アイビス×マサキ(スパロボOG)   作:マナティ

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幕間:フリューゲルス小隊の一日

 

 

   Ⅰ:深夜の二人

 

 

 イメージ・トレーニングにも区切りを付け、アイビスは遅めの入浴に向かうことにした。夜勤組のためなのか、戦艦とはいえバスルームは基本的に二十四時間自由に使える。洗面用具を収めた小さなバッグを拾い上げ、アイビスは部屋から出た。

 

 すると、

 

「うお」

 

「あ……」

 

 途端に、廊下で一人の少年と出くわした。

 

「なんだアイビスか。おどかすなよ」

 

「こ、こっちこそ。こんな夜更けにどうしたの?」

 

 深夜に男が自分の部屋の近くをうろついていれば女なら多少は身構えようものだが、アイビスにとって「マサキ」と「痴漢」の二言は、連想するのが不可能なほど相容れないものだった。

 

 マサキもマサキでまるでその辺りの自覚はなく、呑気にこきりこきりと肩を鳴らしている。

 

「ただの夜更かしだよ。タスクんとこでカードをやっててな。お前さんこそどうした。というか、隣に住んでたのか?」

 

「あたしは今からシャワーに行くところだけど、マサキの部屋とは隣じゃないよ」

 

「俺の部屋はB-12だぜ? すぐそこだ」

 

「すぐそこにあるのはA-12だよ。あたし達の部屋がA-11だから」

 

 証拠を示すように、アイビスが自室の扉に飾られている部屋番号を指差した。

 

「……くそ、またやっちまったか」

 

 この少年が類まれなほど個性的な方向感覚の持ち主だということを、遅ればせながらアイビスは理解するようになっていた。

 

「よければ部屋まで案内するよ」

 

「いらねぇ世話だよ。馬鹿にすんな」

 

 やや、きつい物言いだった。これがエクセレンあたりならば柔軟に対処したであろうが、アイビスには些か困難な芸当だった。さっと顔色を変えたアイビスに、むしろマサキの方が慌てた。

 

「いや、わりぃ」

 

「ううん。あたしこそ気が回らなくて」

 

「そうじゃねえだろ。どう見ても俺の八つ当たりだぜ」

 

「ううん。ごめん、無神経で」

 

 謝罪の応酬が三往復ほど続いた頃に、とうとうマサキがため息まじりに折れた。

 

 

 なんか勝手がちがうんだよな、とのマサキの呟きはアイビスの耳には届かなかった。

 

 フリューゲルス小隊が誕生して何が変わったかといえば、一つにマサキとアイビスの間にこうして空以外での付き合いが生じたことだろう。しかし、マサキとしてはどうにもしっくりこないところがあった。一度離陸すればあれほど気持ちよく機体をかっとばす女が、一度着陸すると何故こうも弱々しくなるのか。

 

 一方アイビスはそんなマサキの心境など露知らず、

 

(サイバスターに乗れば怖いものなしなのに、降りたら自分の部屋にすら辿り着けないっていうんだから、おかしいよね)

 

 しかし似たようなことを考えていた。

 

 前を歩きながらも、アイビスは時おり振り返ってマサキがちゃんと付いて来ているかどうか確かめた。さすがに過保護かと思われるが、実際のところマサキはこれまでにも道案内付きで道に迷ったことが数度あるので、それを鑑みれば必要な慎重さと言えた。

 

「そこを右に曲がるよ」

 

「ああ」

 

「しばらく真っ直ぐ歩くから。曲がっちゃだめだよ」

 

「おう」

 

 いずれにせよ、戦場や訓練時とは、まったく逆の光景だった。

 

(なんだろう。なんか、変な感じ)

 

 新鮮な感覚だった。平時の主従が反転し、普段とは異なる新鮮な空気が二人の間に吹き込まれている。事実として、連れ立って歩く今の二人は端からすれば姉弟か、あるいは親鳥とひよこのようにも見えただろう。

 

 それがアイビスには、どういうわけか、とても面白く感じられた。

 

 部屋の前につき、たしかに自分の部屋番号が書かれていることを確認するとマサキは頭を掻いた。

 

「ありがとよ」

 

 さすがに気恥ずかしいのか、頭を掻きながら礼を言うマサキに、アイビスは少し調子に乗ってみせた。

 

「いいよ、これくらい。空でもちゃんと付いて来てね」

 

「ぬかせ。一度飛んじまえば、こっちのもんよ。誰の背中も拝む気はないね」

 

 腕を組んでそっぽを向くマサキに、アイビスは口元を抑えて笑いを堪えた。

 

「なんだよ?」

 

「いや、エクセレン少尉の気持ちがなんとなく分かって」

 

「なんだそれ」

 

「なんでもないよ。おやすみマサキ。明日もよろしく」

 

 マサキは訝しみながらも、素直に部屋に入った。残されたアイビスはバッグを抱え直し、軽い足取りで当初の目的地に向かう。

 

 途中、廊下で誰ともすれ違わなかったのはアイビスにとって幸いなことだっただろう。数歩あるく度に、くすくすと思い出し笑いをこぼすようでは、もし誰かに見られたらさぞ怪訝に思われたに違いないのだから。

 

 

