自然愛好家は巡る   作:コロガス・フンコロガシ

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ちょいエロ・グロ注意です。


第31話 2人の少女 (微エログロ注意)

 翌朝、ブルー・プラネットは、アルシェを自室に引き取るため、彼女を預けておいたシャルティアの元に向かう。

 階層守護者シャルティア・ブラッドフォールンの住居はナザリック第二階層死蝋玄室にある。第二階層の大部分が死と腐敗の臭いに満ち無数の動死体が蠢く醜悪な場所であるのに対し、死蝋玄室は甘い香りが漂う美しい場所とも言えた。薄暗い照明の中、何重にも吊られたピンクのベールが揺らめき、その影が人影のように蠢く。そして、どこからともなく女達の嬌声が響いてくる。当然、生きた人間の女達ではない。この周辺には守護者たる女吸血鬼とそのシモベたちしかいない。

 

 死蝋玄室の前に転移したブルー・プラネットは、扉をノックする。

 

「はい、どなた?」

 

 美しい装飾の施された扉がゆっくりと開き、シャルティアの眷属、バンパイア・ブライドの一人が顔をのぞかせる。白蝋の肌に真紅の瞳をもつ、美しい女の姿をした化け物だ。

 

 その彼女の目に映ったのは、蔦が絡み合った樹の幹だった。

 

「……なにかしら、これ?」

 

 強力なオーラを帯びた樹の幹を撫で、バンパイア・ブライドは視線を上に移す。

 そこには、炎を宿す木の洞で構築された顔があった。

 

「あー、シャルティアに会いたいんだが……」

「ぶぶぶぶるるぷらねっとさまぁ?」

 

 彼女の視線は3メートル近い高みから見下ろす視線とぶつかる。

 そして樹の化け物から発せられる声に応えることも忘れ、バンパイア・ブライドは素っ頓狂な叫びを上げる。

 

 大失態である。

 至高の存在に許可なく触れ、その問いかけに応えず取り乱すとは、その存在を即座に消されて当然の大失態だ。

 玄室に響いた至高の名前を聞き女たちの嬌声が消え、周囲は静寂に包まれる。

 

「……シャルティアは、いるか?」

「は、はひぃ! ひひゃしほまちを……」

 

 噛みまくりつつようやく答えたバンパイア・ブライドはドアを閉じることも忘れ、奥へ駆け込む。この階層の主人に至高者の来訪を告げるために。

 残されたブルー・プラネットは扉を自分で締め、溜息をつく。アルベドの部屋を訪ねたときも、アルベドが訪ねてきたときもそうだったが、至高者がシモベと会うごとに繰り返されるドタバタ劇は何かのお約束なのかと。

 

 ここの淫靡な雰囲気は友人であるペロロンチーノが作り上げたものだ。それはそれで良い。だが、NPCのドタバタはいかがなものか、もうちょっと、締めるべきところは締めるべきではないか――今更言っても仕方がないことだが、ついそう考えてしまう。

 

 やがて、扉越しにシャルティアの足音が聞こえる。華奢な少女の外見通り軽い足音だ。しかし、焦っているのだろうか、軽いながらも床を力強く踏みしめ、大股で急いで移動しているようだ。

 遅れて付き従う2人のバンパイア・ブライドの足音も聞こえる。

 

『お前、馬鹿か!? ブルー・プラネット様を外でお待たせしてるだと!』

『も、申し訳ございません! 何分にも突然のご訪問でございましたから!』

『で、何の御用でこられたんだよ……ちっ、聞いてねえのか、この糞役立たず! てめぇ脳みそ入ってんのか? 頭カチ割るぞ』

『あっ、い、痛っ……な、なにとぞ、お、お許しを!』

 

 シャルティアが怒鳴り散らす声とシモベの怯える声も聞こえてくる。

 

『……ふぅっ、お前達、ブルー・プラネット様の御前でみっともないマネすんなよ!』

 

 深呼吸し、声を潜めて注意するシャルティアの声だ。ブルー・プラネットの聴力では筒抜けだが、本人は気が付いていないらしい。

 そして扉が開く。

 

「お待たせしました、ブルー・プラネット様。わざわざ私めの部屋までお越しくださるとは光栄の極みです」

 

 あらわれた銀髪の美少女はボールガウンドレスの裾を摘み上げ、優雅に礼をする。先ほどの怒声は何かの間違いであると思いたくなるほど可憐な笑みで。

 しかし微笑みの裏には緊張が見て取れる。至高者の突然の来訪に変な言葉遣いをする余裕もないようだ。

 

「あー、うん。お前に預けていた人間の女がいただろう? あれを引き取りたいと思ってな」

 

 ブルー・プラネットが来訪の目的を告げると、シャルティアの顔がパッと明るくなる。

 

