香織先輩に彼氏がいたならば【本編完結】   作:お家が恋しい

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第五話

その日、サッカー部は珍しく早めに練習が終わった。

今週は三者面談が行われており、顧問の山田が顔を出せないこと、大会が近いため疲れを溜めないよう軽めの調整メニューとなっていた。

 

部員が練習を終え引き上げた後、浩介はとある人物を待ちながら一人練習を続けていた。

幸いにも今日グラウンドを使用している部活は陸上部のみであり、咎める声はない。

 

 

 

 

 

 

「すまん、浩介! 待たせた」

 

 

踏み込み方や膝の曲げ方など何度も確認するようにゴールへと蹴り込んでいると後ろから声が掛けられた。

青色のジャージ姿に同じく青のエナメルバッグを肩にかけ手を振る男性––––北宇治高校サッカー部前部長の佐藤であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***********************

 

 

 

 

『それではみなさん、体操服に着替えて下さい。着替えたら楽器を持ってグラウンドに集合して下さい』

 

 

現状を打破するために行われていたパートリーダー会議を時間の無駄と切り捨てた滝は、今日はグラウンドでの練習を行うと説明する。

 

パートリーダー会議は、吹奏楽部における最高意思決定機関である。部内の意思の統一などを図るため、伝統的に行われてきた方法であり、それを『無駄』と切り捨てることほど部員の反発を招く発言はないだろう。しかし、現顧問は滝である。吹奏楽部の部員達は急な滝の言葉に文句を言いながらも、渋々と準備を進めていた。

 

 

 

 

 

準備を終えた久美子たちがグラウンドに到着すると、練習中であろう、陸上部の姿が見えた。それ以外の部活はグラウンドを使っていないようである。まさに絶好の運動日和だ。

まだ春先であるにもかかわらず強めの日差しが肌を照りつける。

運動できる格好でグラウンドに集合する––––運動が苦手な久美子には嫌な予感しかしなかった。

 

 

数分も経つとぞろぞろと部員が集まりだす。滝は全員が集まったことを確認すると笑みを浮かべた。

 

 

「では、全速力で一周走ってきて下さい。タイムは90秒です」

 

 

不満をぶつける部員たちを無視し、手を叩くと滝はスタートを切らせる。葉月のスタートを皮切りに次々と部員たちは走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「浩介、あそこで走ってるの吹部じゃないか?」

 

「え? ああ、そうみたいですね」

 

「陸上部兼任でも始めたのか」

 

「何でも、今年から新しい顧問が来て、なかなか面白いことになってるみたいですよ」

 

 

へぇ、と楽しそうな顔をする佐藤にパスを出しながら、浩介はチラリと走っている香織を見つける。真剣な表情で走っている香織に、今吹奏楽部が少しずつ変わろうとしている––––そんなことを強く予感させた。

 

 

 

 

「彼女に見惚れているのも良いけど、せっかく時間作って来てるんだからそろそろ始めるぞ」

 

 

不意に佐藤から声を掛けられ慌てて返事を返す。

何も佐藤に遊んでもらうために来てもらった訳ではない––––もう一度全国の舞台に立つ、今年のサッカー部の目標の達成のために来てもらっている。

 

今年から大学のトップリーグでプレーする佐藤に、同レベルの相手との練習では見えてこない欠点を洗い出してもらう。少しの間だけ東京から戻ってきていることを知り、無理を承知でお願いしたのだ。

快諾してくれた佐藤には感謝しきれない。

 

名残惜しいが、可愛い彼女に目を奪われている場合ではない。パンッと顔を叩くと真剣な眼差しで佐藤を捉えた。

 

 

「よし、じゃあ早速始めようか」

 

 

佐藤からボールを受けると浩介は勢いよく蹴り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「走り終わった人から楽器を持って吹き始めて下さい」

 

 

全力疾走を終えた部員たちへ滝は次の指示を出す。一人、また一人とゴールした部員は、ヘロヘロになりながらも楽器を手に吹き始める––––しかし、呼吸も整っていない状態でマトモに音は出ない。

それこそが滝が部員を走らせた目的なのだろう。

 

香織は横目で浩介が練習しているのを見つけ、より真剣に取り組んでいた。浩介が見ているかもしれないから一層頑張る、不純な動機ということは百も承知だ。でも、それで少しでも上手くなるなら結果オーライなのかな。そんなことを思いつつ、トランペットに息を吹き込む。普段のようには鳴らなくとも、それなりには音を出すことは出来た。優子の尊敬する眼差しに苦笑いしながらも香織は練習を続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい。では一度休憩にします。水分補給はしっかりして下さい」

