学戦都市アスタリスク【六花に浮かぶ月と幻想】   作:観月(旧はくろ〜)

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書き溜めはここまで、次からはまた少し期間が空くと思います。






第三十一話〜「事情聴取」という名の〜

 

 

 

中庭を後にして歩くこと、しばし。周囲にほとんど生徒がいないことを確認してから、聖夜は溜まっていた物をすべて吐き出すように盛大な溜め息を吐いた。そのすぐ後ろから、セレナがたたっと足音を立てながら小走りでやってくる。

 

「聖夜っ、アンタいったいどうして――」

「………バカほど疲れた」

 

そうして早口で誰何したセレナは、しかし、心底しんどそうに零す彼の様子に、すぐに毒気を抜かれたようだった。出かかっていた言葉をすべて飲み込み、彼女は心配そうな表情で聖夜の顔を覗き込む。

 

「――大丈夫?」

「ああ、なんとか……ごめん、私情で騒ぎを起こしちゃって」

 

先程までの余裕ぶった態度はどこへやら、すっかり脱力して、聖夜は申し訳なさそうな顔をセレナへ向ける。対する彼女は、そんな表情を向けられてますます心配の念を強めた。

 

「何があったの? 仕事のトラブル?」

 

聖夜が今日から生徒会業務を行う、ということを彼自身から聞いていた彼女の視線が、聖夜の腕に着けられた腕章へと向く。しかし彼は、ゆるゆると頭を振った。

 

「いや、自分の都合で余計なことに首突っ込んだだけ。おかげで序列一位とやりあう羽目になったけど」

 

詳しいことは後で話すよ、と聖夜は再び歩き出す。

 

「まずは綾斗の所に……いやその前に職員室か。間に合うかな」

 

主に次の授業の欠席連絡だ。聖夜自身のことはもちろん、綾斗と、恐らくその看病をしているユリスの分も、できれば伝えたほうが良いだろう。もう一人、と聖夜は顔だけセレナの方へ向ける。

 

「セレナ、次の授業はどうするんだ? 俺はこの後、綾斗のところまで行って軽く事情を聞いてくるつもりだけど」

 

つまり授業は欠席するということ。その意味を瞬時に理解し、セレナは即答した。

 

「私も行くわ、何があったか知りたいし……手伝えることがあるかもしれないから」

「りょーかい。サンキューな」

 

その答えに対して確かな感謝を表して、聖夜は足早に職員室へと歩き出した。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「―――はい、お手数をおかけして申し訳ございません。よろしくお願いします」

 

綾斗とユリスに事情を聞くため二人を休みとしてほしい、といったことを彼らの担任の教師に伝え、頭を下げた聖夜が次に向かったのは、彼の担任のデスクだった。

 

雰囲気怖いなあの先生……初雁(はつかり)先生、お忙しいところ失礼します」

 

声をかけられたそのデスクの主、初雁杏梨(あんり)は、次の授業に使う資料をまとめる作業をしながら、聖夜の方を向いて柔らかく微笑んだ。

 

「月影君、どうかしましたか?」

「次の授業のことなのですが……私とリースフェルトさんは欠席しますので、それをお伝えにうかがいました」

 

そして、生徒会の仕事であるということを手短に説明する。職員室の扉から半身だけ晒し、こちらを覗き込んでいるセレナにちらと目をやり、杏梨は少し考え込む素振りを見せ、やがてこう言った。

 

「わかりました。それでは、二人とも公欠にしておきましょう。――リースフェルトさんには、生徒会のお手伝いも頑張ってください、と伝えておいてもらえますか?」

 

それを聞いた聖夜は驚いたように目をしばたたかせ、やがて彼女の言わんとすることを理解して、深く頭を下げた。

 

「――お気遣いありがとうございます」

「構いませんよ。大変でしょうけど、月影君も頑張ってくださいね」

 

杏梨は立ち上がり、軽く伸びをして、そこで思い出したように聖夜へ問いかける。

 

「そういえば聞きましたよ、月影君。リースフェルトさんと鳳凰星武祭(フェニクス)に出場するとか。鍛錬のほうは順調ですか?」

 

聖夜は頬を掻きながら、苦笑するように答えた。

 

「ええ、それなりに。なにせパートナーが優秀なものですから、足を引っ張らないようにするので精一杯ですが」

「あら、ご謙遜を。『冒頭の十二人』――それも複数と対等に渡り合える生徒など、そうそういませんよ」

 