「アルシェのことでありんすね! はい、良い感じに仕上がっているでありんす。ささ、どうぞ中でお待ちくんなまし。ただいま呼んでくるでありんす」

 

 そして、シャルティアはシモベの一人にアルシェを連れてくるよう命じ、もう一人に向かって呆れたような顔で命じる。

 

「はいはい、おんしは突っ立ってないで早くお茶を準備するでありんす!」

 

 そのバンパイア・ブライド――扉で応対した者――がビクッと反応し、バタバタとお茶を取りに行く。ブルー・プラネットはそれを目で追いながら、シャルティアと応接間に向かう。

 

「申し訳ありぁせん、ブルー・プラネット様。どうもあの娘、最近、弛んでいるようで……」

「うん……まあ、いいよ。ドジも愛嬌ってやつだ。あまり叱るな」

 

 ペコリと頭を下げるシャルティアの言葉にブルー・プラネットはとりなす。

 

「なんと慈悲深きお言葉でありんしょう! たかがシモベにまで過分なお気遣いを賜りくりゃるとは……」

「いや、まあ、な」

 

 ブルー・プラネットは居心地悪そうに身体を捩る。別にシモベに気を遣ったわけではなく、女性の怒鳴り声は苦手なので止めさせたいだけなのだが。

 

 2人は応接間に入り、先ほどのバンパイア・ブライドがカチャカチャと音を立てて盆にのせた茶器を運んでくる。そして、ブルー・プラネットとシャルティアの前に並べ、茶の支度をはじめる。

 赤い透明な液体……ティーカップに注がれたそれを見て、ブルー・プラネットは考え込む。

 

「どうなされたでありんしょう? 紅茶はお気にめ……はっ!」

 

 シャルティアは問題に気が付き、シモベに向かって真紅に染まった瞳を向け、低い声で唸る。

 

「お前……どこまで私に恥をかかせる気でありんすかえ? よりによってブルー・プラネット様に“紅茶”をお出しするとは」

 

 お茶――紅茶とは、木の葉を摘んで発酵させ、乾燥したものを湯で煮だした液体である。そんなものを植物系モンスターであるブルー・プラネット様にお出しするとは――

 

 またしても大失態である。

 

 それに気づいたシモベはガタガタと震えだし、やっとのことで声を絞り出す。

 

「し、失礼いたしました、それでは代わりのお飲み物を……えと、オレンジジュース……いえ、トマトジュー……失礼しました。あの、その……」

「馬鹿が! ブルー・プラネット様にお出しするのは新鮮な生き血に決まってるだろうが!」

 

 しどろもどろになるシモベに対し、ついに怒りを爆発させたシャルティアが怒鳴る。そして、その華奢な指から鋭い爪を伸ばし、哀れなシモベの首を切り飛ばそうと振りかぶった。

 

 「……いいって、シャルティア。私はこの紅茶をいただこう。そして、そのシモベが犯した私に対する罪を全て許せ。これは命令である」

 

 振り上げられたシャルティアの腕を、後ろからブルー・プラネットの蔦が絡めとる。

 

「はっ! ブルー・プラネット様がそう仰るのでありんしたら」

 

 シャルティアは止められた腕を下ろし、ブルー・プラネットに向き直ると深々とお辞儀をする。そして、頭を下げたまま自由な手を振ってシッシッと追い払うようにシモベを退席させる。

 

「私は別に紅茶に対して怒っているわけではない。ただ、それが何かなと思っただけだ」

 

 ブルー・プラネットはシャルティアに告げ、ティーカップを持ち上げる。

 

「ああ、良い香りじゃないか」

 

 紅茶を飲む。すでに飲食不要のアイテムを身に着けており、根からではなく口から「飲む」という行為も久しぶりだったが、ブルー・プラネットは紅茶の香りと味を楽しむことはできた。

 

 実際のところ、ブルー・プラネットは植物が食物や飲料に使われることにさして感慨があるわけではない。目の前で無駄に樹が切り倒されるのを見れば怒りも湧くが、食料として麦が収穫されることもオレンジを切り刻むのも「命を繋ぐとはそういうものだ」と割り切れる。そもそも、ナザリックにおいて「お茶」や「ジュース」の類は蛇口をひねれば流れ出てくるもので、蒸されたり磨り潰されたりする元の植物が存在するわけでもない。

 

(つか、吸血鬼の部屋で出てくる飲み物だから身構えちゃったんだよなあ)

 

 用意された赤い飲料、それがただの紅茶だと知って安心したところで何故か「生き血」に交換されるところだった。それを搾り取られる「原料」は無いとはいえ、人間の精神の残滓を抱えるブルー・プラネットにとっては気分のいいものではない。

