アイビス×マサキ(スパロボOG)   作:マナティ

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第二十一章:天と地と

 

 

   Ⅰ

 

 

 事前の計画と幾つかの偶然により、12月14日という日付はハガネ隊の周辺で様々な動きが並列的に始動する非常に慌ただしい日となった。

 

 第一に、こちらは事前の予定通りにハガネ隊整備班によるヒリュウ改の応急修理が開始されることとなった。瓦礫の海に寝そべる鋼鉄の巨大クジラを、外からの力だけで引き上げることは容易ではない。この後に控える本番の引き上げ作業に向けて、あるいはそれこそ可能であるのならヒリュウ改に独力で脱出させるべく、ヒリュウ改の動力部ならびに推進システムを少しでも正常に近づけなくてはならなかった。かくして12月14の午前9時半、ハガネ隊の整備班たちは地元のレスキュー隊のサポートも受けながら、各種工具や交換用パーツの他に命綱、ハーネス、懐中電灯、安全ヘルメット、艦内マップ等々まるで洞窟探検隊のような装いでハガネ艦内を出発した。ことは引き上げ作業の成否にかかわる。隊内からの期待を一身に浴びながら、その探検隊兼技術者という一風変わった集団は、整然と列を成しながら、黙々と瓦礫の谷間に寝そべるヒリュウ改の下へと向かっていった。

 

 第二の案件はこれもまた予定の通り、12月14日13時にて「移動式工廠」とも称される修理専門の特務艦隊が無事にラングレーへと到着した。まな板を立てたような特異な形をした四隻のドック艦は、そのまま二隻一組となって即席のフローティング・ドックを形成し、テスラドライブによる質量減衰と磁気浮上を用いて戦艦一隻をまるまる入渠させることができる。そしてそのドック艦に所属する十二の修理工作部隊が、入渠した艦体を中の機動兵器ごと丸ごと一括修理にあたるという寸法である。完全修理には時間を要するし、中には彼らの手にすら負えない状態の機体もあるが、いずれにせよハガネ隊の戦闘力はこれにより大幅に持ち直す見込みであった。当然、修理の間ハガネ隊は無防備となるが、その間の防衛はブリジッダ率いるDC部隊が担うこととなる。また第一と第二の案件については、必要に応じて人員を交換し合い、密接に連携をとりながら並列的に進められる計画にもなっている。

 

 第三の案件は、一部の人間にとってはまさしく寝耳に水の事態であった。事の始まりは12月14の午前十時半。ヒリュウ改の修理活動はすでに始まっており、午後に予定している修理艦隊の受け入れの段取り確認のため、ハガネ隊の管理者たちがミーティング・ルームに集ってあれやこれやと打ち合わせを行っているその場を、一人の少年が訪ねてきた。

 

「どうした。ここに顔を出すなど珍しいな」

 

 部屋に足を踏み入れたマサキは、そう声をかけられて露骨に嫌そうに顔をしかめた。ミーティングルームの中にはキョウスケ・ナンブ、テツヤ・オノデラ、ダイテツ・ミナセ、レフィーナ・エンフィールドにショーン・ウェブリー、そしてその他の班の班長クラス等々、小煩い面子が揃いも揃っていた。少なくとも世間話の相手には間違っても選びたくない顔ぶれだった。

 

 とりあえず、ひとまずの相談窓口としてマサキが見定めた相手は歳も役職も近いキョウスケだった。

 

「ちょいと相談があってな。話を聞いてもらいてえ」

 

「俺一人にか?」

 

「どっちでもいいけど、まぁ、ここで全員が聞いてくれるなら話が早えぜ。どうせ後で伝言ゲームするんだろ?」

 

「悪いがミーティングがまだ終わっていない。後にしてくれるか」

 

「まぁまぁ。もうあらかた議題も消化してますし、少しなら構わないでしょう。現場の意見に対してはいつだって耳をそばだてるべきです」

 

 心なしか弾んだ調子でとりなしたのは、今はハガネに居候中の身のレフィーナ中佐だった。ちなみにレフィーナがマサキをかばうのには理由があって、彼女もまた前大戦のころ、部下も僚機も持たずまさしく飛ぶ鳥のごとき奔放さだったマサキに、さんざん悩まされてきた人物だった。その反動もあってか、アイビスが来てからのマサキの勤務態度を最も評価していた人間でもあり、さながら長年手を焼かされた不良息子が、ついに公務員への就職を果たしたかのような心境でいた。

