自然愛好家は巡る   作:コロガス・フンコロガシ

29 / 42
第29話 トブの森へ

 眠れぬ夜を過ごしたブルー・プラネットは、それでも明るくナザリック2日目の朝を迎える。

 

「モモンガさん、おはようございます」

「おはようございます、ブルー・プラネットさん」

 

 2人とも今起きたわけではない。「おはよう」もないが、しかし、人間同士の礼儀として今日の所は人間の習慣を守ってみた。

 

「昨晩も言いましたけど、今日はトブの森に行ってみようと思います」

「はい、俺も何度か行きましたけど、あそこまではちょっと遠いですよ? ブルー・プラネットさんは転移魔法使えましたっけ?」

「いえ……<帰還>でナザリックまで帰ってくることはできますけど、一度行かないと、拠点設定も出来ないと思います」

「じゃあ、俺の<上位転移>で行きますか? それとも<飛行>で……?」

「折角ですから、地上のルートで行こうと思ってます。色々と観察もしてみたいので……」

「ははは、そうですね。俺も以前、あそこで薬草採集とかしたんですよ」

「おっ! そうなんですか! いやあ、いいなあ……じゃあ、じっくり見てきますよ」

「そうですね、では、往復2日のコースですね。地上で行くならアウラと行ってください。アウラの仕事はマーレが代行できますから」

「はい、マーレの仕事は昨日私が半自動化したんで……じゃあ、負担にはならないですね」

 

 かつてのギルドメンバーは今や2人しかいないが、それでも当時の楽しさが蘇り、モモンガとブルー・プラネットは軽く笑いあう。

 

 しかし、この世界では「ゲーム」では片づけられない問題もある。

 

「でも、ブルー・プラネットさん、十分に気を付けてくださいね。アウラの他にシモベをつけましょうか?」

「いえ……逆にナザリックを知るシモベが捕まったら厄介ですよ。私の<帰還>ならアウラも連れて帰れますし、その場で使い捨てのシモベも召喚できますから、安心してください」

「そうですか……転移の指輪は置いて行ってくださいね。万が一無くすとセキュリティ上問題なんで」

 

 この世界には未知の敵がいる。それはワールドアイテムを使ってシャルティアを洗脳したほどの存在であり、いくら警戒しても警戒しすぎということはない。

 

「そうですね。では、指輪は誰かにナザリックの入り口で預けます」

「お願いします。ユリ・アルファを待たせておきますね」

「おっ、ユリですか!」

「っ……ブルー・プラネットさん! セクハラは無しですよ!」

「だから……あれは誤解ですって」

 

 モモンガが指を一本立てて忠告する。かつて、ブルー・プラネットは製作中のユリ・アルファを勝手に持ち出し、彼女の創造主やまいこさんに殴られたことがあるのだ。

 そして、今やユリ・アルファにも自我が存在する。ユリがブルー・プラネットを殴ることは無いだろうが、製作中の記憶で傷ついていたら、とモモンガは心配する。

 

「……信じてますよ。では、もう一つ、ワールドアイテムの件ですが――」

 

 昨夜のうち、パンドラズ・アクターと交代し、アルベドと共に選んでもらったワールドアイテムを取り出す。

 

「――これを持って行ってください」

 

 ブルー・プラネットは、差し出されたワールドアイテムを見てたじろいだ。

 

「え? これって使い切りのじゃないですか……?」

「はい、あくまで敵のワールドアイテムの効果を防ぐために持っているだけですよ」

 

 アルベドが宝物庫から持ってきたものは「二十」と呼ばれる特に強力なものの一つだった。強力すぎるがゆえに一度使うと消えてしまう。再入手には困難なクエストと強運が必要だ。

 効果は知られているが、勿体なさ過ぎて誰も使ったことが無いアイテムである。

 

 モモンガ自身、この貴重なアイテムを持ち出すことを一時は躊躇った。

 アルベドが「他ならぬブルー・プラネット様の為でございますから」と微笑んで主張しなければ別なものを選び直させていただろう。

 

 ブルー・プラネットのため――確かに、その通りだ。このアイテムを使わざるを得ないときは、すなわちブルー・プラネットが絶体絶命の危機である。アイテムをケチってブルー・プラネットが、この世界で唯一の友人が死んで失われてしまったら……

 そう考えると、最高級のアイテムで万一の時に備えるのも当然のような気がする。

 

 気になるのは、万が一それを使ってワールドアイテムが失われ、再ポップしたそれを敵が入手したらということだが、それも心配しすぎであるとアルベドは微笑んだ。

 

