戦姫絶唱シンフォギア ~Gungnir Girl's Origin~ 作:Myurefial0913
天羽奏と風鳴翼の間にあった蟠りが無くなり、楽しく会話が弾んでいたころ、
『あの少女の意識が戻りました』
と言う緒川からの連絡を受け、弦十郎は飛ぶように二課本部を後にして、私立リディアン音楽院高等科内部に密かに併設されている病院施設を訪れていた。同じ病院内でも奏がいる場所からは真反対で遠く離れたところに少女の病室が密かに存在している。
時刻は午後8時過ぎ、謎の少女が現れた時期は目の回るような忙しさだったが最近はそれが嘘のように暇を持て余している。少女の出現からもう一ヶ月半以上――もうすぐ二ヶ月になろうとする程に時が経過していたようだ、季節は初夏から移り既に梅雨本番、しかももうすぐ夏になる。翼も五月末に無事13歳の誕生日を迎えていた。
二課を好ましく思っていない関係各所に謎の光の奔流が発せられた事の説明を求められたり、直属の上司にあたる
しかし、その殆どが『それについては二課の極秘実験です』や『何故そのような事になったかという詳細は現在調査中です』としか説明出来ず、少女の存在を明かすわけにはいかなかった。
そのせいでまたしても『特異災害対策機動部二課』を縮めて『
防衛大臣等に説明するにも、未だ不明な点が多い少女の身元情報を不確定なまま伝えるのも良くないとして『現在調査中』と言うことにして置いたのだ。広木防衛大臣たちには光の柱が二課の実験でないことを見破られているし、批判的な関係各所の中にはあの米国軍も含まれていて非常にストレスの溜まる仕事であった。
実際のところ、少女の所持していたシンフォギアの部分的正体以外は本当に何も分かっていない。
程なくして調査の為の猶予期間を得た
趣味の映画は粗方借りてきたものは見終わってしまっている為、またTATSUYAに行って新たな作品をレンタルして来なければなるまい……。
そんな中訪れた一報に、弦十郎は足早に少女の入院する病室前に到着した。緒川慎次は既に病室付近で待機していたようで弦十郎はその姿を見つける。
「緒川!今あの子は?」
「はい、司令、現在はメディカルカプセルの中から出て身体検査中です、運び込まれた時の負傷箇所が多かったのでやや時間はかかってしまうかもしれませんが。
目の覚めた少女の様子ですが意思の疎通は十分に確認でき、担当者の指示には問題無く従っていて特に目立った障害や後遺症は見られないみたいです。少女の意識が戻る前の段階で身体的な創傷は全て塞がり、血液量も戻っています。
まだまだ万全とは言い難いですが肉体面は順次回復へと向かっているようです。……しかし、問題は……」
「……ああ、分かっているさ……」
「司令……」
精密検査前に医師から報告を受けた緒川によって伝えられた情報、そこから弦十郎は己がぶち当たる壁の正体を即座に見破る。その問題を解決しないといけないと言うのは初めから分かりきっていたことだ、心の準備などとうの昔に済んでいる。
それから二十分ほど経ったのち、少女のメディカルチェックが終了した。中から担当医が出て来て病室内へと弦十郎たちを誘導する。
既に夜の帳は下りているためカーテンが閉められていて、中が明るい室内へと入る。そこから視線を巡らせる必要もなくベッドに上半身だけを起こしていて、ハイライトの無い死んだ目をした、明るめの茶髪に鮮血のように緋い瞳の女の子の姿がすぐに目に映った。
一ヶ月強振りの再会、前にも薄暗い部屋で弦十郎が見た活力のない表情は、たとえ場所が変わろうとも、時間が経とうとも変わることがなかった。
彼女の元気な表情を見るのが待ち遠しく思える。
――闇の奥から生還した少女は、果たしてそこで何かを得たのか……。
「……ぁ」
「目が覚めたようで良かった、具合の方はどうだ?」
「……し、しょ……う……」
「ふっ、どうやら記憶喪失って訳ではなさそうだな」
ボソボソと言葉を発して、師事された覚えもない女の子からそう呼ばれるのも久しぶりで何だか嬉しくなった弦十郎、さてこれから幾つか質問して行こうかとするが、逆に少女の方から言葉が飛んでくる。
