アイビス×マサキ(スパロボOG)   作:マナティ

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第八章:もがれた翼

 

 

   Ⅰ 

 

 

 その連絡を受けた時、マサキは冷たい刃物が脊髄に差し込まれたような感触を覚えた。

 

「アギーハという女が、北側砲台に向かってるわ!」

 

 己の迂闊さに苛まれながら、ヴィレッタが叫んでいた。つい先ほどまで、バイオロイド兵を指揮してリュウセイ達を阻んでいた銀色の敵影。その姿が見えない事に、砲台を殲滅し終えてからようやく気付いたのだ。

 

「アイビスが危ない。マサキ、戻りなさい!」

 

 そう聞き終える前から、マサキは身を翻していた。

 

 息が詰まる。背筋が寒い。

 

 この感覚を彼は覚えている。嫌が応にも、思い出さずにはいられない。あの日の事を。彼のいないところで幕を開け、何一つ間に合わないまま全てが終わった、あの日のことを。

 

 

 その機影を認めて、アイビスは躊躇などしなかった。残弾の半分を惜しげも無くバラまき、ついで最大戦速度にまで機体を加速させる。ミサイルの雨を難なくかいくぐり、シルベルヴィントもまたそれを追う。至極当然の帰結として、二機の戦いは高機動戦の様相を呈し始めた。

 

 装甲、火力、運動性。機動兵器の性能を測るあらゆる要素は、空の中では価値を失う。大気の逆風に耐えられるだけの装いがあれば良い。敵の翼を欠けさせるに足る武器があればよい。何よりも求められるのは追随許さぬ速度と、それを生かす乗り手の技量。

 

 アステリオンとシルベルヴィント。二筋の流星が最速を競い合う。交互に反転し、交錯し、大空に延々と8の字の軌跡を描いていく。時にそれは正面からぶつかり合い、卍の形にもなった。敵の尾を追うドッグ・ファイトと、正面から粉砕するブル・ファイトが複雑に組み合わさり、両者が残す飛行機雲は尽きぬ絵筆となって、空の青を塗りつぶして行く。

 

(くそ、くそ……!)

 

(なんだい。もうギブアップかい?)

 

 互角の接戦を繰り広げる双方の機体に対し、しかし乗り手の心理状態はそれに反してくっきりと明暗を分けつつあった。明らかに焦燥に塗れているのは、アイビスの方である。

 

(引き離せない……!)

 

 一進一退の互角の接戦。それ自体がアイビスの不利を示していると言えた。マサキの指導のもと今までアイビスが訓練に明け暮れ実践で培って来たのは、速度を生かした一撃離脱の戦法である。例えるならそれは、海面の魚を狙う鷹の戦い方に近い。

 

 しかしいま繰り広げられているのは、鷹と鷹の戦いである。一瞬の集中力よりも集中の持続力、瞬発力よりもスタミナが物を言う。こうした戦いにアイビスは極めて不得手であった。そも、アステリオンと渡り合える速度の敵などこれまで皆無に近かったのだから。

 

 加えて言うなら、単独で敵機と対することすらこれまで稀であった。彼女の傍らには、常に白銀の騎士の姿があった。これまでアイビスが得てきた戦果は、彼との連携で勝ち取った小隊としてのそれであって、彼女個人の武勇で得たものではない。

 

(いや、いや、違う。たとえそうだとしても!)

 

 負けられないとアイビスは思った。彼女の小隊長は、彼女を置いて飛び立った。そこに込められた思いを信じている。ゆえに何が何でも負けられない。

 

(かわいいねえ。まったく)

 

 シルベルヴィントのコクピットの中で、アギーハは唇の端を釣り上げた。アイビスの内心を読み取ったわけではないが、彼女の機動を見ればその気性を読み取ることはアギーハにとって容易なことだった。

 

 メキボス、シカログが下された瞬間、アギーハは事前の取り決めに従って撤退を開始していた。ノイエDC所属の南方軍を抑えているヴィガジも同様の行動をとっている。本来こうしてアイビスの相手をしていることも余分なことなのだが、行きがけの駄賃のようなものであり、また存外に楽しい時間でもあった。

 

 出身星系が異なれど、同じ宇宙、同じ物理法則の下で生まれた文明同士である。空戦についても、アギーハらと地球圏パイロットの間には、戦術・定石などにおいて多くの共通認識があった。その上で見れば、アイビスの描く機動は、アギーハにとってさして目新しいものではない。あくまで基本に忠実な、手堅い飛行術理。全てが理にかなった正道の飛び方だった。

 

 全ての技術には歴史がある。航空機が歴史上に姿を現してから二度の世界大戦が起き、幾人もの英雄・英傑が生み出された。暦が改められ、人型機動兵器の歴史が幕を開けてからも多くのエースたちが同様に空を駆け、空に散った。そんな彼らによって編み出され、受け継がれて来た技と術がある。

 

 いまアギーハをじりじりと脅かすのは、度重なる訓練によってアイビスの体に凝縮され刻み込まれた、歴代の空の覇者達の精華そのものだった。たとえ不世出の才がなくとも、そこには、偉大なる先人達に対する愛と敬意に満ち満ちている。

 

 地球の空戦技術の歴史などアギーハには知る由もないが、他ならぬアステリオンの後ろ姿からそれを察することはできた。だからこそ、アギーハには彼女が可愛らしく思えてならない。同じく空を駆ける者として、先達として、まったくもって好意に値する小娘であった。宇宙の同じ側に生まれていれば、マサキ・アンドーの代わりに自分が鍛えることも吝かではないと思うほどに。

 

 超音速の空戦のさなか、その一瞬が訪れた。互いの位置関係、高度、相対速度、機体の向き、それらがある一定の条件にぴたりとはまり込むその一瞬に、両者の脳裏に神託のような閃きが走った。

 

「ここだ!」

 

「くるね」

 

 アイビスとアギーハは、ほぼ同時にそう口にした。途端にアステリオンが上空へと転進する。何を企図してのことが、アギーハには手に取るように分かった。かつて彼女自身がその身に受けた、あのマニューバー。その鋭い機動は相も変わらず、まるで大気を切り裂くかのようだ。しかし、もはや未知なものでは決して無い。

 

(教えてやるよ。同じ手は通用しないと)

 

 アギーハの左手の五指が、一瞬白魚のように跳ねた。砲門セット、シーカーロック、発射。瞬く間に終えられた三つの工程。かくしてシルベルヴィントの胸部光子砲が炸裂する。

 

