学戦都市アスタリスク【六花に浮かぶ月と幻想】 作:観月(旧はくろ〜)
――――月明かりが煌々と辺りを照らす、そんな真夜中の湖のほとり。佇む聖夜の側にいるのは、はたして誰なのか。
「―――は、どうしたいの?」
問いかけてくる声に、彼はぼんやりとした頭でしばし考え込んで―――。
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(……まさか、あっちの光景を夢に見るとは)
朝の五時頃。いつもの癖で早く目覚めた俺は、先程見た夢を思い出す。
(どうしたい、か)
夢の中、誰がそばに立っていたのか、それはよく分からない。ただ、問いかけの内容だけは、不思議とはっきり覚えていた。素早く目覚めた頭でそのことを考えていると、不意にもう一方のベッドから声が聞こえてくる。
「ふああ……んあ? まだ五時か。お前さん、結構早起きだな」
「ん、悪い。起こしちまったか?」
「いんや、ちょっと前から目が覚めてはいたからな。夢現だったけど」
寝たままでそこまで言った錬は、向こう側に寝返りをうちながら。
「しかし寝言が多かったな。気になるものもあったし、こりゃ面白い記事になるかもなー」
「おい待て、俺が何を言っていたか教えるんだ今すぐに」
少なくともこちらの身に覚えはないが、何かまずいことを本当に言っていたのだとしたら問題である。広められた際のダメージは計り知れない。
含み笑いをした錬は、再びこちらへ振り向き、にやりと笑みを浮かべた。
「どうしてもって言うなら、条件付きでどうだ? 今日の朝飯、お前さんの奢りでよろしく頼むぜ」
さあどうするか。ただ単にからかわれているという可能性もある。錬はなかなかに苦学生らしく、お金に悩むところも度々見ているこちらにとっては、その可能性を疑ってしまうというもの。
――が、しかし。覚えていない問題発言というリスクを考えれば、それくらいで済むならば安いだろう。
「……オッケー、それで手打ちだ」
「っし! じゃあ……」
「ただし」
発言の中で、何か嫌な予感がした俺は錬の言葉を止める。
「上限は千円までだ」
「くっそー、先に言われちまったか。四千円くらい奢ってもらおうと思ってたんだけどな」
「アホかお前。学生に払わせる金額じゃ無いからな」
朝飯で四千円て……どんな飯だよ。そんなの食う気にはなれない。別に払えるけど。
「じゃ、よろしく頼むぜ。俺は寝る」
「そのまま起きなくて良いぞ。飯代が浮くから」
「しっかり起こしてくれよ、頼むぜ」
「……はいはい。ホームルームには遅れないようにするさ」
二度寝し始めた錬にそう声を掛けつつ、俺は愛刀の『夜桜』を持って、素振りが出来そうな所を探し求めに行くのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
寮にほど近い、良さそうな場所を見つけて早速素振りを始めた俺だったが、程なくして誰かの足音が聞こえてきたので、一旦手を休める。その音の主は、同じ転入生の綾斗。
「おっす、朝練か?」
「まあね。そういう聖夜も?」
「ああ。なんか癖で早起きしちゃってさ」
「分かるよ。俺もそうなんだよね」
綾斗も同じような理由らしいので、そのまま俺らは各々の練習をし始める。
そして俺が月影流の練習をしていた時、不意に綾斗が声を掛けてきた。
「そういえば、聖夜って刀も使うんだね」
「ああ、まあな。
そう言って、俺は『夜桜』を軽く掲げる。こいつは家に代々伝わってきた家宝の一つである名刀だが、魔力の塊みたいな石━━━名前は覚えていない。知り合いの魔女が何か言ってたような━━━を香霖堂という古物商店でこいつに組み込んでもらった結果、魔力が宿るマジックアイテムとなった刀だ。こいつに宿っている魔力は、形を変えてこのアスタリスクでもしっかり残っている。つまり、そんじゃそこらの刀など言うに及ばず、名刀と呼ばれる刀達よりも耐久力や切れ味が良い。もっと具体的に言えば、頑張ればハンターが使う武具とタメを張れる。
「でも、そういう綾斗だって剣の腕は並大抵じゃないと見た」
