学戦都市アスタリスク【六花に浮かぶ月と幻想】 作:観月(旧はくろ〜)
今年の抱負は? ――こ、更新速度の上昇で(汗)
―――全身に広がる、嫌になるくらいの倦怠感。何故こんな状態の時に目覚めてしまったのかと、聖夜は己を呪いながら薄目を開ける。
ぼんやりとしか映らない視界、その中に美しい金色がちらついた。
(あれ、この色は……)
満足に回らない頭を働かせようと試みると、そのおかげか徐々に感覚が戻ってきた。
肌を撫でるようにそよ風が吹いている。後頭部が何か柔らかい物の上に乗っているようだ。心地良い感触が眠気を誘う。
声が聞こえる。優しく綺麗に響く声。だが、焦りを含んでいる。
「―――夜! 聖夜! 大丈夫なの?」
「……セレナ?」
その声に気付いた瞬間、眠気は吹き飛び意識は覚醒し、視界が一瞬にして鮮明になった。
こちらを覗き込んでいたセレナと目が合う。彼女がホッと表情を和らげた。
「良かった。気が付いた?」
「……ああ。ごめん、心配かけて」
口を動かすのも億劫だったが、とにかく安心させなければと微笑みかけながら答え、そして聖夜は今の状況を確認した。
真っ先に気付いたのは、セレナに膝枕されているということだ。先程から妙に後頭部が幸せだと思っていたが、納得した。
視線を横に逸らせば、相変わらず見事な夕焼け空が目に飛び込んでくる。意識を失ってからまだそれほど経っていなかったようだ。
とりあえずそこまで把握し、聖夜は腕を支えにまず頭を起こしかける。が、思うように力が入らず、彼の頭は再びセレナの膝に落ちてしまった。
優しい声とともに、その額に手が置かれる。
「まだ休んでいなさい。体温も低いし、無理はダメよ」
「……悪い、サンキュ」
本当にしんどいため、彼はその言葉に甘えることにした。全身の力を抜き、深呼吸をして、徐々に身体を目覚めさせていく。
途中、聖夜は気になっていたことを聞いた。
「そういや、さっき『聖夜』って呼んでくれたよな。どうしたんだ、突然?」
何気ない質問のつもりだった。しかし、セレナは気まずげに言いよどんでしまう。
「えっ、それは、その……いつも、名前で呼んでもらってるし……」
頬を微かに染め、ぷいっと顔を逸らされた。恐らく恥ずかしかったからなのだろうが、しかしそれは聖夜も同じだった。
(可愛いらしいな、おい……)
少しの沈黙。不安そうな声で、セレナがそれを破った。
「……これからも、そう呼んで良い?」
「もちろん。……それじゃ、こっちも遠慮なく呼ばせてもらうよ、セレナ」
元より断る理由は無い。即答し、気恥ずかしさを吹き飛ばすためにも彼女の名前をわざと呼んでみる。すると、セレナは柔らかく微笑み、聖夜の額に置いた手を撫でるように動かし始めた。
「ふふっ……本当にズルいのね」
「何だよ、急に」
「独り言よ。気にしないで」
「そうか」と呟き、聖夜はセレナの温もりを感じながら再び眼を閉じる。普段なら気になっていたはずの彼女の言い方も、記憶には残りこそしたものの追及する気にはならなかった。この感覚に甘えることの方が大事だった。
しばし撫でられるがままに任せていると、今度はセレナから話しかけてきた。
「……ねえ、どうしてここまでしてくれるの?」
「ん、どういうことだ?」
聖夜がその意図を掴みかねて問い返すと、彼女は気遣わしげに言った。
「私は、アンタに守ってもらえるような人間じゃ無いのに。容姿は人並みだとしても、無愛想だし、友達付き合いも悪いし……何より、私はアンタに何もしてあげられてない」
なのにどうして、と言いかけるセレナを、聖夜は強引に遮った。
「俺は、何かをしてもらったから、なんて理由で人を助けたりしないよ。助けられるのなら助ける。例えそれが誰であっても、自分の手が届く範囲なら」
「でも、それは無理をして……例えば、星辰力を使い切ってまですること?」
「いや、流石にそこまではしないかな」
えっ、という驚きの声を聞いて、聖夜は眼を閉じたまま笑った。
「それほどまでに俺が入れ込むのは、誰か大切な人が関係している時だけだ。時雨然り、茜然り……今回はセレナがそうだった」
聖夜が瞼を開けると、覗き込んでいたセレナと眼が合った。彼女の瞳が揺れる。
