自然愛好家は巡る   作:コロガス・フンコロガシ

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狂ったのか、死んだのか――半信半疑のブルー・プラネットは自分のルーツを探るためにナザリックに向かう。


第8話 人間たち  【殺戮注意】

 夜が明ける。この幻覚の世界に囚われてから2回目の朝だ。

 ブルー・プラネットは森の小動物たちが再び活動を始める音を耳にする。

 プループラネットの腕に嵌められた時計は今、6:00を指している。

 シェルターから出て外を見れば、空が白み始めている。昨日の朝と同じだ。

 

 結局、ブルー・プラネットは眠れなかった。押し寄せる不安もあったが、それ以前に眠気というものが感じられなかったのだ。暗闇のペナルティ対策に付けていた<永続光>の明るさによって眠れなかったわけでもない。ブルー・プラネットは現実の世界においても明かりをつけたまま寝ることが多かったし、そもそも「眠れない」のではなく「眠くならない」のだ。そして、MPは完全に回復しており、今すぐにでも最高の魔法を放つことが出来る気がする――その後は倒れてしまうだろうが。

 

 自分が死んで化け物に生まれ変わったのではないかという考えに囚われ、眠気も疲労も感じずに悶々と一晩を過ごしたブルー・プラネットには、しかし、この世界が未だにユグドラシルの残骸である仮想現実だと信じるだけの根拠があった。

 

 時刻である。

 

 これがもし不吉なキャラクター説明が示すように別世界へ転生したのであれば、その世界も24時間を1日とし、ユグドラシル標準時との周期も時差も、ほぼ無いということだ。

 

――ありえないだろ。どんな確率だよ。

 

 ブルー・プラネットは首を横に振る。転生など、ありえないだろうと。

 しかし、未だに現実世界からの救援は来ない。医療機関での治療を示唆する信号、例えば電気ショックによる映像の乱れなどもない。1日たって全く反応が無いのなら、何日たっても治らない可能性が高いだろう。

 

「誰か聞こえますか? 私は、幻の世界で生きています! 生きているんです!」

 

 空に向かって叫ぶ。ひょっとしたら、現実世界の体も声を発し、それを誰かが聞いているかもしれないと期待して。植物状態だと判断されて――ある意味では実際にそうなのだが――それで安楽死処理されたら、本当に死んでしまったら困る。

 

 だが、その叫びは森の小鳥たちを驚かせて虚しく宙に消え、その後は何の反応もない。

 

 しばらく地面に突っ伏していたあと、ブルー・プラネットは立ち上がる。仕方がないものは仕方がない――そう思うしかなく、そう考えると気持ちは驚くほど安定する。

 

 現実の広川もそれなりに楽天的な性格だった。だが、どうもそれが顕著になっているようだ。

 突然のアクシデントでこの世界に独りきりになったら、普通であればもっと取り乱すだろう。

 しかし、今の自分は、どこか別なところで他人を見ているような――「まあいいか」という感覚が常にあるのだ。これも脳のダメージの影響かもしれないが、悲観的になって動けないよりはずっとマシだ。そう考えれば、これも「まあいいか」と思える。

 

 そろそろ喉が渇く時間だな。

 そう考えて、地中に足を延ばし――奇妙な感覚だが――水分を吸い上げる。昨晩も試したのだが、地面や他の生きている樹に接触して意識を向けると、そこから水分やHPを吸収できるのだ。人間としては水は口から飲みたいという気持ちもあるが、これも「便利なものだ」と受け入れられる。根を伸ばして吸収している間はそこから動くことが出来ず、不便といえば不便だが、敵がいない現状では問題にはならない。

 

 時刻は6時半になった。

 本格的に日が昇ってくる。探索に出る時間だ。

 シェルターの中にポインターとなる赤い花を置く。スキル「紅一点」で作られた花は、ユグドラシルではコンソールに映し出されるマップでその位置を確認するものだった。しかし、今は磁気のような特別な感覚でその方向や距離が把握できるようになっている。人間には備わっていない感覚が本能的に理解できる――いずれにせよ、道に迷うことはない。

 

「<霧化飛翔>」

 

 魔法を唱え、ブルー・プラネットの体は非実体の霧と化す。そして、そのまま宙に浮かび、昨夜の月影を頼りに地面に引いた線にそって飛行する。一昨日の晩にブーストしすぎてMP切れを起こしたものと同じ魔法だが、今度は程々に魔力を消費し、速度の代わりに燃費を重視する。