「まあ、それなりに自信はあるけど……」
「謙遜すんなって。……そうだ、ちょっと打ち合いをしてみないか?」
「構わないけど、何故だい?」
「強い人と戦ってみたい、という純粋な興味から。いやまあ、もちろん本気ではやらないけどさ。綾斗は煌式武装持ってるみたいだし、軽くなら良いだろ?」
「あまり期待しないでよ?」
とか言いつつも、俺から少し離れた位置に移動してくれる綾斗。一歩踏み込めばお互いの間合いに入るかという距離だ。
「ありがとな。じゃ、軽ーくやりますか」
「よろしく頼むよ」
そう言ってお互いが少し微笑んだ刹那、同時に踏み込んで一閃。軽くとはいえ、十分な鋭さを持った斬撃は幾度となくぶつかり合い、火花を散らす。
そうして、相手の動きを探りつつ斬撃を放つ事しばし。不意に視線を感じてどちらからともなく攻撃を止めた。
「なんだ? ……あっ」
その視線の、いや視線達の先を辿ると、カメラを構えた複数の生徒が。
いや、考えてみれば当たり前の事だ。こんな朝っぱらから、しかも寮に比較的近い所から武器を打ち合う音が聞こえてくれば、誰だって興味本位で探しに来るだろう。そして、そこで武器を振るっていたのは昨日転入してきたばかりの生徒二人。
そりゃ撮りたくもなるわ。まあ、お互い本気を出していたわけでは無いから、実力が他にバレたりなんかはしなかったと思うが。
……とはいえ、隠し撮りされるのは好きじゃない。俺はその生徒達の方を、続けて少し離れた所へと興味なさ気に視線を移して。
「!?」
一気に彼らの背後へと移動すれば、向こうは驚いた表情。……言っておくが、決して大したことをしたわけではない。一種のブラフというか、わざと視線を外すことによって相手の意識をそちらに向けさせたのだ。こうすることで予備動作を悟られなくなり、不意を突くことができるのである。
とまあ、改めて見てみれば……昨日ギャラリーだった人達ばっかりだな。……ま、とりあえずだ。俺は軽く微笑みながらこう言い放った。
「……さっきの映像とあなた方の存在、どちらを消しましょう?」
そんな俺の言葉に冷や汗を流すギャラリー。……まあ無理もないな。刀を片手に近付いてきた男が、急にそんな脅しめいた事を言ったのだから。
……なんか、あいつは
ともかく、そんな噂が流れては少々困るので態度を変えつつ、
「まあ、冗談ですが。くれぐれも、映像は消しといてくださいよ」
そう言い残し、俺は同じように高速移動で元の場所へ戻る。そうしてふと綾斗を見ると、彼は苦笑いしていた。
「……凄いなあ。今のは瞬間移動なのかい?」
「いや、ただの高速移動。慣れれば誰でも出来るんじゃないかな、
別段難しい事でもないし。……少なくとも、高速移動だけならば。ブラフに関しては独自の鍛錬を積まないとなかなか実践レベルにはならないが。
「それより、今日はもう終わりにするかな。これ以上撮られるのも嫌だし」
「そうだね。じゃあまた」
「おうよ、またな」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
しばらく後、校舎と寮を繋ぐ道にて。
「……お前さん、もう少し早く起こしてくれよ」
「いや知らねえよ。二度寝した方が悪いだろ」
「そう言われりゃそうだけどさ……飯食いそびれちまったぜ」
「俺はバッチリ食ってきたけどな。自主練の帰りに」
「くっそー、薄情者め」
そんな事を話しながら教室に入る。まだホームルームまで結構時間があるというのに、そこには多くの生徒が居た。そして自分の席に向かった俺は、ごく自然に隣のセレナに挨拶する。
「やあセレナ、おはよう」
「……ええ、おはよう」
そうしてセレナも挨拶を返した瞬間、教室が静まりかえった。
――そして。
「「「はあぁぁぁぁ!?」」」
クラス中で大絶叫が。君たち仲良いね。
「あいつ、魔法でも使ったのか!?」
「あのお姫様が挨拶を返すなんて……」
「なっ……し、失礼ね! 私だって挨拶くらい返すわよ!」
驚くクラスメート達と、顔を真っ赤にして反論するセレナ。……うん、これを見るだけでセレナが普段どんな態度を取っているか分かるな。