 このアイテムは必中必殺の効果をもつ。これを使ったとき、すなわち敵は死んでいる。

 仮に敵が複数のグループで殺しきれなかった場合でも、危機を乗り越え敵の正体が明らかになれば殲滅も可能であろう。ならば、敵を殲滅した後にゆっくりと再入手すればよい。

――そうアルベドは説明し、モモンガも納得した。

 

 更に言えば、ブルー・プラネットも当然このアイテムの価値は知っているのだ。

 むしろ、安易なアイテムを使いまくり、深みにはまる危険もある。自分たちの実力を宣伝する羽目になっても拙い。使ってはならない貴重品をもつことで、逆に危機を避けてくれるであろうという希望もある。

――そう考え、モモンガはアルベドが選んだワールドアイテムの携帯を許可した。

 

「ああ。さすがはモモンガ様……ブルー・プラネット様のお気持ちを汲んでくださるのですね」

 

 頬を赤らめ、潤んだ瞳でアルベドはモモンガを見つめ、ブルー・プラネットのために貴重なワールドアイテムを渡すという決断を称賛した。

 

「も、もちろんだ。私はアインズ・ウール・ゴウンの長として、友の願いに最大限配慮するのが当然だからな」

 

 いつもより近い場所から身を乗り出して迫る絶世の美女に気圧され、モモンガは慌てて頷く。

 昨夜の会話――外の世界を探検したいというブルー・プラネットの思い。

 それに最高の準備をして応えることが自分の為すべきことなのだとモモンガは信じている。

 

「分かりました。では、気を付けて持っていきます」

 

 昨夜の記憶を浚い、再び考え込んでいたモモンガを、ブルー・プラネットの声が現実に引き戻す。

 

「はい、それでは……何時ごろ出ますか?」

「ええ、モモンガさんの方でアウラとユリに連絡をしていただいて、準備が出来ればすぐにでも」

「了解です。それでは、こっちの準備が出来たら連絡しますね」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 モモンガから<伝言>の連絡がきたのは、もう少しで昼になるという時間だった。

 

『ブルー・プラネットさん、準備が出来ましたので、地上まで来てくれますか?』

「ほーい! 行きまーす!」

 

 第六階層の報告書をまとめていたブルー・プラネットは、書類を片付けると地上への出口に転移する。

 そこには、モモンガ、アルベド、アウラ、そして戦闘メイドプレアデスの3人――ユリ・アルファ、シズ・デルタ、エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ――が待っている。

 

「おや、ユリだけじゃなく、他の2人も見送りに?」

「ええ、折角ですので手が空いている者を呼んでまいりました」

 

 ブルー・プラネットの質問にユリが丁寧に会釈して答え、後ろの2人――無表情なメイドたちも揃って頭を下げる。

 

「それはご苦労。では、転移の指輪を預ける。頼んだぞ」

 

 ブルー・プラネットが指輪を外すと、ユリは一歩前に進んで絹のハンカチを広げ、それを捧げ持つように手を伸ばして指輪を受け取る。そして、そのまま一歩下がり、ハンカチで指輪を包んで頭を下げる。

 

「それでは、アウラ、案内を頼むぞ」

 

 ブルー・プラネットが声をかけると、アウラが「ハイッ」と元気の良い声で答える。そして、アウラはフェンリルに飛び乗り、その姿が掻き消える。呼吸音すら聞こえないその消失は、モモンガの魔法<完全不可知化>の効果だ。

 

「それでは、モモンガさん、行ってきます」

「はい、何かあったらすぐに<伝言>で連絡してくださいね。くれぐれも気を付けて」

 

 ブルー・プラネットはモモンガと手を振りあい、その姿が白い霧となって空中に溶け入る。

 これも魔法による不可視化の一種だが、モモンガの使う魔法とは系統が異なり、見破る方法も違う。また、アウラはアウラでレンジャーとしてのスキルによって隠蔽化を行っている。

 異なった方法で何重にも身を隠しているため、アウラとブルー・プラネットの2人が敵に同時に見つかってしまう可能性は低くなる。よって、敵襲を受けたとしても反撃しやすくなるのだ。

 

「ああ、行ってしまったな。もう少しゆっくりしていけば良かったのだが……」

「そうですか……そうですね。僭越ですが、折角お戻りになられたのですからナザリックをもっとゆっくりとご覧いただき、ご満足されてから行かれるのがよろしいかと」

「うむ……まだ色々と見せたいものはあるんだがな。まあ、私の我儘で引き留めても仕方がない。ブルー・プラネットさんの希望が第一だ」

 

 友人との別れを惜しむモモンガをアルベドが慰め、2人で第九階層に戻る。皇帝の来訪を間近に控え、2人で話し合わねばならないことは幾らでもあるのだ。

 