ふふ、とからかうような口調で杏梨が言うと、聖夜は少しバツが悪そうに目を逸らした。

 

「いえ、まあ……よくご存知で」

「この前、羽澄さんがうれしそうにおっしゃっていましたからね。なかなか勝てないけど楽しい、だそうで」

「ああ、そういうことですか……」

 

詳しく聞けば、茜は杏梨と仲が良い方で、生徒しか知らないようなこともよく話してくれるらしい。聖夜は茜のコミュニケーション能力と愛嬌に「相変わらずだ」と感心しつつ、そこではっと気付いたように。

 

「っと、すみません。お忙しいのにお時間を取らせてしまいました。申し訳ありませんが、よろしくお願いします」

「ええ、分かりました。気をつけて」

 

もう一度頭を下げて、聖夜が職員室を後にする。彼と、その後をぱたぱたとついて行くセレナを遠目に見送って、杏梨は資料類を抱えながら、ふっと笑みを零して呟いた。

 

「―――青春ですね。いいものです」

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

数分後、聖夜とセレナは、ユリスのトレーニングルームを訪れていた。

 

「おう綾斗、随分と羨ましい体勢じゃないの。――具合は大丈夫か?」

 

扉が空いて早々、彼らの視界に飛び込んできたのは綾斗がユリスに膝枕されている光景だった。綾斗が気まずそうに起き上がろうとするが、その動作はやはりどこか苦しそうで、聖夜は軽口を叩きながらも、気遣わしげにそれを止めた。

 

「ああごめん、無理しないで。これ、飲めるか?」

 

そうして、綾斗にスポーツドリンクを差し出す。上体だけ起こした彼は、申し訳なさそうにそれを受け取った。

 

「ありがとう。ごめん、こんな状態で」

「無理もないさ。封印解いてるのも見てたからな」

 

綾斗が自身の力を解放した後どうなるかは、聖夜もこの前の騒動で実際に見たのでよく知っている。

 

「まあでも、周りにそれがバレなくて良かった。ユリスさんがこっちに乗ってくれて助かったよ、ありがとう」

「ああ、あれはこちらとしてもありがたかったが……まさか、分かっていて私の名前を出したのか?」

「ギャラリーの中に居たのを運良く見つけられたからつい、ね」

 

悪戯っぽく笑い、聖夜も床に腰を下ろす。綾斗のものと一緒に購入していたレモンティーをセレナがユリスに手渡し、同じように腰を下ろしたのと同時に、綾斗がドリンクの蓋を開けながら聖夜に問うた。

 

「聖夜は、いったいどのタイミングから見ていたんだい? 来たばかりです、みたいな言動だったけど、封印を解いたことを知っているならそれはおかしいし……」

 

流石、綾斗は鋭い。してやったりと、聖夜は会心の笑みを浮かべた。

 

「ああ、あれ演技だったんだ。さも、私は今来ましたよー、あなた達の闘いなんて見てませんよー、ってみんなに思い込ませるためのね。実際はほぼ始めから見ていた……というか、最初に綾斗が止めてなきゃ俺が止めてた」

 

どこか得意げに語られた言葉に、綾斗とユリス、ついでにセレナまでもが絶句する。ややあって、ユリスが驚嘆もあらわに口を開いた。

 

「――いっそ感心できるな。見事に騙された」

「お褒めにあずかり恐悦至極にございます。ちなみに、もっと言えば最初からユリスさんの近くに居たんだけどね。まあ、綾斗のことが心配で仕方なかったんだろうし、気付かなかったとしてもおかしくないけど」

 

誰が心配なんか、と分かりやすく狼狽えるユリスを、セレナとともに微笑ましく見守って。

 

「……まあ、うん。それで、五分過ぎた辺りでさすがにヤバいんじゃないかと思って、何かできないかと考えた結果があれだったわけ。変に名前を利用しちゃったのはホントに申し訳ない」

 

再び、少し頭を下げる聖夜。ユリスが再度「気にするな」と言葉を続けた。

 

「しかし、あの後はどうなった? いくらお前が生徒会の一員とはいえ、まさか素直に従ったとも思えないが」

「まさにその通りだったよね。だから適当に済ませてきたけど」

 

何事もなかったような態度で気楽に話す聖夜だったが、その時、彼の左手に真新しい包帯が巻かれていることに、ふと綾斗が気付き、まさかといった顔で口を開いた。

 

「もしかして、聖夜も……?」

「ん? ……ありゃ、気付かれちゃったか」

 

