出会わなければよかった。
何度も、思ったことだ。
彼女と出会ったことは私の人生にとって最大の不幸だ。
出会わなければ、こんな思いをすることもなかったのだから。
こんなにも、胸が苦しくなることなんて、なかったのだから。
見たくもない己の恥を、知りたくもない一面を知ることになってしまった。
……でも。
出会ったからこそ、私はようやく、本当の自分と向き合えることができた。
自分の醜さも、自分の脆さも、そして自分が本当に何を求めていたのかも。
なにもかも彼女と出会ったせいで、知ってしまった己の真実の姿。
情けなくて、悔しくて、けれど諦めきれなくて……
このまま終わりたくなかった。
だからこそ、今度こそ見失いはしない。
約束は守ろう。
私は決して伝統の権化になったりしない。
私は私のままで、飾らない自分の力で、彼女と向き合ってみせる。
──だから、みほ。
あなたも迷わず来なさい。
受け入れてあげる。
そして私も思い知らせてやる。
私は、絶対に《負け犬》のまま終わったりしない。
再会のときは近い。
そこで私はすべてを終わらせる。
長きに渡る、この因縁を。
──────
戦車道全国大会の時期が、また訪れた。
私たちにとって最後の戦い。
私たちは勝ち進んだ。
なんの因果か、私たちの対戦相手は去年大洗が戦った連中で、その順番まで同じだった。
1回戦。
フェアプレーで挑んできたサンダースは言った。
『あんたたち、変わったわね。まるで去年と同じような気持ちになったわ』
2回戦。
アンツィオの二人のドゥーチェは言った。
『いやぁやっぱり強いっすね黒森峰~。でもなんだか……』
『はい。とても楽しかったです。まるで去年のあの人たちと戦ったみたいで……』
3回戦。
因縁深きプラウダ。そこの期待の新星は言った。
『黒森峰の戦車道……カチューシャ元隊長から聞いたのとはぜんぜん違ってて、読めなかったとです。なんというか……いろんな学園と戦ってるみたいでした』
二年前の雪辱はそうして果たされた。
そして、私たちは決勝に足を進めた。
最後の相手は──大洗女子学園。
私にとって……私たちにとって、本当に最後の相手となる。
文字通りの、決戦。
──────
「……」
試合前夜。
私は最終チェックとして各車輌を見て回る。
問題ない。
黒森峰最高の整備士たちは最高の仕事をしてくれた。
あとは、私たちが結果を出すだけだ。
最後に私が明日乗る戦車の前に立つ。
ティーガーⅠ。
私があの人から継いだ、歴戦の猛虎。
最初のうち、私はこいつをうまく使いこなせなかった。
とつぜんエンジンが止まったり、すぐに履帯が外れたり、砲塔の調子が悪くなったり。
まるで新たな主人に刃向かうように、思うように動いてくれなかった。
私が未熟と言えばそれまでだし、実際事実だけれど……しかしこの戦車には他にはない異質なものを感じた。
あたかも試すように、その名のとおり荒ぶる獣のごとく、私の手足になることを拒んでいる。そんな気がした。
もちろん戦車に意思などない。これまでそんなスピリチュアルなことを考えて乗ったことなどない。
……けれど、思う。私は間違いなく、このティーガーⅠに試されていたのだと。
自分を駆るにふさわしい主人かどうかと。
この新たな愛機と共に、私は決勝まで来た。
激戦を繰り広げた猛虎に私は手を触れた。
「──少しは認めてもらえたかしら?」
もちろん返答などあるわけない。
でも……。
きっと明日は素直に動いてくれる。
そんな確信があった。
「エリカさん」
後ろから小梅に声をかけられる。
「そろそろお休みにならないと、明日に障りますよ?」
「わかっているわ」
気遣ってくれる小梅の言葉に従って私は格納庫から出る。
心の中で背後の猛虎に「明日は頼むわよ」と伝えて。
「いよいよですね」
隣で並び歩く小梅が感慨深げに言う。
「不安?」
私がそう尋ねると、彼女は首を横に振った。
「不安はありませんよ。エリカさんが指揮を執ってくれる限り、わたしたちに怖いものなんてありませんもの」
「信頼されたものね」
「本心ですよ?」
「ありがとう。その期待に必ず応えるわ」
私は素直に礼を言って、迷いなく宣告した。
旧知の者が今の私を見たら、そのあまりの素直ぶりに驚くかもしれない。
人は私が丸くなったと言う。
ひねくれたことを言わなくなったと。
別にそういうわけじゃない。性根とはそんなに変わるものじゃない。
ただ、学習しただけだ。人に感謝するということを。
私の指揮や信頼に応えてくれる隊員たちがいるからこそ、今の私の戦車道は成り立っているのだから。
特に、副官の小梅は本当に私にとっての支えになった。
「小梅」
「はい」
「あなたがいなければ私もここまで来れなかったと思う。感謝するわ」
「そんな。エリカさんの実力ですよ」
「いいえ。頼れる副官がいるだけで、だいぶ違うものよ」
孤高の強さなんてものは結局、虚しさが募るばかりだ。
でも信じられるパートナーがいるだけで、不安や焦りは驚くほどに消える。
戸惑いなく自分の道を信じてもいいのだと思わせてくれる。
……あの人にも同じ気持ちを味わわせてあげたかった。
そうすれば一人で背負い込むこともなかったかもしれない。
もちろん後悔してもしょうがない。
そう思うならばこそ、明日は最高の試合を、あの人に見せてあげよう。
笑顔で卒業していったあの人に、新たな黒森峰の姿を。
私たちは何気なく夜空の星を見上げた。
