香織先輩に彼氏がいたならば【本編完結】   作:お家が恋しい

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2期放映中から書きたかったお姉ちゃん編。
全国大会の後のお姉ちゃんの笑顔に惚れた。


if 黄前麻美子 編

もし、一年生の頃に香織と知り合ってなかったら––––

もし、香織がサッカーの試合を観に行っていなければ––––

 

 

 

あり得たかもしれないifの話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浩介と麻美子はテーブルを挟み向かい合っていた。

木製のテーブルは、喫茶店のレトロな雰囲気に合っており、八十年代のフォークソングが店内に流れる。窓から差し込む陽射しで焼けたメニューが、店の歴史を形作っていた。

 

 

水出しコーヒーのグラスにはいくつもの水滴が付き、運ばれてきてから時間が経っていることが分かる。紙製のコースターは端の方まで湿っていた。

浩介は、グラスを傾けコーヒーを口に含む。冷たい苦味が体の熱を奪い取り、適度に冷やしてくれる。

向かいにいる麻美子は、店内に入ってからというもの、ずっと俯いたままであった。元来お喋りなタイプではないし、普段から積極的に色々話し掛けてくる訳でもない。しかし、何かを思いつめるように、動かない様子にどうしたものかと浩介は頭をかく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「話があるの」

 

 

麻美子からのメールが来たのは二学期に入り一月が経過した頃。

夏休み辺りからメールの頻度が減り、麻美子が宇治に帰って来ても会わずにいることすらあった。

彼女の妹である久美子に聞くという選択肢を取ることも出来るが、関西大会を突破し、全国大会に向けてより一層練習に励む姿に水を差したくなかった。

久しぶりに届いたメールもいつもと違う飾らない内容であり、何かあったのかと返しても直接会って話したいの一点張り。

首を傾げつつも、結局のところ会わないことには話は進みそうにない。麻美子の戻ってくる日に合わせて、予定を組むことにした。

 

翌週。

数ヶ月振りに会った麻美子は、少し痩せたように浩介の目に写る。夏場、炎天下の中で試合をこなし続けたために日に焼けた浩介とは対照的に、白く痩せた姿は病的にすら見えてしまう。元々太っていた訳ではないが、過度なダイエットをしているのだろうか。心配になり尋ねてみても、問題ないと浩介の手を引いて歩き出す。

分かるのは何か心を決めた目をしていることだけ。

 

 

そして今に至る––––

 

 

 

 

 

 

 

 

「あのね、」

 

 

漸く意を決したように麻美子は口を開ける。声は小さく、店内を流れる音楽に負けそうなほどであり、浩介は聞き取るために少し身を乗り出した。

 

 

「私と……、別れて欲しいんだ」

 

「––––え?」

 

 

聞き取れなかった訳ではない。

しっかりと耳に残っている。頭の理解が追いつかない。前傾姿勢のまま浩介は固まっていた。

背中から嫌な汗が流れる。何故、どうして。疑問ばかりが浮かぶ。

 

 

「全てを捨ててでも、夢のために頑張りたいの」

 

「夢……」

 

「昔話したことあったよね。私、美容師になりたかったんだ」

 

 

大学を辞めて、働きながら美容学校に通うことにしたこと。

そのことで親とも喧嘩したこと、既に手続きを終えて、これから東京に戻ること。

何もないところから、一から始めたいこと。

 

ポツリポツリと話し始めつつも、その姿が本気であることを伺わせる。麻美子の言葉には芯があった。

 

 

「浩介の頑張る姿を見て、私ももう一度頑張りたいと思ったの」

 

 

––––もう後悔したくない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「浩介くんはどうするんだ?」

 

 

静かになったリビングで父が静かに問い掛ける。母は困ったように麻美子と父の顔を交互に伺うのみである。久美子は素知らぬ顔でスマホを弄っているが、耳はリビングに向いていた。

 

 

「まさか、お前の我がままで振り回すつもりか?」

 

