果てがある道の途中   作:猫毛布

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第20話

 ある女――加藤(カトウ)冬子(トウコ)の話をしよう。

 彼女は人間としてはそれなりに優れていた。芸術品には届かない美貌を持ち、そこそこに優秀な頭脳を備え、人間らしい夢と目標を心に宿していた。

 自身の美貌に自信を持っていた彼女は役者を目指していた。

 けれども、その夢が叶うことは無かった。

 彼女は所詮、彼女にしか成れなかった。他の誰に成る事も出来ず、役に入り込むことも出来ず、演技という技能に関しては彼女は素人目にも判断出来た。

 美貌と人柄、その他の技能で数多の指導者、監督に指導を受けたが、さっぱりと演技は上手くならなかった。

 

 冬子の夢はココで幕を閉じた。

 自慢であった深緑色の髪をバッサリと切り落とし、夢への未練を断った。

 

 夢への道を途中で降りた冬子は仕事に没頭した。ありふれた事務職であったけれど、冬子にしてみればどれも新鮮で、やり甲斐を感じていた。

 

 男と出会ったのはこの時である。

 男は冬子に一目惚れをして、彼女へと幾度もアプローチをした。

 冬子にしてみれば御曹司であった彼と交際する訳もいかず、許嫁も居た彼の事を咎めた。

 意識しない人物、嫌悪すべき人物であったならば冬子はバッサリと断りの言葉を放ったであろう。けれどもそうしなかったのは、少なからず冬子も彼の人となりに惹かれていたのだろう。

 

 結果を言えば、彼は全てを捨てた。捨てた、というには語弊があるが、概ね自身の立場を全て捨てたのだ。

 許嫁には土下座をして事情を話し、許しを乞うた。許嫁はそんな彼に苦笑し、許した。

 家には事情を話し、勘当を言い渡された。彼と仲のよかった従弟は苦笑して彼を送り出した。

 そして彼は冬子の前に立った。何も無い彼は改めて冬子の前に立ったのだ。

 冬子はそんな彼を馬鹿だと罵った。馬鹿だと罵った彼を好いている事を理解しながら。

 

 彼と冬子は結ばれた。

 幾年かの蜜月を経て、冬子は身籠った。

 幸せの絶頂とも言えた。この平和が永く続くと思っていた。

 

 

 

 彼が死んでしまうまでは。

 

 その報を聞いたのは、本当に何事もない日であった。いつもの様に彼を送り出して、洗濯物を干していた、そんな時間だった。

 人を助けて彼は死んだ。道路に飛び出した子供を助ける為に彼は車にはねられた。

 

 葬儀には沢山の人が居た。冬子は半狂乱になるでもなく、ホロホロと彼の為に涙を流した。彼を撥ねた車の運転手も、彼が助けた子供も恨む事をせずにただただ涙を流した。

 遺された自身と腹の中にいる子供。彼の従弟が冬子を助けようとしたが、冬子はソレを辞退した。

 彼は既に勘当された身であるから、助けを受ける訳にはいかなかった。

 

 

 

 

 冬子が子を産んだのはそれから数ヶ月後であった。

 自分にも似た萌黄色の髪。愛らしい顔。

 不幸の底にいる自分とは真逆になるように、彼のようにと一文字貰い『夏樹』と名前を付けた。

 

 冬子の中にあった感情が鎌首を擡げる。

 ――きっとこの子なら、自分が叶える事の出来なかった夢を叶える事が出来る。

 ――彼と私の子だからこそ、きっと。

 閉じられた幕がゆっくりと開く。力尽くで開けるように、歪んだまま、幕は開いた。

 

 

 

 

 愛していなかった訳ではない。冬子にしてみれば夏樹は自身と彼との間に産まれた愛の結晶にも等しいのだ。愛せない訳がない。

 だからこそ冬子は全てを計画した。一から育て上げる我が子に自身の夢を引き継いでもらう為に。

 冬子は優秀だった。天才には程遠いけれど大凡の人間から言わせれば優秀すぎた。

 

 幼い夏樹はその全てを一身に受けた。

 立ち振舞であったり、言葉使いであったり、発音であったり、そして演技であったり。

 特に演技に関しては冬子自身が不得手という事もあり、()()にも熱が入った。当然だ、冬子にしてみれば自身が出来なかった事なのだ。

 きっと自分と彼の愛の結晶ならば――。

 自分の子ならば――。

 

 願いは本当に些細な事だった。

 ただ、止める人間が居なかった。それだけなのだ。

 

