アイビス×マサキ(スパロボOG)   作:マナティ

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第六章:最後の羽休め

 

 

   Ⅰ

 

 

「アイビス・ダグラス。着艦します」

 

「了解。着艦どうぞ」

 

 オペレーターの指示に従い、アイビスはゆっくりとスロットルを操作して、アステリオンをハガネの後部ハッチに接近させた。

 

 機動兵器の運用において、空中着艦は一、二を争う難易度を有する。戦艦との衝突を避けるべく、着艦前の機体は当然ながら限界近くまで低速を保たなくてはならないのだが、こちらもまた当然なことに速度が下がれば下がるほど機体の姿勢というものは大気の逆風に煽られ不安定になっていく。パイロットはそんな微妙な天秤のつり合いを維持させながら狭い出入り口を通り、戦艦内部まで機体を運び入れなくてはならない。熟練のパイロットですら相応の緊張を要する作業であり、機械による自動化がある程度まで進んだ昨今でも、事故発生率は決してゼロではない。

 

 なんとかミスも衝突もなくハッチを潜り、薄暗い艦内滑走路にアステリオンを着陸させると、アイビスは小さく息をついた。ここまでくれば、あとは設備が自動的にアステリオンを固定し、格納庫まで移送してくれる。しかしアイビスの表情は依然として硬く、焦燥感に煽られるように膝を小刻みに揺らしていた。

 

(遅いよ。早くして!)

 

 レールに乗って格納庫の定位置に到着すると、アイビスは待ちかねたように勢いよくコクピットを飛び出した。地上に降りきるより数メートル手前でリフトロープより飛び降り、何事かと目を丸くする整備員を尻目に格納庫の一角をめざして一目散に走りだす。

 

 取る物もとりあえず彼女が駆けつけた先には、剣と翼を持つ銀巨人がそびえ立っていた。三層一対の翼、猛禽の爪、銀の鎧。もはや言うまでもなき風の魔装機神である。

 

「おーい!」

 

 その足下で、ツナギに身を包んだ壮年の整備員が大きく声を張り上げていた。

 

「おおい坊主! 返事をしろ。やられちまったのか?」

 

「誰がやられたって? 擦っただけだ!」

 

「直せんのか? 俺たちじゃそいつには手が出せねえぞ!」

 

「いらねえ世話だ。これくらいで修理なんざ!」 

 

 サイバスターの肩の上で、マサキ・アンドーは憤懣やるかたない様子で豪語した。今回の出撃でわずかながらも不覚を取ってしまったことで、気が立っているらしい。

 

 サイバスターの左肩に見られる損傷はさほど大きいものではなかったが、機体色の関係もあって遠目でも良く目立った。機能に支障はないが、装甲が一部破損して内部機構が露出してしまっており、マサキがいまサイバスターの肩に登っているのも、その具合を確認するためである。

 

「マサキ!」

 

 そんな悲鳴じみた呼びかけに、マサキは目線を少し横にずらした。

 

「アイビスか。お疲れだったな」

 

「ねえ、大丈夫なの? 怪我は!」

 

「お前までなんだ。あんなんで俺がやられるか!」

 

 ひとしきり地団駄を踏んだマサキが、その場からサイバスターの胸元のタラップまで一気に飛び降りると、アイビスは思わず息を呑んだ。危惧に反してマサキはあっさりと着地し、そのまま軽快に階段を踏み鳴らしながら地上まで降りて来た。

 

「ほい、お疲れさん」

 

「脅かさないでよ。危ないじゃないか!」

 

 たまらず、アイビスは声を荒げた。彼女も他人の事は言えないのだが、幸か不幸かそれを指摘できる者はこの場にいなかった。

 

「んな怒鳴るこたねえだろ。ガキじゃねえんだ」

 

「こっちの身にもなってよ。それで怪我は?」

 

「ご覧の通りだよ。ピンピンしてるぜ」

 

 面白くなさそうに言うマサキに、今度こそ全ての懸念が消え去ってアイビスは大きく息をついた。

 

「ごめん、怒鳴っちゃって。あと、その、助けてくれてありがとう」

 

「礼なんざいらねえよ。仕事だ仕事」

 

「仕事って……」

 ぶっきらぼうな物言いに、アイビスは深く落ち込み……はしなかった。替わりに不機嫌さをあらわにしてさっと踵を返してしまい、マサキは意表を突かれた。

 