苦笑しながら、聖夜は、先程セレナに有無を言わせずぐるぐる巻きにされた、ベージュの包帯を見やる。

 

「剣を交えた綾斗はよく分かっていると思うけど、さすがは序列一位って感じの強さだったよ。何発かは有効打を入れられると思ったんだけど、結果的に入ったのはたった一発だけ……もっと精進しないとね」

「あの『疾風刃雷』相手に有効打を入れただと……!?」

「一度見て戦略を立てたし、しかも散々欺いて揺さぶったうえでの一発だからね。あんまり誇れるものじゃない」

 

あれは、姑息な策がほとんど嵌ってくれたからこその有効打だ。綾斗と同じ条件で闘っていたならば負けもあり得ただろう。

 

すると、セレナが呆れ顔で言った。

 

「人が悪いわね。アンタだって純星煌式武装使ってなかったんだから、そんなに卑下することもないでしょ」

 

綾斗とユリスの視線が再び聖夜に集中して、彼は困ったようにセレナへと目線を逃した。

 

「いや、ねえ……仕事のために自分の引き出し曝け出すのもためらわれるし。ましてや星武祭もあるから、余計なものは見せたくなかったんだよ。それに、あの子相手じゃ、純星煌式武装が必ずしも有利になるとも限らなかったから」

 

綾斗が苦笑しながら、自嘲するように言った。

 

「俺はやらかしちゃったかな。星武祭前に闘うなんて、本当はするべきじゃないんだけど、どうにもね……」

「まったく……だからさっきも言っただろう。あの状況では仕方あるまい」

 

フォローするようなユリスの言葉に、聖夜も優しく頷く。

 

「ああ。ホント、勇気ある行動だったと思うよ。序列一位相手に真っ向から闘ったことも含めて、なかなかできることじゃない」

 

何の準備もなしに序列一位と相対するなど、聖夜だったら絶対にしたくない。このアスタリスクに数多いる強豪の中でも、一位という地位はやはり別格なのだ。無関係の少女を助けに行ったことも、その後臆せず闘ったことも、ひとえに綾斗が勇敢であったからだろう。

 

――と、そんな風に考えていた聖夜であったが、そこでふと、ユリスがしらっとした視線をすぐ横の綾斗に向けていることに気付いた。

 

「……えっ、何この空気」

「いや、その……実は俺、彼女が序列一位ってこと知らないまま闘ってて」

 

さしもの聖夜も、しばし呆気に取られた。信じられないものを見る目つきで、無意識に自分の頭を押さえながら言う。

 

「うっそだろお前……!?」

 

しかし、ややあって思い出すのは、いつかの会話で綾斗が序列にさほど興味を示していなかったという事実。

 

「……いや、まあ、綾斗ならあり得そうな気がしてきたけど。それにしても興味なさすぎでしょ、せめて自分のところの序列一位くらいは知っておきなよ」

 

あはは、とバツが悪そうに笑う綾斗に、ユリスが「まったく……」と溜め息を吐く。そんな二人を見たセレナが微笑ましげに顔を緩ませ、そしてふと、悪戯っぽく聖夜に言った。

 

「ふふっ、そういうアンタはちゃんと把握しているの?」

「まあ……うちの『冒頭の十二人』と、各学園の注目株くらいはそれなりに調べてるけど」

「うんうん、感心ね。少し聞かせてもらってもいい?」

 

そうして、どこか慈愛に満ちた瞳で聖夜を見据えるセレナ。どうやら、聖夜の預かり知らぬところで彼女の妙なスイッチが入ってしまったらしい。以前、勝海やオリヴィアと一緒に特訓した際にも見られたそれは、彼女が以外にも世話焼きであることを合わせて考えれば、さしずめ「お姉ちゃんスイッチ」とでも名付けられるだろうか。そんなくだらないことをぼんやりと考えながら、聖夜は「要注意なところだけを」と前置きして、こほんと居住まいを正した。

 

「じゃあ、共通の話題ってことで、まずうちの序列一位から。―――『疾風刃雷』。歴代の序列一位の中でも恐らく最年少クラスで、しかも能力者でも純星煌式武装使いでもない、刀一振りで序列一位に君臨している、才覚にあふれた子だ。かの有名な刀藤流の使い手で、二つ名に恥じない速さと淀みなく続いていく刀藤流の特徴が、ちょっととんでもないレベルで噛み合ってしまっている。……実際に闘ってみたら、ただ速いだけじゃなくてしっかりと重さも伴っていた剣だったし、まだ中等部ってことも考えると、これからどこまで強くなってしまうやら。まあ、環境のせいか、ちょっと自信なさげな様子があるし、まだまだ若いからメンタル面には課題があるみたいだけどね。そこを突ければ、さっきの俺みたいに善戦することも不可能じゃない」

