香織先輩に彼氏がいたならば【本編完結】   作:お家が恋しい

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卒業のシーズンですね。私も香織先輩からリボンを貰いたい人生だった。


否定と肯定

それは全国大会を終えた次の活動日のことであった。放課後になり吹奏楽部のパート練習が始まっている中、優子は空き教室にいた。

まだ約束の時間までは若干猶予がある。教室には誰もいないために適当な椅子に腰を掛けてバッグから予定表を取り出す。わら半紙にある全国大会の文字──ほんの数日前のことなのに遠い昔のように思えてくる。もっと、いやもう少しでも上手く演奏出来ていれば。そんな後悔が何度も浮かんでは消える。今さら振り返ってもどうしようもないというのに。

 

ガラガラと開いたドアと申し訳なさそうな声が思考の海を漂っていた優子を現実へと引き戻した。

 

 

「待たせてごめんね」

 

 

呼び出したのは吹奏楽部部長の晴香に、副部長のあすか。優子とそこまで深い接点のある訳ではない二人の呼び出しに大凡の検討はついていた。

晴香は慌てて立ち上がる優子を手で制して自身もそのまま向かいの席に腰を下ろす。その隣でニコニコと椅子の前と後ろを反対に座るあすかとは対照的である。

 

十月も終わりを迎え、年内も残すところ二ヶ月程度。今週までは引き継ぎなどでパートリーダーの三年生は部活に顔を出しているが、来週からは新体制になることだろう。

その中で優子が部長と副部長にされる話は、つまりそういうことだ。

 

 

「優子ちゃんに次の部長をお願いしたいの」

 

「私に、ですか?」

 

「私も晴香や他の三年生とも話し合ったんだけどねー。優子ちゃんが適当かなって」

 

「はあ……」

 

 

思わず生返事をしてしまう。何故私なのだろう。

 

 

「希美とかじゃないんですか? 中学でも部長してましたし」

 

「希美ちゃんはね、まだ部に復帰したばかりだから」

 

「夏紀なら後輩の面倒見も良いみたいですし良いと思います」

 

「夏紀は部長とはちょっと違うんだよね」

 

 

別の候補を挙げては理由をつけて却下される。目の前の二人はどうしても優子に部長をやらせたいらしい。

もちろん評価してくれることは喜ばしいことである。特にあすかの推薦は、部長になる上で自信を与えてくれるだろう。引退してもそれだけ特別な存在であることを証明している。

しかし、やはりどうしても頭を過ってしまう。

 

 

「少し……、考えさせてもらっても良いですか」

 

 

京都府大会の前、利己的な考えで部内を混乱させてしまったことは忘れようもない事実であり、そんな人間が部をまとめることが正しいのか、そしてそんな人間に部員たちはついてきてくれるのか。

小さな滴はぽたんと水面に落ちて波紋を広げていく。来年こそ全国大会で金賞を取りたい、いや取れる可能性は十分にある。

その雰囲気を壊してしまうのでは──そんな不安が了承を留まらせていた。

 

その後ろ姿はまさにトボトボという表現が似合うだろう。晴香は見送った後ため息をついた。二言返事がもらえるとは思っていなかったものの、予想以上に拒否反応を持っていたように目に映った。

場合によっては別の部長を考えなければならないかもしれない。

 

というのに隣の副部長は関係ないとでも言わんばかりに笑顔のままであった。何故自分だけが苦労しているのだろう。その笑顔が憎たらしく思えてくる。

 

 

「優子ちゃんは引き受けるよ」

 

「何でそんな自信あるの?」

 

「香織と進藤が何とかしてくれるから」

 

「香織は分かるけど進藤まで?」

 

「あくまで予想だけどね」

 

 

晴香はうーん、と唸る。あすかの言っていることは何となしに伝わる、でも納得は出来ない。

かと言って自分だけ頭を悩ませるのも悔しい。……まだあすかの考える通りに事が運ぶとも決まってはいないが。

 

 

「まあ、成るように成るでしょ」

 

「だと良いけど。そろそろ私たちも戻ろっか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、どうしたら良いかな。

香織は真剣な顔をする後輩を目の前に思案する。テキトーな答えを求めている訳ではないだろうし、しかし部長になることを薦めれば考えることなしにそのまま部長になってしまう可能性もある──そんなことはないと信じているが。

 