「では隊長。報告書、きちんと時間までに仕上げておいてくださいね。あと全体デブリーフィングもお一人でどうぞ。隊長の仕事だそうですから」

 

「な、なに?」

 

「フリューゲルス・ツー、休憩に入ります」

 

「てめえ、汚えぞ」

 

「知ーらない」

 

 しらじらしく歩き出そうとしたアイビスの後ろ襟を、マサキは慌てて掴んだ。予想していたアイビスはさしてつんのめりもしない。ちらりと後ろを振り返り少年の表情を確認すると、己の勝利を認めてアイビスは満足げな笑みを浮かべた。憮然とするマサキに、アイビスはもう一度同じ言葉を告げる。

 

「助けてくれてありがとう」

 

「水臭えこと言ってんじゃねえ」

 

 不本意そうではあるものの、マサキも今度は素直に応じた。

 

「お礼にお仕事手伝うよ」 

 

「本当だな。逃げるなよ」

 

「逃げないよ。そうそう、あとこれ」

 

 アイビスが手の平をひらひらとさせると、マサキは掴んでいた襟首を放し、そのまま舞い踊る手の平を撃ち落とすようにはたいた。

 

「お疲れさん。いい根性してきたな、おまえ」

 

「でないと誰かさんの部下は勤まらないからね」

 

 どこか大事そうに自分の手の平を撫でながら、アイビスはそう嘯いてみせた。

 

 その後もあれこれと言い合いながら、二人は連れ立って歩き去って行く。少し離れたところから一連のやり取りを眺めていた先ほどの整備士は、二人を見送ったあともしばし考える顔つきでいたが、やおらひょいと肩をすくめて自分の仕事へ戻った。

 

「なんだ、ありゃ」

 

 そう一言だけ残して。

 

 

   Ⅱ

 

 

「次に、フリューゲルス小隊」

 

「はい」

 

 若き戦闘司令官の求めに応じ、フリューゲルス小隊々員は即座に立ち上がった。戦闘後恒例の全体デブリーフィングである。ちょっとしたホールほどの広さもある作戦室で、普段ヒリュウ改の方に籍を置いている面々も集い、今回の戦闘結果と被害状況を確認し合っていた。

 

「被害報告。一番機サイバスター、左肩部に軽損傷1。脱落なし、その他機能不全なし。一時間ほどで修復完了の見込み。二番機アステリオンは損傷無し。同じく一時間ほどで弾薬補給完了の見込み。またパイロット、両名とも負傷無し。総じて損害レベルはCプラス。リカバリーまでおよそ80分」

 

「ご苦労、座ってよし」

 

「はい」

 

 折り目正しく、アイビスは着席した。中々に堂に入っており、明らかな慣れを感じさせる佇まいである。本来この役目は小隊長が担うべきなのだが、当の小隊長はというと隣の席で頬杖をつき、明後日の方向を見ながらひたすらぼんやりとしていた。いつ眠りの国へ旅立って行ってもおかしくない雰囲気であり、その瞬間を逃さぬようアイビスは横目でこまめに監視していた。

 

「次、ゴースト小隊」

 

「うむ。一番機ゲシュペンストMk-Ⅱ、右脚部に軽損傷1。機能不全なし。修復まで一時間。二番機アンジュルグ、ウィングユニットに軽損傷1。左腕部に中損傷1で、肘より脱落。応急処置完了まで二時間。完全修復まで半日。三番機ビルトラプターは……」

 

 淡々と資料を読み上げるカイ・キタムラの、低く落ち着いた声音がじんわりと部屋の中に染み渡っていく。その耳心地の良さに危機感を覚えてアイビスが視線を動かすと、案の定彼女の小隊長は、いつのまにかすっかり目蓋を閉じてしまっていた。

 

 まずい、とアイビスは思った。

 

「次、オクト小隊」

 

「一番機、右腕部に中損傷1。手首関節と、ステークに動作不良あり。修復まで間接部分は一時間、ステークは二時間弱の見込み。二番機ゲシュペンストMk-Ⅱ・ラッセル機機、損傷無し。ただし……」

 

