香織先輩に彼氏がいたならば【本編完結】   作:お家が恋しい

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第十六話

何かおかしい。

国際大会を終えて、高校に復帰した初日。クラスの雰囲気がいつもと異なることに気付いた。クラスにいる吹奏楽部員を中心に、という表現の方が適切かもしれない。

 

困惑しているような、不安を抱えたような表情をしている彼女らの様子に、流石に直球で訊ねることは難しい。浩介は、クラスの男子に事情をそれとなく聞いてみることにした。

情報通を気取りやや自慢げに語る口から出てきた内容は衝撃的であった。

 

二日ほど前に、あすかの母親が、あすかを吹奏楽部から退部させると怒鳴り込んで来たらしい。放課後になったばかりの職員室での出来事であったため、目撃者は多く、さらに学年トップの成績を誇るあすかは校内でも有名人である。

そんな有名人の一連の出来事は噂となり、瞬く間に全校に広がった。そして、あすかは吹奏楽部の練習に来なくなった。

浩介が学校にいなかったのは一週間だ。たった一週間のうちに、あまりに急に話が展開されており、思わず耳を疑った。

 

しかし、吹奏楽部員たちの顔を見る限り、多少助長されている部分はあれど話は本当なのだろう。全国大会を控えている中、精神的支柱でもある副部長が退部するなど到底考えつかない状況に、困惑してしまうのも無理はない。月末には京都駅での駅ビルコンサートに出演するらしいが、現状のままでまともに演奏など出来るのだろうか。

 

話をひと通り聞き終え、昨日、今日と香織からの返信に時間がかかっていた理由がやっと分かった。ただ、このままでは、吹奏楽部は駅ビルコンサートはおろか、全国大会どころではなくなる。

特に、あすかに憧れを抱いている香織は、間違いなく冷静に演奏できる状態にはない筈だ。

家庭の問題であり、他人が容易に踏み込める訳もない。ましてや、あすかが他人にそれを許すこともしないだろう。まさに八方ふさがりである。

 

浩介は、授業中も教師の声をBGMに考え続ける。ノートの端にシャーペンで丸を描き、そこをぐるぐると何度もなぞる。あすかとの関係が希薄な浩介では、全く名案は浮かばない。

そもそも何故自分が、あすかを部に戻すための方法を考えているのか。あすかが退部したところで、浩介にとって大して困ることはない。強いて言えば、香織を慰めることに全力を注ぐことにはなるが、それを回避するために頑張るにしては何処か違う気がする。

 

頭を捻っても答えは出ない。喉まで出かかっているような状態にイライラしつつも、前に座るクラスメイトが問題を解くよう指名されたため、一度頭の片隅に追いやり、教員の話を聞いているフリをする。

曇り空からは陽射しが差し込むこともなく、湿った空気がクラスの雰囲気を重たくしていた。

 

 

 

 

 

一週間が経過しても状況は好転せずにいた。むしろ、全くあすかは部活に姿を現しておらず、悪化していると言ってもよいだろう。昼食中も考え事を続ける香織の目に心配が現れていることは、十分に伝わってくる。時折スマホの画面を見ては、ため息を吐くそれは、まるで想い人からの連絡を待っているようにも見える。

 

浩介は目の前で沈んだ彼女に、何もすることが出来ないもどかしさを感じていた。慰めたところで、根本的な解決が成されない限り、香織は変わらずに落ち込み続ける筈だ。

誰かが、あすかを説得してくれれば––––。そんな淡い期待をしてしまうことが、自分の無力さをより痛感し悔しくなる。もちろん、部外者である以上、仕方のないことではあるが。

 

視界の端に晴香が映る。吹奏楽部の部長である晴香は、今はそこまで落ち込んでいる様には見えなかった。最も精神的に影響を受けるであろう彼女の落ち着きっぷりが余計に際立つ。

何故だろうか。弁当を片付け、自分の教室へと戻って行く香織を見送り、浩介は席を立った。

 

 

「よ、部長」

 

「うん? 進藤か。何?」

 

 

広げていた単語帳に目を落とし、晴香は用件を促す。私は勉強で忙しいです、とでも言いたげな様子を無視し、浩介は向かいの席に座り目線を合わせた。

 

 

「部長殿は、あまり落ち込んでないように見えてね。うちの香織が大げさなのかもしれないけど。それにしても小笠原の表情は他の部員とは違って見えたからさ」

 

 

晴香は単語帳から目を離さず、ページを捲る。しかし、その目は確実に揺らいでいた。

 

 

「もちろんショックだよ。あすかが部に戻ってくるために、私たちに何が出来るか考えたりしてるし。……今度は私たちがあすかを支えていかなくちゃいけないんだって思ってる」

 

「そっか……。小笠原も成長してるんだな」

 

「何よ、それ」

 

 

呆れを含んだ声色は、浩介にいつもの晴香であることを伝える。晴香は、部長としてあすかを部に戻すための方法を模索している。以前の晴香であれば、不安げに右往左往していたことは想像に難くない。

しかし今は落ち着いて冷静に考えられているようだ。

 

 

