Ⅰ
草木も眠る丑三つ時の頃である。
「なぁ、アイビスって可愛くねえ?」
五枚の手札を親の仇のごとく睨んでいたマサキ・アンドーは、険しい表情を解いて正面の男を見つめた。
その男はタスク・シングウジという名で、彼もパイロットである。ついでにいまマサキが居る部屋の主でもある。
「なんだって?」
「だからアイビスだよ。いやぁ、初めて見たときからピンとくるものはあったけど、まさかあれほどとは……いやはや」
これっぽっちも訊いていないというのに、タスクは身振り手振りを交えて詳細に語り始めた。
なんでも今日の昼、オクト小隊恒例のペナルティ付きシミュレーター訓練にアイビスも参加し、その張り切りように反して見事敗北を喫し格納庫ランニング二十周の刑に処されたらしい。
悔しがってはいたものの、さすがにアストロノーツ候補だけあって平然とノルマをこなしたアイビスだったが、滲む汗を止めることは出来ず無防備に上着を脱いだ。
下にはシンプルな黒のタンクトップを着ていたが、それでも露出はゼロでは済まない。深い襟から除く控えめな谷間や、露になった脇下、脱ぐ際にちらついた小さなへそ、そして湿った服により浮き出てしまったボディ・ライン等々……その場に居た男性陣はつい思い思いの部分に眼球を固定してしまったという。
すかさずカチーナ中尉の雷が全員に落ちたものの、男たちの視線に気付いた当のアイビスの狼狽えようは見るも哀れだったらしい。
カチーナよりキャメル・クラッチを施されながらも、しつこつその様子を観察し続けていたタスクは、そんな彼女の仕草になにやら男としての根源的な部分を大いに揺さぶられたようで、こうしてマサキ相手に吐露しているというわけだった。
「もうさ、思わず中学生かって突っ込みたくなるくらい初々しくてさ。男慣れしてないっつーかもう、保護欲を掻き立てられるんだよ、これがまた」
そして、その九割をマサキは聞き流していた。彼にとっては、ここのところ負けが続いている勝負の行方の方がずっと大事であった。
そもそもマサキとしては腑に落ちない話でもある。それも二重の意味でだ。
第一に、タスク曰く「保護欲を掻き立てる女性」、つまりはいちいち人の顔色を窺うような女をマサキは好ましいとは思わない。
第二に、アイビスがそのような女性であると言われても、これもまたいまいちマサキにはしっくり来なかった。
「知ってるか? アイビスって結構スタイルいいんだぜ? いや胸は控えめだったけど、細身ゆえの美しさっていうか、月に例えるなら三日月、花にたとえるなら鈴蘭。こう折れちゃいそうな感じがさ〜」
「訊いてねえよ。ほいレイズ」
「ほいコール。ほいショー・ダウン。まえよりは随分慣れて来たんだけど、今でもなんかの拍子にすぐ、こう、あっぷあっぷしちゃうんだよなあ。そこがレオナとの違いでさぁ、なんかもう、すぐにでも駆けつけて頭撫でてやりたくなるんだよなあ」
「フルハウスかよ……」
延々とタスクの願望なり欲望なりが垂れ流される中、マサキは背骨を抜き取られたようにがっくりと崩れ落ちた。
Ⅱ
サイバスターとアステリオンが哨戒任務の最中にドッグファイトを行うというトラブルより二日間が経過していた。ハガネ隊は依然としてアビアノ基地に逗留しており、次の指令を待つ身である。
あれ以来、アイビスを取り巻く環境は若干の変化を見せており、その大部分は哨戒任務の一件を要因としていた。「新入りの女が、サイバスターと見事な空戦を演じた」という話は電光石火の勢いで艦内中に伝わり、それまでに彼女と面識を得てこなかったパイロットの面々は思い思いの好意を……たとえばアラド・バランガなどは尊敬の眼差しを、ブルックリン・ラックフィールドなどは真っ直ぐな称賛と信頼をアイビスに向けるようになった。
