香織先輩に彼氏がいたならば【本編完結】   作:お家が恋しい

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新作映画が公開されましたね。とりあえず私は一周目で二回観てきました。


if 小笠原晴香 編

もし、一年生の頃に香織と知り合ってなかったら──

もし、香織がサッカーの試合を観に行っていなければ──

 

 

 

あり得たかもしれないifの話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

晴香にとって、浩介はただの一クラスメイトでしかなかった。

席替えの関係で班が一緒になったことはあったため、連絡先は交換していたが連絡を取ることなど全くなく、むしろ交換したことさえ忘れてしまっていてもおかしくないくらいには縁がなかった。

本来ならば、これからもそうだったのかもしれない。

 

 

そんな二人のキッカケは部活の代表者会議であった。

秋に行われる文化祭。そこでは部活ごとに何かしらの出し物や屋台の出店などが行われる。

部の代表は、自分の部活が何を行う予定なのか、簡単な企画書のようなものを作成しなくてはならない。今回の会議は書き方や注意事項についての説明会である。

 

吹奏楽部は既に代が変わっているため、新部長の晴香と副部長のあすかが参加している。

一方、サッカー部はまだ三年生が部長を務めており、来年以降のために補佐として次期部長候補の浩介が加わっていた。

晴香は浩介がサッカー部だったことに今さらながら驚いていたが、生徒会からの説明が始まると共に頭の隅へとその情報は消えていった。自分に必要のない情報は直ぐに記憶から消えていく。それは誰にとっても必然的なことであり、晴香もまたそうであった。

 

生徒会からの資料配布および説明が行われ、企画書提出の期限が伝えられると終了となる。だいぶアッサリとしたものではあるが、毎年やる事は部で同じためその程度でも問題はない。むしろ、分からない点は前部長に質問すれば大体解決してしまうので、この時間すら要らないと考えている部活もあるくらいだ。

 

生徒会長から解散が告げられると各々部活の練習に戻るべく教室を出て行く。しかし晴香は椅子に座ったまま悩んでいた。今の吹奏楽部の状況で演奏を行うべきか否か。あすかに聞いたところで期待しているような答えは返ってこないだろう。結局何となしに、例年通りやっつけの演奏をして終わることが予想できた。

これ以上吹奏楽部で何かしらのいざこざが起きなければ良い。その気持ちが晴香の中の多くを占めていた。

 

 

「小笠原が部長だったんだな」

 

「うん? あ、進藤か。私も意外だと思ってるよ」

 

 

急に上から声を掛けられたため顔を上げると浩介が立っていた。周りを見渡してもほとんど人は居なくなっている。隣にいたあすかもいつの間にか部活に戻っていたらしい。

そういえば、浩介とちゃんと話したのなんていつ以来か。

 

 

「吹部は今年も演奏やる感じ?」

 

「うん、多分ね」

 

「あれだけ部員がいるとみんなを纏めるのとか大変そう。ホントすごいな」

 

 

何気ない浩介の賞賛がチクリと心に刺さる。別に部を纏められてなどいない。普段の練習からそれは嫌というほど感じている。今は虫の居所が悪かったらしく、上手くいっているサッカー部からの嫌味にしか聞こえなかった。

 

 

「何も知らないクセに適当なこと言わないで」

 

 

あ、と言った後に後悔する。部外者に当たって何にもならないのに、当たってしまった。慌てて浩介を見上げる──若干驚いてはいたが別に怒っている様子ではなかった。

晴香は内心でホッとすると素直に頭を下げた。

 

 

「ごめん、進藤に言うことじゃなかった」

 

「ううん。こっちこそ何も知らないのに勝手なこと言ってごめん」

 

「……じゃあさ、お詫びがてらって言ったら可笑しいんだけど、少し話聞いてもらってもいいかな」

 

 

自分でも何で話そうとしているのか分からない。でも浩介を見たとき、この人なら話を聞いてくれる、そんな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会議の後はお互い部活があったため一度解散し、部活終了後に再度落ち合うと帰路の途中にある喫茶店を目指した。マスターの趣味らしく、70年代のジャズが店内の雰囲気を作りコーヒーの香りが気持ちを落ち着ける。

話を聞き終えた浩介はコーヒーを口に運び一息ついた。

 

 

「全然知らなかったけど吹部は大変なんだな」

 

「結構な人数が一度に辞めたから、吹部以外でも知ってる人は結構いるんだけどね」

 

「俺、学内の話題に疎い人間だから仕方ないよ」

 