   Ⅱ:朝の二人

 

 

「どうして俺が整備なんかを手伝うんだ」

 

 作業用のヘルメットを人差し指でくるくると回しながら、マサキは目の前の銀巨人を忌々しげに見上げた。サイバスターではない。人体と航空力学を融和させたかのようなその独特なシルエットは、彼の唯一の部下が乗る機体だった。

 

 シリーズ77 αプロト

 

 アマード・モジュール アステリオン

 

「カイ少佐からのお達しなんでしょ? 素直に聞いとかないと後で大目玉をもらうよ」

 

 そう嗜めるのはリョウト・ヒカワである。今日は整備士の方の草鞋を履いているらしく、足首にある整備用パネルのコネクタにハンディパソコンを繋ぎ、表示される情報群を斜め読みしている。すっかりアステリオンの整備にも慣れた様子だった。

 

「だから、なんでそんなお達しが出たのかってことだ。俺に整備なんか出来るわけ無いだろ」

 

「ちゃんと説明はあったけど、マサキがモニレポに出てこないのが悪いんだよ」

 

「言っておくが、寝坊したわけじゃねえぞ」

 

「まだマシだと思うよ、そっちの方が。ともかく、別に整備することが大事なんじゃなくて、それを通じて部下の機体のことをもっとよく知るようにってことだよ」

 

「機体のことねえ」

 

 そういったことは実際に共に飛んでこそ、というのがマサキの持論だった。しかし、現在のハガネ隊はすでにアビアノ基地を離れ、高度三千メートルを航行中である。この間の機動兵器の離発着は事故の元として厳しく制限されており、訓練目的ではなかなか許可が下りない。

 

 フリューゲルス小隊が結成されてから、まだまだ日が浅い。しかも他と違い、この小隊の構成員は互いの機体構造について、まるで予備知識がない。カイ・キタムラが今回のようなことをマサキに命じたのも、それを補う工夫の一環としてのことだった。

 

 一応はそれを理解してのことか、マサキは小脇に抱えていたアステリオンのマニュアルを開き、目を通すだけでもしようとする。ツグミがデータで所持していたものをプリントアウトしたもので、週刊少年漫画誌ほどの厚さもあった。五秒で閉じて、あとでクロとシロに読ませておこうと決めた。

 

(偵察、哨戒、輸送……あとは補給隊の出迎えとかか。この際、雑用でもなんでもいいから、出撃さえできるなら優先的に回してもらうかな)

 

 以前までは考えもしなかったことに思いを馳せる。もし口に出していて、それを例えばレフィーナ・エンフィールド艦長あたりが耳にしていたら、そっと目尻を拭ったかもしれない。

 

 なお肝心のアステリオンのパイロットはというと、いま実際に機体に乗り込んで機体各部の稼働具合を確かめている最中だった。朝の体操のようなものであるが、外にいる整備士たちとの連携もあり、きちんとした作業手順が存在する。

 

 一つの項目を終えて、アイビスは次の流れを頭の中で確認した。

 

(次は右腕部サーボモータのチェック)

 

 そしてモニターに映る彼女の小隊長をちらりと窺う。

 

(だよね?)

 

 そのようなことを尋ねても、きっと彼は「知るか、そんなの」などとしか言わないだろうと分かっているが、遊び心である。

 

 カイ少佐の命令でああして部下の整備を監督しているものの、そのいかにも所在なさげな、あるいは困ったような佇まいは、先ほどからずっとアイビスの口元を綻ばせていた。

 

 また一方で、今度は自分がサイバスターの整備を手伝わねばと生真面目なことを考える。カイ少佐の助言は、アイビスにとって全く正しいものに思えた。二人っきりの小隊であるのだから、自分たちはもっとお互いのことを知っておく必要があるのだろう。

 

 

 マサキの思案は続いていた。

 

 敵として戦うにせよ、味方として共闘するにせよ、いくら機体のスペックを知ったところで動かすのが人である以上、乗り手を知るに如くはない。

 

 どうしたものか考えつつ、マサキはアステリオンの青白い双眸をなんとはなしに見上げた。当たり前ではあるがそこに見えるのはいかにも無機的な煌めきで、意志というか、余分なものが感じられない。ただ、飛ぶために飛ぶ。そういった印象を受ける。

 

 乗り手と似てるな。

 

 マサキは、ふとそう感じた。

 

 

 メインカメラを凝視されると、当然コクピットの中にいるアイビスにとっては自分自身を凝視されているも同じとなる。落ち着かないものを感じながらも、アイビスは見られるがままに身を任せた。

 

 仕返しというわけではないが、自分も見つめ返してみた。右手でヘルメットを遊ばせている以外は、彼はいつもの出で立ちだった。Tシャツにジャケット、ジーパン。軍艦ではいかにも浮く格好。

 

 立場上でも彼は明らかな異端者だ。軍人でも傭兵でもない一個人。艦長命令にすら、彼は承諾はしても服従はしない。何から何までが異常なのに、まるでそのようなことは意に介さず堂々と歩き、そして認められている。

 

 機体とおんなじだ。

 

 アイビスは、ふとそう感じた。

 

 

 稼働チェックを終え、アイビスはコクピットハッチを開き、外に降りた。そして小隊長の前で、かかとを揃える。

 