「……不安はないですけど、ちょっと寂しいです」
小梅はポツリとそう呟いた。
「明日で最後なんだと思うと、少しだけ……」
「……」
黒森峰の生徒として、高校生として、最後の舞台。
どのような結果だろうと、試合が終われば、私たちの青春はひとつの終止符を打つ。
「もっと続けたいですね。皆と、戦車道を」
「そうね」
これまで戦いを共にしてきたチームメイトたち。
いずれは離れ、それぞれの道を進んでいく。
別れを惜しむほどに、いつしか私たち黒森峰にも、絆と呼べるものが芽生えていた。──あの大洗のように。
「逸見隊長!」
名を呼ばれ、私は視線を星空から声が発された先に移す。
寮の前で、チームメイトたちが集まっていた。
「どうしたっていうの、あなたたち?」
何かあったのだろうか。
決勝戦前で不安になったというのなら、何か勇気づける言葉を……
しかし私が考えていることは杞憂だと察した。
彼女たちの瞳に迷いはなかったからだ。
よく知っている、覚悟を決めた目だ。
彼女たちは一斉に頭を下げた。
「逸見隊長! ありがとうございます!」
「わたしたちを、決勝まで連れてきてくれて!」
「西住隊長が卒業されてからずっと不安でしただけど……でも黒森峰のために努力し続ける逸見隊長がいてくれたから、わたしたちも頑張れました!」
「明日は必ずその恩に報います!」
「勝ちましょう! 絶対に!」
一人ひとり決意の言葉を口にし、そして、泣き出した。
私の指揮に忠実に従ってきてくれた頼もしいチームメイトたち。
一切の不平不満も漏らさなかった屈強の少女たちは今、歳相応に泣き出して、私の前で本心を吐露している。
わかっていたことではあった。
当然のことだった。
あの忌々しい試合から、後悔と悲しみを胸に秘め続けていたのは彼女たちも同じだったということを。
そして、不安だったということも。
西住流のいない黒森峰が、どこまで勝ち進めるのか。
西住流が在籍していた世代だからこそ、一度も優勝できなかった経験をしているからこそ、恐怖と不安が彼女たちを苛み続けていた。
はたして自分たちのチカラだけで強豪相手に戦えるのか。所詮は形だけの王者でしかないのではないかと。
……でも、彼女たちはその恐怖に打ち勝った。
実力で証明されたのだから。
自分たちは決して負けないと。
きっとこの瞬間、彼女たちも『西住流』から解放されたのだ。
私は静かに微笑んだ。
心配ない。
今の彼女たちなら、どんな相手とだって戦える。
だから私がかけるべき言葉はもう決まっている。
「……泣くな! なに辛気くさい顔をしているの! 本番は明日なのよ! 胸を張りなさい! 胸を張って、最後の戦いに臨みなさい!」
「はい!」
「今はまだ泣くときじゃないわ! 私たちが流していい涙は──黒森峰が玉座を取り返したときに流す、嬉し涙だけよ!」
「はい!!」
力強い返事がくる。
一人ひとりの真摯な瞳を私はすべて受け止める。
「思い知らせるのよ。私たち黒森峰こそが最強だということを。これまでのすべてを出し切って……大洗を倒す!」
隣の小梅に視線を移すと、彼女も頷いた。
みほに恩義がある小梅も、黒森峰の生徒としてすでに心を決めている。
私たちの心はひとつだった。
この団結は、何者だろうと崩せはしない。
信頼し合う仲間たちと決意を固める。
数年前では、想像もしなかった光景だ。
孤独を望んでいた私が、この輪の中心になるだなんて、思いもしなかった。
でも、ここには確かにある。
絆と、呼べるものが。
──ねえ、信じられる? 私にもできたのよ。あなたのように、仲間たちの心をひとつにすることが……。
夜は更けていく。
朝日が昇れば、最後の戦いが私たちを待ち受けている。
夜と朝の狭間で、私は夢を見た。
──────
なかなか寝付けなくて、私はベッドから起き上がる。
緊張で落ち着けない。
明日は高校最後の試合だと言うのに。
少し散歩すれば落ち着くかしら。
寝間着から着替えて外を出る。
澄んだ夜気が肌に心地よかった。
なんだか戦車が気になって、格納庫に向かうことにした。
すると、そこには隊長のみほがいた。
「なにをしているの?」
「エリカさん」
訓練の後から着替えていないのか、彼女は黒森峰のパンツァージャケットを身につけたままだった。
「なんだか眠れなくてね……でも戦車を見たら落ち着くような気がして」
「そう」
気が合うわね、とは言わなかった。
自分も同じことを考えていたので、なんだか恥ずかしかったのだ。
みほは姉から受け継いだティーガーⅠに視線を注ぎつつ、感慨深げに呟く。
「明日で最後なんだと思うと、なんだか寂しいなぁって思っちゃった。この黒森峰には、たくさん思い出があるから」
「……そうね。いろいろあったわね。本当に」
怒濤のような三年間だった。
見事に10連覇を達成した私たち。
そして次の年でも私たちは勝利をおさめ、最強の王者として君臨していた。
12連覇をかけて、私たちは明日戦うことになる。
『お前たち二人なら、黒森峰を任せられる』
そう言って笑顔で卒業していったまほ隊長の期待に応えるためにも、私たちは負けられない。
みほは隊長として、そして私は副隊長として。
念願の隊長になることはついぞできなかったけど、立場なんて関係ない。
私は自分の全力を出し尽くすだけだ。
みほもそれは弁えている。
だから心配はしていない。
「エリカさん。今年も、どの学園も強かったね」