またそれとは別に「初任務でいきなり命令違反を行った」ということで艦長クラスやカイ・キタムラなど普段気苦労の多い面々からは「また問題児が増えた」などと人物評価にやや下方修正を加えられていたことも付け加えねばなるまい。
しかし良くも悪くもマサキとの一件が、彼女の鮮烈なデビューを演出したのは確かであり、あれ以降アイビスは加速的にハガネ隊の中にとけ込むようになった。
無論ハガネ隊は軍隊であるから、平時から和気藹々と構えているわけではない。とくにパイロットというものは忙しい。
まず朝早くに起床してから身支度を整え、食堂に移動。朝食をとり、小休止のあと格納庫に向かう。この時、時刻は艦内時間において六時半ちょうどである。
他のパイロットの面々も集まると、キョウスケ・ナンブやカイ・キタムラなどを中心にモーニング・レポート、いわば朝礼のようなものが行われる。この朝礼によって、その日のスケジュールなり訓練内容なりその他細かな連絡が伝えられる。
この間、整備士たちは既に機体の整備を始めており、朝礼のあとは速やかに彼らに合流して、乗機をいつでも出撃できる態勢に整えておくのが大抵のパイロットの朝一番の仕事になる。
しかし、中には例外も存在する。マサキ・アンドーとその乗機サイバスターである。異世界出身のかの機体は、ハガネ隊内の最新設備も、整備士たちの手練手管も根本的に受け付けない。武装のほとんどは魔術的な原理に乗っ取っているため特に補給も要さず、また破損の修理も自己修復機能で大概賄える。
したがってマサキが格納庫をうろつくのは、基本的に出撃のときか、それ以外にサイバスターに用があるか、もしくは暇を持て余したときか、さらには道に迷ってたまたま通りかかったときくらいしかないのである。
よって皆が格納庫に缶詰になっている間、マサキは大抵自室で二度寝に入るか、公共の憩いの場であるラウンジを独占し、テレビや雑誌を見るなどをして時間を潰している。
だいたい九時前には全ての機体の点検は終了し、パイロットたちはシミュレーターを使った訓練に入る。
しかし、ここでもやはり例外が一人いた。マサキ・アンドーである。サイバスターの操縦システムは、PTからAM、特機まで幅広くカバーする最新型のシミュレーターでも規格外として弾かれてしまうのだ。よって小隊ごとに行うシミュレーター訓練に、マサキはこれまで一度も参加せず、というより出来ず、やはりこの時間も一人でラウンジでぐうたら過すのが常だった。
午前11時ごろになると食堂が運転を開始し、午前の業務を終えた乗組員たちを待ち受けるようになる。
この日も、食堂はいつも通り11時きっかりにオープンし、そしてその直後にいつも通りの人物を向かい入れていた。他に人影はない。開店直後を見計らって、わざわざ五分前から待ち伏せるほど暇な人間など、軍艦には本来いないものだ。
出迎えたのはツグミたちにも話しかけた、あの司厨員の娘である。
「いらっしゃい、今日も一番ですね」
「おう、邪魔するぜ」
「今日はサカニャがあるといいわねえ」
「食うぞ〜、最近これしか楽しみがニャいんだ〜」
娘が織り交ぜた一抹の皮肉にも気づかないまま、一人と二匹は食堂が混む前に手早く栄養補給に取り掛かった。
そして食後の昼休み。多くのパイロットたちが談話や娯楽を求めてラウンジに集うようになり、そこでようやくマサキとその他大勢のスケジュールが重なりを見せる。
今日の一番手はアラド・バランガだった。
彼はまだまだ新兵だということで、午前中の訓練にてカチーナ中尉とカイ少佐から二人掛かりでしごかれたばかりだった。全身疲労困憊で足のふらつきは抑えられず、さらに午後にもまた訓練が控えていることを思えば、目も虚ろになるというものだ。
