学戦都市アスタリスク【六花に浮かぶ月と幻想】   作:観月(旧はくろ〜)

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大変お久し振りでございます、はくろ〜です。

今、日本中どころか世界中で新型コロナウイルスが脅威となっていますね。私自身、授業などはすべて映像を使ったものとなり、またサークル活動なども行えないため、人との交流が極端に減った生活をしています。

しかし、医療系を目指す立場として、こういった自粛には積極的に努め、また勧めていきたいのも事実。願わくば、この小説が誰かの暇つぶしの一端になってくれればと思います。大変な時期ですが、少しでも読者の皆様に楽しんでいただけますように。


大変長い前書きになってしまい申し訳ありません。それでは第二十四話、どうぞ!




第二十四話〜彼の趣味は〜

――鳳凰星武祭(フェニクス)開催まで、あと一ヶ月あまり。

 

 

 

そんなある休日のこと、聖夜は珍しく一人で商業エリアをぶらついていた。

 

(さーて、良さげなのはあるかなー)

 

目的地は楽器屋だ。こちらの世界へ飛んできてからというもの、彼は一度も趣味であるギターやベースといった楽器に触れてこなかった。それでもこちらに来た当初は諸々忙しくて気にならなかったが、それらにも慣れ始めてきた今、なんだか無性に楽器を弾きたくなったというわけである。

 

(どうせなら、ギターやらドラムやら全部揃えちゃうか? なんかそろそろ一人部屋貰えそうな感じだし)

 

かくして、現在。彼はいくつかの楽器屋を廻りながら、自分の好みの物を探しているのであった。

 

しかし、表記されているメーカーはどれも見たことがないものばかり。どんな音をしているかもまるで分からないので、気に入ったデザインのものがあったら弾いてみる他ない。

 

「すみません、こちらのギターって試し弾きできますか?」

「はい、大丈夫ですよ。少々お待ちください」

 

店の奥へ去っていく若い店員の背中を視線で追ってから、聖夜は店内を軽く眺めてみた。

 

(へえ、だいぶ客が入ってるな。楽器屋なのに珍しい)

 

改めて感じるのは客の多さだ。語るまでもなく、楽器屋というものは『混む』という言葉からは縁遠い。音楽を趣味にしている人はさほど多くないし、そのような人だってそう高頻度で店を訪れたりはしないのだ。

 

故に、この客入り具合は、ひとえにここが商業エリアの一角にある大きな店だからなのか、はたまた別の要因があるのか。そんな益体もないことを何となく考えていると、先程の店員が戻ってきて彼に告げた。

 

「お客様、アンプには繋げますか?」

「……えっ、良いんですか?」

 

意外だった。一見である聖夜に、しかも店内には結構な数の客がいるのに、まさか音出しをさせてもらえるとは思っていなかった。

 

聖夜の言わんとすることを汲み取ったのだろう、店員が微笑んで言った。

 

「他のお客様も、思い思いにピアノを弾いたりしていますから」

 

なるほど、と聖夜は頷き、

 

「それでは、お言葉に甘えて。……ああそうだ、エフェクターも繋ぐことってできますか?」

 

店員は微笑みを絶やさぬまま言う。

 

「ええ。こちらで選びましょうか?」

「……いえ、私に選ばせていただけないでしょうか。っていうか、シールドやらアンプやらと一緒に買っちゃいたいんですけど」

 

その聖夜の言葉に、今度こそ店員は驚いたようだった。

 

「それはまた……羽振りが良いと言いますか」

「幸い、手持ちはそれなりにありますから。……エフェクターはマルチが良いんですが、案内していただけませんか?」

 

かしこまりました、と歩いていく店員の背中に直接着いていく。――どこからか向けられている視線は、最後まで気付かない振りをした。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

かなりの時間をかけて楽器を吟味し、聖夜は満足げな顔で会計を済ませていた。

 

「やー、長く付き合わせて申し訳ありません。ありがとうございました」

「いえいえ。こちらこそ、お客様のおかげで客足も伸びましたし、良い演奏も聞かせてもらえましたし、ありがとうございます」

 

聖夜は何気なく弾いていたつもりだったのだが、どうやら店の外にまで聞こえてしまっていたらしく、気付けば周囲に人だかりが出来てしまっていた。それゆえ迷惑をかけたと思っていたが、どうやらそれは彼の杞憂だったらしい。