 周囲に気付かれぬよう、アイビスはそっと左腕を伸ばし、マサキの太腿をつついた。反応無し。次に軽く足を揺する。これもまた反応無し。どころかそうしている間にもマサキの肩は段々と沈んでいき、本格的に居眠りの体勢に入ろうとしている。いよいよまずい。

 

「次、SRXチーム」

 

「一番機R-1。右脚部に軽損傷1。単体では機能不全無し。ただし装甲が一部隆起しており、合体シークエンスの際、R-2側と干渉を起こす恐れ有り。修復まで三時間。二番機R-2は……」

 

 アイビスは意を決して、マサキの脇腹へと指を伸ばした。強く、しかし強すぎないよう微妙な力加減でつねり上げる。疲れているのに、ごめん……などと胸の内で思うアイビスは殊勝にはちがいないが、いささか身内びいきが過ぎるとも言えるだろう。

 

 作戦は成功し、小さくくぐもったような少年の悲鳴は、幸い報告の声に紛れてさほど響かなかった。

 

「……総じて部隊の損害は極めて軽微と判断できる。まず上々の結果と言えるだろう。あれだけの戦力を相手によくやってくれた」

 

 果たしてそんなやり取りを知ってか知らずか、全小隊から報告を受け取り終えたキョウスケが、堅苦しく総括を述べた。

 

「では次に今回の戦闘のおさらいに入る。スクリーンを見てくれ。マッコーネル基地の守備隊は、皆も体験した通り山岳地帯をフルに生かした布陣を形成していた。これに対して我々はオクト小隊を先頭に一点突破を図ったわけだが、まず一つ目の誤算として……」

 

 

   Ⅲ

 

 

 ヴィガジとの戦いから二日間が経過していた。

 

 半ば異星人の前線基地と化していたテスラ研を奪還したことで、コロラド州は地球連邦軍の勢力下に組み込まれたと言って良い。しかしながら、当座の目標であるラングレー基地までの道のりはいまだ険しい。

 

 広大なアメリカ大陸といえど、コロラド州からラングレー基地まで物理的な距離でいえばさほどのものではない。通常の旅客機でも、ほんの三時間足らずの旅路となるだろう。しかし現在その路はすべからく敵の勢力圏内であり、下手に敵陣中枢へ直行しようものなら即座に包囲殲滅の憂き目に遭うのは目に見えている。結局のところ地道に一つずつ外縁を攻略していくしかなく、今回の出撃もまたその一環としてのものだった。

 

 カンザス州の軍事的中枢たるマッコーネル基地は、本来であれば地球連邦軍の拠点であるはずだったが、例によってこれまで異星人に占拠されていた場所だった。その奪還のために、今日の早朝、日の出と共に出撃が行われた。部隊を二つに分けた先の戦闘とはちがい、今度は持てる戦力を一斉に投入したこともあって作戦は滞りなく進み、無事ハガネ隊の勝利に終わった。

 

 しかし異星人の戦力の前に、ハガネ隊とて全くの無傷では済まず、死傷者こそ出ていないものの幾つかの機体は大なり小なりの損傷を被った。サイバスターもその内の一つであり、敵ミサイルからの猛追を受けていた僚機を庇うべく、自らその間に飛び込んで行き、結果、左肩部にダメージを負っていた。とはいえ「かすり傷」と称したマサキの言葉に誇張は無く、自己修復に任せていれば一時間ほどで快復するはずであった。

 

 カンザスのマッコーネル基地。その二日前にコロラドのテスラ研。遅々とした進軍ではあったが、実のところ全体のスケジュールとしてはほぼ予定通りにことは進んでいた。当然ながらラングレー攻略に参加しているのはハガネ隊だけではなく、他の連邦軍部隊も別の方角から同じように中途の地域を制圧しつつラングレーへ向けて歩みを進めている。このまま順調に進めば、一週間後にはラングレーを中心とした連邦軍の一大包囲網が完成する見込みであった。

 

 決戦の日は近い。

 

 しかしそんな中でも、人の営みは変わらない。眠気をこらえて起床し、食事をとり、仕事に向かい、他人と接し、時に笑い時に怒り、そして明日を思いつつ眠りにつく。人である限りこのサイクルからは逃れられず、また逃れるべきでもない。

 