 

 ましてやあのマサキが、彼女を含めた指揮官クラスに相談を持ちかけに来るなど、レフィーナにしてみれば、かつてのドラ息子がなけなしの初給料でカーネーションの花束を買ってきてくれたような気持ちがするものなのだろう。そんな頓珍漢な感慨が、レフィーナをして多少のことには目をつむってでも、彼の話を聞こうという気にさせていた。

 

 無論、そんなものは次のマサキの言葉でいとも無残に打ち砕かれることになる。

 

「夜明け前のことなんだがな。DCのリューネってやつにアイビスが攫われたんで、バミューダ諸島でちょいとドンパチやってきた。相手の機体はボロボロだけど、死人も怪我人も出てねえぜ。DC側から何か言ってくるかもしれねえが、まぁ適当に処理しておいてくれ」

 

 悪い、お袋。やっぱ俺には小役人なんて向いてなかったぜ。所詮、男の人生は酒とバイクと煙草と女さ。そんな幻聴と、畳の上でさめざめと泣き伏せる割烹着姿の自分をレフィーナは幻視した。

 

 

 

 12月14日、午前4時。夜も明けきらぬ暁の時分、ハガネ隊に所属するマサキ・アンドー、アイビス・ダグラスの両名と、DCに所属するリューネ・ゾルダークが機動兵器を用いた私闘を行った。マサキ・アンドーが愛機であるサイバスターに乗り込んで、無許可でハガネを出奔したのが同日の午前二時頃。そのままバミューダ諸島へ一直線……とはやや言い難くはあったものの、とにかく現地においてリューネ・ゾルダークと交戦。本人がのたまうには当然のこととして見事勝利を納め、部下の奪還も果たし、そしてアイビスとリューネ、そして彼女の機体であるヴァルシオーネを抱えてハガネへと帰還したのが同日の午前五時頃となる。

 

 どうりで朝食の席に、アイビスもマサキも、加えてツグミ・タカクラまでもが姿を現さなかったわけだ、とキョウスケは合点がいった。昨夜のパーティーのこともあり、今日のパイロットたちには午前半休が与えられていたので、不審に思う者はいなかったのだ。なおヴァルシオーネの方は、アイビスの提案によりここより西方にある森の中に一時置きしてあるとのことだった。戦闘で中破した状態のものをハガネに置いても、ブルーストークに返しても、余計な騒ぎになることが目に見えていた。

 

 DC側の事情は分からないが、機動兵器の発着が厳正に管理されているはずのハガネにおいて、なぜ艦載機の無断出撃などが起こりえたかというと、理由は単純で格納庫にちょうどサイバスターがすんなり通り抜けられるだけの大穴が開いているためだった。これはラングレー陥没の際、マサキが地表に脱出するために開けた穴であり、いまだ修復が済んでいない。そのため確かに無許可での離発着が容易にできてしまう状況にあったのだが、しかしまさかそんなことをする者がいるとは想定されず、あまり問題視はされていなかった。あるいはこのたびの一件により、ハガネ隊の艦内規定に新たな注意事項が加わることになるかもしれないと、キョウスケは頭を抱えるばかりだった。

 

 無断出撃、機動兵器による私闘、友軍機の破壊。どれ一つとっても本来であれば軍法会議が開催されてもおかしくない案件であるのだが、そもマサキは軍属ではないし、また今日という日にそれを決行するにはあまりにもタイミングが悪すぎる。先述したように12月14日という日はヒリュウ改とハガネの修理作業が並列的に始動する日であり、どちらも当然ながらハガネ隊とその護衛を務めるDC軍が協調関係にあることが大前提になっている。もし本件がこじれてハガネ隊とDC軍が睨みあうようなことになれば、ヒリュウ改とハガネの修理活動に支障をきたすことになり、またそれは大局的にはオペレーション・プランタジネットのさらなる遅延にもつながる。

 

 この一件、どのような形に終わらせるにせよ、とりあえずこれ以上DCと事を荒立てるようなことがあってはならない。マサキから簡単にあらましを聞いたダイテツ、レフィーナ両艦長は、ひとまずそれだけを方針として定め、渋るマサキの後ろ襟を固く握りしめながらDC旗艦ブルーストークを訪ねて行った。