 

その言葉に晴香はふと思い出す。

そう言えば、離任式の日に退職されるということで登壇した先生に驚いていたような記憶がある。事前に地域紙などで異動などの告知はされているため、ほとんどの生徒は知っていたのだが、浩介は全く知らなかったようだ。

……確かに話題などには疎そうである。

 

 

「でも、そんな状況で部長を引き受けるなんて小笠原はすごいな」

 

「え……?」

 

「俺なら絶対無理だね。チキンだから引き受けないよ」

 

「でも、それはあすかが引き受けなかったから消去法的に私になっただけで──」

 

「それだけ小笠原には勇気があるってことじゃん」

 

 

不意にこみ上げるものがあった。薄っすらと視界がぼやけ、喉が熱くなる。

別に誰かに褒められたかった訳ではないし、自ら進んで部長を引き受けた訳でもない。

 

──ただ、私という存在を認めて欲しかったんだ。

 

晴香はごめん、と謝るとハンカチで涙を拭く。油断するとまた目から溢れてそうになるため、無理やり笑顔を見せた。

 

 

「ありがとう、進藤」

 

「お、おう……」

 

 

浩介が晴香に好意を寄せたのはこの時からである。

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

「ボーッとしてどうした?」

 

 

気が付くと浩介が不思議そうに顔を覗き込んでいた。

晴香は何でもないと答えるとグッと背伸びをする。午前の授業が終わり昼休みに入るといつも通り二人は机を向かい合わせ弁当を取り出した。

 

 

「部活は順調?」

 

「全然。滝先生来てからもうみんな反発しててどうしたら良いか分からなくなってきたよ」

 

「なかなか面白そうな先生だよな」

 

「その面白そうな先生のお陰で、死にそうになってる彼女に一言ある?」

 

「骨は拾うよ」

 

「おいコラ。慰めるところだろ」

 

 

気に掛けてくれていることは伝わってくる。本当にダメな時、気が付くと隣にいてくれる。

そのことは晴香も分かってはいるが、普段の適当な態度はどうにかして欲しいと思ってしまう。でも、二人にはこういう関係が合っているのかもしれない。

 

 

「サッカー部は問題なさそうだよね」

 

「いや全然知らない」

 

「何でよ」

 

「頭を悩ますのは部長の仕事だからね。俺はのんびりしてるよ」

 

 

昨年の部活の代表者会議には次期部長候補として参加していたのに、いざ蓋を開けると浩介は部長になっていなかった。もちろん話はあったのだが、部長になることを断ったという浩介の話を聞き晴香が説教したのは数ヶ月前のことだ。

部長として部をまとめ上げる自信がない。浩介は素直に自らの考えを伝え、リーダーシップのある別の部員が部長になった。

責任ある職務から逃げられてズルいとは思った。ただ、その分空いた時間は作りやすくなり、何かあった時には直ぐに駆けつけてくれる。その気遣いが晴香には嬉しかった。

 

今も、四月から顧問が変わり急に厳しくなった練習に対して多くの部員が反発しており、上手く部員を纏められないこと等のストレスを受け止めてくれている。

もし、浩介がいなかったら──逃げ出していたかもしれないとすら思えてくる。それくらい精神の拠り所になっていた。

 

 

 

 

 

 

吹奏楽部顧問の滝から“海兵隊”の演奏で合格をもらって、サンライズ・フェスティバルで他の高校に負けないくらいの演奏をして。もしかしたら全国大会出場が全くの夢ではないのでは、そんな風にすら思えた。

油断していた時にこそ事件は起こる──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

晴香から連絡が来ない。サッカー部の練習が終わりスマホの電源を入れたが彼女からの通知はなかった。いつもであれば校門で待ってる、予定があるから先に帰ってる、など何かしら連絡を入れてくるのに今日はどうしてか音沙汰がない。もしくはまだ練習中なのだろうか。校舎の三階、音楽室の明かりはまだ消えていない。

 

 

「少し覗いてみるか」

 

 

どうしてだろう、嫌な予感がする。曇り空は夜が近付くにつれ暗さを増して一層どんよりとしていた。浩介は悪い方向に傾きそうな思考を追い出そうと頭を振ると制服に着替えバッグを背負った。

 

 

 

日が傾いて人気のない校内はどこか不気味に思えてくるのは何でだろうか。上履きの靴底のゴムが廊下に触れるたびにキュッ、キュッと音がする。昼間であれば聞こえないこの音が木霊するくらいにずっと先まで誰もいない。まるで昼と夜の境界線が異世界になっていてそこに迷い込んだかのようだ。