 

両親の言う通りにして、大学まで進んできた。やりたいことを諦めて勉学に励んだ。

しかし、久美子の、浩介の姿を見て、夢にもう一度挑みたいと思ってしまった。燻っていた気持ちに火がついたその瞬間、今の生活が色褪せたように思えてしまった。

 

 

「浩介は関係ない!」

 

「関係ないことはないだろう。お前が勝手に大学を辞めて、美容師になることを分かってくれるのか? 浩介くんがプロに行くか悩んでいた時に、お前は何て言った?」

 

 

––––私が浩介を支えるから。栄養の勉強もして、体調管理とかサポート出来るようになるね。

 

 

麻美子の脳裏に、あの日浩介にかけた励ましの言葉が浮かぶ。浩介がプロに進むことを決めたのは、その翌日であった。自分の言葉が彼の進路を決めたと言っても過言ではない。

 

 

「––––ッ! 浩介は、」

 

 

分かってくれる。

そう言いたいのに言葉が出てこない。

 

 

「お前も分かっているんじゃないのか」

 

 

口を結び下を向いたまま顔を上げることが出来ずにいた。その様子に父はため息を吐く。

 

 

「失敗しても逃げ道がある。そうやって甘えがあることを自覚しているから言い返せなかった。……違うか?」

 

 

話は終わりと言わんばかりに立ち上がり、自室の戸を開ける。

 

––––リスクを背負わずに、やりたいことが出来ると思うな。

 

 

 

父の吐き捨てるような言葉が胸に深く突き刺さる。言い返せない自分が悔しい。

もう心に決めた筈なのに、たった一言で揺らぐ程度のものなのか。強く拳を握り締め、爪が皮膚に食い込み痛みが走るが、力を緩めることをしない。

 

 

「お母さんは別に家を出て行けなんて言わないわよ? でもね––––」

 

 

怒りが頭を支配して、宥めようとする母の言葉は入ってこない。追いかけるように話し掛ける母を無視し、自室へと飛び込むと戸を叩きつけるように閉める。机の上には、初めて浩介がインタビューを受けた時の雑誌が置いたままにされていた。

ベッドに寝転がりページをパラパラとめくり、浩介の笑顔を見つける。

 

 

『高校サッカー界を引っ張るのは俺たちだ!』

 

浩介含む三人の高校生が対談を行う記事は何度も読んでいるために、内容もほとんど覚えている。対談の最後は、インタビュアーの言葉で締められていた。

 

願わくば、彼らが日本を背負う選手になって欲しい。

 

その言葉がお世辞を含む内容であることは分かるけれども、浩介以外の二人は世代別の日本代表に選出されていることは浩介から聞いている。下の年代ではあるものの、言葉通り実際に日本を代表する選手になっていた。

 

プロのサッカー選手になるという点では同じであるが、サッカーに詳しくない麻美子には、他の二人と違い何故浩介が選ばれないのか分からない。

 

でも、時々思うことがある。

自分といるからなんじゃないか、と。

会う時間を作るために練習時間を削るなど無理をしているのではないか。

それがもし他の二人との差であるならば、自分の存在が浩介の将来を邪魔していることになる。とてもでないが許されることではない。

 

 

自分の夢。

浩介の夢。

お互いの進むべき道は同じ方向にはないのかもしれない。

 

 

 

どちらかが道を諦めないといけないとしたら––––

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カランカラン。

喫茶店を出ると、忘れていた暑さが麻美子に襲いかかる。それでも今は気にならなかった。

溢れ出そうな涙を堪えながら、ただひたすらに歩く。もう賽は投げられた。引き返すことなど出来ない。

 

席を立つ前にかけられた言葉が脳裏に浮かぶ。

 

 

 

『麻美子が夢を叶えるその日まで待ってるから』

 

 

待っていて欲しくない。自分の我がままで浩介の将来を犠牲にしたくない。あれだけ勝手なことを言っても浩介は怒ることはなかった。むしろ応援すらしてくれた。

 

