学戦都市アスタリスク【六花に浮かぶ月と幻想】   作:観月(旧はくろ〜)

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第三十二話〜場違いなリゾートロケーション〜

 

「ああ、その……すまない、ちょっと副会長に呼ばれててさ。質問はまた後日に」

 

先日の決闘の際に破損してしまった校章の代わりを受け取るため、聖夜はクラスメイト他からの質問攻めをなんとか躱して、放課後の校舎を足早に歩いていた。

 

(この後遊びに行くから、できれば早めに終わらせたいけど……にしても、なんでまた、わざわざこんな所を指定されたんだか)

 

メモ代わりにしていた携帯端末に、ふと目を落とす。指定された時刻にはまだ余裕があるが、その場所が事務局の窓口ではなく、はたまた生徒会室でもなく、『プライベートルーム』となっていることに、聖夜は改めて疑問を抱いた。

 

(何代か前の会長が趣味で作らせた部屋、っていうのだけはちょっと聞いたけど……どんな部屋なのかはまるで知らないんだよなあ)

 

それに、指定してきたのが時雨であるということも聖夜にとっては懸念材料である。良からぬことを企んでるんじゃなかろうな、と一抹の不安を感じながら、聖夜は辿り着いた目的の部屋を前に緩い溜め息を吐き、ゆっくりとその扉を開いた。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

扉を開けた聖夜がまず感じたのは、春先にしては少しばかり暖かい空気。そしてそれ以上に、「ここはどこだ」という至極単純な疑問だった。

 

「………」

 

目の前に広がるのは、南国のリゾートと例えるに相応しい雰囲気のプールと、その周辺に点在するいくつかのパラソルやサマーベッド。どう見ても相当な費用がかかっていそうな感じを受けるが、しかしいくら『プライベートルーム』とはいえ、学園内に存在するにしては、この南国感は些か違和がありすぎる。

 

――そして、さも当たり前のように水着を着用し、サマーベッドに寝そべりながら、優雅に空間ウインドウを開いている二人の少女。豊かな金髪と艷やかな黒髪をたずさえる彼女達は、言うまでもなく、現生徒会のツートップである。聖夜の姿に気付いて、時雨がサマーベッドから上体だけを起こしながら、微笑をたたえて声をかけた。

 

「――随分早かったね、聖夜」

「ああ、まあ――ちょっと質問攻めに疲れていたもんだから。お疲れさま、二人とも」

 

とりあえずの礼儀として、時雨とクローディアの双方に挨拶し、聖夜は改めて室内を見渡した。

 

「……にしても、すごいなこの部屋。これ作った代の会長、控えめに言ってバカだろ」

「まあまあ、そう言わず。使ってみると存外に快適ですよ?」

「そりゃ、息抜きには最適だろうが……」

 

それにしたって、なぜこんな部屋を学園内に作ろうと思ったのだろうか。凡人には理解できない感覚だ、と聖夜は程なくして考えるのを諦め、時雨の横にあるサマーベッドに腰掛ける。時雨が再び寝転びながらドリンクを勧めた。

 

「ジュースはご自由にどうぞ。お代わりもあっちにあるわ」

「おう、サンキュ。本題は綾斗も来てからか?」

「ええ。それでもよろしいですか?」

 

こくりと頷く。予定はあるが、かと言って時間が押しているというわけでもない。綾斗を待つ余裕は充分にあるという判断だ。

 

羽織っていたブレザーを脱ぎ、聖夜も二人の真似をしてベッドへと寝転がって、そっと目を閉じた。じんわりとした心地よさが彼を包み込む。

 

「―――なんか、こんな風にだらけるのも久々かも。悪くないな」

 

アスタリスクに来てからはもとより、それ以前にも、こんなリゾートのような場所でゆっくりする余裕は無かった。忙しない生き方をしてきたんだな、と聖夜は今更ながら自分の人生に驚きつつ、暖かな空気に身を委ねる。

 

 

そうして時間を忘れてのんびりすること、しばし。とりとめの無い雑談を繰り広げていた彼らの耳に、扉の開く音が届いた。

 