「大切な、人……?」
「ああ。美しくて気高くて、少し不器用だけど優しいセレナを、俺は守りたいと思ったんだ」
聖夜は不意に、左手をセレナの頬へ伸ばした。
「つーかそもそも、俺がセレナに何もしてもらっていない、なんてことは無いんだよ。何せこっちに来てからの初めての友人だし、色々と助けてもらってるし」
「聖夜……」
セレナが瞳を潤ませて伸ばされた左手を握る。再び気恥ずかしくなり、彼は照れ隠しに続けた。
「それに、こんな絶世の美少女だしな」
冗談交じりに笑う。それに釣られて、セレナも幽かに口元を綻ばせた。
「……嬉しいことを言ってくれるのね」
「可愛いじゃないか、実際。見た目だけじゃなくて内面的な部分もさ」
聖夜が嘘偽りなくそう褒めると、彼女はほんのりと頬を赤く染め、聖夜の手を握っていない左手でおもむろに彼の眼を塞いだ。
「どうした?」
「恥ずかしいってこと、察してよ……」
「……なんかゴメン」
沈黙が続く。が、さして経たない内に、セレナがぽつりと呟いた。
「……私だって、アンタのことは大切だと思ってる。だから今日も、アンタには何も知らせなかったの」
彼女自身、言い訳がましくなっていることには気付いていた。しかし、聖夜は何も言わずに小さく頷いただけだったので、幸いにして言葉が止まることはなかった。
「私もユリスも、自分達でどうにかできると思ってた。犯人もほとんど分かっていたし、実力に対する驕りもあったんだと思う。結局、私達は手酷くやられて、とどめを刺されそうになって、でもその時にアンタ達が来てくれた。……正直、すごく安心したし、嬉しかったわ。守るべき人達に守られた、っていうのにね」
視界を塞がれている聖夜には何も見えない。それでも、彼女がどんな表情で話しているのか、それは見えずとも分かった。
「アンタは強いってよく分かっていたはずなのに、守ってあげようなんて変な気を起こして、結局迷惑をかけて。……こんなどうしようもない人間を、それでも大切だと思ってくれるの?」
「当たり前だ」
自嘲気味な言葉を遮り、聖夜が言った。その口調は、セレナは思わず怯んでしまうほど強かった。
「迷惑上等。さっきも言ったけど、俺はセレナを守りたいと思ったからここに来たんだ」
聖夜はセレナの手を顔から優しく離れさせ、幾分か力が戻った様子で上体を起こす。そして、セレナの心配そうな視線をよそに、彼女に向かい合うようにして座った。
「セレナが俺のことを思って黙っていたのはよく知っているし、理解もしている」
真っ直ぐな瞳で、続ける。
「だから、俺はそのことを責めたりはしない。……それに、今回は俺も当事者だ」
「……えっ?」
驚きというより、何を言っているのか分からないといった表情でセレナが声を上げた。
聖夜が問う。
「戦闘前に俺がサイラス・ノーマンに言った事を覚えているか?」
だが、セレナは首を横に振らざるを得なかった。とはいえ、緊張状態から一転、圧倒的なまでの安心感に包まれていたその時の詳細を思い出すことは、例え彼女でなくとも不可能だっただろう。
聖夜にとっても、答えを期待した問いでは無かった。
「いや、それも当然だ。あの状況でわざわざ会話を記憶しようとは思わないからな。……話を戻そうか」
セレナとしっかり眼を合わせ、聖夜は言った。
「俺はあいつを挑発した後、こう言ったんだ。『あの夜に俺を襲ったあいつらは、アンタと奴の差し金だろう?』ってな」
「実は、俺も襲撃を受けたんだ。セレナに街を案内してもらった、あの日の夜に」
「相手は五人。それぞれ耳にインカムをはめていて、何者かから指示を受けていたことは明白だった」
「もちろん、適当に無力化して背後関係を尋問した。ただ、思ったより時間がかかってね……全てが分かったのは、今からほんの数時間前のことだ」
「こちらの予想通り、裏に居たのはサイラス・ノーマンと、そして
話が逸れたな、と聖夜は少し間を置いて、
「……つまり、隠し事をしていたのはなにもセレナだけじゃないってことだ。俺だって、余計な心配をかけたくないって理由で襲撃を黙っていたんだから。その件に関しちゃ、俺らはお互い様だな」
