風呂から上がったモモンガとブルー・プラネットは脱衣場でアイテムを装備しながら語り合う。
「いやあ、モモンガさん、咄嗟によく反応できましたね!」
「いえいえ……ブルー・プラネットさんこそ、腕は衰えていませんね!」
やや興奮気味に語られる内容は、先ほどの風呂場での戦闘だ。敵としては大した強さでは無かったが、この世界で初めて友人と一緒に戦ったという事実が2人の心を熱くした。
最初の何発か被弾した個所を各々の魔法で修復する。
蚊に刺された程度のダメージだが、これからNPC達に会うことを考えれば無傷でいた方が平穏で済む。
「かすり傷でもついていたら、ほんと大騒ぎですから」
モモンガからそう注意され、ブルー・プラネットは胴体の凹みや汚れをチェックする。
モモンガは再度<大致死>を自分に対してかけ、欠けた顎を完全に修復する。
「へー、なるほど……歯の欠損部分に新たなエナメル質が形成された……」
横からブルー・プラネットが興味深げに覗き込んで感想を漏らした。
「私も自分の葉や枝を復活させたことがあったんですけど、不思議なもんですね」
葉や枝であっても消失した部位が現れるのは現実世界では考えられないことに違いはない。しかし、やはり「骸骨が回復する」というのは不思議だという感覚がブルー・プラネットには残る。
「へぇ、ブルー・プラネットさんに傷をつける敵がいたんですか?」
意外そうにモモンガが尋ねる。
「いえ、自分で……薬師のフリで薬草のサンプル見せる必要があって切り取ったんですよ」
「ははは、なるほど。それは大変でしたね」
「いやぁ、ちょっと痛かったけど、むしろこの世界の物でこの身体を傷つけるのに一苦労でしたよ」
2人は笑いあい、最後に主装備を纏って風呂場から出る。
ブルー・プラネットの主装備は3点のみ――王笏と冠とローブだけだ。他に指輪やブローチなどの補助アイテムも身に付けているが、鎧も籠手も靴も身に付けていない姿はいかにも貧弱に見える。
「ブルー・プラネットさん、装備はこれだけでしたっけ?」
そう尋ねるモモンガも大した装備はしていないが、それは貧弱な侵入者を迎え撃つためにあえてそうしただけで、いつもは神器級アイテムに身を包んでいる。
「ええ……ほら、私は元々鎧とか使わないし、引退したときに上級装備は譲っちゃいましたから」
「そうでしたね。宝物殿には幾つか装備が残っているはずですから、あとで……取ってきます」
「残ってますか? じゃあ、一緒に行きましょう」
「あ、いや、ちょっと、その、トラップが面倒なので俺だけで行きます」
藪蛇だった――モモンガはバタバタと手を振ってブルー・プラネットを止める。
宝物殿には引退した仲間たちのアヴァターラが装備を纏って立っているのだ。
あまりにも恨みがましすぎる。ブルー・プラネットが宝物殿に行く前に、アヴァターラを隠さなければならない。
――モモンガは宙を見つめて予定を組み立てる。
「そうですか。すみません……お任せします」
トラップが面倒だと言われれば、ブルー・プラネットも敢えて宝物殿に行くつもりはない。
それに――すでに譲った装備だ。売られて換金されていても文句は言えない。モモンガに手間を掛けさせた挙句に「やっぱり残っていませんでした」と恥をかかせることもないだろう。
「――いや、この装備が一番馴染んでいるので、これで良いですよ。アイテムで補強すれば十分ですから。昔の装備はまた機会があったときに……」
ブルー・プラネットは自分がもつ唯一の神器級装備である王笏を振って見せる。
「そうですか? ブルー・プラネットさんがそう仰るならいいですけど、これから帰還祝いで着飾った方が良いんじゃないですか?」
モモンガは首を傾げながらも、どこかホッとした口調で言う。
「じゃあ、何かキレイなアイテム着けていきますよ……私の部屋のアイテムを残しておいてくれて、ありがとうございました」
「いえいえ……実は、ブルー・プラネットさんの部屋……ベルリバーさんが残すように主張したんですよ。『あいつは必ず帰ってくるから』って」
「そうだったんですか……あいつが……」
そのベルリバーさんも既に引退しちゃいましたけど――モモンガは寂しそうに付け加える。
元の世界でも接点が無くなってしまった友人を懐かしみ、ブルー・プラネットはしばし沈黙する。
「……さて、どうです? 俺の部屋で打ち合わせをしますか?」
「ええ……っと、その前に捕虜たちを部屋に運んでおかないと」
しんみりした空気を破り、モモンガが声をかけた。
その提案にブルー・プラネットも気分を変えて答え、モモンガはカシャリと手を打ち合わせる。
「そうでした。あの侵入者たち……えっと、神官は『真実の部屋』で、2人はそちらの居室前でしたか」
「ええ、では、私の方を片付けたらモモンガさんの部屋まで行きますから、ちょっと待っててくれます?」
「はい、待ってますね」
モモンガはそう言うと転移の指輪を作動させ、風呂場の前から消えた。
ブルー・プラネットも同じく指輪を使い、自室の前に転移する。
◇◇◇◇◇◇◇◇
第九階層のブルー・プラネットの居室前には2つの檻が置かれていた。
