香織先輩に彼氏がいたならば【本編完結】   作:お家が恋しい

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※注意
今回の内容は小説の第二楽章後編のネタバレを若干含みます。


秀大付属高校のあかりは、小説版のみに登場するキャラクター。好きなキャラクターなので、本小説でも登場してたりします。
第二楽章であかりが出てきたのは本当に嬉しかったので書いてみました。


if 秀大付属高校 あかり 編

勝ち抜くことを義務づけられていることがどれ程プレッシャーになっているのか。そのことを知る学生は決して多くない。

学校からの期待、OBOGからの期待、父兄からの期待––––。

それは、ほんの数日前にソロパートを任された少女には大きな負担であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは一瞬の出来事であった。

指がもつれた。

音が乱れる。

 

ブワッと背中に汗をかく。しかし、まだ演奏は終わっていない。周りの部員は動揺することなくすぐさま立て直し、曲はクライマックスへと進んでいく。

今は悔しさを感じる暇すらなかった。とにかく目の前の楽譜に目を落としつつ指揮者にも目を向ける。必死に音を紡ぎ続ける。

 

それからのことはあまり覚えていなかった。気が付くと演奏は終わって会場裏へと移動していた。演奏前の学校の部員の緊張感に溢れる顔、一方で演奏が終わったことで解放され笑顔の学校の部員もいる。様々な空気感が漂い騒々しさのある空間で、あかりはふと自分の手を見つめる。ぷるぷると震えたままの指先が、先ほどの演奏のソロパートを吹ききれなかったことを確信させる。

 

 

「あ……」

 

 

悔しい。

ソロパートの担当を任されたのは三日前のことだ。大阪府大会まではソロパートは先輩が担当していた。入学してから厳しくも優しく指導してくれた憧れの存在––––その先輩が怪我をしてしまった。

急遽お鉢が回ってきたあかりの心中は全国大会に出場することが当たり前である空気へのプレッシャー、また憧れの先輩から指名されたことへの喜びが半々を占めていた。オーディションがあるために、畏れ多いと思いつつも練習していたソロパートは、他の部員にバレないようヒッソリと吹き続けていた。

 

 

「私……」

 

 

先輩を全国へ連れて行く。それがソロパートを引き継いだ自分の使命であると考えていた。

途端に膝がガクガクと震えその場に座り込む。全ての音がシャットアウトされ何も耳に入ってこない。

 

 

「ああぁぁぁぁぁ!!!」

 

 

あかりは人目をはばかることなく手で顔を覆った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

関西大会が終われどまだ夏の暑さは尾を引いていた。蝉は勢いよく鳴き続け、太陽はこれでもかというくらいに強く照りつける。

秋に行われる文化祭後に三年生は引退となるため、徐々に役職の移行について話し始められる時期となってきていた。その新しい部長、楽器のパートリーダーの候補には、あかりの名前も入っていた。しかし、演奏に身が入らずに顧問から雷が落ちる。夏休みの残りの期間はその連続でしかなかった。

実力は折り紙つきであるのに気持ちがついてこないために覇気のない演奏になってしまう。三年生は誰も彼女を責めることはなかった。むしろそのことがあかりへ負担を強いることになっており、顧問や周りの部員も何も出来ない歯痒さが募っていた。

 

 

 

「午前中はパート練です。午後からは先生がいらっしゃって合奏練になります」

 

 

部長が指示を出し、各々音楽室から出て行く。あかりは、クラリネットパートの集まる場所へ向かうことなく靴を履き替える。石段に腰を降ろし、グラウンドでプレーをする男子生徒たちの姿を眺めつつため息を吐いた。

何をしているのだろう。

このままでは良くないことなど自分が一番理解している。周りに迷惑をかけてしまっていることも。白いソックスに収まっている革靴で小さい石をゴリゴリと踏みつける。

石は靴の裏から逃げるように階段を落ちていき、それが無性にあかりを苛立たせた。石ですら私から逃げるんだ。不意に涙が出そうになり、膝を抱えて額を太ももへと押し付ける。その格好は誰かを心配させるように見えたらしい。

 

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

 

顔を上げると、見たことのないジャージを着た男子が顔を覗き込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あと十分後にBチームの試合を開始する。Aチームはその間に昼食を済ませておくように」

 

 

––––はい!

