学戦都市アスタリスク【六花に浮かぶ月と幻想】   作:観月(旧はくろ〜)

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第三十話〜剣士vs剣士ならざる者〜

 

 

 

「……っ、参ります!」

 

不敵に佇む聖夜から、綾斗のそれとも違うただならぬ気配を感じながらも、決闘受諾の宣言を聞いた綺凛は、素早く刀を抜いて間合いへと飛び込んだ。勢いそのままに振り抜かれた鋭い刃を、聖夜は突き付けていた切っ先をすっと引いて正面から受け止める。

 

(おっと、思ったより重いな……っ!)

 

が、しかし。剣戟の速度は言うに及ばず、腕に伝わる重量感すら一級品であることに、聖夜は改めて舌を巻いた。彼の力を持ってすら容易には弾き飛ばせないだろうと考えられるくらいのパワーが、一体彼女の小柄な身体のどこに眠っているのだろうか。

 

流れるように続く二撃、三撃目を捌いて、聖夜は綺凛の校章を狙って横薙ぎに刀を振るった。だが、それは彼女が一歩引いたことであっさり躱されてしまう。そして、その隙を縫うようにして綺凛は再び聖夜に接近し、連撃を開始する。

 

一つ一つの技がなんの滞りもなく繋がっていくそれは、月影流や、綾斗の使う天霧辰明流ともまた異なる方向性を持った流派のようだった。

 

(刀藤流、だったか)

 

連撃の間を縫うようにして放った逆袈裟をまたも容易く避けられ、その尋常ならざる速度を前に、攻撃を受ける側に逆戻りしながらも、聖夜は思考を巡らせる。

 

『刀藤流』。今や星脈世代の精神発達プログラム(ようは習い事とも言える)にも推奨されている、聖夜達が使うような古流派とはまた違った、いわゆる現代流派としての発達を遂げた剣術の流派。日本に住む星脈世代なら、ほとんどが名前くらいは聞いたことがあるだろう。その特徴は、古流派が主に戦場を舞台に発展していったのとは対照に、少人数の対人を想定しているということ。

 

――そして何より、技と技が、まるで折り紙を淀み無く折っていくかのようになめらかに繋がっていくことによる素早い連撃こそが、他にはない刀藤流の大きな特徴だ。

 

(しっかし、とんでもない疾さだ……!)

 

とはいえ。こちらに来てから、聖夜も刀藤流の使い手と思われる者の映像を何度か見たことがあるが、ここまで高いレベルで使いこなしているものはなかった。まだ中等部であるにも関わらず、刀ひとつで序列一位の座に君臨しているということはつまりそういうことなのだと、聖夜は打ち合いの中ではっきりと理解する。

 

しかし、先程から感じていた違和感はやはり拭えなかった。

 

(やっぱり、ただ勝つための剣なんだよな……)

 

打ち合ってみて初めて分かる。彼女の剣は、本当にこんなものなのだろうか、と。

 

「たあっ!」

「……っ、」

 

戦闘の流れは、ほとんど綺凛が握っているように見えた。彼女の連撃は淀み無く、聖夜はそれを凌ぎつつ時折攻勢に転じるも、その一太刀が綺凛に届くことはなく、すべて躱される。お互いに有効打が入らない中で、しかし聖夜の剣戟が綺凛の速度を捉えきれず、どころか徐々に押されているということはギャラリーの誰から見ても明らかであったし、聖夜も自覚していた。

 

(ま、当然だけ……どっ!)

 

しかし、それは始めから予想できていたことだ。あえて間合いを近くとった突きも最小の動きで躱され、息つく暇もなく飛んでくる剣閃を全身の身体捌きを利用してどうにかいなす。それでも、動きとは裏腹に焦りはなかった。

 

まず、聖夜と綺凛では剣術の練度からしてまるで違う。それは、綺凛が剣術しか使わない戦闘スタイルであるということに対して、聖夜はそもそも剣術に本格的に触れたのが比較的最近であることから、基本的に剣術のみで戦うということをしてこなかったことが原因だ。この攻防をなんとか演じることができているのも、練度で劣っている分を、彼がくぐり抜けてきた多種多様な戦闘経験が補っているからだった。

 

そしてもう一つ。決闘においての聖夜が使う月影流のような古流派は、刀藤流のような現代流派との相性が悪いのだ。天霧辰明流の綾斗もそうだったが、特にこういった一対一の状況では、戦場を舞台に発展した古流派の真価はあまり発揮できない。こうして正面きって闘っている以上、流派の優位性という利も彼女の方にある。

