アイビス×マサキ(スパロボOG)   作:マナティ

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第五章:彼ら、竜に翼を得たるが如く

 

 

   Ⅰ

 

 

 新西暦187年も、あと残すところ一ヶ月半となっていた。キリスト教圏の影響力はこの時代においても健在であり、地球圏でも多くの者が聖なる夜の訪れを何とはなしに楽しみにしていた。戦火の絶えない今という時代でも、せめてその日だけは。それは儚い願いだった。

 

「なら、マサキ君はどう?」

 

 そんな声が聞こえて、昔一度読んだきりのポーカーのルールブックを必死に思い出しながら、自分の手札の行く末に思い悩んでいたアイビスは、ふと顔を上げた。

 

「ほら、ぱっと見は二枚目だし。独立心と行動力はありすぎるくらいだし、結構頼もしいんじゃない?」

 

「マサキ君かぁ。あんまりクリスマスとか興味なさそう」

 

「そもそも彼にリードなんて任せてたら、あっと言う間に変なところに連れて行かれるでしょうね。ある意味、タスクより危険だわ」

 

「あ、なんだか目に浮かぶ。映画館とかデパートとか、そういうところに行こうって言ってて、本人も全くそのつもりなのに、気がつけば、その、変なところに着いちゃってて首を傾げてるの」

 

「悪気が無いのは分かってるから、文句も言えないわね。すごい、天然の策士!」

 

 どっと笑いが唱和した。

 

 姦しくあれこれと言い合うのは、順にリオ・メイロン、クスハ・ミズハ、レオナ・ガーシュタインの三名である。アイビスも加えてポーカー勝負の真っ最中のはずなのだが、アイビス以外はすでに手札を見てもいなかった。

 

 花を咲かせているのは、「クリスマスに一緒に過ごして楽しそうなのは誰か」という話題であり、それぞれの実際の意中の相手は一先ずさておき、ハガネ隊に所属するめぼしい男性を挙げては好き勝手に論評しているというわけである。場所はリオの部屋であり、男性陣の目の届かないところでやる分には罪の無い遊びと言えた。

 

「さて部下のアイビスさんとしては、この件についてどう思われます?」

 

 リオに悪戯っぽく水を向けられ、アイビスはうわずった声を出した。

 

「あ、あたし? あ、いや、そういうのはあんまり考えたこと無いや……」

 

「でも小隊としては本当に調子がいいですよね。私もこのまえブリット君と一緒にコテンパンにされちゃったし」

 

「私はその前日に不覚を取らされたわ。次は勝ちたいものね」

 

 次々と言われて畏まるしか無いアイビスだった。大体の場合、いつぞやのATXチーム戦と同様アイビスはサポートに徹しており、主に戦果を挙げるのはマサキの方なので胸を張る気にはなれない。

 

「んー、となるとクリスマスに二人でお出かけでもしたら、さっきの話の通りになるわね」

 

「で、出かけないよ」

 

「あら、誘われても? 隊長の命令が聞けないのかーって」

 

「リオさん。それパワハラ……」

 

「そういうタイプじゃないよ。どっちかっていうと、『俺に付いてこい!』みたいな……いや違うな。もうちょっとこう、素っ気ない感じで、『暇ならちょいと付き合え』とか……」

 

「結局、末路は同じね」

 

「でもマサキ君って、訓練のときはアイビスさんに親身になってると思いますけど……」

 

「うーん。優しいような、素っ気ないような……」

 

 なんだかんだでアイビスも話によく参加し、四人してすっかりポーカーのことは忘れ去り、話の流れはいよいよ奥深いところまで辿り着こうとしていた。

 

「やっぱりムードだと思うの。少女漫画の読み過ぎと馬鹿にされても、でも忘れてはいけないことってあると思うの。夜のクリスマス。聖なる夜。観覧車の頂上で二人は見つめ合い……」

 

「わ、わ、わ」

 

「……」

 

 リオの口上にクスハはあからさまに落ち着きをなくし、対照的にレオナは落ち着き払い、それでいて耳を真っ赤にしながら聞き入っていた。アイビスはというと、こちらは顔全体がすっかり真っ赤に染まってしまっている。

 

「男は女の目を見つめながら、やがて恋の詩を詠い始める。上邪。我欲与君相知、長命無絶衰……」

 

 気が昂じるままに吟じられる口上は、やがて国際色を帯びていき視聴者の理解を超え始めた。しかしこと色恋沙汰については万国共通の理解があり、雰囲気を察することは容易であった。

 

「そして二人は、そっと口づけ合う……」

 

 最後はあらゆる地域・民族に通じうる肉体言語によって話は締めくくられた。

 

 どこからともなく、ぱちぱちと拍手が湧く。

 

「キスかぁ……やっぱり良いんだろうなぁ。ねえ?」

 

 リオがなにやら気苦労をたたえて同意を求めてくると、アイビスは到底目を合わせられず、膝に顔を埋めた。

 

 説明するまでもなく、アイビスは今までそういったこととは縁遠く、口づけの経験もありはしない。元来奥手であり、加えて異性に対して警戒心を抱きがちな面もある。この場では口には出来ないが、例えばタスクやイルムのような距離感の近い手合いを、実のところアイビスは苦手に思っていた。

 

 ましてや自分が誰かと見つめ合いキスをするなどと、如何にも恐ろしく到底想像付かないことだった。しかしながら、だからこそ人一倍の憧れがアイビスの中に燦然と存在してもいた。

 

 何時とは言えないし、誰ととも言えないが、それでもいつかはきっと……。そんな浮ついた考えが、アイビスの胸に次々と去来していった。

 