「お邪魔します。って、これは……?」

 

次いで響く明らかに困惑した声に、聖夜は先程の自分を思い出して、くすりと微笑んだ。大きく伸びをして上体を起こし、呆気にとられている綾斗へ体を向ける。

 

「生徒会のプライベートルーム、だとさ。お疲れさん」

 

同じように困惑しているのだろうな、と。ちょっと同情の念が湧いて、聖夜は真っ先に声をかけた。見知った顔を見て、綾斗の困り顔がわずかに和らぐ。

 

「あれ、聖夜も呼ばれてたのかい?」

「まあ……校章ぶっ壊したのは俺も同じだからな」

 

あなたはわざとでしょ、と時雨も起き上がりながら、しらっとした目を彼に向ける。事実ゆえ返す言葉もなく、聖夜はただ苦笑しながら、サマーベッドから立ち上がってドリンクの置いてある方へと視線を向けた。

 

「綾斗も少し休んでおきなよ。今、飲み物取ってくるからさ」

「あっ、それ私の仕事ー!」

「そんじゃ少し手伝ってくれ。クローディア、君のも持ってこようか?」

「あら、いいのですか?」

 

慌てて立ち上がった時雨が、ぱたぱたと聖夜の後を追っていくのを眺めつつ、綾斗は促された通りに空いているサマーベッドへ腰掛ける。次いで、このあまりにも場違いな南国風の部屋を見渡し、呟いた。

 

「それにしても……凄いね、この部屋」

「数代前の会長が作らせたようですよ。無駄遣いではありますが、かといって使わないのも勿体無いでしょう?」

 

クローディアもまたサマーベッドに横座りして、こてんと首を傾げながら答える。その様子が、肌色多めなビキニ姿から醸し出される妖艶な雰囲気とは、全く真逆のように可愛らしくて、綾斗は困ったように視線を逸らし、笑うしかなかった。

 

だが、クローディアはそんな綾斗を逃さない。いたずらっぽく、綾斗の方へと歩み寄って。

 

「そうそう。私のこんな姿、綾斗はどう感じますか?」

「どう、って……」

 

彼が返答に窮するのも無理からぬこと。白い肌が眩しいクローディアの姿は、その恵まれた身体つきも相まって、男子高校生には些か刺激が強かった。

 

笑顔と共に無言の圧力をかけるクローディアと、なんとかこの場を無難に切り抜けられないかと視線を合わせないようにして悪あがきする綾斗。だが、そんな一方的とも言えるような根比べは、ドリンクを持って戻ってきた聖夜によって終わりを迎えた。

 

「こらこら、男子高校生の純情を弄ぶんじゃありません」

「あら、すみません。綾斗の反応が可愛らしかったもので、つい」

 

大して悪びれる様子もなく、クローディアがころころと笑いながら綾斗から離れる。安堵のため息を吐いた綾斗に、聖夜が苦笑しながらドリンクを手渡した。

 

「大変だな、色男も」

「はは……聖夜もからかわないでよ」

「半分くらいは本音なんだけどねえ」

 

ひと息つくように、綾斗はドリンクに口を付ける。甘さの中からほんのり刺激してくる酸味、そしてドリンク自体の冷たさが、変に緊張していた彼の心身を多少ほぐしてくれた。

 

ただし、そんな綾斗の苦労を知ってか知らずか、時雨もまた、クローディアの言動から思い付いた、ちょっとしたちょっかいを男性陣にかけようとしていた。ねえねえ、と可愛らしく、彼女は綾斗と聖夜の視界に自身の身体を割り込ませて。

 

「ふっふーん。クローディアもいいけど、私もなかなかお洒落だと思わない?」

 

そうして自慢げにポーズを取りながら時雨が問いかけた。彼女の水着は水色を基調としたもので、パレオやフリルも着いていることからクローディアと比べて肌色の面積こそ少ないものの、彼女のすらっとしたプロポーションは存分に際立っている。艶のある長い黒髪も、水を含んで、まるで宝石のようにきらきらと輝いていた。

