戦闘がアッサリ風味なのは力不足が原因だゾ
空を見上げる。ボロボロの暗幕のように幾つかの光が漏れて輝いていた。暗幕が降りきっていない地平には赤い色が滲んでいるのだろう。
だだっ広い砂漠でぽつんと一人。誰にも縛られず、誰にも触れられず、誰にも囚われない。ナッツの理想――加藤夏樹が理想としたモノだ。
窓枠の外に見えていた空。美しい絵画のような世界。怖くて仕方ない自由という地獄。
いつかのようにナッツは瞼を閉じて世界を瞳に収める。吐き出した息は僅かに白く染まり、空へと消えていく。
孤独ではない。こうしている間にも自分という餌に目掛けて現存しているプレイヤー――『闇風』と『死銃』が接近している事だろう。こうして無防備を晒しているのだから、視界に入れば更にその速度を上げるか、あるいは警戒して速度を落とすか。
後者である可能性は高いだろう。様々な二つ名を頂くナッツが何も無く無防備である訳がない。事実、その通りであり、そして現実として、ナッツは無防備であった。
後方に控える狙撃手を信頼していた。
出発前、彼女自身が「闇風を撃つ」と言った。ナッツからすればそれだけでよかった。不安そうにしているシノンに対して二つ返事で応えてみせれば、溜め息を吐き出されたのも記憶に新しい。
もっとあるだろう、と不満気に吐き出したシノンに対して「シノンなら出来るやろ」と軽い口調で言い残して、ここまで来たナッツはむず痒く顔を赤くしたシノンの事など知らない訳である。
シノンとの記憶を辿る。どれもナッツにとっては大切なモノだ。噛みしめるように、忘れないように、しっかりと反芻し、一つひとつを脳裏へと焼き付けていく。
瞼の裏にしっかりと焼き付けた記録であるが、どこまで彼へと遺す事が出来るだろうか。
薄く瞼を上げて、ナッツは細く息を吐き出す。
「死にたぁないなぁ……」
誰にも聞こえない願いを口にして、やはりらしくないと自嘲する。
それはナッツの弱さであった。
それはナッツには不要であった。
そしてナッツにとって手放せないモノになった。
端の擦り切れたフードの上から頭を掻き、さて、と前を向く。
吹いた風が砂を巻き上げる。その砂塵の中、風景の一部分にノイズが走り、ノイズが姿を形どる。鬼灯のように赤い瞳が二つ。ボロボロのマントが風で揺れるようにソレはナッツへと近寄ってくる。
変わらず無防備であるナッツの前方十メートル程で亡霊は停止した。
「さっきの銃声でL115は潰れたんかな?」
亡霊は語らない。ナッツも答えを求めていた訳ではない。
鼓膜を揺らした二発の銃声の一つを予想し、そしてシノンだからやってみせたのだろう、と答えを出した。この亡霊が自身を撃たずにここまで来たことも、その証明であった。
答えず、語らない亡霊に対してナッツが思うことはない。
「《
「――やはり、ナッツ、か」
「そのマシンボイスも雰囲気作り? 随分と作り込んでるやん。殺す為のサイン、ボロマント、透明化、マシンボイス、辿々しい言葉。次は何やろ? お仲間さんみたいに首が取れるとか、魅力的やない?」
口を歪めて嗤うナッツの手に拳銃が握られる。《シグアームズ GSR》、飾り気のない角張ったスライド、アクセサリーレールには鈍く光を反射する厚みのある銃剣が装着されていた。
「随分、短い、剣だ」
「銃剣やしな。でもその首を掻っ切るには十分やろ?」
「どう、かな」
死銃のボロマントから姿を現したのは、細い鉄の棒であった。銃の整備に用いるロッドのように細い棒。けれどその先端は鋭く尖り、何かを貫く為のモノだと主張している。
ナッツは――いいや、あの世界で剣士であった存在であるならばソレが何かなど、すぐに理解出来る。なんせ有名な閃光様も使っていた武器の分類だ。
ナッツは目を細めて、エストックを見つめ、苦笑する。
「ああ、違う違う思ってたけど、確定したら安堵するもんやな」
「何を、言っている?」
「同類や無くて安心した、言うてるんよ」
尤も、目の前の存在がPoHではない事など理解していた事だ。あの男ではない保証はなかったけれど、それでもナッツは目の前の死銃がPoHではない事はハッキリと言えた。それは同類としての感覚でしかないけれど、わかっていた事だ。
こうして目の前にしてみればハッキリと理解出来た。この存在はPoHではない。
身に纏う雰囲気が。立ち振舞が。その全てが違うと断定出来た。
その事に安堵する。けれど同時に落胆もした。
小さく息を吐き出し、改めて目の前の存在を見つめる。