 ロックとあるが、アステリオン自体に狙い定めて撃ったわけではない。手動で照準を補正し、アギーハの脳裏にのみ映る一秒後のアステリオンの背中目掛けて彼女は撃った。そうして解き放たれたフォトンの塊は、天頂を駆け上るアステリオンに、まるで吸い込まれるように命中した。弾丸自体が意志を持つか、あるいはアイビスが自ら当たりに行ったとしか思えないほどの、ありえない精度をもって。

 

 悪夢のような偏差射撃。アイビスが技の限りを出し切ったマニューバー・RaMVs、その全てがアギーハの手の内にあった。

 

 あっという間のことだった。真実一瞬にして、ただの一撃で、あまりに呆気なく勝敗が決せられたことを、爆散していく機体の破片を視界に入れながらアイビスは悟った。

 

 

 翼をもがれ、アステリオンが錐揉みしながら墜落していく。すでに機体は何の操作も受け付けない。操縦桿な無用の長物と化していた。

 

「……!」

 

 警報が狂ったようにわめき散らす。モニターの半数が砂嵐に包まれ、計器が目まぐるしく数値を変えて行く。慣性制御は失われ、機体の動きがそのままアイビスの体感覚に襲いかかる。

 

「…………!」

 

 回っている。全てがぐるんぐるんと回っている。視界も聴覚も平衡感覚もまるごとシェイカーにかけられ、上下左右の区別が消滅する。声も出せないほど、アイビスは混乱の極みにあった。落ちているということすら正しく認識できていない。訓練不足なのではない。人間である以上、そして脳の構造上、この状況では誰もが逃れ得ないことだった。

 

 するとその内に、振り回されるカメラのように上下左右前後を見境無く映し出すモニターに、ふと銀色の機影が現れた。見間違えようのない、シルベルヴィント。その胸部光子砲の銃口が、まっすぐにこちらを向いているのを目にし、ようやくアイビスは自らが死に直面していることを認識した。

 

 ぞっと、戦慄がさざ波のようにアイビスの肌という肌を舐め上げた。幾千もの昆虫が全身を這い回ったかのようだった。膀胱が空でなければ、失禁すらしていたかもしれない。

 

(死ぬ)

 

 落雷のようにその二文字がアイビスの心臓を突き刺した。意識が彼の者の銃口に収束し、他の風景すべてが遠くなり、闇に落ちた。暗闇の中に、三つのものだけがある。銃口と、自分の体と、そして背後に穴が。

 

(死ぬ……)

 

 振り向くことすらできないのに、また現実としてそんなものがあるはずもないのに、なぜかその穴の存在をアイビスは背中越しにはっきりと感じ取ることができた。大きく、深く、真っ暗なその穴は、ぽっかりと口を開けてアイビスがそこに辿り着くのを待っていた。死者の穴、地獄の蓋、生命のブラックホール。そのようなものが、アイビスの精神の背後に迫っていた。

 

(墜ちる……!)

 

 確信、あるいは天啓のように、アイビスは己の行く末を悟った。

 

 

 しかし、決してそれを許さぬ存在がただ一つだけあった。天からの宣告を覆しうる存在がただ一つだけあった。

 

「てんめぇぇぇぇぇっ!」

 

 シルベルヴィントが、落ち行くアステリオンに止めの一撃を見舞おうとするまさにその一瞬、その一点を目掛けてマサキとサイバスターが彼方より猛突進してきた。それを察知したアギーハに逡巡が生まれる。撃つか否か。撃てば撃たれるのでは。

 

「ちぃ!」

 

 迷いを寸断し、アギーハはシルベルヴィントの身を翻らせた。その途端に、さきほどまで彼女がいた空間を、紅い巨鳥が猛烈な勢いでなぎ払う。

 

「クロ、シロ!」

 

 会心の一撃を躱されたと見るや、マサキはろくな指示も無しに使い魔を解き放った。それでも二機のハイファミリアは、一切の迷いを見せず敵機に向かって行く。対するサイバスターは反転、アイビスの下へ急降下していった。脱出は確認されていない。アイビスはまだあの中にいるのだ。

 

 失えない。マサキは張り裂けるように思った。

 

 失ってはならない。超新星のごとく思いが爆発する。

 

(届け……っ!)

 

 黒煙に包まれながら落下して行くアステリオン。それが大地と衝突するおよそ5メートル手前、まさしく間一髪に、マサキの念願はかろうじて成し遂げられた。突き伸ばされたサイバスターの右手がアステリオンの装甲を掴む。マサキは息をのみ、即座に翼を咆哮させた。無理矢理に軌道を90度近く変え、生い茂る木々をなぎ倒しながら、空と地面の僅かな隙間に滑り込む。森と大地に身を削られながらも、サイバスターはアステリオンを両腕でがっちりと抱え込んだ。襲いかかる樹木と大地の摩擦から守るように。なにより決して我が身から離さぬように。

 

 

   Ⅱ

 

 

 一連の経緯を、あとになってもアイビスは明確に想起することができない。死を目前にした瞬間に何もかもが真っ暗になり、そのまま(なにか尋常でない衝撃を感じたような気はしたが)意識がぷっつりと途切れ、そしていまようやく再起動を果たしたところだった。時間を跳躍したような感覚すらあった。

 

(どう……なったの……?)

 

 体が鉛のように重い。首を巡らせることすら困難だった。霞む目をなんとか動かして、周囲と自分の体を確認する。竜巻に呑まれたような感覚は収まり、悲鳴を上げていた警報もいまは鳴りを潜めている。

 

 静かだった。

 

 あまりにも静かだった。

 

(……生き……てる?)

 

 そんな疑問が胸の内で波紋を打ったが、次に彼女の中で生じた衝動に比べればあまりに些細なものだった。

 

「大丈夫か」

 

 そんな声が耳朶に染み入り、アイビスは微かに顔を上げた。いつの間にかコクピットハッチが開けられていて、柔らかな風と木々の囁きがそよいできている。

 

 そして彼の姿があった。悲しそうな、焦燥したような、しかしどこか嬉しそうな、安堵したような様子で彼女を覗き込む少年の顔があった。

 

(……)

 

 到底言葉では言い表せない気持ちが、アイビスの体中でわき上がった。それは血流のように体中を巡り、暖かな熱を発した。

 

 彼女の唇が何事か言葉を紡いだような気がして、マサキはアイビスの首元を弄くってヘルメットを取り外した。肌が外気にさらされて、互いの汗ばんだ体臭がつんと香る。身じろぎしようとしたアイビスの肩を、マサキはそっと押さえた。

 

「大丈夫か。動かなくていい。痛いところはあるか」

 

 そんなマサキの言葉のどれもを無視して、アイビスの両腕が緩慢に持ち上がった。鉄球でも繋げられているかのように、遅く頼りない動きだった。最初それはマサキの二の腕に触れ、伝うようにゆっくりと肩をなぞり、マサキの背中まで移動して行く。

