香織先輩に彼氏がいたならば【本編完結】   作:お家が恋しい

41 / 70
第八話

よりレベルの高い演奏。

府大会とはまた異なる演奏に圧倒された約十分間であった。

それしか感想が出てこないのは音楽に造詣が浅いせいだろうか。浩介は周りの観客に負けない、いや誰よりも大きく手が痛くなるほどに叩き続けた。

 

北宇治高校の前に演奏していた学校も強豪校であることは聞いていたが、全く遜色がないように思えた。周りの観客の拍手がそれを物語っている。それだけレベルが高い演奏を披露する吹奏楽部員に尊敬の念を強く抱く。そして彼女が、友達が、後輩たちが讃えられていることが誇らしくもあった。

 

まだ演奏を行なっていない残りの高校数から考えても、結果発表の時間まではまだ二時間近くある。一度香織たちに会いに行くかな。浩介は席を立ち、ホールを後にした。

 

ホールの外は全く別の世界のように見える。陽の光が眩しく降り注ぐ。世界から音が戻ってきたような、そういえば人が集まるとこんな感じだったと改めて確認する。

コンクールの緊張感から解放された空気に浩介はホッと一息ついた。蝉の鳴き声が鳴り響く中、遠くに北宇治高校の制服の集団を見つけた。

 

 

 

 

 

 

 

「では結果発表までは自由行動とします」

 

 

滝の言葉に吹奏楽部員は各々別行動をとる。緊張感から解放され明るい顔をしている人が多いことからも演奏は満足いくものであったことが伺える。

秀塔大付属高校の演奏を聴くことは吹奏楽部共通の認識としてあるが、それ以外は完全に自由に過ごすようだ。

香織は優子の誘いを断るとスマホの電源を入れる。優子も断られることは予想していたため、また後で、と会釈して直ぐ他の部員とホールへと向かって行った。他校の演奏から色々学ぼうとしているらしい。

 

待ち受け画面が表示されたスマホには期待していた通知は入っていなかった。もしかして、もう帰ってしまったのだろうか。ジリジリと熱が皮膚に突き刺さる。

とりあえず電話してみよう。電話をかけるために画面を操作していると、ポンと頭に手が置かれた。

香織は顔を上げる。いつもと変わらない笑顔の浩介がそこにはいた。

 

 

「お疲れさま」

 

「うん。私たちの演奏聴いてくれた?」

 

「正直、鳥肌が止まらなかった」

 

「でしょ?」

 

 

顔を見合わせると笑いあう。

二週間という期間は短いようで、しかしとても長い期間であった。浩介に伝えたいことは沢山ある。

でも、まずは。

さっき言えなかった一言が喉を震わした。

 

 

「おかえりなさい」

 

「ただいま」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

香織は晴香とホールに入っていった。

浩介はその後ろ姿を見送る。結果発表までの時間を一緒に過ごしたい気持ちはあるが、まだ従兄弟から検査結果の連絡が来ていない。

いつ連絡が来ても良いように浩介は会場の外にいた。

今は関西の三強の一つ、秀塔大付属高校の演奏中である。自分たちとの演奏に磨きをかけるため、さらには来年以降を見据え、ほとんどの部員は会場内にいるはずである。

浩介はボーッと木々を眺める。周りに聞こえる日本語が、日本に帰って来た実感をもたせていた。湿気を帯びる夏の暑さもどこか懐かしさすら感じさせる。

手に持ったペットボトルについた水滴がヒンヤリと手を冷やす。ボーッとしていると不意にスマホが震えた。

 

 

 

 

検査結果は特に問題がなかったらしい。従兄弟からの電話に肩の力が抜けた。油断して良い訳ではないけれども、とりあえずは一安心である。浩介は御礼を伝えるとスマホをポケットにしまう。

 

それから大分時間が経った頃に視界の端に見覚えのある制服が通り抜ける。

彼女と前回会ったのはいつの頃だろうか。それこそ府大会以来かもしれない。

久美子がチラチラと何かを見ながら一人立っている姿は浩介からは目立って見える。視線の先には黒い衣装に身を包んだ学生が、どこかの学校の制服を着ている学生と一緒に階段に座っていた。二人は多分同じ高校の生徒なのだろう。何となくそう思えた。

 

 

 

 

 

 

どの学校にもドラマはある。

それが良い内容なのか、悪い内容なのかは分からなくとも、何事もなく関西大会まで駒を進めてきた高校は少数であると思っている。

自分たちもその高校の一つなのだから。脳裏には麗奈の顔が浮かぶ。

 

だから、例えソロを担当する三年生が、本番の数日前に怪我をして出場出来なかったとしても仕方ないのだ。

久美子はそう割り切ることが出来なかった。

秀塔大付属高校の演奏らしからぬミス。自分たちが全国に行くために、失敗してくれたなら。確かにそう願ってしまったことは事実である。

緑輝のように純粋に相手の演奏を賞賛することは出来ない。全国大会に行きたい気持ちが強くなればなるほど、その願いは心の中の大半を占めていた。

 