誰かも分からぬ亡霊。PoHではない存在。けれど死を与える存在である事は間違いない。
その手段のタネが割れていたとしても、それはナッツの予想でしかない。ただ可能性の高いモノでしかない。低い可能性が事実だとすれば――。
ナッツの中に存在している歯車の一つが嵌まる。
「どないしたん? 来ぉへんの?」
だからこそ、ナッツは不敵に嗤う。感情に身を任せ、口から挑発を吐き出す。
死銃は腰を深く落とし、細剣を真っ直ぐに構える。構えるだけで、その足を動かそうとはしない。力を溜めている事など当然のように理解している。
けれど、それが全てではない。相手がナッツだからこそ、不用意に死銃は仕掛ける事が出来ない。
SAOでのナッツ――落下星という称号を持っていた存在。その得意な戦法など頭の中に焼き付いている。
まるで機械染みた判断能力と
だからこそ、踏み込む事など出来ない。自身が絶対に倒せる位置に来るまで、力を溜めなければ勝負は一瞬で決まるだろう。無作為に飛び込んで、細剣が彼を貫く事などない。腕一本貫けたとしてもナッツが止まらない事など、既に経験している事なのだから。
そんな死銃を見て、ナッツは口をへの字に曲げる。
この男はどこまでもあの世界に囚われているのだろう。ナッツから見れば、いいや、この世界にいるプレイヤーから見れば死銃の姿はどこまでも滑稽に映っただろう。
けれど、その滑稽さをナッツは愚かだとは言わない。
なんせ、自分も
への字に曲げた口を逆さに歪ませてナッツは前に進む。
駆ける訳ではない。散歩にでも行くように、濃くなる殺意の中へと足を進める。
縮まる距離。たった数メートル。砂が爆ぜた。
愚直に、最短距離を、最速で。ボロマントを巻き込みながら細剣は真っ直ぐナッツの顔へと迫る。
風切り音すら置き去りにする一閃であったが、愚直すぎたその細剣は容易く厚みのある銃剣により進路をズラされた。同時に機械染みたナッツの反撃が始まる。
銃剣が寝かされ、細剣の刃に腹を這わせる。一撃にて相手を倒す為の、効率だけを考え抜かれた行為。無慈悲の一閃。
――そこまでが、死銃の
無慈悲である一撃。その一閃を見切るまでにどれだけの予測をしたか。どれだけの恐怖を、落胆を、絶望を踏み潰したか。
一閃と共に腕を引き絞る。弦が如く絞り、矢を再装填する。
引き戻すのは最低限。銃剣が細剣の身から離れた瞬間。そのたった一瞬だけが重要であった。僅かに引き戻された
既に銃剣が視界の端に映っている。そんな事どうでもいい。
機械染みた化け物を殺す為の方法。自身の名を刻む為の唯一の方法。
更なる一歩の為の方法。
ナッツの感覚が、無意識が、赤くギラつく二つの鬼火に魅入られた。死に至るソレではない、未だに殺す為の瞳。それは切欠にすぎない。
キリトのように反応出来た訳ではない、ただ違和感が直感として機械的な反射が働いただけである。
攻撃の手を引き戻しながら首を狙う細剣を左手でズラし、首を逸らした。
首の端を掠るように貫いた細剣はすぐに引かれ、更なる連撃へと準備される。
バランスを崩し、整える為に一歩後ろに下がったナッツ。それを許すほど死銃も甘くはない。
同時に一歩を踏み出し、距離を空けないように、ナッツが再び反撃の準備が取れないように追い込んでいく。
舌打ちを一つ溢しながらその連撃を防いでいくナッツ。その顔は次第に険しくなり、細剣の攻撃とナッツ自身の動きの荒さからフードが剥がれる。
左手に押さえられた首元。左手の隙間から溢れていく赤いポリゴン片。
死銃はソレを視界に収めながら、けれども慢心などすることもなく、連撃を続ける。追い込んでいる、それは確かに実感できた。
ナッツの歪んだ表情も、勝勢の証明であった。
けれど、言い知れぬ不安が、歪な違和感が死銃の心を支配していく。
連撃による幾つかの攻撃はナッツの腕や身体を掠り、確かにHPを削っている。それは事実である。
防いでいた攻撃が防げなくなったのか、細剣の鋒で防いでいた銃剣が腹を抑えるだけに変化している。だからナッツは傷ついている。
ゾクリと死銃の感覚が恐怖に落とされる。
決してナッツに攻撃を受けた訳ではない。正しく追い込んでいるのは自分で間違いない。けれど、自分の何かがソレを否定する。
ナッツの怯えたような表情が勝勢を肯定する。自分の連撃が正しい判断であると――。
息を飲み込んで咄嗟に死銃は後ろへと飛び跳ねた。着地した砂地を更に蹴り飛ばし、後ろへと下がる。
キョトンとしたナッツの顔を二つの鬼灯で睨めつける。
「いつ、からだ……?」