 

 地上のモンスターと遭遇しないよう、なるべく上空に昇る。だが、あまり高度を上げて寒さによるペナルティが付かないように、約2キロの高度を維持する。気温の低下は感じられるが、肌寒い程度でダメージには至らない。

 そして、時速100キロ程度でブルー・プラネットは空を真直ぐに駆ける。

 上空では隠れる場所がない。魔法で霧の姿になっているためよほどの高レベルモンスターでなければ見つからないはずだが、それでも空を飛ぶモンスターを警戒して広範囲に聴覚の網を張りながら飛ぶ。

 聴覚だけではない。視覚に集中すれば遥か遠くの地形も地上の小動物も見ることが出来る。地上のモンスターが見つかれば、この周辺の危険性も分かるだろう。

 

 ブルー・プラネットは周辺を確認しながら直線的に飛び、計算通り3時間ほどでナザリックがあったと思われる地点に達する。山脈を超えた所にある広い平野、広大な森の端のあたりだ。

 しかし、上空から観察してみるに、地上にはナザリックらしきものの影は無い。それに地形が記憶と少し違っている。

 

――確か、この一帯は何もない平野だったはずだが。

 

 所々になだらかな丘が盛り上がっている。そして、その斜面には昔からそうであったかのように様々な種類の植物が茂っている。部分的に土砂崩れの跡もあるが、他には特に何も見つからない。

 

 ブルー・プラネットは速度を落として上空をウロウロと飛び、少し探索の範囲を広げてみる。

 しかし、やはり、何も見つからない。

 

 ブルー・プラネットは上空に浮かんだまま霧でできた腕を組み、あの夜のことを思い起こす。

 ユグドラシルに於いてナザリックの外は沼地だったが、あの夜は草原が広がっていた。それでサーバーの異常で座標が変わったという仮説を立てたのだが、やはり、ナザリックの位置は不安定になっているのだろう。沼地から草原へ、そして草原から丘陵地帯へと、周囲の地形ごと再転移してしまったのだ。

 座標が不安定であるならば、転移の指輪も<帰還>の魔法も効かなかったことが説明できる。

 

 再転移でナザリックが地下に埋もれてしまった可能性、あるいは消滅してしまった可能性もあるが、それは最悪のケースとしてとりあえずは保留する。

 この世界のどこかにナザリックは転移しているのだろう。絶望するのはこの世界を探しつくした後で良い――ブルー・プラネットはそう自分を奮い立たせる。

 

 そして、さらに広範囲を空から見渡すと、人間の痕跡――村や都市が見つかった。

 ナザリックがあったはずの場所から数キロ程度の範囲に村が1つ。さらに離れたところに城壁に囲まれた大きな都市あり、それを囲むように小さな村が点在している。

 

 その中の最寄りの村に近寄ってみて、ブルー・プラネットは歓喜した。

 村には小さな家々が寄り添うように建てられ、背が低い植物が青々と葉を茂らせている。それが畑であることは、植物が1種類で固まって生えていることから明らかだ。

 家畜小屋や井戸らしきものもあり、その脇には小さな点が蠢いている。

 さらに集中し、村の様子を観察する。遥か上空からでは点の様にしか見えなかった存在が、強化された視覚によって望遠鏡で覗いたようにはっきりと確認できる。

 

(人間がいるじゃないか!)

 

 粗末な服を着た人間たちが家畜に餌をやり、畑に水を撒き――資料映像でしか知ることが無かった、農村の暮らしだ。人類がまだ自然と共存していた時代の。

 ブルー・プラネットは、しばらくその光景に心を奪われ、人々を眺める。

 妄想であっても話し相手が欲しいと願っていた。しかし、仲間の幻影は現れなかった。

 自分が“元人間”である証としてナザリックを求めたが、それは見つからなかった。 

 諦めかけていたところに人間が現れたのだ。それも、ブルー・プラネットが憧れていた時代の人間達が。

 