「ねえ。アイビスはいいとして、どうしてクスハとレオナは目を反らすのかしら。ねえ、どういうことなの?」

 

 リオの言葉も耳に入らず、アイビスは己の膝の間でますます煩悶していった。

 

 ハガネ隊の、ちょっとした女子会の一幕だった。

 

 

   Ⅱ

 

 

 オペレーション・プランタジネット。

 

 その作戦要項が連邦軍の秘匿回線を通じて、全部隊に一斉送付された際、暗号通信の末尾にはこう付け加えられていた。

 

「各員、今年のクリスマスは諦めたし。その代わり、ニュー・イヤーは全ての憂いを取り去った清々しい気持ちで迎えようではないか」

 

 署名欄には達筆な筆記体で、連邦軍総司令官の名前が記されていた。その文言にある者は笑い、ある者は呆れ、ある者は身を引き締め、ある者は怒りを覚えた。現・総司令官のケネス・ギャレットはほんの数ヶ月前まで北米方面軍の司令官に過ぎなかった男だ。それが突然の「体制変更」により全軍総司令に一気に抜擢されたのだが、節度ある者なら誰もがそこに陰謀特有の、滲み出るようなきな臭さを感じ取っていた。

 

 プランタジネット作戦の目的は、地球圏からの異星人勢力の追放にある。つまりこの戦争を終結させるための最後の一手である。その内容は、大きく三つに分かれる。

 

 現在異星人部隊はホワイトスターを最終拠点とし、宇宙では月面都市を、地上ではアメリカ・ケンタッキー州のラングレー基地を足がかりに徐々に勢力範囲を拡大させている最中にある。プランタジネット作戦の第一目標は、このラングレー基地の奪還にある。

 

 敵の空間転移は往復が利かないことが既に判明しており、この基地を再制圧できれば異星人は地上における退路を失うことになる。他の州も異星人の手が及んでいないわけではないが、現状は点の支配に過ぎず新たな拠点とはなりえない。孤立した地上部隊が後にゲリラ化する恐れもあるが、それはもはや戦後処理の範疇と言えるだろう。

 

 いずれにせよラングレーを取り戻すことで地上から敵勢力は一掃され、舞台を宇宙に移すことができるようになる。

 

 第二目標は月の解放である。こちらはラングレー基地と異なり大部分が民間施設であるため、制圧そのものよりも民間人の救出・保護が最優先ミッションとなる。ゆえにこの局面においては機動兵器部隊はあくまで囮とサポート役にとどまり、潜入工作に長けた特殊陸兵部隊が主役を務めることとなる。数ヶ月前より既に入念なシミュレーション訓練を重ねており、仕上がりは上々であった。

 

 地上と宇宙、双方の拠点を奪った上でいよいよ総本山の攻略が始まる。オペレーション・プランタジネットにおける第三にして最大最後の目標は、敵本拠地たるホワイトスターの制圧である。

 

 まさしく正念場であり、最後の大詰めであった。この局面に至っては、敵部隊殲滅のみならず異星人幹部らの捕縛ないし確実な殺害もミッションに含まれる。地球連邦宇宙軍全艦隊、全機動兵器のみならず、戦略級MAPWの大規模投入も許可されており、いざとなればホワイトスターごと敵軍をまるごと消滅させるのも辞さない態勢で臨むことになる。

 

 これまで異星人への攻撃は各方面軍による散発的な反抗に終始していたが、このたびは地球連邦軍の全戦力を挙げての極めて組織立った一大反抗作戦となる。なかでも特記戦力たるハガネ隊は、三つのフェイズのいずれにおいても大役を担う予定であった。

 

 なお第一目標であるラングレー基地と同じアメリカ大陸には、プロフェクトTDが進められていたテスラ研究所コロラド支部も存在する。優先順位は落ちるもののその奪還もミッション内容に含まれており、少数精鋭の戦力を有することと、小笠原からラングレーへの進軍ルート上にあるため全体スケジュールへの影響を最小限に出来るということで、この任務もまたハガネ隊に下されることとなった。

 

 ダイテツ・ミナセ艦長よりパイロット各員へこのことが周知されたとき、この件に関わりの深い三者は三様の反応を見せた。

 

 もっとも顕著であったのはツグミ・タカクラであり、戦闘員ではない立場にいることが逆に重圧となったか、以降彼女の体調は次第に崩れだし、食欲減退、時折の目眩、そして軽度の不眠症などが症状として現れるようになった。典型的なストレスによる体調不良である。

 

「だらしないわね。私だってアストロノーツの訓練は一通り受けているのに」

 

 自室で寝込むツグミを、アイビスは訓練の合間に頻繁に見舞って励ました。

 

「大丈夫だよツグミ。ハガネ隊は誰にも負けない。絶対に作戦は成功するよ」

 

 しかしそういうアイビスとて、到底平静な気持ちではいられていない。握り合ったツグミとアイビスの手は、ごくごくわずかに震えていて、それはどちらか一方によるものではなかった。

 

「アイビス……」

 

「大丈夫。もう何度も実戦はこなしてきた。絶対に皆を助ける。やれる。やってみせるよ」

 

 ツグミを通して自分自身に言い聞かせるかのようなアイビスの様子に小さくない危うさを感じ取って、ツグミは彼女の頬に手を伸ばした。

 

「忘れないで、アイビス。今の貴方は一人じゃない。たった一人で頑張っていたプロジェクトTDのナンバー04はもういない。今の貴方はフリューゲルス・ツー。そのことを決して忘れないで」

