たぶんhollow時空の紅茶と剣士のお話です。
pixiv様にも掲載させて頂いております。

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第1話

◆冬木市深山町在住の専業主婦(38)

 

 はい。あれはつい一昨日のことでした。ひったくりに遭ったんです。

 買い物が終わって、家に帰ろうとしていた時です。

 もう日も暮れていて、息子もそろそろ部活から帰ってくる頃だな、夕食と風呂の支度どちらを先にしよう、なんて考えていました。

 そうしたら、前の方からスクーターが走って来たんです。そんなにスピードも無かったですし、危ないとは思いませんでした。

 ここいらの住宅地はよく子供が通るので、安全運転をしてくれてるんだなってむしろ感心したくらいです。

 でもすれ違うとき、運転手の人が急にハンドルを切ったんです。

 ええ、私の方にです。

 え! と思ったとき、バッグがガクンと引っ張られるような感じがして。ええ、バッグは左手に持っていたんです。それで私もひっくり返ってしまいました。

 幸い大きな怪我はありませんでしたけど、お尻は打つし、膝は痛いし、手のひらは擦り剥けてるしで散々でした。

 もちろんバッグはないですし、買い物袋は中身が全部ぶちまけられてるし、スクーターもあっさり通り過ぎて行ってしまってるしで、その時はもう何がなんだか分からなかったです。ええ、叫ぶこともできませんでした。

 

 でもそうしたら、こう、車が横転するような大きな音が聞こえたんです。

 実際はスクーターが転ぶ音で、違ったんですけれど。

 

 見ると、引ったくりのスクーターが倒れてて。ええ、引ったくりの人も倒れていました。後で知ったことですけど、怪我は無かったようです。気絶してるだけで。

 それで黒い上下の服を着た、初めて見る男の人が、引ったくりの人の側に立っていたんです。

 ええ、その人です。

 随分背の高い人でした。180以上あったと思います。おまけに髪の毛が真っ白で。いえ、どうなんでしょう。外国の方のようにも見えたので、地毛なのかもしれません。染めてるような感じではありませんでした。肌も黒かったですし。

 それで私のところまで来て、目の前にバッグをぼすんと置いて、「貴方の持ち物で間違いないだろうか」と聞いてきました。

 私、頷くことしか出来ませんでした。

 他にも「怪我はないだろうか」とか、「他に盗られたものは?」とか色々聞いてきて、私は正直混乱しっぱなしで、それでもなんとか「大丈夫です。ありがとうございます」と答えたんです。

 そうしたらその人は、私の手を取って立たせてくれて、それから散らかった買い物の中身を集めてくれました。

 それを見てるうちに段々私も冷静になってきて、ああ、この人はたまたまここに居合わせて、それで引ったくり犯を捕まえてくれたんだって、ようやく飲み込めたんです。なんて親切な人だろう、そうだ、お礼を言わなければ、なんて風にも思ったんですけど、でもその人は私に荷物を持たせてくれた後、「それでは、失礼する」なんて頭を下げて、またさっさと歩いて行ってしまったんです。ああ、「以後は道中、お気をつけて」とも言われました。

 

 ええ、これで終わりです。せめて名前だけでも聞いておくべきだったんですけど、まごついてしまって。その後、多分あの人が呼んでくれたんだと思うんですけど、すぐにパトカーが来てくれて、引ったくり犯を逮捕していったんです。私も名前と連絡先を答えて、それでその日はすぐに家に帰ることができました。

 

 きちんとお礼をしなくてはと、今でも思います。

 分かったら、私にも教えていただけないでしょうか。

 

 

◆冬木市B区在住の男性(82)

 

 ええ、ええ。ありゃぁ先週末のことでしたかなあ。

 新都の交差点で、その方とお会いしたんですよ。あの電気屋前の大っきな交差点。

 そうそう、すくらんぶる交差点って奴ですわ。右も左も一斉に信号が青になる奴。

 これが今思い出してもお恥ずかしい話なのですが、あのど真ん中で私、すっころんでしまったんですよ。

 ええ、もう、見事に大の字に。

 いやなに大荷物を背負ってたんですが、それに負けて、つい杖を泳がせてしまって、こうびたーんと。

 私ちょっと腰が悪いもので、それに荷物も重いしで、なかなか立ち上がれませんでしてな。

 おまけに信号は赤になって車は遠慮無しに間近まで迫ってくるし、プープーくらくしょんは鳴らしてくるし、周りの歩行者は「なんだなんだ?」という目で見てくるしで、もういっそ止めをさしてくれと。