これ以上浩介に負担をかけてはいけない。

だからこそ別れ話を告げたのだ。もう二人の道は交わることはないと。

なのに。

 

 

「そんなの。私だって待っていて欲しいよ……」

 

 

コンクリートに落ちた水滴は、一瞬にして何もなかったかのように直ぐに蒸発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***********************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、そういえばご飯炊くの忘れてたんだっけ」

 

 

仕事の帰り道、食費を節約するためになるべく自炊する習慣をつけていたが、今朝は忙しかったので炊飯器のスイッチを入れ忘れたことを思い出した。仕方ないからコンビニに寄ってお弁当買って帰ろう。いつもより一つ手前の角を曲がれば、光の灯る看板が見えてくる。

大学生の時は、親からの仕送りがあったために自炊することもなく、結構贅沢に過ごしていたことを思い出す。料理も全然作ったことがなかったために妹に呆れられたこともあった。それが今ではほとんど毎日洗い物をするほどだ。随分と変わったものだと自分でも思う。

 

 

自動ドアを通過し、店内に入れば涼しい風と軽快な音楽が麻美子を迎え入れる。入り口を直ぐ右手に曲がれば雑誌コーナーがあり、いつも目ぼしい雑誌がないか確認している。今日も何気なく目を通していくと月刊で買っている雑誌を見つける。すっかり忘れていたが、ちょうど発売日のようである。

雑誌を取るために手を伸ばし、ふと横の雑誌の見出しが目に入った。

 

 

『進藤浩介は海外で通用するのか』

 

 

ドクンと心臓が跳ねる。

意図的に見ないようにしていた名前––––ここ二、三年でスポーツニュースでも出てくることがある浩介の姿を見るたびに、胸が締め付けられる。

 

やはり自分の選択は間違っていなかったのだ。

サッカー界で将来性を期待される若手の一人として、日々注目を集めている。それはきっと自分と付き合い続けていたなら、あり得なかった未来の筈である。

 

麻美子は目を逸らすように雑誌コーナーを立ち去った。

 

 

 

 

 

 

電子レンジのスイッチを押せば、数分後には温められた晩御飯が出来上がる。野菜炒め弁当をテーブルへと運び、チューハイを冷蔵庫から取り出す。気が付けば冷蔵庫には缶チューハイやビールが並んでいた。

 

テレビをつけ、テーブルに置いた弁当の蓋をあける。

テレビ番組をBGMに野菜へと箸を伸ばす。テレビのお笑いを面白いと思えなくなったのは、どこか自分の感性が変わったのだろうか。直ぐに動物番組へとチャンネルを変える。こっちの方が性に合っているようだ。

 

弁当を食べ終えると、そのまま後ろに倒れ寝転がり天井を眺める。

最近になり、漸く一人前として客がつき始め、食べていくことが出来るのではないかと思えるようになってきた。

もちろん、まだまだ美容師として足りていない部分は多く、学ぶべきことは絶えない。

それでも自分の店を構えることは不可能ではないと思い始めていた。

 

今、目を閉じたら良い夢が見れそうな気がする。

満腹感がもたらす心地良い眠気に身を任せ、麻美子は瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの……、私、」

 

「いいじゃん、ちょっとくらい時間あるでしょ?」

 

 

麻美子が浩介と初めて出会ったのは、まだ東京の大学に入学したばかりの頃である。入学して初めてのゴールデンウィークを迎え、大学で出来た友達と渋谷に遊びに行った帰り道。いかにも、といった風貌の男に声を掛けられていた。

 

まだ東京に馴染めていない上に、さらに、相手が大柄であることもあり強く断ることが出来ない。男もそれが分かっているのか、馴れ馴れしく手に触れ引っ張ろうとする。

そして、渋谷では見慣れた風景であるかのように誰も助けてくれない。視界に入らないのか、黙々と二人の脇を通り抜けていく。

 