 ブルー・プラネットは溜息をつく。そして「失敗を繰り返す部下を寛大に許す上司」を演じきれたかを振り返る。モモンガが常日頃気にかけていると零した「良き上司」に自分もなろうと努力しているのだ。

 

「あのっ! ブルー・プラネット様、どうぞお掛けになってお待ちくんなまし」

 

 ティーカップを持ったまま立っているブルー・プラネットに、シャルティアが華奢な椅子を指し示す。だが、それはペロロンチーノが愛してやまなかった小柄な少女に合わせて作られたもので、トリエントには小さすぎた。おそらくは自動的にサイズ調整されるのだろうが、それでもトリエントの体は身長のわりに脚が短く、人間型に作られた椅子には若干の違和感がある。

 

「いや、遠慮しておこう。私は立ったままで大丈夫だ。魔法の椅子だから大丈夫かも知れないが、ペロロンチーノさんご自慢の、この玄室の備品を壊したりしたら申し訳ないからな」

 

 その言葉を聞き、シャルティアの顔に輝くような笑みが浮かぶ。それはこの薄暗い玄室に突然大輪の薔薇が花開いたようだった。

 

「あ、あの、ペロロンチーノ様のことをもっとお聞かせいただけるでありんしょうか!?」

 

 シャルティアが上ずった声を出してテーブルに手をつき、ブルー・プラネットを見上げるように身を乗り出す。

 

「ん、ペロロンチーノさんはこの部屋を自分の理想の――あれだ、愛する者との憩いの場にしようと凝りまくっていたからな」

 

 ブルー・プラネットの口から“ハーレム”という言葉が出かかったが、それは寸前で飲み込まれた。自分の創造主を崇拝し、その逸話を聞きたがっている可憐な少女にそのような直接的な表現を使うことは躊躇われたのだ。

 

「あ、あ、愛する者との……でございんすか!」

 

 裏返った声でシャルティアが叫ぶ。

 

「そう、そうだよ。シャルティア。お前はペロロンチーノさんが作り上げた自慢のシモベだ。私は何度も彼の話に付き合って、自慢話を聞かされたものだ。自分の趣味のありったけを注ぎ込んだ最高傑作だと……」

 

 ブルー・プラネットの記憶にペロロンチーノとの激論が浮かぶ。正直言って、ペロロンチーノとは女性の好みが違ったのだが……

 

 そう思いながらシャルティアを見る。

 胸は盛りに盛っている。多分、素ではまっ平らだ。背は低い。幼すぎる。脚は……ヒラヒラのドレスで隠されているが肉付きは悪いだろう。

 

(それは違うでしょ、ペロロンチーノさん! もっとこう、成熟した女性の魅力ってのは……)

 

 だが、シャルティアの蕩けそうな笑顔を前にして心の声も沈黙する。

 

「そうでありんすか……そうでありんす……私はペロロンチーノ様の最高傑作でありんす……」

 

 目を潤ませ、陶酔した顔で何度もシャルティアは繰り返す。そして、ブルー・プラネットに向かい、微笑みながらおずおずと質問を発する。

 

「ブルー・プラネット様……わが創造主ペロロンチーノ様はいつお戻りになられるのでありんしょう?」

 

 シャルティアの背後でガタリと音がする。見ると、先ほど追い払われたバンパイア・ブライドが部屋の入り口から顔を覗かせており、思わず身を乗り出した拍子に何かを踏みつけてしまったのだ。

 ブルー・プラネットと目が合ったそのシモベは、慌てて壁の向こうに隠れる。

 

 至高の御方々の帰還――それはナザリックの者が常に願い、思い焦がれてやまないことだ。

 中には「見捨てられた」と嘆く者もいた。嘆かない者も「何が悪かったのだろうか」と至高者に見捨てられた原因を常に考えながら日々の与えられた仕事をこなしていた。

 

 それが、ブルー・プラネットの帰還によって変わった。

 

『いつか、自分たちの創造主も戻ってくる』

 

 そんな希望を抱くことができるようになったのだ。

 だが、表立ってそう口に出す者は少ない。つい先日まで自分たちを支配していた重い空気は容易に取り払われるものではない。

 

 否定されるのが怖い。

 

 ようやく芽生えた希望を誰かに話し、それが否定されたら……そう考えて、多くが口には出さずに抱えていた思いを、シャルティアは口にした。

 

「……正直、分からない――」

 

 ブルー・プラネットの返答に、シャルティアの微笑みは凍り付く。

 

「――だが、そうだな。いつかきっと戻ってくるよ……自分の魂を注いだ最高傑作を置いて去っていくわけがない。そうだ。皆、必ず戻ってくる。いつか、絶対に!」

 

 自分に言い聞かせるようなブルー・プラネットの言葉に、シャルティアは目を閉じて聞き入る。

 