 

「アイビス?」

 

  問いかけが耳に届いているかも怪しいくらい、アイビスの表情は茫洋としていた。それでもかすかな、引き寄せるような力をマサキは感じた。力とも言えないくらいか弱い引力であったが、それを二度、三度と繰り返すアイビスの目があんまりにも弱々しく、それでいて切実なものをたたえているように思え、マサキはそれに逆らうことができなかった。

 

 マサキは恐る恐る、アイビスに身を寄せていった。とはいえアイビスはシートに座っているのだから、体勢的にも限界はある。それでもアイビスの求めは止まず、眼差しもますます差し迫ったものに変わって行くので、やむ無しにマサキは慎重にアイビスの背中に手を回して、背もたれからその体を浮かせた。

 

 ようやくアイビスは求めたものを手に入れることができた。それが具体的になんであったのかは、彼女自身にも茫漠として明言できないことだった。触れ合う頬と頬か、顎先に感じる彼の首筋か、あるいは腕全体に感じる彼の背中がそうであったのかもしれない。それら全てにアイビスは縋り付き、目を閉じた。ひどく寒かった。繋がっておらずにはいられなかった。

 

 彼女の肢体が小さく震えていることに、マサキは気がついた。

 

「死ぬかと思ったのか?」

 

 応えは返らなかった。

 

「俺が手下を死なせるわけないだろ」

 

 またもや応えは返らなかった。

 

 

 しばしの時間が経った。いつまでもこうしていてもしょうがない。マサキは決断して、アイビスを抱え上げた。

 

「痛かったら言えよ」

 

 マサキは抱きついて来るアイビスをそのままに、アステリオンのリフトロープを使ってなんとか地上まで降りていった。非常に労力のいることではあったが、なんとかやり遂げる。

 

 アギーハはすでに逃げ仰せていた。彼女の妨害をしていたクロとシロもすでに帰還し、いまは別の用を頼んでいる。友軍は依然としてラングレー基地まで進軍を続けており、ダイテツ艦長の命により二人の回収は後回しとされていた。

 

「戦線復帰の要なし。そのままアイビスと共に待機するように」

 

 加えてそうも命令されていた。もっともな指示であるが、途中退場を宣告されたも同然の内容にマサキは忸怩たるものを禁じ得ない。とはいえ今のアイビスを置いて再び戦場に舞い戻るなど、マサキといえど思いつくことではなかった。

 

 アイビスの様子を、マサキは困惑しつつもさほど不審には思わなかった。経験を積んだとはいえ、まだアイビスは新兵の域を出ていない。よほど死を間近に感じたのか、軽い錯乱を起こしているのだろうと推測した。マサキ自身にも覚えのあることだった。

 

 草地に降り立って、マサキはアイビスを横たわらせようとしたが、彼女の体を引き離そうとした途端、またもや微かな引力を感じたので、すこし考えてからそのまま座ることにした。

 

 結局二人の体勢は、木を背にして胡座をかくマサキに、アイビスが正面から縋り付く形に落ち着いた。アイビスの腰はマサキの胡座の上に乗っていて、横座りのようになっている。あまりの外聞の悪さにマサキは頭を抱えたが、それでも今も震える彼女の体を思うと突き放してしまう気にはなれなかった。そうしてしまうことは、取り返しのつかない罪悪であるように思えた。

 

 砲撃、爆発の音は既に遥か遠く。つい先ほどまで戦場であったことなど露とも感じさせない静けさに辺りは包まれていた。サイバスターとアステリオンが不時着した森林地帯は生息する木々の背も高く、本来であれば日差しも遮られてしまうのだが、サイバスターが一部をごっそりとなぎ倒してしまったために随分と空は開けていた。お陰で日の入りは悪く無い。冬のためそれなりに気温は低く、肌寒くはあるのだが、幸か不幸か今のマサキには関係ないことだった。

 

 アイビスのぬくもりと重さを感じながら、マサキはぼんやりと空を見上げた。まだアイビスの震えは止まない。分厚く野暮ったいパイロット・スーツを着ていても普段着のマサキよりもよほど凍えているようで、マサキは時折、あやすようにアイビスの背を叩いた。

 

(まったく、重てえな)

 

 そう内心マサキはぼやくが、しかしあとほんの少し間が悪ければ、今頃こうして抱えているのはアイビスの亡骸であったのかもしれなかった。それを思えば、下半身にのしかかるアイビスの体重も、首筋をくすぐる息づかいも、微かに香るアイビスの汗の匂いも、不快ではあれそう悪いものでもないと思えた。どれもが、生きている証に他ならない。

 

(どうなることかと思ったぜ。ええい、くそ)

 

 しばらくこのままにしておくかと、マサキは観念した。せめて彼女の震えが止むまで、あるいは迎えの連絡が届くまで。心の中で別行動中の使い魔にそう言い伝え、応答が返るのを確認してから、マサキもまた目を閉じた。疲れているのは、彼も同じであった。

 

 

 ほんの少しの仮眠ののち、マサキは目を覚ました。

 

 妙に暖かいので何かと思えば、使いに出していたクロとシロが戻って来ており、焚き火の近くで丸くなっていた。寝ている間に焚いてくれたのだろう。

 

「サンキュ。どれくらい経った?」

 

「三十分ってとこ」

 

「さっきキョウスケから連絡があったぜ。ニャんとか終わったみたいだ」

 

 二匹は丸くなったまま応えた。

 

「勝ったのか?」

 

「敵はラングレー基地を放棄したみたい。ノイエDCの南方軍とも合流して、基地に踏み込んでからしばらく押し合いを続けてたんだけど、大規模な転移反応が起こって人造兵は軒並み機能停止。基地ももぬけの殻。異星人幹部も全員行方不明だって。ハガネ隊はしばらくこの辺りに待機したまま、調査隊の到着を待つみたいよ。それと、もうすぐ迎えが来るわ」

 

「肝心なところで出番無しか。格好つかねえな」

 

「マサキだってプラーニャの消耗が激しかったし、ちょうど良かったんじゃニャいか? 土台、魔装機っていうのは地上の兵器に比べて持久力がニャいからニャ」

 

「俺は、まだまだ行けるぜ。一眠りしたら、体も戻って来たしな」

 

「あら、そんなに寝心地が良かったの?」

 

「にひひ」

 

 二匹の悪戯げな目線を追って、マサキは胸元を見下ろした。アイビスもいつの間にか眠ったらしく、マサキの上で小さな寝息を立てていた。抱擁も既に解かれているが、胸を枕にされているため体勢的にはあまり変わりはない。