「フリューゲルス・ツー。整備、完了しました。随時出撃可能です」

 

「ご苦労」

 

 マサキは鷹揚に頷いてみせ、すぐに肩をすくめて笑った。

 

「お疲れさん。んじゃ、訓練やるか」

 

「うん」

 

 

   Ⅲ:昼の二人

 

 

 シミュレーター訓練もおぼつかないという、小隊としては致命的な欠陥を抱えたまま結成されたフリューゲルス小隊だったが、あれから幾らかの試行錯誤があって事態は大幅の改善を見ていた。

 

 経緯はいたって単純だった。サイバスターのシステムをハガネのシミュレーターマシンで再現することは今もなお困難であるが、逆はそうでもなかったのだ。早い話、サイバスターのラプラス・コンピュータでシミュレーターのシステムをまるごとエミュレートしてしまうのである。ラ・ギアスと地上ではプログラムの仕組みからして異なるが、ラ・ギアスの方ではある程度まで地上技術を把握しているため、システムを吸収するのも不可能ではなかった。

 

 細かな技術的仕組みや、それを成立させるために二匹の使い魔がどれほど睡眠時間を削ったかなどはさておき、結果だけを見るとマサキはサイバスターの中から、アイビスは通常通りシミュレーターマシンの中から、同時に同じシミュレーションを体験することが可能となった。ようやく、他の小隊と同じ条件になったというわけである。

 

「お前、なんて顔をしてやがる」

 

「……ごめん」

 

 今回のカリキュラムは、ホワイトスターやアイドネウス基地などの敵軍事施設突入を想定した屋内戦闘訓練だった。空戦を本領とするフリューゲルス小隊にとっては不向きと断言するほかない設定であり、なおかつ相手はかのATXチームである。このたびはそれぞれの人数を合わせ、マサキ・アイビスとキョウスケ・エクセレンのエレメント対決という形式となった。

 

 大方の予想通り、第一試合はフリューゲルス小隊の敗北に終わった。スコアは2-1。失点はアイビスの被撃墜によるものである。

 

 サイバスターの爪先に腰掛けるマサキの前で、アイビスは消沈しきった様子でへたりこんでいた。撃墜されたことだけが落ち込む理由ではない——とはいっても、鳩尾を杭打ち機で思いきり打ち抜かれた後、続けざまの肩部クレイモアで機体体積の五割以上を吹っ飛ばされたことは相応に衝撃的ではあったが——その後もマサキがあの二人の悪魔的なコンビネーションを相手に、制限時間が訪れるまで単独で持ちこたえて見せたことが、尚更アイビスを打ちのめしていた。

 

「ごめん。足、引っ張っちゃって……」

 

「あ〜……まぁいい。二回戦行くぞ。今度はキョウスケの方を抑えとくから、お前はエクセレンと存分にやり合ってこい」

 

「……うん」

 

 して、結果はフリューゲルス小隊の二連敗となった。失点の理由はもはや言うまでもない。

 

「お前……これまたなんて顔をしてやがる」

 

「……」

 

 もはやアイビスには謝る気力もなかった。

 

 

 三回戦を行う前に、十分間の休憩を取ることになった。提案したのはマサキで、言うなれば作戦タイムである。

 

「あのな、言っておくけどな。そうまでお前が落ち込む必要は全くねえんだ」

 

「……」

 

「そもそもだ。空戦特化のアーマード・モジュールが、狭苦しい場所での白兵戦で、白兵馬鹿のアルトに勝とうなんざ、よっぽどの腕の差が無い限り無理に決まってんだ。いいか? 餅は餅屋、蛇の道は蛇、バフォームにはガッデスと言ってな」

 

「ばふぉーむ?」

 

「口を挟むな」

 

「ごめん」

 

「よし。つまり、今回の訓練の目的が何かっていうと……」

 

 懇々と諭すマサキに、離れた場所からそれを見ていたエクセレンは面白そうに目を瞬かせていた。

 

「意外というかなんというか、マーサったら、ちゃんと小隊長やってるわねえ」

 

「そうだな」

 

 気の無い返事だったが、彼らに関心を向けているのはキョウスケも同じだ。マサキが戦術論を口にするなど、滅多にあることではない。

 

 餅は餅屋。その弁を聞くに、やはりマサキ・アンドーは地底世界においても、いわゆる「兵士」とは全く異なる立場にあったのではないかと思えた。

 

 こういう考え方もある。戦場での機体適正の差は実力の差。不向きだろうが不得手だろうが、勝てと命令されれば勝つしかない。良く言えばプロフェッショナリズム、悪く言えば下請け根性。つまりは駒の考え方だ。

 

 マサキは勝てない者が無理に勝つ必要はないと考えているようだった。得手・不得手を弁えず、強引にあたったところで意味は無い。勝てる者が代わりに勝てば良い。合理的とも言えるが、兵士の考えとしては自由すぎた。なぜならそれは指し手の考え方だからだ。

 

 かといって彼が過去、軍でいうところの佐官・将官クラスの職位に就いていたと見るのも無理があるだろう。おそらくは軍とはまるで性格の違う戦闘集団。彼と同じような「兵士」ではなく「戦士」が集う特異な組織。きっとそのようなものがマサキ・アンドーの第二の故郷にはあって、彼はそこに所属していたのではないか……と、キョウスケは想像力を働かせる。

