自然愛好家は巡る   作:コロガス・フンコロガシ

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ポンコ2


第33話 天国と地獄

 ブルー・プラネットがモモンガから緊急の呼び出しを受けたのは、その日の夜遅くだった。

 

『ブルー・プラネットさん! ちょっと話があるんですが!』

 

 苛立った声で<伝言>が入る。

 

「はい、えと、何の件でしょう?」

『何の件じゃないでしょう! ブルー・プラネットさん、子供が生まれたそうじゃないですか! なんでそんな大事なことを――』

「はぃぃぃ!?」

 

 ブルー・プラネットはモモンガの居室前に転移して、ドアを何度も激しくノックする。

 モモンガがドアの隙間から顔だけ出し、周囲にブルー・プラネット以外いないことを確認すると急いでドアを開き、ブルー・プラネットを手招きする。

 

「早く早く、今のうちに!」

 

 訳の分からぬまま、ブルー・プラネットは身をかがめてドアをくぐり、モモンガの自室に入る。

 

「えっと、子供が何とかと……聞き違いですか?」

「いえ、俺もさっき聞いたんですよ。アルベドとシャルティアから詰め寄られて。どうなってんですか!?」

「私が聞きたいですよ! なんで私が子供を産んだってことになってるんですか!?」

 

 ひょっとしたらマーレにやったザイトルクワエの落し子たちのことか?

――そんなことを考えているブルー・プラネットに、モモンガは机を叩いて叫ぶ。

 

「違うんですって! ブルー・プラネットさんにお渡ししたアルシェとかいう女、それがブルー・プラネットさんの子供を産んで育てているという話ですよ!」

「ええ……? 待ってくださいよ! まだアルシェが来て1週間も経ってないんですよ……ってか、私がシャルティアからアルシェを引き取ったの、今日ですし!」

 

 モモンガとブルー・プラネットは応接間のテーブルを挟んで事情を話し合う。ブルー・プラネットの説明を聞き、モモンガの眼窩に宿る炎が小さくなる。どうやら冷静さを取り戻したようだ。

 

「え、あ、そうですよね……すみません、ちょっと焦っちゃって……」

「どうしたんですか? 何があったか話してくださいよ」

 

 頭を下げるモモンガに、ブルー・プラネットは説明を求める。

 

 モモンガの話では、数時間前、アルベドとシャルティアが自室に突然押しかけてきたのだという。

 彼女たちは口々に――

 

「ブルー・プラネット様に御子が誕生したとは本当か」「本当であれば、是非、私たちにもモモンガ様のお情けをいただきたい」「そう思って急いで来たら、モモンガ様の部屋の前で鉢合わせした」「この際であるから是非、正室をお決めいただき、その上でお情けを順番に」

 

――そんな内容のことを喚き散らしてモモンガに取り縋ったのだという。

 

 ブルー・プラネットは最初は身を入れて聞いていたが、腕組みをし、それを解いて頭を掻き、今は天井を這う八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)を目で追いながら上の空で聞いている。

 

「ふぅ……彼女たちがどこからそんな噂を聞いたのかは聞いていませんが……いずれにせよ、彼女たちを宥めるのはホネでしたよ……」

「え……骨でしたんですか? 結局……」

「え……? い、いや違うって! 骨が折れたってことです!」

「あー、アルベドとか、激しそうですもんね」

「は……? んもー、まじめにやってくださいよっ!」

 

 モモンガが叫び、ブルー・プラネットはカラカラと笑う。

 

 モモンガ本人にしてみれば、100レベルNPC2体に襲われるというのは恐怖以外の何物でもないだろう。だが、傍から聞く分にはモテ男の自慢話だ。それに、夜中に訳の分からないデマで呼び出されたという思いもある。眠気も疲労も感じないこの体では時刻はどうでもいいことだが、騒動に巻き込まれたことへの、ちょっとした意趣返しだ。

 

「それで、どこからそんな噂が出たのか、私としてはそっちを知りたいんですけどね」

「俺もそう思って、2人を呼んでます」

「え?」

「是非、ブルー・プラネットさんご自身で噂の出所を確認してください」

 

 さすがはモモンガさん、決断が早い。――ブルー・プラネットは感心するが、その行動を意外に思う。

 つい先ほど、何とか2人を宥めて帰したばかりだというのに、また呼ぶとは……

 

(2対2ならば何とかなる、そう考えたのか?)

 

 モモンガの真意をブルー・プラネットが測りかねているうちに、ドアがノックされる音が響く。

 

「あ、来ました。いえね、噂を確かめた上で正室を決めると説得して一旦帰したんですよ」

「ああ、そういう……でも、私に子供はいませんからね。どうするんですか?」

 

 ブルー・プラネットは納得し、考えながらドアに向かう。ここはモモンガの居室だが、ドアからの位置は自分の方が近い。それに、モモンガが席に座っている一方で自分は立っているからだ。

 

 ドアを開きかけるとその隙間からサンダルを履いた白い足がカッと差し込まれる。そして上からは白い手袋が1つ――アルベドの手だ。扉の向こうから凄まじい力がドアを押し開けようとしているのを感じ、ブルー・プラネットは本能的な恐怖から反射的にドアを閉じようとした。

 

「開けてくださいませ! 開けてくださいませ! ふんっ!……シャルティア、押して!」

「ぬりゃっ!」

 

 変な声と共に小さな気配が、やはり猛烈な力でドアを押してくる。

 怪力をもって鳴るトレントでも、片手に対し同レベルのNPC2人の全力ではひとたまりもない。いや、それ以前にドアがもたない。

 メリメリと蝶番が悲鳴を上げ、ドアが強引に押し破られた。

 

「ブルー・プラネット様! お待ちしておりました。ブルー・プラネット様は私こそモモンガ様の正室だとお考えですよね!?」

「私が教育したアルシェが御子をなしたということは、私にモモンガ様の御子を孕む権利があるということでありんしょう!?」

 