 

 頬をなぞる優しい感触に戸惑いつつも、アイビスは頷いた。

 

「……うん、わかった」

 

 そして三人目。三人の中で最もテスラ研と関わりが薄く、また最も戦闘経験が豊富であり、戦士として半ば完成を見ていたマサキ・アンドーは、愛機のコクピットの中で静かに瞑目していた。とくに張りつめた様子はなく、居眠りでもしているかのような穏やかさである。

 

 しかし見る者が見れば、彼の輪郭からうっすらと生命的なエネルギーが生じていることに気付いただろう。オーラともプラーナとも呼ばれるそれは、彼の純粋な戦意そのものである。

 

 彼は兵士ではない。そのためダイテツ艦長の指令とて、根本的な部分では知った事ではなかった。彼はあくまで自らの意志で敵を見定め、戦い、勝たなくてはならない。そのための自分、そのための魔装機神なのだから。

 

 

 そして11月17日 1330時。

 

 ハガネおよびヒリュウ改は現在、カリフォルニア州沿岸、サンフランシスコ付近を高度7500メートルにて航行中であった。

 

 この地域まではいまだ異星人の勢力が及んでいない。ここからさらに東進すればネバダ州、ユタ州、コロラド州へと続くが、現地からの情報によればちょうどネバダ州とユタ州の境目あたりが彼我の勢力圏境となる。いまハガネ隊が目指しているのも、そこである。

 

 目的地であるテスラ研まではまだ距離があるものの、作戦の都合上、一部のパイロットは既に発進待機状態に入っており、アイビス・ダグラスとマサキ・アンドーの二名も、その中に含まれていた。

 

(ついにこのときが来たんだ。やれる。やってみせる。やるぞ、やるぞ……)

 

 アステリオンの内部で、アイビスは目を瞑り、ひたすら内観に没頭していた。両手は無意識に祈りの形に組まれ、そしてやはり震えていた。

 

 静かだった。呼吸の音がいやに五月蝿い。

 

 コクピットに入り、アストロスーツのヘルメットまで被ると、外界の雑音とは一切隔絶される。両の耳が内側を向き、呼吸、心拍、その他内蔵のわずかな動きまで、頼みもしないのにこと細かく伝えてくる。自らの体内のものであるというのに、どうしたことか、その音の一つ一つがまるで怪物の蠢きのようにも感じられ、アイビスを一歩ずつ断崖へ追いつめていくかのようだった。

 

(怖い……だめだ!)

 

 耐えきれずアイビスは祈りを解き、右手をコンソールに滑り込ませた。微細に震える指先でキーを叩き、クローズド通信の回線を開く。

 

「こちらフリューゲルス・ワン。どうした、二番機」

 

「マサキ……!」

 

 開かれた通信ウィンドウに映る少年の顔と声は愛しいくらいに平素と変わらなかった。砂漠でようやく水を得た遭難者のような気持ちでそれを胸に染みこませながら、アイビスは喘ぐように言った。

 

「マサキ……あたし、死んじゃいそう……」

 

「なんだ、ぶるってるのか?」

 

「うん……」

 

「お前って奴はどうしてそう……ありゃ、これまた随分まいってるな。仕方ねえ、お前ら行ってこい」

 

「え?」

 

 問い返す暇もなく、アイビスの腰元から突如二匹の猫が生えて来て、度肝を抜かれたアイビスは「ひゃぁ!」とあられもなく悲鳴を上げた。

 

「お邪魔しますニャ」

 

「元気か? アイビス」

 

「く、く、クロとシロ? 一体どこから、どうやって……!」

 

「まま、深く考えニャいで。それよりほら、私たちのダンスでも見て、気を楽にして?」

 

「ほれ。ちゃんかちゃんか、ちゃんちゃん」

 

 クロとシロが両前足をリズミカルに動かし始めると、そのなんとも珍妙な光景に、アイビスは先ほどまでの押し殺すような圧迫感の一切を忘れ、ぽかんと惚けてしまった。そして二匹が一番を踊り終えるころには、腹部を抱えて震えるようにまでなっていた。

 

「つっきがーでーたでーたー。つっきがーあーでたー」

 

「はぁ、どすこいどすこい」

 

 たまらず口を抑えて咳き込むアイビスに、二匹はしてやったりとほくそ笑んだ。

 

「やめて……死ぬ……死ぬ……」

 

「ふん、口ほどにもねえ。こいつは以前に俺が仕込んだ芸でな。題して『化け猫の盆踊り』。ハガネに乗る前はこいつで路銀を稼いでたんだ。まぁ、そんときゃ歌ったのは俺だが」

 

「身一つで地上に出ちゃったから、最初は大変だったの」

 

「自慢じゃニャいけど、大人気だったんだぜ」

 それはそうだろうと、その威力を身を以て確かめたアイビスは見知らぬ観客たちに共感するも、それを口にすることはできなかった。息すら覚束なくなるほど腹筋が痙攣しっぱなしで、それどころではなかったのだ。

 

 ようやく息も整えられ、使い魔たちの帰還を見送ると、アイビスは先ほどまでと同じ密閉空間の中に、嘘のような広がりを感じた。体重が軽くなったような気さえした。

 

「ありがと。なんか、いろいろほぐれた」

 

「そりゃ何よりだ。やれるか?」

 

「やれる。絶対やる」

 

「ちゃんと飛べそうか?」

 

「飛んでみせるよ。誰よりも速く」

 

「抜かしやがる。ま、フィリオって奴にせいぜい良いところを見せてやるんだな」

 

