【完結】恋と友情の狭間で―逸見エリカの独白―   作:青ヤギ

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①初恋

 私こと、逸見エリカにとっては勝つことがすべてだった。

 それ以外のことは価値のないものだと本気で思っていた。

 どんなことでも勝利する。

 一番になる。

 頂点に立つ。

 私はナンバーワンが好きだ。

 それを手に入れるためならどんな努力だって惜しまない。

 これまでずっとそうしてきた。

 

 勉強、スポーツは当然学年でトップ。

 図画工作や習字でも常に金賞。

 合唱祭や文化祭のようなイベントがあると必ず責任者に立候補して成功に導いた。

 非の打ちどころのない完璧超人を私は見事実現していた。

 周りの学友も、教師も、誰もが私を天才児と持てはやした。

 自分もその通りだと思っていた。

 私は選ばれた存在なのだと。

 完全無欠の無敵の存在。誰も私に敵いやしない。

 本気でそう考えていた。

 その自信の裏付けとなる結果や努力を私は確かに築いてきたのだから。

 謙遜などしない。積み上げてきた勲章は勝者の証。

 私はそれを堂々と誇示し、周りの喝采を心地よく受け入れる。

 そうすることで、また次なる勝利に繋げることができる。

 

 でもその姿勢は決して崇高的な感情から来るものではない。

 単に勝つと気持ちがいい。負かすと気分がいいという完全に俗っぽいものだった。

 己を高めるために邁進するというよりも、己の凄さに酔いしれ悦に浸るために腕を磨く。

 ただそれだけのために、私は日々全力で生きていた。

 

 典型的な小物だ。

 でもその頃の私はそれが正しいと信じていた。

 勝てば勝つほど自分の価値は上がる。

 人間として尊大になれると、疑わなかった。

 

 どんなことでも自分の力なら栄光を掴むことができる。

 絶対に負けることは許されない。

 勝って、勝って、勝ち続ける。勝たない自分に価値などない。

 

 それは──戦車道でも同じだった。

 

 戦車道は一瞬で私を虜にした。

 当時小学生だった私は嬉々としてその競技に参加し、没頭した。

 戦車道は実力がものを言う完全な実力主義の世界。

 正確な判断力と相手の心理を読む戦術眼、そしてなによりも優秀な指揮力が必要とされる。

 これほど自分に相応しい場所はない。

 そして実際、私は戦車道に必要とされる要素をすべて満たし、発揮し、当然のように目覚ましい結果を残した。

 戦車で相手を打ち負かし、完全勝利する。それはどんなスポーツ勝負にも勝る快感だった。

 私にとって戦車道は最高の競技だった。

 

 私が車長として乗る戦車チームはまさに敵なしで、そんじょそこらの小学生チームなど相手にもならない。

 勝てば勝つほど、チームメイトは私を絶賛し、厚い信頼を寄せてくる。

 さながら気分は女王。

 世界は自分のために回っていると信じ込むほど、私の戦車道ライフは充実していた。

 だから教師から『ユースクラス』のチームに入ってみないかと言われたときも即行で頷いた。

 戦車道の名門、黒森峰女学園付属のユースチーム。優秀な小中学生を集めた本格的育成クラス。

 お遊戯感覚で戦車を乗りこなすのとは異なる真の実力勝負ができる。

 自分の才能をより広い世界に震撼させる絶好の機会だった。

 私は完全に有頂天になっていた。

 自分が敗北するなどそもそも念頭に置いてすらいなかった。

 恐らく教師はそんな私の先行きの危うさを予感していたのだろう。

 そして、その予想は見事的中することになる。

 

『新入隊チーム10輛走行不能。よって在隊員チームの勝利』

 

 私はそこで、生まれて初めて挫折というものを味わった。

 圧倒された。見せつけられた。

 世界は、広いのだということを。

 でも、幼い私はそれを素直に受け入れることができなくて、ただただ歳相応に悔しがった。

 