セレナは驚きを隠せなかった。その事実もさることながら、何よりそんな素振りを全く見せなかった聖夜に。
しかし、セレナは首を軽く振って、呟いた。
「……お互い様。そうね」
「ああ。そうだ」
気付いたのだ。聖夜がこのことをわざわざ話してくれたのは、ひとえにセレナへの心遣いからだったのだと。
「セレナこそ、こんな自己中心的な奴の心配をしてくれるのか?」
その証拠に、聖夜はわざとらしくそう言ったのだから。
返す言葉は決まっていた。
「するに決まってるでしょ。……大切な人なんだから」
「……そうか。光栄だよ」
今度は聖夜の方が恥ずかしかったらしい。少々泳ぎ気味な彼の視線を、セレナはどこか微笑ましく思った。
聖夜が一つ咳払いをする。
「ともかく、今回のことは……黙っていたことについては何も言わない。ただ、一つだけ言わせて欲しいことがあるんだ」
そう言った聖夜の目は、確かな意志を宿していた。
「困ったら、頼れ。迷惑なんて気にするな。……全てを一人で抱え込む必要なんてない」
ああ、とセレナは完全に理解した。彼が言いたかったのはこの事だったのだ。何も遠慮する必要などない、頼ってくれと。
(……そういえば、私の部屋でも同じことを言ってた)
―――何か変な事が起きたら相談すること。そうすりゃ、俺が必ず守ってやるから。
あれほど嬉しかったその言葉を、セレナは一時も忘れたことがない。……だからこそ、今回の件だって、黙っていようと決めるのに何度も葛藤したのだ。相談するべきじゃないのか、ああ言ってくれたのに。そう考える度に、心が揺らいだ。
だが、その葛藤は全く無意味なものだったらしい。そのことに、落胆や後悔の気持ち……は、彼女には何故か起こらなかった。
――むしろ。
「ありがとう。間違いを教えてくれて」
自分の考え方が間違っていたことに、彼は気付かせてくれたのだ。そのことに対する感謝。
そして、もう一つ。
「許してくれて、ありがとう」
その間違いをも許容してくれた聖夜に対する、感謝。
謝罪はしない。もし謝ってしまったら、先程の彼の心遣いを無駄にしてしまうから。
それで良かった。聖夜も優しく微笑み、言った。
「こっちこそ。……俺の事を考えてくれて、ありがとな」
本当にズルい、とセレナは思う。こんなことを微笑みながら言われては、大概の女子は程度の差こそあれ惹かれてしまうに違いない。
というより、彼女はもう認めていた。聖夜のことは
いつからだったのか、それは彼女自身にも分からない。自然とそうなっていた、というのが正しいのだろう。だから、従姉妹であるユリスにそう指摘された時、彼女は酷く驚いたのだ。
セレナとて恋愛という概念を知らなかったわけでは無い。恋愛初心者でこそあるが、知識としてはよく分かっていたつもりだった。
しかし、恋愛は自覚することが難しいという事実を甘く見ていた。指摘された際、そんなはずは無いとすぐさま反論しようとしたセレナは、しかし否定することが出来なかった。
聖夜と一緒に居る時は心地良い。けれど少し鼓動が速くなる。一緒に居ない時、彼の事をよく思い出す。彼が他の女性と居るのを見た時は、何かモヤモヤしたものを感じる。―――気付いたのだ。これらは全て、恋をしている時の症状だと。
自覚してしまった後も大変だった。聖夜と顔を合わせるのがとてつもなく恥ずかしくなり、何気ない態度を取るのに四苦八苦した。この気持ちを悟られないために、彼女は必死になった。
だが、恋というものはどうしようもなかった。バレたくないのに、離れたくない。悟られたくないのに、伝えたくなる。こうして座っていても、できもしないのに彼の顔を見つめたくなる。
だが、その彼は一体どうなのだろうか。聖夜は女子と話す時にはしっかりと目を見るし、軽いスキンシップも平然と行う。それはセレナが相手でも同じだ。それはつまり、セレナのことを特別意識しているわけではない、ということなのではないか。
恋を自覚し始めたら、聖夜に関する様々な事がセレナの頭に浮かんで離れなくなってしまった。
(ホント、どうしてくれるのよ……)
甘酸っぱいだけではない、ほろ苦さもある本当の恋を、セレナは初めて経験している。