 蝶番が壊れドアがバタンと音を立てて外れるとともに、訳の分からないことを叫びながら必死の形相で2人が雪崩れ込んでくる。

 

「ちょ、ちょっと、2人とも落ち着け! モモンガさん、何か言ってやって……」

 

 ブルー・プラネットが後ろを振り向くと、モモンガの姿は消えていた。

 

「ひでぇ!」

 

 思わず叫ぶ。

 嵌められた……そう思ったブルー・プラネットが自分も転移の指輪を作動させようとするが、アルベドとシャルティアがローブの裾を掴んで離さない。

 

(これでは転移で逃げてもついてくるか)

 

 覚悟を決めたブルー・プラネットが2人に相対する。幸いなことに、2人ともブルー・プラネットをどうこうしようという気持ちはないのだ。ただ、2人の口からマシンガンの弾のように吐き出されている訳の分からぬ言葉に対処すればいいだけなのだ。

 

「まて、2人とも! まず、私の子供をアルシェが産んだとかいうデマがどこから出たのかをハッキリさせたい」

 

 至高者の力強い言葉にアルベドとシャルティアの2人は怯み、そして自分たちが聞いたことをポツポツと語りだす。

 

「は、はい……私は、私が目を掛けてやっている娘から聞いたでありんす。何でもアルシェがすでに臨月になっているとか……」

「え? 私は……刺繍を教えているメイドから、すでに御子がお生まれになってお食事が2人分必要になったと聞いたのだけど?」

 

 まったく要領を得ない――苛立ったブルー・プラネットは2人に言う。

 

「お前たちなあ……アルシェが臨月だとかすでに生まれただとか……私は何もしとらん!」

「はっ! し、至高の御方のお言葉に異を唱えるわけではないでありんすが……ブルー・プラネット様はアルシェをお使いになるおつもりだと、あのとき……」

 

 シャルティアの言葉を聞きながら、ブルー・プラネットは反論を諦める。シャルティアは創造主であるペロロンチーノが設定した性格によってものごとを考えているのだから、「使う」という言葉からそういう推論をするのは仕方がないことなのだ。

 

「だからな、アルシェをお前のところから引き取ったのが今日の昼前だろ?」

「は、はい……しかし、至高の御方であれば一日の内に御子を成すこともあるいは……と……」

 

 シャルティアの目が泳ぎ、それを横からアルベドが咎める。

 

「ちょっと、シャルティア! その人間の女をブルー・プラネット様がお引き取りになったのは今日の昼のことだなんて、何で言ってくれなかったのよ! そうなら私は――」

「アルベドよ、黙れ」

 

 ブルー・プラネットの叱責に、アルベドは身を震わせ沈黙する。

 

「アルベドよ、お前は守護者統括として上げられてくる情報を吟味し、その真贋を冷静に見極めるべき立場ではないのか?」

「お、仰る通りでございます……噂をそのまま信じて我を忘れることなどあってはならないことでした……」

「よし。それでは、そのアルシェの状態を確認すれば良いのだろう? 待っていろ。今連れて来る――」

「お、お待ちください……御身を疑うわけではございませんが……その……もうこれ以上待つのは辛いのです。ぜひ私もご一緒させていただきたく」

 

 アルベドはブルー・プラネットのローブの裾を握ったまま放さない。

 そのまま自室に逃げるつもりはなかったが、とりあえずこの姦しい2人から離れて一息入れようとした気持ちを見透かされた気になったブルー・プラネットは心の中で舌打ちし、2人に言う。

 

「分かった。では、2人とも付いてこい」

「あ……あの、申し訳ございません、ブルー・プラネット様……」

「なんだ?」

「その……恐怖候の眷属はもういないのでしょう……ね?」

 

 ローブの裾を握ったままアルベドが恐る恐る尋ね、シャルティアが「げっ」という顔でローブから手を引っ込める。

 

 めんどくせぇ――ブルー・プラネットがイライラとしながら「ああ、もう片付けた」というと、アルベドはローブの裾を握りなおし、シャルティアもあわててそれに続いた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 3人が転移して誰もいなくなったモモンガの個室、そこにモモンガが転移して帰ってくる。

 アルベドとシャルティアによって強引にこじ開けられ外れたドアの蝶番を魔法で修復し、閉めなおす。

 

「ふぅ……これでとりあえず片付いた。あとはブルー・プラネットさんが上手くやってくれればいいんだけどな……」

 

 モモンガはドアが開かれたときに転移して逃げ出し、魔法で一部始終を監視していた。そして、壊れたドアを通じて部屋に戻り、修復されたドアを締め切った。これで個室は隔絶された空間となり、無許可の探査および転移を阻害する。いきなりアルベドたちが戻ってくる心配はない。

 モモンガは安堵の息を吐き、ブルー・プラネットから与えられた情報から次の手を考える。

 

 子どもが出来たという話は間違いだろう。ブルー・プラネットさんは嘘を言うタイプではない。

ならば、それを確認したアルベドたちがどう反応するか……そして、それに自分はどう対処すべきか……

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルー・プラネットは自室前の廊下に転移する。そして、ロックを解除し、共に転移したアルベドとシャルティアを自室に招き入れる。

 アルシェはすでに奥の部屋で眠っている――そう告げて、ブルー・プラネットは2人が言葉では納得しないだろうと奥の寝室に通す。

 寝室の中では頑丈かつ豪奢なベッド――耐久性は魔法によって保証されているので見かけの頑丈さはあまり意味はないが――の上でアルシェは胎児のように身を丸め、羽毛布団に身を包んでいた。まるで、その羽毛布団が身を守る盾であるかのように。