 

 当事者であるリューネも、また彼女の機体もハガネ預かりになっていることもあって、ブルーストーク内でも本件について把握している者は数えるほどしかいなかった。その数少ない人間の一人であるブリジッダ中佐とダイテツ、レフィーナ両名の話し合いは、特務艦隊受け入れを2時間後に控えた同日午前11時頃に行われた。話し合いはさすがに全くの無風状態とはいかなかったが、議論を停滞させる要因としてはむしろハガネ隊側の意思統一が不十分であったことの方が大きかった。当事者および重要参考人として場に同席したマサキであるが、立場上ハガネ隊側に属する身であるにもかかわらず、リューネ当人への厳粛な処罰を求めるというダイテツらの当然の主張に対して、ブリジッダよりも早くに異議を唱える始末であった。

 

「俺は軍人じゃねえし、サイバスターだってあんたらの持ち物じゃねえ。形式的にはアイビスだってそうだし、聞くところにゃリューネだってそうらしいじゃねえか。軍とは無関係の三人が、人様に迷惑のかからないところで喧嘩したってだけのことを、どうしてそう大げさな話にしやがるんだ。世話になってる身だし、説教は受けるし、頼みだって聞くが、軍法とやらに従ういわれはねえ」

 

 そう真顔で言ってのける始末であったから、軍としての常識が染み付いた者らにすればそれこそ異星人を相手にするようなものだった。なんにせよ若干一名の暴論により合間合間に混乱を挟みつつも議論は日をまたいで幾度か繰り返され、目を覚ましたリューネ本人に対して共同で事情聴取等も行いつつ、次第に事態は穏便な方向へと落着していった。

 

 結局のところ現時点でなにより優先すべきはDCとハガネ隊の協働体制を今後とも維持していくこと、そして共に異星人を打倒することだという点で両サイドの見解は一致しており、その一点に目掛けて話を収束させていくことはハガネ隊、DC双方の望みであったのだ。

 

 不幸中の幸いとして死傷者がでなかったこと、またどういうわけか一応被害者側であるマサキたちにも何の遺恨もないこと、どころか逆にリューネをかばう動きを見せること、そしてこの事件を知る人間が両軍においてもごく少数に限られていること、なにより現在という時勢を鑑みて、結果として今回の一件は内々に処理されることで論を結び、マサキとリューネの処遇は、各々の上位者(両名ともそれを聞いたら誰のことかと首をかしげるだろうが)の裁量に委ねられることとなった。

 

 こうしてマサキとリューネの、サイバスターとヴァルシオーネの決闘の一件は、ハガネ隊とDC軍のほとんどの者に存在すら知らされることなく秘密裏に処理されたのであった。

 

 

 

 これまでに挙がった三つに比すれば非常にささやかな問題であるが、最後にもう一つ、12月14日に端を発した案件がある。アイビス・ダグラスとツグミ・タカクラ両名のハガネ隊復帰、そしてフリューゲルス小隊再結成の件である。

 

 先のマサキの言葉にもちらりと表れたが、ラングレー陥没以来当たり前のようにハガネ隊に身を寄せていたアイビスとツグミであるが、それはあくまでなし崩し的なものであり、正式的に二人に復帰許可が下りているわけではない。とりわけアイビスは、もともとPTSDを理由に退艦処分となった身のため、たとえ本人の希望があったところでやすやすと隊に戻れるはずもなかった。

 

 しかしそんな形式的な話とは別に、いまのアイビスがハガネ隊において重要な価値を持っていることは疑い得ない。そもそもいまハガネ隊が曲がりなりにも無事に存続できていること自体、彼女がマサキに代わってサイバスターを駆り、敵の猛攻を薙ぎ払ったお陰であるし、いまハガネ隊でまともに戦闘行動をとることができるのも彼女とマサキ・アンドーの二名のみなのである。厳密にはすでに一民間人の身分となっている彼女が今日までハガネにとどまっていたことは、無論本人の意思ということもあるが、ハガネ隊にとっても放した魚が飢えた時にまた舞い戻ってきてくれたかのような、まさしく渡りに船なことであったのだ。そんな需要と供給の双方間一致を文書に則った正式なものとするべく、12月14日の12時頃、ちょうどリューネとの一件でマサキが両軍会談の場に出頭させられていたさなかに、若き戦闘指揮官が手始めに当人らの意思確認を行った。