 残された3人の戦闘メイドは溜息をつき、緊張をほぐす。

 

「ユリ姉、緊張しすぎ」

「ブルー・プラネット様ハァ、トッテモオ優シイヨウニ見エタケドォ?」

「ええ……ブルー・プラネット様は美しい世界を愛されるとてもお優しい方……それは分かっているのだけど、なぜだか緊張しちゃうのよ」

 

 ユリは蒼白な顔で2人の妹たちに弁明する。

 

「結果トシテワァ、ブルー・プラネット様ニオ会イデキテ嬉シカッタヨォ」

「同感」

「そうね、2人とも、付いて来てくれてありがとう。さ、私達も戻りましょう」

 

 妹たちはユリを慰めるように語りかけ、ユリはそんな妹たちに感謝してナザリックの地下に戻る。

 そして、仲の良いアウラがブルー・プラネットと2日間二人きりで行動することを思い返し、ユリは自分でも良く分からない不安に襲われて呟く。

 

「アーちゃん、無事に帰ってきてね」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 2人はナザリックの壁を越え、そのまま疾風のごとき速度で森へ駆ける。アウラはフェンリルの背に乗って、ブルー・プラネットは文字通り一陣の風となって。

 

 様々な魔法とスキルを使用して不可視の存在となったアウラとブルー・プラネットは、それでもお互いの位置を確認でき、会話も可能だ。アウラがブルー・プラネットと感覚を共有するアイテムを装備しているためである。

 

「ブルー・プラネット様、ここから先が『トブの大森林』と呼ばれている森です」

「よし、それでは少し速度を落として行こう」

 

 ブルー・プラネットはこの森を十分に楽しむつもりだ。

 この世界に来たばかりの頃、あてども無く彷徨った森よりも遥かに深い森だ。この世界の人類がまだ足を踏み入れていない手つかずの自然と聞いて、嫌が応にも気持ちが高ぶる。

 

「この森は、アウラが探索中なのだな?」

 

 モモンガから聞いていた説明を確認する。

 

「はい、大きな湖があって、その周辺にはリザードマンの集落、さらに北にはトードマンたちが住んでいました。それに南にはハムスケ、東と西にはトロールとナーガが支配していたようですけど、みんな殺したかモモンガ様の部下になってます」

「ほう、流石だな。この世界特有のモンスターは居たのか?」

「はい、ナザリックには見られなかったマンドレイクの近縁種やマイコニドを見つけています」

「すごいな、この森はもう制覇したのか?」

 

 ブルー・プラネットは帝国領の森に魔獣やモンスターがほとんど見られなかったことを思い出して、アウラに対し羨ましさと少しばかりの嫉妬を覚える。

 

「はい……あらかた制覇したんですけど、まだまだ細かい場所は探索の途中です。それで――」

 

 褒められたと感じたアウラは嬉しそうに頭を掻きながら答える。

 

「――ザイトルクワエっていう魔樹を倒した後の跡地を利用して、要塞を建設中です」

「魔樹?」

「はい、モモンガ様がお見つけになり、守護者全員で連係プレーの練習台にしたんですよ」

「ほう……モモンガさんと守護者全員で……それはかなりの強敵だったのか?」

「いえ、レベルは80ちょっとの雑魚でしたけど、体力だけはすっごくありましたから」

 

 ブルー・プラネットは、その魔樹に興味をそそられる。

 ザイトルクワエ――そんな名のモンスターは聞いたことが無い。そして、80そこそこのレベルでありながら異様に高いHPを持っていたとは、この世界特有のモンスターである可能性が高い。

 

「それで、そのザイトルクワエだが、どうなった?」

「はい、守護者全員で攻撃し、最後にモモンガさんが『くるしみますつりー』という必殺技で仕留めました」

 

 その時の光景を思い出し、アウラはウットリとした表情を浮かべる。頂点に星の輝きを宿し、炎に包まれる巨木――それを成した偉大な主人の雄姿を思い出して。

 一方、ブルー・プラネットは顔を歪める――ユグドラシル時代、ギルド<シャーウッズ>の辛い思い出を掘り返されて。

 

『よう、メリークリスマス! 夜更かしする子にサンタさんから石炭の贈り物だぜ!』

 

 それは<シャーウッズ>の公園で有志と語らっていたところをマナーの悪いプレイヤーたちに襲われた思い出だ。燃え盛る石炭――<メテオフォール>を連発され、大きなダメージを負った。幸いなことに仲間達がいたため撃退できたが、あの時の屈辱は今も深く心に刻み付けられている。

 

「どうしました? ブルー・プラネット様?」

 