その中にはそれぞれヘッケランとイミーナが座っており、怯えた目で突如現れたブルー・プラネットを見つめている。
「よしよし、暴れてなかったようだな」
ブルー・プラネットとしては、2人が暴れて焼け死んでいようが大した問題ではなかった。死んでいれば蘇生魔法の実験に使えるし、蘇生に失敗しても第六階層の肥料になるかもしれない――その程度の認識だった。
だが、生きていればそれに越したことはない。
「ブルー・プラネット……様、俺たちはどうなる……んですか?」
ヘッケランが震える声でブルー・プラネットに尋ねた。
「んー、正直、あまり考えてない。だが、そうすぐ殺そうってわけでもないよ」
ブルー・プラネットは答えながら心の中で魔法の暗証番号を唱え、自室のロックを解除する。
「よし、暴れるなよ」
開いたドアを片手で押さえながら、もう1本の腕の蔓を伸ばして2つの檻に引っ掛ける。
そして、軽々と2つの檻を持ち上げて、そのまま部屋の中に運び入れる。
「よっこらしょっと」
ブルー・プラネットは声を上げる。気分の問題であって、重たいわけではない。
そのまま部屋の中の空いたスペースに檻を下ろし、中の2人を眺める。
ヘッケランとイミーナは、自分たちを見つめる樹の怪物に目を合わせることが出来ず、目を伏せた。
「そんなに恐れることはないんだがな」
目を合わせようとしない2人に対してブルー・プラネットは声をかけ、その声に反応して2人は恐々と目を向ける。恐ろしいが、声を無視して目を伏せたままでは怒りを買うかもしれない――そんな表情で。
「あ、あとの2人はどうなったの?」
勇気を振り絞り、ここにいない仲間を案じて声を上げたのはイミーナだった。
「ああ、ロバーデイクはモモンガさんが何か実験に使うらしい。アルシェは……私たちの部下が面倒を見ているよ」
「ロバーデイク……あなたは彼を知っていたのですか?」
名乗っていないはずの神官の名が出たことに疑問を感じ、ヘッケランが恐る恐る尋ねる。
神のごとき力をもつこの化け物ならば“フォーサイト”のメンバーの名を知ることも容易いのかも知れない。しかし、理性的な会話ができるならば、現状を好転させる切っ掛けになることも――そう期待して。
「ああ、アーウィンタールでブルプラという薬師達にあっただろう? あれは私だからな」
「え? あの……」
なおも意味を理解していない2人に、ブルー・プラネットは説明を続けた。
「ブルプラとネット、あの2人は私が作ったシモベたちだ。そして、その身体を使ってお前達と話していたのが私だよ」
ヘッケランは俯いて拳を握り締める。自分たちの行動が全てこの化け物たちの掌の上にあったことを理解したのだ。
「あなたが……あなたが私たちをこの地下墳墓に誘い込んだのね……目的は何? 何のために?」
イミーナが震える声で尋ねる。
「ん? いや、それはモモンガさんが“漆黒”のモモンとして仕組んだことだ」
「なっ……」
ブルー・プラネットが何気なしに伝えた真実に、ヘッケランとイミーナは愕然とした表情を浮かべる。
「ば、ばかな……あのスケルトンがモモンさんであるはずが……」
ヘッケランは、かすれる声で化け物の言葉を否定する。
密かに残していた希望――自分たちが帰らなければ“漆黒”のモモンが救出に来るという可能性を打ち砕かれたのだ。
「んー、そうは言っても事実だしな……まあ、信じようと信じまいと勝手だが」
ポリポリと枝の先端で顔のあたりを掻きながら気楽に答える樹の怪物――ブルー・プラネットを見て、その言葉が真実であることをヘッケランとイミーナの2人は悟る。
「では、もう他のチームは――」
「ああ、全滅したらしいよ。生きている者もいるが、まあ、大変なところに送られたらしいな」
ブルー・プラネットは風呂場での雑談で聞いた話をこともなげに伝える。実際、ブルー・プラネットには他の侵入者達には何の思いもない。目の前のヘッケラン達にしても、たまたま最後に居合わせただけの存在でしかない。
「……分かりました。それで、私たちはどうなるんでしょう?」
力の抜けた声でイミーナが尋ねる。
「さっきも答えたけど、君たち2人をすぐに殺そうとは考えてない。だが、ロバーデイクは……まあ、殺しはしないと思うが……モモンガさん、かなりキレてたからなあ」
闘技場でのモモンガの様子を、そして自分が“砦の牙”にしたことを思い出しながら、ブルー・プラネットは首を傾げつつ答える。
自分が言わなければ、モモンガは“フォーサイト”の全員を躊躇なく殺していただろう。
そう感じたからこそ、ブルー・プラネットは3人を引き受けた。たまたま居合わせただけだが、自分が利用した者たちがむやみに命を奪われるのは何となく気分が悪いのだ。
「アルシェは……あの子は……」
イミーナが目を泳がせながら呟く。
「ああ、あの子か……役に立ってくれたからな。彼女はなるべく優遇するつもりだ」
「そうですか……ありがとうございます」
実の妹の様に思っていた少女が酷い目にあわされていないと知り、イミーナは安堵して礼を言う。
「なんとか、私たちを解放してもらえるわけにはいきませんか?」
