自然愛好家は巡る   作:コロガス・フンコロガシ

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恐怖候が出るので、ゴキが苦手な人はちょっと……


第30話 ザイトルクワエと森の生き物 (ゴキ注意)

ブルー・プラネットはアウラを連れて要塞の外に出る。まだ日は高い。

 

「この辺りには、魔樹の痕跡はないのだな?」

「はい、少なくともあたしのスキルでは発見できません」

「そうか……」

 

 近くの樹の中に入り、森の状態を確認する。確かに、それらしい植物系モンスターは居ない。

 しかし、それは「活性化したモンスター」がいないというだけであり、植物系モンスターが種子や根で休眠している可能性を排除するものではない。

 

 ならば、強制的に活性化させる。

 

 魔樹は周辺の生物からHPを吸い上げて自分のHPにすることが出来るようだ。レベルのわりにHPが高かったというのもそのためだろう。

 

(マーレでも出来ただろうが……ひとつ、今後のために教えておくべきだろうな)

 

 マーレの顔を思い浮かべる。ブルー・プラネットと同じドルイド魔法を使える幼い守護者を。植物系モンスターを倒した後は強制的に活性化させ、隠れた敵を見つけ出すべきだと経験不足のマーレに教えておかなくては、とブルー・プラネットは考える。

 

 しかし、今は――ブルー・プラネットには試したいことがある。自分の主装備である王笏が外部でも使えることの確認だ。

 

 ブループラネットのもつ旧ギルド武器「星の王笏」は元は「大地の王笏」に天球コントロールのための「宇宙儀」を組み込んだものだ。ナザリックでは第六階層の大地・天候・天球、そして配置された動植物をすべて管理することが可能であり、使用者の魔力を増強する上に、使用者本来のクラスレベルを超えてドルイド系魔法を使用出来る神器級アイテムである。

 そして、ブルー・プラネットのスキルと組み合わせれば<広域植物操作>や<天候変化>等の位階魔法を拡張した<トリエントの群走>や<嵐神の咆哮>のような大技にもなる。

 

 ただし、その力が最大限に発揮されるのは「自ギルド拠点内に限って」の話だ。ブループラネットの職業「聖森の守護者」は森林ギルド長に与えられる職であり、拠点を守ることに特化されている。これは「お留守番」に対する優遇措置であり、言い換えれば「外の冒険では役立たず」という意味でもある。

 ユグドラシル時代、拠点外の冒険では「星の王笏」は領域の宣言と魔法の発動の2段階を必要とするため、戦いには役に立たなかった。

 

 ならば、この世界ではどうか?

 

 ブルー・プラネットは王笏を地面に突き立て、その感触を探る。

 周囲の土地が自分の意識と「つながる」ことが分かる。領域の宣言が完了したのだ。

 次に無詠唱化した魔法を唱える。大した魔法ではない。<広域植物成長促進>――通常のドルイド魔法だ。

 

 要塞を取り囲むように平地を残して周辺の地面が波打ち、地響きと共に切り株が大木に変じる。

 

 「うわっ! すごい!」

 

 アウラが驚嘆の叫びを上げ、ブルー・プラネットもその使い勝手の良さに驚く。

 以前の<広域植物成長促進>はレベルと同数の100メートルの扇状に効果が発揮された。

 しかし、王笏を使った今、ほぼ同じ面積で頭に思い描いた形状に樹を育てることが出来た。

 コンソール上の面倒な領域設定が不要で、瞬時に範囲が設定できる。

 

 これなら実用的だ――ブルー・プラネットはユグドラシル時代に使い物にならなかった攻撃魔法も試してみようとして、思いとどまる。

 ユグドラシルのフィールドではない、この大自然を遊び半分に破壊することを避けたのだ。

 

「ふむ……思った以上に便利だな」

 

 そう呟き、<広域植物成長促進>を連発し、伐採されていた周囲の森の大部分を回復させる。

 樹の中に入り、あらためて森の状態を観察する。

 先ほどと比べて明らかに森の植物は活性化している。秋も深まり周囲の樹々は半ば色づいていたが、魔力によって復活した樹からは真夏の様に瑞々しい緑が噴き出ている。

 

 そして、先ほどは見られなかった輝点が幾つか、脳内に広がる周辺の地形に映し出される。

 

「アウラ、復活したザイトルクワエの場所は分かるか? あちらの奥だが……」

「あ、ブルー・プラネット様! 分かります!」

 

 ブルー・プラネットは輝点の場所を枝指して伝え、同時にアウラもヒクヒクと鼻を動かして叫ぶ。自身のレンジャーのスキルでモンスターを発見できたのだろう。

 

「よし、それでは……」

「はいっ」

 

 ブルー・プラネットが命令を下すより先にアウラが飛び出していた。

 最高レベルのレンジャーであるアウラは、平地をかけると変わらない速度で森の中を――枝が絡み合う密林の中を駆けていく。

 高々数百メートルの範囲内だ。瞬く間にアウラは発芽した魔樹の種を抱えて戻ってくる。それは、人間の頭ほどもある丸い、黒光りした球体で、パックリと2つに割れて中から高さ1メートルのひょろ長い芽が突き出ていた。

 

「あと3つですね」

 

 玩具を与えられた子犬のようにアウラは跳ね、森に姿を消し、一つまた一つと種を持ってきてはブルー・プラネットの足元に並べる。

 

 合計4つの発芽した種が並べられ、その芽がゆらゆらと揺れている。

 

「ブルー・プラネット様、これで全部です。1レベルのイビルツリーですね」

 

 アウラが輝く笑顔で良い汗かいたとばかりに汗をぬぐう素振りをする。

 

(あれ……これ、見たことがあるぞ)

 

 ブルー・プラネットはイビルツリーの苗木に顔を近づけ――記憶を掘り起こす。

 

(これ、<シャーウッズ>のNPCやん!)