 アウラが心配そうな声をかけてくる。

 お互いの姿は見えないが、不機嫌そうに漏らした呻きを聞きつけたのだ。

 

「いや……何でもない。そうか、燃やされたか……それで、HPは0になったのか?」

「え? あー、最後は確認していませんですけど、燃えて木っ端みじんになりましたから……」

 

 アウラは答え、そして自らの失言に気付く。

 

「も、申し訳ございません、ブルー・プラネット様! 魔樹が『燃やされた』など口にすべきではありませんでした!」

 

 昨日の今日だ。ピニスンに投げかけた暴言を咎められたばかりで、魔樹を燃やした思い出を嬉々として語るとは――アウラの委縮した声に、ブルー・プラネットは慰めの声をかける。

 

「いや、敵だったのなら仕方ない。それよりもHPが0になったのは確認していないのだな?」

「は、はい……しかし、その跡地でも何も起きてませんけど……?」

 

 アウラが頷き、ブルー・プラネットにアウラの不思議そうな口調が伝わる。

 

「ふむ……植物系モンスターは生命力が強くてな、倒した後でも根や種の状態で隠れていて、一定時間後に復活することもあるのだ」

 

 ユグドラシルでのモンスターの知識であり、ザイトルクワエなるこの世界の魔樹にそれが適用されるかは分からない。だが、念のために調べておきたいし、サンプルを見つけることが出来れば言うことなしだ。

 

「そうなんですか! そう言えば、ピニスンがそんなことを言ってましたね……『昔倒されたのが復活する』とか」

 

 アウラとしては、この世界の歴史などどうでもいいことであり、その時は聞き流していた。しかし、今から行く要塞の周辺に魔樹の復活の可能性が残されているとしたら、それは見過ごすことはできない。

 

 あんな大きなのが出てきたら邪魔だな――そう思ってアウラはブルー・プラネットに提案する。

 

「それじゃあ、今から行く要塞の周辺で魔樹の根や種を探します!」

「ああ、楽しみだな。協力して探すことにしよう。でも、アウラ……見つけたら生かしたまま私に知らせてくれよ!」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 やがて2人は要塞に着く。それは広い円形の空き地に建てられた巨大な木造建造物だ。

 周囲には何人ものアンデッドやゴーレムが忙しく働いており、今もなお増築中である。

 アウラが<完全不可知化>を解いて姿を現し、近くのアンデッドたちに声をかけると、知性があるものは手を休めて跪く。

 

 そして、ブルー・プラネットも実体化し、倒れるように地面に膝をつく。

 巨大な要塞の周囲でゴーレムが樹々を切り倒している光景に衝撃を受けたのだ。

 

「ブ、ブルー・プラネット様! どうされましたか!?」

 

 アウラが驚いて声をかけてくるが、ブルー・プラネットの耳には入らない。

 

(そうか、さっき聞こえた悲鳴はこれだったのか)

 

 この場に到る数分前――距離にして数キロ――からブルー・プラネットには悲鳴が聞こえていた。それは痛みを訴える樹々が上げる叫びだったが、それが何を意味するかを悟る前に要塞に到着してしまったのだ。

 

「ア、アウラよ……この要塞は木造建築なのだな」

「はい……あっ! も、申し訳ございません。事前にお伝えしておりませんでした!」

 

 アウラは式典でブルー・プラネットが示した「至高の御方々の敵」を思い出す。

 

(毒の煙を吐き出しながら樹を切り倒す機械の獣――それがブルー・プラネット様の敵だった)

 

 アウラは大声で叫ぶ。悲鳴を上げるように。

 

「みんな! ちょっと作業中止! ゴーレムも止めてっ!」

 

 そして、とてつもない不安に襲われる。

 ピニスンへの失言、ザイトルクワエの最期、そして森の伐採――配慮を欠いた大失態に、折角帰還してくださった至高の御方が再び自分たちを見捨ててどこかに去ってしまわれるのではないかと。

 もし自分の失態でブルー・プラネット様が去ってしまわれたら、それは自分の命でも到底償うことは出来ないと。

 

「ブルー・プラネット様! お許しください!」

 

 アウラは耳を垂らし、ブルー・プラネットの前に跪いて非礼を詫びる。

 アウラの叫びを聞いたシモベたちも集まってきて、何事か理解しないままに跪き、首を垂れる。

 

「ああ……しかし、何故木造に? てっきり魔法で建造していると思っていたが……」

「はっ! 魔法ですと<魔法解体>(マジックディストラクション)などで一気に崩壊してしまう可能性があり、物質的基礎を置いた方が良いだろうと……」

「なるほどな……」

 