ヘッケランが尋ねる。化け物が会話が通じる相手だと分かってか、幾分か声に力が戻っている。
「申し訳ないが、それは出来ないな。『すぐには殺さない』ということで、今は満足してくれ」
「……そうですか」
ヘッケランにも分かっていたのだろう。それ以上、尋ねることはなかった。
「では、モモンガさんを待たせられないからな。お前たちの処遇は、また帰ってから考える」
そう宣言し、ブルー・プラネットは2人に向かって蔓を伸ばす。
2人はびくりと身を震わせ、迫ってくる蔓を見つめるが何も抵抗は出来なかった。
その蔓は2人の首筋に刺さり、睡眠薬が注入される。
ヘッケランとイミーナが狭い檻の中で崩れ落ちるのを確認し、ブルー・プラネットは転移の指輪を発動させた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「もしも~し」
モモンガの居室前に転移したブルー・プラネットは、その重厚なドアをノックする。
「あ、どうぞどうぞ、入ってください」
ノックの音で顔を出したモモンガは、笑いながらブルー・プラネットを自室に招き入れる。
「すみませんね、遅くなって。あの捕虜たちとちょっと話をしていたものですから」
「いえいえ、俺もちょうど仕事があったんで……」
ドアを閉めて、モモンガは朗らかに笑う。
「それで、モモンガさんはあの捕虜……ロバーデイクとかいう神官をどうしますか?」
「ええ、この世界の魔法の根源について調べようと思いまして。記憶操作で信仰体系を弄ろうと」
「ほぉ、なるほど。では私も、あの2人はポーションの実験に使おうかな……」
とりあえず、モモンガは神官をすぐに殺すつもりはないらしい。
――ヘッケランたちに言った言葉が嘘ではないことに安堵して、ブルー・プラネットは頷いて呟く。
「さ、ドアのところで立ち話もなんですから、奥にどうぞ」
モモンガが促して、ブルー・プラネットは部屋の奥に進む。
「うわぁ……すごいですね」
ブルー・プラネットが驚いたのは、モモンガの仕事机に積まれた書類の山である。どうやらブルー・プラネットが来るまでその書類に目を通していたらしい。
書類には細かい字でびっしりと数字や図が書き込まれており、何の費用が金貨幾らである等の説明が読み取れた。
「これ、ナザリックの……運営の資料ですか?」
「ええ。まあ、アルベドとデミウルゴスが実務のほとんどをやってくれてるんで、俺は最後に承認するくらいですけどね」
モモンガは、パンパンと机の上に積まれた書類の束を叩く。
「いやあ……承認するだけって、それにしても凄いですよ。お疲れ様です」
元の世界でプロジェクトの申請や成果報告などの書類手続きに忙殺されていたブルー・プラネットはモモンガの苦労を知って深々とお辞儀をする。
「ははは、まあ、この身体になってから『疲れる』ってことは無いんですけどね」
「ああ、そうですね……それは私もですけど……それでも大変でしょう」
「ええ、ですから、今後はブルー・プラネットさんにも手伝ってもらいますよ!」
モモンガは横に立つブルー・プラネットを見上げ、骸骨の顔でカカカと笑う。
「うへ……ああ、そうだ。そういえば魔法で何とかなるのかな?」
ブルー・プラネットは最大化した<知力向上>の魔法を自分にかける。そして、書類の束を取り上げて――
「ちょっと見せてください……ほう、なるほど、これはリザードマンの村への食費ですか。こちらはカルネ村への支援内容。へぇ、ゴブリンとオーガの集団を人間の村に……リザードマンがほぼ自給自足に移行しつつあるのに対して、ゴブリンたちは食料と装備品の負担が大きいですね……」
――パラパラとめくる書類の内容が一目で頭に入る。元の身体ではありえないほど、自分の記憶力や情報処理力が向上しているのが分かる。
「おおっ、ブルー・プラネットさん、凄いじゃないですか……って、本当に読んでるんですか?」
モモンガが驚いて声を上げた。一々目を通していたら何時間もかかるであろう書類の山がみるみるうちに捲られていくのだ。
「ええ、このカルネ村ってのは近くの人間の村ですね? ルプスレギナがいた……地上侵略の拠点にしてるんでしたね? 食料が必要であれば食料生産系モンスターを召喚しましょうか?」
ブルー・プラネットは頷きながら早口でモモンガに答える。
「ははは、いや、地上侵略ってわけではないですけど、そうですね、食糧生産系はありがたいです」
「ん? 侵略の拠点でないとすると……かなり資材を投入してますけど、それだけの価値がこの村に?」
評論家のような口ぶりだ――モモンガが笑ってブルー・プラネットの勘違いを修正した。
ブルー・プラネットはその言葉に手を止めてモモンガを見つめる。
たかが人間の村になぜ肩入れするのか――そんな疑問が浮かんだのだ。
「ええ、ちょっとこの世界の知り合いがいて、薬の開発をしているんです」
「ほう、薬の開発ですか。それは興味深いですね」
「ええ、この世界では回復系ポーションは青いんですが、ナザリックの原料で紫のモノができるようになったんですよ」
