時間遡行の魔弾の王   作:無貌の王

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第一射

 大陸のほぼ中央に位置するブリューヌ王国。肥沃な土地を持つ豊かな国である。

 ブリューヌ王国の歴代王は度々狩猟祭なるものを催していた。国内外の貴族や賓客を招き入れ、狩猟とは名ばかりに親睦を深める場とされている。

 今代の王、ファーロンもまた先代に倣って狩猟祭を開催した。狩場は王都ニースの東に広がる一帯、ヴァンセンヌ。草原や川、森などがあるまさに狩りに打ってつけの場所であるというのが狩人の感想だろう。

 そのヴァンセンヌの森のそばを一般的な弓を手に、矢筒を腰に提げた少年が歩いていた。今年で十歳となるティグルヴルムド=ヴォルンだ。

 真紅に近い赤毛を揺らし、子供にしては鋭い眼光をもって探しているのは狩るべき獲物。他の貴族たちが槍や猛禽を用いて狩りをする中、少年は蔑みの視線を平然と受け流して弓をもって狩りに臨んでいた。

 ブリューヌ王国には根強い弓への蔑視がある。臆病もの武器だと評され、弓使いというだけで酷い風評を受けるのだ。故にブリューヌ国内で弓を使う兵士というのは皆無といっても過言ではない。

 そんな中、さも当然のように弓を携えて王族との謁見に臨んだティグルは凄まじい注目を浴びた。無論、悪い意味で。

 だからといってティグルが怯むなんてことはない。見た目は十歳の子供だろうと中身は幾つもの修羅場を超えてきた大人だ。今更弓の蔑視を気に留めるような精神性はなかった。

 太陽の位置などを見ながら現在地を確認しつつ、ティグルは森の外縁を回る。記憶が定かであればそろそろだったはずであるが──

 その時、物思いに耽っていたティグルの視界に一羽の鳥が映った。

 鳥を認識した時点でティグルの行動は終わっている。

 目にも止まらぬ手捌きで矢筒から矢を引き抜き、弓に番えて撃ち放つ。矢は木々や茂みなどの障害物をするすると擦り抜けて、見事鳥の頭部に的中していた。

 寸分の狂いさえない絶技だ。一流の狩人ですら卒倒しかねない技量である。それを十歳の子供が成したとあればその異常性が理解できるだろう。

 鳥の絶命を確認したティグルはふっと残心を解くと、背後で呆然と立ち尽くしているであろう人物に声を掛けた。

 

「私の弓の腕がお気に召したでしょうか──レグナス王子殿下」

 

 ゆっくりと振り返るとそこにはついさっき拝見したばかりの王族であるレグナス王子殿下が、驚愕に口元を手で覆って立っていた。

 美しく整えられた金髪と碧い瞳が特徴的で、顔立ちは子供故か中性的。男でも女でも見せ方によってはどちらでも通用しそうだ。

 身に纏う服は謁見の際の煌びやかな物ではなく、動きやすさを重視しただろう絹服だ。それでも王族としての気品や華やかさは一切損なわれていない。

 レグナス王子はその円らな瞳をまん丸にして、少年狩人を凝視している。幼いなりにもティグルのやってのけたことが尋常の域を逸脱していると理解しているからだろう。

 十を数えてもこちらの世界に戻ってこない王子殿下にさすがのティグルも対応に困ってしまう。まさかここまで驚かれるとは思ってもみなかった。前の時は驚いてもここまで大袈裟ではなかったからだ。それよりもあの時の殿下はこの後の鳥の解体の方がショックが大きかったとティグルは記憶している。

 鳥の解体が始まる以前から既にこの有様で大丈夫だろうか、と一抹の不安を抱きながらもティグルは言葉を紡ぐ。

 

「ところで殿下。何故私のような者の元へお越しになられたのですか。見たところ、護衛の姿も見られませんが」

 

 ティグルの言葉にハッとレグナス王子が我に返った。

 

「えぇと、お目付役には暫しの休憩を与えたのだ。その間、私は手が空いていたので少し散歩をしていたのだよ。そうしたら偶々、偶然にもあなたが狩りをする場面に出くわしたのです」

 

 すらすらと淀みなく事の次第を並べ立てるレグナス王子。さすがは王族といったところか、未だ幼い子供でありながらも多少の腹芸は心得ているのだろう。

 ただ真実を知っているティグルからすると悪戯がバレないよう必死に言い訳をする子供のようにしか見えなくて、どうしても王子殿下を見る目に生温かさが混じってしまう。

 だがそれを相手に悟られるなどという愚行は犯さない。

 

「そうでしたか。ですが殿下、たとえ短い時間の散歩であっても一人で歩き回るのは危険です。今後は重々気をつけてください」

 

