結局のところ私とみほの間に友情なんてなかった。
だから黒森峰で過ごした彼女との時間は、ぜんぶニセモノだ。
──────
隊長に珍しくお茶に誘われて舞い上がっていたが、やはりというか話の内容はみほについてだった。
皿の上に大好物のチーズケーキ『アイアシェッケ』があるにも関わらず、気分がどんよりするだなんて初めてのことだった。
「みほはよくエリカの話をしているよ」
そう言って隊長は機嫌よさげにお茶を口にする。
私は後ろめたさを誤魔化しながら「光栄です」と返してお茶に口をつける。
味がよくわからなかった。
「やはりエリカに頼んで正解だった。あんなに楽しそうにしているみほは久しぶりに見たよ」
「それは、なによりです」
「エリカのような良い子が友人でいてくれると私も安心できる」
滅多に見せない柔らかな笑顔を向けながら隊長はそう言ってくれる。
憧れの存在からお褒めのお言葉をいただけた。
本来なら感激するところだ。
けれど素直に喜べない自分がいた。
隊長が思っているほど、私は良い子ではない。
隊長が私にいだく好印象は、みほの過剰装飾された話題で付着した見当違いでしかない。
内心ではその最愛の妹を毛嫌いしていることに、隊長は気づいているのだろうか。
私はしょせん友人のフリをしているだけだ。
当然そこに友情なんてない。
けれど、みほは私という形だけの友人がいることにひどく喜んでいる。
そして隊長はそれを信じ切っている。
濁りない、透き通るような瞳を真っ直ぐ見ることができなかった。
「エリカ、これからも妹をよろしく頼む」
「はい……」
隊長の期待に応えたくて、信頼を失いたくなくて、私はただ素直に頷く。
複雑に絡み合った感情を整理する間もなく、私は結局その一年みほと偽りの友好関係を結び続けた。
みほとの間に真実はない。
どのやり取りも、形だけを装ったただの仲良しゴッコ。
ぜんぶ、ニセモノだ。
ニセモノのはずだった。
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休日の昼、私とみほはショッピングモールに出かけていた。
私はいつものように少しワイルドな服装。
みほはフリル付きのサマーワンピースを着ていた。
「~♪」
みほは今にもスキップでもし出しそうなほど機嫌よく、音痴なハミングをしている。
さんざん聞かされたせいで覚えてしまった『ボコのテーマ』だ。
「ずいぶん上機嫌ね」
不安定なメロディに堪えられず、歌を遮るためにみほに声をかける。
みほは花咲くような笑顔で頷いた。
「えへへ。だってこうして友達と休日にお出かけするのが夢だったんだもん!」
そう言うみほの周りにはキラキラと光が瞬いていた。
しかし彼女の発言が、その輝きをなんとも悲しいものに変えている。
「……本当にあなたボッチだったのね。ちょっとさすがに同情するわ」
「ボ、ボッチだなんて言わないでよ~」
「事実でしょうが」
「う~、エリカさんだってわたし以外に友達いないくせに……」
「私は一人のほうが好きなのよ」
簡単に掌を返す連中を見てから、本気でそう思うようになった。
「そんなの寂しいと思うけどな……あっ! 見てエリカさん! このヌイグルミブサかわいい♪」
「いや、どう見てもただのブサイクよそれ」
みほに友人ができにくいのは、ズレた美的センスも原因のひとつではないかと思う。
彼女が溺愛してやまない『ボコられグマ』とやらも未だにその良さがわからない。
恐らく一生彼女の趣向は理解できないだろう。
私服のセンスも私から見れば正直地味すぎる。
今みほが着ているものだって私が見繕ってあげたものだ。そうしないと彼女は部屋着みたいな服で出かけようとする。
同行する以上しっかりとした格好で出歩いてもらわないと、私までが恥をかく。
その日もみほの衣服を買いに出かけていた。
女子ならばもっとファッションに気を遣わなくてはいけない。
少なくとも友人がたくさん欲しいのならば尚更だ。
しかし男に限っては、彼女が苦労することはないかもしれない。
現に今も、道行く男性たちはすれ違いザマにみほに熱の込もった視線を注いでいる。