「……私は、私は一体……」
「そう急くな、これからゆっくり答えてやるから落ち着くといい、俺は逃げも隠れもしないから安心しろ」
表向き焦っているような感じには見えないが、少女はまだ自分の置かれた状況を把握も整理も出来てないままなはず。最後の自分の記憶と一致しない場所に居るのだ、逸る気持ちを理解出来ない弦十郎ではない。
ベット脇の座席へと座りポンポンと少女の頭を優しく叩き落ち着かせるようにする。緒川は弦十郎の背後に立つことにした。
「そうだな、まず君が入院しているここは二課が使っている病院だ、場所は、リディアンの敷地内にあると言えば伝わるか?」
「……」
コクッと頷く少女。そんな裏事情までも知っているとは、と弦十郎は一周回って感心する。
「次に、君がここに居る理由だが、自分で何となくでも心当たりがあるのではないか?」
それは、あの時の事を覚えているか、という確認でもあった。
それに対し少女は記憶の片隅から混濁なく引き出して弦十郎の質問に答える。
「……私は、師匠や緒川さんたちと戦って、……それから、私は……歌った」
「……ああ、そうだ、君は絶唱を口にした。そしてその反動を強く受けて意識不明の重体になり、ここに運び込まれたって訳だ」
「……」
下に視線を向けていた顔が僅かに弦十郎の方を見る。
「何を驚いているか分からないが、君は今こうして生きている。絶唱を使っても生き延びることが出来たんだ、死んでいないだけ儲けものだろう」
「……どうして」
「……ん?」
「……どうして、私を……助けたんですか……?」
「……どうして、か。君は知っているかもしれないが、俺たちの仕事は人類を様々なものから守ることだ。謂わば普通よりもその規模が大きくなっただけの人助け、目の前で死に体になった者を放っておくようじゃ、俺たちは仕事を辞めなきゃいけなくなる。無論、他にも理由はあるがな」
弦十郎は血筋としても官職としてもその義務や責務を果たすべく、今日も動いている。たとえそれを知っていたとしても、もう一度伝える事にした弦十郎。
少女からの返答が無い。続きの方を聞かせてほしいということだろうか。
「……君を助けた理由は、俺個人がそうしたかったから、簡単に言えばそれに尽きる」
「……ッ!」
これもまた分かりづらいが、息を呑む小さな音と共に少女の目が僅かに見開かれた。
「……どうして、ですか?……だって、私は、師匠に対してあんな事をしたのに……」
下半身にかかっている布団を握ってシワを作り、震えた声で少女は問いかける、弦十郎の言っていることが理解が出来ないと言うように。当然、弦十郎は少女がそう思うだろうという事も予測済みだ。
「俺は守るべき者と敵となって戦うべき対象とをそれぞれ弁えているつもりだ。たとえ拳を交えようとも俺にとって君は戦って殺り合う相手では無く、初めから守護すべき者だった、そうだったに過ぎない」
「ッ!」
「君がどう捉えていようとも、俺はこう思っているのさ、それを信じられなくても構わない。大切な子供の生命を蔑ろにするほど俺はダメな人間ではない、どんな子供であってもそいつを守ってやるのが大人だからだ。そんな事も出来ないようじゃ俺は恥ずかしくて堪らん」
柔らかい表情で弦十郎は少女に語りかける、何も怯える必要など無いと言うように。
「あの時敵対していたからこそ君はそう思ったのだろうが、俺にとっちゃあマンションの一室で話をした時には既に君を助けてやりたいと思ってたさ。……それでも、こんな形でしか君を助けてやることが出来なかった。君を傷付けてしまったのは俺の至らなさにも問題があったからだ、済まないと思ってる……」
「……何でですか?……師匠は何も悪くないじゃないですか。悪いのは、全部、全部、私の所為なんですよ……」
「そんな事はない、物事は色んな事が複合して起きているもんだ。誰も君だけが悪者だと言う資格なんかない、少なくとも俺は君だけが悪いだなんて考えてないからな、そんなに自分を責めるな。……っと、そろそろ此方からも君に聞きたい事があるんだが……」