優子がそうであるとは思っていないが、中途半端な気持ちでは来年度の全国大会で金賞を取ることなど出来るはずもない。学校や父母、OB、OGエトセトラ……、外部からの期待などが大きなプレッシャーとなり、それと戦っていくことが求められる中で部員をまとめることの大変さは今年の比ではないだろう。

 

 

「優子ちゃんはどう思っているの?」

 

「先輩方から指名されて嬉しい気持ちと、私が部をかき乱したこともあったので部をまとめられるのか不安に思う気持ちが半々です」

 

 

いや、多分それだけではない。

いつものハキハキとした口調と少し異なるのは隠している何かがあるのではないか。もしかしたらそれが何なのか、自分でも理解しておらず、それが踏ん切りのつかない理由だと香織は判断する。

 

 

「それなら、聞いてみれば良いんじゃないかな?」

 

「え?」

 

「これから優子ちゃんが立つかもしれない地位の人が近くにいるでしょ?」

 

「まさか……、浩介先輩ですか?」

 

 

ニコリと笑うそれは肯定を表していた。確かに昨年に全国大会に出場してから部長としてサッカー部を率いており、またプロの道に進むことを決めた浩介の言葉は何かの参考になるに違いない。

口には出さないものの、後輩に甘いので相談があると言えば間違いなく応じてくれるはずだ。

 

 

「でも今サッカー部は府大会予選の真っ最中ですし、私のために時間取ってもらうのは申し訳ないです」

 

「そんなことないよ。……って私が言うのもどうなんだろうと思うけど、今日なら大丈夫だよ?」

 

 

ほら、ちょうど来た。

香織に促されるように昇降口へと繋がる踊り場に目を向ければ、階段から降りてくる浩介の姿があった。放課後のこの時間であればサッカー部の練習中であるはずなのに何故制服なのか、顔に出ていた疑問を察した香織がそれに答える。

 

 

「明日、府大会予選の二回戦があるから今日の練習は流すくらいで早上がりなんだって。だから一緒に帰る予定だったの。うちのパートの引き継ぎは優子ちゃんが部長になるか決まってからやる予定だったし」

 

「そうだったんですね。でも、」

 

「吉川と中世古、今は部活の時間のはずだ。どうしてここにいるんだ」

 

 

やっぱり迷惑は掛けられない。そう断ろうとした時、背後から背筋が伸びる声が耳に飛び込んだ。脊髄反射のように体をビクッと跳ねるそれを隠すように優子は振り返る。

声の主である吹奏楽部副顧問の松本が腕を組み仁王立ちをしていた。まさに軍曹先生という言葉が似合うであろう彼女が腕を組み眉を顰めているのは、部活中のこの時間中にサボっているように映るからだろう。

 

 

「あ、いえ、その……」

 

「松本先生こんにちは。トランペットパートの引き継ぎのことと、あと次期部長の件について話し合うところでした」

 

「ああ、そういえば吉川が次の部長の候補だったな。でもそれで何故昇降口にいる」

 

「来年の吹奏楽部は今年の結果から例年以上にプレッシャーがかかることになるだろうと思っていまして、同じようにプレッシャーのかかる中で結果を出しているサッカー部の部長の進藤君にもアドバイスを貰おうと思いました」

 

 

スラスラと淀みなく答える先輩の弁に舌を巻く。今さっきパートの引き継ぎは今日はやらない、と同じ口から出たとは信じられないくらいにスムーズな言葉選びは流石としか言いようがない。

パートを引っ張る人間ともなると臨機応変な態度が求められるのか。もちろん部長はより一層必要とされる能力であるだろうし、果たして自分にそれが出来るのだろうか。

新たに浮かんだ優子の不安を余所に、松本もこちらへと向かってくる浩介を一瞥し納得したように頷いた。香織の言葉に一理あると考えたらしい。

 

 

「確かに来年は今年以上に大変だろう。分野は異なれど似た立場にいる人間の言葉は参考になるかもしれないな。分かった、滝先生には私から話しておく」

 

「ありがとうございます」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

「うむ、吉川もしっかり聞きたいことは聞いておくように」

 

「は、はい!」

 

 