 

綾斗が深く頷いていた。同じく闘った者としては実感が違うのだろう。これからの伸び代も充分見られたことだし、取り巻く環境さえ改善されれば、きっと彼女はさらなる高みへ昇っていけるはず。そのためにも今の状況をどうにかできればいいが、と聖夜は彼女の行く末を案じながら、しかし今考えても仕方ないと頭を振って、次の話題へと移った。

 

「次は、ガラードワースの『聖騎士(ペンドラゴン)』サマだ。綾斗と同じく、四色の魔剣が一振り、『白憑の魔剣(レイ=グラムス)』」の使い手で、学年で見ると今の序列一位では最年長かな? とにかく冷静で優雅、純星煌式武装の特徴を最大限利用する闘い方は、個人戦ではもちろんのこと、特にチーム戦での見事な連携を駆使するさまから、アスタリスク最高の剣士との呼び声も高い。それでいながら、外面内面ともに良好。騎士道を体現したような、まさに清廉潔白な生徒って印象だ。まずはその剣に追いつかなければ、まともな勝負すらさせてもらえないだろうな」

 

彼を始めとしたガラードワースの『冒頭の十二人』と言えば、やはり有名なのが『獅鷲星武祭(グリプス)』での活躍。序列一位から五位までと、六位から十位までがそれぞれチームを組んで出場するのが伝統となっているらしく、彼らは毎回決まって優勝候補だ。純星煌式武装の強力な特性と、それを扱いこなす彼の凄まじい剣技。チーム戦にしろ個人戦にしろ、もし闘う機会があるとするならば、いくら聖夜といえど苦戦は免れないだろう。

 

ふう、とひと呼吸置いて、再び口を開く。次に思い浮かべるは、最近顔見知りになったとある姉妹の通う学園。

 

「次は……クインヴェールの序列一位、『戦律の魔女(シグルドリーヴァ)』について。歌を媒体に様々な事象を引き起こす能力者で、世界的なアイドルとして有名だな。六学園最弱と言われているクインヴェール所属だけど、本人は『王竜星武祭(リンドブルス)』準優勝という経歴もあるかなりの実力者だ。本人の身体能力も相応に高そうなうえ、何より能力の汎用性が極めて高いから、実戦においてはどんな相手であってもある程度以上に闘えるだろうし、どんな作戦でも立てられるのが大きな強みだろう。逆に言えば、歌が能力の引き金になっている以上、彼女の歌を妨害することができれば闘いを優位に進められるかもしれないな」

 

映像を見た限りでは、彼女の能力はどんな事象でも引き起こせる可能性に満ちていたように見えた。メインで使うのは身体強化系と見られる歌と、煌式武装の攻撃力を上げる歌だが、それ以外にも多種多様な手札を持っているらしい様子がある。基本的に策を巡らせてから闘う聖夜としては、闘う機会があるかどうかは別にして、非常に厄介な相手となることは間違いない。歌を妨害する、あるいは利用するような戦法が必要となるだろう。

 

そして『王竜星武祭』といえば、その『戦律の魔女』すら下した、現役生ではアスタリスク最強と謳われている生徒がいる。

 

「――そして、忘れちゃいけないのがレヴォルフの序列一位、『孤毒の魔女(エレンシュキーガル)』。毒とも称されるほどの瘴気を操る能力者で、学生の中でも飛び抜けた実力を誇る、文句無しで現役トップクラスの………ユリスさん、どうかした?」

 

しかし、説明の途中でユリスの表情が明らかに、しかも良くない方へ変化したことで、聖夜は訝しげに話を中断した。何かを察した様子で、セレナが心配そうな眼差しを向けるが、やがてユリスはふるふると首を横に振って。

 

「――いや、すまない。続けてくれ」

 

明らかに、今の話題に対して何か思うところがあったようにしか見えないのだが、しかし本人が言いたくないようなのであれば、それを無理に聞き出すわけにもいかない。聖夜も努めて気にしない風を装って、わざと声に抑揚をつけて言った。

 