「うん……!」

 

 力強い頷きにマサキはニッと笑い、

 

「んじゃ、またな」

 

「え? あ……」

 

 ぷつんとあっという間に途切れた通信に、アイビスはしばし間を置いてから、ふと首を捻った。改めて、一体全体優しいのか素っ気ないのか……。

 

 一方、アイビスとの通信を切ったマサキは、それとはまた別の、先ほどから喧しく着信を知らせている回線を開いた。

 

「くおら、マサキ。分隊長の通信を無視するとは何事だ」

 

 相手はイルムガルト・カザハラだった。このたび二つに分けられた部隊の片方を指揮することとなっており、そこに所属する各小隊長を束ねる立場にある。

 

「ちょいと取り込み中でな。なんか用か?」

 

「なんか用か、じゃない。今回の作戦目標はかのテスラ研で、お前さんの部下が元々いた場所だ。そこに対して切り込み役のそのまた一番槍をやろうっていうんだ。アイビスの緊張も相当だろう。少しは気にかけてやれ」

 

「それならもう済んだぜ」

 

「なに?」

 

「だから、もう済んだ。むしろやりすぎちまったくれえだ。笑い死に寸前だったからな」

 

「笑い死に? アイビスがか?」

 

「ああ。他に何かあるか?」

 

「いや、ないが」

 

「んじゃ、またな」

 

 またもや素っ気なく切れた通信に、イルムは無意識に襟元を撫でた。

 

 あの哨戒任務からそれなりの月日が経ち、二人は多くの実戦を共に乗り越え、それ以上に多くの訓練を共にこなしてきた。「ハガネ全小隊・全撃破」という向こう見ずな目標を完遂したのは一週間ほど前のことで、近頃は自分たちの長所をより伸ばそうと高機動戦闘の訓練に力を入れていたようだ。

 

 当時から期待自体はしていたものの、それにしてもよもやここまでのものが出来上がってしまうとは。にわかに信じがたいもののイルムは認識を新たにし、全隊を率いる戦闘司令官へ回線を繋いだ。

 

「オメガ・ワンよりアサルト・ワンへ。心配無用。空馬鹿小隊のコンディションは極めて良好なり」

 

 

   Ⅲ

 

 

 11月17日 1540時。

 

 テスラ研コロラド支部に陣地を構える異星軍幹部の一人、ヴィガジが西方からの飛翔体に気付いたのがちょうどこの時刻になる。

 

「巡航ミサイルか」

 

 当初彼がそう判断したのは、その飛翔体の数と速度のためである。数は一、そして速度は機動兵器ではおよそあり得ぬ数値。高度がやや低すぎるのが気にかかるが、まず機動兵器ではないとみて間違い無い。

 

 そもそも地球連邦軍の機動兵器部隊……とりわけハガネ隊の動きはあらかた掴めていた。この時間、ハガネはユタ州近辺を航行中のはずであり、その迎撃にはアギーハが向かっている。その他の戦力が付近に迫っている情報もない。

 

 また、飛翔体を計測したのは母星より持ち込んだ設置型レーダーであるため、誤作動や誤操作の類いもありえない。

 

「野蛮人どもめ。同胞を見捨てるとはな」

 

 奪還が叶わないなら敵ごと吹き飛ばしてしまえ。その乱暴な判断は、彼が持つ「地球人」のイメージからそうかけ離れているものではなかったため、納得するのも容易かった。

 

 配下のバイオロイド兵に撃墜を命じた。地球人の技術力を調査するため制圧したテスラ研は、彼の手により既に要塞化されており、広域レーダーのみならずミサイル防衛システムまで完備されている。こちらもこのたびの侵攻のため母星から移送してきたものであり、運搬のしやすさを重視した簡易型ではあるが、地球最新型のMAPWであろうと効果範囲外にて確実に撃墜しきる性能を持つ。

 

 地球共通語に訳せば「ドライバー・キャノン」と呼ばれる計12台の砲塔は、ちょうど時計と同じ配置でテスラ研を囲んでおり、うち三つが同時に十一時の方角を向いた。

 

 立て続けに三発。無色のエネルギー弾頭が音を越えてコロラドの空を裂く。レーダー上にて、一つの飛翔体を迎え撃つ三つの光点が新たに明滅しはじめる。

 

「着弾まで五秒。3、2、1」

 

「着弾なし。撃墜失敗」

 

「なんだと?」

 

 バイオロイド兵が無感情に告げた報告に、ヴィガジは目を剥いた。

 

「第二波を撃て。今度は六発」

 

「第二波斉射。着弾まで21秒」

 

 不吉な沈黙が、16秒間流れた。

 

「着弾まで五秒。3、2、1」

 

「着弾なし。撃墜失敗」

 

「馬鹿な!」

 

 声を上げ、ここでようやくヴィガジは自らの誤謬に気付いた。地球人の幼稚な電子制御のMAPWが、ドライバー・キャノンを9発も回避するなどあり得ない。ならば飛翔体はMAPWではない。人の乗った機動兵器だ。

 

(いいや!)