誰か助けて。

口に出来ず心の中で願う。

 

 

「お兄さん」

 

「あ?」

 

 

目を開けると、身長こそ高いが、まだ幼さの残る少年––––まだ中学生くらいだろうか––––がニコニコと笑っていた。

手にスポーツメーカーの名前が書かれていたビニール袋を持っている。買い物に行った帰りなのだろう。

 

 

「ナンパは否定しないけど、流石に無理やりは良くないと思うんだ」

 

「ああ? 無理やりじゃねえだろ」

 

 

なあ、と男は麻美子に迫り、恐怖感が体を支配する。膝が震え、立っていることも辛くなってきている。

 

でも。

年下の男の子が助けようとしてくれている。縋りたい気持ち一心で勇気を振り絞り、目を瞑りながらも首を振った。

 

 

「チッ」

 

 

男はそれでも手を引いて連れ出そうと立ち上がる。

 

 

「痛ッ!」

 

「ほら、立てよ!」

 

 

強引に立ち上がらせようと、さらに手を引こうとする男の手を浩介が抑える。浩介を睨みつけるも、どこ吹く風と笑顔で流す。

 

 

「ねえ、お兄さん。もし、僕が警察官の息子だったらどうする?」

 

「は?」

 

「警察って身内に甘いからさ。……親父と待ち合わせしてて、そろそろ来る頃だと思うんだけど、その時に僕の言葉聞いたらどうなるかなって」

 

「……脅してんのか?」

 

「別に脅してないですよ。––––あ、こっちこっち!」

 

 

浩介が手を振る方向からは、一人の男性が向かってきていた。まるで刑事を思わせるような皺の入り方をしている男性の姿を確認し、苦々しげに浩介を睨んでいたが、やがて舌打ちをすると男は去っていった。

警察が来たら分が悪い。そう判断したようだ。

 

 

「お姉さん、走れる?」

 

「え?」

 

 

答える暇もなく、浩介は麻美子の手を握る。麻美子がドキッとしたのもつかの間、浩介は手を引くと走り出した。痛くないように優しく掴んでくれているが、急に走られたために思わず転びそうになる。

 

 

「ごめん」

 

 

小さく謝ると腰に手を回す。倒れそうな麻美子の体を支え、そのまま走り続ける。

一分も経たないうちに近くのショッピングモールに飛び込むと、麻美子は膝に手をついた。最近運動など全くしていなかったせいで、呼吸が苦しい。とにかく酸素を取り込むために大きく息を吸った。

苦しそうに呼吸をする姿に、浩介は申し訳なさそうに頭を下げる。

 

 

「お姉さん、ごめんなさい」

 

「ううん、それは良いんだけど……、どうして急に走り出したの?」

 

「あのおじさんが赤の他人ってバレたら、あの男の人キレそうだったから」

 

「え、お父さんじゃなかったの?」

 

「全然知らない人だよ。親父が警察の人間っていうのも嘘だし」

 

 

バレなくて良かった、と笑う様子に目を見開く。無関係の自分を助けるために、あれだけ堂々と嘘をついていた––––もしかしたら暴力を振るわれることも可能性としてあったというのに。

 

 

「ありがとう……」

 

「いえいえ。お姉さんが無事で良かったよ。まだこっちに来てあまり時間経ってないんでしょ? ああいう輩は結構いるから、気を付けないとダメだよ」

 

 

じゃあね。手を振って出口へと向かっていく、その後ろ姿に思わず手を伸ばす。

何故か分からない。でも、もう会えないのは嫌だ。その気持ちが手を動かした。

 

 

「待って!」

 

「うん?」

 

 

立ち止まり振り返る浩介に、何を話せば良いか分からず言葉に詰まる。

それでも何かを伝えなくちゃいけない。周りの喧騒が不意に静かになったような気がする。汗で滲む手のひらをズボンに擦り付ける。

 

 