 

 そしてマサキがそのことを知ったのは、翌日12月15日のことである。

 

「今日もだらけてますねぇ、アンドーさん」

 

 ラウンジのソファに疲れ切ったように寝転ぶマサキに対し、アイビスは足下に散らかった靴を拾いあげながら含むように言った。

 

「おう、お陰で腐りきってるぜ。昨日今日と、同じ話ばっかさせやがって」

 

「敵の大軍が押し寄せてくるよりマシじゃない。それよりリューネの方はなんとかなりそう?」

 

「なるんじゃねえか? どっちも穏便に済ませたがってるのは目に見えてんだし。もう結論は出てるっつーのに、なんだってあんなにごちゃごちゃ揉めたがるのか、俺には分かんねえな」

 

「まぁ、いろいろ難しいんだよ」

 

 アイビスも軍人ではないが、社会人ではある。そのため、こういった点については彼女もマサキの全くの味方にはなれない。

 

「それと気が滅入っているところ悪いけど、もう一つこれから仕事が増えると思うよ。昨日マサキがブルーストークに行っている間、やっとキョウスケ中尉たちと復隊の話をさせてもらえたの」

 

「復隊? お前、復帰すんのか?」

 

「当然」

 

 なにがどう当然なのか、マサキは皆目分からぬ顔をした。素知らぬ顔でこれまた脱ぎ捨てられていたマサキのジャケットを床から拾い上げるアイビスに、マサキはじれったそうに身を起こした。

 

「救助の手伝いくらいならともかく、自分で放り出しておいてまた徴兵なんざ、いくらなんでも勝手すぎるだろうが。なんで断らなかった」

 

「何故って言われても……」

 

 マサキのジャケットを抱えたまま、アイビスは困ったように首を傾げた。

 

「うまく言えないよ。まぁ、乗りかかった船だからかな。文字通りに」

 

「ええい、真面目に言え、真面目に」

 

 甲斐甲斐しくマサキのジャケットの皺を伸ばしていくアイビスに、マサキは心底呆れ果てたものだった。

 

 なぜアイビスはハガネ隊に残ろうとするのか。その点については、彼女自身よりもむしろ最も彼女の近くにいる人物こそ回答に近いものを持っていた。アイビスとマサキは知らないことだが、昨日に彼女らの意思確認の役割を担ったキョウスケ・ナンブ中尉は、マサキ同様に思うところあってアイビスよりも先にツグミ・タカクラの方と話をしていた。

 

「アイビスは断りません。復帰を強く望むと思います」

 

 キョウスケの執務室で、ツグミは世の定理を語るように断言した。

 

「こちらとしては非常に助かる。助かるが、何故か、という点をまず君に尋ねたかった」

 

「多分、初めてだったからではないでしょうか」

 

 さして考え込むそぶりすら見せず、ツグミはそう思うところを言った。仲間を得るのも。相棒を得るのも、彼らとともに努力し合い、共通の目的に向かって邁進してゆくのも、すべて彼女にとって初めての体験だった。プロジェクトTDに入る前のアイビスの姿を、ツグミはフィリオからすこしだけ聞いたことがあり、そこから想像の翼をはためかせた上での見解だった。

 

 友情、助け合い、切磋琢磨。そういった本来幼少の頃に体験してしかるべき人間関係の建設的相互作用を、あるいはアイビスはハガネ隊で初めて自らの血と肉で経験した。そしてそのことに幸福感を覚え、ハガネ隊そのものに強く帰属意識を抱いている。あくまでツグミの想像に過ぎないが、しかしそうであってもおかしくないほど、アイビスはハガネ隊を、なかでも特定の一名との人間関係を非常に貴重なものと捉えていることはたしかだった。

 

 荒んだ家庭と過酷な放浪時代には得られなかったもの、あるいはその過程で失っていったもの、到底言葉では言い表しえない、ただなにか人としてとても大切なものを、アイビスはこの艦で取り戻していったのだ。

 

「私としても、アイビスがこの艦にいることで心身ともに目覚ましく成長したことは疑い得ません。あの子は強くなった。きっと今後も同じです。また異星人の問題は、プロジェクトの存亡にも密接に関わります。アイビスは間違いなく隊への復帰を強く望むと思いますが、私に反対するつもりはありませんし、当然その際は私も同道するつもりです」

