時間遡行の魔弾の王   作:無貌の王

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第二射

 ヴォルン伯爵家は領地としてアルサスという辺境の地を治めている。

 王都ニースからは遠く離れており、その田舎ぶりは主要な街道が一つも通っていないという点からもよく分かる。領土は小さく、周囲を森や山といった自然に囲まれているため大きな産業もなく、税収は少ない。

 そんなど田舎のアルサスの領主たるヴォルン伯爵が住まう屋敷は、唯一の主要都市たるセレスタにある。貴族にしては非常にこじんまりとした屋敷ではあるが、領民の暮らす家と比べれば十分な大きさだろう。それでも貧乏貴族であることに違いはないが。

 ヴォルン伯爵家の屋敷には侍女が一人、見習い侍女が一人いる。二人の関係は簡潔に言えば伯母と姪だ。領主の屋敷で働く伯母のもとへ遊びに通ううちに、侍女の仕事に魅力を感じた姪が侍女になりたいと望んだ結果ともいえる。

 姪の名はティッタ。栗色の髪をツインテールに纏め、はしばみ色の瞳が愛らしい少女だ。

 ティッタが侍女見習いとなれた経緯にはティグルの口添えがあったからだ。以前から惹かれていたティッタはそれを切っ掛けにティグルへの明確な好意を抱くようになっていた。積極的にティグルの身の回りの世話をしたりと、その健気さをアルサスの領民は温かい目で見守っている。無論、ティグルもその一人であるが。

 ともかく、ティッタはティグルのことを慕っている。そのため何かとティグルを擁護したり、味方に回ることが多い。しかしそのティッタをして今回の一件はティグルの味方になれなかった。

 事の発端はティグルが十二歳を迎えた夜だった。夕食の場でいつになく真剣な面持ちでティグルは父親であるウルスに言ったのだ。

 

『一年間、様々な国や地域を見て回りたい』

 

 ティグルの望みは簡潔に言えば、一年間アルサスの外を見て回りたいというものだった。

 夕食の席での唐突な発言。父親であるウルスは驚きはしたものの、冷静になってすぐに理由を尋ねた。ティグルは前もって返答を固めていたのかすらすらと答えた。

 

『いずれアルサスを治める領主として、様々な地域や国の統治を直接この目で見て学びたい。そして学んだ知識を活かしてアルサスの地をもっと豊かにしたいんだ』

 

 言葉の上っ面だけを見れば領主の息子としての自覚を持ち、将来のために進んで学ぼうとしているように見えるだろう。だがそこは父親であり、小さいながらも領地を運営する辺境伯である。ティグルが言葉の裏に別の思惑を隠していることを的確に見抜いてみせた。

 さすがに実の父親が相手では分が悪い。ティグルは先に述べた理由も間違いなく本心であることを伝えてから、核心に近い部分は殆どぼやかして真の目的を明かした。

 

『いずれ巻き起こる戦火からアルサスを、ブリューヌを、大切な人たちを護れるだけの力を手に入れたい。今の俺ではあまりにも無力だから……』

 

 ティグルが口にした、いずれ巻き起こる戦火。ウルスにはそれに心当たりがあった。公爵家の地位を笠に着て領地で好き勝手し、己の権力を高めようと目論むテナルディエとガヌロンだ。両公爵家が本格的な対立を始めたらブリューヌは遠からず内乱が起こるだろうことは間違いない。

 友人たるマスハス=ローダントから中央の情勢を聞き及んでいたウルスは、そのことだろうと当たりをつけた。真実はその更に先の戦さえ見越しているのだが、未来を見通すことのできないウルスにそれを察せというのは無理な話だ。

 十二歳にして国の将来を憂い、己が治める領地を守るために力をつける。この場合の力とは恐らく味方となってくれる貴族だろう。それらを探すために旅に出ようという意思は父親としても一領主としても褒められたものだ。

 だがやはりティグルはまだ十二歳と若い。もう少し大人になってからでもいいのではないのか、とウルスは己の息子を窘めた。

 しかしティグルは頑なに聞かなかった。それではダメだと、時間がないのだと訴えたのだ。

 時間がないというのはティグルのではない、ウルスのだ。ウルスは以前の世界でティグルが十四歳の時に病死した。この世界でも必ずしも病死するとは限らないが、有り得ないとも言えない。だからティグルは十二歳になり、そこから一年間の自由を願ったのだ。そうすれば十四の時にはアルサスの地にいられるから。

 そういった諸々の事情があってティグルは時間がないと訴えた。だがそのあたりの詳細を話すわけにはいかない。だからティグルは誠心誠意頼み込んだ。

 返事は直ぐには返ってこなかった。それもそうだろう。ティグルはヴォルン伯爵家の一人息子。万が一その身に何かがあったら大問題だ。

 しかし悠長に返事を引き伸ばされるのも困るティグルは、三日以内に答えを出して欲しいと頼んだ。ウルスもそれまでに検討しておくと答えた。

 そして今日でその三日目。ティグルとウルスの会話を聞いていたティッタは気が気でなかった。

 料理を運ぶ手は震え、気を抜けば瞳からは涙が溢れそうになる。もしもティグルに一年間の自由が許され、アルサスを出ていくことになったら堪らず泣いてしまうだろう自信があった。