 明るい色の髪をもつ1人の少女が目にとまる。歳は10代半ばだろうか。日に焼けてはいるが色素の薄い肌――ユグドラシルでも人気のあった「人間:欧州系」のバリエーションの1つだろう。井戸から小さな甕に水を汲み、家に運んでいるようだ。水の入った甕は重いのだろう。時々地面に降ろしては、ふう、という様に額の汗を拭っている。その傍には妹だろうか、10歳になるかならないかの少女がいる。姉の仕事を手伝いたがっているようだが、姉は「無理だ」というように笑って家を指し示し、妹はそちらに駆けていく。

 

 その姉妹の瞳――明日があることを信じて一生懸命に今日を生きる若い眼差しに、ブルー・プラネットは惹かれる。

 この村に降りて話を聞こうか――そう考えて下に向かおうとしたブルー・プラネットは、しかし、思いとどまる。

 

 今の自分の姿は3メートルの樹の化け物だ。人間に会ってどうするのか、と。

 残念ながら、ブルー・プラネットの習得した魔法に人間に化けるものは含まれていない。スキルにも変身能力は無い。この姿で村に行ったら、間違いなく警戒され、恐れられるだろう。

 

 いや、恐れられるならばまだいい。最悪なのは、この人間達がユグドラシルのNPC達と同じリアクションしか返してこなかった場合だ。

 

「ここは『はじめの村』です」 「今日はいい天気ですね」 「さあ、分かりません」

 

 あらかじめ設定された、決まりきった言葉を繰り返すだけの人形達。村の「人間たち」はNPCとは違い表情が動き、外観も本物の人間そっくりだが、その中身まで人間と同じだとは限らない。

 ブルー・プラネットの妄想にも限界はあるだろう。話す内容は限られる。

 同じ事ばかり繰り返すリアルなマネキンに囲まれる――独りで森の中に居た方がマシだ。

 そう考えて、ブルー・プラネットは村に行くことを躊躇う。

 

 もうちょっと、この周辺を見てみよう――ブルー・プラネットは他の村も見て回ることにした。何も焦ることは無いのだ。村があり、人間がいる。このことが分かっただけでも収穫だ。

 

 ブルー・プラネットは遠くの村を目指して移動する。

 丘を2つほど隔てた村――近づいてみると、その村は焼かれて廃墟になっていた。

 

(え? なんで焼かれてるんだ?)

 

 先ほどの村――質素だが希望に満ちた人々とは対照的に、その村は死の臭いに満ちていた。生きている人間は誰もおらず、家畜も見当たらない。畑もすべて焼かれて黒い地面を晒している。

 

 方向を変え、さらに別な村に向かう。

 そこでは、今まさに虐殺が進行中であり、ブルー・プラネットの視線はそこに釘付けになる。

 

 村人たちが逃げまどい、古めかしい全身鎧を着た人間たち――騎士がそれを追いかけ、剣で切り裂いている。背中を切り裂かれた人間は血を流し、倒れ、痙攣し、やがて動かなくなる。

 さらに、そこから離れた場所には魔法詠唱者らしい数十人の黒衣の集団がおり、村を襲っている騎士たちを監視しているようだ。

 

 先ほどまでのウキウキとした気持――人間を見つけたブルー・プラネットの喜びは完全に掻き消される。

 

「戦争……ではないな? かといって、単なる野盗でもなさそうだが」

 

 ブルー・プラネットは何がどうなっているのか確かめようと、虐殺が起きている村の上空に止まり、さらに詳しく観察する。だが、しばらく眺めていても騎士たちの行動はさっぱり理解できない。

 村の財物を漁るわけでも無く、村人の肉を食べるわけでも無く……ただ殺している。

 

(ゲーム……の幻影なのか?)

 

 村人たちも騎士達も、先ほどの村と同じ「人間:欧州系」の中のバリエーションだ。ならば、ユグドラシルの様に無意味な戦い――戦い自身を目的とすることもあるのかも知れない。

 しかし、ユグドラシルと違うところがある。死の描写があまりにも現実的なのだ。

 

 ユグドラシルでは、キャラクターの表情は動かない。切られても表情は変わらず、ただ体を揺らすだけだ。攻撃によって致命的なダメージを負えばそのまま倒れて動かなくなる。血は流れず、ダメージが過剰であれば、そのキャラクターはそのまま消える。

 しかし、今、眼下で起きている殺戮では違う。剣で切られた村人は苦悶の表情を浮かべ、傷からは赤い血が噴き出し、剣で削がれた肉片や内臓が垂れさがる。そして倒れてもがいた後にようやく動かなくなるのだ。

