香織先輩に彼氏がいたならば【本編完結】   作:お家が恋しい

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今回セリフはアニメ準拠にしました。


第五話

「そっか……。あすか先輩も知ってるんだ」

 

 

久美子は自分が知ることとなった一連のことについて、思い出しながら口にした。

いつの間にか消灯の時間は過ぎており、ベンチに座る二人以外に人気は全くない。周りが闇に包まれる中、灯りが二人を照らしていた。

 

 

「ねえ、あんたさ、私のこと嫌い?」

 

「え、」

 

 

心臓がドキリ、と鼓動した。

 

 

「いや、嫌いというか、苦手––––」

 

 

あ。慌てて口を塞ぐが本音は漏れている。

優子はため息を吐くとお茶を口に含む。静かな空間に喉を通る音が聞こえる。空気が死んでいるような気がした。

 

 

「もしかして、オーディションのこと引きずってる?」

 

 

目を見開く様子から久美子の考えは優子にも伝わる。確かにあの一件は苦手意識を持たれても仕方がない。それだけのことをした自覚はあるし、下手をしたら部が崩壊したかもしれないのだ。特に一年生には衝撃的だったことだろう。

 

 

「言っておくけど、私は間違ったとは思ってないから。今でもソロは香織先輩が吹くべきだと思ってるから」

 

「はあ……」

 

「先輩はマジ天使だから! 可愛いし優しいし、もうヤバい!」

 

「はあ……」

 

「何よそのリアクション。今のはツッコむところでしょ」

 

 

ああ、冗談。

久美子は安堵する。

今さらオーディションの件を蒸し返して、また部内の雰囲気が悪くなったら––––そう危機感を抱いたが、全くそういうことはないらしい。

優子は缶の表面に付いた水滴をなぞる。

 

 

「私たち二年生は去年色々あったけどさ。……私も吹部辞めようか結構悩んだし」

 

 

去年の出来事。

希美の言葉が思い出される。真面目にやらなかった三年生と全国を目指して本気で練習に取り組みたかった一年生。何度も、何度もぶつかって、でも部は結局変わらなかった。

その衝突から本気で吹奏楽部を変えようとしていた多くの一年生が部を辞めていった。

 

 

「でも、その時応援してくれたのが、香織先輩と浩介先輩だった」

 

 

あの二人がいるから諦めずに頑張れた。そして、今がある。

 

 

「先輩も悩んでいたんですね」

 

「まあ、ね」

 

 

勝手に香織に傾倒するだけの先輩だと決めつけていた。でも、優子も一人の演奏者として悩んでいた。

そして去年、香織が上級生の理不尽によってソロパートを担当出来なかったことに腹を立てていた。辛い時に応援してくれた存在だからこそ、今年のソロの件で優子はあれだけ本気になっていたのだ。

久美子はソロは麗奈が吹くべきだと思っている。しかし、その話を聞いてしまった今、香織がソロを吹けないことが正しいかと問われたならば、素直に頷くことは出来ない。

 

 

「正直、香織先輩がソロを吹けないのは辛かった」

 

 

それは浩介も同じだったはずだ、と言葉にはせず内心で呟く。多くの人が観ている前で演奏される香織のソロ。どれだけ夢見たことだろう。それは既に果たされない夢となった。

優子は顔を上げる。

 

 

「でも、本気で全国を目指しているなら、上手い人が吹くべきだと思う」

 

「それって––––」

 

「どうせ目指すなら銀や銅よりも、金が良いってことなんじゃない」

 

 

フン、とソッポを向くその頬は赤く染まっていた。

怖いと思っていたが、意外と面白い先輩なのかもしれない。

早く部屋戻るわよ。照れ隠しの言葉に返事をすると、久美子は最後の一口を飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

結局のところ、みぞれの問題が解決したのは関西大会の数日前であった。

関西大会前に希美とみぞれを会わせたくないというあすかの目論見は外れたが、ショック療法的に希美にオーボエを託し、結果としてそれは成功する。

丸く収まりはした。希美も無事吹奏楽部に復帰した。しかし、久美子はあすかのやり方に納得は出来なかった。モヤモヤしたものが心にしこりとなって澱みを残す。

だが、関西大会は目前に迫っている。

その事実が久美子を演奏へと引き戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***********************

 

 

 

 

 

 

関西大会を二日後に控えたその日。香織はいつも以上に顔が緩んでいた。

浩介が日本に帰ってくる。約二週間という期間は短いようで、でも浩介が隣にいない時間は長く感じた。やっと会うことが出来る。本当ならば今すぐにでも空港へと駆けつけたい。