中には立ち止まって見惚れる若い少年もいた。
女性として華やかさに欠けるとはいえ、みほはやはり美少女だ。
それも男受けするタイプのかわいい系だ。
大人しめの雰囲気や、コロコロと変わる愛らしい表情が男心を掴むのだろう。
いまどきの男性にとっては派手な美女よりも、みほのように控えめな女の子のほうが理想的なのかもしれない。
みほは小学時代からずっと女子校通いだったという。ご両親は英断をされたと思う。
こんな天然娘が共学校に行ってしまったら、瞬く間に血の気の多い男子の毒牙にかかっていたことだろう。
容易に想像できる光景に、私はなぜか不快感を覚えた。
女性特有のつまらない嫉妬とは違う気がした。
「……人気者じゃないのあなた」
自分でも驚くほどにトゲのある声色だった。
言われて初めてみほは周りの視線に気づいたらしい。
クスリとみほは謙遜するように苦笑する。
「みんなエリカさんを見てるんだよ」
確かに私に意識を向ける視線もある。
しかし、それは身体を舐め回すような、やらしい類だった。
ボディラインがわかりやすい服装のせいだろう。
主張している胸の部分や剥き出しの腿肉に下卑た気配を感じる。
私は嫌悪と侮蔑を込めて周囲の男性に睨みを飛ばした。
軍犬に威嚇されて怯えた猿のように野次馬は去っていった。
みほに見惚れている男たちは未だボーッとしている。
奴らもみほに対して性的な情動を持て余しているのかと思うと、どうしてか無性に腹が立った。
「寄り道しないでさっさと行くわよ」
「わっ。エ、エリカさん?」
私はみほの手を曳いてレディース専門のアーケードに急いだ。
これ以上、汚らわしい注目を浴びていたくなかった。
私もみほのように女子校育ちのためか、いつしか男性に対して強い生理的拒否感を覚えるようになっていた。
差別しているわけではないが、過敏になってしまっている。
たぶん、それだけだろう。
別にみほが見せ物のようになっていたことに苛立ったわけじゃない。
「……えへへ」
「なに笑ってるのよ?」
「ううん。別に」
私よりも小さな手。
みほはその華奢な手で強く握り返してきた。
衆目の場から去っても、私は握った手を解かなかった。
こんなやり取りも、ニセモノに過ぎない。
──────
まほ隊長の趣味はチェスだと言う。
それを知ってから私もチェスを嗜もうと思った。
隊長相手に恥ずかしい腕前を曝すわけにはいかない。
戦いがいのある実力になって満足させてあげられるよう、私は暇があればチェスを差すことにした。
練習台はもちろん、みほだ。
「う~ん、わたしお姉ちゃんほど強くないから自信ないなぁ」
好都合だ。
普段の鬱憤を晴らすいい機会でもある。
上機嫌で私はみほとチェスを差した。
最初のうちは楽勝だと思っていた。
結果は私の惨敗だった。
「すごい! 初めて勝てた!」
「ぐぬぬ……もう一回! もう一回勝負なさい!」
「うん! 何度でもいいよ!」
初めての勝利で喜び勇んだみほは憎らしいくらいの笑顔だった。
その笑顔を泣き顔に変えさせてやる勢いで何度もチェスを差した。
「……あの、エリカさん? 機嫌直して? ね?」
「うるさい。話しかけないで」
「あうぅ……」
結果的に私がまほ隊長とチェスをすることはついぞなかった。
「えっとね。お姉ちゃんは別に相手が弱くても喜んでチェスしてくれると思うよ?」
「はっきり弱いとか言うんじゃないわよこの鬼畜天然娘ェ!」
「ふえぇ! ご、ごめんなさ~い!」
いつも面倒をかけられている相手にゲームで負ける悔しさから、私は事あるごとにいろんなボードゲームで勝負を仕掛けたが、やはり惨敗するのだった。
こういう面でも、みほは指揮官としての才能を発揮する。
私はますます彼女に対してのジェラシーを深めていった。
「えへへ。エリカさんとたくさん遊べて嬉しいな♪」
私の気持ちも露知らず、みほはいつも呑気に微笑んでいた。
本当に、腹立たしいくらいに、いつも嬉しそうに……。
──ねえエリカさん。今度はオセロやろうよ? きっと楽しいよ!
──ふん、上等よ。今度こそ負かしてやるわ
──ふふ♪ 負けないからね?