 それでもティッタは侍女見習いとして果たすべき仕事を果たし、二人の親子が夕食の席に着く姿を壁際から見守っていた。

 粛々と進められる夕食。かつてこれほどまでにティグルとウルスが無言で食事をしたことはない。ウルスはあまりお喋りなわけではないが、親子としての団欒は大切にする人なのだ。それが今日に限っては終始重苦しい空気である。

 必然的に葬儀もかくやの暗い雰囲気のまま夕食は終わった。

 食後の時間。ウルスは約束通りここでティグルの望みに対する答えを出した。

 端的に述べれば、許可は下りた。それどころか幾らかの路銀を用意するうえ、ヴォルン伯爵家に代々伝わる漆黒の弓も持っていけとの大盤振る舞い。これにはティグルのほうが戸惑った。

 但し条件として一ヶ月に一度は手紙を書くことを確約された。それくらいならば許容範囲内であったのでノータイムで頷いたのだが、その次に付けられた条件が問題だった。

 身の回りの世話をする役目としてティッタを連れていくこと。これが二つ目の条件であった。

 この条件に関してはさすがのティグルも予想だにしておらず、狼狽え、次いでウルスに対して柄にもなく憤慨した。

 

「ティッタは女の子なんだ。一年間もあちこち旅して歩くなんて無理がある。それにどんな危険に巻き込まれるか分かったもんじゃないんだぞ!?」

 

「ならティッタが危険に巻き込まれないよう、安全な旅を心懸けろ。そうすれば何一つ問題はないだろう」

 

「そういう問題じゃない!」

 

 珍しく真っ向から言葉をぶつけ合うティグルとウルスに、いつの間にか話の中心にされていたティッタはただただ困惑するしかない。隣に立つ伯母を見上げれば、話はつけてあるからとのこと。どうやら自分が与り知らぬうちに話が進んでいたようだ。

 ティッタとしては文句ない。ティグルと共に居られるのであればむしろ大賛成だ。しかしティグルの方は全力で拒否していた。それはティッタがいると無茶を冒せないというのもあるが、純粋に彼女を心配してのことである。

 

 ──もう巻き込みたくない。あんな危険な戦いに、ティッタを晒したくないんだ……!

 

 そう言えたらどれほど楽だったのか。

 ティグルは悩みに悩み、いっそ力づくで飛び出そうかとも考えたが、最終的にはティッタの涙目上目遣いに根負けした。げに強しは女の涙である。

 

 

 ♐︎

 

 

 翌日の早朝。ティグルとティッタは旅装に身を包み、ウルスやティッタの伯母と母に見送られながらアルサスを出立する。山稜より覗く朝陽を浴びながら、旅人にしてはちょっと小さな二人の子供は、小さくもあたたかい故郷の地を出て外の世界に足を踏み出した。

 とりあえず主要な街道を目指してティグルたちは歩みを進める。だがその途中、ティグルは往生際悪くもティッタに声を掛けた。

 

「なあ、ティッタ。今からでも遅くないから──」

 

「嫌です」

 

 ティグルの言葉を遮ってティッタはキッパリと拒絶した。

 

「最後まで言ってないだろ。ちゃんと聞いてくれ」

 

「どうせあたしだけアルサスに帰れって言うんでしょう。そんなの嫌です。あたしはティグル様についていきます」

 

 ツーンと唇を尖らせてティッタは言った。ティグルはほとほと困り果てた様子で赤い髪を乱雑に搔き回す。

 ティッタが一度決めたら梃子でも動かないことはよく知っている。それでも、どうか言うことを聞いて欲しかった。

 

「この際だからハッキリ言う。俺は自分から危険に首を突っ込むことになる。その時、ティッタにまで害が及ぶかもしれないんだ。だから……」

 

「大丈夫です、ティグル様。ウルス様からも改めてお話しは伺いました。大変な旅路になると、仰っていました」

 

「だったら……!」

 

 感情のまま言い募ろうとするティグル。その口を抑えるようにティッタが人差し指で唇に触れた。

 

「だからこそ、あたしはティグル様についていくんです。ティグル様の一番近くで、お支えします。辛い時も、苦しい時も、一人でなく二人なら乗り越えられることが沢山あるんです。だからあたしは帰りません」

 

「ティッタ……」

 

 強かなティッタの言葉に反論を見つけられず、ティグルは嬉しさと苦々しさ半々の複雑な心境で肩を落とした。結局、ティッタを追い返すことは叶わなかったのだ。

 辺境領主の息子と見習い侍女の長くも短い旅路が始まる。その先で彼が何を手にするのか。彼の瞳が何を見据えているのかは定かでない。

 

 

 

 

 


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