自然愛好家は巡る   作:コロガス・フンコロガシ

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解剖とかあるので……


第34話 Demiurges 【拷問とか注意】

 今日のアベリオン丘陵の天気は雨だ――デミウルゴスは天幕の外の物音に耳を澄ませる。

 柔らかな雨音にのって、部下たちと家畜たちの奏でる音楽が微かに聞こえてくる。

 家畜たちは今日も歌っている――歌っていてほしい。そうでなくては面白くない。歌わなくたって彼らの重要性が損なわれるわけではないが、何事にも潤いは必要だろう。

 彼らが日々提供する大量の皮――偉大な主人への供物。栄光あるナザリックを更に輝かすもの。

 それを思い、デミウルゴスは目を細めて優しい笑みを浮かべる。丘陵に降る雨のごとく優しい笑みを。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ナザリックから南西の方角、聖王国とスレイン法国の間に広がるアベリオン丘陵には一面に天幕が広がる場所がある。数多くの天幕が軒を連ねている様はまさに「大天幕」と呼ばれるに相応しい壮観だ。元はオークの有力部族の物であったが、今、その中で忙しく働いているのはオークではない。デミウルゴスを筆頭とする悪魔たちである。

 

 その仕事の内容は、家畜の世話と研究だ。魔法のスクロールを生産するための皮を得るためにこの世界で見出した家畜はナザリックの栄光を支える大切な資産である。

 家畜を如何に効率よく繁殖させ、如何に効率よく皮を取るか――その為には家畜の習性を熟知する必要がある。悪魔たちは昼夜を問わず勤勉に家畜を世話し、その反応を確かめる。

 天幕を改造したこの牧場では今日も家畜たちの鳴き声が響き、それに応える悪魔たちの楽し気な笑い声が広がる。

 

 天幕の1つ、デミウルゴスの執務室ではデミウルゴスが配下の悪魔から報告を受けている。

 

「プルチネッラ、家畜たちの状態はどうかね?」

「はい、家畜わ音楽を好むというということですので、楽器を与えましたところ、泣いて喜び家族で楽器を弾きならし歌っております」

「ふむ、楽器かね。それはどんなものを与えたのかね?」

「皮を剥いだ後、それを再生できないよう加工する待ち時間がありますので、その間に皮の下の肉を剥いで引き延ばし、それを酸に浸した鞭で弾いたり、その下の骨に鎖を通して交互に挽いて音を出せるように工夫しました」

「ほう、どんな音がするのが、聞いてみたいものだね」

 

 デミウルゴスは嘆息する。

 本来ならば趣味を兼ねて自分でやるべき仕事だが、未知の敵に備えて自分が動き回るわけにはいかないのだ。「大天幕」は外装こそ元のままだがその内部構造は既に元のオーク達が作り上げた原始的なものではない。堅牢な石造りに魔法による隠蔽が何重にも施されている。未知の敵からの監視や襲撃に備えるためだが、おかげで周囲からの音も微かにしか聞こえない。

 

 デミウルゴスは、せめて部下の話を聞いて羊たちの様子を想像し、悩みの多い自分を労わる。

 

「はい、ベチベチ、ゴリゴリ、ギリギリと……家畜の大小によって出る音わ違い、どの家畜をどんな楽器にするかわまだ検討中ですが……何より素晴らしいのわ、楽器になった者が自らの音色に合わせて歌えることです。楽器となった子供を親が弾き鳴らし、親の演奏に合わせて子供が歌う……美しい家族愛に、見ている私も笑顔になります」

 

 鳥の仮面に道化の格好をしたプルチネッラは、楽器を抱えてそれを弾く仕草をする。敬愛する上司へ現場の楽しみを伝えるために、朗らかに踊りながら。

 