 

 

休憩を告げる滝の言葉に部員は次々と座り込んでいた。今までの練習では運動部のように全身を動かすことはあまりしてこなかった。そのため、かなり肉体的に疲れが出てきている。

中学時代にテニス部で活動していた葉月はまだ余裕がありそうであるが、久美子や緑輝はヘトヘトに疲れていた。

 

 

「もう呼吸するのも辛いです」

 

「ね。腕の筋肉がもうユーフォ持てないって言ってる」

 

「もう二人ともダラシないよ。私はまだ元気だよ!」

 

 

元気にポーズをとる葉月に反論する言葉すら出てこない程に久美子は疲れが溜まっていた。雲ひとつない快晴が憎い。そんな気分にさえなってくる。

 

 

 

 

「プレーが軽い!」

 

 

不意にグラウンドに声が響いた。声のした方を向くと、つい昨日会話した浩介が寝転んでいるのが見えた。

久美子と葉月は目を合わせ首を傾げながらも、成り行きを見守ることにした。

 

 

「ほら! もう終わりか? 帰って寝るか?」

 

 

佐藤の挑発に浩介は立ち上がると佐藤へとボールを送る。

 

 

「もう一本お願いします」

 

「気を抜いたプレーからの失点で負けたら一生後悔するからな。プレー中は絶対気を抜くな」

 

 

はい、と返事をすると浩介は再度ドリブルを開始する。

大学サッカー界でもトップクラスのチームに早速レギュラーとして活躍している佐藤に対し、浩介はフェイントを掛けながら抜き去ろうとするが、全く歯が立たずに体をぶつけられ倒される。

 

 

「今のもファウルにならないからな? 体ぶつけられた位で簡単に倒れるな」

 

 

悔しい。

その一言が浩介を支配する。学年が一つ違うとはいえ、ここまで如実に実力差があるのか。

連日の猛練習で今は体が重いことも原因かもしれない––––それでも全く歯が立たない現状に心が折れそうになる。

 

 

「こんなんじゃ今年は立華には勝てないな。去年のはマグレって言われ続けるぞ」

 

 

佐藤の容赦ない切り捨てに拳を握りしめ立ち上がる。

 

 

––––北宇治が勝てたのはマグレ。立華ならもっと勝ち進めた

 

サッカー部が全国大会の一回戦で負けた後、嫌というほど周りから言われた言葉。

その言葉を払拭するため、今年の三年生の気合は違っていた。今週末から開催される大会も、小さい規模のものではあるが、結果に拘っている。

 

 

「ほら、もう一本いくぞ!」

 

「はい!」

 

 

 

 

 

 

 

「なんだか、サッカー部は厳しいね」

 

「二人しかいないけどね」

 

「三年生の進藤先輩が敬語使ってるってことは、あの方はOBの方でしょうか?」

 

「じゃあ一人だね」

 

「久美子はサッカー部に厳しいのね」

 

 

別に厳しいつもりはない。思いながらも特に否定の声はあげなかった。それよりも、どうしたらあんなに全力になれるのだろう。そのことに考えが奪われていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「香織、進藤のこと気になってるの?」

 

「え、そんなことないよ!」

 

 

水筒のお茶を飲みながらボーッと浩介を見ている香織に晴香はニヤニヤと近づいてくる。香織は顔を赤くしながらも慌てて否定する。

青春してるね、と茶化しながら晴香は隣りに座る。

 

 

「相変わらずすごいね」

 

「うん」

 

「あれが本気で全国を目指すってことなのかな。私たちとは大違いだ」

 

 

ため息をつく晴香に香織は肯定も否定もしなかった。確かにあの光景を見ていると、同じ全国を目指すという目標に対して吹奏楽部とは全く異なる。

でも、吹奏楽部も今少しずつ変わろうとしている。

 

今は必死に取り組んで、そしたら––––晴香が変えてくれる。

浩介に言われたからではないが、何となく香織は隣りで落ち込む部長が吹奏楽部を全国に連れて行ってくれるのではないかと期待している。他力本願みたいな考えは良くないんだけど。

 

 

「……期待してるよ、晴香」

 

「うん? 今何か言った?」

 

「何も言ってないよ。ほらそろそろ休憩終わるから行こっか」

 

 

香織は立ち上がり背伸びをする。不思議とさっきまでの疲れはなくなっていた。

 


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