優子の返事を前向きの姿勢と捉えた松本は目を細めた。浩介とすれ違いざまに、吉川を任せたと声をかけて職員室へ向かっていく後ろ姿はやはり軍曹を思わせる。

一方で話が全く理解出来ていない浩介は首を傾げつつ靴を履き替えた。その対照的な姿がどうしてか面白く見えたらしく、香織は特に浩介に説明せずにクスクスと笑うだけであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベンチが鎮座するそこはグラウンドが一望できる丘のようになっており、放課後ともなれば昼休みとは打って変わって人気のない場所になる。眼下を見渡すと白い練習着の部員が所狭しと汗を流し、時折キーンと金属音がグラウンドを木霊していた。

 

秋晴れという言葉がこの時期に適当とは思えないものの、太陽の光は何にも邪魔されることなく穏やかに降り注いでいる。

日陰であっても湿気はほぼなく、ベンチに腰を下ろすことに戸惑いはない。制服の布越しに伝わる木の感触はやや冷たいものだった。浩介はバッグをテーブルに置くと二人へ向き合った。

 

 

「全くもって話の流れが読めていないんだけど、さっき松本先生が言ってた、よろしくって何なの?」

 

「私がちょっと言い訳……、うん、言い訳でいいかな、をして浩介にアドバイスをもらおうとしているって言ったの」

 

「アドバイス? 何の?」

 

「私が吹部の部長に推薦されたんです」

 

 

優子は香織の言葉を引き継いだ。いつまでも先輩の陰に隠れるようではダメだ。その気持ちは強く持っている。

 

 

「とても嬉しかったです。でも私は利己的なことで部に迷惑をかけて……。危うく府大会で先輩たちの代を終わらせてしまうところでした」

 

 

きっとこれは懺悔なのだろう。浩介は言葉を挟まず続きを促す。

 

 

「来年は今年よりもっと上を目指すことが出来ると思います。香織先輩やあすか先輩がいなくなるのは大きいですが……。それでも一年生がいっぱい入部して、引き続き滝先生が指導するなら無謀な夢ではないと思うんです」

 

 

晴香の名前が出てこなかったのはどうしてだろう。香織は気になりつつも話の腰を折る雰囲気ではないため口には出さない。

 

 

「ただ、私はまた自分勝手なことをしてしまうかもしれない。それで部がめちゃくちゃになってしまうかもしれない。そのことが怖いんです」

 

 

一気に言葉を吐き出して、代わりに空気を取り込む。胸の痛みは冷たい空気が肺に刺さるせいだ。

 

 

「優子はどうしたい?」

 

 

浩介は問いかける。その双眸は優子の本心に向いていた。

 

 

「吹部にどうなって欲しい?」

 

「私は……、もう悔しい思いはしたくない。みんなで笑って終わりたい」

 

「うん。俺はその気持ちがあれば大丈夫だと思う」

 

「え、それだけですか?」

 

 

もっと部長としての心構え、マネジメントなど具体的な話をされると考えていただけに拍子抜けしてしまう。

 

 

「リーダーって色々なタイプがあると思っていて、俺や小笠原は違うタイプだし、優子もまた違うタイプなんだ」

 

 

集団の先頭に立って引っ張っていくタイプや対話を通して底上げをしていくタイプ、普段は見守って必要な時に支えとなるタイプ。浩介が言うには様々なタイプがあると言う。

 

 

「優子は発言力もあるし、まさにリーダーシップという言葉が当てはまるタイプかな」

 

「あ、ありがとうございます。因みにですけど浩介先輩はどんなタイプなんですか?」

 

「俺はどんなタイプだろう。基本的にはコーチと部員の間を取り持つ役割しかしてなかったし。……あれ、もしかして俺ってリーダーとして機能してない?」

 

 

今さらながらに落ち込み始める姿にどうしてか香織が慌てる。

 

 

「大丈夫だよ、浩介は中間管理職でもカッコ良いから!」

 

「香織先輩、それ何のフォローにもなっていないです」

 

「彼女ですらフォロー出来ないくらいひどかったのか……」

 

「もう優子ちゃん! そういうこと言っちゃダメだよ」

 

「え、私がいけないんですか?」

 

 

さらに落ち込む浩介と、どうにかして慰める香織。相変わらずカオスな展開に優子はため息を吐いた。浩介はそのプレーでチームを引っ張っている上に、大会のメンバーから外れた部員へのフォローをしていることはクラスメイトのサッカー部員から聞いている。浩介のことを語るその目は純粋に尊敬をしていた。