それでも昼食の席ではしっかりと午前に放出された以上のカロリーを補給し終えているあたり、新兵でもさすがハガネ隊の一員といったところだろう。
ともかく午後に向けて少しでも疲れを癒したい一心で、アラドはのろのろとラウンジの扉をくぐった。
「チィーッスゥ……」
「おう、おつかれ」
して、そんなアラドを出迎えたのは、満ちたりた腹をさすりつつソファに寝転び、テレビを眺めているマサキのあくび混じりの労いだった。
「面倒なことだ」
会議室で、モニターに映された小隊編成の樹形図を睨みながら、キョウスケ・ナンブは一人ごちた。前髪にメッシュを入れた若き戦闘指揮官は不言実行の男であり、普段自分の役割に不満を持つことはしない。しかしこういうときばかりは、他にもっと適役が居るだろうとついつい周囲を見渡してしまう。
「いい加減、苦情も増えて来た。部隊内の士気にも関わって来るのは事実であるし、抜本的な改革が必要だ」
「しかし対処のしようがない、てのも事実ですぜ。俺としては、これまで通り周囲に妥協させるしかないと思いますよ。確かに目障りではありますがね」
キョウスケの両脇から、正反対の意見が出された。
彼の右手側に座る壮年の男性……カイ・キタムラ少佐はパイロットたちの中では最も階級の高い人物であり、頑固一徹な気性と相まってハガネ隊の中で最も軍人らしい男と言われる。豊富な経験を生かして良く上を助け、良く下を導く優秀な人材であり、部隊内でも信頼は厚い。
そんな熟練の男が、正式な戦闘指揮官の座をまだ青年の域を出ないキョウスケに託したのは、ハガネ隊の指揮には若さが必要だと考えたからだった。それを聞かされた当初はキョウスケも感覚で納得しかけたものだが、最近になって、単に匙を投げ渡されただけなのでは、と疑うことが増えて来た。
最後にキョウスケの左手側に座るイルムガルト・カザハラを加えて、計三人が現在会議室に集まっていた。イルムの方は階級はキョウスケと変わらず、歳は少し上といった程度だが、柔軟な思考を期待されてキョウスケによく頼られる立場だった。
いま三人が交わしている議題は、日頃から不特定多数の乗組員からやれ「不公平だ」「やる気が失せる」などと具申されていた、特定の人物による部隊内風紀の乱れについて……要するに平時はろくに仕事も持たずラウンジでだらだら過ごしているマサキ・アンドーに対する待遇の問題についてだった。
実を言うとこの件については、前大戦のころからたびたび問題となっていたことであり、その都度キョウスケたちは一応のこととしてミーティングを開いてきたのだが、これまで積極的な対策案が出されたことは無い。イルムの言う通り、対処しようがない問題なのだ。
とはいえ、働かざる者食うべからずの格言は軍でも通じる。戦闘では無二の働きをするマサキだったが、それより時間的にはずっと長い平常時では穀潰しでしかないとなると食わせ甲斐に欠けるというものだ。
「ではイルム中尉は、この案については反対ですか」
「いや、それはそれでありだと思うぜ。どうもあの二人、結構気が合ってそうだ」
「俺としては意外だ。気弱そうな娘に見えたが」
「なかなかどうして、陸と空では性格が変わるタチのようです」
イルムの言葉に、カイは納得したように頷いた。似たような気質の持ち主に心当たりがあるのだろう。普段は寡黙だが、刀を持つと途端に声が大きくなる友人の影が、カイの脳裏をよぎっていた。
「機体・パイロット双方の性質を考えても理にかなっていると思います。機体もそうですが、パイロットの方にもかなり適正にムラがありますから」
キョウスケがそう言うと、お前が言うな、と聞き手の二人は同時に思った。