 とりわけハガネ隊のパイロット達には、どれほどの激戦のさなかにあっても日々の楽しみを謳歌しようとする傾向が強く見られる。ある者はそれを緊張感に欠けると言い、またある者は緊張感を飲み込む度量があると評する。

 

 この場合はどちらなのだろうとアイビスは考える。

 

 戦闘後ということもあり、デブリーフィングを終えたパイロット達は終日休息となった。みな疲れていないはずはなく、事実まっすぐに自室へ帰っていった者も多いのだが、それでも決して少なくない人数がこぞってラウンジに集い、思い思いの娯楽にいそしみ始めた。

 

 ラウンジの一角にて、パチンと何かを打擲するような硬い音が響いた。

 

「王手」

 

「む」

 

 盤上の戦況に、ゼンガー・ゾンボルトは眉間の皺を深くした。ドイツ人でありながら和の文化に傾倒する彼は、日本式の将棋にも嗜みを持つ。ただハガネ隊ではチェス派が主流であり、腕前を競える相手が中々見当たらずにいたのだが、このたび思っても見なかった強敵を得ていた。

 

「どうする? 待つ?」

 

「……無用だ」

 

「じゃ、あたしの勝ちね。詰みだもの」

 

「む……う……」

 

「諦めろ。本当に詰みだ」

 

「ショーギには詳しくないが、私でもチェックメイトと分かるぞ」

 

 唸るゼンガーと、しきりに感心するカイ、レーツェルの前で、対戦者は得意そうに尾を振った。それは比喩でもなんでもなく、実際彼女は立派な長い尾を持つのだ。やがてゼンガーは身を正して、頭を下げた。

 

「参った。外見に似合わず、なんとも老獪な打ち方だった。完敗だ」

 

「いえいえ、それほどでも」

 

「できればもう一局、お願いしたい」

 

 黒猫の姿をした使い魔クロはにこやかな顔で前足を伸ばし、器用に駒を初期配置に戻して行った。

 

 一方、別のテーブルでは五、六人の女性が集い、なにかを取り囲みながら口々に黄色い悲鳴を挙げていた。

 

「ねえねえ、私にも抱かせて」

 

「次は私だってば」

 

「あー、かわいー。肉球ー。癒されるー」

 

「オイオイ勘弁してくれニャ。オイラの体は一つしかニャいんだぜ」

 

 リオ・メイロン、クスハ・ミズハ、マイ・コバヤシにラトゥーニ・スゥボータ。アヅキ・サワ。他幾人もの女性陣の腕やら胸やらの感触を代わる代わるに堪能して、使い魔シロはオスとして心底勝ち誇ったような笑顔を浮かべていた。タスクを始めとする何人かの男たちの恨めしそうな視線がまた心地良い。クスハの胸を枕にしながら、シロはそんな男達の方をちらりと一瞥し、

 

「極楽だニャー」

 

 ぷふーと鼻を鳴らした。指を銜えて見ていたタスクは、そのまま親指の爪を噛みちぎりたい衝動に駆られた。

 

 して彼らの主はというと。

 

「おい。ハートの3を止めてるのはどこのどいつだ?」

 

 お前か? と言わんばかり睨みつけられアイビスは慌てて首を振った。

 

「だめよマーサ。こういうのはフェアにやらないと」

 

 エクセレン、スペードの3。

 

「脅し、イカサマは即退場だ。そろそろ懐も厳しいんじゃないのか?」

 

 キョウスケ、スペードの2。

 

「日頃、タスクにかもられてるんだろ? 止めときゃいいのに」

 

 リュウセイ、クローバーの9。

 

「マサキ、ギャンブルが好きなの?」

 

「こいつのは単なる負けず嫌いだ」

 

「しかも妙にリッチだから、懲りずにふっかけてくるのよね。鴨がネギ背負って、土鍋を銜えてるって感じ?」

 

「そういやお前どうやって稼いでるんだ? 給料なんて出てないだろ?」

 

 心当たりのあるアイビスは、ふと笑いをかみ殺した。

 

「やかましいんだよ、お前ら。パスだパス!」

 

 マサキ、パス2。ちなみにパスは3度までとされている。

 

 順番が回って来たアイビスは場のカードと手札、それからマサキの様子を見比べてしばし黙考し、一枚のカードを選んだ。ダイアの11。

 

「よくやった!」

 