「いや、褒めてるつもりだよ。……俺は部外者だけどさ、何か協力出来ることあったら言ってよ」

 

「ありがと。あるか分からないけど、その時は声掛けるね」

 

 

おう、と返事をし、浩介は席を立った。

多分出番はないだろう。それは重々承知している。でも、もし何かあれば、香織のために行動する気持ちは強くある。それが結果的に吹奏楽部のためになるだけだ。

 

結局、行動を起こす根本には香織がいるんだな。自分の考えに自嘲の笑みを浮かべる。

自分の席に戻り、引き出しから一冊の教科書を机に置いた。受験を控えた三年生が、昼休みを使って勉強する姿は多くはないものの、決して珍しい訳でもない。

ただ、浩介は進路が決まっており、積極的に休み時間を勉強に費やす必要はない。偶然別のクラスから遊びに来ていた名来は、浩介が教科書に向かい合っている様子を見て、不思議そうに本のタイトルを覗き込む。

 

『初心者のためのドイツ語』

 

 

「進藤そんなの読んでるの?!」

 

「ん? ああ、そりゃドイツ語話せないと不味いし、少しでも勉強しとかないとね」

 

「はあ……。進藤も大変なんだな」

 

「選んだのは自分だからさ。頑張るだけだよ」

 

 

浩介の目には決意が見えていた。週に一度であるが、山本の紹介で会話のレッスンも受けている。入団するまでに、少しでも会話を出来るようになることを目標に、空いている時間を勉強に費やしていた。

 

 

「俺とは大きな違いだな」

 

「でも、ナックルも勉強してるだろ?」

 

「うーん、まあ、全国大会が終わったらやる予定だよ」

 

「なかなかに遅いスタートだな」

 

「部活が忙しくてさ、帰ったらヘトヘトで直ぐ寝ちゃうんだよな」

 

 

頭を掻きながら、視線を逸らす姿から受験勉強はほとんどしていないことが伺える。名来は勉強が出来ない訳ではない。

その集中力が勉強に向けられれば、試験で高得点を取ることはある。ただ、中間試験の点数が非常に低かったなど、かなり追い込まれなければ発揮されない。

勿体無いと思ってしまうけれども、それも彼の魅力なのだろう。友人に呼ばれ、浩介に別れを告げると入口へと向かっていく。浩介は、その後ろ姿が消えたのを確認し、教科書に目を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***********************

 

 

 

 

あすかの件は、解決することなく月を跨いだ。

一方で先月末にあった駅ビルコンサートは、盛況だったらしい。浩介は、サッカー部の遠征があったために聴きに行くことは出来なかったが、偶々居合わせた友達に聞くとかなり盛り上がっていたとのことだった。

特に、部長の晴香のソロ演奏はプロに負けず劣らずのものだった。興奮気味に話す友人の様子に若干引いてしまったが、実際に晴香のソロは凄かったようだ。

そう話す久美子が、相談を持ち掛けたのは昼休みの出来事であった。

 

駅ビルコンサートが終わり、それでも尚、部活に本格的に復帰出来ずにいるあすかに対し、静観を決めていた顧問の滝はついに動いた。

今週までに復帰の見通しが立たなければ、全国大会本番は夏紀があすかの代理で演奏する。その発言に、部員は戸惑いを隠せなかった。

多くの部員があすかが部に復帰することを望んでいる。どうにか出来ないか、特に香織の焦りは尋常ではなかった。

あすかと何度も話し合い、何度も説得し復帰させようとしていた。しかし、あすかは聞く耳を持たずに、はぐらかすだけであった。

 

 

『あすか先輩を連れ戻すぞ大作戦』

 

香織が銘打って立てられた計画は、あすかの家を訪問する予定の久美子に、あすかの母親の好物を持たせ、勢いで母親を説得する。

作戦名のセンスのなさは誰もが感じていたが、香織がつけた以上意見する者はいなかった。しかし、中にはその彼氏に一言申したい人間も出てくる。

 

––––あんたのセンスのなさが香織に移ったんじゃない?

 

晴香の嘆きに浩介はその言葉に少なからず傷ついていた。確かにセンスがないことは自覚している。しかし、こういったことに関しては香織もあまりセンスはない筈だ。つまりは五十歩百歩であって自分のせいではない。

そう言い返したい気持ちはあるけれども、どこから香織の耳に入るか分からない。入ったら最後、一週間は口をきいてくれなくなる。浩介はグッと耐えるように言葉を呑み込んだ。

 

そんな作戦の失敗を経て、久美子は今浩介の目の前にいた。

 

 

「少しお聞きしたいことがあるんですけど、お時間良いですか?」

 

 

浩介の都合を伺う後輩、久美子が何かに悩んでいることは明白であった。そして、それは多分あすかに関することなのだろう。

香織から久美子があすかの家を訪問していたことは聞いている。あすかが家に入れる程には気を許している人物。

あすかを説得出来るとしたら久美子だけだ。その久美子が悩んでいる。

 

 

「時間は大丈夫だけど、人に聞かれたくなさそうな内容みたいだし、外に出ようか」

 

 

とりあえず、浩介は場所を変えることにした。

 


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