 悪夢にうなされているのだろうか、時折、苦しそうに呻き声を上げている。この数日で初めて許された自然な睡眠だが、アルシェの心に刻まれた傷は眠っている間も彼女を苛んでいた。

 

「まあ、至高の御方のためのベッドにそれ以外の者が上がるなど!」

「ベッドは私の所有物であり、アルシェもまた同じだ。何の問題がある?」

 

 囁き声ではあるが不快感を示したアルベドを、ブルー・プラネットが窘める。

 

「はっ! その通りでございます……が、やはり、ものには相応しい場所があると思われます」

「う、うむ……そうだな。では、アルシェは私が相応しいと判断したのだ」

「左様でございますか……至高の御方のご判断、しかと承りました」

 

 アルベドは目を伏せて頷く。

 

「分かったようだな、では……ほら、赤ん坊などいないだろう? お腹だって……」

 

 ブルー・プラネットが枝を伸ばし、そっと布団をめくってアルシェの腹を確認させようとしたときだった。

 

「アルシェ! 起きんさい!」

 

 持ち上げられかけた布団を、シャルティアが無遠慮にはぎ取る。布団の隙間からそっと覗こうとしていたアルベドは愕然とし、シャルティアを見つめた。

 

「はっ、シャ、シャルティア様!」

「いいから、お前のお腹を見せなんし!」

 

 シャルティアの声に条件反射のように目を開けたアルシェは、そのまま跳ね起き、シャルティアの姿を見るとベッドの上で土下座する。そして言われるままにナース服の裾をたくし上げ、その平たい腹を見せた。

 

「ほんとうに……平らね。シャルティアといい勝負だわ」

 

 アルベドが下から覗き込んで感心したように言い、それを聞いたシャルティアは目を赤く光らせて横からアルベドを睨みつける。

 

「もういいだろう、疑いは晴れたな! アルシェ、服を下ろせ」

 

 ブルー・プラネットが早口で命じ、アルシェは命じられたまま服を戻す。

 ブルー・プラネットとしては、とんだ罰ゲームだ。自室に少女を監禁し、変態的な服を着せ、そのままベッドに寝かしているのが2人の女性にバレたと思うと、たまらない居心地の悪さを感じる。

 

「よし、アルシェ、寝ていいぞ。もう終わった」

 

 ブルー・プラネットの声に従い、アルシェは布団を直して再びベッドに横になる。しかし、その目は閉じられたものの、体の震えは止まらない。

 

(終わった。私、終わった)

 

 3人の化け物の視線は目を閉じていても感じられる。化け物たちは自分の体を確認し、食べる気なのだろう。「平ら」と言ったのは、まだ肉付きが悪いということか。午後の食事は、自分を肥え太らせるためだったのか……

 

 化け物たちの囁きが聞こえる。

 

「平らで悪うありんしたね。でも、贅肉だらけの年増はいかがなものでありんしょう?」

「この位の歳や肉付きが魅力的だという殿方も多いのよ? ですよね、ブルー・プラネット様」

「ああ、うん、まあ……いや、その話は今は無しだ。今、問題なのはアルシェのことだろう?」

「つまり……ブルー・プラネット様はもっと肉付きの良いアルシェをお望みでありんしたか? そうと知ってありんしたら私はもっと食べさせていたでありんす……」

「そういうことではないが……たしかに痩せすぎではあるな。もっとこう……いや、忘れろ」

「はっ! 忘れます!」

 

 化け物たちが肉付きのことで自分を品定めしている。自分がまだ若すぎ、痩せすぎだという結果になったらしい。それで今のところは彼らの夜食になる運命を逃れたのだろう。

 化け物たちが自分を置いて部屋から出ていく気配がし、明かりが弱まり、ドアが閉じられる。

 薄眼を開け、独りきりになったことを手早く確認したアルシェはベッドの天蓋を見つめながら寝室で恐怖に震える。

 

(太ったら、その時こそ『終わり』だ)

 

 ブルー・プラネットの部屋で出された食事は元貴族であるアルシェをして見たこともない素材で作られた最上級のものだった。味は言うに及ばず、その一口一口が体に浸み込み、血となり肉となるのが分かった。異常なほどの滋養があった。疲労は吹き飛び、魔力まで――今は魔法の行使が封じられているが――漲ってきたのだ。

 

 ここの食べ物は危険すぎる。

――アルシェは決して食べすぎないことを心に誓う。これからは自分を太らせようと、更なる極上の美味が並べられるに違いないが、決してその誘惑に乗ってはいけない。

 

 だが……いくら拒んでも無理矢理に口から食物を流し込まれるかもしれない。そうして強制的に太らせた獣を使う料理があると聞いたことがある。そうなったら――

 

 アルシェは布団の端を握りしめ絶望の悲鳴を上げた。隣室の化け物たちに聞こえないように、小さく。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 隣室では、ブルー・プラネットとアルベド、シャルティアがテーブルに着き、話し合っている。

 いや、ブルー・プラネットの説教を二人が首を垂れて聞いている。

 

「だから言っただろう。アルシェには子供などいない。私は何もしていない。お前たち2人はナザリック最上位の部下として階層の守護を任されているはずだが、それがこんな噂一つで騒ぎを起こし、おのれの領域を勝手に離れ、モモンガさんにご迷惑をかけるとは何事だ?」

 

 アルベドとシャルティアは、消え入りそうな態度でブルー・プラネットの長い説教を聞いている。

 

「まっこと、まっこと申し訳ありませんでした……噂を流したメイドたちは早速――」

「違うっ! 私は、噂に流されたお前たちを問題視しているのだ。噂の元になったのはメイドたちなんだな? そっちはそっちで、私が直々に処罰する。今は、お前たち自身のことだ」

「わ、分かりました……悪いのは私たちでございます……」

 

 シャルティアはこれ以上ないという位、そのか細い身を縮め、震えている。

 