 

その間ずっと聖夜の案内を行い、さらにはこうして会計までこなしている店員は、柔らかく微笑んで言った。

 

「お客様はバンドを組んでいるんですか?」

「ええ、まあ……メインはボーカルですけどね」

 

おや、と向こうは首を小さく傾げ、

 

「それなのに、あれだけ楽器が上手いなんて……ライブはやっていますか? ぜひ見に行きたいんですが」

「あー、そうですね……」

 

嬉しくはあったが、同時に困った質問でもあった。彼のバンドメンバーは今、この世界にはいない。

 

「……実は、今はみんな離ればなれになってしまってて」

 

少しの間悩んだ末に、そう答える。少なくとも嘘ではない。

 

しかし、奥歯に物が挟まったような言い方をしたため、向こうは悲観的な勘違いをしてしまったようだった。心底申し訳なさそうに、

 

「あっ……すみません、そうとは知らず」

「ああいや、別に深刻な理由ではなくて。ただ、すぐには集まれないってことなんです」

 

聖夜は慌てて訂正した。――メンバーがこの世界にいないということはむしろ、向こうの勘違いの方がニュアンス的には近いのだが、それは置いておく。

 

「今は休養期間というか、修行期間というか……ですかね」

「そうなんですね……少し残念です」

 

試し弾き程度の演奏だったのだが、どうやら彼の演奏は気に入られたらしい。仄かな満足感を抱きつつ、聖夜は世間話の流れでこう零した。

 

「でも、確かにバンドやりたいんですよねー。募集とかあります?」

 

店員は苦笑し、

 

「昔ならともかく、今ではお店にそういった話を持ってくる人は少ないですねえ……」

 

ですよね、と聖夜はさして落胆する様子もない。元々、そうだろうなとは思っていた。

 

だからこそ、店員の次の言葉は完全に予想外だった。

 

「……あっ、そうだ。お客様がよければ、私のところに参加してみませんか?」

「へっ……いやそんな、確かにそうなればありがたいとは思いますが」

 

いくらなんでも唐突な話だ。そもそも、素性も知れない相手をよく誘おうと思ったものである。

 

およそこのようなことを聖夜が言うと、店員は笑って、

 

「お客様のことは知っていますよ。星導館の月影聖夜さん、ですよね?」

 

今日の聖夜は特別変装してこそいないものの、制服ではもちろんない。まだ公式序列戦にも出ていない彼のことを知っているということは、つまり。

 

「私、クインヴェールの学生なんです」

 

そういうことであった。

 

「ああ、やっぱり。なんで私の事を知ってるんだろうと思いましたけど、ここの学生だったんですね。失礼ですが、おいくつなのですか?」

「高等部三年です。お客様のことは、学園の諜報機関から聞きました」

 

聖夜は苦笑する。

 

「他学園の奴にそれ言っちゃっていいんですか? ……確か、『ベネトナーシュ』でしたか。まさか星導館以外でも危険人物認定されてるとは思っていませんでした」

「いえ、別にそういうわけでは……序列入り時の映像とともに、強さに関しては要注意と忠告されましたが」

 

どこから手に入れたんだか、と彼は感心しながら、

 

「そんな忠告を受けたということは、貴女も闘うんですね」

「はい。鳳凰星武祭にも出場しますので、もし相まみえることがあればお手柔らかにお願いしますね」

 

そんな言葉と共に微笑む彼女は、果たしてどれほどの実力者か。帰ったら調べよう、と聖夜は心の片隅にメモを取りつつ。

 

「言うほど、私も強くはないですが。……貴女のお名前、お聞きしても?」

三峯(みつみね)あずさ、といいます。これからよろしくお願いしますね」

 

これから、ということは、聖夜が彼女のバンドに入るのはいつの間にか確定していたのだろうか。とはいえ、相手が良いと言うならば、聖夜に異存は無い。

 

「こちらこそ、よろしくお願いします。バンドメンバーとしても、アスタリスクの学生としても」

 

その言葉を、にっこり笑って受け止めた彼女を見て。

 

(ふむ、良い関係が築けそうだ)

 

なんとなく、聖夜はそう思った。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

店を出て、聖夜は唐突に小さく手招きをした。その少し先の物陰で、びくっと何者かが驚いた気配。

 