 

 気付けば十分はとうに過ぎ、キョウスケらの前に、たった一人の部下を引き連れたフリューゲルス小隊々長がふんぞり返った。

 

「待たせたな」

 

「ううん、私もいま来たとこ」

 

 しなをつくるエクセレンにアイビスがぎょっとするが、男二人は一切取り合わなかった。

 

「三度目の正直だ」

 

「二度あることは三度あるとも言うがな」

 

「ほざけ。てめーらを血祭りにあげて、昼飯の献立に加えてやらぁ」

 

 気炎を吐きやまぬ小隊長が背後に目を向けると、いかなるやり取りの末か、先ほどまでの影を一切取り払った小隊長が力強く頷いた。

 

「やるぞ、アイビス!」

 

「はい!」

 

 かくして三回戦が始まった。

 

 

 砲撃主体のヴァイスリッターよりは組み易しと見てか、三戦目においてアイビスのアステリオンは再びキョウスケの前に立ちはだかってきた。

 

 一手、二手を交えたところで、キョウスケは一戦目とまるで手応えが違うことに気付いた。技術ではなく、スタンスの問題である。懸命にアルトアイゼンを押し返そうとしていた初戦と違い、今のアイビスは張り合うことをやめて守りに専念している。

 

 要は時間稼ぎだ。そしてそれは、今回の模擬戦にあたってキョウスケがもっとも懸念していたことであった。キョウスケがアイビスに手こずってしまうと、相方のエクセレンは単機でサイバスターの相手をしなくてはならなくなる。うまくない状況である。

 

 かといってサイバスターに狙いを切り替えるのもうまくない。アイビスに背後をさらすことになるというのが一つ。そしてこれまでの二戦、キョウスケたちは結局マサキだけは仕留めきることができずにいたというのが二つ目。勝つためには、言葉は悪いが弱点たる彼女を狙うのが最善だった。

 

 狙いに変更無し。キョウスケは静かに闘志を燃やし始める。

 

 対するアイビスは、相手の一挙手一投足をも見逃さぬ執念で、眼前の赤巨人を睨みつけていた。十分間の中で聞いた、マサキの言葉を思い返す。

 

「速度という言葉に惑わされるなよ。奴は確かに速いが、ありゃ猪の速さだ。加速力とか突進力とか馬力とか、そういう類いのものなんだ。お前はちがう。特性の違いを弁えてりゃお前は勝つ……とまではいかなくとも負けはしねえ。しばらくの間は」

 

「それってダメなんじゃ」

 

「集中力の問題だよ。守り一辺倒ってのは、なんにせよいつか負けるものなんだ。でも、それで十分だ。タイムアップまで保たせろとは言わねえ。俺がエクセレンを仕留めるまででいい。お前が負けないでいることが俺の勝ちを作る。それが俺達の勝ちに繋がる。だからお前は負けるな。絶対負けるな」

 

 負けない。

 

 アイビスはそう念じた。念動力の素養がなくとも、プラーナ変換機がなくとも、意志は力だ。アイビスはひたすら念を練り上げた。

 

 アルトアイゼンとヴァイスリッターのコンビネーションは阿吽の域にある。彼らは二人で一人。追随を許さぬ長所と致命的な短所をそれぞれ抱える二機が、互いに背中を預け、補い合ったとき、そこに一体の怪物が生まれる。この怪物の前ではサイバスターですら苦戦は必至であり、ましてや翼を抑えられた今の環境では、防戦一方が関の山となる。

 

 しかしアイビスは確信していた。

 

 キョウスケかエクセレン、どちらか一方とならば、絶対にマサキは負けない。必ず首級を手土産に、自分を助けに来てくれる。

 

 だから絶対負けない。

 

 あたしが負けさえしなければ、マサキも負けない。

 

 そうすればあたしたちが勝つ。

 

 

 勝つ。

 

 マサキはそう念じた。眼前の白巨人……ヴァイスリッターは機動力と砲撃能力に長けた機体である。その持ち前の素早さと間断なき狙撃を駆使して、開戦直後から今に至るまでサイバスターとの距離をひたすら維持しようとしている。嫌らしくも巧妙な立ち回りだった。

 

 しかしマサキは確信していた。

 

 俺が勝つ。

 

 手を焼かせるが、時間の問題だ。あいつがあの突撃馬鹿を抑えていてくれさえすれば、俺が勝つ。勝てばあいつのとこに行ける。

 

 そうすれば、俺たちが勝つ。

 

 

 果たして、決着の時が訪れた。

 

「エクセレン!」

 

 サイバスターの翼からスラスターが迸り、剣が一層煌めきを強めると、エクセレンの背筋に直感めいた戦慄が走った。

 

「げ、やば……」

 

「もらったっ!」

 

 電光一閃。

 

 ビームと実弾の入り交じる弾幕の合間を縫って、サイバスターの剣が真一文字に空を裂く。

 

 その真っ直ぐで涼やかな剣閃の前に、純白色をした怪物の片割れは上下見事に両断された。

 