 

 この世界本来のイビルツリーの苗木は見たことが無い。また、ユグドラシルではイビルツリーは少なくとも30レベル以上のモンスターであり、もっと成長した姿で現れる。

 だが、この苗木はブルー・プラネットの<シャーウッズ>が設計したNPCに酷似している。

 

 王笏をあらためて確認し、古い機能――<シャーウッズ>のNPC管理機能を立ち上げる。コンソールは現れないが、代わりに本能的に目の前の苗木が自分のシモベであると閃く。

 

「成長せよ」

 

 レベルメーターを上げるつもりで手を動かす。本来ならば必要ない動作だと分かってはいるが。

 

 4つの苗木が周辺の大地の生命力を吸収し、グンッと大きくなる。3メートル……ほぼブルー・プラネットの身長と同じ高さに育った苗木に小さな顔が現れ、キイキイと叫び声を上げる。

 

 以前作ったイビルツリーNPCと同じ動作だ……もはや間違いない。この「魔樹」は<シャーウッズ>で作られ、ギルド解散時に様々なチームに引き取られていったNPCの子孫だ。

 子孫――そう、このNPCは土台NPCのレベルを吸収して成長し、一定時間で種を結び、自らは枯れてレベルを土台に還し、発芽した種が新たなライフサイクルをなぞる……そういうものだった。ギルド戦で武器として種を飛ばすように改造され、引き取られていった時には通常のイビルツリーと同じく異形種として寿命の設定を消したのだった。

 

 呆然としているブルー・プラネットにイビルツリーの苗木は体を擦り寄せてくる。言語による意思疎通は出来ないが、創造主としてブルー・プラネットを認識しているらしい。

 ユグドラシルで作られたNPCがこの世界で残した種から生まれたNPC、いわば子孫だが、元のイビルツリーから記憶は引き継がれているのだろうか?

――ブルー・プラネットは突然現れた配下NPCに戸惑い、立ち尽くす。

 

「ブルー・プラネット様、どうされました?」

 

 黙って立ち尽くしているブルー・プラネットにアウラが心配して声をかけ、ブルー・プラネットは現実に引き戻される。

 

「ああ、いや……このイビルツリーは、昔私が創造した者……その子孫だ」

「で、でも、こんなシモベ、あたしは見たことないですよ!?」

 

 アウラは目を真ん丸に見開いて驚きの叫びを上げる。

 

「ああ、そうだろう。これは私がナザリックに来るずっと以前に創ったものなのだからな」

 

 ブルー・プラネットの言葉にアウラは絶句する。

 先ほどの地下室での実験でナザリック以前の世界を仄めかしたブルー・プラネット――その計り知れない歴史を目の前に突きつけられたのだ。

 

「こ、これが、あたし達が創造される前にブルー・プラネット様がお創りになられた……?」

 

 アウラの頭の中で、目の前のイビルツリーに対する様々な思いが交錯する。

 それは、最初に寵愛を受けた者への嫉妬であり、最古のシモベに対する尊敬であり、それを燃やしてしまった自分への慙悔であった。

 

「あ、あの……ブルー・プラネット様……この方たちのお名前は?」

 

 アウラが恐る恐る問いかける。最古のシモベ、ザイトルクワエの子供を何と呼べばよいのかと。

 

「いや、名前は無いが……ん? ああ、心配するな。これはお前たちのように特別に創り出したものではないからな」

 

 ブルー・プラネットはアウラの心配を理解し、それを否定する。

 

 お前たちのように特別に創り出したものではない――アウラの瞳に輝きが戻る。

 

「そっかー、そうですかー、うん、じゃあ、よろしくねっ!」

 

 アウラは笑顔で4本の苗木の背中側をパンパンと叩いて挨拶する。

 叩かれた苗木は怒って――3レベルでは知性ポイントが低く、反射的な攻撃でアウラに向かって体を振り、その幹や細い枝をペシペシと叩きつける。

 アウラからすれば子犬がじゃれつくようなものだ。

 

「あはは、これ可愛いですね! ナザリックに持って帰るんですか? ブルー・プラネット様」

 

 アウラはくすぐったそうに笑いながらブルー・プラネットに問いかけた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルー・プラネットは実の所、考えあぐねていた。NPCであれば第六階層の土に移植しても生きていけるだろう。しかし、このNPCの場合はそれが問題なのだ。

 第六階層の生命エネルギー――仮にそう名付ける――を吸い上げ、第六階層の生態系を乱すことは間違いない。ピニスン達はたちまち枯れ果て、短期間のうちに100レベルの、限りなく高いHPをもつ4体のシモベが誕生することだろう。

 

「あのー、モモンガさん?」

『はい、ブルー・プラネットさん、そっちは大丈夫ですか?』

 

 モモンガに連絡すると、ブルー・プラネットの身を案じていたモモンガが嬉しそうに応答する。

 

「はい、大丈夫ですけど……ちょっと厄介な問題がですね……」

『え? 問題発生ですか?』

「いや……モモンガさん、魔樹を以前倒したんですって?」

『あー、はい、そうですが……それが何か?』

「その種を見つけて、発芽させたんですけどね……実はそれ、私が昔作ったNPCだったんですよ」

『ええっ! どういうことですか?』

 

 驚くモモンガに、ブルー・プラネットは経緯を説明する。アインズ・ウール・ゴウンに加盟する以前のギルド、モモンガも知る<シャーウッズ>のNPCの子孫であったらしいことを。

 

『……そうですか。あの<シャーウッズ>の……』

「はい、他のギルドに引き取られていった内の一体がこの世界に紛れてきていたようです」

『ああ……他のプレイヤーたちが持ってきたのか……それで、忠誠心はどうなんですか?』

「はい、私の昔のギルド武器で確認したところ、創造主として認識されていて、こちらでレベルの管理も可能です」

『そうですか、それではナザリックに迎え入れても問題なさそうですね』

「いえ、それが――」

 

 戦力増強を喜ぶモモンガに、ブルー・プラネットは説明する。第六階層が崩壊しかねないと。

 

