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始めからトップチームには加わることはない。まず、山本は初めに断言した。
「高校を出たばかりの浩介が、直ぐにトップチームに加わるのはまず間違いなしに無理だな」
資料をめくり内容を確認する山田は当然というように頷く。ドイツのリーグで上位争いをするチームが、ポッと出の高校生をメンバーに入れるなどそんなに甘いはずはない。それこそ超一流の選手でない限りはアンダー世代、つまりは下部組織で過ごすことになる。
では、どのようにトップチームに加わることが出来るのか、山本は二本指を立てた。
「可能性としては二つある。一つはリザーブチーム、まあ要は二軍だな。そこに入ること。うちのリザーブはドイツの三部リーグを二十二、三歳までのメンバーで戦っている。そこで活躍すればトップチームに昇格するというシステムだ」
「三部リーグ……」
「別に三部だからってレベルは低くないからな? しかも全員が上に上がるために、毎日の練習から熾烈な争いをしているよ」
そして、と山本は続ける。
「もう一つは、レンタル移籍で他の国のチームに加入して、結果を残してトップチームに戻ってくること」
当たり前のことではあるが移籍先では日本語が通じる環境にはない。もちろん専用に通訳の人間をつけるなど、優遇することもない。高校を卒業したばかりの人間には過酷な環境であることは間違いないだろう。
浩介は息を呑む。
しかし、チームの現状や、下部組織の内容について山本の説明から、サッカーをするには魅力的な環境であることが分かる。よりプロとして成長するのにもってこいの場である。
「と、ここまではスタッフとしての話」
ただ、それはあくまでもチームスタッフとしての話。まずスタッフとしてチームに浩介を加入させるために、魅力的なことを伝えてきた。
山本は前置きすると、一度お茶で喉を潤す。
浩介の隣にいる山田は口を真一文字に結び、腕を組んでいる。空気が重い。まるで外と部屋の中で重力が異なるみたいだ。
「個人的なことを言うと、浩介がうちに来るメリットはあまりない」
「そうなんですか?」
「ああ」
山本は資料をめくり浩介に見せる。
「リザーブは、より実力を身に付けるのに良い環境ではある。……前提としてドイツ語を話せるのであれば、が付くけどな」
コーチや選手とのコミュニケーションは全てドイツ語で行われる。細かいニュアンスなど、ある程度ドイツ語に精通していなければ、指示通りにプレーすることさえままならない。
つまり、ドイツ語が全く分からない浩介には、スタートからハードルがかなり高く設定されていた。
「また、チームで使えないと判断されたら、直ぐに解雇される。温情で残すことは滅多にない。それがリザーブチームの決まりになっているんだ」
戦力外と判断されれば即解雇、空いた人員は常に下部組織から供給がされる。激しい競争が、トップチームの成績維持に繋がっている。
共に寮で生活していたルームメイトが、次の日にはいなくなることもあるという。
「レンタルの場合も、やはり言葉が通じないことは大きなハンデになる。意思疎通が滞ることは想像以上にストレスがかかる筈だ」
そこまで言い終え、浩介の目を見る。
山本の真っ直ぐな気持ちに、浩介は思わず目を逸らした。今の中途半端な気持ちを見透かされているような気がした。
「ただ、デメリットばかりではない。浩介がサッカー選手として化けるためには、海外に出た方が良い。何年も日本と海外とを行き来して多くの選手を見てきた人間としてそれは断言出来る。そして、うちには浩介が成長出来る環境は整っている」
まだ時間はあるから、じっくり考えて結論を出して欲しい。山本は、そう話を締めた。
校長は話し合いが終わると、空気に耐えられなかったようで逃げるように部屋を出て行った。
時期的にも、そろそろ進路を決めなくてはいけない。勝手に分かったつもりになっていた。だが、いざ目の前に選択肢が並ぶと、どうして良いか分からなくなってきていた。
夏に練習会に参加したことで、プロになりたい、さらに海外でプレーしたい気持ちが少し芽生えていたことは事実だ。
しかし、予想以上のハードルの高さに腰が引けてしまった。また、父親のこと、さらに香織のこともある。簡単に海外に行くなど言える訳もない。
嬉しい話ではあるけど、やっぱり––––
「山本さん、せっかくですから、うちのサッカー部の練習を見学されますか?」
「そうですね……。うん、新幹線の時間までは、まだ時間はありますし、ぜひ」
「進藤、」
「はい」
「今日は練習に参加しなくていいから、山本さんに聞きたいこととかあればしっかり聞いておけ」
「あ……、はい。分かりました」
普段であれば、練習に参加しなくて良いなどとは絶対に言わないであろう。急な話に混乱している浩介に配慮し、山田は落ち着かせる時間を設けた。
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「そう、なんだ……」
浩介が海外に行くかもしれない。その事実が心に重くのしかかる。
もしかしたら、卒業したらお別れなのだろうか。嬉しかった誕生日の余韻が煙となって消えていく。そこには空虚感しか残っていない。
「いや、俺は……。海外に行くべきじゃないと思ってる」
夜道に立ち並ぶ街灯に二人の顔が照らされる。
何かを抑えつけるように、それでいてどこか安堵した表情を見せる浩介に疑問が浮かぶ。
「なんで?」