 

 キョウスケはしばしのあいだ考えを巡らせ、最後にひとつ頷いてツグミとの面会を切り上げた。ついでアイビスが部屋にやってくると、果たして彼女の言葉は一貫して誰の予想も裏切ることはなく、そのまま波風立たずに終わった。

 

 なおこの後、常日頃では非常に珍しいことに、この寡黙な青年はこの件について相方に相談を持ちかけている。

 

「別になにがどうというわけじゃない。彼女の見解は理路整然としているし、説得力もある。なによりその通りに、アイビスも復帰を快く引き受けてくれた。全く問題はないんだが、しかしどうにも収まりが悪い気がしてな」

 

「うんうん。理系の人たちの話し方によくあることよね」

 

 さも賢しらぶるエクセレンに、青年のいつもの鉄面皮に、わずかに興味深げな色が宿った。

 

「どういうことだ」

 

「その前に、この格好を見て何か言うことはないの?」

 

「ずいぶん気に入ったようだな。よほど着心地がいいらしい」

 

 いまだしつこく看護服を着用し続けるエクセレンに、キョウスケは全くもって正直に思うところを伝えた。エクセレンは一つため息を吐いてから、渋々と口を開いた。

 

「要するにあれよ。理論的だし論理的だし正しいっちゃ正しいんだけど、ちょっと小難しすぎて逆に伝わりづらいってだけよ。とある女の子がふとしたきっかけでとある男の子と出会った。いろいろあったけど、なんやかんやで二人は心を通わせ、そして離れがたく思うようになった。要はただそれだけの、いたってシンプルな話でしょ?」

 

 キョウスケは先ほどの同じようにしばしの間黙考し、また最後に一つ頷いた。ツグミのときよりも若干、大きく。軍の戦艦の中で何と軽薄な、などとは青年は思わない。自分とて一皮むけばそう大差はないと彼は知っていた。

 

 かくして12月14日。キョウスケ・ナンブ中尉の名の下、アイビス・ダグラスとツグミ・タカクラの復帰手続きはそうして正式に始動し、細かな文書作成のほか幾つかの特別処置も含めて後処理が進められることとなった。平時であればともかく、いまはハガネとヒリュウの修理が始まったこともあってハガネ隊全体が繁忙期となっており、すべての手続きが消化されるのには幾らか時間が掛かるだろう。しかし後処理を進めるためにも、まずアイビスの復帰の大前提として一刻も早く実施しなくてはならない事柄があった。

 

 アイビスの回復具合を証明するための、試験飛行の再実施である。

 

 

 

   Ⅱ

 

 

 

 エンジンはすでに暖まっていた。出力臨界。テスラ・ドライブが呼吸を始める。機体が熱を帯びるに従って、機体質量が偏位し、周辺重力が歪曲していった。水平面に鎮座しているはずの機体に、本来ありえざる位置エネルギーが蓄えられていく。

 

 舞台の幕が上がるように、カタパルトハッチが音を立てて開放されていく。暗闇のトンネルに光が射す。ハッチが開ききった数秒後にガイドランプが赤から緑に変わる。

 

「アイビス・ダグラス。発進よし」

 

 宣言のきっかり二秒後に、射角25度で電磁射出。アステリオンは弾丸となり、時速300キロで朝の碧空に弾き飛ばされた。同時に押し込まれるスロットル・レバー。蓄えた位置エネルギーが満を持して解き放たれる。重力を従え引力に逆らう、そんな物理的矛盾を大気の壁もろとも突き破りながら、アステリオンは高く高く天頂を目指した。

 

 高度12000メートル。昇ってゆく。すでに成層圏に足を踏み入れている。加速度的な気圧変化に反応して、機体腰部のアウトフローバルブが作動した。コクピット内の与圧が徐々に下げられていく。内外気圧差を抑え、機体に余分な応力をかけないためである。反面、パイロットには過酷な環境を強いることになるが、非戦闘用とはいえアステリオンは旅客機ほど搭乗者に優しくもない。

 