 いや悪いのは私には違いないんですがね、皆さんちょっとくらいは待つか手助けするかしれくれませんかねと、今では思えますけど、そんときは「ああ、ああ、ご迷惑をかけて申し訳ない!」ともう顔から火が出る思いでしたよ。

 

 んでまぁ、そん時でしたな。

 こう、ひょいっと担ぎ上げられたんです私。

 ええ、ええ。お姫様だっこって奴ですわ。80年生きてて初めてでしたな、しょーじき。

 ええ、その人です。名前は知りませんけどね。

 まぁ、えらく背の高い男前の人でしてな。いけめんというんでしたか、最近は。

 髪は真っ白で、ええ、確かに肌も焼けてました。がんぐろというんでしたか、最近は。

 

 ええ、ええ。色々話はしましたよ。

 だいたいこんな感じで。

 

 怪我はないだろうか、ご老人。

 ああ、ああ、ありません。申し訳ない、お若い方。

 お気になさらず。親切の押し売りは、私の趣味だ。

 はぁ。しかしあのう、この格好はいささか恥ずかしいのですが。

 体裁は悪いだろうが、渡り切るまでご容赦願いたい。なに、すぐだ。

 ああ、ああ、すみません。歳は取りたくない。これも皆、私のか弱い腰が悪いのです。

 甘えてはいけない、ご老人。老いは止められなくとも、遅らせることはできる。小魚と大豆を食べたまえ。

 ははぁ、小魚と大豆。

 でなければ、また私に担がれ恥を掻くことになるぞ。 

 

 てな、具合でしたな。

 どうです。演技派でしょう、私。

 

 ええ、ええ。それで向こうの歩道について、荷物を背負わせてくれました。

 しかも私の自宅の場所を聞くと、タクシーまで呼んでくれました。

 ええ、ええ。恥をかかせた詫びだと言って、代金まで。

 いやぁ、私も長いこと生きてましたが、あそこまで人間の出来た方は今まで見たこともありません。

 ああいう方がいらっしゃるのなら、まだまだこの世の中も捨てたものではありません。

 悔やむのは、あの方の名前と連絡先を聞き損ねたことですな。

 運転手さんに代金を渡した後、すぐさま行ってしまわれたので。

 

 できることなら、またお会いしたいものです。

 もちろんお礼のこともあるのですが……あれから家内とも話し合って、食生活を改めましてね。

 それから、心無しか、ほんの少し、体が丈夫になったような気がするのですよと。

 

 ただそう伝えられるだけでいいんです。

 

 

◆冬木市穂群原学園男子生徒(17)

 

 ……あれは四日前だったかな。

 同じクラスのA(仮名)って奴が、同じ学校の連中に囲まれてたんだ。

 イジメ……とはちょっと違うかなあ。あいつらいわゆる不良グループって奴でさ、Aでなくてもカツアゲとかなんとかで被害にあってる奴は多いんだ。

 そんでAは大人しいっつーか、まあ、言っちゃえば暗い感じでさ。そういう奴らの標的になりやすいんだよな。

 学校帰りに新都をぶらついてたら、たまたまそいつらとAが一緒にいるとこを見ちまって。

 あいつら「俺ら友達だもんなー、仲良しだもんなー」とか調子のいいこと言ってたけど、たかりたいだけっての丸分かりだった。

 強引に肩組んで、Aがちょっとでも逃げようとしたら、こう首を絞めてさ。

 そんであれよあれよという間に人気のない路地裏に連れ込んで、「ちょっと金貸してくれ」とか言い出したんだ。

 ほら、あのゲーセンの脇に入った薄暗いとこ。

 

 ……ああ、俺、後をつけてた。助けようと思ったんだ。

 俺、こう見えてもボクシング部でさ。Aも友達ってわけじゃねーけど、悪い奴じゃないってのは知ってた。

 だから助けられるなら助けよう、と思って付いて行ったんだ。

 あいつらに金をせびられて、Aは嫌だって言った。

 あいつら最初は「頼むよお」とか「母ちゃんが病気なんだよお」とかヌルく言ってたけど、だんだん苛つきだしてさ、とうとうAの腹を殴ったんだ。

 もう、おふざけじゃ済まないって思った。

 助けなきゃって思った。でも俺、最後の最後で足が動かなかったんだ。

 情けないけど、怖かったんだよ。

 殴り合いには自信あったけど、でもあいつらもあいつらでガタイは良かったし、同い年とは思えないくらい、人相悪くてさ。

 俺がこの場で助けても一時しのぎにしかならないんじゃないかとか、Aが変わらない限りああいう奴らとは縁が切れないんじゃないかとか、逆に俺の方が今後目を付けられるかもしれないとか、いろいろ頭に浮かんできて。