少女を助けた建前上の理由はシンフォギアなんていう二課の重大機密を持っている少女の捕縛ではあるのだが、弦十郎自身の本音は単純に助けたかったという事で間違ってない。本来伝えるべき建前と本音が逆転しているが、それを傷深い少女に告げるのは無粋というものだ。
再び暗い影を落とし俯く少女、そんな少女を見た弦十郎は話題の転換を図る。……と、そこへ、
「お待たせしました〜、遅れちゃったわね、弦十郎くん」
「よく来てくれた了子君、タイミングが良かった」
「……了子、さん」
病室のドアが開く音と共に入って来た人物は、天羽奏のチェックを終えた後にこちらへやって来た櫻井了子であった。
少女の一言に櫻井了子の眼鏡がキラリと光ったような気がする。
「あら~?はじめましてかと思いきや、やーっぱり私の事もしっかりバッチリ知っているようね、あなたは」
「……ごめんなさい」
「謝る必要なんてないわよ。それで、何のタイミングが良いって言ったの?」
「これからこの子に対して俺たちから話を聞いて行こうと思ってた所だ。
……答えられない部分もあるだろうが出来る限り質問に答えてほしい、君の今後の事を考える為にも必要な事だ。これからは風鳴弦十郎個人というよりかは二課司令としての立場で質問していく、それでも構わないか?」
「…………、……はい」
不承不承ながらかは分からないが、何とか頷いた様子の少女。
弦十郎は一つ目の質問を投げかける。
「そうか、では聞いていく。
……まずは君の名前を教えて貰えないだろうか?
君は我々の事を分かっていても俺たちは君の事を何も知らないのだ、済まないとは思うが教えてくれ」
「………………………………ッ」
少女は小さく息を呑んだ。
――名前を教えて欲しい。
弦十郎の要求はもっともな事だった。今まで少女の名前も知らずに少女と関わってきたが、それにも限界がきている。少女の事を知る為には絶対に外せないところであった。
だが、ただそれだけの事を言い澱む少女は、一体何を思って口を閉じ躊躇するのだろうか。
少女の中で渦巻く複雑な感情が大きく強固な壁として立ちはだかり、本来一番簡単な筈の質問が少女にとっては待ち受ける全ての中で一番の難関であることを弦十郎たち3人は知らない。
少女との会話では最早お馴染みとなってしまった沈黙が続き、誰も喋らない時間だけが過ぎていく。緒川慎次も、桜井了子も、もちろん弦十郎も根気強く少女が自分から話してくれるその時をいつまでも待つ。
どれほどの時間が経ったかは分からない。
暗く影を落とした表情で俯くまま。
時々口を開いたり閉じたりしては発言するのを躊躇い、少女は言い澱む。
また微動だにしない時間と交互にその時間が訪れ、ずっとその繰り返し。
……そしてついにその時は訪れる。
少女は自ずから心の中に聳え立つその壁を壊す決意を胸に、顔を上げてついにその名前に別れを告げる。
「……名前なんて、無いです」
「……えっ?」
「……私に名前なんてものは無いんです……皆さんの好きに呼んで下さい」
「「「……ッ」」」
衝撃的な告白に絶句する三人。
皆が当たり前に持ち得るものを持ってない、多くを喪失したであろう少女はよもや名前まで失ってしまっているとは、流石に予想の範疇を大きく外れていた。
「……名前が無い……だとッ?」
「……私には呼ばれていた名前が確かにありました。平仮名で書けば、名字が4文字、名前が3文字……。
けれどもうその名前で呼ばれる資格なんか無い、呼ばれるべきじゃないんです……その名前はもはや私のものではないから……」
「名乗る資格の有無だなんて一体何を言うか――」
「私自身が!……それを許せないんです。……今の私には、そうすることができないんです……。だから、私は自分の名前を自分で捨てました……」
弦十郎の話を遮ってでも少女は頑なに意思を押し通した。
「しかしだな……」
「―――あなたは、新しい名前を御所望かしら?」
「了子君!!」
「それ以上は頂けないわ、弦十郎くん、名乗る事を強要する事は何よりもこの子自身がそれを嫌がってる。その理由を聞くのすらも野暮よ。
この子の事を第一に考えるのなら、ここは私に任せてくれないかしら」
「……くッ」