 

 さらなる不吉な推測がヴィガジの背筋を泡立たせた。MAPWではない……と判断するのは早計だ。確かあったはずだ。地球の戦力……中でも特筆すべきハガネ隊の中にただ一機。巡航ミサイル並みの速度、人の手による操縦、そしてMAPW。これら三つの条件を全て満たすマシンが、ただ一つあったはずだ。

 

「守備隊、全機スクランブル。ただちに機体に火を入れろ。俺もガルガウで出る!」

 

 言うや否や、ヴィガジは管制室から飛び出して行った。彼個人が持てる判断材料を鑑みれば、十分に迅速かつ柔軟な予測能力であると言えた。しかし結果論でいうなら、やはり全ては遅きに失していたのだ。

 

 ガルガウと呼ばれる黄金の恐竜にも似た専用特機にて出撃したヴィガジが、即座に最大望遠で西方を確認したとき、それは既に現れていた。

 

 彼方。

 

 空と稜線の間より飛来する一つの機影。

 

 三層一対の翼、猛禽の爪、銀の鎧、翠緑の噴射炎。異星人たる彼の目から見て、なお異質なるその姿。

 

(まずい……!)

 

 ヴィガジは痛感した。もはや防御は間に合わない。かの騎士の異様な速度はもはや計測するまでもない。彼を映し出すスクリーンの右端にて、狂ったような目まぐるしさで減少していく望遠倍率表示が如実に物語る。

 

 そしてその限界が訪れた時、アメリカ大陸はコロラド州に一つの「星」が出現した。

 

 

 ……本作戦のため、航空性能を重視した臨時中隊を編成する。ハガネおよびヒリュウ改は、勢力圏境たるネバダ・ユタ州間にて待機。敵主力空戦部隊の陽動を務める。

 

 その間、臨時中隊は低空飛行を維持しつつユタ州を迂回してコロラドへ侵入。電撃戦にて目標施設を制圧せよ。

 

 なおフリューゲルス小隊は第一陣として可能な限り最大戦速と最低高度を両立させつつ目標に突撃。敵防衛網を無力化し、後続の道を切り開け。

 

 およそ八時間前に下されたダイテツ・ミナセ艦長の指令は、ほぼ完璧に達成されたと言って良いだろう。テスラ研に出現した星とは、言うまでもなくかの騎士が有する広域兵器そのものである。

 

 操者が敵と認識したものだけを破壊する、退魔にして破邪の光。サイフラッシュと名付けられているその兵器の最大射程は、テスラ研周辺をまるごと一飲みにして余り在る。超音速爆撃機と大型投下爆弾の役目を続けざまにこなす凶悪なる一人二役の前に、異星よりもたらされた12機のドライバー・キャノンは一斉に打ち砕かれ鉄くずと化した。ヴィガジ渾身の防衛網が、ただの一撃で亡き者にされたのである。

 

 しかし被害はそれだけで収まった、とも言える。守備隊の発進が間に合わなかったのは、まさしく不幸中の幸いだった。施設を攻撃対象から外していたためか、格納庫内にて準備中だったバイオロイド兵たちの機体に損傷は見られず、ただ一人出撃していたガルガウも、ビーム吸収(電荷吸収と、それをエネルギー源にした装甲再生)システムによりダメージはあれど戦闘に支障はない。砲台が失われても、たった一機の特機など容易に殲滅してのける戦力がまだ残っている。

 

 瞬く間に被害状況と戦況の比較を終えたヴィガジに、しかし管制室に残るバイオロイド兵からまたもや報告が届いた。

 

「十一時および八時方向より機影多数。総じて中隊規模の機動兵器部隊が接近中」

 

 後続部隊。詰めの一手。当然と言えば当然の流れにヴィガジは臍を噛む。地球人の軍事的能力を、彼は軽蔑はしても侮りはしなかった。

 

 次いで左後方に爆発音。タイミングからして、サイバスターの広域兵器によるものではない。

 

「今度はなんだ!?」

 

「ミサイル攻撃を確認。レーダー設備および通信設備が破損。陣地作成の際に我が軍が持ち込んだ機器のみが攻撃を受けています」

 

 ヴィガジがこのときようやく状況の全てを理解した。敵は一機ではなかった。それも二つの意味で。

 

 一つは中隊規模の後続部隊。二つ目は、噴煙の立ち上るレーダー塔上空にて旋回する、もう一つの銀色。初めて見る機体ではあるが、報告は受けていた。ヴィガジがこのテスラ研を襲撃した際、唯一輸送機での逃亡を許してしまった新型機。よほど密接して飛行していたのか、レーダーが一つとして数えていた機影は、その実二つであった。

 

 アーマード・モジュール・アステリオン。その機体が、相方が砲台をなぎ払いヴィガジらの注意がそちらに向いている間に、勝って知ったる我が家に巣食う異物を除去してのけたのだ。

 

 通信設備を抑えられては孤立は免れない。もはやこの地は要塞ではなく、彼らを追い込む死の袋小路と化した。

 

 続けざまの事態に、ヴィガジの思考は限りなく白熱していった。そして地に降り立ったサイバスターが彼を見据え、ふてぶてしく剣を突きつけて来た時、ついにその怒りは限界を迎えた。

 

「き・さ・まぁぁぁぁぁぁ!」

 

 

   Ⅳ

 

 

 銀の騎士と黄金の恐竜は同時に間合いを詰め、それぞれが携える得物を同時にぶつけ合った。続けざまに、三度打ち合う。散る火花、耳をつんざく金属音。さらに二度、騎士は斬り込んだが、すべて恐竜の爪剣に防がれた。

 

「こんニャんじゃ刃の方が欠けちゃうわ。もっと気合い入れてプラーニャを注いでよ」

 

「ゼオルートさんニャら、いまごろ三枚に卸してるところだぜ」

 

「やかましい!」

 