「そうね。優秀な隊長や主力が卒業してから勢力図がどう変化するかと思ったけど、どこも侮れなかったわ」
どの学園も先代に恥じない戦いぶりを見せつけた。
私たちがそうであるように、やはり各強豪校の後継者も、ひたむきに努力していたのだ。
だからこそ、毎年人々を熱狂させる戦いができるのだ。
……そう言えば去年、大洗なんて言う無名校が参加していたな、と思い出す。
戦車に統一性がなく、チームワークもバラバラ。
誰が見ても戦車道に喧嘩を売っているとしか思えない素人集団だった。
当然、1回戦で敗退した。
今年は参加していないようだが、いったい何だったのかしら。
まあそんなことはいい。
私たちにとって大事なのは明日の決勝なのだから。
たとえ相手がどんな戦車で来ようが、どんな作戦を立てて来ようが、私たちは負けない。
私とみほの二人なら、どんな強敵だろうと勝つ。
ずっとそうして、勝ち上がってきたのだから。
「……エリカさん」
「なによ?」
「ありがとう。本当に、これまで一緒にいてくれて」
唐突に彼女はそんなことを言い出した。
「わたしがこうして頑張ってこれたのは、エリカさんのおかげだと思ってる。エリカさんがいてくれたから、こんなにも学園生活が楽しかったんだって」
みほはそう言った。
心からそう思っているというような笑顔で。
「私みたいな口うるさい奴といて楽しかったっていうの、あなた」
「だからこそ、だよ」
みほは微笑んだ。
「わたしね、家元の娘だからずっと同級生の子たちから距離を置かれてたの。話すことはあっても、みんな心から思ったことは言ってくれない。家元の娘だから、失礼なこと言っちゃいけないっていう風に」
それはきっと、みほがこれまで孤独だった最大の理由。
戦車道にゆかりのある学園に通えば、それは自ずと起こるもの。
みほだけじゃない。まほ隊長だってそれは同じだった。
誰もが彼女たちの背後にある西住流を敬い、そして畏怖した。
彼女たちは遠い存在だった。
けれど……
「でも、エリカさんだけはそうじゃなかった」
私はそんな彼女たちに挑む怖い物知らずだった。
まほ隊長に初めて会ったときも、そして目の前の彼女と偽りの友好関係を結んだときも。
「エリカさんだけはいつも本当のことを言ってくれた。家元の娘とか関係なく、わたしと向き合ってくれた。だから、嬉しかったの」
「……」
たとえそれが嫉妬でも、苛立ちであっても、包み隠さない感情こそが、みほにとっては喜ばしいものだったのだ。
でも。
それなら……
「初めてだった。面と向かって叱ったり、怒ったりしてくれる同級生の子って。おかしいかもしれないけど、そのことがわたし本当に嬉しかったの」
どうして、私はもっと
他にもあったはずなんだ。
この子に伝えたいことは、もっと、山ほどあったはずなんだ。
ならば伝えればいい。
今この場で、すぐに。
でも、それは……
華奢なぬくもりが、私の身体を包み込んだ。
みほはぎゅっと私にしがみついた。
「ありがとうエリカさん。あなたがいてくれたから、わたし黒森峰が大好きになれた。ここでの思い出がかけがえのないものになった。だから、言わせて? 本当にありがとう、エリカさん。いつも一緒にいてくれて。私を支えてくれて」
感謝と一緒に深く抱擁してくるみほ。
「……そう」
私はそんな彼女に抱き返そうとする。
しようとした。
震え出す私の手。
「でもね」
背に回した手を彼女の肩に。
身体を離して、私は言う。
「こんな未来は訪れなかったのよ」
こんな、都合のいい世界なんて、あるはずがない。
「うん。わかってる」
みほも頷く。
みほが身につけるパンツァージャケットは、黒森峰から大洗のものへと変わっていた。
背後の戦車も、Ⅳ号戦車に変わっている。
もう充分だ。
帰ろう。
あるべき現実に。
深い溜め息を吐いてから、私は言った。
「あなたも戻りなさい。自分の学園に」
「……うん」
みほは惜しむように、ゆっくりと頷いた。
「お互い、明日は早いわ。さっさと目覚めましょう」
「そうだね」
みほはⅣ号戦車に向かって足を進める。
開いていく距離。
みほはこちらを振り返ると、懐かしむように笑う。
「変わらないねエリカさん」
「そっちこそ、あいかわらずドジね。いくら夢だからって、自分がいるべき場所を間違えるんじゃないわよ」
嘘でも、こんな未来夢見ちゃいけないのよ。
そうでしょ、と私は瞳で訴える。
みほは切なげに瞳を濡らしたが、笑顔を崩さなかった。
「……うん、そうだね。ちょっと、寄りたくなっちゃったんだ」
「バカね。もうここにはあなたの居場所なんてないのよ」
今更戻ってきても、この黒森峰に彼女の行き場などない。
もう、どこにも。
だから……
「帰りなさい。あなたが守り抜いた、あなたの仲間が待つ場所へ」
みほは頷き、惜しむように、私に手を振る。
景色が光で包まれる。
みほの姿が、だんだんと見えなくなっていく。
伸ばしそうになる手を、しかし私は引っ込めた。
もう、みほの姿は見えない。
ただ、声だけが聞こえた。
──……ごめんね。
夢から覚める。
朝日が昇っている。
ベッドの中で、私は自分の顔に手を触れる。
「……」
大丈夫。
迷いはもう、晴れている。
私はベッドから起き上がる。
行こう。
決着をつけに。
──────
試合会場は凄まじい熱気に包まれていた。
去年以上に観客が増えている気がする。
レポーターが興奮気味に実況をしている。