だが、聖夜がその方向へ柔らかく笑いかけると、おずおずと行った様子で一人の少女が歩み出てきた。

 

「奇遇だな、オリヴィア」

「うっ、ごめんなさい……」 

「いや別に怒ってるとかじゃないよ? ホントだよ?」

 

ちょっとしたからかい程度のつもりだったのだが、想像以上にしょんぼりされてしまったため、聖夜は慌てて弁解する。こういった何気ないコミュニケーションにおける不測の事態には、特に女性が相手の場合、彼はまだまだ慣れていない。

 

「純粋に偶然だろ? こっちこそごめんな、休日を邪魔しちゃって」

「い、いえ!」

 

とはいえ、最近になってやっとオリヴィアとの距離も縮まってきたように思う。以前は先輩と後輩という関係以上の距離を感じていたが、今はあまり感じない。もっとも聖夜としてはもっとフランクに接してくれるとなお嬉しいのだが、それにはもう少し時間が必要だろう。

 

「先輩、その……この後のご予定は?」

「ん? ああ、特には……昼食べて、あとは適当にぶらつく感じかな。今日のメインはもう終わったから」

 

こういうやり取りって良いよなあ、などと聖夜が感じていると、オリヴィアがしばし悩む様子を見せた後言った。

 

「もしよければ、ご一緒してもよろしいでしょうか」

「構わないよ。でも……良いのか? そんな楽しいものじゃないと思うけど」

 

これには聖夜も少々驚いた。真面目な性格であるオリヴィアのことだ、先輩にあたる聖夜と一緒では心が休まらないのではないだろうか。可愛い後輩に、いらぬ心労はかけたくない。

 

だが、こうして向こうから言ってくれたのだから、それを断るのも失礼といえば失礼だ。それに、美少女な後輩とぶらつくというのも、それはそれで楽しいに決まっているのだから。

 

果たして、オリヴィアは微笑んで答えた。

 

「そんなことないです。私はとても楽しみですから」

 

答えになっているのか、なっていないのか。ともあれ、彼女が特に嫌がっていないことが分かっただけよしとすべきか。

 

「ん……そうか。それなら良いんだ」

 

オリヴィアが不意にくすっと笑う。反応に困る聖夜をよそに、彼女はそのまま聖夜へと一歩距離を詰めて。

 

「それじゃあ、行きましょう?」

 

不思議な子だ、と聖夜は思う。こちらが距離を詰めようとすると慌てたり赤面したりするのに、自分から仕掛けるのは大丈夫らしい。自分のペースであれば問題無い、ということなのだろうか。

 

しかし、こういう子が相手だと悪戯心がむくむくと湧いてくる。聖夜の悪い癖だ。

 

「そうだな。……っと、忘れてた」

 

そう言って、彼もオリヴィアへと距離を詰める。打って変わって頬をさっと紅潮させる彼女の、その白磁器のように綺麗で繊細な手を優しく取りながら、聖夜は微笑み返して続けた。

 

「未熟ながら、エスコートさせてもらうよ」

 

ふぇ、と年相応のあどけない表情を浮かべるオリヴィアを見て、聖夜は頬が緩むのを禁じ得なかった。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

聖夜が奢ったランチを食べ、その店を出た後の道すがら。

 

「――ときにオリヴィア、現在進行形で俺を監視している視線には気付いているかい?」

 

どこか物色でもするのかと思っていたところへこの問いかけだ。問われたオリヴィアは、その言葉の意味を理解するのに少々の時間を必要とした。

 

「……いえ、まったく分かりませんでした」

 

とはいえ、理解してしまえば行動は早かった。正直な答えを返しつつ、さりげなく周囲に注意を払う。このとき、バッグから手帳を取り出すのも忘れない。

 

しかし、当の聖夜に緊張感は無いようだった。

 

「なるほど、それが魔導書の代わりってことか。それだけコンパクトだと使い勝手も良さそうだな」

「え、ええ。そうなんですけど……」

 

なんで警戒しないんですか、という視線での訴えに、聖夜はふふと笑って。

 

「なに、敵意があるわけじゃないっぽいからな。そんなに警戒しなくても大丈夫なはずだ。……って言おうと思ってたんだけど、君の反応速度がちょっと優秀過ぎたもので」

 