 

「なんか変わったことはあったか?」

 

「眠ったのは二十分くらい前よ」

 

「一応治癒術はかけといたけど、大した怪我はニャさそうだ」

 

 そいつは何より、と思いながらこれ幸いとばかりにマサキは慎重に身を起こした。こんな状態のまま迎えが来るのを待っていては、誰に何を言われるか分かったものではない。焚き火に近すぎず、遠すぎないところにアイビスを横たわらせてから、マサキは大きく肩を回した。妙な体勢で寝たために体が凝っていた。

 

「あー、いてて」

 

「年寄り臭いんだから。せっかくの役得だったのに。ねぇ、シロ?」

 

「にひひひひひ」

 

 またもや二匹が悪戯っぽく笑った直後、アイビスが小さくうめき声をあげるのが聞こえて、一人と二匹ははっと顔を上げた。

 

「う……うぅ」

 

 苦しむように、恐れるように、アイビスは呻いていた。

 

 しかしそれは長く続かず、またしばらくする内に穏やかな寝息に戻って行く。

 

「さっきまでも、あんニャ風だったの。思い出したように、ときどきうニャされていて」

 

「……」

 

 マサキは真剣な表情で、眠るアイビスを見つめた。

 

 なにか、嫌な予感がしていた。

 

 とても嫌な予感が。

 

 

   Ⅲ

 

 

「さっきアイビスの見舞いに行って来たんだけどさ、いやぁ、いいよなぁ、あのウブな感じ。すんげー恐縮されてさぁ、しかもどことなく警戒されてる感じでさぁ。それがまたなんつーか、すれてませんってオーラ全開でさ~」

 

「いいから、とっとと引いてくれないか」

 

「はいよ、と。いやぁ、それにしてもほんと、いいよなぁ~」

 

「お前、いつかレオナに刺されるぞ」

 

 言い合いながらババ抜きに興じているのは、言うまでもなくタスクとマサキ……ではなく、今回珍しく顔を見せているブルックリン・ラックフィールドだった。別段疎遠なわけではないが、規則正しい生活を善しとする気質のため夜遊びに加わることは少なかった。今回彼がタスクの誘いに応じたのも、まださほど遅い時間ではないためだ。

 

 戦闘終了から、約8時間が経過していた。ハガネ隊はいまだラングレー基地には足を踏み入れておらず、敷地内上空にて待機のまま、調査隊からの報告を待っているところだった。例えばの話、基地内部に大規模な爆薬が仕掛けられていないとも限らないため、その確認が済むまで調査隊以外の立ち入りは全面的に禁じられている。早くて明日の午後に第一報が届く予定となっており、それまでハガネ・およびヒリュウ改は文字通り宙ぶらりんの身の上となる。

 

 パイロットは全員無事に帰還し、デブリーフィングを終えたのち終日休息となった。今回ばかりはさすがに皆の疲労も激しく、デブリーフィングを終えてからラウンジに顔を出そうとする者はほぼ皆無に近かった。

 

 午後いっぱいを睡眠・休息に費やし、夕食をとり、そこでようやく体力と行動力に余裕のある者から思い思いの娯楽に手を出し始めた。いまタスクの部屋に集まっている四人も、その一部である。

 

 ブリットとタスクは床の上でカードゲームに興じており、デスクのところではマサキがリョウトの手を借りながら報告書の作成に四苦八苦していた。アイビスは現在医務室で療養中のため、彼女の手を借りるわけにはいかなかった。

 

「おし、できた」

 

 マサキは勢い良く立ち上がり、プリントアウトした報告書を上から下まで見渡した。

 

「なかなかの出来だな」

 

「ほとんど僕が作ったんじゃないか」

 

「恩に着るぜ」

 

 いたって軽く流し、マサキは部屋の扉に向かった。

 

「およ、帰んの?」

 

「ああ。またな」

 

 書類をハンカチ代わりにひらひらさせながら、マサキはタスクの部屋を後にした。このまま隊長室に詰めているはずのキョウスケの下に向かうつもりだった。マサキにとって小隊長になって何が嫌かといえば、なにをするにもいちいちあの男に伺いを立てなくてはならなくなったことだった。嫌な事は早めに済ませてしまうに限る。

 

 その後のことは、とくに決まっていなかった。タスクらのところに戻っても良いし、部屋に戻ってごろごろするのも良い。アイビスのところへ行くつもりはなかった。面会謝絶というわけではないが、今夜一晩は安静にさせたいと医師から伝え聞いていた。

 

(落ちついてからでいいな)

 

 マサキは真っ直ぐに、隊長室へ向かって行った。

 

 向かって行ったつもりではあったのだが、マサキにとっては遺憾なことに、また彼以外の者にとってはもはや自然の摂理というべきことに、少年はまたもや正しい道順を盛大に踏み外していた。

 

(なんで医務室に着いちまうんだ?)

 

 医務室と隊長室はさして遠くはないが、同じ場所と言えるほど近くもない。

 

(まぁいい。これも巡り合わせって奴だ)

 

 長年のことなので、いまさら深く考える気も起きない。極めて行き当たりばったりに、マサキはアイビスを見舞って行くことに決めた。

 

「よう」

 

「あ……」

 

 マサキが患者部屋に入ったとき、アイビスは寝間着姿でベッドに横になっていた。部屋の明かりは落とされていたが、瞳の瞬き具合からして寝付けていなかったようだ。

 

 それでも何か悪いタイミングを踏んでしまったか、とマサキは気を回したのは、彼の姿を見た途端にアイビスが毛布をそっと口元まで引き上げたためだ。しかしその後とくに何も言わないので、マサキはそのままアイビスのベッドに近づいていった。するとさらに数センチ、アイビスは毛布を引き上げた。足が冷えるのではと、マサキは怪訝に思った。

 

「一人なのか?」

 

 顔の下半分を毛布で隠しながら、こっくりとアイビスは頷いた。このとき医師は所用で席を外しており、しばらく付きっきりになっていたツグミも、アステリオンの修理に取りかかり始めていた。

 

「そっか。なら暇だろ」

 

 またもアイビスは頷いた。

 

「なんか飲み物でもいるか?」

 

「……大丈夫」

 

 ようやくアイビスは言葉を発した。消え入りそうな声だった。

 

「腹は減ってないか」

 

「さっき、軽く……」

 

「あんま体調良くねえみたいだな」

 

 声は弱々しく、顔もやや赤い。明かりが消えているためか、余計に瞳が潤んでいるように見える。マサキは医者ではないが、典型的な熱の症状に思えた。

 