 ブルー・プラネットもそう言われると責めるわけにもいかない。自分が得意とする<自然の避難所>(ネイチャーズ・シェルター)でも同様の危険はあるからだ。魔法で作り上げた建造物は物理的な攻撃には強くとも、魔法によってあっけなく消滅してしまう。

 

「分かった。建築は認めよう。しかし……これ以上の伐採は、なるべく控えてくれるか?」

「は、はいっ! もうこれでほとんど完成しておりますので、これ以上の伐採は行いません!」

「いや……ナザリックの安全のためには手を抜くわけにもいかないだろうしな……」

 

 もやもやとした気分でブルー・プラネットはアウラ達を眺め、一つ質問をする。

 

「樹を切ったとき、周辺の動物たちはどうしている?」

「はい、この周辺にはザイトルクワエの影響か元々獣たちは少なかったんですけど、工事が始まってからは逃げてしまって見かけません」

「そうか……アウラはこの森の……この世界の獣は好きか?」

「はいっ! ハムスケとか、リザードマンの村のロロロも大好きです!」

 

 ハムスケは良い毛皮が取れそうだしね、と思いつつアウラは答える。

 

「そうか……森の獣たちとは上手くやっているんだな……」

 

 少し救われた気がして、ブルー・プラネットは溜息をついて立ち上がる。

 

「分かった。あとで私が樹々を回復させるから、気にせず作業を続けてくれ……いやまて、材木は回復魔法で消滅しないように加工済みか?」

「申し訳ございません、樹木の回復は試していませんけど、材木はあちらで<脱水>(デシケイト)で乾燥していますからお試しください」

 

 アウラが指す方向を見ると、皮を剥がれた樹の死体が山の様に積み重なっていた。

 ブルー・プラネットはそれに近寄り、中の一体に<常緑の癒し>を掛けてみる――何も起きない。

 

(なるほど、完全に死んでしまった樹には回復魔法は効かないのか)

 

 さらに詳しく観察する。

 魔法で均等に乾燥され、収縮によるひび割れもない。見事な材木だ。

 要塞を見る。木タールの防腐処理がなされた分厚い木板で作られた壁だ。ここまで加工されていると、樹の死体であるという意識は薄くなる。なんとも思わない。

 自分の意識を探ってみる。

 死んだ樹に対しては同情心はあまり湧かない。人間が人間の死体を見たときよりも平静だろう。

 命への執着が薄いのは樹の特性だろうか――ブルー・プラネットは頷いて、アウラに向き直り、微笑んで明るい声をかける。

 

「これならば、私が森を回復させても要塞が消えることはないな」

 

 跪いたままアウラは顔を上げてブルー・プラネットを見つめる。至高の御方のご機嫌は直ったのだろうかと。

 

「しかし、立派な要塞じゃないか。これなら私が魔法で補強するまでもないな。頑張ったな、アウラ」

 

 重ねてブルー・プラネットはアウラに笑いかける。

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 アウラの耳がピンと立つ。そしてようやく顔を緩ませて元気よく声を上げた。

 

「それでは、作業を続けてくれ。私たちは中に入らせてもらおうか」

「はい、どうぞこちらからお入りください」

 

 ブルー・プラネットはアウラが指したドアに向かう。木造ではあるが魔法によって補強された建造物の入り口が開き、巨体のブルー・プラネットに合わせて広がった。そしてアウラがドアに足を踏み入れると小柄な体格に合わせて縮む。

 

「それじゃあ皆、作業を再開してね!」

 

 アウラが大声で外の作業員たちに指示し、バタンとドアを閉めてブルー・プラネットに頭を下げる。これで樹が倒される光景は見えないという配慮なのだろう。

 

「ブルー・プラネット様、アウラ様、お待ちしておりました」

 

 入り口の部屋――応接間は天井からの<永続光>に照らされていたが、その中央には球状の暗闇が中空に浮いており、その中から小さな黒い影が挨拶をしてくる。

 

「はーい、ご苦労様! それではブルー・プラネット様、どうぞこちらへ」

 

 アウラが返事をかけ、ブルー・プラネットを頑丈な造りのテーブルとソファーに案内する。

 

「いや、私は立ったままで結構。しかし、内装も中々立派なものだな」

 

 ブルー・プラネットは短く太い脚をもち、座る必要が無い。その上、今は疲労を感じないようにアイテムを付けているのだ。むしろ立ったり座ったりする動作が煩わしい。

 

「お褒め頂き光栄の極みでございます」

 

 黒い影が頭を下げる。

 

「ブルー・プラネット様、何かお飲みになります?」

 