「まぁ、そうだな。俺やお前と組ませたって、せっかくのあいつの強みを殺すだけだ。機体だけで言うなら、レオナやアラドあたりもいけそうだが……」
「レオナはカチーナ中尉の、アラドは俺のところで、どちらもすでにそれぞれの小隊に根付いている。今更編成を変えても、不利益の方が大きい。かといって彼女を一人で既存の小隊のどこかに放り入れても、イルムの言った通りになるだろう」
ハガネ隊に格納されている機動兵器は、そのほとんどが特機、試作機、専用機、あるいは改造を受けたワンオフ機であり、その特性や運用法も画一的とはいかない。
そのため小隊の編成も、他所と違って単に数と技量のバランスを揃えれば良いという問題ではなかった。
「でも結局、シミュレーターの問題とかはどうするんだ? 今は基地逗留の身だから実機でやれば済む話だが、いつまでもここにいるわけじゃないだろ。日頃の訓練が不十分となると小隊としては辛いし、そもそも最初の問題が解決しない」
「リョウトたちに出来る限りのことをやってもらいましょう。いずれにせよ、当面の間のみ。言葉は悪いですが、小隊というよりは新兵とそのお守りに近い。実戦の空気に慣れて熟達してきたなら、また他にもやりようが見えて来るでしょう。そして奴に関しても、部下を抱えてしまえばそれが重しになります。俺たちが何かを言うまでもなく、自ずと好き放題できなくなるわけです」
キョウスケは両者の顔を見渡した。異議の気配は見当たらない。
「では満場一致ということで、俺から艦長に伝えます。決行は明日」
一同は揃って頷いた。
かくして明くる日の朝、戦闘司令官から全パイロットに向けて次の連絡がなされた。
「現時点よりハガネ隊に新たな小隊が新設される。小隊長はマサキ・アンドー。彼は有志の協力者であり、あくまで民間人の立場であるが、その実力と実績を認めこれを要請する。同時にアイビス・ダグラス臨時曹長を小隊員に任命。彼の下での奮戦を期待する」
寡黙な戦闘司令より無感動に告げられた連絡に、パイロットの面々は揃って目を見張った。意外な人事にも程があった。
「編成の理由を聞かせて下さい」
と挙手をして質問を挟んだのは、パイロットと同じく招集をかけられていたツグミだった。
「四つある。一に、今挙げた二名の機体特性が似通っていること。二に、同じく二名の操縦適正も似通っていること。三に、現時点でアイビス・ダグラスと最も交流が長く、互いの技量を良く知るのはマサキ・アンドーとクスハ・ミズハの二名であるが、一、二の理由と併せればマサキ・アンドーと組ませることが最適であると判断できる。最後に、アイビス・ダグラスはまだ実戦経験が浅く、戦場では相応の配慮が必要であるが、自律兵器と、敵味方識別可能の広域兵器を併せ持つサイバスターであれば、それが比較的容易である。以上だ」
マサキに何とか仕事をやらせようと悩んでいる間に、ふと思いついた……とはまさか言えずにキョウスケは淡々と並べ立てた。しかし後付けではあるものの、決して屁理屈ではない。アイビス・ダグラスの処遇についても、会議ではいくらか触れられており、ひょんなところから一石二鳥を得たことになる。二鳥、というところが、まさしくである。
しかし問題があるとすれば、どこか不穏当な気配を見せているツグミ・タカクラをいかに躱すかだろう。別段、説得の義務がキョウスケたちにあるわけではないが、彼女が認めるかそうでないかで、アイビスのモチベーションも変わって来る恐れがある。
パイロットたちの反応は、ラミア・ラヴレスなどかろうじて納得したような顔を見せる者、エクセレンのようにただ単に面白がる者など様々だったが、過半数はいまだ不安そうな表情を滲ませている。そして任命を受けた当人たちはというと、アイビスの方は意外にも落ち着いた佇まいでいた。