「ほう! それは興味深いですね。この世界の技術でユグドラシルの原料を扱うのは私も帝都で試しましたが……」
「そうなんですか。じゃあ、その薬師……ンフィーレアというんですけど、会ってみます?」
「ええ、楽しみですね……でも、この身体じゃなんですので、シモベを回収してからにします」
「ああ、帝都で薬師として使っていたシモベですね」
「ええ、今は動物に戻して森に放ってますけど……」
早いところ回収しなくてはいけないか――ブルー・プラネットは小刻みに頷く。
「それにしても、ブルー・プラネットさん、さっき使った魔法は何ですか?」
「ああ、ドルイドの魔法で<知力向上>ってのがあって、本来はMP消費の低減とかですけど、この世界では理解力や記憶力が上がるみたいなんです」
「ちょ、ちょっと俺にも掛けてくれますか?」
モモンガが自分の頭をブルー・プラネットに向かって差し出す。
「ええ、では……<最大化><知力向上>」
モモンガの眼窩の奥の光がポッと明るさを増し、モモンガも猛烈な勢いで書類を捲り始めた。
「おおっ! いやこれ……ブルー・プラネットさん、これ、ズルいですよ!」
「ズルいって……良かったら、これ、ポーションにも出来るんで、作り置きしときましょうか?」
早口になったモモンガに、ブルー・プラネットも早口で笑って答える。
「ええ、ぜひお願いします!」
モモンガは早口で叫び、カクカクと小刻みに何度も頷いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「――それで、帰還祝いの件ですが……」
机の上の書類の山が片付いたころ、ちょうど魔法の効力も切れた。情報量が魔法による処理の規定値に達したのだろう。
通常の口調に戻った2人は本題に入る。
「ええ、そうですね……そっか、デミウルゴス、こんな感じで世界が見えてたのか……」
<知力向上>の効果に興奮が冷めていないモモンガは
「やはり、デミウルゴスは鋭いんですか?」
「そう、そうなんですよ。いっつも何か自分一人で納得して、私が置いてけぼりにされて……」
「へぇ……そうなんですか。確かに設定ではそうなってましたけど、知識はどうなんです?」
「何でも知ってますね。軍事・外交ではデミウルゴス、内政ではアルベドに頼りっきりです」
モモンガの愚痴に、ふむぅ、とブルー・プラネットは唸る。
自分で何度か<知力向上>の実験をしてみた結果、確かに記憶力や理解力は増すものの、「知らないこと」を「知っている」ようには出来ないことが分かっている。
ならば、デミウルゴスの知識は……設定には「智謀に優れる」とあっても細かい知識の内容までは書かれているわけではない。その知識がどこから来ているのか不明だ。
「……まあ、いずれにせよ、その賢い2人を納得させる話を作る必要がありますね」
「そうなんです……ちょっと、彼らが今何をしているか、聞いてみますか?」
モモンガはそういって<伝言>を唱える。
「アルベドか? 先ほど風呂から上がったのだが……」
『アイ……モモンガ様! ご連絡くださいましたらすぐに私がお召し物を用意いたしましたのに』
「あー、そうか、いや、まあ、大丈夫だ。それで、今は何をしている?」
慌てたように手を振りながら、モモンガは話を進める。
『……はい、ブルー・プラネット様のご帰還を祝う宴の件ですが、ナザリックの主だった者たちに連絡をしている所でございます。場所は未定ですが、玉座の間でよろしかったでしょうか? セバスなど遠隔地で活動している者たちの帰還も考えますと、夜明けまでには準備が整うと思われます。また、食事の準備など、モモンガ様のご指示をいただきたく存じます』
アルベドは一瞬声を詰まらせたが、すぐに淀みなく答える。
「ふむ、そうだな、場所は玉座の間がよかろう。セバスたち遠方で働いている者たちには可能な限り出席するように伝えろ。時刻は……え?……」
モモンガは威厳をもって指示をするが、ブルー・プラネットに横から突かれて<伝言>を閉じる。
「なんですか?」
「いえ、もし手が空かないNPC達がいるのなら、そんな無理に越させなくていいですからね」
「何言ってるんですか! これは最優先事項ですよ!」
「えー、なんか申し訳ないな……まあ、お任せします」
モモンガは断言し、ブルー・プラネットは首を傾げながらも同意する。この数か月の間にナザリックで起きたことを把握していない身では、モモンガの判断に任せるべきだと考えたのだ。
「あ、それとブルー・プラネットさん、食事はどうします?」
「食事ですか……私は必要ないですよ」
モモンガは頷いて<伝言>を再びアルベドに繋ぐ。
「……アルベドよ、すまなかったな。それで宴の時刻だが、明朝の10時からではどうだ? それに、食事は無くて良い。私もブルー・プラネットさんも必要ないから、お前達が気を使っては拙いだろうしな」
『はい、かしこまりました。それでは、そのように皆に伝えます』
<伝言>が終わり、モモンガは机の上の紙に「10時からパーティ」とメモをする。
「10時からですか」
「ええ、NPC達には食事をとる者もいますからね。とくに一般メイドはホムンクルスで食事の量が多いので、彼女たちの朝食が終わってからが良いかと」