 アウラがキラキラとした目でブルー・プラネットを見上げる。先ほどまでの委縮はすっかり拭い去られ、子供らしい無邪気な笑みが顔に広がっている。

 

「いや……ああ、冷えた水を一杯頂こう。アウラも座って何か飲むといい」

「はい! それじゃ、お水とオレンジジュースをお願いね」

 

 アウラがポーンとソファーに飛び乗り、黒い影に注文を出す。その黒い影は頷いて周囲の闇と共に応接間を出ていく。

 

「彼が、あたし達がいない間のこの要塞の管理人です」

「そのようだな。きれいに整頓されているし……」

 

 ブルー・プラネットはアウラと向かいのソファーの前に立ち、周囲を見回す。

 そうしているうちに暗闇の小さな影が盆に水とオレンジジュースの入ったコップを持ってきて、テーブルの上に並べる。

 

「ありがとう」

「ごくろうさま。じゃあ、用があったら呼ぶから、仕事に戻ってね」

 

 ブルー・プラネットとアウラはコップを手に取り、影を労う。その影は嬉しそうに何度もお辞儀をして部屋を出ていった。

 

「みんな仕事熱心だな」

「そうですね。特に今日はブルー・プラネット様が来られると聞いて張り切っているようですよ」

 

 ブルー・プラネットはアウラに声をかけ、アウラは半分ほど飲んだコップを両手で持ちながら明るく答える。

 ブルー・プラネットは頷いて水を飲み干し、空になったコップをテーブルに置く。

 別に喉が渇いていたわけではないが、シモベに何か仕事を与えてその労をねぎらうことがシモベを最大限に喜ばせることなのだ。

 

「さてと、それでは本題だが、私が実験室として使える部屋はあるかな?」

「はい、部屋はいくつも作っていますし、ご必要であれば作り直します。地下がよろしいですか?それとも一階、もっと上の階が……?」

「ああ、なるべく静かで温度変化が無い……湿度も一定な地下室が良いな」

「それでしたら、こちらから行きましょう!」

 

 アウラが先に立ち、広い応接室の隅に向かう。そしてアウラは一見それとは分からない、分厚い板で塞がれた隠し戸を無造作に片手で持ち上げると、そのままお辞儀をしてもう一方の手でブルー・プラネットを先に導く。

 

 ブルー・プラネットが階段を下り、アウラが続く――奇妙なことだが、地下室に続く階段はブルー・プラネットの巨体でも楽に通れるように広がり、後ろのアウラの周辺では縮まる。

 

 2人は魔法の照明で照らされた長い階段を下り、地下の広大な空間に到着する。

 そこは巨大な倉庫となっており、予備の建築資材や食料が高い天井まで積み上げられていた。

 その横ではデス・ナイトなど各種のアンデッド兵が武装したまま組体操のように積み重なっている。その身じろぎ一つしないアンデッドの山の間を、何体かのエルダーリッチが歩き回ってメモを取っている。どうやら在庫の管理をしているようだ。

 

 エルダーリッチたちは、ブルー・プラネットたちに気が付くと集まってきて足元に跪く。

 

「ここは?」

「はい、倉庫と、モモンガ様が毎日スキルで生み出されるアンデッド兵の保管庫です」

「なるほどね……」

 

 数百体の中級アンデッドの軍勢――この世界ならば都市を、いや国を攻め落とすのも容易であろう――を見てブルー・プラネットは唸る。

 

「……しかし、スキルで召喚したアンデッドを保管できるのか?」

「はい、どうやら召喚するだけでは一定時間経つと消えてしまうのですが、この世界の死体を媒介にするといつまでも持つらしいです」

「ああ……そうか。しかし、これだけの死体の確保も大変だったろう」

「ええ、デミウルゴスの作戦でこの前に大量に確保できました。第5階層に凍らせてありますけど、まだ数千体は残ってますから当分は安心です」

 

 エルダーリッチたちを引き連れて死者の軍勢の前を歩きながら、アウラは王国での作戦を説明する。

 この倉庫に積まれている資材や食料は、その時に入手した物らしい。アンデッドの軍勢に食料は不要だが、協力関係にある外界の人間へ支給したり、交易によって金貨を得るために保管してあるのだという。

 

「そうか……ああ、前に『王国で悪魔が出た』という事件、それがデミウルゴスか」

「はい! デミウルゴスが『魔王』として王国を襲い、モモンガ様との戦いを演じたそうですよ」

 

 アウラが面白そうに明るく笑う。

 

「なるほど……モモンガさんが『正義の味方』で、デミウルゴス演じる『魔王』を追い払ったと」

「ええ、それでモモンガ様は王国最高位の冒険者と知り合いに……あ、ここです」

 