『ご覧ください! こんなにも多くの方々が地元から駆けつけてきております! 度重なる廃校の危機を乗り越え、戦車道の歴史に残る勝利を二度も納めた大洗女子学園! 決勝の相手は因縁深き黒森峰女学園! どのような激戦が繰り広げられるのか、目が離せません!』
はっ、と私は乾いた笑みを浮かべる。
もう完全にスター扱いじゃないの、大洗は。
まるで私たちがただの引き立て役みたいじゃない。
……無理もないか。
10連覇を逃し、二度も優勝を逃した私たちなんて、とっくに信用を無くしている。
王者の名は薄れつつある。
反して大洗は全国大会に優勝し、そして大学選抜との試合で目覚ましい結果を残して以降、その名声はあちこちに広まっている。
当然のように新入生の数も増えていた。
しかし、主要メンバーに変化はなかった。
ヘッツァー、ルノー、ポルシェ・ティーガーの搭乗者は新入生に変わっているようだったが、それ以外はほとんど去年と同じ編成だった。
観客席から、各チームのファンたちが声援を送っている。
「これより、黒森峰女学園と大洗女子学園の試合を始める。一同、礼!」
相手がどんなに注目を浴びていようと、私たちには関係ない。
自分たちのベストを尽くすだけだ。
私たちは完璧な礼をする。
洗練された礼節は黒森峰が黒森峰であるゆえん。
こればかりはどの代であっても崩してはならない。
負けない。
絶対に。
取り戻してみせよう。
私の手で、黒森峰の名声を。
闘志を瞳に込めて、私は顔を上げる。
相手の隊長と目が合う。
(……なんて顔をしているのよ)
私は覚悟を決めてこの場にいるというのに。
その肝心な相手の隊長には、迷いがあった。
晴れ晴れしい戦意ではなく、鬱蒼とした後悔がその瞳に宿っている。
まるでこの場にいることが辛いとでも言うように。
私とこうして向き合っていることが、悲しくてしょうがないとでも言うように。
「……」
やめなさい、そんな顔は。
あなたは見つけたんでしょ?
自分の戦車道を。
未練は断ち切ったんでしょ?
だったら、そんな顔はやめなさいよ。
堂々とした顔で、私と向き合いなさいよ。
しかし、彼女の表情から未練がましい色が消えることはなかった。
「……」
爪が食い込むほどに、私は拳を握りしめた。
(ふざけないでよ……)
私は、あなたのそんな顔を見るために、ここまで来たわけじゃないのよ?
試合が始まった。
彼女たちは、また成長していた。
戦いの数だけ、彼女たちは強くなっていく。
特にM3の成長ぶりは凄まじいものがあった。次期後継者として丹念に育成されたことがわかる。去年とはまるで別人だった。
いつだってギリギリの戦いで修羅場を乗り越えてきた、そのチームワークはまさに完璧だった。
気を抜けば、瞬く間に相手のペースに持っていかれる。
……けれど。
(去年と同じ手が通じるとは思わないことね)
私たちは、さらに相手の上を行くだけだ。
相手の動揺が伝わってくる。
違う。去年までの黒森峰とはまったく違うと。
驚いたかしら?
そうでしょうね。
去年の私たちは、覚えたことしかできない『優等生』でしかなかった。
咄嗟の事態に混乱して対応できない。
戦車の性能を過信しすぎて、予想外な不意打ちに破られる。
でもね、もうそんな形式に固執する堅物はいないのよ。
私のチームは、どんな例外な事態でも対応できる。
奇襲をはね除ける。
罠を瞬時に看破する。
逆に奇襲をかける。
逆に罠に嵌める。
向こうのペースはだんだんと崩れていった。
私たちの動きをまったく予想できていない。
状況に合わせて、変幻に戦闘スタイルを換えていく私たちに圧倒される。
彼女たちはこう思っているかもしれない。
まるでいくつもの学園と戦っているようだ、と。
それは間違いではない。
それこそが、私が編み出した戦車道なのだから。
自分だけの戦車道を見つけるため、私はこの一年ずっと問い続けた。
他の者は持っていない、私だけの強さは何か。
何度も何度も、探し求めた。
……だけど、見つからなかった。
どんな学園にも、どんな選手にも個性というものがある。
でも私にはそれがなかった。
聖グロリアーナのように、サンダースのように、プラウダのように。
シンボルとなる戦い方が。
そりゃそうである。
もともと私は、才能のない凡人に過ぎなかったのだから。
凡人の私にできることは、要領よく覚え、要領よくこなすというだけだ。
──だから、それを武器にした。
私は模倣した。
使えると思った作戦を。
相手を確実に倒せるだろう戦法を。
それがどんなに気に入らない学園が考えたものだろうと、気に入らない選手の技だとしても、利用できるものはとことん自分のものにした。
要はモノマネである。
まったく皮肉な話だ。
自分だけの戦車道を見つけたいと思っていながら、至った結論が他人の模倣だったのだから。
けど、私はいつだって自分が持っていないものに焦がれる小さな人間だった。
まほさんに憧れ、そしてあの子の才能に嫉妬し続けた。
高みに至りたいと、器も知らずにそう望み続けた矮小者にただひとつできること。
だから、これこそがきっと私にとってあるべき形。
笑う奴は笑えばいい。
どう言われようと、私は焦がれ憧れた戦いを偽装し、自分のチカラに変える。
オリジナル以上に洗練させてみせる。
他者の強さをすべて自分の強さにしてみせる。
それこそが、
(それこそが……私の戦車道よ!)