 村人が動かなくなった後に騎士が剣を突き立て、止めを刺す。それでも死体は消えない。首を切り落とされた、明らかにクリティカル・ヒットと思われる死体もその場に留まっている。

 

(ユグドラシルのゲームを引き摺った幻だろうが、ちょっと悪趣味だな……)

 

 元の広川であれば吐き気を催していたであろうその風景を、ブルー・プラネットは冷静に――あるいは冷酷に観察する。

 人間が死んでいることは理解できる。そして、それが一方的な虐殺であるということも。

 だが、それに対して激しい感情が湧かないのだ。死体から流れる血は「汚らしい」と感じるが、戦い自身にはまるで、2種類の蟻がエサを取り合って戦っているのを眺めているような――悲劇というよりも「やってるなあ」と微笑ましくさえ感じられる。

 

 必死で生き延びようと逃げ惑う者達を応援し、それを追う者達も応援する。

 それは、一掬いの土の中で蠢く蟲達に向けられるのと同じ感情――

 

――ふと、我に返り、ブルー・プラネットは自分自身の態度に愕然とする。

 幻覚だとしても、人間としてこの虐殺を止めるのが正しい行為ではないかという思いがよぎる。

 

 今、ここから地上に降りて戦えば、おそらく騎士風の男たち、そしてそれを指揮しているであろう魔法詠唱者たちの一団を簡単に倒すことはできるだろう。今のブルー・プラネットの知覚からすれば、地上で蠢いている人間たちはあまりにもノロマで、貧弱で、愚かだ。

 矮小な存在がウロウロと動き回り、異なるグループの者たちが出会えばそこで殺戮が起きる。そして、狩られた者は大地を赤く染め、あっけなく死んでいく。

 

 無駄な殺戮――そこには知性も美しさも感じられない。

 殺す側も、殺される側も、皆顔を歪めて叫んでいる。悪意と恐怖と悲しみの叫びを。

 無様なものだ――そんな感想しか湧いてこない。

 虐殺を止めるべきと心のどこかが囁いているが、同情心が湧かない。

 

 それは、遥か上空からちっぽけな人間たちを見下ろしているせいではない。遠距離にもかかわらず、ブルー・プラネットの強化された視覚は人間たちの状態を細部に至るまで伝えてくれる。

 だからこそ、彼らが弱いということが分かるのだ。ユグドラシルで言えば、騎士達はまったくの初心者キャラ――レベルにすれば10前後……高くても20そこそこと言ったところだろう。彼らと戦うのは怖くない。危険は全く感じない。

 

 だが、地上に降りて関与することは、別な理由からも躊躇われる。

 虐殺している者達は、おそらくは騎士であり、騎士であるというからにはその背後には国家があるはずだ。そして、騎士たちを見守っている魔法詠唱者たち――彼らは騎士たちよりも多少は強いと思われたが、その存在もこの虐殺が何らかの組織的な意思によると示唆している。

 ちょうど近くには物々しい城壁で囲まれた都市もある。騎士や魔法詠唱者達はそこから派遣されてきた可能性が高い。そんな状況で、この村が襲われている理由が分からないままに下手に手を出すのは拙い。

 

(ここで戦いに参加したら、次はあの町の軍隊、そして国家とのイベントが始まるんだろうな)

 

 そんなことを考えてしまう。

 ユグドラシルであれば、そうなることは間違いない。他愛ないイベントから壮大なシナリオが始まるのだ。

 例えば、森の中でゴブリンに追われている娘を助けたら、それが古代の秘密を握る民族の生き残りで、秘密を狙う国々の軍勢の争いに巻き込まれ、やがて帝国を裏で操っていた地下の魔王との最終決戦に至る――そんなシナリオを幾つクリアしてきたことか。

 

 ここで村に降りて虐殺される村人を助ける。すると、近くの町から騎士の援軍が到達し、そこで異形種たる自分は魔王の部下と間違えられて攻撃を受ける。そこで本物の魔王の部下と鉢合わせして、それが中々の強敵で――ユグドラシルで用意されるイベントシナリオはこんな感じだ。

 

(余計なことにはかかわらないでおこう)

 

 ブルー・プラネットはこのフラグをあえて無視することに決める。

 この世界は幻影なのだ。ブルー・プラネットが厄介なシナリオを想像すれば、それが現実になる可能性がある。妄想を加速するのは脳に悪い。そして、碌な装備が無い現状では強敵との遭遇は悪夢となる可能性が高い。