「なるほど」
ブルー・プラネットはモモンガの配慮に感心する。ナザリックにいる無数のNPCの特質を逐一考慮することなど中々出来ないことだ。それに、時刻はまだ0時を回ったところだ。睡眠も休息も必要ない2人にとってストーリーを練る時間は十分にあるだろう。
ブルー・プラネットは、あらためてモモンガは優れた支配者なのだと信じる。たとえ<知力向上>など使わずとも気配りができる、立派な上司なのだと。
モモンガは次のNPCに連絡を取る。
「デミウルゴスよ、今、何をしている?」
『はっ! アインズ様……も、申し訳ございません、先ほどアルベドとコキュートスから聞いたのですが、『モモンガ様』とお呼びした方がよろしいのでしょうか?』
「う、うむ……そうだな、対外的には『アインズ』で通した方がよかろうが、ナザリック内においては『モモンガ』の呼び名も許そう。これは後で皆に宣言する」
突然、呼び名の問題を指摘され、モモンガは目を泳がせる。そして、ブルー・プラネットの方を見て、自分の頭蓋骨をちょいちょいと指さす。
ブルー・プラネットはその要求を理解し、最大化した<知力向上>をモモンガにかける。
再びモモンガの眼窩の奥に灯る赤い炎が一気に明るさを増す。
「ふふっ、デミウルゴスよ。お前らしくもなく取り乱したな。そうとも、名前は大切だ。」
『はっ、仰るとおりかと』
モモンガは「今何をしているか」と質問した。しかし、デミウルゴスはそれに答えず、呼び名のことで狼狽している。彼らしくもない失態だ。だが、もとよりデミウルゴスに<伝言>を飛ばしたのはさしたる目的があったわけでもない。ならば、この呼び名の問題を片付けるのも悪くはない――モモンガはそう判断し、楽しそうに続ける。
「それで、宣言した後のことだが、お前には先に伝えておこう。私個人の判断と、ブルー・プラネットさんと合議の結果決めたこととの混乱を避けるために、内部では私の発言は『モモンガ』の名で発せられたものとする。従来の命令体系において『アインズ』の名で宣言されたことは、ブルー・プラネットさんと合意したものについて『アインズ』として再度宣言し、個人的なものは『モモンガ』名義とする。ただし、周辺諸国に我が改名を気取られるな……フールーダたち、ナザリックへの協力者にもな。彼らにとっては、私は『アインズ』のままだ。それで問題はないか?」
『はっ! 承知いたしました。それで問題はないかと思われます』
これで呼び名の問題は片付いた。
モモンガはチラリとブルー・プラネットに目を遣る。そして、ブルー・プラネットは親指を――小枝を立てて頷く。
「よろしい。それで、お前が何をしているかという質問だったが――」
『はっ! アルベドから連絡が――』
「よい。お前のことだ、ブルー・プラネットさんが帰ってきたと聞けば即座に『牧場』の仕事を部下に任せ、すでにナザリックで待機していたのだろう? それでコキュートスといるわけだな」
『――さすがはモモンガ様! 私の行動はすでにお見通しだったのですね』
「ああ、私はお前たちのことを常に考えているからな」
答えながら、モモンガは片手を握り締め、天井に向かって突き上げる。
『なんと有り難きお言葉!』
デミウルゴスの声に嗚咽が混じる。
モモンガはそれで<伝言>を切ろうとしたが、デミウルゴスの仕事についての連絡を思い出して話を続ける――思い出せたのも<知力向上>の効果だろうか。
「よい。ところで明日の計画だが、ブルー・プラネットさんの帰還によって若干の修正を迫られることになるな?」
『はい、アウラとマーレを帝国に送る件ですね。これはいかがいたしましょう?』
「うむ、明朝10時にブルー・プラネットさんの帰還を祝う宴を……式典となるのかな……開く予定が入ったのだ」
『そうですか……アウラとマーレも参加したいでしょうね』
「当然だ。それで、シャルティアに<転移門>を使わせ、2人をドラゴンごと帝都に送ろうかと考えているのだが」
元は不可視系の魔法をかけてナザリックから帝国に飛んでいく予定だった。しかし、パーティーが終わってから出立するとなると、内通者に連絡していた時刻に遅れが生じてしまう。その時間を取り戻すために<転移門>による瞬間移動を使おうという計画を、モモンガは述べる。
『なるほど、たしかに<転移門>であれば可能ですな……しかし、その場合――』
「ふふふ、皇帝に対して転移を見せることの影響を考慮しているのだろう? そうだ、転移によってドラゴンをどこにでも送り込めるというのは彼らにとっては過大な脅威であり、理解の外にある。彼らの思考は麻痺してしまうだろう。すぐにでも彼らは降伏し、恭順の意を見せるだろうが、それでは炭火に水をかけるようなものだ。表向きは火が消えたように見えても、やがて奥に残った火が再び燃え上がるかもしれぬ。そうではなく、彼らに抵抗の余地を与え、力を出し尽くさせ、灰となった後に完璧に踏みにじるのだ。いかなる企ても無駄であると彼らが思い知り、心底から我々に従うようにな」