 打って変わって喜色満面のマサキに、だから勝てないんだろうなぁとアイビスはついつい微笑んでしまう。

 

 通しもイカサマの一種なのだが、とキョウスケは思ったものだが、麻雀でもないのだ、今回は不問とした。

 

「だははは。こうなりゃこっちのもんだ。待ってろアイビス。賭博ジャンキーどもの尻の毛までひんむいたら、メシの一つでも奢ってやるからな」

 

「うん、楽しみにしてる」

 

 使い魔は主の無意識を切り取って生まれてくる、とアイビスは以前に聞いた事があったが、だとすればクロとシロは、彼の無意識に眠っていた狡猾な面や享楽的な面、なにより要領の良さを切り取って生まれて来てしまったのだろうか。

 

「きたきたきたきた。残り一枚!」

 

「聞いた? 残り一枚ですって」

 

「ハートの2だな」

 

「ハートの2だよなあ」

 

「て、てめえら……!」

 

 ようやくマサキは己の不覚を悟り、言葉を失った。

 

 そんな不甲斐ない小隊長の姿を見て、使い魔の解釈として正しいかは分からないが、それでもあの二匹の使い魔に……とりわけシロに対して、アイビスはなんとなく感謝する気持ちになった。なんでもかんでも小器用に賢くこなし、あまつさえ両手両足に美女を侍らせてニヤニヤと笑うマサキなど、アイビスは想像したくもなかった。

 

 

   Ⅳ

 

 

 夜も更けて、ハガネの屋外デッキまで足を運んだアイビスは、全天に星降るアメリカの夜空を見上げた。飛行中の際は立ち入り禁止となる区画でも、現在ハガネは補給部隊の到着を待つべくマッコーネル基地にて待機中であるため、咎めを受けることはなかった。

 

 寒風に吹かれる夜の山々が、遠くでさんさんと静かに木々を揺らしていた。ときおりそれに紛れて、笛のように甲高い風の音がアイビスの耳のあたりを通り過ぎて行く。

 

「さむい」

 

 冷気が鼻に合わず、アイビスは下品でない程度に口を開けた。呼気が白い霞になって、彼女の口元から鼻先にかけてを僅かに暖める。

 

「やっぱり冷えるね」

 

「だから言ったろ」

 

 マサキは両手をポケットに突っ込んで、せわしなく身を震わせながら、うろうろとデッキを歩き回っていた。動いていないと、凍えてしまいそうなのだ。夜風に当たりにいこうと言い出したのはアイビスで、彼は嫌そうな顔をしつつもここまで付いて来ていた。結局カードで大敗を喫したことも、不機嫌に拍車をかけている。

 

 アイビスは手すりを掴み、それを支えにゆっくりと背中側に体重を移していった。体ごと星空を見上げようとしているのだろう、そのまま逆上がりまでしてしまうのではと、後ろから見ていたマサキは不安になった。

 

「きれいな星空。あの向こうに行きたいな」

 

 アイビスにとって、それは己の芯ともなる言霊だった。幼少の時分は恵まれない生活からの逃避願望に過ぎなかったものが、言い続けていくうちに鍛鉄され、精錬され、やがて目に見えない鋼の芯となり、彼女自身の体と生き方ををまっすぐ貫くようになっていた。

 

「今頃はサンタクロースが、おもちゃの買い出しに必死だろ。手伝いに駆り出されるんじゃねえか?」

 

「ああ、そういえばクリスマスが近いね」

 

「女はそういうのが好きなんじゃないのか?」

 

「あたしはあまり。でもケーキは好きだな」

 

 クリスマスは聖夜とも換言される。しかしアイビスにとって、夜とは常に聖なるものだった。昼空の青と夕空の赤は、どちらも同じく太陽の光の色である。だからアイビスは太陽が隠れた夜の空こそ、神が創りたもうた本当の空の色だと考えていた。つまり、宇宙の色こそが。

 

「今更だけどよ」

 

 アイビスの隣に来て、マサキもまた手すりに寄っかかった。

 

「お前、艦を降りなくて良かったのか?」

 

「降りる?」

 

 アイビスにとっては思っても見ないことだった。

 

「せっかく研究所を取り戻したんだ。そういう選択肢だってあっただろ」

 

「でも、徴兵中だし」

 