「は? こっちは助かって大助かりやけど、その質問は意味わからんわ」
「いつ、から……いつから、見て、いた?」
「――ハハハ、ハハハハハハハハ!! そっかそっか。なんや気付かれとったんか。いやぁ、もうちょいやったのに。演技力が足らんかったんかなぁ?」
ナッツは思わず笑ってしまった。
ようやく
ズレていた歯車が修正され、ゆっくりと回転し始めていた。この身にあった違和感が全て取り払われた。正しく自身の身体であると言える。
自身はナッツである。そう、あの世界で生きていた
そこからは簡単だった。防いでいた細剣の連撃を、繰り返し行われる攻撃を僅かばかりの隙で誘導し、流すに至った。あと数撃もあれば反撃出来た事だろう。
あれだけ攻撃を見れば、ナッツには十分だった。機械的な相手でないしろ、発生の瞬間さえわかれば経験則でどうにでもなる。
「ハハハ、なんやコレだけの事やったのに……」
「何が、おかしい」
「ハハ、いや、アンタには関係ない事やで。えっと、誰やったっけ? アンタの名前は
それは安い挑発であった。
それはいつかを思い出させる挑発であった。
死銃にとって、細剣使いにとって、――にとって、それは特別な挑発でもあった。
恨みの根源。叶わない強敵を羨み、妬み、恨んだ男が自身の名前を刻み込ませる為の行為をナッツが覚えていたに相違ない挑発であった。
「ああ、でも。覚えたるわ。ここで死ぬんや。しっかり覚えたる」
糧にする為に。殺す者の義務として。ナッツ――夏樹の生き方である。
その一つにするだけ。そしてその
ナッツがナッツとして完了した。噛み合った歯車がソレを理解させる。
煩かった女の声が聞こえなくなった。
ナッツが嗤う。
「ほな、殺し合おうか――ザザ」
歪められた口元から吐き出された名は
ノイズ混じりの笑いが漏れ、細剣が構えられる。
構えられた細剣を見て、ナッツは更に笑みを浮かべる。つい先程まで前の世界に引き摺られていたというのに、今は思った以上に視界が広い。その視界が目の前の亡霊を否定する。存在ではない、単なる戦い方を否定してしまう。
息が抜けるように喉が引きつるように吐き出された嗤いと共にナッツが動き出す。
その右手に掴んでいた銃剣付きの拳銃をポリゴン片へと変化させ、慣れたように空中にあるコンソールを操作する。
前方に構えたと同時に彼が握ったのは
放棄した。剣士である戦いを放棄したのである。
SAOの残滓であったソレを否定するように、目の前の亡霊を否定するように、片手で構えたM1895が咆哮を上げる。
死銃にしてみれば、それは失望であった。驚きであった。
避けた銃弾を見送る事もせずにナッツを視界に入れ続ければ片手で器用に銃を前に倒して次弾を装填している姿が見える。
確かに、先程までのナッツは剣の世界のナッツに相違なかった。何の違和感もない、存在であった。
けれど、今はどうだ。銃と剣の射程距離の違いを使い、一方的な攻撃をしている。
この距離を守っていれば、という慢心が見え透いている。
曲がりなりにも、悪であったとしても、
そして死銃はこの世界でも生き抜いた存在でもある。
心の中で数えた銃弾の数が骨董品の装填数を満たし、死銃は砂地を蹴り飛ばす。
あの時よりも鋭く、素早く。あの骨董品の取り回しを考えれば攻撃を流されたとしても反撃も不可能。
一撃目。M1895で防がれる。それを巻き上げ、上へと弾き飛ばす。
これで、終わる。宿敵を倒す事が出来る。呆気ない幕引き。
けれど、何故目の前の男は変わらず嗤っている。
二撃目が自身の手から放たれる。けれど、ナッツは嗤っている。
喉元を貫こうとした細剣がナッツの左手に防がれ、ズラされる。左手の真ん中を貫いた細剣を気にする事もなくナッツは左腕を伸ばし細剣を確りと掴む。
振り下ろされる右手。その右手に握られているモノは銃弾の篭っていない骨董品ではない。飾り気もない角張ったフォルムが出現に伴うポリゴンをまき散らせながら、握られていた。
「――捕まえた」
「ッ」
銃弾が放たれる瞬間に死銃は細剣を手放し、疾走した。放たれた弾丸は砂地へと吸い込まれ、その勢いと止めた。
地面に転がるように回避した死銃は姿勢を低くしたまま、ナッツを睨めつけた。
左手に深々と刺さった細剣。継続ダメージを与えているのか、絶え間なく赤色のポリゴンが吐き出されている。
そして右手には先程まで握られていなかった筈の銃剣付きのGSR。
あの一瞬で取り替えた? 戦闘中に? 今にも死ぬかもしれない瞬間に?