『――ああ、それは問題ですね……で、どうします?』

「それを相談したくて……よかったら、こっちの要塞で隔離しておこうかなと」

『大丈夫ですか? 要塞の天井を突き破って成長したりしないですかね?』

「それは大丈夫です。周囲からドレインして成長するタイプなので、鉢植えにしておけば」

『なるほど……では、そちらでブルー・プラネットさんの責任で管理してもらえますか?』

「はい、そうさせてもらいます」

『はい、では気を付けて』

 

 <伝言>が切れる。

 

「アウラ、これはナザリックには持っていけないから、この地下で管理することになった」

 

 少しばかりしょぼんとするアウラに、ブルー・プラネットは慰めの声をかける。

 

「まあ、そうガッカリするな。アウラならこの要塞にちょくちょく来るんだろう? そうだ、マーレも呼んでやれ。マーレもドルイドで植物系モンスターの管理が得意だろうからな」

「は、はい! そうですね、マーレも喜ぶと思います。あの子、植物系モンスターが好きですから!」

 

 ブルー・プラネットとアウラは顔を見合わせて笑いあう。

 そして、アウラは首にかけたドングリのネックレスを握って弟に連絡を取る。

 

「マーレ、あのね、ブルー・プラネット様から良いもの貰っちゃったよ!」

『あ、お、おねーちゃん……あ、あの、良いモノって……?』

「えっへっへ、あのね、ブルー・プラネット様が昔お創りになったイビルツリーの苗木が4本!」

『え、ブルー・プラネット様がお創りになられたイビルツリーの苗木……なの?』

「そうよ! あんた、植物系モンスターの管理得意でしょ? だから、あんたに任せたいって」

『そ、そうなの? う、嬉しいな……あ、あの、おねーちゃん、ブルー・プラネット様に代わってもらえる?』

「うん、じゃーね」

 

 アウラとマーレの通信が切れ、アウラのネックレスを握ったブルー・プラネットの脳内にマーレからの連絡が響く。

 

『あ、あの、ブルー・プラネット様……おねーちゃんから今連絡がありまして、ブルー・プラネット様がお創りになられたイビルツリーの苗木をいただけると……』

「ああ、そうだ。お前が大切に育ててくれると助かるな……いや、育てるのではなく、今の状態を保ってくれ。また魔樹が大きくなったら困るからな」

 

 ブルー・プラネットは「あげると言ってはないんだが」と内心思いつつアウラを横目で見る。そして、その笑顔を見て「この双子への良いプレゼントになった」と思いなおして首を縦に振る。

 

『え、あ、あの……あの魔樹と関係あるんですか?』

 

 マーレが驚いた声で尋ねる。

 

「ああ、お前達が倒した魔樹……その種から生まれたイビルツリーだ。その魔樹は、私が昔作ったシモベだったんだよ」

『そ、そうだったんですか!? じゃ、じゃあ、魔樹を倒しちゃったのは、その……』

「いや、それは不問にしよう。それよりも、その魔樹の4本の子供の面倒を見てほしいのだが」

『は、はい! そういうことでしたら、ぼくの命に代えても苗木をお守りします!』

「ははは、そんなに緊張することはない。新しい仲間と思って大事にしてくれれば、それでいい」

 

 マーレの歓声を聞き、ブルー・プラネットはこちらから通信を切る。

 

「さてと、じゃあ、これを地下に運ぼう」

「はい、でも、これは大きくは出来ないんですよね? 薬草は生やせるんでしょうか?」

「えっ? 薬草?」

 

 またしても新情報だ。薬草を生やす設定にした覚えはブルー・プラネットには無い。

 アウラに話を聞くと、モモンガが“漆黒”として請け負った仕事に万能薬の原料となる薬草の採集があり、その薬草が生えていたのがザイトルクワエだったという。

 

「それは……私には心当たりはないが……」

 

 引き取られた先でドロップアイテムの設定でも付けられたかと考え、王笏を起動してNPCの設定画面を空中に映し出す。

 

「ふむ……ザイトルクワエA……60レベル以上で<大治癒>の効果をもつ薬草を生やす、か」

 

 ページを切り替えて他のザイトルクワエB、C、Dの設定も調べるが、どれも同じである。

 誰がつけたのか知らないが、まあ、害にはならないだろう――ブルー・プラネットはそう考える。このイビルツリーたちを60レベル以上に成長させるつもりはないのだから。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 地下の実験室でブルー・プラネットは4本の苗木と2つのガラス瓶を見つめる。

 アウラは地上で工事の監督をしており、幼いアウラに気兼ねすることなく実験に集中できる。

 

「さて、食料の方はどうなったかな?」

 

 ガラス瓶を覗くと、土から這い出た小さな蟲達が2つの欠片に群がっている。だが、その群れを構成する蟲達の種類には、この世界の食料とナザリックの食料とで違いがあるようだ。

 

「こっちの群れは、この世界の食料が好きなのか……いや、味の違いということもあるな……」

 

 これは予備実験であり、成分ごとの蟲達の好みは今後の課題だ。

 

 今回の実験では――ブルー・プラネットは食品の欠片をそれぞれ新しいビンに取り分ける。

 この世界の食料で育った蟲達、ナザリックの食料で育った蟲達をそれぞれを殖やし、さらに細かく分けていく。それによって純粋に「この世界の食料で育ったもの」と「ナザリックの食料で育ったもの」を選り分けるのだ。それらが十分に殖えたら実験に取り掛かる。仮説では、餌の違いで魔法やポーションに対する反応も違ってくるはずだ。

 

 もう一つのビンを覗く。

 この世界の土から離れて、蟲達が第六階層の土の中を蠢いているのが分かる。

 この世界の土を、下敷きの布ごとそっと持ち上げて取り出す。

 取り残された蟲達が第六階層の土だけで生きていけるのか――今後はそれを確認する。

 

 ブルー・プラネットはこの世界の蟲の育て方など知らない。だから、最初は全滅することもあるだろう。比較のため、外の世界の土だけでも蟲を育てて殖え方を調べる。何度も繰り返せば何らかのことは分かるはずだ。