「はい……わた……妾はペロロンチーノ様のご帰還をいつまでも待っているでありんす」

 

 閉じられた目から涙が零れ、シャルティアの頬を伝う。それをブルー・プラネットは蔦で――なるべく柔らかな新緑の葉で拭う。

 

「ああ、信じて待とう」

 

 目を閉じたまま幸せそうに微笑む乙女の頭を、ブルー・プラネットは優しく撫でた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「アルシェ・イーブ・リイル・フルトをお連れいたしました」

 

 奥の部屋につながる扉の方からバンパイア・ブライドの声がする。

 

 シャルティアとブルー・プラネットは振り返り、連れてこられた人間の少女を見る。

 アルシェは2人のバンパイア・ブライドに挟まれるように立っていた。バンパイア・ブライドと同じく薄絹で出来たドレスを身に纏い、その下に透けて見える痩せた小柄な体には幾つかのアイテムを除き何も着けていない。

 

 そして、血の気の失せたその顔には、何の表情も浮かんでいない。未来を、仲間たちを、人間の尊厳を――全てを奪われ、抜け殻となった少女が虚ろな微笑みを貼りつけているだけだ。

 

「ほれ、こちらにきなしゃんせ」

 

 シャルティアの声に反応し、アルシェが静かに歩み寄る。

 

「ほれ、ご挨拶を」

 

 誇らしげに胸を張ったシャルティアがアルシェを促し、アルシェは跪いてブルー・プラネットの足元に進み出る。そして、その根に口づけすると、そのまま媚びた微笑みでブルー・プラネットを見上げ、教えられた口上を述べる。

 

「ブルー・プラネット様、アルシェ・イーブ・リイル・フルトでございます。至高なる聖地を犯した愚かな私めを寛大にもお許しになり、シャルティア様の元で身も心も改めるご機会をいただいたことに深く感謝いたします――」

 

 そして、立ち上がり、身にまとう絹布をはらりと落とす。

 微笑む少女の痩せた青白い体が露わになる。

 

「――シャルティア様の御手で清められたこの身体をどうぞご照覧くださいませ。そして、この身をどうぞ御心のままに血の一滴までお使い潰し下さいませ」

 

 アルシェは瞬きすらしない虚ろな瞳のまま媚びた口上を終える。そして、血の気の失せた全身を晒して立ち尽くし、ブルー・プラネットの行動を待つ。

 

「……シャルティア?」

 

 硬直していたブルー・プラネットはシャルティアの方を向き、やっとのことで言葉を出す。

 

「はい、ブルー・プラネット様! いかがでありんしょう?」

「これは、お前が教育したのだったな? バンパイア化は、してないよな?」

「はい、もちろんでありんす。最初は泣き喚きましたが、人間のまま、生娘のまま、ようやくここまで教育したでありんす」

 

 シャルティアは「褒めて褒めて」とばかりに笑みを浮かべて胸を張る。

 

「そうか……お前にはペロロンチーノの趣味がありったけぶち込まれていたんだったな……」

「はいぃ! ペロロンチーノ様にお教えいただいた全てを使って、ブルー・プラネット様からお預かりいたしんしたこの娘を御身のお役に立てるよう、精一杯仕上げたでありんす!」

 

 シャルティアはキラキラとした目でブルー・プラネットを見上げ、どうでしょう? と言わんばかりに首を傾げて微笑み、ブルー・プラネットの方にわずかに頭を寄せる。

 

「そうか……よくやった。大変だったろうな……では、私はこの娘を引き取らせてもらう」

 

 頭を撫でられて、シャルティアはえへへと嬉しそうに笑い、その美しい顔をグニャグニャに蕩かした。

 

「はい、それでは……アルシェ! ブルー・プラネット様にしっかりお仕えするでありんすよ」

 

 シャルティアは上機嫌でアルシェに手を振る。アルシェは静かにハイと答え、微笑んで頭を下げる。

 ブルー・プラネットはアルシェを小脇に抱える。アルシェは目を閉じて黙って抱きかかえられる。

 2人は沈黙のまま、ブルー・プラネットの居室前に転移した。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルー・プラネットは自室前の廊下でアルシェを抱え、キョロキョロと辺りを見回す。幸いなことに、誰もいないようだ。

 

(裸の少女を抱えて部屋に連れ込む所を誰かに見られたらたまらん)

 

 人間の精神の残滓がそう訴える。

 急いで鍵を開け、自室に滑り込む。自室にも誰もいない。ただ、ゴーレムが静かに掃除をしているだけだ。

 

「よし……」

 

 ブルー・プラネットは秘密のアイテムボックスを押し入れから取り出し、ガチャガチャと何段階ものロックを外し、封印されていた箱を開ける。

 