 

それらの理由を踏まえて、聖夜は剣術()()で闘っては絶対に勝てないということを決闘前から理解していた。だからこそ、何も知らないフリというわざわざ面倒な一芝居を打ってまで、舞台を整える準備をしたのだ。相手は序列一位、隙を見せれば瞬く間に斬り伏せられるであろう、油断など微塵も許されない相手。そんな格上に勝つつもりなら、相手の意表を突いてそのまま押し切るのが、少なくとも聖夜の考える最善の策だ。そのためなら聖夜は相手を、そして周囲の者すらも誤魔化し、欺く。演技力(強がり)は、聖夜の数少ない特技の一つだ。

 

 

――最中、ふと、聖夜はギャラリーの中に見知った顔を見つけた。暗めの美しいブロンドヘアをなびかせながら、呼吸すら忘れてしまっているのではないかと感じるほど、聖夜と綺凛の決闘を心配そうに見つめる一人の少女。恐らく無意識なのだろう、両手を組んでいるその姿は、まるで祈りを捧げているかのよう。先程までは居なかったはずなのに、いつの間に現れたのだろう。それは確かに、聖夜の、大切な友人(パートナー)の姿だった。

 

(ズルいな……そんな風に見られちゃ、下手な闘いができないじゃないか)

 

悲しいかな、聖夜とて一人の男である。仲の良い友人の前では、しかもその人が異性ともなれば、どうしたって見栄の一つも張りたくなるものだ。内心で自分の頬を引っ叩いて気合を入れ直し、そうして仕掛けに出た。情けなくても、格好悪くても、自分の思惑通りに事を運んでみせると、そう覚悟を決めて。

 

「はっ!」

「っ……!」

 

終わりの見えない連撃を、聖夜は力で半ば無理やり弾いて中断させ、大きな袈裟斬りを放つ。しかし、それすらも、綺凛は無駄のないステップでするりと躱してみせた。

 

そして、狙いすましたかのような、聖夜の校章を狙う一閃。刀を振り抜いて間もない彼は防ぐ術を持たず、身を捩って避けようとする。

 

だが足りない。校章の厚みの分だけ、聖夜の動きは間に合わない。

 

(捉えた!)

 

先程の、綾斗との決闘と同じ。聖夜は、校章の厚みというこの学園特有の弱点を失念した。綺凛の刀は、寸分違わず彼の校章を両断する。彼女はそう確信していた。

 

 

――そのはずなのに、聖夜は不意に口元を歪めた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

このタイミングだ、と聖夜は思う。想像以上に彼女の剣技が凄まじく、おおよそ満足できるほどの観察はできなかったが、こうして仕掛けてしまった以上は、腹を括ってやるしかない。

 

(さあ、最後まで走り切れよ。ここからのペースは俺が作る……!)

 

綺凛の刃が聖夜の校章を断ち切る寸前、彼は微かに言葉を発した。

 

「――『結界』!」

 

直後、聖夜の校章を破壊するはずだった刃は、校章の寸前で何かに阻まれ、逸らされた。

 

「なっ、」

 

驚きに目を見張る綺凛。そんな彼女へ、聖夜は不敵に嗤った。

 

「――縛りプレイは、終わりだ」

 

 

 

身を翻した勢いで振り抜かれる聖夜の()()。自分の勝ちを確信し、完全に不意を突かれた綺凛は、しかし自身の側頭部に向かってくるその脚を、見事な反射神経で刃を戻し、受け止めてみせた。

 

ただし、受け止められただけ。

 

(っ、重い……!)

 

体勢が悪かったということもあるかもしれない。それでも、ここまで尽く躱し続けていた彼女が初めて受け止めた聖夜の一撃は、綺凛の腕をそのまま持っていってしまいそうな程に重かった。

 

とはいえ、凌いだということは事実。綺凛は渾身の力で聖夜の脚を上に逸し、返す刀を振り下ろす。しかし、彼は脚を跳ね上げられた勢いのまま身体を正面に戻し、右手一本で握った刀で受け止めた。激しい金属音が響く中、綺凛の目の前には、いつの間にか聖夜が放った左拳が迫っていて。

 

「くっ……!」

 