 何よりもまず、ナザリックを探し、そこで自分の存在を確認することが先決だ。

 

 もう1つ、手を出すのを躊躇った理由がある。

 騎士達は村人を殺した後、村に火を放ったのだ。他の村の焼け跡もこの者達の仕業だろう。

 戦闘では騎士や魔法詠唱者たちに勝てる――それは間違いない。

 だが、夜になって火を掛けられたらどうか。

 戦うのならば、誰一人逃すわけにはいかない。しかし、襲撃者の背後にある組織が不明である以上、それは確実ではない。監視する魔法詠唱者の集団に<伝言>を使える者がいて、それが「植物系モンスターに襲われた」と組織に伝えたら、彼らはモンスターを燻り出すために組織的に森に火を放つかもしれない。

 

 仮に強敵が出てこなかったとしても、それは拙い。

 今の自分は、火を弱点とする植物系モンスターなのだ。火を使う者からは距離を取るべきだ。

 また、自分が無事であっても、森が焼かれて罪のない多くの樹々たちが殺されることは耐えられない――昨日、自分のミスで傷つけてしまった樹の悲鳴を思い出し、何百という木々が炎の中で苦悶の声を上げることを想像して「聖森の守護者」ブルー・プラネットは身震いする。

 

 ブルー・プラネットは、ユグドラシル時代にも森が焼かれるのを経験している。ギルド<シャーウッズ>の仲間たちが炎に焼かれ、逃げまどう様を。この世界の樹々は、勿論、かつての仲間ではない。しかし、「同種」として共感する部分は下で蠢いている醜い「人間たち」よりも強い。

 

 孤独を癒すため、人間に会いたかった――しかし、こんな形で出会うとは。

 ブルー・プラネットは上空に浮かびながら、しばらく考え込む。この世界の「人間たち」とどう関わるべきかについて。

 この世界に人間らしき生物がいること、そして、それらは前近代的な文明をもち、組織化されていることが分かった。今日の所はそれが分かっただけでも収穫だ。彼らと関わるには、後日、もっと情報が集まり計画を練ってからにしよう。

 

 最初の村に戻るべきか――その疑問に対する答えも明らかだ。止めた方が良い。

 下界では、村人たちを殺し終わった騎士達が魔法詠唱者たちの群れに合流し、次の場所へと向かう準備を始めている。距離や方向から、明日にはあの村が標的となるのだろう。

 今のブルー・プラネットにはそれを救うことは出来ない。

 

 ブルー・プラネットは落胆する。あの村に最初に出会った意味を理解して。

 あの希望に満ちた村は、明日には死臭の漂う焼け跡となる。

 人間たちに希望は無い――俺の心はそう示したかったのだろう。森の守護神は森に戻れ、と。

 

 ブルー・プラネットは顔を歪めて騎士達を眺め、背を向ける。

 そして、「紅一点」で作り出したポインターから放たれる磁気のような繋がりを道標として元来た森へと飛んでいく。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 帰路には再び3時間を要した。

 ポインターの信号に沿って魔法で創り出したシェルターを見つけ、その上に降り立って霧化の魔法を解く。

 昼間であり、夜間と違ってMPは速やかに回復する。また、燃費重視で飛んだため、往復でMPの半分も消費しなかった。もっと長時間の探索も出来たが、人間らしい醜い生物の争いを見てMPとは異なる精神的な疲労が溜まっている。

 

 シェルターに入り、壁に寄りかかってブルー・プラネットは溜息をつく。

 あれがこの世界の人間というモノか、

 無駄に殺しあい、火を放ち、大地を血で汚す醜い生き物たちが――と。

 

 現実世界の人間たちと変わらない――いや、現実への思いがあんな幻影を見せたのだろうか?