 

「逆に、ナザリックの者で外の世界のモノだけを食べさせてみたいものだが……」

 

 それは難しい。

 今のナザリックに居るものは、基本的に食料を必要としないアンデッドたちか、知性のある者達だ。アウラやマーレの召喚獣などもいるが、それらを下手に飢えさせても可哀想だ。

 

(餌が必要で、かつ、飢えさせても構わない者か……)

 

 ブルー・プラネットは宙を見つめ、思いを巡らす。そして、突如、格好のサンプルに気が付く。

 

――恐怖候の眷属がいた。

 

 生命力が強く、基本的に何でも食べる虫だ。そして、その気持ちは恐怖候が代弁してくれる。

 

「ようし。帰ったら、まず恐怖候に会いに行こう」

 

 そして、1つの可能性を危惧する。

 ああいう虫がこの世界に溢れたら……この世界の生態系が壊れる可能性もある。

 第六階層に外界の生物が侵入することと同様に、ナザリックの生物で繁殖力のあるものが外界に出ていくことも避けねばならない。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルー・プラネットが生態系について考えを巡らせているころ、ナザリック近郊のカルネ村ではエンリ――アインズと名乗っていた頃のモモンガに何度か助けられ、ナザリックの庇護下にある村の娘は夕飯の準備をしていた。

 

「あっ、まただっ!」

 

 台所の壁を這っている小さな黒い虫をエンリは見付け、近くに忍び寄る。

 その虫は長い触角をゆっくりと左右にうねらせ、何事かを考えているようであったが――忍び寄るエンリの気配に気づき、サッと逃げようとする。

 

ベシャリ

 

 エンリの振り下ろした麺棒が一瞬早くその虫を叩き潰す。素早いとはいえ小さな虫だ。反射神経も運動神経も急激に発達しているエンリの動体視力から逃げられるものではない。

 

 調理台の上で叩き潰され麺棒に張り付いた虫の死骸をエンリは指で摘まみ、しげしげと眺める。

 

「またこの虫ね。以前は見かけなかったけど、なんていう虫なんだろ?」

 

 友人のンフィーリア――今は村で近くの家に住んでいる、何でも知っている薬師――なら知っているかも知れない。

 

(小さくって黒くってテカテカと光って……かわいい綺麗な虫だけど、台所の食品に集るようじゃあ仕方ないわね。可哀想だけど、駆除しなくちゃ。でも、この白い内臓……ひょっとして油の塊かな?)

 

 エンリは指に付いた白い油を舐め、ついで、麺棒に付いた油を指で掬って味を見る。そして、調理台の上にベッタリと広がった油も。

 

 ちょっぴり薬臭いけれど、我慢すれば食べられなくもない――エンリはそう判断する。

 

(こんなに油がたっぷりなんだ。冬の間の食料に良いかも。それに、最近は寒くなって肌も荒れているけど、この油を塗ったら肌がスベスベにならないかな?)

 

 貴族が使う香油とはいかないが、村娘にとっての精一杯のお化粧だ。最近仲が急接近したンフィーリアも気に入ってくれるかもしれない。

 このアイディアに気を良くし、フンフンと鼻唄を歌いながらエンリは幼い妹を呼ぶ。

 

「ねえ、ネム! この虫を捕まえて集めてくれない? みんなの家にも連絡して……ほら、納屋に沢山いたでしょう? 桶を持ち上げたらワーッって逃げて散らばって……」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 やがて日が暮れる。

 ブルー・プラネットは要塞の屋上に上がり、夜空を眺める。人工的な光は極わずかであり、美しい星空が、人間の手に触れられたことのない大森林の上に光を投げかけている。

 

 下ではアウラが指示を飛ばし、光を必要としないアンデッドやゴーレム達が闇の中で忙しく働いている。昼に来たときよりも更に要塞が拡張されている。この分なら、じきに大要塞が完成することだろう。

 先ほど回復させた樹々は再び切り倒されて材木となっている。悲鳴は聞こえない。目を凝らすと、エルダーリッチ達が<脱水>を掛けて樹を即死させ、その上で切り倒しているようだ。

 

 彼らなりの配慮なのだろう。気分は悪いが、ナザリックのためと思えば我慢も出来る。要塞の建築が終わったら本格的に森の再生に取り掛かろう。

――そう思ってブルー・プラネットは目を逸らす。

 

 切り倒される樹々から目を逸らし、遠くの森を見渡す。ブルー・プラネットはこの月明りでも昼間のように周囲を見渡せる。完全な暗闇あっても微妙な温度変化を感知できる。

 

 夜は魔物たちの時間だ。日中は闇に潜んでいた者達が蠢きだしている。

 この要塞の近くには決して近寄ろうとはしないものの、遠くで樹々に紛れてうろついている者達――その体温を、息遣いを、木の葉を踏みしめる音を、ブルー・プラネットは感じる。

 

(俺も魔物の一人だしな)

 

 ブルー・プラネットは苦笑し、下で動いているシモベたちの中で唯一体温のある者――アウラを認識し、その近くに飛び降りる。

 

「あ、ブルー・プラネット様! どうされました?」

 

 アウラがニコニコと話しかけてくる。彼女も夜目が利き、星空の下で人工の灯りも無しに自由に動くことが出来るのだ。

 

「うむ、ちょっとこの近くを散歩してみたくてな」

「そうですか! それではご一緒してよろしいですか?」

「それは、お前の仕事次第だが……」

 

 無断で出歩いたら迷惑かと確認しに来ただけなのだが……ブルー・プラネットは口を濁す。

 

「アウラ様、私が監督いたしますから、どうぞブルー・プラネット様とご一緒に……」

「うん! お願いできる? じゃあ行ってくるね。さあ、ブルー・プラネット様」

 

 アウラの傍に立っていた小さな黒い影が口をはさみ、アウラが嬉しそうに頷く。

 

 そしてブルー・プラネットはアウラと共に森に向かって歩き出す。

 