『あなた小学生のわりには頑張ったほうだよ』

 

 上級生のそんな言葉も慰めにはならなかった。

 

『でもね……』

 

 そして事実それは慰めでもなく、ただ私に残酷な真実を告げる厳しさに過ぎなかった。

 

『ここにいる西住まほは、あなたと同い年の頃もっと凄かったわよ?』

 

 その日、私は本物の天才と出会った。

 それはまさしく、運命の出会いだった。

 

──────

 

 結局のところ私自身は天才でもなく何でもなく、ただ努力して結果を残してきただけの凡人に過ぎなかった。

 良く言えば秀才。

 でも幼い私はその事実を認めたくなかった。

 違う、自分は選ばれた人間なんだ。こんな惨めな結果があっていいはずがない。

 そんな風に怒りと悔しさを力に変えて、私はひたすらもがいた。

 私を完全に負かした()()に、何度も挑戦した。

 後に私が誰よりも尊敬する隊長となる、西住まほに。

 

『良い眼をしている。いいだろう。本気でかかってこい』

 

 彼女はいつも快く私の挑戦を受けてくれた。

 堂々と自分と戦おうとする姿勢を歓迎する、雄々しい喜びに満ちた笑顔を浮かべて。

 でも未熟だった私には、それが勝者の傲りのようにしか映らなくて、より一層劣等感が増した。

 いつしか私は勝つことよりも自分の名声を取り戻すことばかりに躍起になっていた。

 負けるたび、かつて私を持ち上げていたチームメイトの心は離れていった。

 いや、正確には荒れ果てて、他人にきつく当たる私に愛想を尽かし始めたのだ。

 そこは私も反省している。後悔もしている。

 けれどその態度の豹変は、小さい私にはあまりにもショックだった。

 

『それにしても情けないよね逸見さん』

 

『エラソーにしてたわりに結局あんな程度だったわけでしょ。笑っちゃうよね~』

 

『ぶっちゃけ私あいつ大嫌いだったんだよね』

 

『わかるぅ。結果残せなきゃただの性格悪い奴だもん』

 

『いい気味だね』

 

『いままで調子に乗りすぎてたんだよ』

 

 偶然耳にした私に対する罵倒の数々。

 その声の中には、それまで親しいと思っていた女友達のものも含まれていた。

 好き勝手に言っては楽しそうに笑っていた。

 耳にしたくないのに、私はその場から離れられなかった。

 目の前が真っ白になった。

 身体の中にある臓器がきつく締めつけられるようだった。

 吐き出す息が石みたいに固く感じられた。

 目の奥が火傷したかのように熱くなった。

 悔しくて、惨めで、それ以上に悲しくて。

 

 私は初めて人が怖いと思った。心底恐ろしく思った。

 こんなにも、こんなにも人は簡単に掌を返せるのかと。

 自分の信じていた世界が、なにもかも崩壊していく音を聞いた気がした。

 私が築いてきたものなんて、こんなにもあっさりと、脆く、壊れてしまう。

 それが悲しくて、その事実に震えてしまって、その場で固まることしか私にはできなかった。

 

 こんなはずじゃなかった。

 今すぐこの惨めな状況を変えたかった。

 けれど、何も言い返すことができなかった。

 なにひとつ間違っていなかったからだ。

 自分が井の中の蛙だということなど、とっくにわかっていた。

 だからなによりも辛いのは、私のそれまでの人生にはなにひとつ『誇れる本物』がなかったという事実。

 私は結局いっときの優越感を求めるだけの半端者に過ぎなかった。

 本物の天才とは、選ばれた人間というのは、もっと強固で不動の精神を持ち、崇高な信念を掲げている。

 陰口に圧し負け、心が枯れかけている私は違う。

 本当に選ばれた人間というのは……そう、西住まほのように常に堂々とし、揺るぎない意志を持っている人のことを言うのだ。

 だから……

 