「主張すりゃ、艦長達も無下にはしねえさ。お前が軍人じゃないのは分かりきってるからな。まぁ、それでもこのご時世だ。叶うかどうかは別だけど、言うだけでもしとくべきだったんじゃないのか? お前が自分で決めればいいやと思って、黙ってたんだけどよ」

 

 突然の事に、アイビスの思考はいくらかの混乱を見た。研究所を奪い返すために、これまで彼女は戦って来た。奪い返し終えたのなら、戦いをやめる。整然とした論理ではあった。ならばなぜ、自分はそれを思いつきもしなかったのだろう。

 

「……降りたくない」

 

「なに?」

 

「『降りたくない』。そう思っている」

 

 感じるままを、アイビスは言った。

 

「急だから、きちんと整理できないけど、いまあたしは確かにそう思ってる」

 

「言っておくけど、小隊のことなんざ気にするなよ。俺は一人でも問題ねえんだ」

 

 愛想なく、マサキは言った。アイビスとて自分という存在がどうしても彼に必要だとは考えていなかった。小隊はおろかハガネ隊そのものが解散しようが、マサキ・アンドーは変わらずに戦い続けるのだろう。もともと彼は一人で戦うために、一人で異世界よりやってきたのだから。

 

 ではなぜ自分は降りたくないと感じているのか、しばしアイビスは答えあぐねた。動機を言葉にするのは簡単なことではない。思いというものは元来言葉ではないからだ。

 

「ハガネ隊は……とても、不思議なところだと思う」

 

 慎重に一言ずつ、自らの気持ちを確かめるようにアイビスは言葉を紡いでいった。

 

「本当を言うと、最初は軍艦だってことで少し毛嫌いしてたんだ。ハガネだけじゃなく、パイロットの皆や機体のことも。でもこうして一緒に生活をして、訓練をして、背中を預けて戦って、その中で色々なものを受け取ってきたような気がする。上手く言えないけど、勇気とか、強さとか、そういう前に進む力のようなものを」

 

「……」

 

「ここに来た事で、あたしの中が、何から何まで変わったんだ。本当に、天地がひっくり返ったみたいに。だからあたしは、少しでも長くここにいたい。いればいるほど、あたしは強くなれる気がする」

 

 そういうアイビスの気持ちが、マサキは分からないでもなかった。戦友というものの有り難さを彼はよく知っており、しかしそれが決して永遠ではないこともまたよく知っていた。

 

「戦いを続ければ、誰だって強くなる。だからお前も強くなったし、これからもきっと強くなっていく。けど、それと同じくらい誰だろうと死ぬときは死んでいく。殺しても死にそうにない奴ほど、あっさり死にやがる。夢を追うなら、降りるのが一番賢いと思うぜ」

 

 マサキの脳裏を、幾人かの面影が通り過ぎて行った。眼前でまざまざと死を見せつけられた者がいた。死に目をみとる事さえできなかった者もいた。今現在、生死不明な者までいる。

 

 それでもアイビスは首を振った。

 

「誰であろうと死んでしまう。そんな世の中を悲しいと思うから、マサキは頑張ってるんでしょう? 楽しい世の中を夢見て。あたしにも夢がある。夢のために、いまできることをしたい。星の海を往く事と、ハガネ隊の一員であることは、あたしの中で地続きなことなんだ。夢を忘れたわけじゃない。夢のためにこそ、あたしは戦いたいって思ってる」

 

 いま言えることを全て言い終え、アイビスが口をつぐんだ。理屈になっていないと、彼女自身にも分かっていた。

 

 そしてマサキも、実のところ理屈など求めていなかった。一つの選択があり、それが正しいのか誤っているのかなど、突き詰めれば誰にも判断付かないことだ。だからこそ、この世のあらゆる選択は本人の納得こそが一番大事なのだとマサキは考えていた。

 

 だからマサキは「なら、いいや」と思った。

 

 アイビスが、アイビスとして、あくまで艦を降りたくないというのなら、正誤や合理非合理など関係ないのだ。その意志を貫くことにはきっと意味がある。

 

「んじゃ、この話はこれでおしまいだ。しばらくの間だけど、これからも宜しくな」

 

 聞きたかった言葉を聞けて、アイビスは満ち足りたように瞳を閉じた。

 

「うん」

 

 

   Ⅴ

 

 