「そうだ。そして、この件で一番迷惑を受けたのはモモンガさんだ。それについては?」

「守護者統括として、今回の失態は弁解の余地がございません」

 

 アルベドは大粒の涙をボロボロと零し、しゃくりあげながら答える。アルベドも両手を膝の上に置き、肩をすぼめている。その結果、豊満な胸が強調され、ブルー・プラネットの視線はその双丘に固定される。

 

 しばし、ブルー・プラネットの居室にはアルベドのすすり泣きの声だけが響く。

 

「……分かればよい。それでは、お前たちの処遇だが、今からモモンガさんに<伝言>で話し合って決める」

「お待ちください! 私からも是非、モモンガ様に直接お詫びを申し上げたく――」

「お前たちは、まだこれ以上、モモンガさんに迷惑を掛けたいのか?」

 

 ブルー・プラネットの冷たい拒絶を聞き、アルベドとシャルティアの顔が絶望に凍った。

 

「あー、もしもし、モモンガさん?」

『はい、ブルー・プラネットさん、どうなりました?』

「今から、2人を送りますんで、是非、3人でよく話し合ってください」

『えっ! ま、ま、待ってくださいよ。そっちで話が着いたんじゃないんですか?』

「あはは、冗談ですよ。さっき置き去りにされた仕返しです」

 

 横で会話を聞いていたアルベドとシャルティアの顔が一瞬輝いたが、「冗談」という言葉に再びこの世の終わりのような表情を浮かべる。

 

『ひどいなあ……って、さっきは済みませんでした。でも、ブルー・プラネットさんなら実害はなかったでしょ?』

「そうなんですけどね。まあ、2人の処遇ですが、反省もしたようですし、しばらく謹慎ということでどうでしょう?」

『そうですね。3日間……というところですか? 皇帝の来訪の準備には間に合うように』

「ええ、モモンガさんがそれで良いのでしたら」

『はい、ではそれでお願いします』

 

 ブルー・プラネットは<伝言>を切り、硬直して判決を待つ守護者2人に向き直る。

 

「結論が出た。お前たちはそれぞれ謹慎3日間とする。モモンガさんへの面会は一切許さん」

「わ、わかりました……寛大なご処置に感謝いたします」

「よし、それでは自室に戻るがいい。そして、謹慎の間、自分の為すべきことをよく考えろ」

 

 アルベドとシャルティアは立ち上がり、深々と頭を下げてブルー・プラネットの部屋を出た。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 NPC達を見送った後、ブルー・プラネットは溜息をつき、自分の机に戻る。中断された自分の仕事、第六階層の再設計を続けるためだ。

 人間たち――“フォーサイト”の3人を第六階層に移す計画を早めなければいけない。これ以上変な噂を立てられるのはもうごめんだ。

 

 だが、その噂によって忘れていた重大な可能性に気づいてしまった――人間たちは子供を産むということを。今までの計画をもう一度白紙に戻して大幅に、そう、今までの数倍の資源を費やさざるを得ない。しかし、モモンガさんからは「なるべくコストを掛けないで」と言われている。自分の資産を使うことで当面は間に合うが、それでも数百年というスパンで考えると人間がどこまで殖えるか――心もとない。

 

「どうすりゃいいんだ」

 

 ブルー・プラネットは苛立って叫ぶ。

 無理な注文だ――その無理を解くために、ブルー・プラネットは最大化した<知力上昇>を自分に掛ける。より高い視野に立ち、見落としていた解決策を見つけるために。

 

 そして冴えわたる認識の中で気が付く。あまりにも簡単で、それゆえ見落としていた解決策に。

 

「なんだ、1人なら人間は殖えないやんか」

 

 人間と自然の共生を探る。その上で人口を増やす実験は必要だとしても、それは適宜導入したらよい。なにも今“フォーサイト”の3人に拘ることはないではないか。

――嬉しくなり、ブルー・プラネットはその計画をさらに進める。

 

 そうだ、人口の管理は必要だ。この世界の人間の生殖を調べる必要がある。ならば……そうだ、ヘッケランとイミーナが丁度いいサンプルになるじゃないか。第六階層へ移すのはアルシェ1人で良い。あとの2人は今まで通り実験室に置いて、子供を作る実験に協力してもらおう。彼らの関係なら、きっと喜んで協力してくれるだろう……最大何人まで産めるか、薬も使って交配を管理するのもいいかもしれない。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルー・プラネットの個室を出たアルベドとシャルティアは、トボトボと歩きながら話し合う。

 

「3日間……3日間もモモンガ様にお会いできないなんて辛すぎるわ」

「そうでありんすね……大体、おんしとモモンガ様のお部屋の前で出くわさなかったら、もうちょっとことは穏便に進められたはずでありんしたが……」

「それはお互いさまよ……あの子たち、今度会ったらしっかり叱っておかなくちゃ」

「ふふふ……しばらくは誰もおんしの部屋には近寄らないと思いんす。噂が広まるのは早いでありんすから……」

「あなた、そういうのは止めてよ。本当に!」

「分かったでありんす。しかし、赤子の噂は間違いだったとして、あのアルシェは――」

 

 シャルティアの言葉にアルベドの歩みが止まり、その目がキラリと光る。

 

「ええ、噂の一つは確定ね。ベッドに上げられていたということは、ブルー・プラネット様はアルシェを寵姫としてお認めだということ……シャルティア、あなたアルシェの布団をはぎ取るとはブルー・プラネット様に対する不敬と思わなくて?」

「そうでありんすか? アルシェは、いわば、私やおんしと同じ土俵に上がったということでありんすよ? ならば、あの程度のじゃれあい、スキンシップの一つでありんす」

「……はぁ、いいわ。あなたがそういうつもりであるならば」

 

 アルベドの牽制は空振りに終わった。シャルティアの反撃が始まる。

 