浩介は怖いものが得意ではない。無意識に歩くスピードを早め、階段を駆け上がる。三階まで上がり角を右に曲がると奥の部屋から光が漏れていた。現実に戻ってきた安心感を胸に歩みを進める。しかし演奏している音は聞こえない。既に練習は終わっていて片付けをしているところだろうか。

 

ガラガラ、とドアを開けることはできないので音を立てないようガラス越しに中を覗き込む。音楽室は授業を受ける時の体形になっており既に練習は終了していたようだ。中には数人の女子がいるだけである。その内の一人は浩介の知っている人物でもあったため、軽くノックをした。

 

 

「あれ、進藤? どうしたの?」

 

「もう部活終わってるんだよね? 晴香はもう帰っちゃった?」

 

 

あー、と頰をかく少女は昨年同じクラスだった鳥塚ヒロネ。クラリネットのパートリーダーであり、晴香ともよく話す彼女であれば知ってるいのでは、と思い訊いたところ気まずそうに目を逸らした。

 

 

「晴香なんだけど、部活終わって直ぐ帰っちゃったよ。何というか……」

 

 

どうしてそう歯切りが悪いのか、浩介には全く想像がつかない。最近の晴香は時折不安そうにすることはあれど、比較的充実しているのは浩介からも見て取れていた。不安になっていることについては晴香が積極的に話したがらないために無理に聞き出すようなことはしていない。

例え彼女であっても彼氏に話したくないことの一つや二つはあると思っている。

 

 

「うーん、どうしよう。吹部の問題だから進藤に話しても良いのかどうか」

 

「彼女が吹部だっていうだけで俺は部外者になるだろうし、鳥塚の立場もあるだろうから話せないことは話さなくて良いよ。とりあえず晴香に何かあったのだけは分かったから」

 

「……いや、進藤には話しておくよ。どうせ直ぐ知ることになりそうだし」

 

 

 

 

 

 

三年生の斎藤葵が吹奏楽部を退部した。

今日の合奏中に滝から演奏の指摘を受けた時に自ら退部を申し出た。理由は受験勉強と部活との両立が難しいから。

 

顧問の滝へ宣言し音楽室を出て行った葵を追いかけて行った晴香が数分後音楽室に戻ってきた時、既に何処か様子が変であったとはヒロネの意見である。

 

 

「晴香は葵から部を辞めようと思ってるってことは少し前に聞いていたみたいなの。それでも夏までは一緒に頑張ろうって晴香は説得していたんだけど……」

 

 

相当にショックだったのか、その後の練習ではまともに演奏できずに晴香は部活が終わるやいなや音楽室から逃げるように帰宅した。魂が抜けたような様子に誰も晴香に声をかけることもできず、重い空気だけが残っていたらしい。

ヒロネの表情からも分かる、晴香にどう声をかけたら良いのか悩んだのだろう。晴香は良い友達を持ってる。場違いではあるものの浩介は嬉しくなった。

 

 

「そうだったんだ。話してくれてありがとう」

 

「ううん、でも他の人には話さないでね? ここだけの話ってことで」

 

「分かった」

 

 

浩介は再度礼を言うと音楽室を後にした。葵が退部したこと、それがショックだったことは想像に難くない。しかしいくらメンタルが弱いとはいえ、それだけで塞ぎ込むように帰宅したことが少々疑問にも思える。

もしかしたら付随して何か問題があったのかもしれない。

 

 

「……よし、乗り込もう」

 

 

そうとなれば話は早い。考えるよりも行動だ。

 

 

 

 

 

 

 

ピンポーン。

表札の隣にあるインターホンを鳴らすと、来客があったことが家の人に伝わる。

家人が呼びかけに応答するまでの間、少しでも緊張をほぐそうと浩介は深く息を吐く。肺から気管支、口へと空気が通り抜けていき、過剰な体内の熱が外に逃げていく。

彼女の家を訪問すること自体は初めてではないけどやはり緊張する。相手の家族に悪く思われないようにしなくては、と意識してしまうのだ。

数秒の間があり女性の声が返ってきた。

 

 

「あれ、浩介君? どうしたの?」

 

「こんにちは。晴香が学校に忘れ物をしてたので届けに来たんですけど、入れ違いになっちゃったみたいで。もう帰ってますか?」

 

「ええ、ちょっと待ってね……。晴香ー!」

 

 