 

クローディアにくっつかれて間もなかったために動揺が残っていた綾斗だったが、それでもすぐに時雨へと(少々視線は泳ぎ気味だったものの)、今度はちゃんと顔を向けて。

 

「うん、風鳴さんもすごく似合ってるよ」

「やだー、天霧君ったらイケメン。ほらほら、聖夜も何かないの?」

 

悪戯っぽく笑いかけてくる時雨に、聖夜はふむと思案。確かにこの上なく似合っているとは思うのだが、それをそのまま言うのもどこか負けた感じがするな、と。

 

そうだな、と顔を上げ、からかうように笑った。

 

「そうやって水着の美少女が二人並んでると、やっぱりスタイルの差が目立つな」

 

そう言って、彼はわざとらしく時雨の胸元にちらと視線を向ける。その意図はすぐに彼女にも伝わったのだろう、時雨は笑顔のまま、しかしぞっとするほど底冷えする声で呟いた。

 

「へえ……いい度胸してるじゃない」

「いやいや、控えめでもいいと思うよ? 別に自分が気にしなければいいわけでむしろ……って痛い痛い」

 

膨れっ面を浮かべて、影で作った鎖をぺしぺしとぶつけ始める時雨と、苦笑しつつそれから逃げ回る聖夜。そんなコントのような光景を前に、綾斗とクローディアはどちらからともなく吹き出した。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「―――で、本題はなんだったっけ?」

 

しばらく一方的な鬼ごっこを繰り広げていた聖夜達だったが、時雨の気が済んだであろうタイミングを見計らって、何事もなかったかのように聖夜がそう口を開いた。ああ、とクローディアも手を打って。

 

「すっかり忘れていました。校章を渡すために呼んだのでしたね」

「嘘だぞ絶対忘れてなんかなかったぞ」

「ふふ、お二人が楽しそうでしたから、つい」

「はは……」

 

どこか呆れ顔の聖夜と、苦笑する綾斗をよそに、彼らと向かい合うようにして座っていたクローディアが、水着の胸元から校章を取り出した。

 

――そう、胸元。繰り返すが、彼女の服装はビキニタイプの水着である。当然、胸元にポケット等の収納スペースはない。一体どこから取り出したのだろうか、少なくとも聖夜は、彼女が自身の胸元の谷間に指を伸ばしたところまでは意図せずして見てしまったが、反射的に目を逸らしたその後のことは努めて考えないようにすることにした。

 

差し出されたそれを受け取りながら、しかし明らかに動揺の色を隠せていない綾斗は、恐らく一部始終をほぼ見てしまったのだろう。気の毒に、とその様子を横目で見ながら、聖夜もサマーベッドに再び腰掛け――直後、まさかといったような表情で時雨の方へ顔を向けた。

 

だが、その表情が意味するところを汲み取った時雨は、彼女にしては珍しく慌てた様子で頭を振った。

 

「やっ、私はあんな事しないからね?」

「いや、まあ……それでいいんだけど、時雨って妙なところでちゃんと恥ずかしがるよな」

 

からかったり、時には大胆にも自室に誘ってみたりする癖して、なかなかどうして人並みの羞恥心はきちんと持ち合わせているらしい。もっとも確かに、今しがた見たようなクローディアの大胆さや度胸は、時雨でなくともそう簡単に真似できるものではないだろうが。

 

そんな聖夜の考えがどこかお気に召さなかったらしく、むう、と軽く唇を尖らせる時雨から校章を受け取って(ちゃんとテーブル上にあった可愛らしいポーチにしまってあった)、聖夜はそれを慣れた手つきでブレザーに取り付けつつ、再び綾斗達の方へ顔を向ける。ちょうどそのタイミングで、綾斗もクローディアへ質問をぶつけていた。

 

「そういえば――どうしてこんな部屋があるんだい?」

「そうですね……泳ぐため、あるいはリラクゼーションを目的に作ったのではないでしょうか?」

 