「ああ、歌う家族たちの横で皮を叩く槌音が響く……それはなんとも魅力的な演奏になりそうだね」

「はい、我々が弾き鳴らすよりも下手ですが、父が弾き、母が皮を鞣す……これで皮の再生を望む家畜が増えたことも思わぬ収穫でした。家畜たちは皆、皮が一刻も早く鞣し終わり、皮膚が再生されるようを叫んでおります」

「素晴らしい! 家畜が自ら皮の再生を望むようになるとは、また一つ大きな進歩だね」

 

 デミウルゴスは懸念の1つが解決されるという期待から顔を綻ばせ、部下を労う。

 家畜の中には偉大なるナザリックに貢献できる喜びを理解できず、再生を拒否して死を選ぶものもいる。愚かな者達だが、家畜に理解を求めるのも無理な注文なのかもしれない。だが、家畜の数が減り、敬愛する主人に捧げるべき巻物の原料供給が滞ることは憂慮すべき問題であったのだ。

 

 仕事ぶりを認められたプルチネッラはクルリと腕を回し大袈裟な礼をして天幕から引き下がる。

 それを笑顔で見送ったデミウルゴスは自分の趣味――日曜大工に戻る。仕えるべき主人が2人になったことで、それに捧げるべき作品の制作にも熱がこもる。

 

(ブルー・プラネット様は美しい自然を愛されたのでしたね……)

 

 家畜の骨を組み合わせ、至高の御方の居室を飾る純白の壁飾りのデザインを考える。

 骨という死の象徴によって生をより強調する試みはどうだろうか? いや、それではブルー・プラネット様には物足りないだろうと顎に手を当てて試作品を眺めながら。

 

 デミウルゴスは昨日コキュートスから話を聞き、ブルー・プラネットの知略に驚嘆していた。

 アルベドの小さな不敬を誘い、彼女を謹慎させたその鬼謀を。

 

 アルベドが聞き逃すことのできない噂を流し、アルベドを滅ぼすことなく動きを封じた手腕はデミウルゴスをして手の届かぬものと思わせた。デミウルゴスの計画によって誘い込んだワーカーを利用して帰還したことも予想外であったが、そのワーカーの女をシャルティアに預けてアルベドを謹慎させる保険としておいたなど、まさに神算鬼謀の極みである。

 

 至高の御方々――モモンガ様とブルー・プラネット様は全てを見通していらっしゃる。

 この敬すべき主人たちに捧げるには何が相応しいのだろうか?

――それが目下、デミウルゴスを悩ませる問題である。

 

 磨いた骨を組み合わせているデミウルゴスに<伝言>が飛び込んでくる。

 

『デミウルゴスよ、今からお前の牧場に行きたいのだが、都合は良いか?』

 

 ブルー・プラネットからの<伝言>である。実験動物の入手や保管についての相談ということだ。

 都合を確認するという体裁はとっているが、至高の御方の求めは最優先で応じなければならない。都合が悪いはずがない。それに、デミウルゴスは是非とも直接聞いてみたいことがあった。

 

「もちろんでございます。いつでもお越しください……はい、今からそちらに伺いますのでご一緒に転移をいたしましょう」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 天幕にブルー・プラネットはデミウルゴスと共に転移する。

 

(モモンガさんはキメラ羊の牧場だと言っていたけど、思っていたのとだいぶ違うな)

 

 ブルー・プラネットが思い描いていたのは緑の丘で羊たちがのんびりと草を食んでいる光景だった。だが、案内されたのは薄暗い石壁の部屋だ。

 外は雨が降っているから室内に転移したのは仕方がないとして、少し雰囲気が重い。

 それに何か……壁を通して微かに不穏な呻きや叫びが聞こえてくる。それが羊の鳴き声だろうか。

 

「ふむ、それで、羊たちはどこに?」

「はい、別の天幕におりますので、これからご案内いたします」

「羊を天幕の中で飼っているのか?」

 

 至高の御方と同行する栄誉に与ることのできたデミウルゴスは満面の笑みで頷き、恭しく手を伸ばして天幕の出口を指し示す。

 