ようやく見つけた私の答え。
かたち格好なんてもうどうでもいい。
惨めったらしくても、不格好でも、自分だけが持ち得るチカラでぶつかっていくだけ。
だから……
(あなたはいつまで、そんな情けない顔をしているの!?)
向かってきなさいよ。あなたも。
全力で来なさいよ!
ティーガーⅠのエンジンが唸る。
あたかも咆哮するように。
目指すは相手のフラッグ車──Ⅳ号線車。
「っ!?」
キューポラから身を出しているみほが焦りの表情を見せる。
即座に指示を飛ばし、他の戦車に対応させる。
(邪魔を、するな!)
群がってくる相手の車輌を一掃しようとする。
そのとき背後からの援護が入る。
『エリカさん! ここは任せてください!』
小梅から通信が入る。
仲間たちが、道を拓いてくれる。
みほへの道を。
『行ってください!』
私は頷く。
深く感謝を込めて。
小梅。あなたがいてくれて、本当によかった。
互いのフラッグ車が向かい合う。
よほどのことがない限り、フラッグ車同士を対面させるのは効率がいいとは言えない。
チャンスではあるが、リスクが大きすぎる。
数ならばこちらのほうが優勢なのだから、他車輌による集中砲火で決めるのがベストだろう。
……だが、それで勝っても私が納得できない。
これは私のワガママだ。
去年と同じ一対一の状況で、私は勝利したい。
そうすることで私は初めて、彼女に勝ったと言える。
……私が乗る戦車も、それを望んでいる気がする。
ちょっとしたことですぐに機嫌を損ねていた猛虎。
今だって相当無理な扱いをしているというのに──ここで初めて、ティーガーⅠは私の思い通りに動いてくれていた。
宿敵にして、いっときだけ共に強敵に挑んだ戦友たるⅣ号に、今度こそ打ち勝つと言わんばかりに。
だから、遠慮はいらない。
そんな言葉が浮かんできた。
(……いいわ。限界まで、駆ってやるわ!)
ここで決着をつける。
いっときの隙も見逃さず、砲撃を放つ。
しかし、
驚異の走行テクニックでかわされる。
精密な砲撃で窮地に立たされる。
素早い装填で焦りをいだく。
的確な通信で仲間が今にも到着しそうになる。
信頼で結ばれたみほの乗員たちは、己の役目を最大限に果たしている。
……負けるものか。絶対に!
闘志の火は消えない。
勝利を手にするまで。
だというのに……
(あなたは、何をやっているの!)
車長である少女には、まだ迷いがある。
私と対面していながら、彼女は私を見ていない。
何を今更迷うことがあるというの?
あなたが選んだ道でしょ?
わかっていて突き進んだんでしょ?
そこが、あなたが笑っていられる場所なんでしょ?
だったら、いつもみたいに笑いなさいよ。
私にしょっちゅう見せていた、バカみたいに明るい笑顔で……
──エリカさん!
私の名前を呼びなさいよ!
「みほ!」
「っ!」
「あなたは今、誰と戦っているの!」
「っ!?」
彼女の瞳に、光が宿った。
そうよ。
そうしてちゃんとしっかり目を開きなさい!
「相手をちゃんと見なさい!」
真っ直ぐに、
目を逸らさずに、
「私だけを、見なさい!」
今ここで私たちがすべきことは、ひとつしかないでしょ!
来なさい!
私のように、すべてを出しきって、挑んできなさい!
「……」
みほは一瞬両目を閉じ、すぐに開く。
そこにはもう、迷いはなかった。
私の口元は、自然と笑みを浮かべた。
幕切れは近い。
砲塔が唸る。
車輪が悲鳴を上げる。
鉄同士が擦り合い、火花が散る。
性能の限界を越えた、禁断の領域に至った接戦。
止まることは決してない。
決着がつくまで、絶対に、鉄の咆哮が止むことはない。
私たちの視線が逸れることもない。
一挙一動を見逃さないために。
相手の思考の先を行くために。
みほの表情には、もう一点の翳りもない。
車長として、隊長として、覚悟を決めた顔だ。
まったく、最初からそうしていればよかったのよ。
本当に、いっつもあんたは一人で勝手に悩んで、一人で勝手に決めて。
あのときも、あのときだって、あの試合でも、一人で突っ走って。
いつもいつも言いたいことだけ言って、どこかに行ってしまうんだから。
どれだけ私が迷惑してきたと思ってるの?
少しは信用しなさいっての。
あんたほど面倒くさい娘と一緒にいてあげるお人好しなんて、私ぐらいだったんだから。
……でもまぁ、不器用なのは私も同じね。
お互い面倒くさい性格してて、ここまで拗れてきたわけなんだから。
だから、いい加減すっきりさせましょう。
結局、不器用な私たちは、言葉ではなく……
(こうして戦車を通してでしか、語り合うことができないんだから!)