『はっ! あえて人間どもの手の届く位置に降り、伸ばしてくる手を踏みにじった後で真の力を見せつける。それで武力だけでなく知略においても御身の掌の上で踊っていたに過ぎないことを皇帝に悟らせ、その心を完全に折るということですね……まさに至高の戦略かと』
<伝言>越しにもデミウルゴスの笑みが伝わってくるようだ。
――モモンガは自身の提案が受け入れられたのに気をよくし、更に具体的な指示を出す。
「よし、それでは2人を帝都の近くの森に転移させ、そこから人間どもには探知困難な上空を飛んで、皇帝の居城に降りるよう経路を伝えろ。『ドラゴンに乗った使者の到来』を見せつけるのだ。その後の行動は以前の打ち合わせ通りでよかろう」
『はっ、承知いたしました。適切な場所は私の方で調査し、アウラとマーレに指示いたします』
「うむ。それでは準備を任せるぞ」
モモンガは<伝言>を切る。
そして、両手で拳を作り、それを天井に向かって突き上げる。
「な、なんですか? モモンガさん?」
何か興奮気味なモモンガの様子を見て、ブルー・プラネットは問いかける。
「えへへ……いやぁ、デミウルゴスの先手を取れたのが嬉しくて!」
はしゃいだことを気恥ずかしく思ったのか、モモンガは子供のような笑い声をあげて頭を掻いた。
「で、どうでした? 部下への指示っぷりは?」
「んんっ、なんだかすごく『デキる上司』って感じでしたよ」
評論家みたいでもあったなという感想を隠し、ブルー・プラネットは答る。
モモンガはその言葉に再び両拳を突き上げた。
そして、ブルー・プラネットの顔を見上げ、問う。
「あの、今まで『アインズ』で通してきたので、対外的には今後も『アインズ』でいきたいんですが……」
「ええ、そう言ってましたね……そうですね、名前を変えるのは面倒ですからねえ」
名前を変えたために仲間からの<伝言>が届かなくなってしまうこともあるのだ。人間社会に対しても、今までと急に名前を変えて来たら「何があった?」と余計な詮索を受けるかもしれない。
ギルド<アインズ・ウール・ゴウン>の加入資格の一つは「社会人であること」だった。そのメンバーであった2人は肩書が変わるごとに名刺を刷りなおすことの手間を知っている。
帝国へ使者を送る時間を守るのだってそうだ。相手にだって都合はある。用事が入ったら、相手先に変更を伝える前に何とかして時間に間に合わせる努力をする。それが社会人としての常識だ。
――ブルー・プラネットは、この未知の世界でもモモンガが社会人としての常識を配慮していることに感心する。そして、自分が掛けた<知力向上>が幾ばくか役に立っているかもしれないと嬉しく思った。
「なるべく面倒は避けたいですからねー」
モモンガはそういって笑う。
かつてのギルドの名を使い続けるとはいえ、信頼する仲間の存在により、その栄光を背負う重圧から解放された喜びを露わにして。
そんな様子を見つめ、やはりモモンガは優れたギルド長であると、ブルー・プラネットは信頼を高めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
第九階層のバーで、デミウルゴスとコキュートスが向かい合って座っている。
「今ノハ、アインズ様カラノ<伝言>カ?」
「ああ、アインズ様……モモンガ様と呼ばれることをお望みらしい。君の言うとおりだったよ。アルベドも『モモンガ様』と繰り返し叫んでいたが、彼女はやや私情を挟むきらいがあるのでね……だが、恥ずかしいことに、私までいささか取り乱してしまったよ」
「フフフ、無理モナイ。ブルー・プラネット様ガオ戻リニナラレ、モモンガ様モ大変ニオ喜ビダッタゾ」
「ああ、その場に居合わせなかったのが残念だよ。今も、そのお言葉から嬉しさが滲み出ているようであられた。してみると、今もブルー・プラネット様とご一緒におられるのだろうね」
「臣下トシテ、至高ノ御方々ノオ喜ビハ我ラノ喜ビデモアル」
デミウルゴスは友人に微笑みかけ、酒の入った小さなグラスを持ち上げる。
コキュートスも自分のコップを持ち上げ、デミウルゴスのグラスにカチリと合わせる。
「そうだね。ああ、私も早くブルー・プラネット様にお会いしたいものだよ」
一息でグラスを空けたデミウルゴスは、感慨深げに深く息を吐く。
「ソレデ、モモンガ様ハ何ト仰ッテイラシタノダ? アルベドガ宴ノ用意ヲシテイルハズダガ、ソノ件ダロウカ?」
コキュートスはコップの中身をストローで一口すすり、デミウルゴスに質問する。
「ふむ、今のモモンガ様のご連絡はその件も絡んでいたよ。10時から式典を始めるらしい」
「10時カ……ヤハリ、アウラトマーレノ計画ニハ影響ガアルナ」
コキュートスは、つい先ほどデミウルゴスから聞いていた計画について心配する。
「ふふ……大丈夫だ。モモンガ様もその件についてご指示を下された。私もいくつかの修正案を上奏するつもりだったが、モモンガ様は私の考えなどとうに見抜いておられてね。今日は殊の外饒舌であられ、すべて先に言われてしまったよ」
デミウルゴスはバーの灯りに空になったグラスをかざし、その紋様に反射して複雑に煌く光を眺めながら答える。