とか何とか思ってると、突如として後ろから威圧的な声を掛けられる。
「……おい、てめえが例の転入生か?」
おん? と振り向いた俺は、いつの間にやら後ろに立っていた男を見て、一目で直感する。……絶対タチ悪いなこいつ、と。やはり、その男は相変わらず威圧的な態度を崩さず、
「あまり調子に乗るんじゃねえぞ」
「……えーっと。頭湧いてない? 大丈夫?」
「あ? てめえ……」
あー、思わず煽ってしまった。こういうタイプって面倒臭いんだよな。……まあ面白そうだし、もう少しやってみるけども。
「で、何なの? 急に失礼極まりない事言ってくれちゃって」
「……お前ごときがお姫様に挨拶されたくらいで調子乗んなって事だ。いっぺんぶっ飛ばされねえと分からねえか?」
ほう、ほうほう。流石にカチン、ときた。初対面の奴にここまで言われたのだから、誰だってそうなるだろうけど。
という事で、久し振りに威圧感全開放。俺の周りに、身動きするのも憚られる程の緊張感が走る。騒いでいた教室が静まり返る。
もちろん、それは目の前の男も例外ではない。先程までとは打って変わって、目を見開いたまま動こうともしない。
「まあ、俺をぶっ飛ばしたいってんなら別に構わないけど……命の一つくらいは覚悟して来てもらわないと、ちょっとね」
俺はあんたが思ってるほど弱くないからねえ、と、そこまで言って、威圧感を解除する。はっと正気を取り戻した男は、俺の事を強く睨みつけ、
「ちっ、絶対叩き潰すからな……!」
「はいはいはーい、どうぞご勝手に」
もう相手するのも面倒になってきたので適当にあしらった。そして忌々しげにそいつが教室から去っていった後、俺は後ろの席に居る錬の方を向いて、
「で、あいつは何なんだ? 昨日見た時から感じ悪そうだなとは思ってたけど」
「ああ、あいつは
「へえ、あんなんでも序列入りしてるのか」
「まあでも、お前さんなら余裕で勝てると思うけどな」
それからも少し話していると、ふと錬の隣の席が空いてるのを見て、昨日の事を思い出した。昨日もここの席の人いなかったな……と。
「なあ錬。お前の隣って誰なんだ? 昨日もいなかったみたいだけどさ」
「ん? ああ、昨日は何か用事が入ってたみたいでな。……時間的にそろそろ来るだろうから、その時紹介するぜ」
「ふーん……」
どんな人なんだろうなと軽く考えていると、三人の女子が教室に入ってきた。その中心にいた深紅色の髪の美少女とふと目が合い……。
――瞬間、お互いが硬直する。
「お前さん、どうした?」
そんな錬の言葉もまるで聞こえず、俺は無意識的に席を立っていた。――やはり間違い無い。俺の視線の先にいるのは…あの少女。
「茜?」
「……えっ、聖夜? まさか本当に聖夜……なの?」
「やっぱり茜か……久し振りだな」
「聖夜っ……!」
そう叫ぶやいなや飛びつくように抱き着いてきた彼女を受け止める。
「まさか会えるなんて! 元気だった!?」
「上々だよ。茜も元気そうで何よりだ」
「何だあ? お前ら、知り合いだったのか?」
「まあ、そんなところでね」
彼女の名前は
「にしても、こんな所で会えるなんてな……まるで奇跡だな」
「うんっ! 本当に奇跡!」
心底嬉しそうに満面の笑みを浮かべる茜。こういう感情豊かなところは昔から変わっていないようだ。
すると、またクラスメートがざわめきだす。
「なっ……あの『
「あの転入生、本当に何者だ!?」
まあ、そんなざわめきは無視して。
「ふーん、『麗水の狩人』……ね。そんな二つ名が付いてるってことは、かなり強いんだな」
「それなりにはね。一応、これでも序列十位だから」
おっと、お前もか。
「
「今は弓型の純星煌式武装。ほら、タマミツネの」
「あー、あれか。茜のお気に入りだったもんな」
ガンナーなのも変わってないんだな……と思っていると、急に何か腑に落ちた事があったかのような表情になる茜。
「あっ! もしかして、昨日リースフェルトと戦ったっていう転入生って聖夜の事だったの?」
「まあな。負けちゃったけど」
「えっ、聖夜が負けた?」