こんなやり取りも、ニセモノに過ぎない。
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練習後のシャワーはいつも爽快だ。
規律を重んじる黒森峰の生徒もこのいっときだけは普通の女子としてリラックスする。
スキンケアを変えてみたとか、髪型がどうとか、会話もまさに女子校生らしくなる。
シャワールームはそういう憩いの場だ。
私もお気に入りのボディソープのいい匂いに機嫌をよくしながら身体を洗っていた。
「あぁ~っ!」
しかし後ろの個室からみほの情けない声が聞こえてきて、私の微睡みの意識は現実に引き戻される。
「どうしたっていうのよ?」
無視すればいいのに、お節介を焼いてしまう。
一度気になることがあると確認せずにはいられないタチが我ながら恨めしい。
みほは水に塗れた子犬みたいにオロオロとしていた。
「えと、シャンプーとボディソープ忘れちゃったみたい」
吐き出す溜め息が湯気と一緒に混じる。
彼女が物を忘れるのは最早お馴染みのことだ。
お弁当のお箸を入れ忘れ、課題のノートを机の上に置きっぱなしにするだなんてしょっちゅうだ。
シャワールームには一応備え付けのバス用品はあるものの、しょせんは安物だ。大抵の生徒は自分用のシャンプーとボディソープを用意する。
特にみほは肌が繊細のようで特定のボディソープじゃないとダメらしい。
「脱衣所に置いてきちゃったかな? ちょっと見てくるね……きゃうっ!」
視界からみほの姿が消える。パシャンと水が弾ける音が床から聞こえる。
「……なにやってるのよ」
濡れた床に足を滑らせて、前のめりに転んだみほに私は呆れの眼差しを送る。
全裸で「あうぅ」と目を回している姿は淑女を志す身としては見るに堪えない光景だった。
いろいろ見えてはいけないものまでが丸見えだ。
私は戸にかけてあったバスタオルを持って彼女に差し出す。
「少しは落ち着いて行動しなさいよ」
「あ、ありがとうエリカさん」
幸い強く打った場所はないようだった。
意外と豊満なふたつの膨らみがクッション代わりになったらしい。
いつまでも恥ずかしい格好でいる彼女を起き上がらせる。
「ほんと、おっちょこちょいよねあなた」
「あはは、返す言葉がありませ……はうっ!」
私と正面で向かい合うと突然みほは顔を赤らめ、胸や大事な場所を手で隠した。
「どうしたのよ?」
私が不審気に訪ねると、みほはますます紅潮して、健康的な肢体をモジモジとさせる。
「……な、なんか、エリカさんに裸見られると恥ずかしくて……」
「はあ? 女同士でしょうが」
「そう、なんだけど。でもなんでか恥ずかしいの。あ、あんまり見ないで」
「誰も同性の裸なんて好きこのんで見ないわよ」
まほ隊長ならともかく。
偶然シャワーを浴びる時間が重なったときに拝見したあの神秘のように美しい女体を私は生涯忘れないだろう。
立派に成熟した隊長のスタイルに比べたら妹のほうはまだ発展途上のおボコちゃんだ。
……ウエストが私よりも細いのは少し羨ましいが。
というか本当にもの凄いくびれだ。
同じ内蔵が入っているのか心配になるほどの細さである。
そのため胸元と丸い腰元がもの凄い主張をしている。
数年もすれば実に男好みの身体に育つことだろう。
「……」
みほの言うとおり結局マジマジと同性の裸体を見てしまった。
ばつが悪くなって視線を逸らす。
誤魔化すようにタオルと一緒に持ってきたボディソープをみほに手渡す。
「私の貸してあげるから使いなさいよ」
私が愛用しているボディソープは偶然みほも使っているものだった。
変なところで私たちは好みが一致していた。
「え? いいの?」
「どうせあなたのことだから脱衣所じゃなくて部屋に忘れてきてるわよ。風邪ひくから使いなさい」
「あ、ありがとう。えへへ、やっぱりエリカさん優しいね?」
「……そんなんじゃないわ」
みほに何かあったら隊長に合わす顔がない。
ただそれだけだ。
世話を焼きたくて焼いているわけじゃない。
仲良しゴッコなんて私の性に合わない。
ぜんぶ隊長の信頼を勝ち取るため。
そんな不純な動機で関わっているというのに、みほは私に感謝を込めた熱い眼差しを向けてくる。
というか異様に熱が込もっている。
まるで見惚れるように。
「……なによ?」
「あ、ええと。エ、エリカさんのカラダ、やっぱり綺麗だなぁって思って」
妙に昂揚した顔つきで、みほは私の裸体を見つめる。