 アウラの説明が中途半端に終わり、倉庫の端にある一室の前で立ち止まる。

 

「この部屋でいかがでしょう?……すぐにブルー・プラネット様のためにお飾りいたします」

 

 そこは、いわば倉庫の管理人部屋として区切られた空間だ。

 中に入ってみると、簡素なテーブルが幾つか置かれただけの殺風景な部屋だった。中では何人ものエルダーリッチたちが仕事をしており、2人を見ると立ち上がってお辞儀をする。壁には一面に地図や資料が張られ、机の上にも書類が積み重なっている。部屋そのものは十分な広さがあり、実験室としては申し分ない。

 

「ああ、ここで十分だ。……それに、余計な飾りは必要ない。このままでいいぞ」

 

 アウラはエルダーリッチ達の方を向いて何か指令を飛ばしかけたが、それをブルー・プラネットは制する。実験室には余計な飾りは邪魔になるのだ。

 

「はいっ! それでは、ここをブルー・プラネット様の御実験室といたします。いいよね?」

「はっ! それでは直ちに立ち退きますので、しばしお待ちを」

 

 アウラが確認すると、エルダーリッチたちは部屋を空けるため、積みあがった書類を片付け始める。

 

「しかし、お前たちはどうするのだ?」

「はい、倉庫の反対側に同じ造りの予備部屋がありますから、そちらに移ります」

「なんだ、予備部屋があるのなら、私がそちらに移ればいいじゃないか」

 

 ブルー・プラネットの提案に、両手一杯に書類を抱えたエルダーリッチたちは顔を見合わせる。

 

「しかし、予備部屋は地下の入り口から遠いですから、至高の御方にご迷惑かと」

「いや、それは問題ない。私の転移の指輪に登録すれば……」

 

 そう言って、ブルー・プラネットは指輪を置いてきたことに気が付く。

 

「……ゴホン、いや、魔法で移動すれば時間はかからんから大丈夫だ。それよりも、お前たちのに手間を掛けさせてこの要塞の整備が遅れることの方が問題だろう」

「そうでございますか……ご配慮を深く感謝いたします。それでは、奥の部屋にご案内いたします」

 

 エルダーリッチたちが揃って頭を下げ、アウラも納得した風でその部屋を後にする。

 今度は1人のエルダーリッチが先頭に立ってブルー・プラネット達を案内した。

 

「こちらが予備の部屋として用意しておいた部屋でございます。机などはすぐにゴーレムに命じて運ばせますので、しばしお待ちください」

「ああ、ありがとう。余計な飾りのない長机を……5つほど頼む。椅子はいらんからな」

「左様でございますか。あと、急いで1階からの直通の階段を作らせます」

「悪いな。急ぎではないので空いた時間にでも頼む」

 

 案内された部屋には何も置かれていなかったが、それが逆に好都合だ。

 ブルー・プラネットは枝を伸ばして身振り手振りで必要な机のサイズや置く場所をエルダーリッチに伝え、エルダーリッチは<伝言>で他の部署に連絡し、やがてゴーレムが机と照明を運んできた。

 

「よし、それでは、2つの机をこっちとそっちの壁に着けて、のこりの3つは平行に等間隔で……」

 

 エルダーリッチが使っていた仕事机と同じものがゴーレムによってテキパキと並べられる。<永続光>の照明が天井に取り付けられ、実験室としての体裁が整った。

 

「それでは、この世界の布を少し貰えるか?」

 

 資材置き場であることが幸いし、エルダーリッチは命じられたものを即座にそろえる。

 ブルー・プラネットはガラスの容器を取り出す。第六階層から持ってき土が入った容器だ。トントンと瓶を叩いて土を均し、蓋を開けて土の上に布を敷く。

 そして、興味深げにその様子を見ていたアウラに声をかける。

 

「さて、採集に行こうか」

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 要塞の周辺でブルー・プラネットはアウラと地面を眺める。

 魔樹の影響で平野になっていたという場所には生物相が乏しく、まばらに草が生えているだけで、土を掬ってもミミズすらほとんど見つからない。匂いも薄く、この周辺の生命が全体的に痩せていることを感じ取る。

 この土地に<浄化>を掛ければ豊かさを取り戻すのだろうか――ブルー・プラネットは昨夜、ナザリックの外で試した実験を思い出す。ナザリック周辺の草むらでは<浄化>による微生物の消失は起きなかったのだが――。

 

「その魔樹はこの辺の木を食べて体力を回復させていたんだな?」

「はい、そんなに強くなかったんですけど、ともかく体力だけはありました」

「ふむ……口からの吸収以外にも、根からもドレインできる能力持ちだったようだな」

「はい、そうだと思います」

 