桜井了子の言い分に引き下がるを得なかった弦十郎は苦虫を噛み潰したように厳しい表情になっていた。
「……それであなたの答えは?」
「……」
少女は首肯する。
「分かったわ、私たちがあなたの新しい名前の名付け親になってあげる。……それでいいかしら?」
「……仕方あるまい」
「……」
「……さて、名前を付けるっていってもあまり変なモノはダメよね。これから先『本名』となるのだから。
……誰かの養子にでもなるかしら?」
「それは……」
子供のいない3人のうちの誰かの義理の子供となって少女を保護するという手もある。その場合は風鳴、桜井、緒川の何れかの名字が少女に付けられる事になり、少女の親として監督義務や親権といった責任も発生する。義理の親を3人に限定しないのであれば他に引き取り手を探し出すことも出来るが、それなりの給与と仕事を持つ大人であっても正直悩みどころが多い。
「……養子じゃない方が、いいです……」
しかし桜井了子の提案は名付けて貰っている少女の方から断られてしまう。誰かの子供になると言うのは少女にとっても望ましい事では無いようだ。
「あらま、それじゃあしょうがないわね…………じゃあ、あなたは何月生まれかしら?」
「……9月です」
「んー、後はもともとのあなたの名前から何か一つ取るとしたら何がいいかしら?あなたは避けたい事かもしれないけど、何かの繋がりはあった方がいいでしょ?」
「……………………『花』、で……」
「花、ね、また良いものをお持ちで。
………………うん!これならどうかしら?」
「もうですか!?」
桜井了子の即決振りに一同は驚愕する。少女は無言のまま静かに目を見開く。
しかも名前という重大なものであるのに、そのスピードはいささか早すぎる気がするのだが、桜井了子には良ければそれでいいと、そんなものお構い無しのようだ。
「もう決まったのか!?了子君」
「えぇ、もちろん。天才であるこの私を嘗めないでいただきたいわ。
けれど、あなたの方でもよく考えてね、大事なことだから。
まだ一案ではあるけれど『
桜井了子は何処から取り出したのか分からないスケッチブックに漢字で少女の名前の案を書き出す。黒の油性ペンで書いたのに達筆なところが桜井了子らしい。
『
それが桜井了子の考え付いた名も無き少女の新しい名前。
「……また単純に考え抜いた感が否めないのだが」
「んもう、名前っていうのは難しく考えるより浮かび上がってきたインスピレーションや言葉の響きが大事なのよ。『長月』に関してはそうかも知れないけれど……。旧暦月名の名字って何となくカッコイイじゃない?
それに、"小さき花、けれどそれは強く根を張り巡らせ、太陽に照らされた花弁は凛として咲く花の如き光輝を放つ"『凛花』なんて良い響きじゃない。この名前、私は結構良いと思ってるのよ?」
「そうですか……」
「……っ!」
「ん?どうかしたのか?」
「……いえ」
緒川はいかにも桜井了子らしいなとある種の諦めを持った。
少女は一瞬だけピクンと桜井了子の突然始まった謎なポエムに反応するも、何に反応したか教えてくれなかった。
「あなたはどう思うかしら?」
「……長月凛花、それが私の名前……」
「えぇ」
「……大丈夫です。私の名前は長月凛花、これからそれでお願いします」
『長月凛花』、少女は桜井了子から譲り受けた自分の名前を自分の口からそう言った。
――今ここに全てを失った一人の少女が、名前を得る事で再誕する。
「……長月凛花くん、だな、……分かった。
では凛花くん、今の君は色々と複雑かもしれんし、新しい名前で呼ばれるのは少しぎこちないかもしれないがさらに質問していく。
次は君が一体何者で何処から来たのかを教えてくれ」
凛花は同じように言うのを躊躇っていたが、名前の時ほど時間はかからなかった。
「……信じられないかもしれません。けど、本当の事をいいます。
……私は、この世界の8年後の未来からやって来た、S.O.N.……いえ、特異災害対策機動部二課に所属していたシンフォギア装者です」
「…………………………へ?」
「…………ん?」
「………………えっと……?」
一瞬、世界全体が凍り付き、時が止まる。