しかし、いざ目の前の出来事を見たときに、喜びは出て来なかった。

 

 

「大会って辛いよな」

 

 

急に声が降ってくる。

慌てて顔を上げると浩介が神妙な顔をしていた。声を聞くのは合宿で電話して以来になる。いつの間にかドイツから帰ってきていたようだ。

 

 

「進藤先輩……」

 

「どの学校もミスをしないなんてことはあり得ない。むしろサッカーより吹奏楽の方がミスをした時のカバーは難しそうだよな」

 

「私……。心の何処かで失敗してって願っていました」

 

「うん」

 

「でも、こんな場面は見たくなかったです」

 

 

久美子は視線を落とす。

同情をしてしまうのは失礼なことは分かっている。でも、あの涙を見てしまった今、全国大会に行けたとして素直に喜べるのか分からなくなっていた。

勝者がいれば敗者がいる。それがコンクールなのだと分かっていた筈なのに。

 

 

「じゃあ今までの努力をゴミ箱に捨ててでも、秀塔大付属に全国に行って欲しい?」

 

「今までの努力––––」

 

 

入学してから今日までのことを思い返す。

 

 

––––特別になりたい。

 

 

 

大吉山での麗奈の言葉。

あの時はまだ理解することが出来なかったが、今なら分かる。あれだけ練習に取り組んできたのだから。

例えどれだけ努力したとしても、その努力の方向が間違っていたのならコンクールで良い成績は貰えない。

では、北宇治高校吹奏楽部の努力の方向は間違っていたのだろうか。久美子は間違っていたとは思っていない。

滝を信じて、吹奏楽部のみんなが彼なら、さらなる高みへと連れて行ってくれると信じてついていった。

 

それが今日の演奏に結果として現れている。何十回、いや何百回に一回の出来が本番に出すことが出来た。

 

行きましょう。全国へ。

 

尊敬する先輩たちとまだ部活を続けていたい。

 

 

「……全国に行きたいです」

 

 

ゆっくりと噛みしめるように、確かに自分の言葉として口から気持ちを示す。

 

 

「黄前ちゃんも変わったね」

 

 

浩介は久美子の頭に優しく触れる。

まだ入学したばかりの頃には強い決意など持っていなく、流されている印象があった。しかし、今の久美子の顔は勝つことを義務付けられた強豪校の部員の顔つきと遜色ないように見える。

それだけの覚悟が備わっている。

 

 

「ならば、絶対にあの光景を忘れちゃダメだよ? 上に行くということは、その想いを背負って行くことになるんだと思う。負けた人たちが納得出来る結果を出していかなくちゃいけない、少なくとも俺はそう思ってる」

 

「想いを背負う……」

 

「まあ、そこまで深く考える必要があるのか知らないけどね」

 

 

浩介はカラカラと笑う。

その様子に久美子は納得する。この先輩も同じことを考えた時期があったのだろう。だからあれ程に練習に打ち込めているのだと。

 

 

「ところで先輩?」

 

「うん?」

 

「いつまで頭撫でているんですか?」

 

「おお?!」

 

 

完全に無意識だった……。そう呟き自己嫌悪に陥る浩介の姿が可笑しくて笑ってしまう。

 

 

「香織先輩が知ったらどうなるんですかね」

 

「それだけは絶対にやめて下さい。お願いします」

 

 

浩介は躊躇なく頭を下げた。何のプライドもなく腰を直角に曲げる浩介に若干引きながらも、目線を逸らしながら頰をかく。

 

 

「いや、まあ。別に嫌ではなかったですけど……」

 

 

もし兄がいたらこんな感じだったのかもしれない。五つ離れた姉とはあまり仲良くしていないせいで、余計にそう思ってしまう。

 

 

「何か言った?」

 

「何でもないです! それより、香織先輩には言いませんから早く頭上げてください」

 

 

一向に顔を上げる気配のない様子に周りの視線が痛くなってくる。制服から学校が分かってしまうため、余計な問題を起こしかねない。

後輩に頭を下げる先輩を見たくない気持ちも強くある。先輩には堂々としていて欲しい。

 

 

「久美子、ここにいたの」

 

「麗奈、」

 

「高坂さん、久しぶり」

 

「……こんにちは」

 

「ソロ凄かったね。鳥肌がとまらなかったよ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 

戸惑いながらも礼を言う。

以前のソロパートのオーディション以来、どこか浩介に遠慮をしてしまうことがあるようだ。気まずい空気を変えるため、久美子は口を開けた。

 

 

「それより麗奈どうしたの?」

 

「あ、うん。今最後の高校の演奏が終わった。結果発表始まる前に集まらないと」

 

 

ついにきた。久美子は無意識に手を握りしめた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。