おねショタまで長い……長くない?
ファントムバレット開始
黒いポーンの頭をつまみ上げる。
その黒い足は白いポーンの頭を蹴り飛ばし、倒した。
その隣にあった白いポーンも蹴り飛ばし、倒す。
チェス盤も広げずに白い兵士を蹂躙した黒の兵士を薄汚れた鉄の机に立てて、男は息を吐き出した。
相変わらず場末の酒場に居座るナッツの机の上には珍しくアルコールの入れられたグラスは無い。その代わりに重々しい頭を支える肘が乗っている。
空いた右手の指を宙に滑らせ、半透明のウィンドウを開いていく。
流れる情報に目を滑らせながらウィンドウのひとつ一つを消していき、最後の一つも消す。
「アカン……わからん」
大きく溜め息を吐き出したナッツは背凭れに体重を預けて椅子を軋ませた。
机の上に我が物顔で仁王立ちする黒のポーン。そして白のポーン二つが力尽きたように倒れていた。
場末であっても酒場という事もあり、古めかしいジャズや、公式の宣伝や映像も流れている。ナッツも酒の肴として、或いは自然と耳に入る為、耳を傾ける事はある。
その日も変らず、未踏破ダンジョンのマッピングに備えてデバフを掛けるという矛盾極まりない行為に勤しんでいたナッツはボンヤリとサックスとウッドベースの音が心地いい曲に耳を傾けてた。
ただ違ったのは、その曲を上書きするようにポップな曲調が大音量で流れた事だ。
眉間に皺を寄せながら公式宣伝が流れる画面を見ればテクノポップな衣装を着た女が甘い声で喋っていた。
珍しく場末の酒場まで放送された《MMOストリーム》による《今週の勝ち組さん》のテロップを眺めながらナッツは一つ溜め息を吐き出して席を立った。
見る価値はあるかもしれないが、意味は無いだろう。
出演するプレイヤーがBoBで優勝したゼクシードと闇風である事は事前に知っていたし、その二人の対応は問題ない。敵対するにしても、倒すことは容易いだろう。
席を立ち、画面に背中を向けたナッツが今しがた始まったデバフと残りのバフ時間を確認する。
『――だから、僕はここに立って一つ宣言をしたいんですよ。きっと、かの
確認していたナッツの指が止まる。
残り短い時間を知らせるようにバフアイコンが点滅する。それを視界の隅に追いやって、ナッツは振り返り画面を視界に入れた。
派手なブルーシルバーの髪。不敵に笑い、自信に溢れる顔。男の名前は第二回BoB優勝者、ゼクシード。
『その不死神話――不敗神話にピリオドを打つと、ね』
銃を形取った手がまるでトリガーが引かれたように軽く跳ね上がる。
明らかな挑発。分かりきった煽り。
朗々と用意していた台詞を語るゼクシード。準備していたように流れるテロップ文。
ナッツは一時だけポカンとその画面を眺め続け――口角を上げた。
身体中に熱い何かが駆け巡る。
普段のお遊び染みた襲撃などではない。
明確な戦闘。純粋な殺し合い。強敵とのギリギリの戦い。擦り減らした物を実感出来る唯一の行為。
ナッツを
「――なんや、随分簡単に言ってくれるやん」
その可能性を握った男に獰猛とも思える笑み浮かべ、牙を剥く。
画面に向かい一歩、また一歩と進む。
競技性のある大会では味わえないと思っていた。けれど、それは勘違いだったのかもしれない。
こうして宣言したことで、相手は逃げられない。ゼクシードは望み通りに不死者に魅入られた。
画面に触れそうな程顔を寄せたナッツの瞳がゼクシードを捉え続ける。
頭の中に駆け巡るゼクシードの情報。停滞していた熱が身体を廻り自然と笑みが溢れる。
「――……は?」
溢した笑みが落ちるようにナッツは唖然とした。
放送の中で胸の中央を掴むように拳を握ったゼクシードが消えた。
浮いているウィンドウにはログアウトの文字。司会の女性もやや混乱気味に慌てて「すぐに復帰するだろう」と口にしている。
消えたゼクシードのウィンドウを数秒程睨めつけていたナッツは興味が失せたように息を吐き出して背中を向けた。
次は挑発される事はなかった。
果たしてゼクシードがログインしなくなって月も変わり十二月。
普段の狩り場を動かす事もなく、加えて挑発されたこともありゼクシード本人の情報を集めていたナッツがゼクシードがまったくログインしていない事に気付くのには十分な時間であった。
そして不穏な噂も情報も耳にした。
曰く、その男が銃で画面の中にいたゼクシードを撃ち抜いてゼクシードがログアウトをした。
曰く、その男がゼクシードを殺したと宣言した。
その男の名は――
死銃の代わりである黒のポーンの頭を指で弄ぶナッツは思考の海へと埋もれる。
倒れている白いポーンの一つはゼクシード。そしてもう一つは同じく死銃氏に殺されたと思われる《薄塩たらこ》である。
どちらも突然ログアウトし、そして今に至るまでログインされていない。
死銃に撃たれてすぐにログアウトした。
偶然、というには出来過ぎている。必然、というには少し情報が足りない。
最初は獲物を奪われた事への憤慨であった。
可能性の一つを目の前で握りつぶされたのだ。容易く、無遠慮に、無作法に。
噂の死銃を調べ始めたきっかけなどその程度の物だ。
偶然に重なった偶然。その横に同じく偶然と偶然が重なる。
『VRMMOで――ゲームで人が死ぬ訳がない』。口々に言われる正論をナッツは無視した。
もしも、本当に、死銃に人を殺せる力が秘められていたならば?