(別にやましい気持ちがあるわけじゃない。単なるコレクター魂。他人にあげられるようなモノでもないしさ)

 

 そう言い訳しながら取り出したものは、短い淡いピンク色の服。昔「ナース服」と呼ばれていたものをゲーム用に変形させたものだ。そして、細かい紋様が編まれた黒いレースの女性用下着セット。ともに、サキュバス系と呼ばれる女性型モンスターから得られるドロップアイテムである。

 

「相応しい服は後で手配する。それまではとりあえずこれを着ておけ。それから、絶対この部屋から出るな」

 

 白衣と下着を手渡されたアルシェは、言われたままに微笑みながらそれを身に着ける。やや大きめに見えた白衣は、アルシェの痩せた体にピッタリと合った。

 

「いやあ、ヘッケランとイミーナに見られなくて助かったわ……」

 

 ブルー・プラネットの言葉に、立ち尽くしていたアルシェはピクリと身を一瞬だけ硬直させる。

 

「なんか、申し訳なかったな。いやぁ、シャルティアがああいうキャラだとは知らなくてなぁ……いや、知ってはいたんだが、実際に動くのは……」

 

 ブルー・プラネットは、アルシェに向かって頭を下げる。アルシェは至高者の謝罪に困惑するように一歩退いた。

 

「……とんでもございません。シャルティア様のご教育により私めは生まれ変わることができたのですから」

 

 困惑しながらも微笑んで、叩きこまれた口上を繰り返す。

 

「いやいや……そんなに緊張しなくてもいい。ヘッケランたちにも言ったことだが、お前たちを殺そうとは思わない。特にお前には借りがあるからな。出来る限り優遇しようと思ってたのだが……」

 

 アルシェの視線が揺らぐ。青ざめていた頬に赤みがさす。そして、脚が震えだす。

 

 あれから何日たったのだろう――墳墓の地下に囚われ、アルシェからは時間の感覚が失われている。

 あの日からアルシェはことあるごとに主人たるシャルティアの「教育」を受けてきた。服の着用は許されず、裸で四つ這いでいることを強いられた。食事は手を使うことを許されず、床に置かれた皿から直接口で食べた。そして、排せつも部屋の隅に置かれた砂箱で許可を得たうえで済ますよう命じられた。

 

『ナザリックでは、人間は1人……いや2人の例外を除いてそうあるべきでありんす』

 

 主人となった恐るべき力をもつ魔物は笑いながらそう断言した。そして、主人はアルシェの肉体を弄びつつ、服従のみが人間の道、屈従こそが悦びであると教え込んだ。

 

『人間という動物は生まれながらにして玩具でありんす。吸ってよし、甚振ってよし、殺してよし……まっこと面白いもんでありんすえ。特に、おんしのような可愛い娘は愛玩されるために生まれてきたんでありんすよ。その証拠に、ほら、おんしもこうして気持ち良いでありんしょう?』

 

 吸血鬼の魔眼によって体の自由を奪われ、アルシェは抵抗できないままに愛撫を受け入れた。肌に食い込む鋭い爪から流し込まれる毒液がアルシェの肉体を痺れさせ、蕩かした。絶望とともに与えられる快感がアルシェの肉体だけではなく魂まで侵食していった。

 

 時にはアルシェはバンパイア・ブライドたちと共にシャルティアの慰み者となった。

 彼女達、この墳墓に住まう化け物たちはアインズをはじめとする「至高の御方々」によって創られた存在だという。シャルティアはそれを誇らしげに語り、人間にすぎないアルシェとの違いを強調した。

 

『私をお創りになられたペロロンチーノ様は『つるぺた女子こそ愛でるべき、男は死ね』と仰っていたでありんす。まっこと真理でありんす……おんしのその身体……おんしをお求めになったブルー・プラネット様も、きっとおんしを愛でてくださるでありんしょう。人間には過ぎたご寵愛でありんす。おんしも、せめてこの娘らのように身を張ってお仕えすることが出来ればよいでありんすが――』

 

 そういってシャルティアはアルシェを愛撫しながらもう一方の手で近くのバンパイア・ブライドを引き寄せた。そして、その胸に爪を立て乱暴に揉みしだいた後、無造作にその肉を引きちぎり、体内に手を埋めて一気に腹まで引き裂いた。バンパイア・ブライドは顔を上気させて苦痛と快楽の入り混じった呻きを上げ、自分の内臓を掻き回す主人の腕に唇を這わし、飛び散った血を舐めて、そのまま主人と舌を絡めた。まき散らされた血と内臓も、愛しい主人に寄り添うようにその身に纏わりつきながら元の場所へと再生されていった。

 