気づくとお互い、笑っていた。
このいっときが、この瞬間が、楽しくてしょうがなくて。
試合のことも忘れて、子どもみたいに夢中になって。
もう、相手のことしか見えないくらいに。
勝ちたい! 勝ちたい! 今、頭の中にあるのはただそれだけ。
高ぶる激情に従うがままに、最大速力で戦車を前進。
真っ向からぶつかっていき、トドメの一撃を喰らわしてみせる。
ついに限界を迎え、外れる履帯。
それでも砲塔の切っ先は標的を逃さず……
発砲は同時に起こった。
静寂に包まれる空間。
煙る視界の中で、白旗が上がる音を聞く。
白旗が上がったのは……
『──大洗・フラッグ車、走行不能。よって……黒森峰女学園の勝利!』
──────
試合終了後、黒森峰主催の打ち上げが始まる。
試合に携わった選手やスタッフを労うアンツィオを見習った新たな決まり事だ。
戦車の相性による関係でアンツィオの戦術を見習う機会は少ないけれど、この風習はとても素晴らしいと私は思う。
打ち上げに誘われた大洗は最初こそ戸惑っていたけど、だんだんとはしゃぎだしてガツガツと料理を食べ始めた。
脳天気な彼女たちらしい。
勝敗に関係なく、互いの健闘を讃え、認め合う。
黒森峰らしくないと思われるかもしれないけど。
でも、険悪なライバル関係になるよりはずっといい。
去年まであんなにお互い敵視していた私たちが、今ではまるで旧来の友人同士みたいに笑っている。
『戦車道には、人生に大切なすべてのことが詰まっているからね』
かつての練習試合で、そんなことを言う隊長がいたなとぼんやり思い出す。
あのときはただ「胡散臭いこと言うわね」と思っていたけれど……
目の前のなごやかな光景を見ていると、この慣習はできれば継いでいきたいと、そう思えた。
ノンアルコールビールで乾杯が繰り返される喧噪をよそに、私とみほは離れた場所で二人きりでいた。
話したいことがあると、みほから誘ってきた。
しかし、彼女はなかなか口を開かなかった。
「……話って?」
待ちあぐねて私から話題をふる。
みほはモジモジと指を絡めて、頬を赤くして俯いている。
「えと、その……ゆ、優勝おめでとう!」
「ええ」
再び沈黙。
「……あう」
「……言いたいことがあるならハッキリ言いなさいよ」
「ご、ごめん」
私は溜め息を吐く。
なによ。
再会を身構えていた私がバカみたいじゃない。
この子の態度ときたら、まるで昔のままじゃないの。
調子が一気に彼女が黒森峰にいた頃に戻っていく。
「まったく。変わんないのねそういうとこ。少しは隊長として立派になったと思ったら……」
口にしてから余計なことを言ったなと思った。
「……ぷっ。くすくす♪」
みほは急に笑い出した。
「……なによ?」
「ふふふ。だって、そっちだってぜんぜん変わってないんだもの」
「……」
みほはとても嬉しそうに、心から安心したように、愛らしく微笑む。
「よかった。エリカさんが、エリカさんのままで……」
“逸見さん”ではなく、“エリカさん”。
自覚しているのか、彼女はそう呼び名を戻していた。
私たちの間にあった見えない壁が、嘘のように消えていく。
みほはもう、気まずそうな顔を浮かべてはいなかった。
「……ずっと、考えてたんだ。エリカさんと、どうやったら前みたいにお話できるのかなって」
「……」
「お姉ちゃんと仲直りはできたけど、でも、エリカさんとはちゃんとお話できないままだったから」
「だから、今?」
「うん」
気づくと、肩が触れ合えるほどに彼女との距離が近づいている。
「……結局、約束守れなかったね。守れないまま、うやむやにしちゃってた」
私たちの約束。
黒森峰を優勝させられたら、みほのことを認める。
なにを認めて欲しいのか、みほはついぞ言わなかったけど。
「でも……」
彼女が望んでいた答えはすでに出ている。
「みほ、って呼んでくれたね? エリカさん」
「……」
「初めて呼んでくれたね? すごく……すごく嬉しかったよ」
恐る恐る、みほは私の袖を握る。
「それって、エリカさんに認めてもらえたってことでいいのかな?」
「……」
私は答えなかった。
そんな今更なこと、答える必要はない。
私はとっくに彼女を……
だから、
送る言葉はもっと別のものだ。
「変わらないわ」
「え?」
「あなたがどこにいようと、どこで戦車道をやろうと、私は変わらない」
そう。変わらない。変われない。
だって、私たちは出会った瞬間から……
「私たちは──お互いを高め合うライバルなんだから」
仲良しごっこしかできなかった私たち。
仲良しのフリしかできなかった私たち。
そんな私たちでは……
「私たちは、友達にはなれないのよ」
たとえどんなに認め合っても──私は
みほにはもう、たくさんの友人がいる。
私までが友人になってしまったら……それはもう、それだけの関係で終わってしまう。
彼女だけの、“特別”にはなれない。
だから……
「だから、これでいいのよ。私たちは、このままの関係でいいのよ──みほ」
もしもまた形だけの関係を結んでしまったら、きっと同じことを繰り返してしまうだろうから。
だから、今の距離感こそが、私たちのベストなのだ。
私の言葉に、みほは……
「……うん」
ただ微笑んで頷いた。
それは、とても大人びた笑顔だった。