ここがゲームの世界である事を前提にすればソレは可笑しな事ではない。死ぬといっても架空の死である。所詮はHPが無くなりアバターが倒れるだけ。
けれど、死銃は理解している。この男が死ぬ気であった事など、SAOに引き摺られている事など、わかっている。
だからこそ、理解など到底出来ない。
左手に刺さる細剣を引き抜き、コチラへと投げる狂人の事など理解出来る訳がない。
「ほら、剣持って。全部試しぃや。全部無意味にして、殺したる」
死銃へとゆらりと歩み寄るかつて英雄と呼ばれかけた存在は嗤う。
「なんや、いつかみたいに腕一本ぐらいのハンデがいるんか?」
その言葉の答えが吐き出される前に砂地に何かが落ちた。乱暴に切られたナニかが砂と共に蹴られ死銃の前に転がる。
腕であった。今しがた貫いた痕が残る、左手の付いた腕であった。
転がったソレを見て、視線を上げれば左手の肘から赤いポリゴンが吐き出されているナッツの姿がある。
その目はどこか楽しそうで、その顔は殺しを愉しむ同僚の顔にも似て、その行動は誰にも似つかない化け物だった。
だから死銃は剣を握った。化け物に立ち向かう為に。死なない為に。それだけの為に握った。
「――……はぁ」
その姿に溜め息が吐き出された。喜悦に染まっていた表情は落胆に満ち、死銃を見下している。
ナッツの中で満ちていた何かが急激に失われていく。
震える細剣がそうさせているのか、それとも単なる気紛れなのか。
化け物は空を見上げ、ゆっくりと視線を下げてザザを見る。
その落胆がザザにも伝わった。
いつだったか、自身達のトップを見ていただけで自分達を見なかった時のように。視界にすら入っていないような感覚。
憤りを覚えた。絶望を僅かにひっくり返すだけの感情の炎が灯った。
細剣を強く握り、腕を引く。
その構えにナッツは小さく息を溢した。
真っ直ぐに伸びてくる矢をナッツは無感情に見る。
そして、ただ一言、言葉を零す。
「名前は覚えたるで、《赤眼のザザ》」
上部へと弾かれた細剣を見ることもせず、ナッツはいつかのように首を真っ直ぐに一閃した。
殺した死銃を見下しながらナッツは息を吐き出して空を見上げた。
暗天に強く光る明星を瞼に閉じ込める。
HPで言えば満身創痍であるが、その半分程が自傷であるとは笑えない事だろう。そんな行為ですらも納得出来た。
自身の行為なのだから、当然なのだけれど。
噛み合った歯車。GGOでは決して味わう事など出来なかっただろう純粋な殺し合い。それが達成された。
自身でも感じる。ナッツが完了した。完成し、逸脱していたナッツが完了した。
先程までの、殺意だけの殺し合いに気持ちを少しだけ落ち着ける。
薄ぼんやりと瞼を上げて、後ろにいる存在へと向く。
「無事で何より」
「そっちは無事じゃないみたいだけど?」
「このぐらいのハンデある方が燃えるやろ?」
肘から先の無くなった左腕を上げて笑えば、空色の髪をした山猫は苦笑した。
装備重量の都合で弾薬をあまり持ってきていないナッツ。現在の残弾はゼロ。投げ物も無し。銃剣だけ。
どこかの誰かのように剣で銃弾を両断出来る自信もないナッツは、シノンに殺されるならばいいか、と諦めていた。
銃剣だけでも勝とうと思えば、勝てる。けれどHPが足りない。八方塞がりである。
「とりあえず、これでGGOでの危険は去ったのよね?」
「せやね……。あー、出来れば警察機関とかに保護してほしいけど、説明は無理か」
「そうね。なんならアナタが保護してくれる?」
「残念ながら、シノンの住所とかは知らんよ」
「……教えるわ」