 風呂で、寝室で、応接間で、繰り返される教育のさなか、主人――シャルティアは敬愛する至高者に対する愛を口走り、アルシェにもそのようにブルー・プラネットに仕えるよう繰り返した。

 

『いと高き方の美しい指先がわたしの体を引き裂いて、骨を、内臓を、丁寧に砕き潰し、捩じ切り、グチャグチャにかき混ぜるでありんす。わたしの生首をあのお美しい顔が炎の視線で睨め回し、わたしの内臓が愛しの君の骨の隅から隅まで纏わりつき、わたしの飛び散る血が白き御身を赤く染め、わたしの生皮がそれを覆うでありんす……御手が物憂げにわたしの頭を握り潰し、わたしの残骸は痙攣を続け、玉座の生けるクッションとして玉体をお支えするでありんす。わたしの悲鳴が御身を慰め、わたしは永遠の苦痛の中で御君と一つになるでありんす――』

 

 わたしは、わたしは――そう言って吸血鬼はほうっと息を吐いた。白蝋の顔に赤みが差し、うっとりと視線を宙に彷徨わせ、チロチロと舌を出して赤い唇を舐めまわした。そして、アルシェの体から手を放し、切なそうに身を捩ると自分の平たい胸に鋭い爪を食いこませた。

 

 吸血鬼の言う「愛しの君」とは、あの闘技場で対峙したエルダーリッチのことらしい。

 アンデッド同士ならば――強力な再生能力をもつバンパイアならば、体を切り刻まれる愛され方もあるだろう。

 

 アルシェは人間でしかない自分の末路を思い描いた。

 

 やがて、自分はあの恐ろしい樹の化け物に生贄として差し出されると聞いている。

 骨の指の代わりに、あの樹の化け物は鋭い枝でこの身体を引き裂くだろう。枝が目を抉り、内臓を掻きまわし、皮膚を食い破るだろう。全身に張られた根が血液を吸い上げるだろう。

 しかし、それでも死ぬことはない。この墳墓の魔物たちは強力な回復魔法を使うのだ。

 身体を捩じ切られ、潰され、肉塊となって養分として吸われながらも死ぬことを許されないのだ。

 

 学院の錬金術研究所で見たサンプルの1つ――小動物とそれに寄生した菌類の標本を思い出した。全身に菌糸を蔓延らせた小動物は身動き一つできずに全てを食らいつくされるまで苦痛を味わい続ける。その苦痛が魂を縛り、生命力が結晶化して魔力の塊となり、良質な錬金溶液の原料となるのだという。本来ならば数年かかってゆっくりと結晶に変わるはずの“それ”は、サンプルとして<保存>の魔法をかけられ、菌の働きも停止していた。菌糸で覆いつくされて元の姿も分からくなった“それ”を、師匠は「これはまだ生きている」と説明し、菌糸の膜から覗く永遠に動かない目は「殺してくれ」と訴えているようだった。

 

 私は“あれ”になるのか――アルシェの顔から血の気が失せる。

 

 一度、アルシェはバンパイア・ブライドの監視の目を盗み、食器を床に叩きつけ、その破片で自分の首を掻き切った。

 生きながら永遠の苦痛を受けるよりは――アルシェは薄らぐ意識の中に救いを見出した。

 だが、微睡の中から誰かに呼ばれるような気がして目を開けると、目の前にはメイドの姿を取った巨大な獣……の皮を被った魔物がいた。

 

『おおっ! ペストーニャ、助かったでありんす!』

『いえいえ、シャルティア様。礼には及びません。ブルー・プラネット様からの大切な賜り物を傷一つない状態に治せるのは私にとっても無上の喜びです……わん』

 

 化け物たちの会話を聞いて、アルシェの希望は掻き消え、意識は闇に飲み込まれた。

 そして、次に目覚めたときは応接間で多くのバンパイア・ブライドたちに囲まれていた。起き上がろうとすると、シャルティアが顔をくっつけんばかりに近づけてきた。口元は微笑んでいるが、目は怒りの真紅に染まっていた。

 

『おめざめでちゅかぁ、アルシェちゃん!? おんしをみすみす死なせるところだった役立たずのおバカにあやまってもらいまちょうねぇぇぇ!!!』

 

 その声は怒りのためか上ずり、粘つくようだった。

 そして、シャルティアは下がり、硬い表情で壁際に並ぶバンパイア・ブライドの列を見た。

 

『当番は、お前とお前でありんしょう? さっさと出てきなんし』

 

 シャルティアが残酷な笑みを浮かべ、舌なめずりしながら命じた。

 2人のバンパイア・ブライドが震えながらも足を前に進めかけ――周囲の者に押し出された。

 

『アルシェの前に立ちなんし』

 