それはあり得ない。それこそかの茅場晶彦博士もナーヴギアという装置を用いなければ殺せなかった。現在普及しているアミュスフィアでは脳を焼ききれるだけの出力など出る訳がない。
ゲーム越しに殺す事は不可能だ。あり得る訳がない。けれど、ソレを死銃は行使した。
一人殺し、二人目を殺した。
殺害方法は、別にいい。気にはなるけれどそこまで重要な事ではない。
問題はもう一つ。
「……この二人、共通点らしい共通点を当て嵌めると次の候補が多すぎるで」
倒れている白いポーン二つを立てて並べる。
蘇ったポーン二つの頭の上に透明のウィンドウで顔と情報が羅列された。
「恨み辛みで言うならボクが一番の筈やから、最初に殺されるんはボクやろ」
自慢にならない事を呟きながら新しく白いルークを取り出して机に置く。
チーターだの、チュートリアルだの、レイドボスだの、不死者だのと逸話と恨みの多いナッツが殺されなかった。
銃で撃てないから? いいや、銃弾一発を当てればいいのならば何度も挑戦して殺せばいい。
けれどナッツは狙われなかった。
「BoB参加者やから……ってのも薄い。上位入賞者が条件なら闇風も殺されるべきやった」
けれど闇風は殺されなかった。白いビショップを取り出してルークの隣へと立てる。
「……ステータスビルド――やったら薄塩たらこを殺したのはなんでや」
ゼクシードの演説めいた
が、薄塩たらこ氏が殺された理由にしては薄い。
「成功者――やったらソレこそボク殺すやろ」
不死者と名高いナッツは殺せなかった。
それこそ薄い要素の積み重ねであればナッツと闇風を除外して、二人の共通点はある。
「BoB参加者で、ある程度成功してて、
白のポーン達をばら撒くように机に降らせたナッツは背凭れの頭に首を乗せて脱力する。
そのままウィンドウを開けば死銃の標的に成り得る名前が上下反転して並ぶ。自分の名前は入っていない。
理由はBoBに参加していなかったから。その点だけが自分には当て嵌まらない。
「どうしたの、そんな格好で」
ウィンドウから視線を外せば逆さまに直立した少女が立っていた。スカイブルーの髪の少女が呆れたように肩を竦めて息を吐き出す。
慌てる訳でもなく、口をへの字に折り曲げてウィンドウを消したナッツが身体を起こし、首をコキリと鳴らす。
「……別になんでもあらへんよ」
「チェス駒をそこらに散らかして?」
机の上に散らばった白のチェス駒達とたった一つだけ直立している黒のポーン。
バツが悪そうに頭を掻いたナッツがウィンドウを叩いてチェス駒を片付ければ、クスクスと笑われる。
「なにぃさ」
「別に、なんでもないわよ」
不満を露わにしながら吐き出した言葉は容易くシノンに流された。
嬉しそうな表情をしているシノンに何かを言うでもなく、大きく溜め息を吐き出し、手元にあった乾物を口に含んだ。
「それで、本当にどうしたの?」
「何が」
「アナタが呑んでない姿なんて滅多に見ないもの」
「休肝日や休肝日」
「コッチじゃ悪くならないのに?」
下手な言い訳を肩を竦めて咎めたシノンは頬杖を突いているナッツを見つめる。
そんなシノンの視線から逃れるようにナッツは目を公式宣伝の流れる画面へと向けた。
「ホンマに、なんでもあらへんよ」
「ねぇ、ナッツ。私が弱いのはわかるけれど、少しは信頼してくれてもイイんじゃないかしら?」
「シノンが弱かったらボクもここまで悩んどらんねんけどなぁ」
ボンヤリと呟くように、溜め息と一緒に出てきた言葉はシノンには届かなかったようだ。
変らずに真っ直ぐ視線を向けてくるシノンに何を言えばいい。
VRMMOで人が死ぬ可能性の事?