 それで俺、結局一歩も動けなかったんだ。

 

 そんときだよ、その人が現れたのは。

 漫画みてーな話だろ? 俺もそう思ったんだ。

 

 俺が隠れてたのとは、逆の方からその人は来たんだ。

 たぶん二十代後半くらいの、すっげーでかい人だった。若白髪なのか染めてるのか、髪の毛は真っ白で。顔はよく見えなかったな。

 その人、「そこまでにしておけ」って、「それ以上やるなら、私が相手になる」って、あいつらに言ったんだ。

 俺が言いたくて、言おうと思って、でも言えなくて、ぐずぐずしてたことを、すんげー堂々と、当たり前のように言ったんだ。

 あとはもう、あっという間の話だよ。

 あいつら即キレだして、「なんだテメー」「やんのかコラ」みたいなことになって。

 その人もその人で「日本語を喋れ」だの「親の顔が見たい」だの挑発してさ。

 で、殴り合い。 

 でもすぐに終わったんだ。

 あん時、あいつら四人いたんだけど、でもその人一人に全然敵わなくて、一発ずつ殴られて即KOさ。

 俺も格闘技やってるクチだけど、桁が違うってくらい、その人は強かったんだ。

 

 ……正直、羨ましいって思ったよ。

 あと、すごく、自分が恥ずかしかった。

 

 あとは特に話すことはないな。

 Aがそいつにお礼を言って、その人も一言二言なんか言って、すぐに行っちまった。

 そんとき、俺と一瞬目が合った気もするけど、どうだろ。暗かったし、たぶん気のせいだと思う。

 まあ、そうでなくても、合わせる顔なんてねーけど。

 

 それから、その人を見かけたことはないよ。

 Aも見てないって言ってた。

 ……いや、さっきも言ったけど、友達ってわけじゃない。

 ただその次の日もまたちょっとトラブルがあって、それで、少し話をするようにはなったな。

 連中、あの人にやられたのを逆恨みしてさ、それでまたAに……まぁ、いいかそんな話は。

 

 え? この痣? べ、別になんでもねーよ。部活、部活だよ。

 

 

◆冬木市在住(住所不特定)の猫(32)

 

 ほほう、吾輩に目を付けるとは御主ただ者ではないな。

 ご察しの通り、吾輩、ただ可愛いだけの三毛猫にあらず。

 雨の中、風の中、ひたすら餌を求めてゴミをあさり虫を追い、時に女学生に媚を売りつつ、必死に己が命を繋ぎゆく。

 そんな困窮極まる修練の末、ついには森羅万象の極意に触れ、結果猫の身にして猫を越えつつある、化け猫一歩手前の三毛猫よ。

 

 見れば御主も人の形をしながら、人にあらざる者。その点で言えばご同輩となるのか、これは奇妙な縁。

 して、吾輩に聞きたいこととは何なのか。

 

 ……その御仁のことなら、確かに吾輩の知るところ。

 どうやら御主とも知り合いのご様子。いやはや世間は狭い。

 あれは、つい先日のこと。

 吾輩の鼻先にて舞い遊ぶ悪戯な蝶を追いかけ木に登り、降りられなくなってしまったときのことだった。

 いや、まったくしてやられたと途方にくれて、腹も空きだした頃に、あの御仁が現れた。

 

「お困りの様子だな」

 

 白髪長身、肌は色黒く、目はすり切れた鋼のような色をしていた。

 御主と同じく、「人ではない」と一目で分かる霊格であった。

「人語を解するだけの知恵持つものとお見受けする。良ければ手を貸すが」

「如何にも、この身はただ可愛いだけの(以下省略)。にしても天の助けとはまさにこのこと。ぜひお願いする」

「目は口ほどにとはいうが、これほど多弁に語られるのは初めてだ。なんとも器用だな」

 御仁は難なく、吾輩を地上に下ろしてくれた。

「天神地祇に誓ってこの恩は忘れない。ついては是非御礼がしたく、良ければ吾輩の住処に招待させて頂けまいか」

「慎んで遠慮申し上げる。生憎、急ぎの用があるのでね」

「嘘を申されるな。吾輩には分かる。恩人をこのまま帰したとあっては、猫の沽券に関わる」

「では言い直して、気持ちだけ受け取ろう。ではな」

 