発言の意図を掴みかねたのだろう、クローディアが小首を傾げながらも答えると、綾斗は少し考えた後に。

 

「えっと……ほら、ここは近くに湖があるだろう? 泳いだりするなら、そっちに行けばいいだけなんじゃないかなって思って」

「ああ、そういうことですか」

 

確かに、と聖夜も綾斗の考えを肯定するように頷いたのだが、クローディアと時雨の二人は、納得したような、腑に落ちた表情を浮かべていた。ということは、湖をそういった目的に使用できない理由があるのだろうか。

 

クローディアがおもむろに立ち上がって、大きな窓の外、眼下に広がる景色を見やりながら、すぐそばのプールサイドに腰を下ろす。彼女の白磁のような長い脚が、ちゃぷん、と涼しげな音を立てて水面に沈んだ。

 

「ここの湖は遊泳禁止なんです。特に万応素(マナ)の濃度が高い場所の一つですので。それに、最近は物騒な話も増えていましてね」

「『変異体』も何体か確認されてるし、あそこはちょっとした危険地帯なの。最近だと、水中に何か巨大な影を見たとかって話も――」

 

時雨もまた、クローディアの説明を補足するように、おもむろに歩き出して――言い切る前に、やってしまったというような表情で聖夜の方へと振り向いた。その様子を訝しく思った綾斗もまた、つられるように聖夜へ視線を向けると、彼はどうしてか、まるで好物を前にした子供のようにきらきらと目を輝かせていて。

 

「『変異体』に、水中の巨大な影……なるほど、なるほど」

「ちょっと聖夜、一応言っておくけど遊泳禁止エリアだからね! 勝手に入ろうとか考えないでよ」

 

何かを察したらしい時雨が咎めるように声を飛ばしたが、聖夜はそれを薄い笑みで躱す。

 

「まあまあ。ほら、遊泳禁止っていっても、ある程度近付くことはできるわけだし。そこで怪しい生き物を見つけたとして、興味本位で、あるいは防衛本能で生態調査をする分には構わないわけだ。――その過程で偶然、たまたま、湖に入ってしまったとしても、まあそれは遊泳とは言わないし、例え禁止事項だとしても、結果的に調査が進めば喜ぶ人もいるだろうし、許してくれるだろ多分」

 

だから問題ないな、とトンデモ理論を展開する彼に、時雨は呆れたような溜め息を一つ。

 

「やっぱりこうなったかあ……迂闊なこと言っちゃったわ」

 

時雨は、聖夜が過去に『狩人』として生きていたことを、彼からの伝聞のみではあるが知っている。未知の環境や生物に対して並々ならぬ興味を抱き、果てにはその未知を解明せんとしがちな彼の性質も、共に過ごしてきたなかで理解しているつもりだ。

 

故に、こうなってしまった聖夜を止めるのは非常に困難だということも分かっていた。せめてもの抵抗として、彼女は釘を刺すように言い加える。

 

「……それなら、せめて行くときは一言ちょうだい。一応、上にも通しておいてあげるから」

「えっマジか、それ最高だわ。サンキュー!」

 

しかし、嘘偽りのない感謝を向けられ、「いつ行こっかなー」と心底楽しそうに予定を確認する聖夜の姿を前にしては、仕方ないか、と時雨も笑うしかないのだった。

 

「……二人の関係性、ますます分からなくなってしまいましたね」

 

揶揄うようなクローディアの呟きを、時雨はあえて聞かなかったことにする。下手に掘り下げられたところで、時雨と聖夜の関係性というのは、本人たちにとっても酷く曖昧で、とても言語化できるようなものではないからだ。男女の関係ではなく、さりとてただの友人関係でもない。かつて閉ざされた心を救われた者と、救い出した者。あるいは、互いの生い立ちに歪な共感と依存心を向け合い、その傷跡を舐め合うような――およそ健全とは言い難いこんな関係を表す言葉を、少なくとも時雨は持ち合わせていない。

 