堪らず彼女は後ろへと大きなステップをし、聖夜の拳は空を切った。綺凛が刀を構え直す中、聖夜は振り抜いた拳を戻しながら感心したように、そしてどこか残念そうに苦笑しながら言う。

 

「いやいや、まさか今のが当たらないなんて。まったく末恐ろしいね……」

 

演技の中でも、それはなんら飾り気のない本音だった。しかし綺凛には、その言葉が何よりも雄弁に彼の余裕を表しているのだと思えてならなかった。一瞬の隙に揺らいだ綺凛のペースは、ここにきて聖夜の雰囲気へ完全に呑みこまれた。

 

真正面から睨み合ったのもほんの僅かの間だけ。今度は聖夜が、古流派特有の重心を低く落とした姿勢をとって綺凛へと突撃する。そうして放たれた力強い一撃を、彼女はそれを回り込むようにして躱し、攻撃の隙を突くべく反撃を試みた。先程までと同じならば、そこからは綺凛がペースを握れるはずだった。

 

「甘いッ!」

 

しかし、彼女の刃は、寸前で聖夜の左腕に阻まれる。攻撃を受ける一点だけに星辰力を集中させている彼の腕は、綺凛が今まで斬りつけた何れよりも頑強だった。

 

(なんて精度……!?)

 

聖夜の星辰力操作に関しては、そもそも決闘の回数自体が非常に少ないこともあって、彼と親しい生徒以外にはほとんど知られていない。それは綺凛も例外ではなく、鋼一郎に要注意とされた彼の映像を何度か見て、星辰力が少ないがその分操作が得意なのだろうという推測こそしていたものの、ここまでの精度で星辰力を巡らせるとは想像もしていなかった。腕全体ではなく、刃を受ける箇所だけに星辰力を集中させて少ない星辰力を無駄に浪費しない戦法など、果たしてこのアスタリスクの中でどれほどの生徒がものにできるだろうか。

 

驚愕のなか、それでも綺凛の体は反射的に、受け止められた刃を引いて連撃に入ろうとしていた。しかしそれよりも一瞬早く、聖夜は左腕を叩きつけるようにして、彼女の刀もろとも力強く振り下ろす。

 

不意を突かれて、綺凛の体勢が崩れた。

 

「っ、」

「うおらぁッ!」

 

対して聖夜は、振り下ろした反動を利用して、裂帛の気合と共に左拳を突き出した。先ほど綺凛が避けたものと同じ技、しかし今回は躱すほどの余裕がない。故に彼女は、不安定な体勢のまま、咄嗟に刀を身体の前へと戻すことで、その拳を受け止めようとした。

 

それでは不十分だった。衝撃を抑えきれず、綺凛の体は後方へ吹き飛ばされる。

 

「つうっ……!?」

 

しかし、闘い慣れしている彼女の反応は早かった。ほとんど無意識ながらも受け身をとり、さほど距離が離れないうちに、転がるようにして素早く体勢を整える。追撃に走る聖夜の姿を正面に捉え、自らも一歩踏み出して刀を、

 

 

(えっ、)

 

 

――振り抜こうとした直後、目の前にいたはずの姿が視界から消えた。彼女の頭上に一瞬影が差す。

 

 

それが意味することは、つまり。

 

 

(跳んだ!?)

 

視界の端で、聖夜が縦に一回転しながら綺凛の背後へと跳んでいくのが見える。それを追うようにして彼女が反射的に振り返れば、目の前で軽やかに着地した聖夜が刀を大きく振りかぶっていた。

 

「『水無月』ッ!」

 

横薙ぎに、己の校章へ迫るその一撃を、綺凛は完全には受けとめきれなかった。それでも一度映像で見たことがある技ということが幸いして、辛うじて刀の軌道を逸し、体勢を崩されながらも数歩分距離を取る。しかし、聖夜の方も、そんな好機をみすみす見逃すような真似はしなかった。彼女の体勢が整うよりも早く、聖夜の攻撃が襲いかかる。

 

刀による斬撃だけではなく、拳や蹴り、さらにはタックルや足払いまで交じる、まるで人が変わったのかと錯覚してしまうほどに多彩な連撃。驚異的な反射神経を駆使し、未だに有効打こそ避けてはいるものの、彼女は珍しく混乱していた。

 

(最初とはまったく闘い方が違う! それに、校章のあれは……!?)