「この周辺には、どんなモンスターが出現するんだ?」

「はい、亜人種ではゴブリンの大集団を確認しています。数は少ないですけどトロールやオーガもいます。他には悪霊犬や巨大昆虫、絞首刑蜘蛛、森林長虫に跳躍する蛭……それに植物系モンスターではトリエントやドライアード、絞め殺す蔦がちらほら出てきます。ここから離れた水辺や地下の洞窟には水系のモンスターやマイコニドとかもいますけど」

 

 アウラはすらすらと答える。

 要塞を離れると、そこは深い森の中だ。樹々がびっしりと枝を張り巡らせているが、アウラもブルー・プラネットもスキルによって森の木々による行動阻害を受けず、平地で散歩するように気軽に足を進める。

 

「ふむ……これだけの森だとドラゴンでもいそうなものだが、強いモンスターはいないのか?」

「ええ、この森はハムスケ達が支配していたくらいですから」

「そうか、そうだったな……」

 

 巨大ハムスターとトロール、ナーガ……その程度で支配される森ならばドラゴンはいないのだろう。

 ブルー・プラネットは少し残念に思う。折角だから夜のモンスター狩りをしてみたいと思っていたのだが、ゴブリンの群れを狩ってもあまり面白くない……というか、ゴブリン程度なら範囲魔法を使って数百匹単位で殲滅する作業にしかならない。

 

「強いモンスターはどこにいるんだろうな?」

「はい、強いと言えるか微妙ですけど、この辺りではザイトルクワエ……さん程度ですね。あたしも見たことはないんですけど、モモンガ様のお話では他の国にはドラゴンもいるらしいです」

「ああ、『竜王国』か……」

 

 帝国の小さな町で聞いた噂では、ビーストマンの侵攻を受けているという微妙な国があるらしい。冒険者として諸国の情報を掴んでいるだろうモモンガに聞けば詳しいことが分かるだろう。

――たまに飛び掛かってくる悪霊犬や森林長虫を無造作に枝で振り払い、ミンチとなったその死骸を撒き散らしながらブルー・プラネットはアウラとの会話を続ける。

 

「他の国にも行ってみるかな……」

 

 ブルー・プラネットがぽつりと漏らした言葉にアウラが歩みを止める。ブルー・プラネットが振り返ってみると、アウラは蒼い顔をして震えていた。

 

「あ、あの……ブルー・プラネット様、またナザリックを去られるのでしょうか……?」

 

 胸のあたりで拳を握り締め、涙を流しながらアウラはブルー・プラネットに問う。

 

「私達に……ご不満でしょうか?」

「いや……安心しろ、ちょっと旅行するだけだ。ナザリックの敵となる者がいないか……とかな」

 

 ブルー・プラネットは軽はずみな言葉を後悔する。何年もの間ナザリックを見捨てていた自分がどれだけ深い傷をシモベたちの心に残しているかを知って。

 

「お前たちを見捨てることは、決してない。お前たちはこの世界の何物にも代えがたい宝だ」

 

 泣きじゃくるアウラの幼い体をブルー・プラネットは枝で抱きあげる。

 アウラはなおもしゃくりあげているが、それはもう不安と恐怖によるものではない。至高者が再び自分を見捨てることが無いと言ってくれたことへの安心感によるものだ。

 

「ありがとうございます。ブルー・プラネット様」

「ああ……もう戻ろうか。アウラが造ってくれた要塞に」

 

 ブルー・プラネットは第10位階の魔法<帰還>を唱える。

 

<ナザリック> <聖なる森> <要塞> ……

 

 聖なる森って何だっけ? とブルー・プラネットは首を傾げながら、頭の中に浮かんだ選択肢の中から要塞への帰還を選択する。

 

 視界が一瞬で切り替わり、ブルー・プラネットは要塞の入り口に立っていた。

 

「さあ、降りなさい」

 

 枝を伸ばしてアウラを地に降ろす。アウラは涙の跡をゴシゴシと袖で拭い、ニッコリと笑ってお辞儀をする。

 

「さて、私は地下室に戻るよ。アウラも自分の仕事を続けるがいい」

「はいっ! それではブルー・プラネット様、失礼いたします!」

 

 元気を取り戻したアウラが仕事場に戻っていく。

 ブルー・プラネットは溜息をついて要塞に入る。そして、部屋の中に居たエルダーリッチに軽く枝を上げて挨拶する。

 

「お帰りなさいませ、ブルー・プラネット様」

「ああ、今戻ったぞ」

「早速ですが、ブルー・プラネット様の御実験室への直通階段をご用意いたしました」

 

 見ると、応接室の隅――最初に降りた階段とは反対側――に隠し戸が作られており、エルダーリッチはそれを示している。

 

「仕事が早いな」

「恐れ入ります」

 

 エルダーリッチに見送られ、ブルー・プラネットは隠し戸を開けて階段を下りる。

 確かに直通の、しかし随分と無理な作りの階段がブルー・プラネットの実験室に繋がっている。

 

「ふぅ……」

 

 ブルー・プラネットは実験室に入ると蟲の観察を続ける。どんな形状の蟲が何匹いるのか、拡張された視覚でとらえ、メモ用紙にスケッチをしていく。

 この世界の食料にはこんな蟲、ナザリックの食料にはこんな蟲……その作業は夜通し続けられた。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 アウラは夜を徹して仕事を続ける。飲食も休息も睡眠も必要としなくなるアイテムを身に着けているのだからこそ可能なことだ。

 そこに、同じように飲食も休息も睡眠も必要としない仲間から<伝言>が届く。

 

『アーちゃん、今時間ある?』

「あ、ユリ、どうしたの? っていうか、ユリって<伝言>使えたの?」

『エントマに手伝ってもらってるの』

「あ、そうなんだ。で、何よ?」

『ええ……あのね……そちらで問題は起きてないかなって』

「問題? あたしがいるのに問題なんて起きるわけないじゃん?」

『そうね……ブルー・プラネット様はどうなさっていらっしゃるの?』

 