 リーチでは騎士の長剣が勝るが、厚さと頑丈さでは半ば腕部と一体化している恐竜の爪剣が勝っていた。その強度たるや、騎士の剣を五度も受けながら罅一つ入っておらず、しかも左右一対ときては、その防りの硬さは並大抵ではない。鉄の塊に斬りつけているかのような手応えに、マサキは不利……というより非効率を悟った。

 

 左右からの同時斬りを身を引いて躱す。その流れのままサイバスターは翼を吹かせ、後方へ距離を取ろうとした。それを予測してか、全く同じタイミングでガルガウが前へと踏み込む。接近戦ならば優位と判断してのことでもあるが、なにより操縦者の精神状態が最たる要因でもある。

 

「逃がすものか! 打ち砕き、粉々にして、この不浄の地にばらまいてやるわ!」

 

 先ほどまでの慎重さ、思慮深さはもはや霞みと消え、ただ戦意のみが彼を支配していた。そうでなければ、早々に退却する道を選んでいただろう。彼らの空間転移技術は往復が利かないという弱点があるが、ならば往路と復路で二つ分用意すれば良いだけの話で、彼を含めた幹部クラスの機体にのみ緊急用に予備の転移装置が装備されている。

 

 それを使用するつもりが彼に無いわけではなかった。すでに戦況が決してしまったことは理解している。しかし彼にとって逃げることはいつでも出来ることだった。無論、眼前の忌々しい銀騎士を葬った後でも。

 

 騎士が後方へ飛ぶのと、恐竜が前方へ加速するのは、かろうじて後者が速かった。ガルガウの爪剣が蟹鋏のごとく二つに割れ、サイバスターの両腕をがっちりと銜えこんだ。

 

「捕らえたぞ、サイバスター!」

 

「やっろう!」

 

 全速前進はそのままに、ガルガウは高度を上げた。大地がぐんぐんと遠ざかって行く。翼自慢の騎士を空にて死なせてやろうという邪心もあれば、後続部隊から身を引く意味合いもあった。

 

 十分な高度を取ったのち、恐竜の顎が炎を籠らせながら満を持して咆哮する。

 

 地は水を塞き止め、水は火を鎮める。そして火は風を焼く。そうしたり顔で言う戦友の言葉が、戦慄と共にマサキの脳裏をよぎった。

 

「ガルガウの炎を受けろ!」

 

 炎。実際はそれに似た高エネルギー流がガルガウの口腔から迸り、サイバスターの胸から上を飲み込んだ。

 

 

 一歩遅れてテスラ研に到着したイルム率いる臨時中隊は、すでに展開を終えていた守備隊のバイオロイド兵と交戦中にあった。アイビスの働きによって敵増援の可能性はほぼゼロに近く、中隊の面々は蹂躙と言って良いほどの勢いで敵機の数を減らしていく。

 

「合わせやすくって中々いいわよ。そのまま行っちゃって」

 

「了解っす!」

 

 即席のコンビで遠近をカバーし合うのは、アラドとエクセレンのエレメントである。ビルトビルガーとヴァイスリッター。互いに本来想定された相方とは異なるが、それぞれATX計画で作られた前衛・後衛用マシンであり、その相性は期待以上に良好だった。

 

「R-3より各機へ。西側から横撃するわ。続いて!」

 

「R-1了解。チェェェンジ・R-ウィンンング!」

 

「R-4より1へ、その叫びには何か意味があるのか?」

 

 R-1、R-3、そしてマイ・コバヤシの駆るビルトラプター。こちらはほぼ既存の小隊のままということもあって、年季の入った危なげのない連携を見せている。唯一の懸念は新参者のマイだったが、アヤが丁寧にフォローをしている。

 

「ノーブル1より各機。後ろはお気になさらず、存分にどうぞ」

 

「頼もしいですわ。では行きますわよ、ラトゥーニ」

 

「はい!」

 

 ズィーガーリオンと金と銀のフェアリオンは事前訓練の段階ではやや覚束ない面もあったが、今となってはレオナを頂点とした二等辺三角の陣形に揺るぎは見られない。二機のフェアリオンもまたコンビネーションを前提に設計された機体であり、レオナがその援護に徹すれば戦力はより盤石になる。

 

「悪くないな」

 

 不慣れな編成でも一人前以上にやってのける隊員達のフレキシブルさに、イルムは満足げな様子で口角を上げた。機体面で致命的に画一性の欠けるハガネ隊の場合、パイロットがこうでなくては碌に運用もままならない。

 

 かくいう彼が今回エレメントを組んでいるのは、リョウトとリオが乗るヒュッケバインMk-Ⅲガンナーである。初めて組む相手ではあったが、彼やリョウトらもまたハガネ隊の一員であり、ましてやグルンガストとヒュッケバインである。代こそ違えど、この二機は決して切れぬ縁にあるのだとイルムは知っている。

 

 そして中隊最後の構成員……アイビスとマサキについては、イルムにとってそれはもはや言わずと知れたことなのであった。

 

 サイバスターが現在、遥か高空で敵指揮官と一騎打ちの真っ最中であることは把握していた。苦戦していることも分かっていたが、援護の必要は認めなかった。かの少年の実力を信頼していることもあるが、しかしなにより、彼らが上空に姿を消した直後、その後を追うように一筋の流星が大地を飛び立っていったことをイルムは確認していた。

 

 その軌跡のあまりの揺るぎなさに、イルムは勝利を確信せずにはいられなかった。

 

 

 火は風に対して優位性を持つ。それはラ・ギアスの精霊観にして、全ての魔装機が逃れ得ぬ法則である。しかし所変われば品変わり、郷に入っては郷に従うべし。炎の精霊を加護を何一つ受けない単なる炎に、風の精霊の加護を受けるサイバスターが不利を背負わなくてはならない謂れは無い。