 

校章を断ち切る直前、確かに彼女は壁のようなものに阻まれるのを感じた。しかし、聖夜が能力者であるというデータはない。もっとも純星煌式武装を使用しているならば何かしらの能力を使えるのかもしれないが、こうして闘っていれば分かる通り、今の彼は純星煌式武装はおろか煌式武装すら起動していないのだ。

 

それに加えて、聖夜の闘い方はがらりと変化している。最初に切り結んだときよりもすべての攻撃が力強く、そして苛烈だ。

 

(まさか、手加減を?)

 

二つ以上の純星煌式武装を持っているのにも関わらずそれらを使わない。しかも、闘い方が途中で激しく変化した。綺凛が序列一位だと分かっても余裕を崩さなかったということも合わせれば、手加減されていると、そう考えてしまうのも無理はなかった。

 

 

(っ!)

 

 

――深く沈み、そうして生まれたその結論は、彼女の中に焦りを生む。その様子は闘っている聖夜にも手に取るように分かった。

 

(やっとか……小細工した甲斐があったな)

 

目の前で聖夜の攻撃を凌ぎ続ける少女は、しかし彼の演技に大きく揺さぶられている。綾斗との闘いを見て、そして実際に応酬を繰り返して確信した聖夜の違和感は、確かに正しかった。

 

 

――今の彼女の剣は、叔父の指示通りに振るわれるだけのもの。天才的な技術は剣戟の中に綺羅星の如く輝き散りばめられているが、しかしそこには本人の意志がまるでない。

 

そうして振るわれる、ただ勝つための剣には、彼女が本来持っているであろう自由な柔軟性も失われている。それでも序列一位に君臨し続けているあたり尋常ではないが、その実力に裏打ちされた自信が揺らいだとき、ただ勝つことだけを求められて自由に闘うことができない今の彼女では混乱してしまうのも無理はない。本来の彼女なら、聖夜程度の相手であればすぐに戦法を切り替え、再び優位に立つことくらいは容易くこなしてみせるだろう。彼女がそれくらいの地力を持ち合わせていることくらい、聖夜にだって分かる。

 

人妖問わず、そして獣や竜とも幾度となく戦ってきた聖夜にとって、戦いの最中に見えてくる相手の意志はひどく重要なものだ。獲物を食らい尽くそうという本能じみた意志、何かを守ろうとする必死さに溢れる意志、あるいは、ただ強き者との戦いを求める飽くなき闘争心を秘めた意志。そのすべてが、目の前の相手に勝つために必要な情報であり、同時に自身の感情をも昂らせてくれる。だが、今の彼女にはそれがない。そんな相手にただ負けるというのは、聖夜にとってもあまり考えたくないことであったし、何より、そんな相手に勝ったところで何の意味があるんだという、ある種の失望もあった。

 

そもそも、ここで決闘に勝ったところで、聖夜が得られるものは、序列一位という彼にとっては鬱陶しい肩書しかないのだ。加えて、決闘前に約束を交わしていた綾斗とは違って、彼が勝っても綺凛を解放することはできないし、よしんばできたとしても、今の彼女ではその後遠からず叔父の元へ戻ってしまうのが容易に想像できる。それでは何も意味がない。

 

(とはいえ、これ以上の時間稼ぎは厳しいか……?)

 

聖夜の蹴りを躱して放たれた綺凛の剣閃を、同じく刀をあてがっていなしながら、聖夜は思考を巡らせる。当初の予定では、充分な時間をかけて観察し、頃合いを見つつ闘い方を変えて追い込み、昼休み終了の予鈴が鳴るまで粘ろうと考えていた。そうすれば、風紀担当という立場上、それを理由に決闘を止めることができるからだ。学生の本文である勉強というものは、それだけで決闘を止める充分な理由になる。勝敗もつかないため、聖夜にとってはもっとも都合が良い。

 

しかし、それは厳しそうだ。綺凛の戦闘力が聖夜の想定を超えて上であったことから、予定通りの観察時間を取ることができなかったうえ、こうして打ち合っている中でも攻撃を返される頻度が増えてきており、彼女の対応が徐々に速くなっていっているのがよく分かる。このままでは、予鈴が鳴るより先に、彼女はある程度落ち着きを取り戻すだろう。そうなれば聖夜は時間稼ぎのためにまた違う手札を切らなければならなくなるし、ギャラリーが見ている中で不用意に戦法の貯金を切り崩すことは避けたい。

 