(ついに来た。けど、前から分かっていたことだから)
小隊長についても、彼女にとっては信頼にこそ値し、不安を招く要素ではなかった。アイビスが不安を感じるとしたら、それは常に自分自身に対してだ。
背筋を伸ばすアイビスの姿に、なるほど、とキョウスケは思った。「かわいいくらい、新兵らしい新兵だぜ」などとイルムは言っていたものだが、確かにアイビスは「これから兵士になる者」として非常に好ましい気質を持っているように思えた。そういった点でも、初対面のころから既に戦士であった(兵士ではなく)マサキとは対照的である。
ちなみにそのマサキは、このミーティングには参加していない。いつもの病気だろうとの意見が大半を占めたが、都合が良いので「捜索はミーティングを終えてから」とキョウスケは命じた。マサキの悪癖を知らないアイビスとツグミは、そんなやり取りに片や首を傾げ、片やますます目尻を釣り上げていた。
質問・疑問の声はこれ以上出ないようだった。ツグミ・タカクラも口を開く様子はなく、内心はともかく反対する権限が自分にないことを弁えているのだろう。
「なお事後連絡となるが、今後アイビス・ダグラス、ツグミ・タカクラ両名は徴集という形ではあるが、正式にハガネ隊に所属するものとし、我々の指揮下に入る。では以上で終わる。今日も宜しく頼む」
キョウスケはいつもの言葉で、朝礼を締めくくった。そして今日より始まる新たなる小隊の行く末に、ふと思いを馳せる。
さて、どうなることやら。
Ⅲ
こうして、それまで自由奔放を謳歌してきたマサキ・アンドーは、空でも空以外でも自由を奪われることとなった。小隊長に任命されたからには、その下に就く小隊員と可及的速やかに綿密な連携を構築することが当然求められる。
あくまで個人レベルの操縦訓練なら一人でもこなせる。事実これまでもアイビスは他の小隊の面子に混ざって訓練を行っていた。しかし小隊内のフォーメーションを密にするためには、マサキ自身も訓練に参加することが必須であり、ゆえにこうして彼がシミュレーターマシンの前に立ち尽くす必要もあるのだ。
「クロとシロにも協力してもらって試してみたけど、正直あまり上手くはいってないんだ。脳波感知や思考制御もPT技術にはあることはあるけど、あくまでサブとしてだし、サイバスターの操縦システムをシミュレーターで再現するのはやっぱり無茶だよ。とりあえずサイバスターのデータだけは可能な限り入力してあるけど」
そうリョウト・ヒカワは説明したが、マサキの方は促されたシミュレーター・シートを見つめながら沈黙するばかりだった。模擬的なものとはいえ、シミュレーターのシートは通常規格のコクピットを忠実に再現しており、レバー、ペダルはもとより膨大な量のスイッチ類、計器類に溢れている。マサキは目眩がしそうだった。
「これを……俺が使うのか?」
そもそも新小隊の件自体、彼にとっては寝耳に水だった。ようやく集会場に辿り着けたと思ったら、突然キョウスケから「お前は今日から小隊長だ」と告げられたマサキである。文句を言おうにものらりくらりと躱され、妙に緊張しているアイビスを押し付けられ今に至るのだ。
「いいからとっとと座れよ」
タスクが意地の悪い笑みを浮かべて、マサキの背を押す。自分が幾度となくカチーナにお灸を据えられている間、いつもいつも呑気にくつろぐばかりであったマサキに対して、これまでタスクに思うところがなかったわけがないのだ。
「とりあえずやってみようよ」
アイビスから遠慮がちにそう言われ、ようやくマサキは渋々とシートに身を沈めた。沈めたはいいが、何をどこから触っていいのかマサキには見当もつかなかった。
「それじゃ、あたし隣に行ってるから」