 もう一方では、

 

「ここだ……!」

 

 深紅に染まる怪物のもう片割れが、爆発的な加速をもってして両者間の距離を一瞬にしてゼロとした。悪夢のような光景にアイビスは息をのみ、声を上げた。

 

「うわぁぁぁぁっ!」

 

 断じて悲鳴ではない。

 

 雄叫びである。聞いた者がどう思うかは別にして、アイビスの中ではそうだった。

 

 なんにせよ、赤巨人の右手に装填された凶悪極まりないパイルバンカーが、アステリオンの鳩尾を問答無用に撃ち貫こうとしたその寸前、アステリオンの両肩から槍のように伸びるEフィールド発生装置がフル回転で稼働した。同時にフットペダルを目一杯踏み込んでの全速離脱。

 

 最大の防御と最速の回避を一息に、赤巨人が繰り出す暴虐のベクトルはかろうじて反らされた。ふた筋の電光が交差する。瞬く間に縮まった両者の距離は、ふたたび瞬く間に開ききった。

 

 キョウスケが敗北を認めたのはこのときだった。会心の一撃は躱されたものの、アイビスの集中力は明らかに途切れつつある。もう一、二手押し込めば撃墜も可能だろうと思えた。一対一ならば。

 

 全速力で離脱していくアステリオンのさらに向こうから、正反対に全速力で突撃してくる一つの機影があった。言うまでもなくエクセレンを仕留めたマサキが、返す刀で次なる敵を狙って来たのである。

 

「こちらフリューゲルス・ツー。こらえました!」

 

「こちらフリューゲルス・ワン。よくやった!」

 

 アイビスとマサキ、双方健在にして意気軒昂。単独でこれを打ち崩すのは非常に厳しい。しかも制限時間があってはなおのことだ。忸怩たるものを感じつつ、キョウスケはそう認めた……。

 

 

 タイムアップ

 

 スコア 1-2

 

 判定 フリューゲルス小隊の勝利

 

 

 マサキがサイバスターから降りると、そこにはもう既にアイビスが立っていた。サイバスターのいる格納庫とシミュレータ・ルームは少し離れているのだが、全力で走って来たのだろう、大きく肩で息をしている。しかしその表情は、喜びと興奮で眩いばかりに輝いていた。

 

「なんて顔してやがる」

 

 との思いを、マサキは今度は口にしなかった。今の自分も人のことを言えた顔ではないと分かっていたからだ。

 

 二人はどちらからともなく、手の平を掲げ合い、叩き合った。弾けるような音が格納庫に響いた。

 

「よし、メシだ!」

 

「うん!」

 

 打てば鳴るような返事にますます気を良くしながら、マサキは肩で風を切って歩き出した。しかし格納庫を出て、通路を右に曲がりいざ食堂へ……というところでアイビスに腕を掴まれる。

 

「食堂はこっち」

 

「……」

 

 いくらかの沈黙を挟んだ後、二人は歩みを再開した。無論のこと、今度はアイビスが前になってである。

 

 

   Ⅳ:休み時間の二人  

 

 

 食後のラウンジには多くの者が集まる。パイロットたちだけでなく、整備員、ブリッジクルー、その他の業務に携わる乗組員たち。テレビの他にも将棋盤やチェスなどといった簡易な娯楽も用意されており、午後の業務に入る前の、一時の憩いの場だった。

 

「それで負けちまったわけだ」

 

「ままま負けじゃないわよ。二勝一敗だもの。勝ちよ勝ち。ねえキョウスケ」

 

「ああ」

 

「ほら見なさい」

 

「でも肝心の三度目の正直では負けちまったんだろ?」

 

「ああ」

 

「キョウスケ!」

 

 キョウスケはポーカーフェイスを崩さず、コーヒーを一すすりした。別に上の空なわけではなく、リュウセイとエクセレン、どちらの言も正しいので頷いたというだけである。

 

「にしてもマーサってば。今までの自堕落振りが嘘みたいな熱の入れようよね。妹ちゃんがいるって聞いたことあるし、もともと面倒見は良い方だったんだろうけど」

 

「シミュレーター訓練が可能になったことで、エネルギーの持って行き場を見つけたんだろう。ハガネ隊の全小隊に勝利するのが、当面の訓練目標だそうだ」

 

「げ。すると次は俺たち?」

 

 リュウセイが所属するSRXチームは、今のところフリューゲルス小隊と対戦経験がない。いやそうな顔をするリュウセイだったが、隣に座るチームメイトたちの方はというとまんざらでもない様子だった。

 

「対特機戦の訓練となると、相手はどうしてもグルンガスト系列に縛られがちだ。幅が広がって、何よりだ」

 

 とライディース。

 

「特機・一、AM・一という組み合わせは、私たちとも似ているし、色々と発見が期待できるわ。うまく噛み合えば、双方の練度が向上する」

 

 とヴィレッタ。

 

「形としてはSRXとサイバスター、R-GUNとアステリオンの戦いになるのかしら。環境によっては分離状態を維持した方が有効かもね」

 

 とアヤ。

 

 どうやら一名以外は望むところであるらしかった。先の話になるが、その戦いはこれより二日後に実現することとなり、その内容たるやパイロット達の間で長らく語りぐさとなるほど白熱したものだったという。