「それに、おんしだって、ベッドのことでアルシェに言える立場ではないでありんしょう?」

「なによ、それ?」

「アルベド? モモンガ様がお留守の間、モモンガ様のベッドでおんしが何をしているか、私が知らないとでも思っていたでありんすか? 『至高の御方のためのベッドにそれ以外の者が上がるなど!』……どの口でそれをほざいたでありんすか?」

 

 はぁ、とシャルティアは大袈裟にため息をつき、両手を広げてヤレヤレと首を振る。

 

「うっ、ぐっ……なんでそれをあんたが知ってるのよ!」

「さて、なぜでありんしょう?」

 

 アルベドは愕然とし、ニヤニヤと自分を見つめるシャルティアを見る。

 ナザリックの情報を統括する立場である自分が、逆に行動を見抜かれていた――しかも見抜いたのがシャルティアなのだ。

 

(この子は決してバカではない)

 

 考えてみれば当然だ。シャルティアとて至高の御方々の一人が手ずから創造したもの。そして、守護者という任務は決して愚か者に務まるものでは無い。3つの階層を守護するシャルティアは守護者の中でも個として最強であり、それは戦闘における瞬時の判断力の高さにもよる。そればかりではない。シャルティアは女性の眷属を多数有し、その情報網は侮るべきではない。

 

(メイドを叱るのはナシね……今は一人でも味方を増やすべき……)

 

 今回の噂が間違いであったことを逆にどう利用するか……アルベドの頭脳はそれに集中する。

 

「ま、いいでありんす……ともかくも、ブルー・プラネット様は、私が推したアルシェを寵姫となされた。となれば、今日のことは間違いでも、いずれは噂が真となる日も来るでありんすよ」

 

 黙ってしまったアルベドを見て、シャルティアは余裕の微笑みを浮かべる。

 

「分かっているわ。その日より先に、私は是非ともモモンガ様の御子を生しておかなければいけないわね。だって、そうでしょう? 至高の御方々の中でも、それを統率されていらしたモモンガ様よりブルー・プラネット様の御子の誕生がお早いとなれば、それは後々混乱を招くわ」

「それは、おんしの願望を正当化しているだけにも聞こえるでありんすが、異論はないでありんすよ。おんしと私、どちらがモモンガ様に相応しいか、ということも早めに決着をつけるべきでありんす」

 

 懲りない女たちの会話は続く。今のところはシャルティアが優位に立っている。

 だが――アルベドには切り札があった。

 

「悪いけど、シャルティア、その件はすでに解決済よ」

「はぁ? なんでよ!?」

 

 アルベドの黄金の瞳が、シャルティアの真紅の瞳の奥を覗き込む。

 

「だって、私はブルー・プラネット様直々にモモンガ様のお隣に立つよう命じられているもの」

「あ、あ、あ、アルベド、こともあろうに至高の御方のお言葉をでっち上げるのは不敬極まりないわよ!」

 

 アルベドが微笑みとともに放った切り札は、シャルティアの余裕を完全に消し飛ばした。

 

「あら、お言葉を『でっち上げ』と決めつけることこそ不敬ではなくて? ブルー・プラネット様は、ご帰還を祝う式典のあと、私の部屋を訪れて『モモンガ様の横に立って支えるべし』とおっしゃったのよ」

 

 シャルティアは目と口を大きく開け、泣きそうな顔で首を横にブンブンと振る。今聞いた言葉を振り払うように。しかし、シャルティアは知っている。アルベドが至高の御方の言葉を捏造するはずがないことを。

 

「そ、そんな……ブルー・プラネット様は私をペロロンチーノ様の最高傑作であると……」

「そうね、あなたはペロロンチーノ様の最高傑作。それは間違いないわ。でもね、シャルティア、それとモモンガ様に愛されるということは別なのよ。私はモモンガ様に『我を愛せよ』と命じられ、ブルー・プラネット様には『モモンガ様の横に立つべし』と命じられたの。それで、あなたは?」

 

 必死でシャルティアは記憶の底を浚い、ペロロンチーノが残した言葉をかき集める。

 だが、そこには『モモンガ様を愛せ』という命令は無かった。

 

「そ、そうだ、ペロロンチーノ様は、私を死体を愛するように御創りに――」

「そうね。でも、死体はモモンガ様だけではないわ。他には?」

「い、いまは思い出せないでありんすが……ペロロンチーノ様がお帰りになったら、きっと私をモモンガ様の后に推薦するでありんすっ!」

「そうかしら? ペロロンチーノ様はご自身を愛するよう、あなたを御創りになったのではなくて?」

「そ、それはそうなのでありんすが、それとはまた別にモモンガ様も愛するようにと――」

 

 自分で言っていて訳が分からなくなったその時、シャルティアの脳裏でカチリとパズルのピースが嵌った音がした。

 

「そうでありんす! ペロロンチーノ様は、愛する者をあえて他者に差し出す、そういったしちゅえーしょんも大好物でありんしたと、他の至高の御方々が話し合っておられたでありんす」

 

 アルベドは舌打ちをする。当面の弾が切れたのだ。シャルティアに致命傷を与えるには至らなかった。だが、現存する至高者2名の言葉と、シャルティアの予想では優位は明らかだ。

 

「いいわ、シャルティア。あなたがそう言う希望を持っているのなら、それを大切にしなさい」

 

 アルベドはシャルティアに慰めるような笑顔で声を投げかける。勝者の余裕というものだ。

 シャルティアは項垂れて口を噤んだ。

 

「じゃあ、この辺でお別れね。私は部屋に戻るわ。ああ、3日もモモンガ様に会えないなんて辛いわぁ」

 