 シャルティアが床の一点を指さして命じた。

 蒼い顔を更に蒼くし、ガタガタと震えながらも2人はシャルティアの示す場所――アルシェの前に並んで立った。

 シャルティアは、そんな2人の足元に手を伸ばし、叫んだ。

 

『さぁ! アルシェちゃんに謝るでありんす!』

 

 シャルティアの笑みが歪み、円形に広げられた口から長い舌が覗くのをアルシェは見た。ニチャニチャした叫びがアルシェの耳に突き刺さった。そして、シャルティアはバンパイア・ブライドたちの足首を掴むと2人の体を軽々と振り上げ、応接間の床に一気に叩きつけた。

 

 びちゃっ

 

 重く湿った音が応接間を震わせ、生臭い空気が部屋に漂った。

 床に叩きつけられた2体のバンパイア・ブライドの体はひしゃげ、破裂し、内臓が飛び散った。

 

『きゃぁはははぁ! えくすとりーむどげざでちゅよぉぉぉ! ごたいとうちぃぃいぃぃ!?』

 

 シャルティアは笑いながらバンパイア・ブライドの髪を掴み、潰れ砕けた頭部をアルシェに突きつけた。

 

『ほうらアルシェちゃんんんん! 死なせてしまってごめんなちゃいねぇえぇぇえ!』

 

 バンパイア・ブライドの潰れた頭部が2つ、シャルティアの手の動きに合わせてガクガクと揺すぶられた。頷くように揺すぶられる割れた頭蓋から脳漿が飛び散り、脳が零れた。眼窩から飛び出した両の眼球も紐にぶら下がり、玩具のように揺れていた。顔の下半分は原形をとどめず、口であっただろう穴からは血と唾液が混じり合った粘液が溢れ、その中で垂れさがった舌が巨大な蛭のように動き回って何かの言葉を紡ぎだそうとしているかに見えた。

 人間ならば完全に即死だが、アンデッドたる彼女たちはまだその偽りの生命を保っていたのだ。

 

 アルシェの前で潰れた屍肉がパクパクと蠢いて元の形を取り戻そうとしていた。飛び散った内臓や零れた脳が元の場所に収まろうとして蛆のように床を這いまわっていた。アルシェの顔にも飛び散った血液や脳の欠片が蠢いて……

 

 アルシェは嘔吐し、失禁した。身体の震えはいつまでも止まらなかった。

 

『くぃひぃひひぃ! アルシェちゃん、きちゃない、きちゃないでちゅよぉぉお』

 

 シャルティアは可笑しくてたまらないという様に手を打って哄笑し、主人に合わせて周囲のバンパイア・ブライドも一斉に笑った。

 

「ぅひっ……ひっ……ひっ……あは……あはははぁあ……あぁああぁぁあああきぃぁぁああ」

 

 部屋の中で渦巻く哄笑に飲まれ、アルシェも痙攣したように笑いだした。口角に唾の泡が溜まり、涎となって落ちた。頭をガリガリと掻き毟り、髪を振り乱し、血走った目で天井を見つめ、涙を流しながら絶叫した。

 

『<獅子の心(ライオン・ハート)>』

 

 神聖魔法が飛び、砕けかけたアルシェの心を無理やりに繋ぎ止めた。

 

『くるってにげようだなんて だめでちゅよぉぉお……』

 

 あざ笑う主人の声を聴きながら、アルシェの脳は正常な働きとして意識を手放した。

 次に目覚めたとき、アルシェは首に嵌められた黄金の首輪に気が付いた。

 

『それは下位の物理攻撃を無効化するでありんす。おんし、もう自分で自分を傷つけることは出来やせんでありんすよ』

 

 美しい少女の姿に戻ったシャルティアから、嘲笑とともにナイフが目の前に投げ出された。

 それを拾ったアルシェは戸惑いの目をシャルティアに向け、次の瞬間、狂ったようにナイフを自分の体に突き立てた。

 

 首筋に、目に、手首に、胸に、腹に……

 

 だが、ナイフは傷一つとしてその身に残さなかった。どれほど力を入れようと、ナイフの先端は肉体を貫くことなく止まった。

 

『満足したでありんすか? それでは、一から教育をやり直しするでありんす』

 

 絶望の悲鳴を上げるアルシェをシャルティアが片手で掴み、指先でアルシェの両腕を万力のように捩じりあげた。そして嗤いながら、空いた片手でナイフをアルシェの体に何度も突き立てた。

 

『ほうら、傷は付かないでありんしょう?』

 

 バンパイア・ブライドたちがアルシェを羽交い絞めにし、身体を地面に押し付けて顔を上げさせた。

 

『はいぃぃお目めグリグリぃぃぃ……』

 