「サスガハ至高ノ御方……ソノオ考エノ深サニハ何時モ驚カサレルナ……」
「全くだ……至高の御方々から示される英知の輝き……我々はその欠片を窺い知るのみだ。そう、例えばモモンガ様とお名前を戻されたが、対外的には今まで通り『アインズ』様と名乗られるらしいこと……この意味が分かるかな?」
「ウウム……ドウイウコトダ? 教エテクレ、デミウルゴス」
コキュートスは腕組みをして考えるが、ついに降参する。
「ブルー・プラネット様は今後、ナザリックの外で隠密のお仕事をなさるおつもりなのだよ」
「フム? 何故ソウナルノダ?」
「モモンガ様が『アインズ』様と名乗られたのは、ナザリックの支配者として至高の御方々を代表する意味があったからね。その御一人、ブルー・プラネット様がお戻りになられてお名前を元に戻されたのは、モモンガ様はブルー・プラネット様との共同統治をお考えなのだ」
デミウルゴスは一息つき、頷いて話を聞くコキュートスを見つめ、話を続ける。
「だが、対外的にはこれまでと同じ『アインズ』様と名乗られる。ということは、共同統治者であるブルー・プラネット様の存在を外部から隠すおつもりなのだ。では、何故ブルー・プラネット様の存在を隠されるのか。これは、シャルティアを洗脳した敵がまだ不明である以上、それに警戒しつつ、ブルー・プラネット様のお力で裏側から探るという意味だと思うのだよ」
「ナルホド、理解シタ。ツマリ、ブルー・プラネット様ハ、隠シ武器トシテゴ活躍ナサレルトイウコトカ」
「ああ、そうだね。そういう表現が相応しいとも。これからモモンガ様は単一の支配者『アインズ』様として帝国に対して恭順を迫る。諸国が『アインズ』様お1人に目を奪われるその裏で、ブルー・プラネット様が秘密裏にご活躍されるというわけさ」
友人が自分なりの理解を示したことに、デミウルゴスは目を細めて首肯する。
「ブルー・プラネット様ハ忍者デハナカッタガ、ソレト近イ戦イ方ヲ好マレタト、我ガ創造主、武人建御雷様ガ弐式炎雷様ニオ話シニナラレテイタ記憶ガアルナ」
「武技に詳しい君ならば理解してもらえるだろう? “明”であるモモンガ様が華々しくご活躍なさるほど、“暗”であるブルー・プラネット様がご活動されやすくなるのだよ。先ほど<伝言>によってお伝えくださった帝都襲撃計画の修正だが、あえて帝都侵入の痕跡を残すことになった。これも、いまだ未知の敵を炙り出し、ブルー・プラネット様の裏からの探索をお助けする……そういうご意図を含んでいるのだと、私は推測しているよ」
「ウウム、分カッタ。全テ繋ガッテイルノダナ……教エテクレテ感謝スル、デミウルゴス」
「いやいや……しかし、ブルー・プラネット様がご帰還されて直ちにこれほどの計画を立てられたとは……まさに端倪すべからざるお方、いや、流石は至高の御方々だ」
デミウルゴスは再び酒を注ぎ、至高の主人たちに捧げるようにグラスを掲げ、飲み干す。
「ご帰還の宴では、お二方の更なるお考えが示されることだろう。至高の御方のお役に立つために、せめてその深遠なお考えの一端でも察したいものだ……」
ナザリック最高の知性をもつ悪魔は、そういって目を細めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
アルベドは自室で椅子に座り、テーブルに肘をついて項垂れていた。
愛する主人からの<伝言>は彼女を奈落の底に突き落とすものであった。
「モモンガ様は、私の計画には何も言ってくださらなかった……」
アルベドは嗚咽を漏らす。
侵入者の撃退は完璧であった。複数のチームに分かれた侵入者たちは、アルベドの思いのままに動き、捕獲され、あるいは死んでいった。
その様子を見ながらアルベドは主人から「よくやった」という声が掛けられることを確信していた。
ひょっとしたら、頭を撫でてくださったかもしれない。
期待はしなかったが……「流石はアルベド、我が最高のシモベよ」と抱きしめられることも……
だが、その甘い幻想は、至高の御方の……主人と同格の存在の帰還によって霧散してしまった。
想定外の侵入者によって、自分の計画の欠陥が露呈した。
影武者として送ったパンドラズ・アクターの代わりにアイテム使用者を置くべきだった。
探知能力に優れた姉を正気に戻して協力を仰いでおくべきだった。
アンデッド以外のシモベ……アウラの召喚獣を借りて、多様な警戒網を敷くべきだった。
――無数の反省点が浮かび上がる。自分の能力を過信したことによる大失態だ。
だが、慈悲深き主人は、その失態すら笑って許してくれただろう。
『お前たちは経験が足りないだけだ。これから学べばよい』
そう慰めてくれたであろう。
だが――その主人は同じ至高の存在に出会い、そちらに心を奪われている。
忠実なシモベたる自分を褒めもせず、叱ることさえ無く……
至高者たちとの越えがたい壁がアルベドの前に立ち塞がる。
例えて言うならば、最愛の夫から「今日はお前の手料理が食べたい」と言われ、精一杯腕を振るって御馳走を用意して待っていたら、「昔の友人に会って食事を済ませてきた」と折角の夕食を一蹴された新妻の気分を数万倍に――人外の頭脳で膨らませた気分だ。