もっとも、クローディアのほうも、誰もその独り言に答えようとしないと悟ったのか、そもそも最初から答えを求めていなかったのか、すぐに笑顔を浮かべて。

 

「さて、本題は済んだわけですが、折角ですので――どうでしょう、二人も少し泳いでいきませんか?」

 

こう誘った。その言葉に、聖夜はふむと思案する。

 

「そうだな、お誘いはありがたい……」

 

しかし、綾斗を見るクローディアの目に、隠しきれていない期待の色を認めた聖夜は、残り少なかったドリンクを一気に飲み干して立ち上がった。

 

「……けど、俺は遠慮しておくよ。この後、ちょっと予定があるものだから」

「あら、そうだったんですね。残念です」

「すまない。――綾斗はどうする? せっかくだからリラックスしていくのもいいと思うけど」

 

そうして、さりげなく綾斗を誘導する。もともと残ってもよいという気持ちがあったのだろう、聖夜の予想通り、綾斗は少し考えてから。

 

「そうだね。もう少しゆっくりしていくことにするよ」

「そりゃいい。それじゃ、俺はそろそろお暇させていただくけど――時雨、ちょっと話したいことがあるんだけど、どうせなら途中まで一緒に帰らないか?」

 

突然の提案に、時雨は驚きを隠せないようだった。それでも、聖夜が急にこういうことを言う時は何かしらの考えがあるのだと経験上理解している彼女は、すぐに居住まいを正して応える。

 

「えっ? まあ、いいけど……着替える時間、もらってもいい?」

「もちろん。その可愛らしい水着姿を衆目に晒したくはないからな」

「なあにそれ。あなた、そんなキャラじゃないでしょ」

 

くす、と笑いをたたえて、時雨が早歩きで更衣室へと歩いて行く。聖夜もまた、放り出していたブレザーを拾い上げ、ぱぱっと手で軽く身だしなみを整えてから、綾斗とクローディアの方に顔だけ向けて。

 

「それじゃ、今日のところは失礼する。綾斗、星武祭は互いにベストを尽くそう」

「ああ。もしどこかで当たったら、そのときはお手柔らかに」

「こちらこそ。――なるべく当たらないことを祈ってるよ」

 

冗談抜きに、彼らのペアと当たってしまったとしたらそこで終わりかねない。内心本気で「当たるなよマジで……」と唱えながらも、聖夜はそれを悟られないように背を向けて、更衣室の方へ時雨を迎えに行った。

 

 

――ちなみに、綾斗はこの後すぐに、クローディアによってプールに引っ張りこまれたようだった。綾斗の悲鳴と、クローディアの愉快そうな笑い声が、部屋から出ようとした聖夜達にも確かに聞こえてきて、二人は顔を見合わせて笑みをこぼした。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「悪いな。急がせて」

「構わないわ。……あのまま残っていても、クローディアの邪魔しちゃうだけだし」

「なんだ、分かってたのか」

 

急いで支度を整えたためか、未だ完全には乾ききっていない彼女の豊かな黒髪を、聖夜は自前のタオルを取り出して優しく拭う。慈しむような手つきに、「ありがと」と時雨も甘えるように身を委ねて、歩む速度を緩めた。

 

「クローディアって意外と乙女なの。生徒会室でも、結構な頻度で天霧君の話が出てくるくらいにはね。――私相手のときだけだとは思うけど」

「ほう? じゃあやっぱり、クローディアの想いは本物かー」

 

ここ最近の聖夜の見立て通り、やはり彼女はただ綾斗を揶揄っているだけというわけではないらしい。クローディアは、確かに綾斗への恋心を抱いているようだ。

 

「そ。だから、せめてそれを知ってる私達くらいは協力してあげないとね」

「意外と、時雨って人の色恋沙汰に敏感だよな。……人のこと言えないけどさ」

 

聖夜もまた、他人の色恋沙汰を眺めるのは好きなほうだ。特に、綾斗のような、あまりそういったことに慣れていなさそうな人物を巡る恋愛模様は、見ていて焦れったくなるようなあの感覚が実に良い。

 