一体誰なんだろうなー、と呟く聖夜に、ほっとオリヴィアは胸を撫で下ろす。

 

「そうだったんですか……すみません、早とちりしてしまって」

「いやいや、今の反応は本当に素晴らしかった。状況にもよるけど、警戒するなら素早いに越したことはないからな」

 

無意識に彼女の頭へと運びかけた右手を制しつつ、聖夜は続けた。

 

「あと、視線に気付けなかったことも気にすることはないよ。――どうやら結構な手練みたいだし、自分に向いていない視線なら尚のこと、感じ取るのは困難を極める」

「それは……確かに。ですが、聖夜先輩や他の先輩方ならそれも可能なんですよね?」

 

そう言うオリヴィアの表情には、僅かに無力感が見て取れた。しかし、それは単に彼女の自己評価が低いだけだ。

 

「いやー、どうだろ……オリヴィアの言う先輩方っていうのが誰かにもよるけど、仮に俺の周りの人達だとして――」

 

少し早足に歩き始めながら、しばし考えて。

 

「――茜なら気付けるだろうけど、時雨やセレナじゃ厳しいかもな。綾斗達だとしても怪しいだろうし、そうなると他の生徒は言うに及ばず、ってところか」

 

さも当たり前のようにそう言ってのける聖夜。驚きながらも慌ててついてくるオリヴィアに、彼は続ける。

 

「それだけ難しい、ってことだよ。――『冒頭の十二人(ページ・ワン)』であろうと何だろうと、アスタリスクの学生レベルじゃまず無理だろうな。それ以上の、あるいは全く別の経験を積んできた者じゃないと」

 

つまり、それに気付けるような者は、もはや学生の枠に留まるような存在では無いということだ。そのことに気付いたオリヴィアは、まさかといった様子で聖夜に問いかける。

 

「それでは、聖夜先輩なら……?」

「俺か? そうだな――」

 

いたずらっぽく笑って、彼は答えた。

 

「――まあ、多分気付けるんじゃないかな?」

 

流れるようなその言葉に、オリヴィアが絶句したその瞬間。

 

「おっと」

 

――突如として彼らの側面から飛んできた何かが、目の前で聖夜に掴み取られた。

 

(敵襲!?)

 

視線に敵意が無い、と言った聖夜の言葉を疑うつもりはまったく無かったが、それでも彼女が警戒するのには充分過ぎた。驚愕が一転、緊張感に塗り替えられる。

 

方向から捉えた気配は二人。反射的に手帳を数ページ破り、仕込まれている硬化の術式で破ったページそのものを強化しつつ、そちらの方向へ飛ばし牽制を、

 

 

――まさにその直前、術式が上書きされ、強化されたページがただの紙に戻った。

 

(っ、これって……)

 

虚を突かれたオリヴィアは、しかしすぐに顔を上げて聖夜を見る。彼の手は破られたページへと差し出されていた。

 

「びっくりしただろうけど、大丈夫だ。相も変わらず、敵意はまるで無いよ」

 

ほら、と聖夜は掴み取った何かを見せる。それは特徴的な形をした、黒っぽい色の小さな刃物だった。日本人では無いオリヴィアだが、それの形には見覚えがあった。

 

「これは……もしかして、クナイですか?」

「ご明察。――ほら、これを見てごらん」

 

その柄に結ばれていた物を解き、聖夜はそれを開いてみせた。

 

「手紙……のように見えますけど、何も書かれていませんね」

「ああ。これ、触ってみるかい?」

 

促されるまま、オリヴィアはそっと紙に触れてみる。

 

「ちょっと硬い……いえ、強い?」

「そう。これはただの紙じゃない」

 

懐から二枚の札を出しつつ、聖夜は驚くオリヴィアに言った。

 

「多分、水に浸すかあぶり出すか、ともかくそういったことをするための紙だろうね。俺が陰陽術を使えると知っているからなのか、それとも……」

 

言いながら、すぐそばの角を曲がり、細い通路へと入る。監視の視線はそれ以上追ってこなかった。

 

「……ふむ、これを渡すのが目的だったのかな。いやまあ、もっと穏便な方法があったとは思うけど」

 