 

北宇治高校サッカー部顧問の山田の声に一斉に返事を返し各々荷物置き場へと向かっていく。北宇治高校がここ数年で少しずつ成績を伸ばしていることで他府県から練習試合の声が掛かる機会も増えていた。付近の高校だけでなく、多くの強豪校と試合することでより経験を積むことが出来る。

夏休み最後の遠征先は大阪にある秀塔大付属高校であり、早朝からバスに乗り込み招待試合に臨んでいた。一試合目を終え、午後から行われる二試合目を前に早めの昼食を済ませて準備をしておく必要がある。

 

身体を冷やさないよう薄手のジャージを羽織り、バッグの置いてある日陰のベンチへと足を運んでいる途中、顔を伏せて座っている人影が目に入った。制服姿からおおよそ秀大付属高校の生徒であろう、しかし炎天下の中顔を上げることなく座っているその様子はどこか普通ではない。

浩介は余計なお節介であることを期待しつつ、その女子に近付いた。あまり近付き過ぎると不審に思われてしまう可能性がある。他校に来て変な騒ぎを起こさないように普段より少し離れた位置から声を掛けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やや平凡な顔立ちと、その格好から他校のサッカー部員のようだ。一瞬、ナンパを予想させたがその目は下心よりも心配が浮かんでいることは容易に理解出来た。

 

 

「いえ、大丈夫で––––」

 

 

きっと優しい人なのだろう、これ以上心配を掛けさせてもお互いに良くない。問題ないことを告げ校舎へと戻ろうとしたその目に、浩介のジャージのロゴが入った。

 

『北宇治』

 

 

あかりの記憶が確かならば、秀大付属高校が敗退した関西大会から全国大会へと出場を決めた高校の名前も北宇治であった。彼女たちがいなければ、全国大会に出場出来たのは私たちだったはず––––見当違いの負け惜しみであることは理解出来ている。それでも何も思うことないなんて感情が許されない。

 

 

「あの……」

 

「問題ありません。あなたには関係ありませんから」

 

 

 

 

冷たい言葉が出てくる可能性は想像出来ていた。一人でいるところに声をかけるなどナンパに思われても仕方がないし、何よりも知らない他校の学生である浩介が関わること自体が普通ではないのだから。

それでも想像以上に、その声は厳しく––––苦しそうであった。一瞬で元の表情に戻ったために見間違いかと思ったものの、そんなことはないと首を振る。

しかし原因は分からない以上どうすることも出来ない。どうしたものかと悩んでいる時、微かにあかりの口が開いた。

 

 

「……あなたは自分のミスでみんなに迷惑をかけてしまったことはある?」

 

 

何故だろう。こんなことを訊くつもりはないはずだった。あかりは自問自答しつつも相手の返答にどこか期待していた。

あの日、関西大会の日に置いてきたままになっている何かがある。それが何か解ったのなら、もう一度クラリネットを吹くことが出来るのではないか。藁にも縋る思いがあかりを突き動かしていた。

 

 

「あります」

 

「それは部活でのこと?」

 

「はい。俺がミスをして、先輩たちの最後の大会が終わってしまったことがあります」

 

 

浩介は頭をかきながら、それでいてあかりから目を逸らすことはなかった。むしろ、その目力の強さにあかりが思わず視線を外す。––––別に負けた訳ではない。

 

 

「軽率なプレーをしてしまって、そこから失点して。それが決勝点となってチームが負けました」

 

「––––ッ!」

 

 

しかし目の前の男子に違和感を覚える。何故そんなに平然としていられるのだろうか。

木陰にいる自分と、日に照らされている相手。同じであるはずなのに、まるで対照的である。

 

 

「どうして……、」

 

「はい?」

 

「どうして、そう普通にしていられるの?」

 

「こんなんでも当時はすごい落ち込みましたよ。それこそ、サッカーを辞めようと思うくらいには」

 

「……でも辞めなかった」

 

「そう。先輩に怒られちゃって。チームが負けたのを勝手に全部自分のせいにするなって」

 

 

一陣の風が二人の間を走った。淡々と話す浩介の顔はどこまでも平穏である。ジージーと蝉の声が遠くに聞こえる。

 

 

「一人のミスは、その人だけのミスではない。お前がいたからここまで来れた」

 

 

––––勝手に悲劇のヒロインを気取っているんじゃねぇ!

 

 

「ガツンときました。俺が全部自分の責任と感じていたことが先輩たちを無意識に見下していたんだって」

 

 

呼吸が苦しい。背中を冷たい汗が通り、指は微かに震えていた。あかりは押し付けるようにもう片方の手で握りしめた。

 

 

「君が今何を悩んでいるのか、何に苦しんでいるのか俺には分かりません。答えを出すのは君だから。君の道は他の誰でもない、君自身が決めるものだ」

 

 

––––でも、君が決めきれないのなら。その背中を押してくれる人もいるのでは?