 そこで、要塞からやや離れる。土壌の状態は幾らかマシで、草木も増えている。

 さらに森の中へと入っていく――ゴーレム達が樹を切り倒しているのとは反対方向に。

 様々な小動物の駆ける音が周囲から聞こえる。黒く湿った土は豊饒な香りを醸し出し、一掬いの土の中に各種の線虫が蠢いている。生きた土だ。

 

「よし、この土を少しばかり持っていく」

 

 ブルー・プラネットはそこの土を小瓶に詰め、一旦要塞に戻る。そして管理人である小さな黒い影に食料――ナザリックの魔法で作られた物――を一欠片貰い、地下倉庫の実験室に戻る。

 

「ブルー・プラネット様、これはどういう実験なのですか?」

 

 不思議そうな顔でアウラが尋ねる。

 

「ああ、この近辺の土に棲む生き物が、ナザリックの中の土で育つのかを調べようと思ってな」

「なるほど! でも、マーレが森の中で樹を操っていましたから、この世界の生き物も魔法を使えば育てられるのではないですか?」

「ああ、それは分かっている。しかし、私が知りたいのは魔法を使わなかった場合なのだ」

 

 アウラは半分理解したような、理解していないような、複雑な表情を浮かべる。

 魔法を使えば幾らでも動物や植物を育てることはできる。魔力もそれほどの負担にはならないし、時間が経てば回復するのに――そんな疑問の顔だ。

 

「アウラ、お前の疑問は分かる。育てようとすれば魔法を使えば簡単なことだからな。だが、私が知りたいのはもっと別な――この世界の仕組みを知りたいのだ」

「ブルー・プラネット様、お心を理解できないあたしの愚かさをお許しください。しかし――」

「ああ、良いとも。アウラよ、お前は我々に『かくあれ』と創られた。だが、我々が創ったのではないこの世界はどこから来たのか、ここで我々はどうあるべきか……そういうことなのだ」

 

 ユグドラシル時代であれば、アウラの頭上にクエスチョンマークが浮かんでいただろう。

 ブルー・プラネットの話は、いわば「宇宙の始まる前はどうなっていたか」の類だ。

 ナザリックの者達にとって神に等しい造物主――至高の御方々が如何にあるべきかなど、ナザリックの者達にとって思いもよらない疑問である。

 

「……よく分かりませんけど、あたしたちは至高の御方々に創られたときからお仕えして、ずっとずっとお仕えします……それでよろしいでしょうか?」

「ああ、良いとも。それで良い」

 

 ブルー・プラネットはアウラの頭を撫で、アウラは目を細めて幸せそうに顔を緩ませる。

 

「さて、実験を始めるか……」

 

 ブルー・プラネットは第六階層の土の上に被せた布の上にトブの森の土を一掴み乗せる。

 そして、魔法の水差しから少しばかり水を出し、別の布を湿らせ、それで瓶の口を覆う。

 しばらく見ていると森の土から様々な蟲が這い出して、光を避けてガラス容器の中の土に潜り込んでいった。

 

 もう一つ――ブルー・プラネットは別なガラス容器にトブの森の土を入れ、その上に布を敷く。そして、その上にこの世界の食料とナザリックの食料、それぞれの一欠片をそっと置く。少し経つと土の中から小さなダニのような生き物が這い出し、布の上に置かれた食料に群がってきた。

 

「さて、これでひとまず終わりだ。明日、また観察することにする」

 

 ブルー・プラネットはそう言い、さらにもう一つのガラス瓶――森の土を入れたもの――を布で梱包し、飲み込む。ナザリックに帰って階層間を転移したときに土の微生物がどうなるのかを調べるためだ。

 

 アウラは顔じゅうに疑問を貼りつけてブルー・プラネットを見上げる。

 この世界の成り立ちと、瓶の中の一掴みの土――その関係はアウラの理解を越えているが、至高の御方のすることには何か深い意味があるに違いないだろうと。

 

「ははは……つまらないだろう? 今からもっと面白いことをしよう。魔樹の根っこの探索だ」

「はいっ! それでは行きましょう!」

 

 アウラの顔が明るくなる。耳をピンと立てて、待ってましたと嬉しそうな声で叫ぶ。

 至高の御方々の一人であるブルー・プラネットのお側にいるだけで自分は幸せなのだが、出来ればこんな地下の狭い部屋の中ではなく、日の当たる森の中でお役に立ちたい――決して文句を言うことはないが、アウラの内心はそんなところだ。

 




捏造設定:ザイトルクワエ跡地が要塞に。地下室の倉庫とかも捏造です。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。