「……未来、から来た……?そんなことがあり得るのか……?」
弦十郎達は凛花の発言に言葉を失う。
急に告げられた理解不能な事実に混乱を隠せない弦十郎、誰でもそんなあり得ない事態をそのまま鵜呑みに出来るわけがない。
しかし、それを少女――長月凛花は事実だと言った。
まだ見ぬ未来から過去の世界へとやって来た、そんな奇怪でトンデモな事態を、凛花はその身に起こったと言ったのだ。こんなところで嘘を言うようにも思えないし、嘘を言う必要もあるとは思えない。
大人たちは凛花の精神面とその実情の特殊性を考えて、頭ごなしに強く否定をする事は無く、凛花が未来から来たという事ありきで話を進めるお事にした。それが後々違うだろうと判ればそれまでだ。
「……私だって、信じたくなんて無かったです、自分がそんな事になっているなんて。でも、それは事実でしたし、その理由は私の中で確信を持ってます」
「しかし、どうやって未来からやって来たって言うんですか?」
凛花に対して緒川は過去へと来た方法を尋ねた、もしかしたら遠い将来にタイムマシンが完成していたならあり得なくなど無いからだ。
親の世代から子、孫の世代まで知っているあの物語のように夢のある機械が生まれているならば、たとえ歳を重ねたとしても心が踊らない筈がない。
「……ごめんなさい、緒川さん。私にも分かってないんです、気が付いたら森の中で倒れていましたから……」
しかし凛花は自分ですらどうやってやって来たのかという経緯を分かっていなかった。世界を渡って来た時の記憶が余り明確になってないのも凛花にとって不都合を生み出している。何の脈絡も無くその身一つで放り出されたのだから困惑どころの騒ぎじゃない、来た手段が分かってないのなら帰る手段もまた同じ、今の凛花はまさに八方塞がりであった。
「それに過去の世界と分かったのはこの世界の師匠たちに出会う少し前でした。それまで色々とおかしな事になっていて頭の中がグッチャグチャになって何にも整理がつかなかったんですけど……、ここが昔の世界だって分かったら段々と噛み合ってきて……」
「……それで、ここが凛花ちゃんにとっての過去の世界であるその証拠を見つけられたってわけね」
「……はい」
「出来れば、それを教えてもらえないかしら?」
桜井了子から聞かれた事に凛花は戸惑う事なく言う。
「……幾つかあるんですが、一番の理由はみんなが私の事を知らなかったと言う事、ですかね……」
「……未来で二課に所属していたと言ってたな?
未来にて我々と共闘し同じ時間を過ごしてきたからこそ、君は俺たちを知っていたり二課の事に詳しかったのか?」
「……そういう事です。……だから、師匠と出会った時の会話で改めて、この世界は私の知らない――私の事を知らない世界なんだ、って分かったんです」
なんという事だ……、と弦十郎は手で顔を覆い落ち込んでしまう。まさか、そんな所で凛花に対してショックを与えていたとは思っていなかったのだ。
だが、互いの事情も分からないままでそこまで察しろと言うのは土台無理な話で仕方のなかった事だ、弦十郎のそれは望み過ぎである。
しかし、そこに桜井了子からの横槍が入る。
「何と無く話はつかめて来たけれど、何か私たちにも分かるような証拠的なものは無いかしら?それだけだと凛花ちゃんの中で完結してしまってるから、私たちにはそれが本当かどうか確かめようがないもの」
「……そうですか、……そう、ですよね。私しか知らないことを言っても誰にも分からないですもんね……」
「何か、私たちや二課に関わることでもいいわ、何か客観的に伝わりそうなことはないかしら?もちろん!誰かの秘密の暴露でも良いわよ~?」
ニヒルな悪い笑みを浮かべた桜井了子は本当に未来から来たのであれば知っているだろうと、これが良いチャンスと言わんばかりに秘密の暴露を求める。
上手く証明しようとした凛花はそんな桜井了子の悪戯に意図せずまんまと乗っかってしまう形で伝えられる範囲で過去の事を思い出す。
しかし、そんな悪戯は思いの外上手くいかないものだ。
「……師匠が実は『電光刑事バン』の主題歌を歌ってたり……」
「ほう……」