 

促されるように振り向くと、汗を垂らし息を切らした先輩の姿があった。その手はまだ包帯で覆われており、楽器を演奏することなどもってのほかである。今日は病院に行くと聞いていたはずなのに、どうしてここにいるのだろうか。

 

 

「せん、ぱい……」

 

「あかり! 何してるの!」

 

 

ごめんなさい、と小さく呟くあかりの目から涙が溢れていた。上級生に抱き締められ、その表情は解放されたように映る。

もしかしたら、彼女は許されたかったのだろう。怒られて、叱られて––––そして許されて。やっとあかりはあの日の忘れ物を取りに行くことが出来る。

 

きっともう彼女は大丈夫だ。浩介は気付かれないよう、そっと踵を返した。試合は見ていなかったが、もう後半に入っているかもしれない。流石におにぎり一つでも食べておかないとこの後の体が保たない。

それにこれ以上何もせずに体をイタズラに冷やしても良くない、自分に言い訳をして逃げるように強く地面を蹴った。後ろから呼び止めるような声が聞こえたのは気のせいである、耳に入るのは試合中の掛け声だけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「整列!」

 

 

––––ありがとうございました!

 

 

グラウンド及び相手校の部員に対し礼をして、バスに乗り込むよう指示を出す。赤く焼けた空も地平線へと移動しており、入れ替わるように星が瞬き始めていた。

浩介は改めて荷物忘れがないか確認していると、秀大付属高校サッカー部の部長に呼び止められた。その後ろには、先ほど会話をした女子生徒が二人––––あかりと先輩が並んでいた。

 

 

「進藤、何かこの二人が話しがあるみたいで……。もうそろそろ出発の時に申し訳ない」

 

「いや、まだもう少し時間はあるから大丈夫だけど。えーっと、」

 

「先ほどはすみませんでした!」

 

 

腰を直角に曲げ勢いよく頭を下げるあかりの姿に、浩介は慌てて顔を上げるように促した。年下の女子に謝罪されるなど、それも他校の学生となれば変に噂が立つ可能性がある。

ただでさえ女子は噂好き––––勝手な印象である––––なのに。

 

 

「俺は別に何も思ってないから、そんな謝らないで?」

 

「でも、私すごい失礼なことを言いました」

 

「色々悩んでいて視界が狭まってたせいかもしれないし。……もう大丈夫なんでしょ?」

 

「はい、あの後先輩とも話して、ちゃんと心が決まりました」

 

 

やや赤みは残っているものの、あかりの目の奥には強く炎が灯っている。そこにはもうあの苦しんでいる女子はいない。

 

 

「先輩たちの分まで、来年絶対に全国に行きます!」

 

「うん、今の君の方がさっきより良い顔してる」

 

「ありがとうございます!」

 

 

––––進藤、そろそろ出るぞ!

 

遠くから浩介を呼ぶ声が聞こえる。土埃で汚れたジャージを叩き、浩介はバッグを肩に掛けた。一日中外にいたせいで体がパキパキときしむ。今から大阪を出て京都へと戻る頃には日は完全に沈んでいるだろう。

 

 

「じゃあ、そろそろ行くね」

 

「あ……、はい」

 

「辛いかもしれないけど、諦めないで頑張ってね」

 

 

その言葉が、笑顔がすっとあかりの胸に染み渡る。先輩だけでなく、この人にもこれからも見守って欲しい。それが今のあかりの本心である。

悔しい気持ちは大いにあるものの、あの北宇治の演奏は全国大会に出場するに相応しいものだった。秀大付属高校も来年はあの演奏を超えるレベルに達していなければならない。次の関西大会までにやるべきことは少なくない。

強い決意を胸に、浩介の姿が見えなくなるまで、あかりは見送り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『これより全国大会へ出場する高校を発表します』

 

 

午前の部が終わり金賞の中に秀塔大付属高校の名前が呼ばれ、ホッと一息をついたのもつかの間の出来事だ。午後の部の高校の演奏が終わり、部員たちと再びホール内へと戻ってくる。

手のひらには拭っても拭ってもハンカチが絞れるのではないかというくらいの汗で湿っている。今年が最後の年、最後の大会である。二年連続で関西大会敗退は許されない強豪校という看板に負けずに、後輩たちも必死に練習についてきてくれた。

だから大丈夫。

 

 

 

 

 

 

 

––––秀塔大付属高等学校!

 

 

「あかり! やったよ! あなたのおかげだよ!」

 

「うん。私吹部続けて良かった。……本当に良かった」

 

 

溢れる涙は止まらない。一年前、流した悔し涙は決して無駄ではなかった。

 

みんなといっぱい喜びを分かち合ったら、二人の大切な先輩へ報告しよう。きっと連絡を待っていてくれるから。

 

あかりは胸に手を置きゆっくりと目を瞑った。




いつも以上にあっさりした気がする。
次は誰を書こうかな。

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