マサキが初めて文明の利器に触れた原始人のような気持ちでいるのに対し、こちらはいたって慣れたように機器を作動させる。
「おっし、それじゃ新小隊VSオクト小隊の記念すべき第一回交流試合だ。とりあえずあたしとラッセルの2対2で行くぜ」
そう宣言するカチーナだったが、その目は明らかに「試合になりそうもねえな、こりゃ」と言いたげに白けていた。
結果はまさにその通り、まるで試合にならなかった。突如始まった戦闘状況にマサキは慌てて操縦桿を動かしたが、ロジックの欠片も見当たらない操作に、仮想空間上に再現されたサイバスターは、風の化身に恥じない猛スピードで自ら大地に追突していった。
開始三秒で小隊長を失ったアイビスは言葉を失うも、いかなる思考プロセスを経てか逆に奮起しだし、以前の借りを返してゲシュペンスト・ラッセル機を打倒、カチーナのゲシュペンスト相手にも善戦した。しかし最後にはカチーナが得意とする近接戦闘に持ち込まれた末に撃墜された。
結果は0対1でマサキたちの敗北となった。
「カチーナ中尉。一言どうぞ」
タスクがマイク代わりに拳を差し出す。
「ラッセルを落とした時の動きは良かったぜ、アイビス。狙われたのがあたしだったら、あたしも危なかった。だがそれにしたって油断し過ぎだラッセル! 援護にかまけて、自分が疎かになってどうする。後でみっちりフォーメーション確認するからな。あとアイビスもいい加減、どつき合いの方もなんとかしねえと実戦でもいつか困るぜ? まぁ、それもあたしが仕込んでやるさ」
「了解です中尉」
「はい、ありがとうございます!」
ラッセルとアイビスの返事が唱和する。
「して、相手側の小隊長に対しての所感は?」
タスクがまたもや拳を差し出す。
言うことなし、とカチーナは肩をすくめた。だれもその言葉を誤解しなかった。使い魔にすらどこか冷たい視線を投げかけられながらシミュレーター内に突っ伏しているマサキを、アイビスだけが一人懸命に慰めていた。
昼食後、少しばかりの自由時間を挟んだ後、再び訓練が始まる。先ほどの模擬戦のペナルティもあって、アイビスとマサキはトレーニング・ルームに二人してこもり、延々と腹筋をこなしていた。
「サイバスター、にも、さ」
器具の上で何度も上半身を起こしては倒しながら、アイビスは尋ねた。
「……っ……っ……なんだよ?」
「やっぱり、強いGが、かかるの?」
「……いや、ねえな……耐Gスーツとか、着たことねえし……」
この場にツグミがいなくてよかったとアイビスは思った。
「でも、それにしては、体、よく鍛えてる、ね」
アストロノーツ候補生であるアイビスは、身体作りにおいてそこいらの男にも負けないものをもっている。だがマサキは歯を食いしばりながらだが、アイビスのハイペースに食らいついていた。
「以前……剣を、習っててな」
「剣? 剣道?」
「……くはっ」
ちょうど区切りがついたので、マサキは盛大に寝転んだ。
「どっちかっていうと剣術だな。住んでた家が結構な名門で、父親が師範をやってたんだ。武術をやれば魔装機の操縦にも役立つから、俺もすこし習ってた」
「へえ、跡継ぎなんだ」
「いや、俺は途中参加の家族だったし、継ぐなら実の娘の方さ。その父親も死んじまって、結局中途半端に終わっちまった」
彼が身の上話をするのは珍しい。哨戒任務のときに聞けたのは結局さわりの部分のみで、時おりツグミがマサキを捕まえて彼の、というよりはサイバスターの出自についてあれやこれや尋ねることがあっても、その相手は大抵二匹の使い魔が務めている。
なんとなく深く触れるのも憚られ、アイビスは「ふぅん」と相槌を打つだけに止めた。二人して口を閉じると、互いの呼吸だけしか聞こえなくなった。