「あの……、その、」

 

「お姉さん?」

 

「さっきは、本当にありがとう。それで、その……」

 

 

恐怖から解放されて以来ずっと心臓は早く鼓動したままだ。それは目の前にいる男子と向き合っているからではない筈だ。そう心に言い聞かせる。

 

 

「また、会えるかな……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハッと起き上がる。

弁当を食べ終えた後、そのまま寝てしまっていたらしい。時刻は午後十一時半を過ぎたところであった。

明日は遅番であるものの、最近はあまり体を休められていなかった。今日はこのまま早めに寝てしまおう。

そう思った矢先、つけっ放しになっていたテレビで流れていたCMが終わり、次の番組が始まった。そして、そこに現れた人物に目を奪われる。

 

 

 

 

 

『今日のしのっちFCは、特別企画! 昨年日本代表にも選出された進藤浩介選手が初登場! バーを舞台にしのっちとお酒を酌み交わす!』

 

 

深夜にやっているサッカー番組。人気芸人がMCを務めるサッカー番組であり、雰囲気を見る限りバラエティー色は強いものになっているらしい。

立ち上がりかけた腰を下ろし、リモコンを持ったまま電源を切ることが出来ずに番組の進行を見守る。

番組ではまず今週のヨーロッパのサッカー情報を放送し、MCのコメントの後、コーナーが切り替わる。

 

 

『さて、続いてのコーナーはこちら!』

 

 

数年振りにちゃんと見る浩介は、当時の面影はもちろん残っていつつも、より大人っぽさが増していた。スポーツニュースで出てきた時は、避けるようにチャンネルを切り替えていたために気付かなかったが、少年はいつか青年になっていたらしい。

彼がお酒を飲むところなど全く想像がつかない。笑顔でお酒を飲む姿は麻美子の目には新鮮に映る。

あまりアルコールに対して強くないのか、ほんのり頰を赤くしながら芸人に弄られつつ話は弾んでいく。

 

 

 

『そういえば進藤選手、恋愛とかはどうなの?』

 

『恋愛ですか? そうですね……』

 

『恋人の一人や二人くらい、いるでしょ?』

 

『いやいや。全然モテないですし、いないですよ』

 

 

恋愛の話を聞くだけで胸が痛くなる。彼に彼女がいるかどうかなんて聞きたくない。

自分から振ったくせに未だ未練がましい。そんな自分が嫌いになる。

 

 

 

『……ずっと待っている人がいるんです』

 

 

浩介は少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうに顔を綻ばせる。

 

 

『待ってる人?』

 

『はい。その人は今、夢を叶えるために頑張っていて。いつか夢を叶えたらまた会おうって』

 

『そういう約束してたんだ』

 

『結構一方的なんですけどね』

 

『え、そうなの? もしかしたら、その人はもう結婚しちゃってるかもしれないじゃん』

 

『そうですね。でもあの人が幸せなら、それでも良いかなって』

 

『はあ〜。俺なら許せない!ってなるけど、進藤選手は大人だね』

 

『連絡先も知らないので……。もう会う手段はないんですけどね』

 

『じゃあ、もしかしたらこれを見てるかもしれないから伝えないと!』

 

『いやいや、サッカー見ない人でしたし。深夜なら余計に見てないと思いますよ?』

 

 

見てるよ。

心の中で返事をする。涙が頰を伝う。嬉しい筈なのに、涙が止まらない。

 

 

『じゃあ……。麻美子さん、夢は叶ったでしょうか? 俺の気持ちは、あの日から変わりません。もし、これを見ていたら連絡下さい』

 

『いよ! 色男!』

 

『何でですか! すっごい恥ずかしいですよ!』

 

『顔真っ赤だね〜』

 

 

 

 

 

視界が滲み、画面がちゃんと見えないままコーナーは終わった。拭うことなく、カーペットにシミが出来る。

将来を潰しちゃいけないから。勝手にそう思っていたのに、それは違っていた。

 