『お前たちのように陰で人を罵るような奴らは、我がチームに必要ない!』

 

 その『本物』に救われたとき、私は光を見た。

 

──────

 

 まほ隊長は私のために怒ってくれた。

 己を高めもせず、失敗した者を笑うのは最低の行いだと。

 敗北から学び、立ち上がることこそ価値があるのだと。

 そして、

 

『お前たちは逸見のように全力で戦車道に臨んだのか? 相手が自分よりも上だと理解しても、何度も私に挑戦してきた逸見のように挑んだのか? 何度負けようと本気であがいている逸見と同じことをしてきたか? それすらできていない者が他人をバカにするなど、それこそ恥だと知れ!』

 

 彼女は、私を見てくれていた。

 惨めな私を、しょうもない私を、そう言ってくれた。

 

 カリスマ性のある上級生に叱られた子たちは大泣きしながら更衣室を去った。

 恐れをなした半端者は辞めていき、説教に胸を打たれた者は心を入れ替えて残った。

 彼女の言葉は、そんな風にいびつに曲がった性根を叩き直す力がある。

 それは私も同様だった。

 まほ隊長の言葉は私を暗い淵から引き上げた。

 それまで見ていた世界が一変した気がした。

 そして思った。

 あの人の傍にいれば、変われるかもしれないと。

 そのとき私には、強さにかける思いというものがまだわからなかった。

 ただ感情のままに、がむしゃらに抗っていただけ。

 でも、あの人はそれを価値のあることだと言ってくれた。

 決して罵倒すべきものではないと叱咤してくれた。

 

 彼女についていけば、私は半端者を卒業できるかもしれない。

 本気で自分の道を突き進むことができるかもしれない。

 見つけられるかもしれない。

 いままで何ひとつ『本物』を得ることができなかった私でも、まほ隊長と一緒なら手に入れることができるかもしれない。

 私が本当に誇れる、私だけの戦車道を。

 

 それからだ。

 私にとってまほ隊長がかけがえのない存在になったのは。

 何があろうと、私はこの人と運命を共にすると誓った。

 それはどこか恋にも似ていた。

 いや、実際に恋だったのかもしれない。

 同性という障害も気にならなくなるほどの魅力が、まほ隊長にはある。

 彼女の声が、彼女の仕草が、彼女の表情が、彼女のすべてが私には眩しく、そして愛おしかった。

 自分の全人生は彼女のために捧げても構わないと本気で思うほどに、私はまほ隊長に心酔していった。

 私はこの人と出会うために生まれてきたんだ。そんな突飛なことまでに考えるほどに。

 自分でもどうかしていると自覚できるほどに、私はまほ隊長にどんどん惹かれていった。

 彼女のことを知れば知るほど、敬愛の情は膨れ上がる。

 

 私は一番が好きだ。

 それは幼い頃から変わらない。

 だから、やがて私はまほ隊長にとっての一番になりたいと思うようになった。

 きっとこの人の隣に立つに相応しい存在になる。

 固い信頼関係で結び合った仲になりたい。

 それは私にとっての命題になった。

 私の戦車道は常にまほ隊長と共にあった。

 

 だからこそ……あの子だけには、絶対に負けたくなかった。

 

『エリカ、紹介しよう。私の妹だ。仲良くしてあげてほしい』

『に、西住みほです。その、よろしくお願いします。逸見さん』

 

 私が見たことがない隊長の柔らかな笑顔を向けられる存在。

 私が聞いたことがない隊長の優しい声色で話しかけられる存在。

 私が知らない隊長の一面を知る存在。

 

 まほ隊長とは別の意味で、私の運命的な相手となる少女。

 後に何度も私の心をかき乱す宿敵。

 戦車道においても、そしてまほ隊長のことにおいても、因縁の相手となる存在。

 

 まほ隊長の愛妹、西住みほ。

 

 彼女は出会った瞬間から、私にとって倒すべき()()()()だった。

 


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