ただ、トラブルがあったのか、予定の時刻より遅れそう。空港に着いたら連絡するから、というメールに何とか欲求を押さえつけていた。

 

周りの部員は香織の笑顔の理由が全く想像ついていない。ただ、おおよそ当たりをつけた優子はため息を吐いた。あんな顔がニヤけているのは浩介が関わる時である。

多分、今日日本に帰ってくるのだろう。

香織が笑顔でいることは、優子にとっても嬉しいことである。

お土産話も含めまた先輩たちとご飯に行きたい。そんなことを思いながらも、トランペットを収納しているケースを開けた。

 

しかし、香織の気持ちを裏切るかのように、夜遅くになるまで浩介からの連絡は来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日。関西大会の前日までということもあり、練習は早めに終わることになっていた。

その分、早く来て練習しよう。優子は六時半に学校に着いていた。

若干の眠気はあるものの、冷たい空気が少しずつ覚醒させていく。校門をくぐり抜けグラウンドに目を向けると、サッカー部が早朝練を行っている。

昨日の今日ではまだ部活には復帰していないのか、浩介の姿は遠目からは確認出来ない。浩介がいないことでサッカー部に興味を失うと音楽室へと足を向けた。

 

音楽室には、いつも通り一番に来ているであろうみぞれと、久美子、麗奈の姿があった。

おはよう、と挨拶を交わすと自分の席に座り準備を始める。広い音楽室でまだ数人しかいないのに、麗奈の隣に座ることの違和感はあるが、席順なので仕方がない。優子はみぞれに倣い、基礎練習から開始した。

 

前日であっても練習開始は通常と同じく九時から開始される。八時過ぎには大体の部員が揃い、各々準備を行っている。だが、今日は八時半を過ぎる頃に香織が現れた。

七時半にはいつも音楽室に来ている彼女からすると、かなり遅い時間である。そして、その顔はどこか影が差していた。

 

午後の十回通しを終えて、関西大会前の練習は切り上げとなった。最後まで香織の表情が晴れることはなかった。

気分が良くないのだろうか。ソツなく練習はこなしていたため、体調が悪い訳ではなさそうである。優子は原因を考えていた。

思い当たるとしたら、やはり浩介関連であろう。昨日、浩介と喧嘩をしたのだろうか。色々考えてみたが考えはまとまらない。これならばいっそのこと、直接聞いてみた方が良さそうだ。

優子は沈んだ顔で片付けをする香織に近付いた。

 

 

「はあ……」

 

「香織先輩、帰りにお茶していきませんか?」

 

「優子ちゃん。うん、でも––––」

 

「先輩が今悩んでいるのは、浩介先輩が関係しているんですよね?」

 

 

優子の言葉に香織は目を見開いた。

優子はやっぱり、とつぶやくと伏し目がちになる香織の手を取る。

 

 

「私が何か出来る訳ではないと思うんですけど、今のままの香織先輩は見たくないです」

 

 

香織は少しの間逡巡すると、やがて頷いた。

 

以前香織に連れられてきた喫茶店は今日も空いていた。美味しいけど、経営がちゃんと成り立っているのか心配になる。

窓側の席に座るとメニューを開く。今日のオススメデザートはカタラーナらしい。

注文を終えると、優子は水の入ったコップを口へと運ぶ。香織へと目線を向けるとまだ暗い表情をしていた。

 

 

「浩介先輩と何かあったんですか?」

 

 

浩介の名前を出すと、ピクリと肩が動く。やはり何かあったようだ。

 

 

「浩介がね、明日の関西大会に来れないみたいなんだ」

 

 

香織の言葉にいつもの力はなかった。ポツリとつぶやくように言葉を紡いでいく。

優子はその一つ一つを丁寧に拾う。

 

元々の予定では、昨日の午前中に空港に到着となっていたが、天候の影響で夕方になる。そこまでは香織も連絡が来ていたために知っていた。

しかし、夜八時を回っても一向に連絡は来ない。心配になり浩介の搭乗している飛行機を調べたところ、少し前に無事到着していることが確認出来た。

まだ入国手続きなどで時間が取られているのか、一時間が経っても連絡がないために、焦れた香織から電話を掛けてみた。

 

五回くらいコール音が鳴った頃に浩介は電話をとった。香織は一安心すると、話し掛ける。

 

 

「もしもし? 浩介?」

 

「香織……。ごめん」

 

 

その声は過去に聞いたことがない程に沈んでいた。

ともすれば聞き漏らしそうな声に、不安は募る。音量を最大まで上げ、意識して声色を変える。

 

 

「浩介、どうしたの?」

 

「父さんが……、倒れた」

 


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