――などと、思わず話が盛り上がってしまったが。聖夜には、時雨を連れ出した理由がもう一つあった。おおかた拭き終わったタイミングを見計らって、聖夜は話題を変えた。

 

「……っと、そうだった。一つ頼みがあるんだけど」

「ん、なあに?」

 

突然の話題転換に、しかし一切気分を害することなく、時雨はタオルを受け取りながら顔だけ振り向いた。髪を拭いてもらってご満悦らしく、頬が少し緩んでおり、声音も明るい。それを微笑ましく思いながら、聖夜は彼女に頼みごとを告げた。

 

「暇な時で構わないんだけど。とりあえず星武祭の前くらいまで、剣の稽古をつけてくれないか?」

 

能力、純星煌式武装等を含めた総合的な戦闘力ならともかく、剣術に関しては、聖夜と時雨には大きな差がある。彼女とは今まで幾度となく手合わせをしているが、剣同士の手合わせでは聖夜の勝率が二割にも届いていないということが何よりの証拠だ。

 

それは時雨も分かっていたのだろう。「なぜ自分に?」ではなく、「なぜこのタイミングで?」と彼女はしばし考え込み、程なくして納得した。

 

「ああ――そういうこと? ふふ、相変わらず負けず嫌いなんだから」

「……まあ、否定はしない」

 

あっさりと思惑を看破され、揶揄われた聖夜は小さく肩を落とした。

 

「あれだけ良いようにされちゃあな……駄目元だったとはいえ、自信なくすぜ」

「よく持ちこたえた、って褒めてあげたかったくらいだけどね」

 

気を落とす聖夜を慰めるように、時雨が彼に一歩近付きながら声をかける。褒めてあげたかった、というのは紛れもなく彼女の本音だ。

 

「一度見たくらいで対応できるほど、彼女の――序列一位の技は甘くない。でも、それを凌いで、きちんと逆転にまで持っていったあなたの適応力だって、ちゃんと凄まじいものなんだから」

「そう言ってくれるのはありがたいけど……」

 

もう、と優しい表情で、時雨は聖夜の頬をつついた。

 

「自信持ちなさいな。あなたの剣術はまだまだ発展途上なんだから、ね?」

「……そうだな。今回の負けを糧に、精進しなければ」

「そうそう。だからこうやって私に頼んだんでしょ? 喜んで練習相手になってあげるから」

「ありがとう」

 

率直な感謝の言葉を聞いた時雨は、たんっ、と聖夜から一歩距離を取り、そして振り向く。その顔には嬉しさからくる微笑みが浮かんでいた。

 

どうしたんだ、と視線で問う聖夜に。

 

「――ふふ、やっとワガママ言ってくれた。今までずーっと私のワガママに付き合わせちゃってたから、ちょっと申し訳なかったのよね」

「マジ? 俺は別に気にしたことなかったけど……まあ、そうさな」

 

時雨の言うところのワガママを苦に思ったことはほとんどない。今回、聖夜が柄にもなく、見返りのない頼みごとができたのは、むしろ。

 

「……仲間を頼れるようにならないと、って。ほら、言ってたからさ」

「あっ……そう、か。ちゃんと心掛けてくれているのね」

「心に刺さる言葉だったから」

 

言うのもなんだが、聖夜は人を頼ることがあまり得意ではない。というよりも、人を自分の都合に巻き込むことに抵抗感がある、という方が正しいのかもしれない。ゆえに、今しがたの頼みごと、その程度でさえ、以前の聖夜ならばできなかっただろう。

 

仲間を頼れるようにならないとね――その言葉をかけられたから、そしてその言葉にどこか感じるところがあったからこそ、聖夜は。

 

「ま、ちょっとずつだけど。これを機に、もう少し仲間を頼るようにしてみるさ」

「―――うん、そうね」

 

彼の変化は、共にいる時間の長い時雨にも分かったのだろう。彼女が浮かべた、滅多に見せないような無防備な微笑みが、聖夜の瞳にひどく美しく映った。

 

 

 


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