そのことを自覚していないのだろうか。もしかしたらその行動が普通のことでしかないと考えているのかもしれない。誰に聞いても間違いなく部長の責務を果たしていると答えるはずだ。

 

尊敬出来る先輩のはずなのに、二人のやり取りを見ていると単に自分が変に難しく考え過ぎている気がしてくる。優子は人知れずため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、話を戻すと」

 

 

数分後膝枕をされて復活した浩介は何事もなかったかのように話を再開した。優子の顔がややげんなりしているのは気のせいである。

 

 

「優子に部長をやりたくない意思がないなら、俺は部長を引き受けるべきだと思う」

 

「それはどうしてですか?」

 

「部のことを考えることが出来て、なおかつ行動することが出来る。それは誰にでも出来ることではなく一つの才能って言っても良いんだ」

 

「そんなこと──」

 

「あるよ」

 

 

香織はニコリと笑った。

 

 

「あすかが部を休んでた時、晴香の発言に最初に続いたのは優子ちゃんだった。優子ちゃんが続いたから部のみんながまとまることが出来たんだよ」

 

「あれはただ思ったことを言っただけで──」

 

「それが出来るってとても尊いことだよ。私は優子ちゃんのことを一年生の時から見てきてるから」

 

「でも私はワガママで部を──」

 

「そのことは反省したんだろ? うだうだと引きずることなく前を向いた。黄前ちゃんからも少し聞いたよ」

 

「でも、また同じ過ちを──」

 

「大丈夫。優子ちゃんは誰かのために行動出来るから。この前のはそれが偶々裏目に出ちゃっただけ」

 

「でも……」

 

「もう心は決まっているんだよね?」

 

 

香織は優しく頭を抱え込みゆっくりと撫でた。もし、本当に部長をやりたくないのならこんな表情はしない。

否定の言葉を否定して欲しかった。後押しの言葉が欲しかった。

 

 

「優子は一人じゃないだろ? 周りに支えてくれる仲間がいる。何かあった時に相談出来る先輩がいる。一人で頑張っちゃダメなんだ」

 

「私に……、出来るでしょうか」

 

 

──出来る!

 

二人の先輩の声が重なる。尊敬する二人の言葉が心の重しを洗い流してくれる。

優子は深く息を吸った。もう心は痛くない。

 

 

「……やってみます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部室へと戻っていく優子の背中を見つめながら香織は優しく微笑んだ。

 

 

「結局俺いなくても良かったんじゃないかな」

 

「そんなことないよ。話してて思ったけど、多分優子ちゃんは浩介の後押しが欲しかったんじゃないかな」

 

 

いや、それだけじゃない。浩介はその言葉を飲み込む。一番欲していたのは香織の肯定ではないか。

入学時から優子は香織の後を追いかけていた。香織が彼女にとっての絶対的な存在であり、しかし香織が先に卒業することは決して避けられることではない。つまり優子が香織の下から離れる時が近付いて来ているということでもある。

 

憧れの存在からの“決別”と表現することはやや適切ではないかもしれない。ただ、誰かの庇護下にあるでもなく、独り立ちして部長になることがその一歩であると考えていたのではないか。

だからこそ最後に他でもない香織に背中を押してもらいたかった。それが意識的だったのか否かまでは分からないまでも、優子は欲していたのだと。

 

 

「……まあ、それが当たってるか分からないんだけどね」

 

「うん、何?」

 

「ううん、何でもない。あいつ責任感が人一倍強いし、変に気負いすぎないと良いなって」

 

「そうだね。あすかが優秀過ぎたせいで、自分と較べなければ大丈夫だと思うんだけど……」

 

「そこで部長の小笠原の名前を出さないあたり酷いな」

 

「そ、そんなつもりじゃないって!」

 

 

頰を膨らます彼女と肩を並べて校門を出て行く。夕陽は重なる二人の影を長く伸ばす。

 

今頃優子は晴香に部長を引き受けることを伝えているのだろう。誰もが納得する形で丸く収まったとも言える。

 

仮に優子が部長として正しく部を導くことが出来たとしても全国大会で金賞を獲得出来る訳ではない。しかし、先輩の一人としてどうしても望んでしまう。

 

──願わくば北宇治高校吹奏楽部の来年が明るくありますように、と。

 


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