 何か奥歯に物が挟まったような、そわそわとしたユリの言葉にアウラは少し不機嫌になるが、先ほどの散歩を思い出してその気分はどこかに飛び去る。至高の御方と2人きりで行動するのはナザリックの者達にとって最高の名誉なのだ。

 

「えへへー、気になる? あのね、あたし、さっきまで森をブルー・プラネット様と散歩してたんだよ」

『え、そうなの? それは……』

「それでね、ブルー・プラネット様、あたしを『宝だ』って言って抱いてくださったんだよ」

 

 アウラは得意げに語る。

 

『……』

 

 ユリからの返答はない。

 羨ましがってるのだろう――アウラはそう考える。

 じゃあ、もっと羨ましがらせてやろう――ニンマリと顔を歪ませ、さらに自慢を続ける。

 

「それでね、泣いてるあたしをブルー・プラネット様が慰めてくださったんだよ。抱かれたとき枝が刺さってちょっと痛かったけど、すっごく幸せ!」

 

『――ユリ姉、ダイジョウブゥ?』

 

 エントマの声が小さく聞こえる。

 

「ん? エントマ? ユリがどうかしたの?」

『ンー、ナンダカ急ニ気分ガ悪クナッタッテェ……』

 

 <伝言>は符術師であるエントマの魔法によるものだ。使用者であるユリが何らかの事情で通信出来なくなったため、その回線がエントマの元に戻ってきたのだろう。

 

「そうなの? お大事にって言っておいて」

 

 アウラは首を傾げ、通信を切らせる。

 アンデッドのユリが気分が悪くなるって、ちょっと羨ましがらせすぎたかな、と少し気が咎めて。

 

「ナーベラルだってモモンガ様と冒険してるのにねー」

 

 アウラはそう呟くと、2人の散歩の記憶をもう一度反芻して幸せな笑みを浮かべる。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 翌朝早く、ブルー・プラネットは要塞の管理人に挨拶し、アウラと一緒にナザリックに戻る。

 モモンガに連絡して到着予定時刻を伝え、フェンリルに乗ったアウラと再び森の中を駆ける。

 出がけに再び隠蔽を行い――アウラは自分のスキルによる迷彩化と、エルダーリッチの魔法によって――何事もなく無事にナザリックの壁を越え、墳墓の入り口に辿り着く。

 

 出迎えてくれたのはモモンガとユリ、そしてエントマとシズだった。

 

「モモンガさん、ただいま」

「お帰りなさい、ブルー・プラネットさん。楽しかったですか?」

「ええ、楽しかったです」

 

 2人は朗らかに笑いあう。

 

「モモンガ様、ただいま帰りました」

 

 アウラがフェンリルから降りてモモンガの許に跪く。そして、ユリの不安げな視線に気づく。

 

「ユリ、気分はもう大丈夫なの?」

「え、ええ……アー……アウラ様はいかがですか?」

「あたし? あたしは最高の気分だけど?」

 

 ユリの体がぐらりと揺れる。

 

「そ、そうですか」

「うん、そうだよ?」

 

 なにか要領を得ない2人の会話にモモンガが割って入る。

 

「ユリ・アルファよ。ブルー・プラネットさんの指輪をお返しするのではなかったか?」

「はっ、はい! 失礼しました」

 

 ユリは慌ててポケットからハンカチでくるんだ指輪を取り出し、一歩進んでブルー・プラネットを上目遣いに見上げる。

 

「ブルー・プラネット様、お預かりしておりました指輪をお返しいたします」

「ご苦労さま」

 

 ハンカチの上に乗った指輪を摘み上げ、ブルー・プラネットはそれを既定の枝に嵌める。

 ユリはペコリと必要以上に頭を下げ、足早に退いた。

 

「それでは戻ろうか」

 

 モモンガの声で、皆は墳墓の中に消えていく。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「さて、何から片付けるか」

 

 居室に戻ったブルー・プラネットは考える。

 ひとまずは、捕虜の世話だ――居室を出て、第九階層の実験室に向かう。

 

「入るぞ」

 

 ノックをしてドアを開けると、デス・ナイトが唸り声をあげて迎えてくれる。

 机の上にはメモ帳や書類があるが、ヘッケラン達人間の捕虜の姿は見えない。

 

「捕虜はどこだ?」

 

 デス・ナイトの視線を追い、ブルー・プラネットは壁とドアで区切られた寝室に向かう。

 寝室の中ではヘッケランとイミーナがベッドの中で寝息を立てている。服は着ていない。

 

――ごめんなさい

 

 心の中で謝って、ブルー・プラネットは静かに寝室を出てドアを締め直し――ドンドンと激しくノックする。

 

「ヘッケラン! イミーナ! お前たちはそこにいるのか?」

「はっ、はいっ! 今開けます」

 

 ドアを隔てた中からヘッケランの叫びが聞こえ、何やらゴソゴソと音がする。

 やがて、シーツで身に包んだヘッケランがドアを開け、姿を現す。

 

「おはようございます、ブルー・プラネット様!」

 

 寝室の入り口で、シーツに身を包んだヘッケランとイミーナが頭を下げている。

 

「お前達、寝ていたのか。起こして済まなかったな。服はどうした?」

 

 我ながら棒読みだ――そう思いながらブルー・プラネットは2人に声をかける。

 

「はっ! 昨日、インクリメント様が『お前たちは臭う』といって服を持っていかれました」

「ああ、そういうことか。では、代わりの服を持ってきてくれるだろうな」

「は……はい、私達も待っているのですが……」

 

 ヘッケラン達は視線を宙にさまよわせる。

 まあ、そういう関係の2人しかいない部屋だ。別にメイドを急かすこともないか――ブルー・プラネットは枝を上げ、なおも何か言おうとしたヘッケランの言葉を遮る。

 

「それで、頼んでおいたレポートは出来ているか?」

「はい、それは机の上に置いてあります」

 