「ごめんね。あたしに付き合わせちゃったみたいで」
「なに言ってんだ? 俺だろ、巻き込んでんのは。負けたのはどう見ても俺のせいだし」
「小隊のことだよ。なんか、あたしのお守りみたいな風になってるよね」
小隊結成にあたって、キョウスケが最後に挙げた理由を、アイビスはもっとも重く受け取っていた。
「あたし、本当は全然だめなんだ。DCでも、プロジェクトでもへっぽこでさ。マサキの前だと、なんでか調子いいことが続いたけど」
へっぽこねえ、とマサキは首を傾げた。
「でもあたし頑張るよ。足を引っ張らないように、頑張る」
「……」
マサキは思っても見なかったような顔で、アイビスを見ていた。これまで空の上でしかアイビスと接してこなかったマサキは、「かっとび娘」の陸の上での姿を、このとき初めて目にしたのだ。
タスクが言っていたのはこういうのかと、マサキは得心した。しかし共感には至らない。妙に弱々しいのは確かだが、頭を撫でたくなどはならないし、見ていて面白くもない。
ふと思いついたように、マサキは立ち上がった。
「どこ行くの?」
「キョウスケに出撃の許可を貰ってくる」
きょとんとしたアイビスを、マサキはじろりと見た。
「お前、これまで誰かと一緒に飛んだこと無かっただろ」
「? プロジェクトのころ何度も。あとDCにいたころも」
「ちゃんと背中を任せてか?」
「そういうのは……」
なかった、気がする。
「でもマサキだって、一人だったんでしょ?」
「地上に出てからはな。まぁ、とにかくついて来な」
言うが速いかマサキは身を翻し、とっとと駆け出していった。
Ⅳ
サイバスターとアステリオンが、晴れ渡る碧空を飛び回っていた。
サイバスターのシミュレーター適用の確認のため、艦内訓練に甘んじていた二人だったが、もともとアビアノ基地にいる間は広大な敷地を利用しての実機訓練が許されており、シミュレーターに飽き飽きしていたパイロットたちはこぞって外に飛び出していた。
それに遅れる形で参加したマサキとアイビスの両名は、目下ラトゥーニ、アラドのエレメントと模擬戦を演じている最中だった。
基地の資材を借りて、アステリオンは武装の全てをペイント弾頭に換装しており、サイバスターも訓練用の模擬刀に持ち替えている。切り掛かっても機体を傷つけることなく、ただダメージの証として相手の身体に真っ赤な塗料が残る仕組みである。
地上の開放感と格好の落書き道具を得て、マサキは嬉々としながらアラドの乗る量産型ヒュッケバインMk-2を追い回していた。
「ちょ、マサキさん、勘弁してくださいよ! あとで掃除すんの俺なんですけど」
すでにアラドの機体は、二割ほどカラーリングが変わってしまっている。
「なあに、なんなら全身真っ赤にしてカチーナの奴にでもくれてやりゃぁいいさ」
「そんなー!」
血相を変えてマサキから逃げ回るアラドだったが、見方を変えればよくサイバスターを陽動しているとも取れる。
「アラド、頑張って」
同じく量産型ヒュッケバインMk-2に乗るラトゥーニは、マサキらと離れたところでアステリオンと交戦していた。相方ほど状況は悪くはないが、良くもない。
ラトゥーニが駆る機体は、テスラ・ドライブこそ標準装備しているものの、とりわけ速度に特化したものではなく、ましてやアステリオンとでは最高速度において比べ物にならない。
しかしアイビスが果敢に攻めても、ラトゥーニはそれを上手く受け流しては反撃に繋げている。結果アイビスとラトゥーニの戦いは一進一退を繰り返していた。もし誰かが乱入すれば、あっさりと釣り合いの崩れる微妙な天秤であったが、それをアラドに期待することは、ラトゥーニが精一杯身内びいきを込めても計算しても困難だった。