目をみはる茜。ちょっとだけ不甲斐なさを感じながら。
「ああ。どうにも慣れていなくてな……」
「うーん……何か納得いかないなあ。聖夜が本気出したら私だって敵わないのに……」
「いやいや、それは無いって。茜だって腕を上げてるんだろうし」
しかし、茜の発言で俺を見るクラスメートの目がますます訝しげになってきているのに気付き、俺は手早く話を切り上げようとした。
……が、聞かなければならないことがある。俺は茜の耳元に顔を近付けて囁いた。
「――茜、お前はこの世界の人間じゃないよな?」
俺の予想通りなら、この一言で伝わるはずだ。茜の顔が途端に真剣味を帯びる。
「……うん。聖夜もでしょ? さっきカマを掛けてみたけど引っ掛からなかったし」
「『タマミツネ』、か」
「うん。あれが分かるなら、あなたは私の知っている聖夜ってことだから」
そりゃそうだよな、と零す。ハンター以外が知るはずのないモンスターの名前なのだから。
「まあそういうことなら、ちょっと話したいことがあるんだけど……」
言いかけた、まさにその時だった。廊下の方から発せられている不穏なオーラに気付いたのは。
「ねえ聖夜、なにイチャイチャしてるの?」
鈴のような透き通る、しかしとんでもなく冷たい声。とても聞き覚えのあるその声に慌ててそちらを振り向くと、その先にはすこぶる不機嫌そうな時雨の姿があった。彼女はそのままこちらへと足を進めて俺の元へ。
「へえー……ちょっと、『麗水の狩人』とどんな関係?」
「……はい? いや、えっと、どんなって言われましても…」
時雨が何故不機嫌なのかが分からず答えあぐねていると、今度は茜も何故か訝しげな目でこちらを見てくる。
「ねえ、この女と知り合いなの?」
「えっ? ああ、まあ……」
「ふーん……どんな関係?」
お前もか。
なんとか誤魔化そうとは思うのだが、半端な答えで許される雰囲気では無い。何でこうなったんだろ、と無駄なことを考えつつ、諦めて正直に答える。
「いや、どんな関係って言われても……どっちも大切な人としか答えようがないな」
そう言って二人の頭をぽんぽんと軽く叩く。この二人を宥めるにはこうするのが得策なのだ。
証拠に、未だ納得していない様子ではあったものの、時雨は矛を収めてくれた。茜はどこか嬉しそうに撫でられている。
「むぅ……分かったわ。恋人とかそういうのじゃないのよね?」
「何を言うか、俺なんかに恋人なんぞ出来る自信がないとあれほど。……というか時雨、そろそろ戻った方が良いんじゃね?」
そろそろ始業の時間である。ってかこの面倒事を早くどうにかしたいのも含めて、彼女に問いかけた。
幸いにも、時雨はちゃんと聞いてくれたようで。
「あっ、確かにそうね。じゃあまた後で」
「おうよ」
そう言って小走りで去っていった時雨を見送ってから、俺と茜も席に戻る。それを見るクラスメートの視線が気になるが……こりゃあれだ、また質問攻めに遭うパターンだ。
「……なんで朝から面倒事に巻き込まれなきゃならないんだ」
「お疲れさん。にしても、副会長と知り合いってだけでも驚いたのに、まさか羽澄とも知り合いなんてなー」
「俺もびっくりだよ、まさか知り合いが二人も居るなんて」
そう言った俺は茜を見て、
「そういえば、あの子も居るのか?」
「ううん。今も頑張ってると思う」
「そうか。……強くなってるんだろうな」
きっと、俺がいなくなってからも茜とあの子は鍛錬を止めなかったのだろう。あの子はもうとっくに俺の手を離れたんだな……。
「でもまあ、茜の実力も見てみたいかな」
「じゃあ決闘する? 勝てる気がまるでしないけどね」
「いや、止めておくよ。こっちだって勝てる気しないから」
『冒頭の十二人』に喧嘩は売らない、これ大事。……レスター? 知らない人ですね。
「ふーん……羽澄がここまで言うってこたあ、お前さんかなり強いんだなあ」
「ま、それなりだよそれなり」
そうして、俺と茜はホームルームが始まる直前まで、聞かれても問題無い範囲で思い出話に花を咲かせたのだった。それにしても、隣のセレナが何やら面白くなさそうな表情をしていたのだが……何だったのだろうか。