「まぁ、しばらくゆっくりしてな。仕事はこっちでやっとくからよ」

 

 右手の報告書を、マサキは見せびらかすようにひらひらとさせた。

 

「誰に頼んだの?」

 

「俺が一人で書いたのさ」

 

「嘘」

 

 言い切られて、マサキはしばし閉口する。小隊長としての威厳……などというこれはまではついぞ気にしなかったものに思いを馳せた。

 

「エクセレン少尉?」

 

「誰が頼むか、あんな奴。リョウトだよ」

 

 そっか……と、アイビスは目を閉じた。

 

 そのまましばしの沈黙があった。そろそろお暇しようかとマサキが別れの言葉を考えた矢先、初めてアイビスの方から「ねえ」と声がかかった。

 

「怒ってる、よね?」

 

「誰が?」

 

 真顔で問い返すマサキに、アイビスはまたもや毛布を引き上げた。顔が完全に隠れてしまった。

 

「おい」

 

「やっぱり、怒ってる」

 

「なに言ってんだ。ん? 俺がか?」

 

「ごめん、あたし、ごめん、あの時はどうかしてて……」

 

 すっかり毛布に引き蘢ってしまったアイビスに、ようやくマサキは不時着したあとのことを言っているのだと察した。

 

「なんだ、お前ちゃんと覚えてるのか。朦朧としてたし、忘れてるかと思ったぜ」

 

「……」

 

 アイビスは出てこない。

 

「別に怒ってなんざいねえよ。人間、本当にギリギリまで死にかければ、ちょっとばかりおかしくもなるさ」

 

 アイビスは出てこない。

 

「俺にだって、似たようなことはあったんだからな。だから怒ってねえ。おい聞いてるか?」

 

 依然、アイビスは出てこない。マサキは毛布を掴んで、アイビスの首もとまでぐいとずらした。

 

「ぅぁ……」

 

「バーカ。熱が籠るだろ、それじゃ」

 

 言う通り、アイビスの顔はますます赤みが増しており、「りんごかこいつは」とマサキが思うほどだった。

 

「どうも、本当に調子が悪そうだな。まぁ熱があるんじゃしかたねえ。とにかく、今は何も考えずに休め。それで復帰したあとは、ちゃんともっとしゃきっとしろよ」

 

「……」

 

「いいな?」

 

「……うん」

 

「よし。んじゃ俺は行くぜ。なんかあったら呼べよ」

 

 言って、マサキは踵を返した。

 

「マサキ」

 

 呼び止められたので足を止めて振り返ると、アイビスは横向きに寝返りをうって、真っ直ぐにマサキを見ていた。

 

「ありがとう。見舞いに来てくれて」

 

 そう言って微笑むアイビスの表情が、かつてシミュレーター訓練でキョウスケ達を打ち破った時のように、本当に嬉しそうに見えたので、マサキもまたにやりと笑ってみせた。手をひらひら振って、そのまま医務室を後にする。

 

 そのまま通路まで出た時に、マサキは言おうとしていたことを言い忘れたことに気づき、頭を掻いた。「怒ってる?」などというのは、彼自身がアイビスに訊きたかったことだったのだ。自分の判断のせいで、彼女は危機にさらされたのだから。

 

(まぁ次の機会でいいだろうし、本人が根に持ってないなら、そのまま触れずにおいてもいいな)

 

 身勝手を自覚しつつもマサキはそう判断し、報告書を片手に本来の目的地へと向かって行った。結局その本懐を遂げるのには、これより数時間も掛かってしまうのだが、それは全くの余談であった。

 

 

   Ⅳ

 

 

 翌日、調査隊によって基地内部の安全が確認され、ハガネ隊は正式にラングレー基地に停泊することとなった。設備類にも特に問題は見られないとのことで、今後のラングレー基地は人員だけをそっくり入れ替え、改めて地球軍側の拠点として運用されることなる。

 

 それに伴い、基地機能を回復させるべく連邦軍作戦本部から百人単位で人員が送り込まれる運びとなり、その出迎えと、彼らが到着するまでの基地防衛が今後のハガネ隊のしばらくの任務となる。やがては月攻略のため宇宙へ上がらなくてはならないが、少なくとも一週間程度はこの地に留まる予定となった。

 

 ラングレーに腰を下ろしたハガネ隊の第一のミッションは、基地攻略戦によって生じた自軍の損害を可及的速やかに補修することであった。基地内に残された物資の積み込みや、損傷した艦載機の修理のために、その日の早朝から格納庫は大わらわとなった。

 

 とりわけ機動兵器の損害は激しい。サイバスターとアステリオンは言うに及ばず、砲弾に対する盾の役目を果たしたジガンスクードやグルンガストといった特機タイプは軒並み半壊状態にあり、PTやAMにおいても被害は決してゼロではない。またパイロットにおいてもアイビスの他、ゼンガー・ゾンボルトやラミア・ラヴレスといった何人かの面々が重軽傷を負っていた。死者が出ていない事だけが不幸中の幸いである。

 

 総じて被害は大きく、戦闘続行不可とまではいかないが、ラングレー戦前の状態にまで回復するには少なくとも十日は要すると見られていた。

 

「幸いパーツが余っていたから、修理は十分可能よ。それより撃墜されておいてなんだけど、レコーダーを見た分にはかなりいい動きをしていたわ」

 

 格納庫で一角で、アイビスはツグミからアステリオンの修理具合について経過連絡を受けていた。ツグミは、ぴんと背筋は伸びているものの、どこか気怠げな様子であり、昨夜からアステリオンの修理にかかりきりだったのは明らかだった。もともとツグミはメカニックではないが、ハガネ隊の中でアステリオンに最も精通しているのは彼女であり、修理の手伝いにも自ら名乗り出ていた。テスラ研以来久方ぶりに見るツグミの目の下の濃い色合いに、アイビスは申し訳ない気持ちになった。

 

「それでも後が続かないのが問題よ。推進部に直撃した砲撃にしても、射角を見ると十分あなたの視界内だったはず。冷静に周りを見ていれば対処できたはずだわ」

 

 今も昔も、ツグミがアイビスを手放しで誉めたことは一度も無い。以前と比べれば遥かに飴の回数が増えたようにも思うが、それでもツグミは振るうべき鞭はきちんと振るう人物だった。

 

 しかし。

 

「は、はい。すみませんでした」

 

 しきりに謝罪を繰り返すアイビスに、ツグミの眉が怪訝そうに寄せられた。いつもと違い、アイビスの返答から誠意よりも、早く話を終わらせたがっている気配を強く感じ取ったのだ。これまでには見られなかったことだった。

 