「忠言、確と聞き届けた」

 

 一種だけ拗ねたような表情を浮かべるも、レグナス王子は素直に聞き入れた。形だけではない、ティグルの思いやりを察したからだ。

 

「それでは殿下、少し失礼させていただきます」

 

「何か用事でもあるのか?」

 

「いえ、狩った獲物を捌かなければなりませんから。殿下には少々刺激が強い光景になってしまうと思われるので……」

 

 言外に見ない方がいいとティグルは進言する。しかしレグナス王子の性格を知っているティグルの予想では、恐らく引かないだろうと考えていた。

 レグナス王子は僅かに逡巡するも、すぐに自分も解体の光景を見たいと述べた。

 予想はしていたといえ王族たる王子に鳥の解体なるショッキングなものを見せていいものかと悩むが、以前の時も問題にはならなかったという楽観的な思考からレグナス王子の申し出を受け入れた。

 狩りと昼寝が趣味と自負するティグルにとって獲物の解体はお手の物。使い古したナイフ一本で食べられる部位と食べられない部位にさくさくと分けていく。レグナス王子は解体の様子を若干涙目になりながら見学している。

 やっぱり止めた方が良かったかな、と内心でちょっと罪悪感を覚えながらもティグルはてきぱきと鳥の解体を終えた。内蔵や毟った羽根などは軽く穴を掘って埋め、さああとは調理して食すのみである。

 ティグルは辺りに散らばっている枯れ枝を適当な量集め、慣れた手つきで火を熾す。そうして十分な火力が出たところで持ち込んだ串に鳥を刺し、じっくりと中まで焼いていく。

 肉の焼ける香ばしい匂いが漂う。下手をすれば他の獣を寄せ付けかねない行為であるが、その時はティグルに狩られるだけである。むしろ野兎か猪でも出てくれないかな、と期待してるまであった。

 くるくると串を回しながら鳥を丸焼きにしていると、不意にティグルは視線を感じた。あからさまにならないように視線だけでそちらを見やれば、木陰や茂みからこちらの様子を窺う騎士の姿があった。敵意は感じられないので恐らくはレグナス王子の護衛役だろう。

 お勤めご苦労様です、とティグルが内心で頭を下げたところで傍からくぅ〜と何やら可愛らしい音が聞こえてきた。思わずそちらに顔を向ければ顔を赤くしてお腹を抑えるレグナス王子殿下の姿。鳥の香ばしい匂いにお腹が鳴ってしまったらしい。

 恥ずかしげに顔を伏せるレグナス王子殿下の姿に微笑ましいものを感じながら、丁度いい具合に焼き上がった鳥の丸焼きを火から上げる。持ち合わせていた塩を軽く振り、わざと見せつけるように一口食べて、しっかりと咀嚼してから飲みくだした。

 

「うん、問題なく美味しいですよ。殿下もどうですか?」

 

「えっ、いいのですか?」

 

 ──そりゃあ、あんなに羨ましげな顔で見られたらな……。というか素が出ちゃってますよ、殿下。

 

 願ってもない申し出にレグナス王子はぱあっと顔を輝かせ、次いで周囲に誰かいないか確認したのちティグルから鳥の丸焼きを受け取る。少し躊躇いながらもレグナス王子は鳥の丸焼きに噛り付いた。

 途端に王子は花も恥じらう笑顔に浮かべた。

 

「美味しい。焼きたての、あたたかいものを食べたのははじめてだ──」

 

 興奮した様子でレグナス王子が言った。よほど美味しいと感じられたらしい。それもまあ致し方ないだろう。

 王族のように高貴な身分の人間にはいつでもどこでも暗殺の類の危険が身近にある。食事はその最たるものだろう。そのために殿下は今まで出来立てやあたたかい食事を食べてこなかったのだ。

 そんな王子の境遇に思うところがないわけではないが、十歳のティグルにできることなんてない。せいぜい幸せそうに鳥の丸焼きを頬張る王子を優しく見守るのが限界だ。

 この後であるが、レグナス王子が鳥を食べ終えたのを見計らって現れた護衛によって二人の時間は終わりを告げた。レグナス王子はまだまだ物足りなさそうではあったが、お目付役の目を盗んで抜け出したことを指摘されてあえなく撃沈。肩を落としながらも王宮へと帰っていった。

 その際、ティグルは護衛の一人であるジャンヌから複雑な表情でありながらもお礼を言われた。恐らくティグルが毒見をしたことなどを察したから、加えてレグナス王子にあたたかい食べ物を与えてくれたことへのお礼だろう。

 

 

 

 

 

 

 


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