「ん、そうか。――とまあ、星武祭とかで闘う可能性のある序列一位はこんなものかな。アルルカントと界龍のところはどっちもあまり表舞台にでてこないから、今はまだ特に考える必要もないだろうし」

 

そうして、早々に話を切り上げる。聖夜達がここへ来た当初の目的である、綾斗の様子の確認も終えたことだし、あとはいくらか伝えることがあるだけだ。詳細はよく分からないものの、確かにユリスの地雷を踏んでしまった以上、この話を続けるのは得策ではない。

 

「あとは鳳凰星武祭で当たりそうな有力候補だけど……まあ、そのへんは二人も対策済みだろうから、わざわざお節介を焼くこともないね。――こんな感じのことくらいは考えてるけど、どうだろう、お眼鏡には適ったかな?」

 

ふっと笑い、聖夜がセレナに視線を向ける。突然話を振られた彼女は、ユリスへ向けていた目を丸くして、やがて取り繕うように微笑んだ。

 

「――ええ、そうね。ちゃんと考えてて偉いじゃない」

「いや母親か。ってか俺は子供か」

 

苦笑しながら聖夜も冗談を返すが、セレナがユリスのことを気にし続けていることにも、彼はちゃんと気付いていた。

 

ひとしきり苦笑した後、さて、と聖夜はおもむろに立ち上がり、軽く伸びをする。

 

「じゃあ、そろそろお暇させてもらうとするかな。担任の先生には事情を伝えてあるから、そこは心配しないでゆっくり休んでくれ」

「あっ、そうだったのか。ありがとう、聖夜」

「なあに、お安い御用さ。――ああそうだ、一応、俺は当事者に聞き取りをしに来たってことになっているから、そのあたり適当に合わせてくれると助かる」

 

じゃないとサボりになっちゃうからね、と軽く笑って。

 

「それじゃあお大事に。これからはあんまりお姫様に心配かけたらダメだぞ」

「そうね。天霧君、あまり困らせないであげて。ユリスって、こう見えて本当に心配症なんだから」

「なっ、セレナ、あまり余計なことを言うな……!」

 

目に見えて狼狽えるあたり、図星なのだろうと。どちらからともなく聖夜とセレナはくすりと笑い合って、トレーニングルームを後にした。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

所変わって、聖夜のトレーニングルームにて。自分が淹れた紅茶の香りが漂うなか、彼はカップを口に運びながらセレナへ問いかけた。

 

「――ユリスさんと『孤毒の魔女』の間に、昔何かあったのか?」

「やっぱり……そう見えた?」

「そりゃ、あれだけ分かりやすければね」

 

やる事を終えたにも関わらず、セレナを連れてわざわざトレーニングルームに寄った理由はまさにそれだ。もっとも、これはただの好奇心からであって、聖夜が知らなければいけない理由はないし、言い難いようなことならば無理に聞くつもりもない。

 

「まあ、プライベートなことだから無理にとは――」

「――いえ、話しておくわ。いずれ必要になる情報かもしれないから」

「? それはどういう……」

「こうして伝えておくことが、いつかユリスのためになるかもしれないってことよ。……もし何かあったとしても、アンタが力になってくれるなら少しは安心できるから」

 

聖夜が聞き返そうとするのを視線で抑え、ティーカップに注がれた紅茶の水面を見つめながら、セレナは訥々と語り始めた。

 

 

 

「――昔、一人の小さな王女は、自分と同じように花を愛する孤児院の少女と出会いました。あまりお城の外に出る機会がなかった王女は、すぐにその少女と仲良くなりました」

 

「しかし、その孤児院にはお金がありませんでした。貧しかった孤児院は、ある統合企業財体から取引を持ちかけられ、それを承諾せざるを得ませんでした」

 

「その取引とは、孤児院の子供を一人、統合企業財体へ引き渡すというものでした。そして、その取引には、王女の友人が選ばれました」

 

「王女は何も知らなかったのです。彼女が気付いたときにはもう、少女はいなくなっていました。――友達を取り戻したくても、相手は統合企業財体です。王女には何もできませんでした」

 

「何年か経ったある時、王女は、かつての友人がアスタリスクにいると知りました。能力者でなかったはずの友人が、なぜか、強大な能力を行使しているということも、同時に知りました」

 

「そして王女は、自身もアスタリスクに行くことを望みました。―――かつての友人の身に何が起きたのか、そのすべてを知るために。そして、そんな悲しいことが二度と起こらないよう、祖国を統合企業財体の支配から解放するために、闘争の場へ身を投じたのです」