 どこか昂揚する気分のまま、アイビスは夢の話を始めていた。

 

「真っ暗な闇がまずあって、あたしがそこに浮かんでいるんだ。頭上も、足下も、背中にも前にも、何も無い。ただ星々が遠く散らばっている。小さくて細かな星の集まりは、一つ一つが混じり合って大きな河になっている。そこからあたしは遠くを目指すんだ。うんと遠く、光の速さで向かっても何年も掛かってしまうくらい遠くを」

 

「例のフレーズだな。星の海を往く、てやつ」

 

「そう。その星の海の奥深く、どこか一点を目指して往く。なにか用事があるわけじゃなくて、探し物があるわけでもなくて、ただ往きたいから往く。意味とか、そういうのはどうでもいいんだ」

 

「要は、散歩したいってことか」

 

 マサキの俗な物言いに、しかしアイビスは我が意を得たりと頷いた。

 

「そう、散歩をしたいの。地図に無い道を歩いて、知らない花を眺めて、なにも考えずに雲の一つをてくてくと追いかけて行く。あたしがしたいのって、結局そういうのなんだ」

 

「ほお」

 

 アイビスの隣で、少年もまた宇宙を見上げた。

 

「宇宙か……」

 

 相方を少しは見習おうと真摯に眺めてみるが、数秒ともたずいかにも興味なさげな形に目蓋が緩んでいく。

 

「そんないいもんかなあ」

 

「いいもんだよ。マサキは空の方が好き?」

 

「別に好きってわけじゃねえよ。宇宙にしろ空にしろ俺の場合、用があるから行くだけだ」

 

 少しばかりマサキは言葉を誤摩化した。敵が居るから、戦うために行く。そうここで口にするのは野暮な気がしていた。

 

「用が無いなら、家で昼寝でもしていてえな。真っ暗な宇宙で一人きりなんて、退屈そうだ」

 

「確かに端から見ると寂しいかもね。でもあたしには足りないものなんて思いつかないんだ」

 

「ならそれでいいんじゃねえか?」

 

「うん。あたしもそう思う」

 

 手すりの外を向き精一杯宇宙を見上げながら、アイビスはそっと横目でマサキの方を見た。手すりに背を預け、ぼんやりと足下を見下ろすマサキの姿は、さながらアイビスの鏡像のようだった。

 

 互いの体臭が微かに香るほどの距離にあっても、見つめる先は正反対。あるいはそれは、二人の生き方そのものを表しているように思えて、アイビスはなぜだろう、胸に小さな穴が空いたような感覚を覚えた。

 

「ねえ、戦争が終わったらマサキはどうするの」

 

 マサキはなんでもなさそうに答えた。

 

「異星人を片付けたら、俺はこの艦を降りるんだ。またシュウを追う。そして倒す。そいつがきっと、地上での俺の最後の戦いになる」

 

 シュウを倒す。アイビスが星の海のことを話すのと同じくらいの頻度、同じくらいの重々しさで、マサキは常々そう言って来た。彼がその名を口にする時、その言霊にいかなる思い、いかなる過去が宿っているのか、アイビスには掴みきれないことだった。マサキは多くを語らず、アイビスもまた尋ねなかった。

 

 いずれにせよ、自分と彼の行く先がまるで異なることをアイビスは改めて悟った。戦争が終わっても、彼はまた次の戦場に。自分はきっと戦いのない場所に。

 

 分かっていた事ではあったのだ。同じ空を駆ける者同士でも、アステリオンは火器を後付けした航宙機であり、サイバスターは翼を持った戦闘兵器である。似通った特性は、あくまで結果に過ぎない。分かりきっていたことではあるのだ。

 

 それでもアイビスはマシンではなく、そして生身の人間には、相反するからこそ、真逆であるからこそ、自分には無いものを持つ相手だからこそ芽生える想いというものが確かにあった。

 

「なら、あたしも戦うよ」

 

 決然と言った。シュウ・シラカワと戦う。言葉にするのも考えるのも今日が初めてではあったが、それは至極当然のことのようにアイビスには思えた。

 

「見つけたらあたしを呼んでよ。あたしも一緒に戦うから。たくさんたくさん助けてもらった分を、そのときにお返しするから」

 

「死ぬかもしれねえぞ。やめときな」

 