 とまあ、こういった顛末であった。お役に立てただろうか。

 吾輩、猫ではあるが、人の生業にも些かの見識を持つ。

 善行というものは、思うは易く、言うのも易く、そして行うは難し。

 それをああも、息を吸って吐くがごとく行える彼の御仁は、傑物に違いない。

 そういえば御主は、その御仁を探しておられるのだろう。

 しかも、それなりに友誼を結んでおられる様子。

 ならば吾輩の代わりに、彼の者にこれを渡してもらえまいか。

 吾輩がつい先ほど、激しい死闘の末に仕留めたネズミのしっぽである。

 なに、そう大層なものではないが、ぜひあの御仁に渡してくれ。

 くれぐれも、旨そうだからといってつまみ食いしてはいかんぞ。

 

 

◆冬木市深山町在住の英霊(?)

 

「なんだ、セイバーか。どうした武装などしてあいた!」

 川に入って何やら川底を探っていたサーヴァント・アーチャーの背中を、同じくサーヴァント・セイバーは有無を言わさず蹴倒した。

 大きな水音が一つ。

「ようやく見つけました。アーチャー」

「なにやらご機嫌斜めの様子だな。げほごほ。理由を聞いてもいいか」

「勿論。いや、よくぞ聞いてくれました。貴方のマスターがついにその堪忍袋を破り捨て、癇癪という癇癪を爆発させたその果てが今の私だ。よくもまあ、あちらこちらを節操無くほっつき回ってくれたものです。是非剣をもって礼に替えさせて頂きたい」

「よく分からんが、立ち会いが望みなら受けて立つぞ。だが今は待て」

「そういえば何をしているのですか。川になど入って」

「上を見ろ。橋の上だ」

「む」

「柵のところに女児が立っているだろう。ほら、君を見て怯えている」

「むむ、彼女は?」

「どうもあそこから玩具の指輪を落としたらしくてな。いま探しているところだ。そうだセイバー、君も手伝え。どうせ暇だろう。君という奴は聖杯戦争が終わってからというもの、飽きもせず食っちゃ寝食っちゃ寝」

 大きな水音がまた一つ。

 

 

 話は、この日の朝一番から始まる。

 己のサーヴァントが姿を見せなくなってから丸一週間が経過し、遠坂凛の堪忍袋もとうとう限界を迎えたらしい。

 彼女の癇癪を浴びるのは、大抵彼女の一番弟子のみで済むのだが、今回は間が悪かったようだ。事態はあちこちに飛び火し、一番弟子のみならずそのサーヴァント、さらに遠坂凛の実妹、さらにさらにそのサーヴァントまでもが駆り出されて臨時捜索隊が組織されることとなった。

「同じサーヴァントだし、どうせ暇でしょ? いいからとっととあの放浪癖持ちを捕まえるのよ!」

 腑に落ちなくはあったが、確かに同じサーヴァントとしてアーチャーの態度にはセイバーとしても思うところがあった。丸一週間、主に顔を見せないなど、あっていい了見ではない。加えて、暇なのも確かだった。

 かくして衛宮士郎の擁するサーヴァント・セイバーは冬木市一帯、特に深山町近辺を中心に捜索活動をすることとなった。

 しかし、相手は霊体化のできるサーヴァント。姿を消したまま街を一周することも容易な存在で、これでは探しようもない。仮に目撃情報を募ったところで効果も見込めまい……と、だれもが思っていたのだが。

 近頃の冬木市では、とある一つの噂が大いに話題になっていた。

 題して、「冬木のヒーロー」。

 東に助けを求める声があれば、どこからともなく現れてこれを救い、

 西に弱きを苛む悪あれば、どこからともなく現れてこれを祓う。

 老若男女の隔てなく、氏も素性も告げぬまま、さながら通り魔のごとく善を行い、そして去って行く。

 その特徴は、長身白髪。肌はよく焼け、装いは黒が多いとのこと。

「それを聞いた時は頭痛がしました」

「そうか。ざまを見ろ」

 日も暮れだして、そろそろ一般家庭では夕餉の支度が始まる時分。

 帰宅車両の増加により、冬木大橋もやや渋滞気味になりかけているころ、その直下数メートルでは見るからに怪しげな風体をした異人たちが、揃って川岸に座り込み、流れ行く川面をなんとはなしに眺めていた。