夫はその友人を家に連れ帰り、妻である自分を放っておいて自室に友人と籠っている。
ようやく夫から声が掛かったかと思えば「何をしている? 友人をもてなす準備は?」ときた。
そして、夫が「親友なんだ」と自慢するその友人は――かつて自分を裏切った、憎悪の対象。
「ああー憎い憎い憎い憎い憎い憎いっ! 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎いィィッ……」
アルベドは髪を掻きむしり、零れんばかりに目を開いて黄金の瞳で天井を睨み付け、絶叫する。
しかし、その憎しみが発散されることはあり得ない。それをアルベドは悟っている。
侵入者――ヘッケランとかいう愚か者――が至高の存在を仄めかしたとき、アルベドは至高者の姿を思い浮かべ、それを憎むことができた。あの侵入者の小娘が持っていた人形に刻まれた名をみて、アルベドは殺意を抱くことが出来た。
しかし、ブルー・プラネットが姿を見せたとき、アルベドの心に沸き上がったのは至高者への愛だった。
いざその姿を目にしてしまうと……それを愛するしかない自分に気付く。
(宝物庫でタブラ・スマラグディナ様のお姿を見たときと同じ……)
自分の創造主に化けたパンドラズ・アクターに会ったときの苦い思い再び沸き上がる。
一瞬のうちにアルベドを満たした創造主への愛と憎悪、そして紛い物であると知ったときの寂寥。
紛い物であると知ってなお、その姿を自ら破壊出来ないと悟ったときの絶望。
あのとき――ユリとシズ、2人の戦闘メイドに「殺せ」と命じたとき、構えることが出来たユリたちの後ろ姿をアルベドは羨み、そして構えた部下の姿に殺意を抱いた。
この矛盾の中で辛うじて正気を保てたのは「モモンガを愛するように」と作り替えられていたからだ。最後に残った至高者によってそう命じられたことにより、アルベドの愛は自分を裏切った創造主から分かたれ、その苦しみは緩和された。
アルベドは至高者に創造された者だ。その存在意義は至高者の意に従い奉仕することにある。
それは、そうあれと創られた者である以上、決して逃れられないナザリックに生きる者の宿命――ナザリックの者達にとって至高の存在を愛し、それに尽くすことは「存在する」と同意義なのだ。
だからこそ、憎い。愛するしかないように創った至高者たちが憎い。
そして憎みながらも愛するしかない自分が憎い。
――矛盾がアルベドの心を引き裂いている。
引き裂かれた心を唯一癒していたモモンガへの愛が、今、ブルー・プラネットという壁に遮られた。
「かはぁぁぁぁぁ……」
アルベドの柔らかい唇が歪められる。口から苦痛に満ちた荒い息が吐き出される。肺の中の空気を残らず絞り出すほどに深く。
テーブルに両手をつき、ガリガリと爪を立てる。手を覆う白い手袋が突如として膨らみだす。
限界まで開かれた眼がテーブルを睨み付け、黄金の瞳がドロリと濁る。
どす黒い瘴気がアルベドの白い体を包む。周囲の空気が渦を巻き、歪み始める。
アルベドの狂気が悪夢として形を成し溢れ出し――
ジリリリリリリリリ……
唐突にテーブルの上の時計がアラームを鳴らす。
『午前1時になりました』
時計から無機質な声がする。
アルベドは時計に手を伸ばし、そっとボタンを押してアラームを解除する。
「あら? もうこんな時間……えぇと、あと連絡を取らなければならないのは……」
アルベドは頬に手をあて、可愛らしく首を傾げる。
そして、主から預かったアイテムで<伝言>を発動し、NPC達に指示を下す。
「セバス? あのね、良い知らせがあるの。ブルー・プラネット様がナザリックにお戻りになられたのよ。……そうね……ええ……どうしてもという用事が無ければ、ナザリックに帰還してほしいのだけど……明朝10時よ……ええ、あなたとソリュシャンだけでいいわ。3時間後にシャルティアを送るわね。……ええ、細かい話はこちらに戻ってからするわ。では、おねがいね」
通信を切る。そして、次の<伝言>を発動させる。
「シャルティア? 今、いいかしら? ……あのね、嬉しいのは分かるけど玩具はちょっと置いといて。今から3時間後……そう、午前4時ね。ふふっ……馬鹿になんてしてないわよ? セバスのところに転移して、セバスを連れて帰ってくれる? ええ、お願いね。……ええ、それまで十分に楽しむといいわ。……良かったわね。でも、用事は忘れないでね? 念のため、部下にも教えといてね。4時よ。……そう、今のうちに。あなた忘れっぽいんだから」
至高の御方からの褒美を延々と自慢するシャルティアに苛立ちを僅かばかり滲ませ、アルベドは通信を切る。
そして、テーブルに紙を広げ、ペンをとってシモベたちの配置を考える。
コツコツと指で紙面を叩き、ときおり眉を寄せて考え込みながらも、その顔には常に優しい笑みが貼りついている。
アルベドは悪夢に歪められた醜い姿を天使の姿で覆い隠す、矛盾をはらんだ化け物である。
彼女は至高の存在によって「そうあれ」と望まれ、そう創られた。
<知力向上>……副作用「うざくなる」