「眼鏡を外した緒川さんは裏の仕事モードになった状態だったり……」
「……えっ!?」
「了子さんは恋愛だと意外と一途だったり……」
「うぐっ……」
周囲にすらあまり知られていない若い頃の仕事を掘り返され、なんともマニアックな事まで知ってる事に苦笑いで困惑する弦十郎や、自分でも無自覚な点を指摘されビックリしている緒川。
秘密を暴露しても良いとか言ったばかりに自分だけプライベートな秘密を暴かれた事に羞恥しつつ冷や汗をかく桜井了子は無表情に言われただけに何とも言えなくなってしまっている。
漢字通りの意味の無邪気な凛花の発言で一番ダメージが大きかったのは桜井了子であった。
女の意外な一面を見た男二人は珍獣を見る目で桜井了子を見ていたが、桜井了子が睨み返せばすぐに男共の視線が凛花へと戻る。
藪をつついて蛇が出たら困る。
もしかしたら蛇で済まされないかもしれない……。
凛花の牙による被害者はこの場にいるものに留まらない。
「……翼さんはお部屋を片付けられない人で、緒川さんにそれをやらせてたり……」
「「「……」」」
「……あと、二課に関する事は……」
――そして凛花はそんな大人どもの心中など御構い無しに最後にとんでもない爆弾を投下した。
「………二課の凄い地下深いところに完全聖遺物のデュランダルが保管されている、でもいいですか?」
「「「ッッッ!!!」」」
サクリストD、第五号聖遺物、完全聖遺物のデュランダル。
現在のその所在は二課内部と日本政府のみが知り、決して外部に漏れる事は無い名前だ。
思い当たる節があり過ぎるし、教えなければ知る事は無い聖遺物であり、その名前を口にしたと言う事はやはり凛花は二課にいたのだという状況証拠にもなる。
そして弦十郎たちはその言葉を一度も言ってないので、未来から来たと言う事の信憑性がより高まる。
「……分かった、色々と此方から言いたい事はあるが、凛花くんが未来から来たと言うことを信じよう。そう言えば了子くん、あれは持って来てくれたか?」
あるわ、と言って桜井了子は白衣の左ポケットからとあるものを取り出す。
「……それは」
「このシンフォギアのペンダントはあなたが持っていたものよ、悪いけど勝手に解析させてもらったわ。……一つ質問するけれど、これは一体何かしら?」
「……それは、私の、……ガングニールのシンフォギアです」
大人達は先に結果を聞いていたので驚く事は無かった。
「……やっぱりね、シンフォギアを構成してる聖遺物が私の持つガングニールのそれとほぼ一致、解析したアウフヴァッヘン波形の形も酷似していたわ。……ちょっと納得の行かない所もあったけど概ね理解は出来る」
「あの……」
「……分かっているわ、これはあなたの物、あなたにしか使えない物だからちゃんと返すわ、はい」
「あっ……どうも……」
意外にも素直にシンフォギアを返した桜井了子。
凛花は桜井了子から自分のギアペンダントを受け取って首から下げ、両手でそれを包むように握り締める。
「君の持つ聖遺物についてはまだ訊きたいことがある、それはあの時も持っていた槍の事だ。アレだけは槍の持つ風格が明らかに違っていたし、シンフォギアから派生されたものでは無いと思うんだが」
弦十郎は初めから気になっていた疑問をぶつけ、シンフォギアにしても説明がつかないであろう不可思議な槍の正体を知りたがった。
それを聞いた凛花は手のひらを上にして、急に光り出したと思った次の瞬間、手元に槍が出現した。
「「ッ!!」」
「……何処にしまっていたか分からんが、いつでも取り出せるのだな」
「……はい」
ふと横に視線をずらすと桜井了子が口を開けて呆けている。いつまで経っても動く気配が見えないため、痺れを切らした弦十郎は桜井了子に話しかける。
「……了子君、一体どうしたんだ?」
「……これは完全聖遺物よ、間違いないわ!しかも起動済で実際に強力無比の力を発揮した。凛花ちゃん、それは一体何なの!?」
珍しく興奮した様子の桜井了子、一瞬で完全聖遺物である事を見抜いた観察眼は凄まじい。長月凛花が現れてからというものの桜井了子の珍しい一面を弦十郎はよく見ているような気がしている。実際、話しかけるまで硬直していたままだったぐらいだ。