 こうして格納庫にやってきているアイビスだったが、まだ医療班から出撃許可は出ていない。肉体面ではせいぜい軽い打ち身が見られる程度でほぼ無傷も同然なのだが、精神面でのダメージを危惧されての処置だった。

 

 マサキからの忠言もある。昨日、一人で立つこともできないほど疲弊していたアイビスに肩を貸しながら帰還してきた彼は、キョウスケと、医療班チーフと、そしてツグミの三名に対して簡単な口頭報告を行っていた。一連の経緯を伝えた後、最後にアイビスについて「撃墜されて軽く錯乱していた。よく見ておいてくれよ」と特に医師に対して念を押していた。

 

 その彼はいま格納庫の別の一角で、エクセレンとなにやら言い合っている最中だった。相変わらずエクセレンのからかいに真正直から反発しているらしく、ツグミがハガネ隊に入隊してからも幾度となく繰り返されている光景であったが、全く進歩が見られない。

 

 彼の戦士としての力量と未知の科学、そしてアイビスに対する指導力には敬意を表しても、ああいう子供っぽいところがツグミの趣味では無かった。アイビスも二人の声が気に障るのか、ツグミが言葉を発している間も、ちらちらと向こうを気にしていた。

 

(テスラ研では私がどんなにきついことを言っても、聞き流したりしないで真剣に聞いてくれてたのに)

 

 撃墜の影響で一時的に集中力に支障をきたしているとしても、戦争中である今ならばまだ良い。極端な話、今後しばらく出撃許可が降りなかったとしてもツグミからすればある意味で願ったり叶ったりであった。

 

 しかし、もしフリューゲルス小隊から外されるようなことがあれば、それはアイビスの成長にとって大きな痛手に思えた。なにより万が一、戦争終結後にプロジェクトへ復帰してからも何かしらの後遺症が残ってしまうようなら……。

 

 ツグミは頭を振った。どうにも思考が悪い方向へ先回りしてしまっていた。

 

「……もういいわ。とにかくあなたは休養に専念すること。今日はこれでおしまい」

 

「はい、わかりました。チーフ」

 

「あら、いまなんて?」

 

 ツグミがそう言うと、アイビスは落ち着かなさそうに体を揺すり、

 

「その……いろいろありがとう。ツグミ」

 

 そう言い直すアイビスの顔は、「人を和ませる笑顔の作り方」などという教本があれば表紙に採用されてもよいくらいだとツグミには思えた。抱える不安のすべてが、杞憂に見えてくる。そんな彼女の心境を、ひと際大きい怒声が台無しにした。

 

「やかましいんだよお前は。勝手に行けばいいだろ!」

 

「またまた、恥ずかしがらなくても良いってば。ちゃんと食堂まで連れてってあげるから」

 

「いらねえ世話だ。あっちにいけ」

 

「少尉、そんな言い方したら、誰だって気分よくないですよ」

 

「気にするなよマサキ。一緒に飯でも食おうって言ってるだけのつもりなんだ。少尉の場合」

 

 二人の言い合いに、いつのまにかクスハ・ミズハにブリットまでもが参加していた。

 

「とにかく、俺はまだサイバスターの調子を見なきゃなんねえんだ。とっととどっかに行け」

 

「意地張っちゃって。それじゃマーサ。迷ったらいつでもお姉さんを呼んでねえん」

 

「少尉ったら!」

 

 ようやく魔の手から解放されたマサキは、己の天敵について真剣に思考を巡らせた。お姉さんとやらを自称する女はあれで二人目だったが、どちらにしてもろくなものではなかった。

 

「年上の女と相性が良くないのか? 俺は」

 

「そうなの?」

 

 益体もない独り言に、求めてもいない応答が返り、マサキは首だけで後ろを向いた。そういやこいつも年上だったっけ、とマサキは早くも内心で前言を撤回した。

 

「よお、元気そうじゃねえか。もう大丈夫なのか」

 

「うん。御陰さまでもう平気。でもまだしばらくは休養だって。アステリオンも修理中だしね」

 

「そっか。ふぬけるなよ」

 

「うん」

 

「んじゃ、また後でな」

 

「どこいくの?」

 

「サイバスターの中だよ。まだちょっと機嫌が悪くてな」

 

 背を向けたまま「あばよ」と手を振って歩き出すマサキだったが、数分後、その手はサイバスターの内部で彼の額を支えるのに使われることとなった。

 

「わあ、なんだか不思議な空間。ここに手を置いて動かすの?」

 

「……ああ」

 

「思考制御なんだっけ。ねえ、あたしにも動かせるかな。やってみてもいい?」

 

 まるで童女のようにきらきらとした星空を瞳に浮かべ、アイビスはシートの後ろから顔を覗き込ませてきた。

 

「俺はこれから修復具合のチェックをしようとだな」

 

「ちょっとだけ。だめ?」

 

「……好きにしろぃ」

 

「ありがと。よいしょっと。あれ、ちっとも動かないや」

 

 言いながらアイビスはためつすがめつにコネクタに触れ回ってみるが、サイバスターは黙として語らない。その様子を横目にしながら、マサキは不審な思いを禁じ得なかった。「乗せて」と言って聞かなかった先ほどと良い、今と良い、今朝からのアイビスは妙に押しが強いというか、変にはしゃいでいるようだった。

 

「ねえ、ぜんぜん動かないよ」

 

「強く念じてみな。動けってな」

 

「ん……やっぱり動かない」

 

「んじゃ、やっぱり無理だな。最初からこいつは俺しか動かせねえようになってるんだ。そういや、いままで試した事なかったけど」

 

「そっか。パイロット登録してあるんだ」

 

「まぁ似たようなもんか」

 

 アイビスが視線で続きを求めて来たので、マサキは頭を掻き、ぽつぽつと言葉を紡いでいった。

 

「俺自身あんまり実感はねえんだが、こいつには意志があるんだそうだ。サイフィスって名前の、風の精霊が宿っていて、そいつが俺を操者と認めてくれたから、俺はこいつを動かせる。この関係は俺が死ぬまで続く。その間は、他の奴の操作は受け付けないのさ」

 

 アイビスは感心したように、瞳を瞬かせた。

 

「マサキって、本当におとぎ話の勇者だったんだ」

 

「そんな柄に見えるか?」

 

「うん」

 

 臆面もなく言い切られ、マサキは二の句を継げなかった。

 

「気を悪くした?」

 

「いや。ええい、近いんだよ」

 

「ごめん。でも意外と広いんだね。サイバスターのコクピットって」

 

「二人乗りじゃねえぞ。まったくいい歳してどいつもこいつも」

 