 寝室を出て、ブルー・プラネットとシーツに包まった2人は机に向かう。

 

「ふむ……それで、お前たちは空腹を感じているか?」

「いえ、十分な量のお食事をいただいておりますので、空腹は感じません」

「渇きを覚えたり、貧血で目が眩むとか腹痛とかもないのだな?」

「は、はい。特に体調も異常ありません」

 

 食事の内容と2人の顔色を確かめたブルー・プラネットは頷き、レポートを机に戻す。

 

「よく眠れたか?」

「はい、おかげさまで……柔らかいベッドを用意していただき感謝しております」

「ふむ……」

 

(ベッド……『基本タイプA』だよな……まあ、それ以下って言うとホラー病棟用とか拷問用とかになっちゃうしな)

 

 メイドが手配したベッドはナザリック基準では一番低コストの、何も装飾のない簡素な物だ。しかし、それでもこの世界の基準では裕福な者達しか許されない品質である。ブルー・プラネットとしては別にヘッケラン達を虐待しようという意図があるわけでもなく、余計なコストを掛けてわざわざ寝心地の悪いものを用意することもない。

 

「よし、分かった。それではこの調子で暮らしてくれ」

 

 2人の捕虜はホッとした表情で顔を見合わせる。自由はないが、衣食住の“衣”を除けばそんなに悪い暮らしでもない、住めば都だと思って。

 

「あの……アルシェには、また会えるでしょうか?」

 

 イミーナは本当の妹のように思っていた仲間の身を案じる。世話係のインクリメントに話を聞こうとしても、彼女は興味が無いようで「他のメイドが世話をしておりますから」というばかりだった。

 

「ああ、アルシェか……いつまでもシャルティアに任せておくわけにはいかないな……第六階層に行く前に、この部屋でしばらく暮らすか?」

 

 ブルー・プラネットの提案に、ヘッケランとイミーナは顔を見合わせる。

 

「あ、あの……ブルー・プラネット様、出来れば、その……別の部屋が良いんですが……」

 

 ヘッケランが口ごもりながら少し顔をニヤつかせ、イミーナを見ながら答える。

 その答を意外に思い、ブルー・プラネットは首を傾げる。

 

「あの子はまだ子供ですし……その……」

 

 イミーナも口ごもり、ヘッケランを横目で睨む。

 

「ああ……そうだな。プライバシーは大切だが――」

 

 寝室の区切りは薄い。しかも天井部分は開いている。ただのパーティションであり、声が筒抜けだ。

 シーツで裸を包んだ2人を見てブルー・プラネットはヘッケラン達の言わんとするところを理解する。

 

「――新しい部屋を用意するとなると……さすがに大変だな」

「そうですか……我儘を言って申し訳ございません」

 

 ブルー・プラネットが躊躇するのを見て、ヘッケラン達も頭を下げる。今の生活はこの化け物の気まぐれにすぎない。気を少しでも害したら自分の命は無い――それを理解しているのだ。

 

「いや、大した問題ではない。アルシェは私の部屋に一旦引き取ろう。同じ階層なのだから、そのうちお前達にも会わせてやる。心配することはない」

「あ、ありがとうございます!」

 

 ブルー・プラネットは枝を振り、裸で跪いて見送る2人の部屋を後にする。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 次に向かったのが第二階層、恐怖候の支配する「黒棺」と呼ばれる領域だ。

 

「これはこれはブルー・プラネット様! お越しいただき光栄の極みでございます」

 

 体長30センチになるゴキブリの姿をした領域守護者は、与えられた設定として鷹揚な口ぶりながら、嬉しさを隠しきれずにブルー・プラネットを迎える。

 

「ああ、お前も元気そうで何よりだ」

 

 帰還の宴の時は話す機会もなかったが……楽し気にブルー・プラネットも答える。

 

 その名のとおり、この領域においては黒い塊が無数に蠢いており、それはブルー・プラネットの足元にも身体にも群がっている。しかし、それは何の害もブルー・プラネットに及ぼさない。特別な力をもたない、ただのゴキブリだ。

 身体の表面を這いまわる無数の脚のカサカサとした感触をくすぐったく感じたり、時折、翅を直そうとするゴキブリのブブブ……という羽ばたきが聞こえたり、羽音とともに顔の前に飛んでくるのが煩かったりする程度で害が無い。

 

 むしろ、この部屋で動くたびにブチュリとした感触が起き、何匹もの眷属を潰してしまうのが気の毒だ。彼らは一応はモンスター扱いのため、生き物を損なわないスキルの対象外だ。眷属を殺すまいと気を使い、それでも踏み潰してしまってヌルヌルと床が滑る。

 不自由だが、仕方がないことでもある。この部屋はそのように造られたのだから。

 

「して、本日は何用で我が領域にお越し下されたのですかな?」

 

 2本の長い触角をゆっくりと振りながら、直立するゴキブリは王として創られた威厳をもって至高者に問いかける。

 

「ああ……2つほど聞きたいことがあってな」

「ほう、何なりとお聞き下され。吾輩が知る限りのことをお答えいたしましょうぞ」

「うむ、まず1つ目は、お前の眷属で外の世界に出て行った者がいるかどうかを知りたい」

 

 ブルー・プラネットの質問に、恐怖候は4本の腕を組み、天井を仰いで考える。

 

「さて……吾輩がこの領域を守って以来、吾輩の知る限り、外の世界に出て行ったものはおりませぬが……」

「『知る限り』というと、お前は召喚した眷属の場所を完全に把握してはいないのだな?」

 

 ブルー・プラネットは自分のシモベのことを考える。

 ブルー・プラネットが召喚したシモベたちは、何か目に見えない糸のようなもので繋がれている感触があり、その生死等を感じ取れるのだが、と。

 

「はい、吾輩が召喚する眷属は一度に1000を単位とする群れでございますがゆえ、その者達の1つ1つの場所までは管理できておりませぬ。今も、ブルー・プラネット様の御身に集る者達を制御できぬ不徳を恥じるばかりでございます」