桜井了子がこの槍の存在を知ったのは翼と凛花の戦闘時であるが凛花が槍を持っていたのはほんの一瞬のこと、翼の身体から放出されていた謎の光粒子同様、解析できるほどの情報が集まらなかったので槍についても棚上げ状態だった。
そんな桜井了子を前にしても尚表情の変わらない凛花の答えは……
「……これもガングニール、だと思います」
「なッ!!ガングニールだとッ!?」
「……穂先の欠片しか発掘されなかったガングニールの完全聖遺物、ですか……!?」
「まさか、そんな事が!?」
僅かな欠片だけでも大発見だったのに、その本体が伝説通りの神威ある姿形を保って眼前に顕現した事に表情を驚愕に染める大人たち。
凛花の持っていたシンフォギアの正体を明かした時以上の驚き様だ。
ギュっと凛花は手に持っていたガングニールを大切そうに抱き締める。
「……確証は無いんです。私がこの世界にどうやってやって来たかと同じように、どんな経緯で私の元にやって来たのか、全く覚えてないわけじゃないんですが靄がかかったようにそこの記憶が薄れているんです。
これが一体何なのかは確かな事は分かっていませんけど私がガングニールだと勝手に感じているからに過ぎません」
「……ちょっと見せて貰っても良いかしら?」
「……、はい……、大丈夫です」
凛花も完全聖遺物の正体に確実な証拠を見出せてないようだった。
多くの発掘現場や遺品を見てきた桜井了子ならばもしかしたらという事で、凛花から完全聖遺物のガングニールを受け取った桜井了子はそれがホンモノであることを確かめるために注意深く観察する。
実の所完全聖遺物が起動している姿を見たのはこれが初めて。シンフォギアを扱える存在ですら稀有であり、LiNKERによる適合実験もままならない。況してやその上を行く完全聖遺物の起動実験などまだまだ出来る状況では無いとして棚上げされている、無論起動実験の許可も下りていない。
しかもまだまだ仮説段階のままな為に実験に着手するのはきっと遠い先の事だろうと考えていたので、完全聖遺物は基底状態のものしか見た事がなかった。今の翼では起動するに至らないと推測されている為、他の方法を模索中だ。
そんな中現れた生きの良い研究対象に桜井了子は思わず口元を緩めてしまう。
このまま解析をかけて調べつくしてやりたい。そう強く思う桜井了子。
しかしそうは
「……えっ!?」
ガングニールが突然自ら光を放ち、光子となって空中に霧散し、桜井了子の手元から消滅していく。
その光粒子の行き先は長月凛花。
再び凛花の手元に集積した光が先程と変わらずガングニールの形を取って出現する。
「……あ、……えっと、どういう事かしら……?」
ガングニールに嫌われてしまったかな?と少し悲しくなった桜井了子は凛花に、何でか分かる?と聞く。
「……何で、ですかね……?」
だがしかし、当の本人である凛花にとっても何故か理解していないようだ。
「もっかい貸して?」ともう一度櫻井了子は凛花からガングニールを受け取りその場を少し離れてみせる、しかしガングニールは再び粒子になって凛花の元へと帰っていく。
「凛花くんの元から離れる事は無いのか……?」
「んー、何とも不思議ねぇ……」
それはまるでガングニールが主人の元へ、若しくは親の元へと帰るかのよう。弦十郎と櫻井了子は何かやってないのか?と凛花に視線を向けるが凛花は首を横に振る。
「私は、何もしてないです……」
凛花は帰って来たガングニールを右手で触って撫でながらそう言う。
凛花に撫でられて少しばかりガングニール自身がまるで喜んでいるかのようにキラリと光を放ったような気がしたが、ただ単に室内の蛍光灯がガングニールに反射しただけであったようにも思えてきて、さっきのは唯の錯覚に過ぎないという考えに着地した弦十郎は、これからが本番だという思いを馳せて長月凛花への質問を再開した。
少女の傷を癒すにはまずその傷と向き合い、その傷を抉るところから始めなければならない……。
目の前すらも真っ暗で何も見えない長月凛花を助けてやると誓ったのだ。
たとえ彼女が今ここで答えを出せずとも。