(……それでいいのよ)
私たちはお互い夕暮れの空を見上げた。
私たちはもう、過去を引きずったままではいられない。
前に、進まなくちゃいけない。
今日はきっと、その第一歩となる。
そう願った。
「……夢を見たんだ」
みほは、ふと呟いた。
「夢?」
「うん。昨日の夜に見たの。わたしが黒森峰の隊長になってる夢」
「……え?」
それって……
「夢の中では、黒森峰は11連覇しててね。12連覇を賭けた決勝の前夜に、副隊長のエリカさんにお礼を言うの。いつも支えてくれてありがとうって……そしたら、叱られちゃった。『自分の場所に帰りなさい』って」
「……」
そんな。
こんなことが、あるのだろうか。
こんな偶然。
「こういう未来もあったんだって思うと、いつまでもここにいたいなって考えちゃった。……でもそうしたら大洗が。皆の居場所がなくなっちゃう。そういう悲しい『もしもの世界』なんだって気づいたら、帰らなくちゃって思った。でも、それでもわたしは……」
茂みに雫が落ちる。
みほは、泣いていた。
「あれ? わたし、どうして……」
溢れる涙にみほ自身も戸惑っている。
「どうして、こんな……う、うぅっ」
涙はどんどん溢れた。
感情を抑制できないのか、みほは嗚咽を出して泣き出してしまう。
「う、うえええんっ」
大粒の涙が流れる。
彼女がずっと我慢していた分を、すべて吐き出すように。
それは、行動にも現れる。
「エリカ、さん……エリカさんっ!」
みほは私にしがみついてきた。
胸の中で、彼女は泣きじゃくる。
「みほ……」
とつぜんのことで、私はかけるべき言葉を見失う。
ただ、私は彼女を拒まなかった。
ポツリ、ポツリと、みほは語り出す。
「ずっと、ずっと心残りだったの。大洗でやっと戦車道が好きになれて、大切な友達ができて、毎日が楽しくても……ずっとエリカさんのこと考えてた」
みほは力いっぱいに私を抱きしめる。
「沙織さんがいて、華さんがいて、優花里さんや麻子さん、みんながいてくれても……ときどきすごく寂しかった。だって──そこにエリカさんはいないんだもの!」
きっとそれは、大洗の連中にも明かしてこなかった彼女の心の声。
今それを、彼女は私だけに打ち明ける。
「わたしにとって、大切な人なのに……もう昔みたいにはいかないのかなって思うと、怖くて、怖くて。なんて言葉をかければいいのか、わからなかった。エリカさんが怒る気持ち、わかるから。わたしに何か言う資格なんてないって、思ってたから……」
「……」
そう。
だからあなた、私に何も言わなかったのね。
「だから、今日はすごく怖かった。この大会が終わったら、本当に最後になっちゃうかもしれないって。もう二度と、エリカさんに会えないかもしれないって……」
「会えるわよ」
「え?」
震える彼女の背に手を回す。
今度は、しっかりと、抱きとめる。
「会えるわよ。戦車道を続ける限り。もう一度、会えるわよ。だって──」
道は、どこまでも続いている。
戦車は、どんな道でも切り拓いていく。
新たな道を。どこまでも、どこまでも。
「だから、続けなさい。私も、続けるから。同じ道を目指していれば──必ず会えるわ。もう一度……」
やっと。
やっと、伝えることができた。
これで、いいんだ。
私がこの子に伝えるべき言葉は、これだけで、充分だ。
「……うん──うんっ!」
私の言葉に、みほは何度も頷いた。
「約束……約束だよ?」
「ええ。約束よ」
今度こそは、決して違えない。
沈みかけている夕陽の空の下で、私たちは深く抱きしめ合った。
溶けるような夕陽の色が、私の瞳孔に刻まれる。
鮮やかな橙色を前に、私は思い出す。
もうひとつの、約束を。
「ああ──」
そうだったわね。
そんな約束も、していた。
きっと、大丈夫。
今の私たちなら、きっと、その約束も果たせる。
「エリカさん……」
泣き止んだみほの声は、とても穏やかだった。
カラダいっぱいに感じる、彼女のぬくもり。
そのぬくもりを、私はしっかりと受け止めた。
決してもう、失わないように。
私たちの青春は、こうして、ひとつの終わりを迎えた。
───epilogue───
目に眩しいほどの紅色と金色が目の前に広がっている。
公園のベンチに腰掛け、私は散りゆく二色の葉を見つめる。
毎年見ていても飽きさせない、自然が生み出す幻想的風景。
私は、この季節が好きだった。
いつしか、好きになっていた。
「エリカさ~ん」
風流に浸っていると、天然娘の間延びした声に意識を引き戻された。
「見て見て! 新しいボコのシリーズ今日発売されてたんだよぉ!」
「また買ったわけ? まったく、いい大人がいつまでヌイグルミなんて集めてるのよ」
「えへへ。こればっかりはエリカさんでも譲れないなぁ」
「はー。少しは部屋のスペースも考えなさいよね。もうどんだけヌイグルミで埋め尽くされてると思ってるの? あなただけの部屋じゃないんだから」
「あ、あはは……そこは、ごめんなさい?」
「まったく」
「あう~。膨れないでエリカさん。あっ、そうだ! クレープ買ってくるよ! ちょうどあそこにお店が!」
そう言って、みほはクレープ屋に向かって走り出す。
「転ぶんじゃないわよ?」
「大丈夫だよぉ。わたしも大人なんだからいつまでもそんな……はう!」