 それは存外真剣な口調で、異星人の大軍よりもシュウ・シラカワ一人をこそ少年は恐れているかのようだった。それでもアイビスは言を翻すわけにはいかなかった。決して親切心ではなく、それは、紛れも無い彼女自身の欲求なのだから。

 

「絶対やめない。なにがなんでも行くから。だって小隊でしょ。だからあたしも戦う」

 

「ハガネから降りれば、小隊だって解散だぜ」

 

「関係ないよ」

 

 そっぽを向くアイビスに、マサキは鼻の頭を小さく掻いた。

 

「そうかよ。んじゃお願いするかな」

 

「本当?」

 

「奴を見つけたら知らせるよ。頼りにしてるぜ」

 

「うん」

 

「そんでお前が来る前に、さくっと終わらせておいてやる」

 

「……もう」

 

 笑い声が夜に混じっていった。

 

 マサキはそうは言いつつも、念願の宿敵といざ対峙した時、本当に彼女を呼ぶのか、呼ぶべきなのか、このときは判断付かなかった。そのときに考えれば良いと、未来の自分に責任を放り投げる。

 

 戦いとはまるで関係ないところに心を置きながら、それでも戦おうとするアイビスの気持ちを、マサキははっきりと掴み取る事ができなかった。サイバスターは大きな翼と剣を持つが、どちらかを捨てなくてはならないとしたらマサキは剣を残す。そして隣の相方ならば、きっと逆の選択をするのだと弁えていた。

 

 自分と彼女は見ているものが違うという理解がある。彼にとって宇宙とは、墨を塗りたくり、宝石を散りばめたスクリーンのようなもので、目で楽しむことはできても、それ以上の欲求を掻き立てるものではなかった。

 

 それでも、たとえ見ているものが違っても、顔を少し横に向ければそこには一心に宇宙を見上げる彼女の横顔があり、柔らかくひたむきなそれを眺めていることはマサキにとって悪い気はしないことだった。

 

 夜風が肌寒いだろうに、アイビスのすっきりとした肢体は真っ直ぐに天頂を目指すようだった。肉体は地にあっても、その心は際限なく夜空へと立ち昇っているのだろう。地の下の世界に心を残すマサキとは対照的に。

 

 いずれ彼女は天へと旅立ち、マサキは地の下に帰る。彼女が夢見るものに、同じように夢を持つことができずとも、そんな彼女の姿を眺めることは、少年にとって、本当に悪い気はしないことだった。

 

 だからこそ、マサキは想像するのだ。

 

 かの群青色の魔人と差し向かいになり、剣を構え合った時、もしその隣に彼女の姿があれば。

 

 負けるつもりはない、しかし勝てるかどうかも確信が持てない最大の敵と戦うとき、もしも今と同じように、夢と希望に満ちた彼女の横顔があるのなら、それはきっと……。

 

「なあ」

 

「ん?」

 

 満天の星空の下で、二人は顔を向け合った。戦争という希有な時代、ハガネ隊という希有な場所だからこそ出会い得た、奇妙な二人。どこか似通い、どこか相反し、偶然と必然のまま命を託し合うようになった男と女。

 

 それぞれが見つめるそれぞれの姿は、風と夜の帳の中で一層暖かに、ぬくもるような輪郭を発していた。舞い踊る髪と瑞々しい肌が、暗がりの下でより鮮やかに映え、瞳にしみ込んで行くようだった。

 

 そんな二人の胸中に、一つの共通の認識がおぼろげに浮かんだ。互いにとってすでに明らかでも、それでも初めにそれを口にするのは、きっと男の役目なのだとマサキは感じた。

 

 マサキは言った。

 

「いい加減寒くねえか?」

 

「うん、寒い」

 

 

 そして、二人は艦内に戻っていった。

 

 ハガネ隊が誇る地球圏最速のエレメント、フリューゲルス小隊。そのささやかなミーティングを、星たちだけが見下ろしていた。

 

 この日は、新西暦187年11月19日。 

 

 年が明けるまで残すところ二ヶ月半。聖夜の訪れまでは約一ヶ月。

 

 加えて、ラングレー基地攻略まではあと一週間。

 

 そしてアイビスとマサキの信頼関係が頂点を極め、そして無に帰すまでも、やはり残すところ、あとおよそ一週間の頃であった。

 

 

 


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