なあ? と問われたオリヴィアは首を縦に振った。無駄に警戒させてくれた何者かには小言の一つでも、というのが彼女の本音だ。

 

そのような事を彼女が言うと、聖夜は苦笑。

 

「確かに。すまなかったな」

「いえ、先輩が謝ることでは……」

 

唐突に謝られオリヴィアは当惑する。確かに酷く驚いたのは事実だが、それにしたって聖夜がわざわざ謝る必要はないはず。彼のそれは冗談の類ではなく、紛れもない謝罪の意が込められていた。

 

その答えは、いつの間にか手紙を水に浸し終えていた聖夜の手にあった。

 

「……って、もうやっていたんですか。それにその器は?」

「いやー、水を溜められそうなものなんて持ち歩いてないからさ。こういう時、呪符があると便利なんだ」

 

言われて、なるほどとオリヴィアは頷く。日常でも当たり前のように術を使う人だと、そういえば勝海も言っていた。

 

そして、ほらと渡された手紙には。

 

 

『今宵の門 星の先 月の裏で』

 

そして、縦書きのその右下に、五つの丸が目立つ家紋。

 

 

「……これは、一体?」

 

その一文を見ただけでは、彼女にはまったく意味が分からなかった。困ったような表情を向けられ、聖夜は苦笑する。

 

「暗号――しかもかなり端折ってるね、これは。結構な部分を推測で埋めないといけない。読み解き方は……まあ、オリヴィアになら教えてもいいか」

 

彼は紙を再び手にし、家紋を指した。

 

「――まず、この家紋は『五十鈴(いすず)』という家のものでね。この家は、忍びとして戦国の世で月影家(うち)に仕えていたところだ」

 

つまり、聖夜とは縁のある家ということ。そう整理して、オリヴィアは次の言葉を待つ。

 

「それで、肝心の暗号だけど。この『宵の門』というのは歌などでも使われていた言葉で、妖や亡霊などの人ならざるモノが現世へと現れる時刻を指す。――つまりは丑三つ刻、午前二時のこと」

 

次、と聖夜は指を移動させて。

 

「この『星の先』という文、これだけだと意味が広すぎるんだけど……多分、ここにさっきの『門』という言葉がかかってくるんじゃないかな。『星の門の先』、つまり星導館学園の門の向く先に行け、って意味だと思う」

 

そして、と彼の指は最後の行へ移る。

 

「『月の裏で』、この場合の『月』は月影家の人間を指す。渡された相手が月影家の関係者なら、だけどね。『月の裏』、さしずめ俺の背後ってことか」

 

説明されたことを今一度整理し直して、オリヴィアは改めて濡れている文面を読んだ。

 

「――つまり、『丑三つ刻、星導館の門から続く先で、あなたの背後で待つ』という意味ですか?」

 

少し不安そうな表情で彼女は聖夜を見上げる。自分で言っておいてなんだが、これでもまだ意味が分からないところがあるように思えた。

 

「概ね正解。もっと分かりやすく言うとするなら、

 

『次の丑三つ刻、あなたが星導館の門から続く先を歩くとき、私達はその後ろに現れるでしょう』

 

って感じかな」

 

なるほど分かりやすい、とオリヴィアは頷く。こんな些細なところにも聖夜の才能が見えた気がした。

 

「……さて、改めてすまなかった。店巡り、再開するか?」

 

――と、申し訳なさそうな声が降ってくる。ふとオリヴィアが見上げると、聖夜は頬を掻きながら、

 

「迷惑をかけたし、何かお詫びの品でも……って思って。もちろん、そっちがよければだけど」

 

オリヴィアは少し意外に思った。こんな騒動があったのだから、てっきり今日はこのまま解散となるのかと思っていたのだが。

 

ともあれ、オリヴィアに断る理由は無いので、躊躇いなく頷く。ほっ、と聖夜は安堵した様子で、

 

「よかった。巻き込んでおいて終わりじゃ、さすがに申し訳が立たなかったところだ」

 

律儀な人だ、とオリヴィアは改めて思う。人間として、聖夜は間違いなく『できている』と。もちろん、そうでなければ星導館屈指の実力者達に好かれるはずもなく、またオリヴィアや勝海が兄のように慕うこともないのだが。

 

「よし、それじゃあ……どこに行きたいとか、希望はある?」

「いえ……先輩の行きたいところで構いませんよ?」

 