死銃が人を殺せる可能性を持っている事?
被害者は恐らくまだ増える事?
その被害者候補の中に彼女が入っている事?
普通な彼女はきっと鼻で笑って、否定するだろう。もしくは危機感を煽られて怯えるかもしれない。
何にしろ、有益ではない。警戒したところで死銃がどのように人を殺しているかは分からないのだ。
「……ゼクシードと決着つけなアカンから、次のBoBには出よかなぁ思って」
「――……アナタ、本当にナッツ?」
「なんや、君はボクの事をなんやと思ってるんさ」
「というか出れるの? 運営から止められない?」
「待て待て。ボクは運営とは一切関わりないフツーのプレイヤーやで? 権利は持っとるやろ」
シノンが冗談交じの言葉にナッツは大げさに釈明してみせた。
適当に作った理由だったけれど、道理としては間違っていない。かのゼクシードはあの日から一切ログインしていないけれど。
シノンにとってナッツがBoBに出るなど驚きしかないのも事実だ。
第一回優勝者が出ない、というだけで即座に出場を諦めた男である。強者を求めすぎているのか、それとも別の理由があるのか。
ともあれ、彼が出場を決定したというのならば――それは嬉しい事だった。
コンビを組んでいるから、彼が大会に出ないから、自分の内心で何処か勝てないと思っているから。
そんな理由で立ち向かえなかった絶対強者――
そして、彼の強さの片鱗を知る事が出来るかもしれない。
「そう。まあ精々頑張ることね」
「なんや素っ気無いなぁ。もっと『きゃぁ! 不死者様が出るなんて勝てる訳ないわ!』とか可愛く言われへんのか」
「……」
「? なんや?」
「いや、アバターでも声って変えれる物なのね……ハスキーな女の人みたい、見た目男だけど」
「喉の使い方やからな。練習すりゃぁ誰でも出来る技術や」
果たしてそんな練習を必要とする技術を至って普通に使いこなすこの男の職業は何なのか。
シノンは納得したように相槌を打ってから口を開く。
「……声優?」
「ハズレぇ」
「当たっててハズレって言うのは無しよ?」
「ホンマにちゃうって。っていうかなんでそんなムキになってるんさ」
「隠されると当てたくならない?」
わかるけどさぁ、と情けなく同意したナッツと本気でナッツの職業を当てに掛かろうとするシノン。
ナッツはナッツでリアルの事はマナー違反と咎めるべきなのだろうが、リアル世界の自分を匂わせるような行動はしていない。
「公式デバッカーじゃないの?」
「GGOのバグ報告はしとるけど、報酬貰ってないしなぁ」
「……それ、デバッカーじゃないの?」
「別に報酬貰う為にやってる訳ちゃうし」
だから職業ではない、と言い張るナッツになんとも言えないような顔になるシノン。
果たしてボランティア感覚でデバックされていくゲームの時間は進んでいく。
>>細かい日程
十一月九日 ゼクシードと闇風が《今週の勝ち組さん》に出演。因みに再現アバター。
十三秒後 茂森 保 (ゼクシード)氏死亡と同時にログアウト。
十一月二十五日 薄塩たらこがグロッケン市中央広場にて銃撃され、同手段で死亡。
十二月二日 今話
十二月六日 桐ヶ谷くんと菊岡誠二郎氏とカフェデート(浮気)。
十二月七日 桐ヶ谷くんと結城さんの皇居デート(子連れ)。
十二月十三日 GGO内にキリ子爆誕 むせそう(小並感)
凡その原作日程との擦り合わせは以上です。因みに次話はキリ子ちゃん(レッドショルダー)から開始……だと思います。
>>死銃推理
実際、ナッツの視点だけだと死んだ可能性、殺された可能性を考えると偶然か、全部含めた『釣り』である方が説得力もあります。
ただナッツはSAOで生きてた事で変な違和感を覚えているので殺された、と断定してます。
現実世界で報道もない(原作情報)ので、死亡状況はさっぱりの状態です。
>>公式デバッカー
GGO公式「ふぁっ!? 一プレイヤーからスゲーバグシート送られとる!? 再現方法まで英語で書かれとるし! なんやコイツ! 調べたろ!
なんやこのドロップのログ……コイツのドロップ率の数値だけ狂っとるんちゃうんか!? 壊れてないやんけ! ドロップ率壊れちゃ~↑う!」
>>ボランティアデバック
種実類「バグ報告はしとるけど報酬貰ってないし」
プレイヤー「マジかよ運営最低だな!」