アイビス機とラトゥーニ機が何度目かの交差を見せる。アステリオンの機銃をかいくぐりつつ、ラトゥーニもライフルを斉射するが双方直撃なし。
また仕切り直し、と考えつつラトゥーニは機体を反転させたが、その先にいるはずのアステリオンの影がどこにも見えず、空にはただ槍の如くまっすぐに伸び上がる飛行機雲だけが浮かんでいた。
「上?」
慌てて雲の先を見上げたラトゥーニの視界に、彼女の予測を越えたスピードで急上昇・急降下を果たしてきたアステリオンの銃口が飛び込んで来た。
ラトゥーニであればギリギリ対応できるタイミングであったが、突如鳴り響いた警報に気を取られ、それは叶わなかった。後背からサイバスターが、機を見計らって急接近していたのだ。
「うっひゃあ」
声を挙げたのは、発着場の隅に座るリュウセイ・ダテだった。
「終わったようだな」
隣に経つライディース・F・ブランシュタインも、手の平で日差しを避けながら呟く。二人が見上げる先では銀と銀、青と青が織りなす空中戦が繰り広げられており、そしてたったいま決着が見えたところだった。ラトゥーニが下されたとあっては、二対一でアラドに勝ち目は無い。
「あのタイミングで挟み撃ちを仕掛けられては、ラトゥーニを責められないな。それにしても、あれが噂のマニューバーか」
「自分の番が来るまでに見られて良かったな」
「ああ」
素直に頷く相方に、リュウセイはにっと笑った。
「降りて来るぜ。それじゃ、お迎えに行きますか」
そうして歩き出す二人の行く手で、模擬戦を終えた四機がゆっくりと着陸した。
コクピットから出たアイビスは、窮屈そうにヘルメットを取り去った。彼女が頭を振ると汗に湿った赤毛が陽光を反射しながら翻り、舞い踊る炎のようにも見える。
アイビスがリフトロープで地面に降りると、先に降りていたマサキがうんと伸びをしているところだった。
「マサキ、か、勝ったよ。あたしたち」
「ああ。上手いことはまったな」
つかず離れずで戦ってくるアラドとラトゥーニの照準をマサキに集中させ、それをアイビスが後ろから襲撃し、二人を分断させる。そのまま一対一が二組あるという状況を維持させつつ、機を見計らって合流して一機を集中攻撃する……というのがマサキの提案した作戦だった。ちなみにこれは、かつて彼が地底世界で同じく空中戦を得意とする仲間とよく行っていたものだった。
結果はまさに狙い通り、相手チームは隊列崩壊の末の各個撃破の憂き目に合った。なお、アラドとラトゥーニに決定打を与えたのは、どちらもアイビスが放った弾だった。
「あ、あたし二機も落としちゃった」
「へえ。へっぽこにやられるたぁ、あいつらも情けねえな。かたや教導隊だってのに」
「ち、ちがうよ」
アイビスは慌ててぶんぶんと首を振った。自分の腕前だけで落としたわけでは決してない。
「ああ、ちがうとも。わかるだろ? やれへっぽこだなんだっていうよりよっぽどでかいんだよ。二人いるってのはな」
大きさ、速さ、強さ。これらと同様に「多」もまた力である。単独で遊撃をこなす怖いもの知らずのマサキでも、そのことは熟知していた。だからこそ、経緯こそ気に食わないが、本音のところでマサキはさほど現状を面倒くさがっていなかった。
「けど、ラトゥーニ相手に一人でよくやれてたな。あいつ、顔に似合わず嫌らしかったろ?」
二人の後ろでは、俯くラトゥーニを右からはアラドが何度も頭を下げ、左からはリュウセイが肩を叩いて慰めていた。アイビスたちの話が聞かれている様子は無い。
「……すこしね」
「だろ?」
声をひそめ、二人はこっそりと笑い合った。
そしてこれよりさして時を置かず、正式にハガネ隊に配備されるようになったアイビスの身に、また一つ新たな契機となる出来事が起こった。
実戦である。