こういう所も、である。押しかけたのはオリヴィアの方なのに、聖夜はごく自然に相手の希望に合わせようとしてくれる。

 

「そうか? それじゃあ、変わらず適当にぶらつこうか。もとよりそのつもりだった訳だし」

「はい。仰せのままに」

 

そんな聖夜に、オリヴィアは最大限の敬意を込めて返事をする。それを理解したのかどうなのか、聖夜は柔らかく笑って彼女の手を取った。

 

 

「――本当に、君はよく出来た子だ。これなら勝海君も振り向いてくれるんじゃないかな?」

 

「っ!?」

 

ところが、ただの良い先輩では終わらせないのが聖夜という男である。

 

「ちょっと待って何で先輩がそれを知ってらっしゃるんですかあ!? 誰にも言ったことないのに……!」

 

小声で、しかし酷く慌てふためきながらオリヴィアは聖夜の口を塞ごうとする。それを、まあまあと聖夜は両手を出して宥めながら、

 

「何でって言われても、普段の二人を見てればねえ……あれだけ積極的に絡みに行ってるのを見れば大体気付くと思うよ、当の本人を除いて」

 

オリヴィアは真っ赤に熟れた顔を隠しながら俯く。まさかこの想いが他の人に気付かれていようとは、思いもよらなかった。

 

見かねたのか、聖夜が苦笑しながら言った。

 

「……まあ、肝心の本人はまったく気付いてないから。勝海君は結構鈍いみたいだし、むしろもっと積極的でも良いのかもな」

 

先輩がそれを言いますか、という言葉をオリヴィアはすんでのところで飲み込む。彼女から見れば、聖夜も勝海のことを言えないほどの鈍感人間なのだが。

 

と同時に、納得もした。人間というものは、想像しているよりもずっと、人からの好意に対して鈍いのだと。オリヴィア自身、考えてみれば、他者からそういった好意を向けられたとしても気付ける自信など無いのだから。

 

とはいえ、これ以上積極的になれというのもなかなか難しい話である。今でさえ、勝海と話す際には緊張しっぱなしなのだ。

 

「積極的に……や、やっぱり難しそうですね」

 

何となく積極的になった自分を想像してしまって、思わず恥ずかしくなる。こんな様では、まだまだ先は長そうだ。

 

話題を変えるため、オリヴィアは口を開いた。

 

「……そういえば、ちょっと聞きたいことがあるんですけど、よろしいですか?」

「ん、そんな改まることもないだろうに。どうした?」

 

先輩らしい言い回しだな、と彼女はふと思いつつ。

 

「先程、私の術式が上書きされたのは、先輩が何かしらの術を行使したからですか?」

 

すると、聖夜は軽く頷き、

 

「ああ、やっぱり『上書き』っぽく感じた?」

「えっ? ……ええ、そう感じました」

 

訝しく思うオリヴィアに対し、聖夜は悪戯っぽく笑った。

 

「実を言うとね、さっきのはただ単に万応素(マナ)の動きを阻害しただけなんだよ。もっと正確に言えば、『君の術式の周辺』というごく限定的な範囲の万応素を俺の管理下に置いて、他者からの干渉を不可能にした」

 

若干、得意げにも見える表情で彼は続ける。

 

「領域型能力からヒントを得たんだ。――何かを発現することこそ出来なくても、一定の領域内の万応素に干渉し他者からの影響を断つということは、訓練次第では能力者じゃなくても行えるようになる。なにせ、星脈世代の大半には能力者の素質があるんだから」

 

そこまで聞いて、オリヴィアはふと疑問に思った。

 

「あれ……先輩、さっきのは術式の上書きでは無かったということなんですよね?」

「ああ、そうだけど。何か気付いたのかい?」

 

はい、と彼女は思案顔をする。

 

「であれば、なぜ私のページは術前の状態に戻ってしまったんでしょうか? 先輩が万応素の動きを阻害した時には、物体硬化術式は掛け終わっていたはずなんです」

 

あの時、オリヴィアはページを飛ばすための術式を既に構築し始めていた。聖夜が万応素の動きを止めたとして、確かにその時点で構築中の術式は発動しないが、その前に掛け終わっていた術式に関しては影響が出ないはず。

 