とりわけ序列一位が相手では、いかに相手が本調子でないとはいえ、どれほどの戦法を曝け出してしまうか分からない。星武祭が控えている身としては、そうなれば大損もいいところだ。

 

現時点では、聖夜の目論見自体は、彼自身でも驚いてしまうほど完璧に嵌っている状態だ。勝とうと思えば恐らく勝てる。しかし個人的な理由で勝ちを取りに行きたくないのも事実。――ならば、選択肢はそれほど多くない。

 

(しゃーない……()()()()負けるしかないか)

 

決意し、聖夜は刀を大きく横に構えた。そうして校章めがけて振り抜かれた刃は、周囲の目には不思議と揺らめいて映る。

 

「『朧月』!」

 

変わらずペースを握られたままで、回避は間に合わないと判断した綺凛は、その一撃を同じく刀で受け止める。しかし、重く打ち据えられたそれは、弾き飛ばすほどではなくとも、多少は彼女の姿勢を崩すことに成功した。

 

だが、度重なる攻撃を受けて、綺凛の対応は確かに速くなっていた。最小の動きでぶれた体幹を安定させ、次の攻撃に備える。

 

視線の先に、聖夜の姿は無かった。

 

(っ、)

 

頭上に影が差す。強烈な既視感。素早く後ろを振り向く。綺凛の意表を突くべく、彼は再び跳んだのだ。同じ手は、二度と通用させない。

 

 

――この時、綺凛は思い付くべきだったのだ。ここまで自分を追い込んだ相手が、そんな分かりやすい手をみすみす打つはずがないということを。

 

頭上で、たんっ、と軽やかな音が微かに鳴った。

 

(今のは……!?)

 

綺凛は反射的に音が聞こえた方を見上げる。しかし、その時にはもう、聖夜の姿は綺凛の視界の上部に見切れるようにしか映らなかった。

 

つまり、綺凛はさらに裏を突かれたのだ。

 

「――『断月(たちづき)』!!」

 

何をどうしたのか空中で反転したらしい聖夜は、自身が元いた位置に再び戻るような軌道で降りながら、空中で大きく刀を振り下ろした。対して綺凛も振り向き直し、構えようとするが、当然、不意を突かれた状態で防御が間に合うはずもない。力強く振り下ろされた刀が、彼女の姿勢を上から大きく崩す。

 

(…っ、まだ!)

 

それでもなお、綺凛は食らいついた。打つことのできる手はわずかながらも、その中から勝つための手を探す。まずは牽制の一太刀を放って、体勢を整える時間を確保することからだ。幸い、聖夜は刀を勢いよく振り下ろした反動で、着地時に多少の隙ができていた。綺凛の反撃を防御することはできるだろうが、矢継ぎ早に追撃をしてくることはないはずだ。

 

実際に、それは正しかった。ただ一つ、彼女が気付いていなかったことがあったというだけで。引く体勢に入りながら、綺凛は刀を振り抜く、

 

「つうっ……!!」

「っ!?」

 

そうして放たれた綺凛の一閃を、あろうことか聖夜は左の掌を広げて受け止めた。もちろんそこに星辰力は込められているが、牽制とはいえど刃を手で正面から受けて、さしもの聖夜も表情を微かに歪める。

 

だがそれも一瞬だけ。さらに信じがたいことに、聖夜は受け止めた左手をそのまま握りこみ、刀の動きを封じにかかった。驚愕に染まる綺凛の表情を見て、彼は強がるように笑う。

 

「こんなバカ、そうそういないだろう?」

 

彼の言う通り、綺凛はもちろんのこと、ギャラリーもその突飛な行動に驚き、固まっていた。はっと我に返った綺凛は、急いで刀を彼の手から引き抜こうとするが、その力は尋常ではないほど強く、引き抜ける気配がない。そうしているうちに、刀を握っている聖夜の手から、鮮血が一つの筋となって腕を伝って流れ落ちていく。星辰力を掌に込めてなお、切れ味鋭い綺凛の刀が強く食い込み、彼の手に傷を作っているのだ。

 

それをちらと見て、聖夜は自嘲するようにふっと微笑し、そうして綺凛にギリギリ聞こえるくらいの小さな声で、ぽつりと呟いた。

 

 

「――君の刀は、本当にこんな程度なのか?」

 

 

それだけを聞けば、馬鹿にされたようにも、また挑発ともとれるだろう言葉。しかし、聖夜の眼差しは、この決闘が始まって以来綺凛が初めて見るほどに真剣だった。

 

束の間、視線を交錯させた両者の動きが止まる。綺凛は、聖夜の鋭い視線に正面から見据えられ、目を逸らすことすらできなかった。

 

「………そうか」

 

そこから何かを汲み取ったらしい聖夜は、どこかやるせない表情で緩い溜め息を一つ吐く。――そして、刀を抑えている手を今一度強く握りしめ、投げ捨てるようにして勢い良くその腕を振り上げた。

 

(っ……!)