 そして、ブルー・プラネットは「羊」の正体を知る。

 

「デミウルゴスよ、これは人間ではないか?」

「はっ! 周辺諸国より集めた人間でございますが……申し訳ございませんが、ブルー・プラネット様はモモンガ様よりお聞きになっていらっしゃらないのでしょうか?」

「いや、モモンガさんは『羊』としか言っていなかったが……」

 

 石牢の中、鎖で繋がれた裸の人間たちを前に当惑するブルー・プラネットに、デミウルゴスが微笑んで説明する。

 

「はい、ナザリック内においては人間の扱いに異を唱える者もおりますので、あえて『羊』という符丁を使っております」

 

 ブルー・プラネットは目の前で繰り広げられる惨劇――人間達が皮を剥され泣き叫ぶ様子――に一瞬眩暈がしたが、説明を受けてすぐに「そんなものか」という気になる。

 

「なるほど……確かに余計な波風を立てることはないからな……デミウルゴスよ、余計なことを言って悪かったな」

 

 至高者の謝罪をデミウルゴスはとんでもないと言って固辞した。

 

「それで、私の目的だが……羊を使って少々実験を行いたいのだが、使ってよい羊はいるかな?」

「はっ! 皮を取った後に再生を拒む者がおり、それらは潰して他の羊の飼料とする予定ですが、それらでしたら生産計画への影響は小さいかと」

「うむ、それと、妊娠している者がいたら、それも調べてみたいのだが」

「はい……それは人間同士の、でしょうか? 現在、品種改良のため亜人と人間の種族間の交配実験も行っておりますが、そちらの方は残念ながら進んでいるとは言い難い状況ですので……」

 

 ブルー・プラネットは人間同士のモノで良いと言い、デミウルゴスの指示を受けてトーチャーと呼ばれる悪魔が女を一人引っ張ってくる。見ると、腹が大きく膨らんだ裸の女だ。

 

「この女が現在、妊娠中でございます」

「ふむ、これで何か月になるのだ?」

「そうですね……『答えなさい』」

 

 デミウルゴスの強制力を持った言葉に、蒼ざめやつれ切った女は俯きながら「まもなく8か月となります」と短く答える。

 

「8か月か……その腹の大きさを見ると、おそらく出産が近いのだろうな? それとも、この世界の女はもっと大きな腹を抱えることになるのかな?」

 

 ブルー・プラネットが興味深げに枝で女の腹を撫でると、女はヒッと悲鳴を上げる。

 

「心配することはない。お前の体を……この世界の人間の繁殖について調べたいだけだ」

 

 ブルー・プラネットの言葉を聞き、後ろに立つデミウルゴスが納得した表情を浮かべる。

 

「ブルー・プラネット様、それでしたら、胎児の父親たちも併せてお調べになってはいかがでしょうか?」

「ああ、デミウルゴス、それは良い案だ。それでは父親も連れて来てくれ」

 

 間もなく別の悪魔が裸の男を連れてくる。そして、女を連れた悪魔と共に2人をベッドに仰向けに縛り付ける。

 

「ありがとう。それでは解剖を始める」

 

 ブルー・プラネットは女の腹に麻酔液を振りかけ、別な枝の先端を鋭い刃物に変える。

 

 致死的なダメージを与えないように慎重に切っていく。ユグドラシル時代、特定のモンスターを生け捕りにするために習得した、1ポイントずつしかダメージを与えないスキルである。

 女の張りつめた腹の皮が切り裂かれ、その下の筋肉、内臓を覆う膜が開かれる。剥き出しになった内臓をブルー・プラネットは一つ一つ調べていく。裂かれた個所からの出血は<吸血樹>のスキルでそれを吸い取り、太い血管は可能な限り避け、甚だしい出血箇所は細かく分岐した指先で押さえて止血する。同時にポーションを分泌して体力を回復させ、失血死に至らないようにする。

 