 余裕の笑みを浮かべ、アルベドは再び自室に向かって足を進める。今のシャルティアの表情を反芻すれば、3日間は乗り切れるだろう思いながら。

 シャルティアは泣きそうな顔で、何とか挽回策は無いかと考えながらトボトボと階層間の転移門に向かった。今は<転移門>を開く気にもなれない。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 人口調整のアイディアを取りまとめたブルー・プラネットは小休止し、別の問題に取り掛かる。

 噂の元となった一般メイドについてのことだ。

 誰が噂をしたのかは分かる。シクススだ。アルシェに接触したのは彼女しかいない。

 だが、なぜ……? その疑問が解けないのだ。

 

 もう夜も遅いが、一般メイドも睡眠不要のアイテムを使っているとモモンガから聞いている。ならば呼び出しても問題はないだろう。

 

「シクススよ。今、手が空いているか? アルシェのことで話があるのだが」

『はいっ! アルシェ様のことでございますね! 今すぐ伺います』

 

 嬉しそうな声がする。至高者に仕事を命じられたシモベ達の反応はいつもこうだ。シクススは、これから自分が詰問されるとは夢にも思っていないのだろう。

 

 やがて、ドアがノックされ、シクススが誇らしげに入ってくる。

 

「ブルー・プラネット様、アルシェ様のことでお呼びだと――」

「ああ、ちょっと話がある。そこに座れ」

「はっ、はい」

 

 さすがに空気がおかしいことに気が付いたのだろう。シクススはやや表情を硬くしてテーブルに着く。そして視線を動かし、自分の味方であるはずのアルシェを探し、それが居ないことに首を傾げる。

 

「お前は、アルシェが私の子を産んだ、そう噂を流した……そうだな?」

「え? い、いえ、私はアルシェ様がご懐妊なされたと皆に……それは今後のアルシェ様のお世話に必要なことでありましたから……」

 

 ブルー・プラネットから発せられた硬い声に、シクススは飛び上がらんばかりに驚き、背筋をピンと伸ばして弁解をする。

 

「……はぁ……なるほど、その『懐妊』が『臨月』になり『出産』になったというわけだな」

 

 ブルー・プラネットはガックリと肩を落とす。肉体的な疲れは感じずとも、人間としての心が疲労を感じるのだ。そこにシクススからの追い打ちが掛かる。

 

「質問をお許しください……もしかして、アルシェ様のご懐妊は秘密でございましたか?」

「はぁ……いや、いい。それより、お前は何故アルシェが懐妊したと思ったのか、それを教えてくれ」

 

 もはや否定する気にもなれない。それよりもまず、先ほど考えた計画――この世界の人間の生殖に関する情報を集めるべきだ。

 

「はい、私が気付きましたのは、アルシェ様のお腹の膨らみでございました。そして、上気したお顔、満足そうな笑み……そういった情報を集めてご懐妊なされたことに思い至ったわけでございます」

「なるほど……お前たちはそれが妊娠の徴だと考えたわけだな」

 

 肯くシクススを見てブルー・プラネットは考える。ナザリックのNPC達はユグドラシルで創られたのだ。この世界で自意識をもったとしても、その知識はユグドラシルの名残――空想の世界のものかもしれない。

 

「お前たちは、この世界で実際に妊娠した者を……いや、まず、人間の女を見たことはあるのか?」

「はいっ! セバス様に連れてこられたツアレという人間の女が私の同僚として働いております」

「え? なに、人間の女がいるの?」

 

 思わずブルー・プラネットは素の声を出す。

 

「はい、もう数か月になりますか……セバス様が人間の町で拾い、それをモモンガ様がアインズ・ウール・ゴウンの名において保護をお約束された女でございます。そして、噂ではデミウルゴス様が、その女が子を生せるかご興味をお持ちだと……」

「なんだ、そうか、そういう女がいるのか。さすがはモモンガさんとデミウルゴスだな……その女にちょっと話を聞きたいが、連れてくることはできるか?」

「は、はい、ご用命とあらば……しかし……」

 

 シクススの目が泳ぐ。

 

「ん? どうした? 何か手が離せない用事でもあるのなら無理にとは言わんが」

「それが、その……このお時間ですと、セバス様とお二人でいらっしゃるかと……」

 

 ああ、とブルー・プラネットは同意の声を上げる。

 なるほど、そういう関係ですか。そういう関係の男女が同僚にいるのなら、メイドたちの「懐妊」の誤解も仕方がないかもしれませんね――そんな思考が渦を巻く。

 

「分かった。そういうことなら今は良い。では、明日の朝食にでもアルシェの食事を持ってこさせ、その際に話を聞くことは出来るか?」

「はい、それでしたら、すでにそのように手配しております」

「ほう、随分と手際が良いな?」

「はい、やはり人間は人間同士の方が分かり合えるのではないかと愚考いたしました」

「素晴らしい。素晴らしいぞ。シクスス! よくそこまで気が回るものだ」

「とんでもございません。メイドとしてアルシェ様のことを考え、最善と思えることをしただけでございます」

 

 至高者に褒められ、シクススは顔をグニャグニャに蕩かす。そして、やはりアルシェに優しくしておいて良かったと、自分の配慮を内心褒める。

 

「うん、よし。ならば下がってよい。シクススよ。これからもその調子で頼むぞ」

「はいっ! これからも誠心誠意、ブルー・プラネット様にお仕え致しますから、どうぞいつでもお呼び出し下さいませ」

 

 シクススは退室する。そして、よしっ、と拳を固めて「デキる自分へのご褒美」のために従業食堂に向かった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ようやく落ち着いた居室で、ブルー・プラネットは溜息をつく。

 

 疲れるわぁ……と愚痴をこぼしそうになったそのとき、再びドアが激しくノックされる。

 またかよ、誰だ――とドアを開けると、コキュートスが剣を下げて立っていた。

 

「ブルー・プラネット様! アルベドトシャルティアガ御子ノ事デ騒イデイルト、我ガ眷属ノ雪女郎達ガ噂シテオリマスガ――」

「もういいから!」

 