幼い頃から気を遣い、日課のボクササイズで整えてきた我ながら自慢のプロポーションだ。
見惚れるのも無理ない、と普段の私なら得意げになるところだが……湧いてきたのは言いようのない羞恥心だった。
私もみほと同じように剥き出しの乳房と局部を手で覆い隠す。
「……ジロジロ見んなムッツリ」
「ム、ムッツリ!?」
のぼせたわけでもないのに、身体がとても熱かった。
こんなやり取りも、ニセモノに過ぎない。
──────
月日が過ぎても、私たちは偽りの友人関係を続けていた。
やがて、私たち戦車乗りにとって一番大事な時期が訪れる。
待ち望んでいた戦車道全国大会。
私が黒森峰にやってきた最大の目的。
当然私は選手として参加することになった。
実力主義の黒森峰では上級生も下級生も関係ない。力がすべてものを言う世界だ。
試合にも出られないようでは話にならない。
ゆえにこれを機に大戦果を残すのだ。
そして隊長の隣に立つに相応しい戦車乗りであることを証明する。
だから本音を言えば、私は一年にして副隊長の座を狙っていた。
その座を手に入れたのは、みほだった。
「わたしにできるかな、エリカさん」
「弱音吐いてるんじゃないわよ。どうあれ副隊長に選ばれたのはあなたなんだから、しっかりその役目を果たしなさい」
内心の嫉妬を抑えながら、私は不安げでいるみほにそう言う。
いつもそうだ。
私が本気で欲しいと思うものを、みほはあっさりと手にする。
自分が求めているものは望んでいない者ほどに与えられると、どこかの誰かが言っていた。
もしそれが真実ならば私は全力で運命の神とやらを呪う。
そして、思い通りに事が運ばないことで苛立つ自分の未熟ぶりも……。
惨めだ。
どうしてこうなってしまったのだろう。
私が理想としていた学園生活はもっと健全で前向きに努力する日々だったはずなのに。
あるのは醜い嫉妬と強い承認欲求ばかり。
これじゃ、あの頃と変わらない。
声援と賛美だけを求めていた小物の頃と。
「……ねえ、エリカさん」
黒い感情に支配されかけていると、みほはいつもより真剣な表情で話しかけてきた。
思わず背筋が伸びるほどに気の込もった瞳だった。
「もし、もしわたしが副隊長として頑張って、黒森峰を優勝させたら、そのときは……」
いまにも泣きそうな顔で、縋るように、請うように、みほは言った。
「──認めてくれる?」
「……」
認める。
なにを認めて欲しかったのか、みほは具体的に言わなかった。
けれど、なんとなく察した。察することができてしまった。
私たちの間に友情なんてない。
なにもかも、形だけの仲良しゴッコでしかない。
すべてニセモノだ。
本音と本心を押し隠したいびつな関係。
そこに真実なんてない。
……けれど、もしその形だけの友情が本物に変わるとしたら、それは。
「──させてみなさい」
私は自然とそう返していた。
みほは満面の笑みとは言えない、けれども満足そうに苦笑して、静かに頷いた。
「うん。じゃあ、頑張ってみる」
私にとって黒森峰での一番の夢は、まほ隊長の隣に立つことだった。
それ以外に夢はなかった。
ないと思っていた。
けれどいつのまにか、別のヴィジョンが生まれていた。
それは無意識のうちに、本当にいつのまにか、気づいたら思い描かれていた未来像だった。
けれどこんな未来が訪れるはずがない。
そう決めつけていた。
私の感情が変わらない限り、それは絶対に起こり得ない可能性だったからだ。
……でも、変わるきっかけがあったとしたら、そのヴィジョンは現実のものとなるかもしれない。
ひょっとしたら私はそれを求めていたのかもしれない。
こんなにも苦しく、悔しく、辛いのなら、いっそのこと変えてくれと。
ニセモノを真実にして欲しいと。
でも……
──ごめん、エリカさん。
降りしきる豪雨の中。
まるで天の懲罰のように叩きつけてくる雨水を浴びて、みほは頭を下げた。
──約束、守れなかった。
私は吠えた。
雷鳴にも負けないほどに、空に向かって叫んだ。
(……どうしてよ?)
黒く燻った感情は、明確な怒りに変わった。
(どうして、どうして……)
頬を叩く破裂音。
無言で泥水の中に倒れるみほ。
醜い罵詈雑言。
何も言わずにそれを受け止めるみほ。
(どうして、よりにもよってあなたが!)
その日、私たちの関係性は決まった。
みほが、彼女自身が、終止符を打った。
ニセモノは、結局ニセモノのまま終わった。
だから、みほとの間に、友情なんてない。
あるのはもう、彼女に対する狂おしいまでの怒りだけだった。