その言葉に驚きながら、頭を掻いて溜め息を吐き出したナッツがシノンへと近寄る。僅かばかり膝を折り曲げて、シノンの口から小さく吐き出された住所と本名を頭に収めていく。
「なるほど、時間掛かるかもなぁ」
「……大丈夫よ。近くに信頼出来る友達が住んでるから……その人、お医者さんちの子だから」
「……あー、うーん。わかった。なるべく急ぐわ。だからそないな顔しなや」
困ったように笑って、ナッツはシノンの頬に手を当てる。
頭の中でしっかりと彼女の自宅へ
「ボクは――僕は加藤夏樹。今は新宿区のホテルでログインしとるよ。実家は関西方面にあるけど」
「旅行中だったの?」
「仕事の都合」
「……ああ、取材とか言ってたわね」
「え、ボクそんなん言うた?」
「言ってたわよ」
「……ま、会うしえっか。そんで? これでも負けるつもりはないけど、決闘でもする?」
肩を竦めて言葉を吐き出せば、シノンはナッツの状態を見て呆れたように息を吐き出した。
なんせ、ボロボロなのだ。沢山の傷にも加えて目立つのは左手の消失だろう。
そんな彼に勝った所で、何の価値もない。それに、彼を倒すという気持ちはもう失せていたりする。
「――そうね。次の機会に取っておくわ」
「あー……それはなんというか」
「何よ」
「もうこのゲーム出来ひんようなる、と言いますか……」
「はぁ!?」
「ま、まあ、その辺りはリアルで会ってから話すわ」
どうどう、と片手でシノンを抑えたナッツは面倒な事を現実にいる彼へと投げる。
上手く、とは言わないけれど、彼ならば大丈夫だろう。たぶん。少しだけ不安は残るけれど、それも少しだけ楽しみだ。
「で、決着つかんと終わられへんけど?」
「二人一緒に優勝とか」
「お土産グレ? ボクはもうグレないで」
「私が持ってるわよ」
ポーチから出した黒い物体にナッツは納得してソレをシノンから奪い、片手で器用に時間を設定する。
「ちょっと!」
「まあまあ」
唇を尖らせるシノンを宥めながらナッツはニヤリと口を歪ませる。
このぐらいは、自分でしておきたいのだ。
空へと軽くグレネードを投げ上げる。
「シノン」
「え? きゃっ」
シノンの腕を引いて自身の胸へと抱き、驚きと批難の為に顔を上げたシノンへと顔を寄せる。
唇に当たる柔らかい感触と目を見開くシノン。青い瞳が大きく映り、顔に赤みが差す。けれど押し退けられる事もなく、瞼が閉じていく。
二人は繋がりながら強烈な閃光の中へと消えた。
◆◆
目を開いて、自分が泣いている事に気付いた。
自身の中で糧になった彼の存在を感じる。けれど、同時に何かを喪ったように胸に穴が空いたような感覚もある。
そのどれもが初めての感覚だった。
過去に役柄達を殺した時はまったくなかった感覚。彼だけは特別であったという証明でもある。
細く息を吐き出して、アミュスフィアを頭から外す。彼よりも短い足で地面に立ち、違和感なく歩く。
ゆっくりと溶けて、彼が消えていく。けれど、それは確かに自分の中に遺っている。
溢れ出る涙を拭って、扉を開く。
眩しい扉の先にはおそらく観戦をしていただろう
薺がこちらに気付いたようで、顔を上げ、目を見開いた。
そして
「おかえりなさいませ、
「違う。僕は夏樹です」
「ええ、そうですね。ですが、今は我が君でもあります」
「……そんなに違います?」
「私が気付く程度です。むしろ私しか気付かない筈です。つまり、私だけがオンリーワン!」
拳を握ってガッツポーズをする薺を見て思うのは、やはり彼の気持ちがさっぱりわからないという事だった。
ああ、と思い出すように従者へと声を掛ける。
「助けに行きます」
「はい。準備は整ってますので急ぎましょう、我が君」
けれども、相変わらず優秀である事は彼でなくてもわかったことでもある。