––––ずっと待っていてくれた

 

 

道が違えているとかいないとか。勝手に決めつけて、勝手に別れを告げて。自分がやったきたことは間違いだったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

不意にベッドに放り投げていたスマホが震える。番組が終わったタイミングでの通知に、驚きつつ恐る恐る画面を確認する。

電話の主は妹の久美子であった。月に一度やり取りをする程度の妹からの急な連絡に首を傾げながら画面をスライドする。

 

 

「もしもし?」

 

『もしもし、お姉ちゃん?』

 

「どうしたの、こんな時間に」

 

『今やってたサッカー番組見た?』

 

「……うん、見たよ」

 

『あれが浩介さんの本音だよ』

 

「それは伝わったよ。でも、私から言えることなんて––––」

 

『逃げるの? あの時、もう後悔しないって言ってたのに。また後悔することになるよ?』

 

 

久美子の指摘に息がつまる。返す言葉もない。

ここで連絡を取ることが出来なければ一生後悔するだろう。それは麻美子自身理解している。

しかし。

 

 

「連絡先も分からないし、今さらだよ」

 

『それなら今から浩介さんの連絡先伝えるから。絶対に連絡しなよ』

 

「え、」

 

『じゃあね』

 

 

ツーツー……。

通知を終了する音を告げるスマホを呆然と見つめる。

一分も経たない内に再びスマホが震える。アプリを立ち上げると、見知らぬ電話番号と一言メッセージが届いていた。

 

 

––––今度はお姉ちゃんの番だよ

 

 

 

 

 

 

 

大学生になってから、妹はより強気になったような気がする。教えてもらったは良いが、流石にこのタイミングで電話をかける勇気はない。

明日、電話することを伝えようと返信のメッセージを送ろうとし、瞬間––––間違えて電話番号の書かれた箇所を押してしまった。

 

 

「あ、」

 

 

急いで終了ボタンを押そうとする前に、コール音が止まる。

 

 

『はい、もしもし』

 

 

電話越しでも分かる、浩介の声。先ほどテレビで聞いたばかりの声。心臓が強く鼓動する。

 

 

『あれ? もしもし?』

 

 

ゴクリと息を呑む。震える手を抑えながら、耳を近付けた。

 

 

「も、もしもし……」

 

『え、』

 

 

驚きの声を挙げ、そのまま静寂が訪れる。彼は外にいるのだろうか、喧騒が微かに聞こえる。

 

 

『もしかしてだけど……、麻美子?』

 

「う、うん。久しぶり……」

 

 

以前はどんな風に話していたのか忘れてしまったために、少しよそよそしい返しになってしまった。失敗したと思いつつも、次の言葉を待つ。

 

 

『久美子ちゃんから聞いたのかな』

 

「そうだよ。久美子とは連絡取ってたんたね」

 

『うん。ずっと心配されちゃってたよ』

 

 

そっか。呟いたまま再びお互いに黙り込む。何を言えば良いのだろうか。

 

待っていてくれてありがとう?

またやり直そう?

 

都合の良いセリフしか浮かばない。

 

 

 

––––今度はお姉ちゃんの番だよ

 

 

久美子の言葉がリフレインする。

 

 

「もう、後悔しない……」

 

『うん? ごめん、聞こえなかった』

 

「浩介、今から会えないかな。どうしても伝えたいことがあるの」

 

 

 

 

 

数分後、スマホと財布を持って部屋を飛び出す麻美子の姿があった。

上手く言葉にならないかもしれない。呆れられてしまうかもしれない。

でも、この気持ちは伝えないといけない。

 

いつか別れていた道は再び交わる時が来た。交差点で待っている浩介の元へ、今度こそ麻美子の足は止まらない。

 

 

 

 

 

 

 




久美子はお兄ちゃん子になる模様。

しのっちは年末になると鍋を食べたりリフティングの技を披露したりする企画が待ってたり。

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