「言葉が通じない環境で、自分より年齢も実力も上の人たちと争っていかなくちゃいけないなんて、まず無理なんだ。それで失敗したら元も子もないし」
チームをクビにされたら、高卒の資格しかない人間になってしまう。それは、今の日本の社会において、かなりリスクの高い挑戦である。せめて国内のチーム、もしくは大学進学が安全な道だ。
「諦めるの? もう一生ないかもしれないことなんだよ?」
無理なんだ。失敗したら。普段であれば出てこないワードはやけに耳障りであった。
香織は煮え切らない態度に次第にイラつきが募る。出会ったばかりのころから夢を語っておきながら、いざその立場になると及び腰になっている。失敗するから、と仕方ないから、と勝手に決め付けている。
そんなのは浩介らしくない。何が“らしく”ないかは上手く言葉に出来ないけど、兎に角らしくないのだ。
そして、次の浩介の発言に香織の堪忍袋の尾が切れた。
「それに香織だっているし、やっぱり俺は日本にいた方が良いと思うんだ」
「……いで」
「なに?」
「ふざけないで!!」
夜道に香織の怒鳴り声が響き渡る。
「か、香織……?」
「人を理由に夢を諦めるの?! その程度の夢だったってこと?!」
「いや、それは、言葉の綾であって––––」
「……帰る」
あまりの剣幕に浩介は黙り込むしかなかった。俯いて背を向ける香織にかける言葉が見つからない。
「……バカみたい」
ガツンと頭を殴られたような衝撃が浩介を襲う。微かに見えた香織の目に光るものがあった。
何を言っても、笑って流してくれると心の何処かで甘えていた。例え夢を諦めたとしても、一緒にいればそれだけで良いのだと勝手に勘違いしていた。
香織が見えなくなっても、浩介は動くことが出来なかった。自分を殴りたい衝動に駆られる。
「バカなのは俺の方だ……」
小さい呟きは空気に溶けていった。
朝、晴香が教室に入り、まず目に飛び込んだのは机に突っ伏す浩介の姿である。
誕生日プレゼントは、やっぱりセンスがなかったのだろうか。香織に手厳しいことを言われたのかもしれない。
癪だけど元気付けるためにおちょくってやるか。
意気揚々と浩介へと近付く。陰鬱とした雰囲気を醸し出されていると周りの空気も悪くなる。始業時間までには少し回復して欲しい。
「おはよう、進藤。やっぱりセンスないプレゼントで怒らせたの?」
「……うん? ああ、小笠原か……。おはよう」
そんな訳あるか。
笑顔でそう切り返してくると思っていたが、返ってきたのは予想以上に沈んだ返事であった。
目の下にはクマができ、明らかに表情が死んでいる。
「え、進藤? どうしたの? 顔ヤバイよ?」
「あー、ちょっと寝不足なだけだから大丈夫」
「いやいや、ちょっとどころか、当直明けのドクターみたいな顔してるから」
「試験前はみんなこんな感じでしょ?」
問題ない、と席を立ち上がり元気であることをアピールしようとしてよろける。明らかに異常である。こんな状態では授業どころではない。
「先生に伝えとくから保健室行きな?」
「いや、大丈––––」
「行ってこい」
「……はい」
ドスを効かせた声で強引に頷かせ、ドアへと向かわせる。真っ直ぐに歩けていない後ろ姿に不安が大きくなる。何が浩介をそうしたのか。
「保健室に行くこと香織にも伝えとくね」
やはり香織が原因か。ビクリと一瞬体が震えたのを見逃さなかった。
理由は分からないが、相当に香織を怒らせる何かをしたのだろう。浩介は香織に弱い。
部の危機を乗り越え、全国大会出場を決めたと思ったら、また面倒ごとがやって来た。浩介がこの状態では、きっと香織も普通ではない筈だ。
演奏に影響が出る可能性もあるし、友人としても放っておく訳にはいかない。
晴香はため息をついた。
「進藤だけど、体調が悪いから保健室に行ったよ」
昼休みに入り、久しぶりに晴香は香織と昼食を共にしていた。何気なく浩介の状態を伝えると予想通り反応を示した。
ガタッと立ち上がりかけ、怒っているのを思い出したように座り直す。澄まし顔のつもりだろうが、節々から浩介を心配していることが伝わってくる。
そんなんなら喧嘩しなければ良いのに。晴香は弁当をつつきながら思う。
「……そうなんだ。まあ、私には関係ないよ」
「昨日、何があったの?」
「そんな話すようなことはなかったよ」
「何意地になってるの」
「意地なんかはってないよ」
ソッポを向く香織の様子から今回は本気で怒っていたことが伝わる。
一晩経って、冷静になったことけれど許すタイミングを逃していることも。
「あ、私この後暇だし、保健室で寝ている進藤見に行こうかな」
「それはダメ!」
言いかけて咄嗟に口を塞ぎ、晴香の目をチラリと気まずそうに伺う。
「……で、どうするの?」
「今さら、会いになんて行けないよ」
後悔が押し寄せる。何であの時怒鳴ってしまったのだろう。
浩介は悪くないのに。悲しくて、辛くて。ネガティブな気持ちが押し寄せ、香織は俯く。
「カップルして面倒なんだから」
お互いのことになると、うじうじしたり素直になれなかったり。本当似た者同士である。
でも想いあっているからこそ、互いに頑張ることが出来ている。それは羨ましいと正直思う。
晴香は香織の頭を撫でる。
「香織に進藤が必要なように、あいつにも香織が必要なんだよ。何で喧嘩したのかは知らないけど、ちゃんと話し合いな?」
「でも、たぶん……、怒ってると思う。酷いこと言っちゃったし」
「怒ってるかどうか確認してきなよ。悩むのはそれからだよ」
「うん……」
このままだといつまで経っても動き出そうなない。まだ昼休みの時間はたっぷりある。
晴香は香織の手を掴み立ち上がった。