 ドアが締められ、コキュートスは廊下に立ち尽くす。

 駆けつけるのが遅すぎたのか――そう反省しながら。

 

 やがて再びドアが開き、ブルー・プラネットが顔を覗かせる。

 

「すまん、苛立っていた。いや、もう、この件は解決した。コキュートスよ、お前の忠義を嬉しく思う。下がってよい」

「有リ難キオ言葉! ソレデハ失礼イタシマス。マタ何カ、アノ者達ガゴ無礼ヲ働キマシタラ、スグニ私ヲオ呼ビクダサイ」

「ああ、ありがとう。頼りにしているぞ」

 

 恭しく腰をかがめ、コキュートスはドアが閉じられるのを待つ。そして、至高の御方に頼りにされているという喜びに拳を固めた4本の腕を振り上げながら自分の領域に戻っていった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 翌朝、シクススに連れられて人間の女が料理を運んでくる。ツアレと名乗ったその女には、なぜかセバスも付き添っている。

 

「おや、セバス、お前までどうした?」

「はっ、ブルー・プラネット様。ツアレはまだ至高の御方のお世話をしたことはございませんので、私が監督として付いてまいりました」

「ふん、そうか……」

 

 セバスの言葉に嘘はないだろう。だが、それだけではない。後ろに立っている心細げな女の身を案じての行動でもあるだろう。むしろその方が強いかもしれない。

――そう考え、ブルー・プラネットは料理をワゴンから降ろすツアレを見る。

 

 なるほど、美人と言うよりは可愛らしいといったところか。モモンガさんが言うには、セバスはたっち・みーさんの雰囲気を強く残しているという。確かに彼が守ってやりたくなるタイプかもしれない。

――それがブルー・プラネットがツアレに下した評価だった。

 

「それにしても、随分と量が多くはないか?」

「はい、アルシェ様のお体を考えまして」

 

 シクススが「私、気が回るでしょ」というオーラを振りまきながら答える。そして、チラリとアルシェの腹を見て、それが平らであることに首を傾げ、赤子の姿を探す。

 

「ああ……しかし、それにしても多すぎると思うが……満漢全席とかいうやつか?」

「大丈夫です……可能な限り食べますので、どうかそれでお許しを……」

 

 ブルー・プラネットは席に着いたアルシェを見る。山と積まれた極上の料理を前にして青ざめて震える彼女を。

 

「ああ、無理に食べることはないが……」

 

 ブルー・プラネットはアルシェを理解しかねる。

 頭を撫でれば震えだし、料理を前にすれば震えだし……この娘は何が怖くていつも震えているのだと。

 

「ブルー・プラネット様、そちらのお嬢様がアルシェ様でございますか?」

「そうだ、ああ、セバスはアルシェに会うのは初めてだったな。紹介しよう」

「アルシェ・イーブ・リイル・フルトでございます。セバス様、ご機嫌麗しゅう存じます」

 

 ブルー・プラネットが促し、アルシェはこの墳墓に来て初めて出会う、まともそうな人間の紳士に席を立って挨拶を交わす。

 

「セバス・チャンでございます。しかし、私は至高の御方々にお仕えする一介の執事に過ぎませんから、ただの『セバス』で十分でございます」

「あなたは……その、あなたも皆さんと同じで、人間ではないのでしょうか?」

「はい、私は至高の御方に創造された一人でございます。種族でございましたら『竜人』でございます」

 

 老紳士に優しくではあるが誇らしげに「人間ではない」と告げられ、アルシェは黙って礼を返す。

 

「アルシェ様、お料理が冷めますのでどうぞ……」

 

 ツアレは料理皿の覆いを外し、湯気とともに立ち昇る香りがアルシェの食欲を刺激する。

 

「ツアレさん、あなたも『竜人』なのですか?」

 

 シャルティアの玄室でシクススに「人間か」と聞いたとき、彼女は露骨に顔を歪め、冷たい声で「私はホムンクルスです。人間などと一緒にしないでいただきたいですわ」と言い放った。では、この柔らかい雰囲気のメイドはどうだろうか?

 

「いえ、私はアルシェ様と同じ人間です。セバス様のお導きでナザリックで暮らしております」

 

 ツアレは笑顔で答え、アルシェの顔がパッと明るくなる。人間でありながらこの地獄で生きながらえ、普通に行動する者がいることに希望を見出して。

 その様子を見て、ブルー・プラネットも木の洞の口を歪めて笑みを浮かべる。やはり人間同士は安心するのだろうと考えて。

 ブルー・プラネットはシクススに向かって小枝を立て、シクススが深々とお辞儀をする。

 

「うむ、それではセバスよ、アルシェのことでツアレを少々借りたいのだが、良いか?」

「はっ! ご命令とあらば喜んで。ツアレ、よろしいですね?」

「はい、セバス様」

 

 セバスとツアレは見つめあい、2人にしか分からない方法で語らいあって頷く。

 

「それでは、ブルー・プラネット様、アルシェ様、私はこれにて失礼いたします」

「うむ、心配することはない。下がってくれ。それから、シクスス、お前ももういい。また片付けの時に手伝いに来てくれ」

 

 これからツアレに訊くことは、本人もあまり語りたがらないであろうことだ。セバスとそういう関係であるのならばなおさら――ブルー・プラネットは付き添いのセバスの方から退出を言い出してくれて内心ホッとする。

 

(さて、場所はどうするか……)

 

 アルシェにもこの話は聞かせたくない――ブルー・プラネットは奥の資料室を選ぶ。

 

「アルシェ、ここで食事をしていろ。私はこのツアレに幾つか聞きたいことがある」

「はい、分かりました。私はここで食事をしております」

 

 鸚鵡返しにアルシェが答え、ブルー・プラネットはツアレを促して奥の部屋に向かう。

 

