~~。

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