見知った顔であったために晴香の母親はドアを開けて家の中に招いてくれた。気弱な晴香とは異なり芯のしっかりした人というのが浩介の抱くイメージである。

母親に不要な心配を与えることは良くないと、テキトーな理由をでっち上げて晴香への面会を希望すればすんなりと部屋へと案内してくれた。

玄関を上がった先のフローリングの廊下は毎日掃除されているようで汚れどころか埃一つ見当たらない。練習後に綺麗な靴下に履き替えていて良かった。内心ホッとしつつ廊下脇にある階段を上る。

 

二階に上がった一つ目のドアが晴香の部屋であり、先導する母親に続き入室すると制服のままベッドに倒れ込んでいる彼女が目に入った。

うつぶせたまま顔は枕に沈み込んでいる。スカートの裾が少し捲り上がっていたのを見た瞬間浩介は目をそらした。間違えても彼女の母親の前で凝視する訳にはいかない。

 

 

「もうだらしないんだから……。ほら、浩介君が忘れ物届けに来てくれたんだから起きなさい」

 

「忘れ物なんてしてない。一人にして」

 

「そんなこと言わないの」

 

 

お茶淹れてくるからごゆっくり。母親が階段を下りていったのを確認し、浩介は振り返った。晴香の部屋は女の子らしさに溢れてはいない。ただ、センス良く小物が配置されているあたり女の子なのだと思わされる。変に言うと気にするので口にはしないが。

 

依然として寝転んだまま顔を上げる気のないところから態度は変わらないらしい。それなら、と浩介はベッドに向かいそのまま晴香の髪の毛を踏まないよう腰を下ろした。

 

 

「鳥塚から少しだけ話を聞いたよ」

 

 

ピクッと肩が動く。浩介は晴香の頭に手を乗せ優しく撫でる。

 

 

「俺は晴香が何で落ち込んでいるのか分からない。エスパーじゃないし、何でも分かり合えるなんてことはないから」

 

 

「ただ、前にも言ったように俺は晴香の味方でいたいんだ」

 

 

「だからもし俺に手伝えることがあれば言って? むしろ俺じゃなくても良い、一人で抱え込み過ぎないで欲しい」

 

 

とにかく思ったことを口にしていると撫でていた頭が震えていた。

声を押し殺して、そしてその手は強くシーツを握り締めていた。部長だから、と部活中も耐えていた感情の堤防が決壊し涙が溢れ出す。

今は一人の少女である。浩介以外に誰も見ている人はいない。感情を吐き出すことは悪いことではないのだ。浩介は晴香が落ち着くまで頭から手を離さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

晴香は小さく呟く。一度気持ちをリセットし体を起こした晴香の目は赤く充血している。浩介はわざと気付かないフリをした。

 

 

「私、どうして部長してるんだろ」

 

 

葵が退部したこと、あすかから「引き受けたくないなら引き受けなければ良かったのでは?」と言われたこと。部をまとめきれていないこと。

全てが悪い方向に重なって心に刺さってしまった。元々晴香は物事をネガティヴに考えやすい。

 

 

「晴香は部長に向いてると思うけどな」

 

 

母親が持ってきたお茶は新茶らしく、風味も家で飲むものより格段に良い。

足が折り畳める小さいテーブルに向かい合い腰を下ろした浩介は口内に広がる茶葉の香りに癒されつつも言葉を返す。

 

目の前の彼女は真面目すぎるが故に相手の発言を真に受けてしまうきらいがある。部に何かあるたびに、自分が代わりに矢面に立てたらと何度も思ってしまうが、それでは何の解決にもならないどころか晴香の評判が悪くなってしまう。

あくまで、浩介は影で支えることしかできない。

 

 

「何も知らない癖に言わないで」

 

「学校では誰よりも晴香のこと知ってるつもりだよ?」

 

「あー、うぅ……。そういうことじゃなくて……」

 

 

思わず頰を朱に染める晴香。直球で返されると弱いところも付き合ってから発見した可愛らしい部分だ。……と、話の腰を折ってしまうのは良くない。

 

 

「吹部がどれくらい大変なのかは流石に分からないよ。でも去年みたいに部員が大量に辞めるようなことにはなっていないよね」

 

「……」

 

「きっと晴香が部長だから。それに三年生は晴香の努力を知ってる」

 

「そんなことない。だってあすかは、」

 

 

やはり根底には副部長への劣等感があるらしい。今回のこともあすかなら如何にかできたのではないか、そんなことを考えているのだろう。

 

 