 

聖夜の膂力に負け、刀に引っ張られるような形で綺凛は前方につんのめる。鮮血が数滴の雫となって宙を舞うなか、がら空きの胸元へ迫る聖夜の横蹴りを、彼女に凌ぐ術はなかった。

 

「くぅっ……!」

 

しかしそれでもという思いで、綺凛はせめて校章だけは守ろうと、必死に身をよじらせる。しかし、実際に蹴りが直撃したのは校章とは真反対の胸元、仮に綺凛が回避行動を取れなかったとしても問題のなかった位置だった。

 

とはいえ、まともに防ぐこともできなかった彼女は、当然、後方へ強く吹き飛ばされた。そのまま大きく地面を転がり、腕を支えにしてなんとか復帰して、滑りながら勢いを殺す。どうして、と綺凛が顔を上げれば、聖夜は追撃に走ることなく、それどころか彼女の方を向いてすらおらず、刀を納めて、おもむろにポケットへ手をやっていた。

 

そこから取り出した、古めかしい懐中時計をちらと覗き、聖夜はわざとらしく溜め息を一つ。

 

「……まあ、こんなものか」

 

ぱたん、と懐中時計の蓋を閉じて、聖夜はそれをしまい、空いた手で今度は自身の胸元にある校章を取り外しだした。今度は一体なんのつもりか、とギャラリーが何度目か分からないどよめきに包まれる。

 

しかし、聖夜はそういった反応など相変わらず意に介さない。彼は手の中にある小さな校章を軽く放り投げ、右手に持った刀を軽く振り抜く。

 

「えっ……!?」

 

「『校章破損(バッジブロークン)』」

 

そして、機械音声が()()()()()を告げた。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

突然行われた聖夜の自滅に、綺凛はもちろんのこと、ギャラリーすら反応できないでいるようだった。からん、と小さな音を立てて、真っ二つに割れた彼の校章が地面に落ちる。しかし、当の聖夜は何の事だと言わんばかりに、おどけたように肩を竦めていた。

 

「いやー、流石の強さだ。危うく無様を晒すところだったよ」

 

それでも動けずにいるギャラリーへ、聖夜はさらに、彼らを見渡しながら、動き出すきっかけの言葉を発した。

 

「――それにしても皆さん、時間は大丈夫ですか? そろそろ次の授業が始まりますよ」

 

その言葉に、生徒達が俄にざわつき始める。時計を確認する者あり、時間割を開く者あり、ギャラリーのほぼ全員が慌ただしく動き始めるなか、聖夜は地面に落ちた真っ二つの校章を拾い上げ、呆然と立ち尽くしている綺凛に近付き、彼女にだけ聞こえるような声で、軽く笑いながら言った。

 

「願わくば、次は本当の君と闘ってみたいもんだね」

 

そうして、聖夜は少し離れたところにいた鋼一郎にも目を向け、彼が何か言うよりも先に口を開く。

 

「今回は私の負けですので、事情聴取はもう一方からするのみにいたしましょう。今後、同じようなことが起こらないことを望みます」

 

聖夜はギャラリーの中にいたセレナをちょいちょいと手招きし、あとは一切を振り返ることなくその場から立ち去る。

 

――前に、再び鋼一郎に流し目を向け、口端を微かに上げた。

 

「おっとそうだった。月影家当主に対する侮辱の言葉も今回ばかりは水に流してあげるから――ぜひ咽び泣いて感謝してくれると嬉しいね、おっさん」

 

怒りと驚愕がない混ぜになっている鋼一郎の様子を愉快そうに眺めてから、「それじゃあね」と聖夜は軽い足取りで、今度こそ場を後にした。

 

 

最後の最後まで聖夜に惑わされ、生徒達がまだ時間に余裕があるということに気付いたときには、もう彼の姿はなかった。

 

 

 

 


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