 局所麻酔を掛けているため、女に痛みは無いはずだ。女の意識ははっきりしており、女は髪の毛を逆立たせて自分の身体が無数の枝で切り刻まれる様子を見つめている。

 

「なるほど……私が知る人間の内臓とは大分違うが、これが子宮だな」

 

 袋状の内臓を持ち上げ、それを切り開き、へその緒で母体と繋がった胎児を取り出す。

 すでに赤ん坊といえるほどに育った胎児は目を閉じて痙攣している。冷たい外気と触れたのが悪いのだろう。

 そのままでは死んでしまう。――ブルー・プラネットはそっと胎児を体内に戻し、子宮をポーションで治癒させる。女の腹膜を閉じ、筋肉を治し、皮膚で覆った後でポーションを振りかける。

 枝を当てて胎内の音を聞く。鼓動が二重に聞こえる。――胎児に影響はないようだとブルー・プラネットは微笑む。

 

「ふむ……どの程度育ったら母体と切り離しても生きていけるのか、それに、母親に掛けた治癒の魔法が胎児に与える影響も、そのうち調べたいものだな」

 

 ブルー・プラネットの呟きに、喜色を湛えたデミウルゴスが声をかける。

 

「ブルー・プラネット様、あいにく私共の牧場では繁殖の時間経過は観察しておりませんが、お望みでしたらこれから人間同士の交配を管理し、1か月ごとに胎児のサンプルを用意いたします」

「いや、デミウルゴスよ。それには及ばない。私の方でもちょうど若い男女を揃えていてな、その交配を確認したところだ」

「左様でございますか。しかし、サンプルは多い方がよろしいでしょうから、私の方でも用意だけはしておきます」

 

 新たな繁殖計画のヒントを至高の御方に与えられ、デミウルゴスが笑顔で頭を下げる。

 

 切り刻まれる人間を目の前で見ることが出来たのは久しぶりだ。そして、自分の胎児を引きずり出されたときの母親の顔――それはこれまでの拷問では見られなかった新しいタイプの絶望の表情だ。それを脇で眺めるしかできない父親の表情も中々に興をそそるものではあった。

――デミウルゴスは、至高の御方の求めるモノを提供できる喜びと、自らの趣向に新たな一項目を加えることが出来た喜びに顔を緩ませる。

 

「ああ、そうだな。頼む。……それでは次に父親の方も見てみるか」

 

 ブルー・プラネットは絶望の表情を浮かべる男に向かった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「他のサンプル……実験にお使いになる羊たちはいかがいたしましょうか?」

「ああ、今すぐというわけではないが、この牧場に私の実験室を用意してくれればありがたいのだが……」

 

 執務室に戻ったデミウルゴスは質問を投げかけ、ブルー・プラネットが答える。

 元の予定では、「キメラ羊」を何匹かナザリックに連れて帰り、第九階層の実験室、ゆくゆくは第六階層で飼育するつもりだった。しかし、デミウルゴスの配慮を聞くと「羊」をナザリックに持ち帰って他のNPC達の目に晒すことも躊躇われる。

 

「もちろんでございます! 早速、天幕を空け、ブルー・プラネット様の御実験場を用意いたします!」

 

 デミウルゴスの頭脳は即座に天幕の数や面積、生産量を計算し、ブルー・プラネットのために用意する天幕を導き出す。

 

「ああ、助かるな。実は、私が確保していた者達……それもこちらに置いてくれると嬉しいのだが」

「先ほどのお話にありました、交配済みの男女でしょうか? もちろん、お望みのままに」

 

 ブルー・プラネットは頷きながら溜息をつく。昨夜、折角のサンプルを無駄にしてしまったことを思い出して。

 

「……ブルー・プラネット様、何がお悩みがございますか?」

 

 至高の御方の溜息を耳にして、デミウルゴスが心配そうに問いかける。

 