 

 

 

ゆっくりと話し終えて、セレナはどこか物憂げな瞳でゆるりと聖夜を見やる。その聖夜もまた、今しがた聞いた話に、驚きを隠せないでいた。

 

「そう、か……そんなことがあったのか」

「……私も、本人から聞いただけなんだけどね」

 

やり場のない感情を誤魔化すように、セレナはティーカップに口をつける。アールグレイの香りと温かさが染みわたって、そこでやっと、一息つくことができた。

 

「始めて知ったのは、だいぶ後だったんだけど……私も驚いたわ。同時に、ユリスがどうして統合企業財体を嫌うのかも理解したけれど」

「そりゃまあ、そんなことがあったら嫌わないってのが無理な話だよな……」

 

聞けば、彼女達の祖国であるリーゼルタニア公国は、現在では統合企業財体の意見がほぼ絶対の、いわば傀儡国家のような状態らしい。もっとも、リーゼルタニアに限らずとも、統合企業財体の影響が強い国々や組織において、統合企業財体の言葉に従わないという選択肢はそもそもありえない。そのため、ユリスが何もできなかったのも仕方の無いことではあったはずだ。

 

しかし、そうだとしても、彼女が抱くやるせなさや怒りは決して無くならない。それらがまざまざと想像できてしまって、聖夜はどうしようもなく、気付けばカップを持っていないほうの拳を握り締めていた。

 

「ユリスさんがどれだけ悔しかったか……それを提案しやがったのは、どの財体だったんだ?」

「フラウエンロープよ。目的は……分かるでしょう」

 

聖夜は微かに頷く。フラウエンロープは、六花におけるアルルカント・アカデミーの母体だ。とりわけ研究の分野で長けている学園の母体ともなれば、その目的も当然、実験体の確保であったのだろう。

 

「非能力者を能力者にする実験でもしてたってことか……?」

「いいえ、違うわ。――ユリスが言うには、出会った頃の『孤毒の魔女』は、そもそも星脈世代ですらなかったそうよ」

 

予想だにしていなかった事実に、聖夜は正しく絶句した。

 

「なっ………本当、なのか? 元は、星脈世代じゃなかったと?」

「そう。信じ難いけれど、本当のこと」

 

ということは、当時のフラウエンロープ、或いはアルルカントには、非星脈世代を星脈世代にするような、常軌を逸した実験を行う者がいたということになる。

 

「その実験は、『大博士(マグナム・オーパス)』という人物が主導していたの。――名前くらい、聞いたことあるでしょ?」

「……ああ」

 

こちらに来たばかりの聖夜でも知っているような、アルルカント所属の有名な研究者だ。――有名なのは何も研究成果だけでなく、人の心など欠片も感じられないような、非道な実験内容も含めて、だが。

 

だが、フラウエンロープで実験を受けていたのなら、『孤毒の魔女』はアルルカントに所属しているのが自然なはず。

 

「しかし、それじゃあ、なんでまたレヴォルフの序列一位になってるんだ?」

「経緯は知らないけれど、なんらかの取引があって、彼女の身柄がソルネージュに渡ったんじゃないかってユリスは言ってたわ。……私も、序列一位になった『孤毒の魔女』によって、新しい生徒会長にあの『悪辣の王(タイラント)』が指名されているあたり、何かしらあったのは間違いないと思う」

 

レヴォルフの生徒会長の決定には、独自に、序列一位による指名制がとられている。セレナの言う通り、時系列を考えると、『悪辣の王』が『孤毒の魔女』を利用したと考えられるようなタイミングでの指名だったのは事実だ。

 

ともあれ、ユリスと『孤毒の魔女』の間に浅からぬ関係があり、それをセレナがわざわざ聖夜にも伝えたということは、聖夜もある程度心構えをしておいたほうがいいということだろう。なにせ、聖夜はもうセレナのパートナーなのだ。彼女が抱える問題は、同時に彼の問題でもある。少なくとも、聖夜の方はそう解釈している。

 

カップに少しだけ残っていた紅茶をゆっくり飲み干し、彼は緩く溜め息を吐いた。

 

「なんとも嫌な話だ。――まあ、何かあれば力になることを約束するよ。その時は遠慮なく言ってくれ」

「ありがとう。――何事もないのが、一番なんだけど」

 

諦めたような、どうにもならないような、セレナのそんな口ぶりからは、いつか訪れる波乱を聖夜に予感させるには充分だった。

 

 

 

 


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