 片や金髪短躯の、銀の鎧で武装した西欧の少女はサーヴァント・セイバー。一度武装してしまっため、着替えられない。

 片や白髪長身の、赤い外套を纏った国籍不詳の男はサーヴァント・アーチャー。「冬木のヒーロー」でもある。こちらは水に濡れた為、武装を着替えとしている。

 なお、女児の落とし物は無事本人に届けられたようだ。

「白い髪の、長身の、色黒の男を知りませんかと問えば、そこかしこから目撃談が出るわ出るわで、さながら入れ食いのようでした。新都方面に向かった凛の方でも、恐らく似たようなものでしょう」

 遠坂凛のボルテージが今どのような状態を迎えているか、それはこの場に居る二人にとって想像するに余りあることだった。我が身の行く末を悟ったアーチャーは、一つ小石を川に投げ入れた。

「昨日あそこで痴漢を捕まえてくれた。今日はそこで落とし物を届けてくれた。ところで貴方は彼の知り合いか。もしそうなら過日の御礼をしたいので連絡先を教えてほしい。……そういった声を追いかけては振り払うこと十余人。時間にして五時間半。その労力を思えば、出会い頭に多少足が出たとて納得せざるをえないでしょう」

「誰がするか。とはいえ、話は分かった」

 アーチャーは立ち上がった。

「手間をかけた。帰るとする」

「分かれば良いのです」

 

 日はすっかり暮れだして、夜がやって来ようとしている。

 しかし魔術師の夜は、もう冬木には訪れない。

 衛宮邸に向かう道を、二騎の英霊はのんびりと歩いていた。

「そもそもだな。丸一週間顔を見せずとは言うが、当のマスターが小僧の家に入り浸りとあっては、顔を見せたところで焼ける世話もない。屋敷の手入れはしているし、残りの時間は好きに過ごして構うまい」

「それで、ヒーローを? 聖杯戦争では不意打ち裏切りと、私怨のまま好き放題立ち回った男が、いざ妄念が晴れるとそれですか」

「面倒事の方から目に入ってくるだけだ。たとえばつい今朝の事だが、何を隠そう、私は高い場所が好きでな」

「……」

「なんだその目は。とにかく高く見晴らしの良い場所が好きで、手持ち無沙汰の時は、ついついビルの屋上などに行ってしまう。街の全景が見渡せるほどの高さが好みだが、私の目ならば、そこからでも地面を走る車の運転手すら見分けられる。今朝もそうしていると、指名手配中の強盗犯をたまたま見つけたのだ。何でも気にしておくべきで、交番前の掲示板に張ってあった張り紙と、同じ顔であることにすぐ気が付いた。矢を射るのもなんなので通報だけに止めたが、結果は後日のニュースで知れるだろう……と、大体こういった感じだ。他の例も必要か?」

「いえ、結構。とにかく、今後は控えてもらいます。シロウが真似をすると困る」

「それは問題だな。見かけたら、首を撥ねておこう」

「私がこの場で貴方の尻を削ぎ落とせば確実でしょう。自ずと自戒を促せるに違いない」

 アーチャーは顔を顰めた。予想される尻の痛みにではなく、この、さながら「グレた長男とその母親(次男の行く末を懸念中)」のような、なんとも間抜け極まる応酬そのものにである。

「セイバー。仮にも私は君と同じ英霊だぞ」

「弁えていますが」

「本当に弁えてるか、近頃疑問に思えるのだが」

「もし私の態度を馴れ馴れしいと感じるのなら、原因は貴方の真名にある。まったく、この国の格言が奥が深い」

「ほう」

「"三つ子の魂、百まで”、成る程まさしく」

「ほほう」

「しかし、"何とかは死なねば直らない”、これは嘘のようだ」

「よく言ったセイバー。そうではないかと恐れてはいたのだが、やはり君はあの小僧とオレを同一視しだしている。それはこの身を軽んじるも同じだ。凛の機嫌を取った後にでも決着を付けよう」

「得物は何を使います? 竹刀? 木刀? 宝具?」

「君のお好きなように。今のうちに白旗でも繕っておけ」

「まったく……」

 深く、深くセイバーは溜め息を付く。

 隣の男を見る眼差しは大人げない戦友を見るようであり、やはりアーチャーが思うに、他の何かを見るようでもあった。

 

「よく腕を上げたようですが、それでもシロウはシロウ。私に勝とうなど、まだまだ早い」

 

 

 

 



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