「いや……恥ずかしいことだが、私は昨夜実験に失敗してしまってな」

「至高の御方に失敗など!」

「いや、デミウルゴス。私とて失敗はある。……その若い男女なのだが、交配実験を急ぎすぎてな……開発中のポーションを投与して、壊してしまったのだよ」

 

 ブルー・プラネットは昨日の失敗について説明する。人間の生殖を調べるために興奮剤を調合してヘッケランとイミーナに飲ませた結果だ。

 興奮剤とは18禁行為が厳しく取り締まられていたユグドラシルでは作ることが出来なかったポーション――媚薬のことである。帝都アーウィンタールで店を構えてこの世界のポーションの作り方を調査した成果を応用し、この世界には存在する媚薬を手探りで配合して作成したのだ。

 カルネ村の薬師から得たというこの世界の薬草、そして足りない成分はナザリックの原料で代用し、それらを調合して出来たものは柑橘系の匂いがする紫色の粘稠な液体であった。

 

 ポーションを与えられるままに飲み干した2人の捕虜に変化はすぐに現れた。

 

 目を血走らせて獣のような叫びを上げた2人はそのまま激しく求めあい……元に戻らなかった。

 ポーションの効果は1時間ほどで切れるはずだが、そのまま理性が壊れてしまったようで、時間が来てもヘッケランとイミーナは涎を垂らして部屋の中をグルグルと回るだけだった。そして、体力が回復すると再び相手を求め、掴みかかることの繰り返しだった。

 

 ブルー・プラネットの呼びかけにも、メイドの叱責にも反応しない。

 治癒のポーションでは効果が無かったことから肉体的な健康問題ではないようだ。

 精神的なダメージのようだが、それが生物学的な脳の変質によるものか、それともユグドラシルにおける「知性」等のパラメーターによるものか、判断がつかない。ただ、<知性向上>でも言葉を喋れるまで回復しなかったことから、単純な変化ではないことは推測できた。

 現時点では治療の見込みが立たないので、2人はそのまま部屋に放置し、食事をテーブルに置いてメイドを下がらせている。

 

「――というわけだ。ナザリックの原料を使ったので、この世界の材料だけで作ったポーションに比べて効き目が強すぎたのだろう。過剰投与という奴だな」

 

 ブルー・プラネットは自嘲する。

 

「ナザリックの原料と、この世界の原料では出来るポーションが微妙に違うらしい。この世界のモノは不純物も多いからその影響も考えられる。……まあ、不純物の影響だとして、それがいずれ脳から排出されて2人が元に戻るのか、また、生まれる子供がどうなっているのか興味はあるが……いずれにせよ、試行錯誤が必要なのだ」

 

 ブルー・プラネットはそこまで説明すると遠い目をする。帝都の店に置いたままにしている資料や原料を回収し、更なる勉強が必要であると。

 

 デミウルゴスは瞑目する。至高の御方の偉大さにあらためて畏敬の念を抱いて。

 ブルー・プラネット様は「失敗」だと言った。しかし、それはあくまでこの未知の世界を知るための試行錯誤の一過程に過ぎず、失敗ではない――そう考えて。

 

(実に謙虚であられ……自分に厳しいお方なのだ)

 

 デミウルゴスはそう考え、自然に頭を下げる。

 

「その男女とは、先日の帝国のワーカーのことでございますか?」

「ああ、そうだ……そういえば、あれはお前が計画した侵入計画だったのだろう? おかげで色々と私も帰還できたし、分かったことも多い。改めて礼を言おう」

「と、とんでもございません! ブルー・プラネット様が頭をお下げになるなど……私の愚策が至高の御方のお役に立てたのでありましたら、それに勝る喜びはございません!」

 

 頭を下げるブルー・プラネットを、あわててデミウルゴスが押しとどめる。

 

「いや、お前の忠義には感謝しているし、お前の頭脳には助けられることも多い。モモンガさんも同じ気持ちだとも」

 