言ってる傍から地面にこけた。
まったく。大人になってもちっとも変わりやしない。
「お、お待たせ~。チョコバナナでよかったよねエリカさん?」
「ええ。クレープはこれが一番好きなの、私」
みほからクレープを受け取り、ひと口食べる。
……懐かしい味。
前にも同じ場所で、小梅と一緒に食べたっけ。
隣でみほも機嫌よくイチゴホイップのクレープを頬張る。
「んぅ♪ 小梅さんの言ったとおり、ここのクレープおいしい♪」
「でしょ? 小梅のお勧めする店で失敗は絶対にないわ」
「ほんとだね♪」
「小梅、西住の屋敷ではどんな感じ? あなた、彼女に迷惑ばかりかけてないでしょうね?」
「そ、そんなことしてないよぉ」
「ほんとに? あの子、あなたには甘いからちょっと心配だわ」
小梅は現在、西住家の家政婦をやっている。
彼女のことだから、きっと要領よくこなしているとは思う。
ただなにぶん、みほのことになると盲目的になるところがあるから、そこだけ気がかりだ。
そんな風に心配する私が気に入らなかったのか、みほはプクリと頬を膨らませた。
……この子、大人になればなるほど幼稚化してないかしら。
「むぅ~。エリカさん、小梅さんのことやけに贔屓するよね?」
「当然よ。あの子には、返しても返しきれない恩がたくさんあるんだから」
……本当に、彼女がいなければ今この日常はなかっただろうから。
「小梅ほどの家政婦に慕われているんだから、あなたもそろそろプロとしての自覚を持ちなさい。世界大会も近いんだから。日本代表として恥のない戦いを見せるのよ」
「わかってますよー。エリカさんこそ、急に怒り出してカメラの前で地団駄踏んだりしないでね?」
「このっ、言うようになったじゃないの」
「そりゃそうだよ。もう何年一緒にいると思ってるの?」
してやったり、という具合にみほはクスクスと笑った。
まほさんが見たら「まるで、やんちゃだった頃のみほのようだ」と微笑ましく言うかもしれない。
無事家元を襲名した彼女だが、未だに妹に甘いところがある。
だから私が、しっかりしなければいけないわけだ。
彼女のチームメイトとして、いつだって小言を言う立場。
昔と、ちっとも変わらない。
そう。
私とみほは、またチームメイトになった。
プロチームの一員として、近々開催される戦車道世界大会に備えている。
そして現在、同じマンションの一室で暮らしている。
旧知の者たちがそのことを知ると、よく驚く。
そりゃそうだ。
事情をよく知らない周りからすれば、私たちはずっと険悪な仲だったのだから。
頻繁に「あなたたち、どういう関係なんですか?」と聞かれる。
そういうとき私は「ただのチームメイト」と答える。
すると「とてもそうは見えない」と返される。
数年前なら「倒すべきライバルよ」とシンプルに答えるだけで済んだ。
しかし、チームメイトになった今ではそれは通じない。
正直に言えば、私は今でも負けられない相手としてみほをライバル視しているわけだが。
しかし、それならばどうして私はそんな相手と同棲しているのか。
そこのところ、私自身もよくわかっていない。
ただ、放っておけないのだ。いつまでも天然で子どもっぽい、この子のことが。
確かに何なのだろう。
私たちのこの関係は。
友人?
もちろん、そんなんじゃない。前にもみほに言ったとおりだ。
私たちは、そんな仲良しこよしな関係なんかにはなれないのだ。
ならば、恋人?
それこそ、まさかだろう。
私たちの関係は、きっと既存の言葉では言い表せない。
ひとつの枠組みに嵌めることはできないものなのだ。
きっと、みほ自身もわかってはいない。
どうせわからないのなら、わざわざ答えを見つける必要なんてない。
そう思う。
……ただ、ひとつ言えることは、
「心配ないよエリカさん。たとえ世界相手でも、わたしたちならきっと勝てるよ」
「当然よ。いつものとおりに」
「うん。二人一緒なら、ね」
私たちの間には、切っても切れない、確かな絆があるということ。
それだけは、はっきりしていることだ。
けれど、もしも。
もしも、この感情に名前をつけるとしたら、それは──
「エリカさん」
「ん?」
「紅葉、綺麗だね」
「……そうね」
紅色と金色のコントラストが、どこまでも広がっている。
ふたつの色彩は見事に調和し、きらびやかな風景を生み出している。
肩と肩が触れ合う。
みほが手を重ねてくる。
私は握り返す。
「来年もきっと、こうして一緒に紅葉を見れるよね?」
「気が早いわね──心配ないわよ。だって、約束したでしょ?」
「うん」
私の肩に、みほは頭を乗せてくる。
「知ってるよ。エリカさんは、絶対約束を守ってくれるって」
共に戦車道を続け、互いの名を呼び合い、私たちは……今ここにいる。
「約束を守ってくれたから……だから、エリカさん。わたしね?」
──今、とっても幸せだよ……
重ねた手を、私たちはしかと握りしめる。
そこに、確かなぬくもりがあることを感じるために。
道はどこまでも続いている。
戦車に乗り続けていたからこそ、私たちはまた巡り会った。
私たちはきっと、この先も戦車と共に、同じ道を進んでいくのだろう。
そして、きっと来年も、私たちはこうして紅葉を見に来るだろう。
この先も、
ずっと、
何度でも──