「俺さ、田中は部長には向いていないと思ってるんだ」

 

「あすかが部長ならもっと吹部は良くなってるよ」

 

「確かにカリスマ性はあると思うよ。ただ、周りを前向きに引っ張っていくタイプには見えないんだ」

 

 

そんなの私にだってない。

晴香は小さく呟く。あすかは何だってできる。副部長やって、ドラムメジャーをやって指揮者もやって。後輩も相談する時は晴香ではなくあすかだった。

辞めていく後輩たちに何もできなかった。後輩たちが一斉に退部したのはまだ晴香が部長ではない時だからと言われればそれまでだけど。

 

 

「俺さ、晴香の彼氏じゃん」

 

「え、いや、そ、そうだけど。きゅ、急に何?」

 

「付き合って数日とかじゃないんだからそろそろ彼氏って表現に慣れなよ。……吹部のみんなも俺が晴香の彼氏ってことを知ってるから時々話してくれたりするんだ」

 

「……何を?」

 

「晴香はすごい頑張ってる。晴香が部長で良かったって」

 

 

晴香の目を見開く姿に良いものが見れたと口角を上げる。

 

 

「晴香は部やみんなのために行動して、それを見てみんなも晴香を支えようと行動しているんじゃないかな?」

 

 

──それは他でもない晴香だからできることだよ。

 

晴香は優しい。“優しい”という言葉が褒めるところのない人に対して使うものであると晴香は考えている節があった。しかしそれは違う、と浩介は強く否定する。

もし晴香に褒めるところがないとしたならば、吹奏楽部の部長に勧められたりしないはずだ。

 

あすかが拒否したから押し付けられただけ、ネガティブな晴香はそう言うだろう。それも浩介は否定する。

どのような経緯で部長に就任したのか、浩介が知る由もない。それでも部内の空気が変わった今、押し付けられただけの存在が吹奏楽部をまとめられるはずもない。

 

隣に圧倒的な存在がいるから尚更卑屈になっているところも幾分仕方ないかもしれないけど、浩介は訴えたいのだ。俺の彼女はすごいのだと。俺が好きになった人は決して気弱なだけの存在ではない。

 

 

「もう一度斎藤と話してみたらどうかな?」

 

「葵と? でももう吹部辞めるって言ってたし、」

 

「辞めるにしても、もう一回話してみた方が良いと思うんだ。晴香のためにも」

 

「私のため……」

 

「多分、滝先生が顧問になって本気で全国大会を目指してやっていくってなった以上、遅かれ早かれ斎藤は辞めていたんじゃないかな。話を聞いた限り斎藤は飛び出すように出て行ったんだろ?」

 

「うん。滝先生に辞めるって言った後直ぐに出て行っちゃった」

 

「このままだとモヤモヤしたのが残る気がするんだよね。部長として部員の退部の意思確認をして区切りをつけること、それがお互いのためにも良いと思う」

 

 

それが晴香が部長として最後に葵にできること。

吹奏楽部はこれからさらに厳しい練習が待っているし、葵も受験勉強のために意識を向けなくてはならない。お互いが次に切り替えていくためのキッカケになれば、そんな意図もあり提案してみる。

晴香も思うところがあるらしく、答えはしないもののクッションに頭を押し付けた。

 

 

「まあ、悩んでみれば良いさ。晴香が出した答えを俺は尊重するよ」

 

 

部屋に掛けられた時計は七時前を指していた。そろそろ帰らないと夕飯の準備などの邪魔になってしまう。浩介は晴香の頭を撫でると立ち上がり凝り固まった首を解そうとグルリと回した。ゴキゴキと鳴るのは体に良くないらしいけど気持ち良い。

 

 

「本当に辛かった。葵が辞めるって言った時。私が部長だから葵が辞めちゃうのかなって」

 

 

晴香は顔を上げた。きっともう大丈夫。

 

 

「でも多分それで悲劇のヒロイン演じてちゃダメなんだよね……。ありがとね。葵に会って、私たちは全国に行くって伝えてくる」

 

 

その表情は一年前、浩介が始めて惹かれた時のものと同じだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──もしもし、浩介? うん、大丈夫。これから全国大会なんて私も信じられないんだ。みんながいたから、浩介がいたからここまでこれたと思う。部長やってて良かった。……分かってる、今日は演奏が終わるまで前向きな姿勢でいるつもりだから。ただね、今のうちに浩介に伝えておきたくて。ありがとうね。大好きだよ。




ヒロネを登場させたということは……?

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