 至高の御方――それも複数からの労いの言葉にデミウルゴスは目も眩む歓喜を覚え、顔を緩ませて更なる忠誠を心に誓う。

 その様子――人間とほとんど変わらぬ姿の悪魔が人間のように相好を崩す様を見ながら、ブルー・プラネットは先ほどの解剖の結果を思い起こす。

 

(この世界の人間も、私が知っている人間ではないのだろうか? さっきの解剖……まるで魔力を栄養の1つとして進化したような……)

 

 この世界の人間が魔法的性質を帯びている仮説は立てていた。そして、実際にその身体を開いてみて、その仮説の信憑性が高まった。

 解剖された者達の体内は、元の世界で学んだそれとはあまりにも異なっていた。心臓や肺など基本的な内臓は存在した。しかし、それらは退化しているのか未発達なのか……構造は単純で、全体的にサイズも小さかった。

 一方で、未知の器官も存在した。例えば血管やリンパ管と並んで別な循環系らしきものが見つかった。

 回復のポーションが組織に吸い込まれ、その周辺の傷ついた部分が再生し、血液を失った血管に再び血が流れる――自分が吸血樹として血液を吸い上げるときに、その血液が枝の途中で消えて自分の体力へと変換されたのと逆のプロセスだ。

 

(魔力と物質の転換の研究にはもっとサンプルが必要だな。おそらく魔法の才能や肉体能力にも影響しているのだろう。将来的には品種改良も可能か……デミウルゴスの協力はありがたいな)

 

 怪物化した精神に加え、研究者の探求心がブルー・プラネットに残る人間の感情を麻痺させる。

 

「デミウルゴスよ、それではサンプルの調達を頼むぞ。男女や年齢ごと、そして、出来ればこの世界の冒険者たちを職業とレベルごとに分けておいてくれ」

「はっ! しかし、冒険者となりますと、私の所にはさほど高いレベルの者はおりませんが……せいぜいが銀や金級といったところでございます」

「ああ、それで十分だ。あまり高いレベルの者を捕らえたら、この世界の人間社会との軋轢が大きくなる……モモンガさんもあまり波風は立てたくないと言ってたからな」

「はい、確かに……シャルティアの件といい、この世界には確かに油断のならない者もおります」

 

 デミウルゴスは眉を顰め、仲間を操って至高の御方に弓を引かせた憎むべき敵への感情を滲ませる。

 

「うむ……油断するのは危険だな。我々がこの世界を探っているように、この世界にも我々を探っている者がいるはずだからな」

「はっ……ブルー・プラネット様、世界について一つ質問をお許しいただけるでしょうか?」

「ん? 何だ?」

 デミウルゴスは良い機会だと思い、ブルー・プラネットに問いを発する。

 

「ブルー・プラネット様は、以前はこの世界とも違う、別な世界の戦いに赴かれていらしたということでしたが、我が創造主ウルベルト・アレイン・オードル様もその世界にいらっしゃったのでしょうか?」

 

 一瞬、ブルー・プラネットは何の話かと戸惑うが、すぐに帰還を祝う式典での話だと思い出して頷く。

 

「う、うむ……その世界では、ウルベルトと肩を並べて戦うことはできなかったが、同じ世界だ」

「そうでございますか……」

 

 デミウルゴスは笑みを浮かべる。どうしても知りたかったこと――自らを創造し愛してくださった至高の御方の消息が明らかになったのだ。

 だが、その笑みは一瞬の後に消える。

 

「しかし、その世界は破滅に瀕しているというお話でしたが……ウルベルト様のお側で戦うことが出来ぬことが残念でなりません」

 

 デミウルゴスは顔を片手で覆い、宝石の目から涙を流す。創造主の力になれない自らの不甲斐無さを嘆いて。ブルー・プラネットは、そんなデミウルゴスを哀れに思い、肩を優しく叩く。

 