 先ほどの虐殺の地に比べて、この森がいかに平和なことか――これが俺の望んだ世界なのか。

 

 この森の奥で樹々と一緒に佇む1個のトレントであった方が幸せなのかもしれない――ブルー・プラネットはそう考える。

 殺されていた村人たち、殺していた騎士たち、あの醜い愚かな生き物たちが闊歩する地に比べ、この地は静けさと清らかさに満ちている。誰一人として人間がいない森の奥深くの場所が自分にとって相応しい場所であるように感じられる。

 

 まだ現実からの救助は来ない。

 病院では「一生昏睡状態です」と医師が匙を投げているのかもしれない。

 あるいは、自分はすでに死んでおり、ここは死後の世界なのかもしれない。

 

 「それでもいいか」

 

 ブルー・プラネットはシェルターから出て日の光を浴び、迷いを振る払うように首を横に振る。この森で自分は幸せなのだ、と。

 この幸せな世界がいつまで続くか分からないが、とりあえずはこの森で、この体で生きることを受け入れようと考える。

 

 ナザリックに帰りたいという気持ちは変わっていない。だが、すぐには帰るあては無くなった。

 ブルー・プラネットは軽く笑い、傍に落ちていた樹の枝を拾って地面に突き立てる。

 

(この森が俺の第二の……いや、現実とナザリックに続く第三の故郷だ)

 

 ならば、焦ることなくこの世界を一歩一歩確かめていこう――ブルー・プラネットは近くの大木に歩み寄り、そのまま体を重ねる。ブルー・プラネットの体は樹の幹に触れた部分から非実体化し、歩みを止めることなく名も知らぬ樹の幹の中に入っていく。

 

 昨日の午後に確認した、ドルイド職のスキル「樹々渡り(ウォーク・イン・プランツ)」だ。

 ユグドラシルではドルイドが転移魔法のポータルとして樹木を利用するためのMP消費型スキルであるが、この世界においては「自分」の存在が非局在化し、意識だけの存在となって一定範囲の中にある樹々と感覚が共有化される。

 

 樹には目も耳もないため、樹の中にいる間は外の風景を見聞きすることはできない。しかし、樹の生えている場所や樹の状態は手に取るように分かる。頭の中に地図の様に樹々の場所が浮かぶのだ。

 樹に入り込んだ時点で自分の肉体は消えているはずだが、どういうわけか根を伸ばしたときの様に水分の補給が可能であり、HPの回復も早まる。そして、入り込んだのとは別の樹から出てきた時には、元の印度菩提樹をベースとしたトレントの体が完全に再現されている。

 自分の体がデータとなって分解・再構築されるわけだが、質量の保存はどうなっているのだろうか――ブルー・プラネットは考え、そして諦める。この世界の法則を、今は受け入れるしかない。

 

 ユグドラシルで存在した法則――「転移に利用できるのは自分のキャラクターよりも大きな樹」という制限は、この世界でも同じのようだ。あまり小さな樹木は、状態は分かるのだが、入り込むことが出来ない。仮に魂というデータが移動するとして、物質的な「木の大きさ」が重要になるとは不思議なものだが、そういうものなのだから仕方がない――そうブルー・プラネットは納得する。

 

 比較対象が無いために知る由もないが、自分のサイズが大きくなるほどMPの消費も激しくなるというルールも変わらないのだろう。昔の数十メートルの身体であれば問題が起きただろうが、今のブルー・プラネット程度のサイズ――3メートル弱――であれば、この森の樹々は多くが条件を満たしているし、MP消費も自然回復量以下で問題にはならず、その気になればずっと樹々の中で生活することも出来そうだ。

 

 トレントとしては小さな体を設定しておいてよかった――ブルー・プラネットはあらためてそう思う。この世界で所有スキルを活かすために、今の身体は特に有利だ。ユグドラシルで有利になるようにスキルを組み合わせたのだから当然だが、この世界がユグドラシルの設定を受け継いでいることにあらためて感謝する。

 

 旧ギルド<シャーウッズ>では巨大な体をもつ仲間が固定砲台となって拠点を守る間、小さな自分はギルド武器を守りつつ転移して逃げまわっていた。そして、<アインズ・ウール・ゴウン>では、隠密性を活かした不意打ち要員として――攻撃力では弐式炎雷さんには敵わなかったが、スキル攻撃を主に使って――前線に立った。そして、この世界では、ひっそりと心安らかに樹の中で暮らすことが出来る。

 

 ブルー・プラネットは周囲の樹々と溶けあい、その中を移動していく。

 ブルー・プラネットという自我が、森の樹々を伝って移動していくと言ってもいい。

 この森を良く知るために樹々の状態を調べながら移動する。途中で病気や怪我を負った樹があれば治療する。

 この森の樹々を仲間として生きていくために。

 