 ぶつくさ言いながらマサキは右手側のコネクタに手を乗せ、スクリーン上に機体状態を表すウィンドウを表示させた。映し出された文字は、アイビスにとって見たことも無いものだった。

 

「これ、何語?」

 

「日本語」

 

「うそだぁ」

 

「……そうか、お前には魔法が効いてないから。間違えた、ラ・ギアス語だよ。ち、やっぱ地上じゃ修復もとろいな」

 

 アイビスにとって、マサキの言葉は要領を得ないものばかりだったが、ひとまず作業の邪魔をしないよう黙っていることにした。空いている左手側のコネクタにもう一度手を乗せてみる。やはりうんともすんとも言わない。

 

(サイバスターには意志がある)

 

 マサキを認め、マサキを選び、それゆえにマサキの命しか受け付けない精霊の意志。それを聞くと好奇心で弄くり回そうとするのは良く無いことのように思え、アイビスは手を引っ込めた。ともすればこうしてコクピットにお邪魔していることも不敬に値するのではないか、と何とはなしに周囲を見回してしまう。

 

「どれ、ひとつ飛ばしてみるか」

 

「え、大丈夫なの?」

 

「最初からそのつもりで、ちゃんと申請してある」

 

 航行中と違い、停泊中ならばある程度自由に機体の出し入れができる。基地の設備を使って修理・調整を行うべく出払っている機体もあり、コンディション・チェックという名目ならば同様に許可を得るのも容易であった。それを証明するように、マサキがブリッジと連絡を取ると、幾つかのやり取りであっさり出撃許可が下りた。

 

「あたしも一緒でいいの?」

 

「いまさら何だよ。勘が鈍られても困るし、暇ならちょいと付き合え」

 

「あ、それ」

 

 少し前の、女子会の一幕をアイビスは思い出した。女性をデートに誘う時のマサキの言葉を予想して遊んでいたのだが、どうも見事に的を射てしまったらしい。

 

「なんだよ」

 

「ううん! なんでもない」

 

 そうアイビスは満面の笑みをこぼしたが、そのあと何かに気づいたようにふと顔を上げた。

 

(あれ? ということは……)

 

 そうして何かに思い至り、やがてアイビスは見るからに落ち着きをなくしていった。体の各所のポケットに次々と手を当てて何かを探しまわったかと思うと、今度は自分の髪やら裾やらをせわしなくいじくり始めた。

 

 マサキは妙な生き物を見るような目で、それを見ていた。

 

 

   Ⅴ

 

 

 碧空を、サイバスターが羽ばたいていた。

 

 電磁カタパルトにて射出された際も、その後スラスターを吹かせて雲の上まで高度を取ったときも、全くGを感じなかったことにアイビスは感嘆のため息をついた。以前に話を聞いたこともあり、またマサキがスーツは愚かハーネスすら付けずにいるので予想はついていたが、いざ身を以て体験してみるともはや言葉も出ない。一切の圧迫感なしにぐんぐんと高度を上げて行くスクリーンの景色に、アイビスは妖精かなにかに誑かされているような気さえしてきた。

 

 マサキはというと、シートの上でどこか面白く無さそうにコンソール画面を眺めていた。

 

「調子よくないの?」

 

「なーんか反応悪いんだよな。あと二日くらいかかるなこりゃ」

 

「あたしのアステリオンも、それくらいだって。お互い、しばらく休業だね」

 

「医者はなんつってたんだ?」

 

「出撃はまだ許してもらってないけど、とりあえず体に問題ないようなら明日からでも退院はオーケーだって。あとは様子を見ながらだってさ。マサキにも報告がいくんじゃないかな」

 

 要するに実機での出撃を除いて、通常業務に携われるということだった。そういう意味では、こうしてサイバスターに相乗りして外に出ることは、限りなく黒に近いグレー……というより正式な退院は明日であるのだから暦とした黒であるのだが、マサキはむろんのことアイビスも気にしている様子は無かった。妙なところで感化されているらしい。

 

 機体チェックはものの数分で済んでしまったが、すぐに帰還するのも何なので、マサキはしばらく気の向くままにサイバスターを飛び回らせることにした。もはや遊覧飛行と称して差し支えない、目的も目的地もなくただ飛ぶために飛ぶような時間となった。

 

 その間、アイビスとマサキはあれこれと世間話に興じていた。さしもの二人も、このような密閉空間に二人きりでいることは初めてであり、艦内ではなかなかできないような一歩踏み込んだ話に花が咲いた。

 

 マサキは、ハガネ隊の中でも気を置かずに付き合っている友人らのことを話した。彼らとの間で起こった幾つかの珍事件や馬鹿話を披露するとアイビスはからからと笑い、逆に気に入らない面々に対する愚痴や不満をマサキが言い出すと、アイビスは今度はくすくすと堪えるような笑みを零した。他人の悪口を言う時ですら、どこか清々しさや性根の真っ直ぐさを感じさせるのが、マサキという少年の長所だった。

 

 アイビスもまた女性陣の間で起こったエピソードのいくつかを結介し、とくにラトゥーニとマイのほのかな恋の鞘当てについてはマサキも驚きと共に関心を示した。またその鞘当ての対象であり、且つ全く自覚に欠けるリュウセイの朴念仁ぶりについては二人して大いに義憤を燃やした。

 

「二人の女の子にあれだけ想われて、知らん顔なんてひどいよね」

 

「まったくだ。男のすることじゃねえな。いや、にしても、そんなことになってるなんて全然気づかなかったぜ」

 

 ちなみにこの話はハガネ隊のパイロットであれば六割は耳にした事があり、残り四割は自ら気づくというくらいメジャーな話であったのだが、にも関わらず真顔で感心するマサキに対して、アイビスはなんとなくリュウセイに対するものと同質の不安を覚えたものだった。しかしそれはそれとして、次のシミュレーター訓練では重点的に奴を狙ってやろうとマサキが邪気たっぷりに提案すると、アイビスも笑いながらそれを承諾した。

 

 他にもアイビスが実はタスクなどに苦手意識を持っていることを思いきって告白すると、マサキはさもありなん、としたり顔で頷いた。彼にとっては特に仲のいい友人の一人でもあるのだが、それとこれとは話が別であるらしい。

 

「悪い人じゃないって分かってるよ? でもなんとなく距離が近くて。あたし男の人に近寄られるのって苦手だし、それで気後れしちゃうんだ」

 

「そいつで正解だぜ。なんか怪しい真似でもしたら、レオナにでもちくってやりゃあいいんだ」

 

「あは、分かってないね。女同士っていうのは、そういうところで気をつけなくちゃいけないんだよ」

 