 

「馬鹿な……」

 

「ぬるいぜ……」

 

 双方の呟きは、同時になされた。

 

 プラーナ全開。サイバスターを覆う結界装甲を最大に、マサキはガルガウの奥の手を凌ぎきった。装甲の端をわずかに融解させただけで至って無傷の相手に一瞬愕然とするも、しかしヴィガジはすぐに気を取り直した。

 

 敵の動きはいまだ封じているのだ。勝機はまだこちらにある。

 

 しかし皮肉なことに、マサキもまた全く同じ認識を持っていたのである。プラーナの消耗は激しく、二発目を防げる保証は無い。敵を打ち倒しうる手札はあるが、些か時間がかかる。守るにせよ攻めるにせよ、一抹の不安を抱える状況であったが、それでもマサキの中で、もはや勝利は確定していた。

 

「あばよ」

 

 そのためにマサキがすべきことは、ただ彼女に対する全幅の信頼のもと、敵を一蹴りするだけでよかった。

 

 ——Rapid acceleration……

 

 渾身の力を込めたサイバスターの蹴りによって両腕の固定が外れ、両者の間合いが遠のく。サイバスターとガルガウの距離が開いた。ただそれだけでよかったのだ。

 

 ——Mobility break……

 

 悪あがきを……と言いかけて、ヴィガジはしかしそれを口に出すことはできなかった。間合いが開いた直後、全くもって計ったようなタイミングで上空から急降下してきた何かに、ガルガウは猛烈な勢いで轢き飛ばされた。

 

(な、なんだ?)

 

 不意の尋常ならざる衝撃と落下の感覚。そして一斉に機能不全を喚き立て始めた計器類に、ヴィガジは状況を見失った。見ればガルガウの脇腹が、小隕石でも直撃したかのようにごっそりと抉られている。一体何が起こったというのか。

 

(あの新型……!)

 

 にわかに前後を掴めない中、それでも直感でその正体を察することが出来たのは、一秒もない衝突の瞬間、彼は確かに銀色の影を見ていたからだ。かの騎士と同じ、それでいて同じではあり得ないもう一つの銀色を。

 

「Volley Shoot!」

 

 再び視界に遠く現れた銀影から、数えるのも馬鹿らしいほどのミサイル群が解き放たれた。おびただしい数と密度をもった破壊の卵たちの出現に、ヴィガジはとっさにガルガウの両腕を盾のごとく構えさせた。

 

 つぎつぎとミサイルが突き刺さる。その衝撃と炎に、鉄壁を誇った恐竜の爪剣はついに砕かれる。

 

「おのれ!」

 

 これで終わりになるはずがない。そんな忸怩たる予感を裏切ること無く、ミサイル達の噴煙の合間を縫ってサイバスターが迫り来る。魔力のチャージは十分に、「記録探査」も万全に、その勇姿に青白いオーラを纏とわせて、落ちゆくガルガウに、二度と大地を踏ませるものかと追いすがる。

 

 この世のものとは思えぬその神秘の塊は、この世のものとは思えぬ一羽の巨大な鳳のごとく翼を広げてガルガウに追いつき、そして覆い尽くした。

 

「おのれぇ!」

 

 彼の致命的な敗因とはなにか。サイバスターを仕留め損なったことか、アステリオンを見逃したことか。きっとそれはどちらでもあり、どちらでもないのだ。彼を敗北せしめるのは、冷静さを欠いたために記憶から放逐していたたった一つの事実だった。

 

 敵は一機ではなかった。

 

 敵は一機ではなかったのだ。

 

「アカシック・バスタァァァァ!」

 

「くっそぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 そんな断末魔を最後に、異星よりやってきた黄金の恐竜はコロラドの空に散っていった……。

 

 

   Ⅴ

 

 

 11月17日 1750時。

 

 テスラ研守備隊の制圧は完了し、その長たるヴィガジとガルガウの撃墜も確認された。研究所内部には管制と所員の見張りのために何人かのバイオロイド兵が残っていたが、懸念されていたように人質を連れて立てこもるような真似はしなかった。

 

 白兵要員として中隊に加わり、密かに研究所へ侵入していたゼンガー・ゾンボルト元少佐らによれば、ヴィガジ撃墜と同時に糸が切れたように動きを止め、そのまま生命活動まで停止させたとのことだった。敵とはいえその無為な最期に、何人かの者はひそかに黙祷を捧げた。

 

 研究所職員たちは、全員無事を確認された。リシュウ・トウゴウは老雄振りに衰えなく、ジョナサン・カザハラにいたってはハガネ隊の美人どころに早速声を駆け回る始末だった。

 

 そして……。

 

 

 互いの姿を見つけた後、見つめ合うことほんの数秒。ツグミ・タカクラはこらえきれなかったように、やおらフィリオの胸元に飛び込んでいった。飛び込んで、何事かをわめきながら二度三度その胸を叩き、そしてまた深く顔を埋めた。フィリオは困ったように笑っていたが、やがてツグミの背を抱き寄せた。

 

 夕暮れが窓から差し込む研究所の廊下で、そんな二人の影をすこし離れた物陰からアイビスは惚けたように眺めていた。一緒にフィリオの下を訪ねようとツグミの姿を探し回るうちに、とんだ出歯亀を働いてしまったことになる。

 

(そっか。そうだったんだ)

 

 知られざる関係を目の当たりにして、アイビスは不思議と納得がいくものを感じていた。テスラ研奪還作戦が決定されてから今日まで、ツグミの様子を思い返す。

 