「大丈夫だ、デミウルゴス。ウルベルトさんは必ず勝利する」

「ブルー・プラネット様、ありがとうございます。……差し支えございませんでしたら、その世界の敵のことを、その世界での戦いのことをもっとお教えいただきたく存じます」

 

 参謀――設定だけではあるが――として創られたデミウルゴスは、たとえ共に戦うことが叶わずとも、創造主の敵を知りたいと願う。

 

 ブルー・プラネットは答えに迷う。自分たちが平凡な人間であり、現実の社会ではとるに足りない者であることをNPCに教えるわけにはいかないと思って。

 そして、事実を基にして話す。人間たちを高みから見下ろす存在として。

 

「……うむ……実はな、あの世界における私の敵は……突き詰めれば人間たちだったのだ」

「な、なんと! 人間が、人間ごときが至高の御方を苦しめる敵となるとは!」

 

 ブルー・プラネットは苦しそうに言葉を吐き出し、その内容にデミウルゴスは驚愕する。

 

「デミウルゴスよ、人間たちは個としては弱い生き物だった。しかし、長い年月の後に文明を発達させ、超位魔法すらしのぐほどの力を手に入れたのだ……世界を覆い、汚しつくす力を」

 

 ブルー・プラネットはデミウルゴスの顔を見る――人外の知力をもつ悪魔も、元の世界の文明を想像するには至らないようだ。当然だろう。彼らは現実世界の中に創られた仮想世界、現実を忘れるために創られたユグドラシルというゲームの中で創造された存在なのだから。

 

「恐るべき機械の獣の群れ、大地の生命を奪う猛毒、空を覆いつくす酸の雲……全て人間が作り出したものだ。あの世界は間もなく人間たちと共に崩壊する。私は……私たちは世界を守ることはできなかった」

 

 事実を元に悔恨の情を悲痛な声で吐き出すブルー・プラネットに、デミウルゴスは微笑んで慰めの言葉を掛ける。

 

「ブルー・プラネット様、御身がお嘆きになることなどございません。たとえどれほどの力を蓄えようと、人間は所詮は人間でございます。彼らが愚かにも自らを巻き込んで世界を滅ぼすとしても、それは至高の御方々がお悩みになることではございません」

 

 デミウルゴスは確信していた。

 慈愛に溢れる至高の御方々は、愚かな人間どもの自滅をも救う御積りであったのだと。そして――その救済が叶わぬならば、至高の御方々がその世界を見捨て、いずれはナザリックに戻ってこられるであろうことを。

 

(ブルー・プラネット様がお戻りになられたのであれば、我が創造主ウルベルト様も遠からずお戻りくださるでしょう)

 

 愚かな人間どもに見切りをつけて。

――デミウルゴスはその日のことを思い、頬を緩ませる。人間どもが自らの罪で世界を地獄へと変え、その中で苦しみ悶えて滅びてゆく様を、そして、至高の御方々がその世界に見切りをつけ、再びナザリックにその愛を向けていただくことを夢想して。

 

「はっはっは……そうだ、そうだったな。人間とは実に愚かな生き物だ……くだらないものだな」

「はい、左様でございます。まことに愚かな生き物でございます」

 

 ブルー・プラネットは軋むような声で笑い、炎を宿す目をデミウルゴスに向ける。そして、デミウルゴスはその視線に応えて微笑む。

 

「そうだ……デミウルゴスよ。この牧場のことだが……私はもう一つの意義を見出したよ」

「はっ! ブルー・プラネット様、それは何でございましょうか? お聞かせいただければ光栄の極みでございます」

「うむ、私はあの世界の失敗を繰り返したくない……この世界は我々が管理し、幸福へと導いてやらねばならぬ」

「仰る通りでございます。まさに、この牧場はあるべき世界のひな型となるでしょう」

 

 デミウルゴスが顔を上げ、新たな使命にその目を輝かせる。

 以前、モモンガ様はこの世界を手に入れることを宣言された。そして今、ブルー・プラネット様はこの世界を導く目標を示されたのだ、と。

 