 アルシェの眼窩に2本のナイフが差し込まれ、切っ先が両目の裏を抉って掻き回した。ナイフで押されて眼球が変形し、視界が歪み、世界がグルグルと回った。それでも痛みはなく、血も流れなかった。

 アルシェは悲鳴を上げた。痛みではなく恐怖に叫んだ。精神作用のあるアイテムで気絶すら許されず、ひたすらに弄ばれ続けた……

 

 そんな日々が繰り返され、やがて、アルシェは叫ばなくなった。

 もはや魔眼も麻痺毒も必要なかった。虚ろな瞳で主人の愛撫に身をゆだね、熱い吐息を漏らすようになった。

 

『アルシェちゃん、いい子になったでちゅねぇぇぇええ』

 

 細長い舌で全身を舐めまわす主人の満足そうな声にアルシェは微笑みを返した。

 

 もうじき私は樹の化け物の生贄となり、永遠の地獄に落とされる。

――そう思うと昏い悦びが身体をはしり、肌を粟立たせた。全身から血の気が引き、闇の中をどこまでも落ちていくような痺れた感覚にアルシェは喘ぎ、主人にしがみついて舌を絡めた。

 

 アルシェは蒼白な顔に微笑みを貼りつかせ、命じられたことを何でもこなす人形となった。周囲のバンパイア・ブライドと同じく主人の愛撫に嬌声を上げ、主人に甲斐甲斐しく仕える存在の1つとなった。

 

 しかし――

 新たな主人となったブルー・プラネットは、シャルティアが告げた未来像を覆した。

 

「出来るだけ優遇しよう」

 

 その言葉に希望を抱いてしまう。化け物の気まぐれで奪われる希望だと分かっていても。

 

 確認するのが怖い。

 

 優しい言葉を吐いたのは、人知を超えた樹の化け物だ。その心が人間と同じであるはずがない。

 だが、それでも聞いてしまう。

 

「ヘッケランと……イミーナは……ロバーデイクは、どこに……」

「ああ、2人は先日までこの部屋に置いていたんだがな。いまは別の実験室を用意してもらって、そこに移した」

 

 アルシェは「実験室」という言葉に打ちのめされる。自分たちは所詮はサンプルに過ぎないのだと思い知って。

 

「会わせてていただけるのでしょうか……」

「いや、無理だ」

 

 化け物は言下に否定する。続いて何事かを言ったが、アルシェはその言葉を最後まで聞けない。脳が聞くことを拒絶する。

 アルシェを優遇するつもりだと化け物は言った。だが、それはあくまでサンプルとしてなのだ。それでは、優遇されないであろうヘッケランやイミーナは……

――アルシェは首輪を撫でる。凍り付いた微笑みを再び顔に貼りつかせて。

 微笑むアルシェを見て、ブルー・プラネットも笑う。

 

「ん? それはシャルティアに貰ったのか? その首輪は、たしか物理無効のアイテムだったな。それに、その額冠は精神バッドステータスを防ぐ……なんだ、あいつもなかなか気が利くじゃないか」

 

 化け物たちが群れを成すナザリックで人間が暮らすには、ケガや恐怖を抑えるアイテムは必須だろう。どうということはない低級アイテムだが、なるほど、呪いを付与して外れないようにしているのか。

――そう考えて、ブルー・プラネットはシャルティアの思い遣りに感心する。ちょっと乱暴で変態だが、やはり根は優しい娘なのだ、と。

 

 その言葉を聞き、アルシェはブルー・プラネットを見上げる。目の端に涙をにじませながら。

 

(やはり、死ぬことすら許されないんだ)

 

 殺そうとは思わない――この化け物はそう言った。つまり、そういうことなのだろう。

 一瞬でも希望を抱いた自分が馬鹿だった――アルシェはそう思い知らされる。

 

 再び血の気が引き、全身を痺れが覆う。頬の筋肉が引きつって口角を持ち上げ笑顔を形作る。瞳が上に回り、白目が覗く。魔法のアイテムで繋ぎ止められた虚ろな意識の中、アルシェは化け物に媚びる。

 

「はい、慈悲深きシャルティア様に頂いた素晴らしいアイテムにより、私は永遠にブルー・プラネット様のシモベとしてお仕え出来ます。どうか、このアルシェを末永くお可愛がりください」

 

 ブルー・プラネットと名乗る化け物は何か返事をして、頭に蔦を伸ばしてくる。

――アルシェは化け物の蔦が自分の頭の上を這いまわるのを感じる。

 

 はじまった。

 脳が食われる。枝で頭蓋が砕かれる。耳から根が脳を食い破る。

――その幻想にアルシェの全身は蕩けていく。

 細い体が震え、気品の残っていた顔が痙攣して歪み、笑いとも悲鳴ともつかない小さな声が漏れ、口の端から涎が糸を引いて垂れた。

 


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