「ふむ……それでは、少数の者が出ていった可能性は?」

「そうですな……エントマ殿が時々『おやつ』と称して我が眷属を食い荒らし、時には持ち帰られますが、可能性があるとしたらその時ですな」

「ああ……」

 

 エントマの姿を思い浮かべる。

 符術師である彼女のメイド服はポケットや襞が多く、彼女の身体自身にもいろいろと隙間がある。そこに、今自分の体に集っているように無数のゴキブリが入り込んだのであれば、外に逃げ出してしまった可能性は高い。

 このゴキブリたちは至高の存在であるはずのブルー・プラネットの身体にも無遠慮に這い登ってくる――知性は無いようで、逃げないでいることを期待するのは無理だ。

 

「エントマに聞いてみるか……いや、彼女自身が気付いてないなら仕方がないな。それに他のメイドたちにも……」

 

 帝都で“漆黒”として活躍していたナーベラル、村で見かけたルプスレギナ――その服や装備品にゴキブリが入り込んでいたのなら、仕方がない。

 

「分かった。では2つ目の質問だが、お前の眷属は外の世界の食料で殖えることが出来るか?」

 

 2つ目の質問に、恐怖候は胸を張って答える。

 

「当然でありますぞ、ブルー・プラネット様! 吾輩の種族は何でも食べるのが誇りでありますゆえ。外の世界の食料といいますと、先日ここに入り込んできた人間が2人おりますが、その者達の体は言うに及ばず、その血が染みついた服や皮靴まで余さず眷属がいただきました」

「……そうか、で、眷属たちはそれを美味いと感じたのか?」

「はっ! 大変喜んで食べておりました」

 

 ブルー・プラネットは頭を抱える。

 外界の人間がナザリックの食事をとることが出来るのと同様に、ナザリックの者も外界の食事をとることが出来ることが分かった。

 

「そうか、それで、外の世界の物で食べられない物はあったか?」

「そうですな、流石に剣や盾、それに服の鋲等は食べられずに残しましたが」

 

 金属類は食べられなかった――それはそうだろうとブルー・プラネットも納得する。

 そして、もう一つの事実――この『黒棺』に来るのは転移魔法によるということに気付く。

 つまり、第六階層への外来種の侵入と同じ問題――転移してきた物は元々ナザリックの魔法と親和性があった可能性は残り、この世界独自の物質の影響に対する疑問は解けない。

 

「分かった。それでは一つ頼みたいのだが……お前の眷属をいくらか貰えないだろうか?」

「ブルー・プラネット様! それは言わずもがなでございますぞ! ここにいる我が眷属、幾らでもお持ち帰り下され!」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ブルー・プラネットは居室の応接間でテーブルに乗せた大きなガラス瓶を眺める。

 

 ガラス瓶は2つある。

 

 1つは、トブの大森林から持って帰ってきた土。

 ブルー・プラネットはその土を調べる――無数の微小な生物が蠢いている。菌類も活発に活動しているようだ。<霧化>などの度重なる魔法や転移によっても消滅してはいない。

 

 ふむ――ブルー・プラネットは首を傾げ、更なる実験のためにその瓶を棚の上に置く。

 

 そしてもう1つは「黒棺」で貰った数百匹のゴキブリが詰められたガラス瓶だ。

 「黒棺」から転移したとき、絡み合う蔦の隙間に挟まって一緒に転移してきた数十匹も捕まえて一緒に入れている。これらはトブの森の要塞に持っていき、この世界の土で飼育する予定だ。

 

 ノックの音がした。

 

 開けてみると、アルベドが輝くような笑みを浮かべて立っていた。

 

「ブルー・プラネット様、大森林の御視察はいかがでございましたか?」

「ああ、楽しかったぞ。アウラも立派な要塞を立てていたな。大したものだ」

「左様でございますか……それでは、その、今後のご計画についてお考えを伺いたいのですが」

「ん? ああ、構わない。入ってくれ」

 

 何か打ち合わせる計画があったか?

 そう訝りながらもブルー・プラネットはドアの前で微笑む美女を部屋に招き入れる。

 

「ありがとうございます。それでは、ブルー・プラネット様がお望みの場所を……ブホォッ!」

 

 部屋に入ったアルベドは応接間のテーブルに着こうとし、その前に置かれたガラス瓶を見て――その中で蠢く黒い塊の正体に気が付くと、淑女は獣に変わる。怯え切った哀れな獣に。

 

 アルベドは椅子を蹴ってドアの方に飛びのき、壁に身を寄せて体中が痒いといった有様で鳥肌の立った腕を撫でまわす。青ざめた顔でガラス瓶を見つめながら、震える声で至高者の名を呼ぶ。

 

「ぶ、ぶ、ぶ、ぶるーぷらねっとさまぁぁぁ!?」

「ああ、恐怖候の眷属をちょっと借りてきてな……トブの森で実験に使うつもりだが」

 

 ブルー・プラネットはガラス瓶を持ち上げ、縺れた黒い塊をほぐそうとゆっくり回転させる。

 

「ちょっと体の隙間に入り込んだ奴もいてな……ほら、また出てきた!」

「はぶっ!」

 

 ブルー・プラネットは目の洞からゴキブリを一匹摘まみだしてアルベドに見せつけ、アルベドは仰け反って変な声を漏らす。

 

「まだその辺りを這ってる奴もいるかもしれないから、踏み潰さないように気を付けてくれ」

「ひっ……さ、左様でございますか。それでは、また、私は実験が終わりましたら伺います」

 

 顔を引きつらせてアルベドは足早にドアから出ていく。そしてドアを閉めると身体中を手袋をはめた手で掻き毟る。

 

 かゆいかゆいかゆいかゆい……

 

 もう二度とブルー・プラネット様の部屋には近寄らない――そう心に誓い、アルベドはブルー・プラネットの部屋を後にした。

 




ちなみに、私はゴキが腕を伝って顔まで這い上がってきたことがあります。
あれには流石にビックリしたなあ……

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