 夢やプロジェクトのためだけではなかった。ツグミは何より彼女自身の想いために、今日という日に対して思いを募らせていたのだ。それが今ようやく報われて、か細く男の名を呼ぶツグミの声は、遠くからでもはっきり分かるほど涙にぬれていた。

 

(よかったね、ツグミ……)

 

 覗き見してしまったばつの悪さはあっても、二人の今の姿を見れたことは、とても得難いことのようにアイビスには思えた。間の悪さも時には悪くないものと思いつつ、二人に気付かれぬようアイビスはそっと踵を返した。自分はまたあとで訪ねれば良いと思った。

 

 最後に、二人の方をアイビスはふと振り返ると、二つの人影は未だ寄り添い合っており、そしてその顔はいまや完全に重なっていた。

 

「わ……」

 

 その光景の意味を察した時、アイビスは目を白黒させて、逃げるようにその場から立ち去った。

 

(び、びっくりした……)

 

 ハガネの中に戻り、人気の無い通路でアイビスは壁に寄っかかった。動悸は激しく、頬に手を当てると、確かな熱を感じた。

 

(キスだ。ツグミとフィリオがキスをした。キスだよキス。信じられない……)

 

 肝心の部位は見えなかったものの、男の腕の中で軽く背伸びをして顎を上向かせるツグミの後頭と、そこに重なるように隠れたフィリオの顔の、その生々しい遠近感が、アイビスの触覚をざわつかせた。妙なかゆみを覚えて、手の甲で唇を拭う。その感触にもまた気恥ずかしさを覚え、アイビスは頭を一杯にした。

 

 リオの言葉が思い起こされる。

 

 ——キスかぁ……やっぱり良いんだろうなぁ。ねえ?

 

(知らないよ、そんなこと!)

 

 相手と触れ合いたいと思うこと。

 

 相手を味わいたいと思うこと。

 

 口づけとはおそらくそんな思いの表れで、それに対して共感を抱けるほどの理解がまだ自分には無い。そう、アイビスは思い込んでいた。このときまでは。 

 

「見つけた! 何をぼさっとしてやがる!」

 

「うわぁ!」

 

 声をかけられたアイビスと、声をかけたマサキは同時にびくんと肩を振るわせて後ずさった。

 

「ま、ままままマサキ。どどどうしたの」

 

「こ、こっちの台詞だ。そんな驚くこたねえだろ」

 

 マサキは気を取り直し、いかにも説教臭く両手を腰に当てた。

 

「人を働かせておいて、どこをほっつき歩いていやがった。着替え終わってるなら報告書作りを手伝え。キョウスケがうるさくてしかたねえ」

 

「う、うん、わかった。いくよ」

 

 小隊長の義務の中に何種類かの文書作成業務があるが、その煩わしさに業を煮やしたマサキは、ここのところアイビスにその責の大半を押し付けるようになっていた。対してアイビスの方はキョウスケやカイなどといった面々から何度か「甘やかすな」などとも言われており、いささか難しい立場にあるのだが、基本的に断らない事にしている。

 

(あ、そういえば)

 

 いつものアレをしていないことをアイビスは思い出した。いつの間にか恒例となった……というよりも半ばアイビスが企図してそうした、フリューゲルス小隊の勝利の儀式である。

 

「ねえ、その前にさ」

 

「なんだよ」

 

「いや、なんでもないんだけど。ほら、これ」

 

 手の平を差し出すアイビスに、マサキは「おう、忘れてた」と応じた。

 

 一瞬の感触が通り過ぎて行く。

 

「やったな」

 

「うん」

 

「勝ったな」

 

「うん」

 

「正直、あんときゃ助かったぜ」

 

「……ううん」

 

 あたしこそ、とアイビスは胸の内で答えた。

 

 出撃前のやり取りも含め、初めて出会ったあの日から少年はアイビスに幾度となくきざはしを示し、それを一段登るたびにアイビスは、自分の中の何かが広がっていく感覚を覚えて来た。それは灰を被った姫が、魔法使いに抱くような気持ちにも似ていた。

 

 これまで幾度となく交され、もはや感じ慣れたものとなった手の平のこの感触が、アイビスは好きだった。初めてこれを行った少年と、こうして今も、そしてこれからも何気なく行うことが出来る。そのことに大きな意味があるような気がしてならなかった。つまりそれは、紛れも無く……。

 

「どうした?」

 

 突然、前髪で顔を隠すように俯いたアイビスに、マサキは尋ねた。

 

「な、な、なんでもない」

 

「腹でも痛いのか? 無理に手伝わなくていいぞ」

 

「なんでもないってば! だだ大丈夫だって。い、行こ?」

 

 アイビスがぎこちなく歩き出して、マサキは腑に落ちないものを感じながらも、その後ろを付いて行った。

 

 マサキの前を歩くアイビスの表情は、見るも無惨なほど動揺と焦燥感に溢れていた。しかし青ざめてはおらず、むしろ先ほどまでにさらに輪をかけて、それこそ林檎が柘榴を思わせるほど真っ赤に赤面しきっていた。

 

 それも無理からぬことで、なにせアイビスは知らなかったのだ。こんな気持ちがあったなどと。

 

 口づけとはまるで意味が異なることは分かっている。それでも触れ合いには違いなかった。

 

 触れ合いたい、などと。

 

 そのようなことを特定の異性に対して思う気持ちが、自分にもあったなどと。そんな異性がいたなどと。

 

 アイビスは知らなかったのだ。

 

 

 


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