 

 リュウセイは、やや離れたところにあるラウンジの一角を見やった。さきほどから話題の渦中であるフリューゲルス小隊の二名がそこを陣取っているのだが、リュウセイたちのうわさ話に反応する様子は無い。二人して昼寝中であるためである。

 

 まだまだ小隊として成熟しきっていないなか激戦をこなし、腹も満たしたところでさすがに疲れが出たのだろう。マサキは足をテーブルの上に乗せたいかにも行儀の悪い体勢で、隣のアイビスは慎ましく身を縮こませながら、それぞれ寝息を立てている。

 

(どう言やいいんだろ)

 

 リュウセイは思った。

 

 対照的のような、似た者同士のような、何とも言えない二人組。一応男と女ではあるのだが色めいた雰囲気は見えず、かといってただの隊長・隊員という言葉で片付けるには、眠る二人の間隔は妙に近い気がした。

 

(まあ、よほど気が合ったんだろうな)

 

 気が合う。うまが合う。

 

 上手く表現できないが、きっとそういう二人なのだ。人間関係の機微に聡い方ではないとの自覚はありつつも、リュウセイは彼なりにそう結論づけた。それは決して間違いではないことだった。

 

 ちなみに、仲良く眠りこける二人の様子は娯楽に飢える乗組員たちの格好の餌となっており、携帯端末を使ってこっそり写真を撮る者も何人かいた。

 

 エクセレンもその一人であり、とりわけアイビスの寝顔のアップは、日頃あまりカメラ機能を活用しない彼女としても会心の一枚に思えた。

 

 画像の中のアイビスは、安らかな寝顔で眠りについていた。それは子供のようにあどけなく、邪気の無い、何かを信頼しきったような顔だった。

 

 

   Ⅴ:夕方の二人とツグミ

 

 

「ほら、これが今日の分だ」

 

「ありがとう」

 

 午後の訓練が終わりアイビスを休憩に行かせたあと、マサキはツグミの下を訪ねていた。訓練結果のデータを渡すためであり、フリューゲルス小隊が正式稼働してから日課となっていることだった。

 

 これについては小隊長の義務というわけではなく、ツグミが個人的にマサキに依頼をかけたものである。億劫には思いつつも、マサキはこれまでのところ一度も欠かさずに提出していた。といってもデータ自体はクロとシロが纏めており、マサキは末尾に軽く所感文を加えるだけだったが。

 

 ATXチームとの対戦映像と、並行して推移する様々なデータグラフを、ツグミは注意深くチェックしていった。手持ち無沙汰なマサキは、椅子に座りあくびをかみ殺す。

 

 ちなみに、毎日こうして二人が会っていることはアイビスには伝えられてない。ちょっとした密会というわけだが、マサキとしては父兄面談と言われた方が感覚としては近かった。自分が教師で誰かさんが生徒、そして目の前にいるのは口うるさい保護者というわけだ。

 

「あなたにはお礼を言わないとね」

 

「ん?」

 

 ハンディパソコンから顔を上げて、ツグミはマサキの目を正面から見た。

 

「プロジェクトを代表して、礼を言うわ。本当にありがとう」

 

「なんだよ急に」

 

「アイビスは今成長している。データにはっきりと表れているの。あなたの小隊員になってから、あの子は一日ごとに上達している」

 

 それは決して戦闘技術だけの話ではなかった。いまツグミのパソコンには、ヴァイスリッターの砲撃を見事にかいくぐるアステリオンの姿が映し出されていた。性能だけで行えることではない。乗り換え当初は振り回されるばかりであったアステリオンの性能に、アイビスが習熟しつつある証左だった。

 

「ほら見て、アイビスがこんな動きを。フィリオがここにいないのが残念でならないわ。きっと、だれよりも大喜びしてくれたのに」

 

「毎日訓練やってりゃ、誰だってそうなるさ」

 

「そんなことない。テスラ研でだって、質も量も負けないくらいのものをやってた。でも、これまであの子はそれに上手く噛み合うことができないでいた」

 

「訓練の仕方が悪かったんじゃないのか? あいつはちゃんと教えれば、ちゃんと分かるやつだぜ? たまに空回りはするが、そんときゃ止めてやればいいだけだ」

 

「そう、それなのよ」

 

 ツグミは勢いよく身を乗り出し、同じ分だけマサキはのけぞった。

 

「たったそれだけのことよ。でもそれをする人間が、今まであの子の近くにはいなかったのよ」

 

「お、おい」

 

「だからあの子は、ずっと一人でもがいていたのよ。上手くなりたいのに上手くなれなくて。何もかもが上手くいかないで。それを一人で受け止めて、一人で乗り越えようともがいていたのよ」

 

 椅子に座り直すと、ツグミの声色は打って変わって重苦しくなった。

 

「だから成長が遅かった。才能が無い、なんて思ってたのかもしれない。あの子自身も、あの子を見てた私も。数値とマシンのことばかりで、私たちは人間を軽視してたのよ」

 

 マサキは困ったように天井を見上げた。苦手な雰囲気だったからだ。

 