「うむ……この牧場は新たなる世界のひな型となりうるが……その世界へと導く道具ともなる。デミウルゴスよ、この世界における文明の芽を摘み取り、この牧場に集めてくれ。この世界の人間どもが再び世界を巻き込んで自滅の道を歩むその前に。この世界が永遠に美しくあるように」

「はっ! ご命令、しかと承りました!」

 

 ブルー・プラネットの命を受け、デミウルゴスは満面の笑みを浮かべて跪く。

 機械などの文明を発展させる可能性のあるものを人間社会から摘み取り、この牧場で研究材料とする――それが至高の御方のご意思であると知って。

 

 優れた人材と言えば、すでにナザリックへの帰順を誓った者達はいる。彼らの動向はすでに知るところであり、処分は後回しでも良いだろう。

 彼らの協力により、バハルス帝国とリ・エスティーゼ王国における知者の情報は得られた。例えば最近、帝都アーウィンタールで新しいポーションを開発した者達がいるという噂も聞いている。

 この近辺の聖王国はもうじきデミウルゴスの手に落ちる。

 ならば、次はスレイン法国の情報を集める必要がある。

――デミウルゴスは今後の計画を組み上げていく。

 

「それでは、デミウルゴスよ、頼んだぞ。天幕の準備とサンプルが揃い次第、私に連絡してくれ。そうだな、符丁は『山羊』でどうだろうか?」

「はっ! ブルー・プラネット様、御身のいらっしゃる場所を私が把握できますよう、この腕輪をお付けいただけますか? 『山羊』についてご報告する際に他の者の目に触れぬよう、直にお伺いいたします」

 

 正直に言えば、これはアルベドの不敬に備えてのことだ。しかし、あえて部下の愚かさを至高の御方に告げることもない。それに、ブルー・プラネット様であれば察していただけるだろう。

――デミウルゴスはそう考えて微笑みながら腕輪を差し出す。

 

 デミウルゴスが差し出したアイテムを受け取り、腕に装備してブルー・プラネットは頷く。

 そしてブルー・プラネットは<帰還>によってナザリックに戻っていった。

 

 至高の御方が去っていったのを確認したデミウルゴスは立ち上がり、ズボンの埃を払う。

 そして、魔法のベルを鳴らして部下を呼び出す。至高の御方の命令を伝え、必要とされた場所を準備させるために。

 部下に手短に指令を下した後、デミウルゴスは実務机に戻り、芸術品の創作に取り掛かる。

 

(ブルー・プラネット様の御心を癒す物を捧げるべきでしょうね)

 

 今日の訪問で得られた知識を基にブルー・プラネットに捧げる芸術品のデザインが決まり、デミウルゴスの顔は明るい。

 想像することも出来ない異世界で戦い、深遠なる考えで世界の行く末を案ずる至高の御方々の話を聞き、デミウルゴスはこの世界を図るに過ぎない自分の矮小さを思い知らされる。

 これ程までに偉大な至高の御方々へ捧げるデミウルゴスの忠誠心は止まるところを知らない。

 

 デミウルゴスは至高者に捧げるべき芸術品を創り始める。

 滅びゆく古い世界からの、穢れなき新しき世界の誕生――それがモチーフとなる。

 全身を赤き血で濡らし業火で焼かれる地獄の苦痛に叫ぶ女、その胎内から取り出される安らかに眠る緑色の胎児を象った置物だ。

 幸いにして、ここは牧場だ。材料は幾らでもある。

 




冒頭は、アメコミの「スワンプシング」(アラン・ムーア版)の
「今夜のワシントンの天気は雨だ」のパクリです。
(オマージュと呼べるような水準にない……)

あのコミックの
将軍「そ、それでレポートは読んだのかね?」
スワンプシング「ああ……読んだ」
将軍「感想は……?」
からの一連の流れが好きです。(委縮する将軍の表情とかも)

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