「……さて、失礼なことを聞くが許してほしい。ツアレよ、お前は身ごもったことはあるか?」

 

 奥の小部屋に通され、その壁を覆う難解な図表――ポーションの配合表やアイテムの製造法などであることは絵で想像がつくが――に圧倒されていたツアレは、ブルー・プラネットの質問を聞くと顔を歪め、突如、嘔吐した。

 

「オェ……ゲホッ、ゲホッ……も、申し訳ございません。お許しください、どうか……」

 

 床に膝をつき、蒼い顔をしてツアレは必死に謝罪し、その手で床に広がった吐瀉物をかき集める。

 至高の御方の神聖なる部屋を汚すことは決してあってはならない大失態だ。それは自分に付き添ってきたセバスすら巻き込んでしまう。

 

『ブルー・プラネット様は何より美しい環境を愛するお方。決してそのお部屋を乱すことがあってはなりません』

――セバスの注意がツアレの頭の中で繰り返し響き渡る。

 

「す、すまん、そんなにも嫌な質問だったか?」

 

 ブルー・プラネットは精神安定剤を合成してツアレに注入する。そして、洗浄液を噴射し、ツアレと床の吐瀉物を覆う。魔法の力を帯びた洗浄液は吐瀉物と溶け合い、泡となり、キラキラと小さな粒となって空中に溶け入り、消えた。

 

「は……はい……実は、セバス様にも申しておりませんが、以前何度か身ごもり、堕ろした経験がございます」

 

 俯いて、ツアレは苦しそうに喘ぐ。

 セバスに救われる以前に貴族の慰み者とされていた時、そして娼館で働かされていたときの記憶が蘇ってしまったのだ。自分の体を欲望の対象としてしか見ない男に蹂躙された。金を稼ぐ道具としてしか見ない男たちに暴力的に綿を詰められ、日常的に薬を飲まされて吐き気をこらえながら客を取った。それでも孕むと仕事の邪魔になると言って殴られ、怪しげな薬で堕胎させられ、その苦痛が癒えないうちに再び客を取らされた。

 その繰り返しの地獄の日々を思い出してしまったのだ。

 

「そうか……」

 

 ブルー・プラネットはそれ以上の質問を躊躇う。ツアレの目を見れば、その経験が望んだものでなかったことは容易に想像がつく。

 

「すまない。せめてもの償いだ。これで気分を良くしてくれ。セバスには黙っておいてくれ」

 

 爽快薬――決して有害なものでは無く、ユグドラシルでもゲームの進行に役立つと人気であったもの。それを合成し、ツアレの首筋に注入する。

 

「あっ……償いなど……ふぅっ……ありがとうございます、ブルー・プラネット様」

「気分は良くなったか?」

「はい、とても爽やかな気持ちでございます」

 

 明るい笑顔になったツアレを見て、ブルー・プラネットは頷く。そして、応接間に戻ろうとツアレを促す。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「なんだ、全然食べていないではないか」

 

 応接間に戻ったブルー・プラネットは、食事に手を付けていないアルシェを見咎める。

 どうにかして料理を隠そうと考え込んでいたアルシェは飛び上がって謝罪する。

 

「も、申し訳ございません。あまりにも多くの料理で、その、見ているだけで……そうだ、ツアレさん、よろしかったら手伝っていただけませんか?」

 

 同じ人間同士――縋るような目でツアレに訴えかける。

 

 そう言われたツアレは、戸惑い、ブルー・プラネットを見上げる。

 確かに胃は空っぽだ。しかし、この料理は至高の御方の寵姫と、その御子に捧げられるものですと、セバスに言われている。寵姫であるアルシェに勧められたからと言って手をつけてよいものだろうかと。

 

「ああ、良いんじゃないか? そうだな、ちょっと多すぎるな」

 

 気軽に答え、ブルー・プラネットはアルシェの隣に椅子を用意し、ツアレに座るよう言う。

 

「それでは失礼いたします。アルシェ様も、どうぞ……」

 

 促されてアルシェが料理をつつき始める横で、ツアレは早速一口目を口に運ぶ。

 

「もご……んっ……この料理、素晴らしいですわ」

 

 ツアレは感嘆の声を上げる。いつもの従業員食堂で出されるメイド向けの食事も、外の世界で出されていたもの――娼館で与えられていた餌――に比べれば夢のような食事であった。しかし、この料理はまさに天界の神々が口にするべきものだ。噛みしめるごとに食材が舌の上でプリプリと踊り、滲み出るエキスが唾液を溢れさせる。飲み込むと、喉をツルリと滑り落ち、体全体、特に下腹部が癒されるようにジワリと暖まる。なんだか胸も熱く、張ってくる気がする。幸福感に涙が自然にあふれて来る。

 

 ツアレは目を細め、頬を押さえてウットリとした顔で一口、また一口と料理を口に運ぶ。

 こんなものを食べていたら、もう外の世界の食物など口に出来ないだろうと考えながら。

 

「はは、そうだろう。どんどん食べてくれ。アルシェも急がないと無くなってしまうぞ」

 

 機嫌よくブルー・プラネットが笑う。

 

「は、はい」

 

 アルシェも食事のピッチを上げる。ツアレの様子を見れば、どうやら自分の食べる量は一人前として妥当な範囲に収まりそうだと計算して。

 横目でツアレの表情を見る。この地獄で上手く生き抜いているこの人間は、一体どうやっているのか――その秘訣を学ぶために。

 

 その視線に気が付き、ツアレはアルシェを見て微笑んだ。

 

「本当に、このナザリックは天国ですわ……そう思いません? アルシェ様」

 




人口調整のもっといい方法:
「なんだ、ヘッケランの**を潰しちゃえばいいじゃんか」

ブルー・プラネットに残る男の精神の残滓……それがその方法を無意識に追いやった。

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