「やれば出来る奴だって分かったんなら、次からそういう風に接すりゃいいってだけだろ? 今俺がやってることを、ハガネ隊から降りたら、あんたがやりゃいいだけの話じゃねえか」

 

「……そう、上手く切り替えられないわよ。人間って」

 

「なんでだ」

 

「私とアイビスは、結局のところチーフと候補生だもの。なんか上下関係ができちゃってて。一応、色々と試みてはいるんだけど、なかなか……前に一緒にご飯を食べたんだけど、堅苦しい話ばっかりで……」

 

 俯いたツグミに、ふと、マサキは遠い遠い記憶を蘇らせた。ラ・ギアスに召喚されるよりもずっと以前のことだ。当時、彼は魔装機の魔の字も知らない一介の学生で、授業やテストに四苦八苦し、部活に情熱を燃やすだけの平凡な日々を送っていた。そんな中、マサキが所属していたボクシング部の部長から、今のツグミと同じような話を聞かされたことがあったのだ。

 

「俺、実はマネージャーの○×が好きなんだ。それでなんとか距離を縮めたいんだけど、お茶とか誘っても、結局部活の話ばっかりで、なかなかさ……」

 

 似て非なる問題だが、「似て、非なる」ということは似ていることには違いないとマサキは大雑把に解釈する。そして結果だけ述べると、この部長は見事のちに想いを成就させ、その秘訣を訊いてもいないのにマサキに懇切丁寧かつ自慢げに伝授した。

 

 マサキは脳の海馬をひっくり返して、その内容を思い出そうとした。あれは、あれは確か……。

 

「呼び方を変えさせるといいらしいわよ」

 

「え?」

 

「ん?」

 

 いつの間にかマサキの影から出て来ていた使い魔のクロが、主に代わって答えを述べていた。

 

「いつまでも部長部長と呼ばれてると、呼ばれる方も呼ぶ方もその型に嵌っちゃうのよ。だから適当な理由を付けて名前で呼ぶように上手いことお願いすると、ニャんだか新鮮ニャ感じにニャって、関係が変わりやすくニャるみたい」

 

「部長?」

 

「ものの例えよ。これでいい? マサキ」

 

 そう言って黒猫は器用に片目を瞑り、ふたたび主の影へと還って行った。

 

「名前で呼ばせる……」

 

 意外な人物(?)からの意外な助言に、ツグミは思っても見なかったような顔でしばり黙り込んだ。やがてクロの言を租借し終えると、妙に真剣な面持ちになり、

 

「いいかもしれない」

 

 と呟いた。

 

 

 問題は解決したらしいので、マサキは自分の用向きを伝えることにした。

 

「そのプロジェクトの訓練内容ってやつを、良ければ教えてくれよ。使えそうなら訓練に取り入れようと思ってな。俺も少し興味あるし」

 

 ツグミにとっては全く願っても無いことだった。

 

「いいの?」

 

「あくまで使えそうなら、だ。全く実戦に結びつかないようなものは……まぁ、何かのついでにやってもいいが確約はできねえ。ただそういうのばっかりでもないんだろ? あいつのマニューバーなんたらとかを見るにさ」

 

 マサキの認識は正しく、アイビスたちがプロジェクトTDで習得を課せられていた各種マニューバーは、DC戦争やL5戦役(さらに遡れば旧暦の第一次、第二次世界大戦)にて培われ、継承されてきた空間・宙間機動戦術を起源としている。プロジェクトではあくまで飛行技術向上のためのツールとして捉えられていたが、出自を考えればむしろ戦闘に使用されることこそが正しい姿だった。

 

「だったら小隊としても、取り組む価値はある。あんたらにとっちゃ、アステリオンは未来のスペースシャトルで、アイビスはアストロノーツだ。ハガネ隊でこき使われるのは本来不本意なんだろうが、こうすりゃちっとは見返りがあるだろ?」

 

 ツグミは後頭部までさらすほどの勢いで、深く深く頭を下げた。この件だけでなく、これまでのアイビスとマサキのやり取り、それによって得られた成果、その全てのものに対して。

 

「データを纏めて、後日渡します。是非、お願いするわ。本当に、本当にありがとう。言葉では言い表せないくらい、感謝しています」

 

「いいってことよ。俺のためでもあるんだ」

 

 そんなやりとりで、本日の密会は締めくくられた。

 

 ミーティングを終えると、ツグミは真っ直ぐに自室へと向かった。色々なものに対する満足感と期待感が、彼女の足取りを軽くしていた。通路の床がまるで次々と彼女の足裏に巻き取られて行くかのようだ。いったい何時の間に、ハガネの通路は自動式となったのだろう。

 

 A-11と表示された素っ気ない扉を邪魔っけに開き、つかつかと足音を立てて中に足を踏み入れると、すでに帰宅していたアイビスが、何事かと目をきょとんとさせてデスクの方からツグミを見た。

 

「アイビス」

 

「はいチーフ」

 

 なるほどこれが元凶であったのだ。人語を解する黒猫の、人間顔負けの明敏さにツグミは頭が下がる思いだった。

 

「アイビス」

 

「はい」

 

 一拍の間。

 

「その、ね」

 

「はい」

 