 樹の中からは外の様子が見えないが、常態化している「環境状態感知」(センス・ネイチャー)で周囲の樹々の状態以外にも、ある程度大きな動物たちの状態が、脳裏に地図のように浮かび上がる。モンスターの様に邪悪な存在はいない。皆、それぞれの群れを作って餌を食んでいる。

 

 時々、樹の外に出て実体化し、スキルで感知した状況を視覚によって確認する。そして適当な樹にスキルで生み出した「シイの実」のアイテムを埋め込んでいく。このアイテムは樹の目や耳として機能する。埋め込んだ樹からは、特定の信号――例えば巨大なモンスターの立てる物音など――を聞き取れるように設定できるし、必要があれば視認も可能なのだ。

 

 アイテムを埋め込んだ樹を通じて外界の様子を見る感覚も興味深い。

 音声信号であれば、樹々の中に拡散した意識状態でも届くのだが、視覚はブルー・プラネットの自我を特定の樹に局在化することが必要なのだ。特定の音を感知し、それを視覚で確認する――それは人間でいえば、雑踏の中でいきなり名前を呼ばれ、我に返って視線を向ける――その感覚に似ている。今まで森の樹々に拡散されていた意識がスッと一か所に集約され、そして視界が開けるのだ。

 

 森の中で意識を拡散させ、時に集約させながらブルー・プラネットはこの世界における自分の役割を考える。

 俺は、この静かな森を守る守護精霊(フォレスト・ガーディアン)なのだ――少なくともナザリックに戻れるまで……現実の世界に戻るまでは。この世界では自分はそう設定されたキャラクターであり、ならばそれを演じ切ろうと考える。

 

 この森はどこまで続いているのだろうか?

 ナザリックが存在すると思われた方面は既に調べた。今度は、その反対側を調べよう。

 空を飛んで行くのもいいが、今度は地上から――良い考えだと思う。

 森の散歩は、時間はかかるが新鮮で楽しい作業だ。

 現実の世界では他者として相対していた植物が、今度は「自分」を共有するのだから。

 

 植物でいるとはこういう感覚なのか、とブルー・プラネットは驚く。

 森には様々な種類の樹々があり、それぞれの個体が異なった感覚を持っていた。

 風に揺られる感覚、水を吸い上げる感覚、岩を押し割って成長する感覚、太陽の光を浴びて活発に光合成する感覚、葉から水を一気に蒸散する感覚……

 

 蔦に絡まれて苦しんでいる樹がある――助けよう。

 <植物操作>(アニメイト・プランツ)を使い、その蔦をそっと動かす。蔦も生きているのだ。

 

 葉を食む虫たちの動きが分かる。ポリポリと小さな振動は少し痒いような、くすぐったい感覚だ。樹々は虫たちに対し警戒信号を出しているが、これは自然界のルール、食物連鎖だ。やがて虫たちは美しい蝶となり、卵を産み、命の輪を繋いでいくだろう――多少の害は許容すべきだ。

 

 枝を伝う小動物の歩みも把握できる。トントンという振動が幹を伝わる。エサとなる木の実を運んでいるのだろう。結構結構――その実から種が残され、その幾つかが新たな樹となる。植物が無数の種を飛ばすのは、動物たちの餌になることも含めてのことなのだ。

 

 どんな小動物がいるのだろうかと好奇心に駆られて樹の外に出ると、それはリスに良く似た動物だった。その動物は、音もなく突然現れた樹の化け物に驚いたようで小さな丸い目でブルー・プラネットを見つめている。ユグドラシルではそのような小動物はいなかったが、愛らしいその動きが心を癒す。

 

 周囲にはもっと大型の動物――猫程度のサイズのものから熊程度のものまで様々な者達――が幾つかの群れを成しているのが感知できる。彼らは自然が定めた掟に従って、平和に自分の餌を食んでいる。

 

 この森は命に満ち溢れている。

 それを直接感じることが出来るブルー・プラネットは幸福に浸って森の中を渡っていく。緑の中に拡散された自我の中で踊るように。

 やがて森の端まで辿り着く。シェルターからわずか2,30キロほど進んだところだ。

 

 そして、ブルー・プラネットはその森の端で「人間たち」が何やら蠢いていることを知った。

 




基本、アインズ様達と時間は並行しています。
ニグンさんとの衝突ならず(アインズ様に任せましょう)

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