 夏樹には逃げ道が無かった。

 度重なる()()から逃げる方法が無かった。重圧(ストレス)が蓄積する。

 逃げる為に息を殺して生活する。けれどソレは意味の無い事だ。心が押し潰されていく。

 怒声が鼓膜にへばり付き、痛みが身体を支配する。心が磨り潰された。

 夏樹には逃げ道が無かった――いいや、一つだけ存在した。

 その逃げ道へと夏樹は自身の心を押し込めた。見知らぬ誰かに守って貰う為に、不必要だった心に封をした。

 

 

 物語の登場人物。それは今となっては架空の存在であり、誰かに演じられる事によって存在出来る存在だ。

 夏樹は母の()()()()に登場人物へと成った。演技という技能ではない。()()()のだ。

 登場人物の全てを投影した。そこに加藤夏樹は存在しない。存在しているのは物語の登場人物たる存在だけだった。

 

 冬子は歓喜した。()()()()完成した。

 自身の理想を再現した存在。自身の夢を叶える存在。自身となるべく存在。

 あとはコレをより一層に深くすればいい。自身に成るように女性ホルモンの投入もしなければならない。

 

 何処かで理想が変化した事など、冬子は認識していなかった。

 夏樹を()()にする為に。()()はようやく夢を叶える事が出来る。

 

 

 だからこそ、冬子は夏樹に存在している登場人物達を殺した。いいや、死に至らしめた。

 

 物理的な方法ではない。

 ただ、物語を――その登場人物の人生を圧縮し、濃縮し、凝縮し、()()に投影させた。

 登場人物達はその役目を終え、死に至る。そしてまた彼の中で生を得て、死ぬ。

 戦記物の登場人物として。

 恋愛物の登場人物として。

 サスペンスの登場人物として。

 ミステリーの登場人物として。

 ありとあらゆる物語の登場人物として。

 人形の中で幾度の生と死が繰り返された。その度に奥底に在る"夏樹"が磨り減っていく。

 

 

 夏樹としての存在を希薄にする為に外界の情報を与える事もなかった。人形に外は必要無い。

 故に、冬子は()()に成った人形に不安を抱いた。

 

 果たして、本当に他人に通用するのだろうか?

 

 夏樹という人格をひた隠しにして、全く別の存在を演じる事が出来ているのだろうか。

 冬子の目線では、間違いなく出来ている。けれど、所詮ソレは一つの視点でしかない。

 もしも、そうでなければ――。

 

 不安に駆られた冬子が一つの手段を見つけた。

 ヴァーチャル・リアリティの空間で、多人数に見られ続ければ。それで問題が生じなければ――。

 冬子は自身の伝手を頼りにソレを入手した。幾らか手間はあったものの無事ソレを入手する事が出来た。

 ナーヴギア、そしてVRMMORPG『ソードアート・オンライン』。

 ソレを我が子に被せる。登場人物に成るように言い渡す。

 狂った存在。何処かネジの外れた存在。だから名前は狂者(nuts)に。

 

 そして加藤夏樹は――ナッツは浮遊城アインクラッドへと足を付けた。

 

 

 

 

 

 

 

◆◆

 

 

 目の前に壮年の男が居た。何処か懐かしさも感じる男だった。スーツを着こなした男は僕を真っ直ぐに見て、口を開く。

 

「初めまして、かな。これでも君が小さい頃は会った事があるのだが」

 

 そういった男に対して僕は疑問を浮かべてしまう。懐かしさを感じたのはそういう事なのだろう。

 そんな疑問符を浮かべている僕に苦笑を浮かべる。

 

「夏樹君。私の子供にならないかい?」

 

 そんな言葉が僕を襲った。思わず、聞き返してしまう。

 そんな僕に一つ一つ、ゆっくりと語る彼。それはまるで贖罪の様だった。

 助けられなかったから、助けたい。

 そんな事も織り交ぜられた語られた言葉に一つの仮説が出来上がる。

 

 僕は彼に――結城(ユウキ)彰三(ショウゾウ)に確かめなければならない。

 僕は震える口を開き、母について聞く。

 彼は何かを迷う様に言い淀み、目を伏せてから僕を改めて真っ直ぐ見る。

 

「冬子さん――君のお母さんについてなんだが」

 

 一度そこで言葉を止めて僕の反応を伺う。瞳には憐れみ、同情、後悔――そういった感情が浮かんでいる。

 ゆっくりと仮説が真実を帯びていく。きっとこの仮説は正しいのだろう。

 なにより、僕の目が覚めて未だに来ない母が何よりの証拠でもあった。

 

「君のお母さんは――

 

 

 

    ――死んだよ」

 

 だって、もうこの世界には居ないのだから。


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