 上手いこと理由をつけて、と肝心の部分は曖昧ではあったものの、独力で補うことはツグミにとって困難なことではなかった。目標に至るまでの理路整然とした三段論法がすでに彼女の中で明文化されており、あとはそれを読み上げるのみという段階であったが、何事においても最も決断を要するのは得てして最初の一歩なのであった。

 

「私、思ったんだけどね」

 

「……はい」

 

「その」

 

「…………はい」

 

 口ごもるツグミの様子に、尋常ならざるものを感じ取り、アイビスの表情が見る見るうちに硬くなっていった。いかなる訃報か、いや叱責に違いない。身をこわばらせていくアイビスに対し、ツグミが懐中の企みを達成するのに、結局これよりもう五分ほどの時間を必要とした。

 

 

   Ⅵ 就寝前の二人

 

 

「なぁ、アイビスって可愛くねえ?」

 

 またもやタスクが言い出したので、五枚の手札を不倶戴天の敵ごとく睨んでいたマサキは嫌そうに顔を上げた。

 

「お前、前にもそれ言ってなかったか?」

 

「言った。確かに言った。けど俺は、あえて声を大にしてもう一度言いたい。もちろんそれには深い理由がある。実は今日の晩飯でのことなんだけどな。そこでアイビスがなんと……」

 

 タスクは滔々と熱弁を振るい始めた。そして、その九割をマサキは聞き流した。彼にとっては、もはや数える気も起こらないくらい負けが続いている勝負の行方の方がずっと大事であった。

 

「知ってるか? アイビスって甘いものが好きらしいんだ」

 

「へえ」

 

「んでもって、それを聞いた時の俺のポケットにはなんとチョコレートが入ってたんだよ。我ながら恐ろしいことに」

 

「ほお」

 

「航行中じゃ、こういうものはなかなか手に入らないからな。それをあげたときのアイビスの顔といったら、『男を悶えさせる笑顔の作り方』なんていう教本があれば表紙に採用してレオナちゃんに読ませてやりたいくらいだったぜ」

 

「ふうん」

 

「あーくそ。おまえあんな子とずっと一緒にいて何とも思わないのか? 俺と代われ。いや、レオナちゃんの目もあるし一日だけでいいから。おい、聞いてるか?」

 

「聞いてねえよ。ほいレイズ」

 

「ほいコール。ほいショー・ダウン。いやー、ハガネに入隊してから結構経ったし、打ち解けてくれて良かったよなぁ。最初の方の、びくびくおどおどしてた感じも良かったけどさあ」

 

「フォーカードかよ……」

 

 延々とタスクの好き勝手な妄言が垂れ流される中、マサキは全財産が入った財布を落としたような気持ちでがっくりと崩れ落ちた。

 

 

 真夜中の死闘が悲しい決着を迎えたのと同時刻。アイビスが一息ついたときには、もう艦内時間で夜の十二時を回っていた。

 

 すでにツグミは入浴を終えて、アイビスの背後にある二段ベッドの下段で一足先に寝息を立てていた。相変わらず訓練に追われるアイビスとは違い、軍属になってからのツグミはむしろ時間の余裕が増えたように見える。プロジェクトに従事していたときなら、今頃は彼女もプログラム言語の羅列を相手に取っ組み合いを続けているところだったろう。

 

 アイビスは足音を殺しながらツグミの側まで近寄り、めくれ上がっていた毛布を肩の位置に直した。

 

「仕方のない……『ツグミ』」

 

 そう、意識して口にしてみる。しばらくは慣れそうも無かった。

 

 あのタカクラチーフに心を許そうとしている自分に、アイビスはもう驚かなかった。プロジェクトの頃はそれこそ氷で出来ているかとも思えたツグミの表情が、ハガネ隊に来てからは嘘のように彩りを見せてきた。ハガネ隊で唯一の身内としての親近感ゆえのことなのか、単なる吊り橋効果なのか、答えは見つかりそうも無い。ただ、答えが欲しいわけでもない。

 

 ハガネ隊に来てから、色々なものが良い方向に変わってきている。タカクラチーフも、タカクラチーフとの関係も、そして自分自身も。アイビスにはそう思えるし、その事実だけで十分だった。

 

 ふとイメージが湧いて、またもや手の平で戦闘機を形作る。小指と親指が翼、中指が機首。小さなそれは円形軌道を描きながら中空を周り、最後にぐんと高度を上げ、白色LEDで出来た太陽にまで辿り着こうとする。限界まで背伸びしながら、アイビスは目を閉じてコクピットにいる自分を想像した。

 

(……うん)

 

 アイビスは一つ頷き、しかしもう一つ思いついて、左手も同じように戦闘機の形にした。そして右手に寄り添わせる。しばらく試行錯誤して、やがて二機はそれぞれの腹を前後互い違いに向き合わせるような位置に落ち着いた。ちょうど手裏剣を投げるような格好である。

 

 交差し、すれちがう二機。しかし見ようによっては、それ自体が一対の翼のようにも見える。

 

 人が乗る以上、どうしても死角というものはできる。たとえどれほどの強者でも。だから補い合う。当たり前のことだと、今のアイビスには分かる。

 

(……うん)

 

 アイビスはまた一つ頷いた。先ほどよりも、ほんの少しばかり大きく。

 

 

 

 

 

 


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