「そうなのか。んじゃ俺に言え。色々と恨みもあるし、ひとつヤキを入れとくのも悪くねえ」

 

「まだ賭け事をやってるの? いい加減、懲りなよ。向いてないんだから」

 

「今更引き下がれるか。有り金尽きようが、なんとしても奴にほえ面かかせてやる」

 

「言っておくけど、あたしあんまり貯金ないよ」

 

「誰がたかるか!」

 

 二人の会話は実に和気藹々として、途切れることがなかった。

 

 

 やがてどちらからともなく話し疲れだし、言葉もなくとただ飛び続けるだけの時間が始まった。

 

 ああ、空だ。

 

 今更のように、アイビスは実感した。雲の上と星の下に広がる、風と空の世界。一切の生物を許容はしても招きはしないその領域にあって、彼と彼の機体はあまりに自然に、当たり前のように飛んでいる。

 

 それはえも言われぬ感覚だった。アステリオンと同じく完全な密閉空間であり、アステリオン以上に慣性制御が効いているはずのコクピットの中で、アイビスは確かに空と、そして風を感じることができた。むろん外の風を感じているわけではない。しかし空調の風でもない。もっと大きく、深く、暖かな、柔らかい風のそよぎのようなものがアイビスを肌を包んで行く。それは本当に不思議な、魔法のような感覚だった。まるで自らもまた風となって、空に混じっていくかのような。

 

(マサキはいつもこうやって飛んでるんだ……)

 

 互いの機体と、互いのことを知れ。

 

 カイ・キタムラの言葉をアイビスは思い出し、大いなる実感と共にその言葉を噛み締めた。いつか再び二人で出撃するとき、このときの感覚を思い出せば、これまでとはまた少し違ったふうに少年と翼を重ねられるような気がした。

 

 そう、いつか再び出撃するときに……。

 

「……?」

 

 アイビスは、ふと違和感に気づいた。なにか震えるような振動を右手に感じた。携帯端末でも持っていただろうかと何気なく右手を確認して、そして愕然とした。

 

「? ?」

 

 何も持ってはいない。ただ右手だけがあり、そしてその右手が勝手に震えている。アレルギーのように手の甲一帯に鳥肌を立て、アイビスの意志とは無関係に、全くもって、真実独りでに、ぶるぶると何かに怯えきったように震え続けていた。

 

(なにこれ……)

 

 右手の異変を皮切りに、それは左手、両足にまで伝染し、すぐにアイビスは立っていられなくなった。膝から崩れ落ちそうになるところを、シートの背もたれにしがみついてなんとか堪える。 

 

「どうした? 転んだのか?」

 

 前を向いたままの、マサキの呑気な問いかけに応える暇もなく、突然として反乱を起こし始めた己の肉体にアイビスは混乱した。

 

(なに? なになに、どうなってるの? やめてよ、マサキの前で……)

 

 精神と肉体が乖離していた。しかしそれは初めだけで、やがてアイビスは、すとんと何かが胸に落ちたように、自分の肉体が何に怯えているのかを理解した。本当に突然に、霧が晴れたかのようにその理解はやってきた。

 

 ――穴が空いている。

 

 

「……」

 

「アイビス?」

 

「…………っ」

 

「おい、どうした!」

 

 シートの後ろの異変に、ようやくマサキは気づいた。立ち上がって振り向くと、アイビスはすっかり色を失い、病的なほど青ざめていた。目は茫洋と霞み、懸命に何かを堪えるように唇を噛み締めている。

 

「アイビス、アイビスどうした!」

 

 慌ててマサキはアイビスの両肩を掴んだ。コネクタを手放しても、サイバスターは依然として高度を維持し続けたが、そのようなことに感銘を受ける者はもはやこの場にはいない。

 

「おい、おい!」

 

「穴が……」

 

「なに?」

 

「穴が……空いてる……」

 

 昨日に、死に瀕したあのときに観たのと同じ穴だった。自分を吸い込もうとするあの穴だった。アイビスの両の瞳は今も、目の前にいるマサキを確かに捉えている。しかしそれとは別の第三の眼が、真っ暗闇の中で自分を挟み撃ちにするシルベルヴィントの凶相と深く大きな穴を捉えていた。

 

 やがてアイビスは、両の目で見るものと第三の目で見るもの、そのどちらが幻なのか分からなくなっていった。まるで目眩のように、目の前のマサキの顔がぼやけ、螺旋状にねじ曲がっていく。顔中から血の気が失せる。意識が遠くなる。全てが、一緒くたになって背後に吸い上げられていく。

 

 そうして、アイビスは落下していった。シルベルヴィントの魔眼に追いやられるように、はるか後方のあの穴に落ちて行く。アステリオンが翼を失った、あのときのように。

 

「ちがう……ちがう……」

 

 アイビスは呻いた。

 

 幻だ。幻のはずだ。こんなことが現実に有り得るはずがない。しかし確かな事実として、その非現実に、アイビスの体感覚は根こそぎ汚染されていた。そこから逃れる術がどこにも見当たらなかった。いつだって自分を守り、助けてくれた彼の姿がもはやどこにも見えなかった。

 

「あ……う……」

 

「おい、アイビス、しっかりしろ。どうしたんだ。穴ってなんだ!」

 

「あたし……マサキ……どこ……?」

 

「ここだよ、目の前だ! おい、よく見ろ! 穴なんかねえ。そんなもんここにはねえんだ。おい、俺を見ろ!」

 

「マサ……キィ……」

 

 アイビスがマサキの目を見た。マサキも同様にアイビスの目を見た。痛ましいほど逼迫した光をたたえたそれは、こうして目を合わせているというのに、まるでマサキを見ているようには見えなかった。なにか遠くを、マサキを突き抜けてはるか遠くを見つめ、あまりに痛ましい、病んでいるとさえ言えるほど、ぞっとするような不吉な輝きを潜めていた。

 

 アイビスの両手が、震えながらもマサキの二の腕に触れた。昨日の一幕を忠実に再現するかのように、それは肩をたどりマサキの背中まで回された。そして、小さな小さな引力が。

 

「……!」

 

 マサキは遮二無二アイビスを抱き寄せた。力ずくで震えを止めてやると、力任せに抱きしめた。それでもアイビスは、凍えるように震え続けた。

 

 そんなアイビスを抱き寄せながら、マサキもまた恐れおののき始めた。今にして、気づいたのだ。あのとき、無惨に破壊されたのはアステリオンだけではなかった。あの時、アイビスの中の何かも、掛け替えの無い何かも共に破壊されていて、そしてそれは未だ散らばったままだった。

 

 癒えてなどいなかった。

 

 何一つ、癒えてなどいなかったのだ。

 

 

 

 


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