だが、聖夜の口端が微かに歪んだのを見て、オリヴィアは自分が何か勘違いをしているのだと悟った。

 

「……えっと、やっぱり何か間違ってますよね?」

「あー、まあ……いやでも、これは能力者なら誰でも勘違いすると思うよ、うん」

 

首を傾げるオリヴィアに、聖夜は柔らかい声で教える。

 

「能力者の大半は、術式を発動する際に自分の中で最適化をしている。しかも、これは意識して行うものではなくて、基本的に無意識下で行われているんだ。ここまでは分かる?」

 

角を曲がり、人通りの多い場所へ出る。こんなに人が多かったかと何となく思いながら、オリヴィアは頷いて続きを待った。

 

「君の場合も例外じゃない……といっても例外の方が圧倒的に少ないわけだけど。恐らく自分でも知らないうちに、術式をスムーズに発動するための最適化がさっきも行われていたんだろうね。どういったものだったのか、ちょっと考えてみてごらん?」

 

そう促され、オリヴィアは思考の海に沈む。

 

(硬化の術式は元々ページ自体に仕込んであったもの、でもその後の術式は私が組み上げようとしていたものだから、後の方が妨害されたとしても前の効果は消えないはず。だけど、先輩が言う『最適化』の影響で前の術式の効果も一緒に消えてしまったというのなら、どんなことが考えられるだろう?)

 

しばし、自分の中で考えを整理しつつ。

 

(『最適化』というくらいなんだから、何かしらの改善を伴っているはずよね。術式発動の効率化? 術式効果の強化? そうだとしたら、どうやって最適化する?)

 

無意識に、右手を口元へと運びながら。

 

(強化なら、そもそも二つの術式を繋げる必要がない。それぞれの術式に、個別に意識を割いた方が合理的。――繋げる、か。効率化を目指すなら、二つの術式を一つのものとして発動するという選択肢もありね。正確さを求めるか、速さを求めるかでも変わってくるけど)

 

聖夜が興味深そうに微笑んでいることなど、全く気に掛けることもなく。

 

(さっきの状況だとしたら? 私は敵の気配を感じて、とりあえず牽制を行おうとした。なら、何より発動速度を求めたはず。……ってことは、私が行っていた『最適化』は、術式の発動を速めるために二つの術式を繋げるということだったのか)

 

それならば納得がいく。無意識に連続性を持たせてしまえばそれは大きな一つの術式となり、どのタイミングで妨害が入っても、術式が完成していない限り内包されている全ての効果は発動しないし、既に発動し終わっていた効果も消えてしまう。

 

「気付いた?」

「……はい。先輩は知っていたんですね? 私の最適化がどういうものなのかを」

 

知っていなければ、あの場面でわざわざ万応素に干渉などしないだろう。特訓をしていて分かったことだが、少ない星辰力を無駄遣いしないためなのか、聖夜は基本的に余計な術式は使わないのだから。

 

果たして、彼は一つ頷く。

 

「まあ、予想くらいはね。もし違ってたら、それとはまた違った方法で止めようと思ってた」

 

まだ他に方法があるのか、と驚愕するオリヴィアだったが、聖夜はそれについては特に何も言わず。

 

「万応素の上書き――うーん、名前決めてないから呼び辛いな。まあ、ともかくこれは、単なる妨害になるだけじゃないんだ。さてさて、それじゃもう一回シンキングタイム……と、言いたいところなんだけど」

 

不意に聖夜が立ち止まる。その視線は、近くのカフェへと向いていた。

 

そうして、子供のように微笑みながら言う。

 

「その話はまた今度にして、よければ寄っていかないか? ここのケーキは絶品でね、ぜひ知ってもらいたいんだ。あと俺自身も食べたいし」

 

オリヴィアの返事を待たずに入ってしまいそうな様子の聖夜は、どうやらこの店のスイーツがお気に入りのようだ。彼の年相応なところを垣間見て、オリヴィアは思わず笑みを零した。

 

「ふふっ……それでは、お言葉に甘えてご一緒させていただきますね。少し小腹も空いてきたところです」

「ん、ありがとう。それじゃあ行こうか!」

 

取り立てて急いでいるようには思わせないように振る舞う聖夜だったが、しかし彼の瞳は、確かに好きなものを目の前にした子供のような輝きを秘めていた。

 


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