 高度18000メートル。まだ昇ってゆく。ジェットエンジンであれば停止し始める高度であるが、アステリオンには関係ない。一度飛び立ったアステリオンは誰にも止められない。テスラドライブはますます溌剌とし、補助用ロケット推進もまた一切の衰えなく続々と反作用エネルギーを吐き出していく。

 

 高度23000メートル。さらに昇ってゆく。ぎしぎしと五体がきしむ。スーツの弾性繊維が、膨張と圧迫で鬩ぎあっていた。ヘルメットに供給される脱窒素剤の濃度がさらに増し、独特の風味に若干の嘔吐感を覚えた。肉体が着実に高高度用に作り替えられていくのを感じながら、アイビスはさらにスロットルを押し込んだ。

 

 高度30000メートル、35000メートル……。

 

 そして高度およそ40000メートルで、ようやくアイビスはスロットルレバーをニュートラルへ戻した。成層圏も半ばを超え、さらに上方の中間圏まであとわずかというところで、飛翔から浮遊へと挙動を切り替える。

 

 果たして、そこは静寂の世界だった。頭上は夜のように深い紺色。空の反射光に照らされわずかに明るく見えるものの、まさしく宇宙の色である。あと一息で真の闇が姿を現す、その境目にいまアイビスはいる。

 

 眼下には、高度40キロにあってなお視界を埋め尽くすほど巨大な母なる地球の姿がある。青い砂漠のようだ。大地も森も大気の奥深くへ霞みゆき、すでに色を失っている。地球はただただ青かった。そして彼方の空平線は、のしかかる濃紺にあらがうかのように淡く水色のオーラに光る。空色のアーチ。大気と真空の境界線。その水際にアイビスは、まるであの世とこの世を分つかのような神聖さを垣間見た。

 

 アイビスは再び空を見上げた。濃紺色をした無限そのものが、今にも手の届きそうな高さに広がっている。心が沸き立つのを感じた。減圧症でもあるまいに、血液がぐつぐつと水泡を吐き出していく感覚があった。

 

 行きたい。

 

 行ってみたい。

 

 この闇の果てを、この目で見てみたい。

 

 アイビスは改めて己の人生の芯になるものを確かめた。

 

 やはり自分はこうなのだ。地球という巨大な惑星が芥子粒のように思えるほど広大無辺なあの闇を、思う存分に駆け巡りたくてやまなかった。そこには意味も価値も必要ない。ただ、それが自分であるというだけだ。

 

「ずいぶん楽しそうだな、おい」

 

 そう無線で声がかかった。呆れるように嘆息をつくその人物と、その人物を乗せた機体は、アステリオンの後背50メートルほどの距離にいた。機動兵器の尺度で考えれば、十分に白兵距離といえる間合いである。

 

「お前、これがテストだってこと忘れてるだろ」

 

「あれ、そうだった?」

 

 そううそぶきながら、アイビスはゆっくりと機体を相方の方へと振り向かせた。振り向いた先に見える姿はもはや言うまでもない。力強い五体。白と銀の鎧。三層一対の翼。猛禽の爪。風の魔装機神。連邦軍に登録されている公式スペックデータを鑑みれば、アステリオンは地球圏内のあらゆる機動兵器を凌駕する速度で上昇してきたはずだが、かの騎士は、そんなもの俺には関係ないと言わんばかりに余裕綽々の態で追従してきていた。

 

 アイビスはそれを悔しいとは思わなかった。ただただ最速を目指し、孤独を求めた偏屈屋のパイロットはもういない。誰よりも速く巧みに全身全霊で飛翔することが喜びであるのなら、それを共有し、分かち合うこともまた歓びだった。そんな相方がいてくれることを、それが彼であってくれた事を、アイビスはあの空平線の彼方にでもいるのかもしれない神様に感謝する気になった。

 

「ちったぁ真面目にやりやがれ。言わせんなよ、俺にこんなこと」

 

「調子はいいよ。すごくね。なんならスイッチも捨てちゃえば?」

 

「あれなら邪魔だから置いてきた」

 

 あんまりな答えに、アイビスは思わず笑った。

 

 今回のフライトは、アイビスの回復度合いを確かめるための試験飛行であり、その際、幾つかの点を除いて以前に行なったものと同様のルールが設けられていたはずだった。その一つとしてアステリオンを外部から緊急停止させる装置も以前と同様にマサキへ手渡されていたのだが、どういうわけか彼の手元にはないらしい。今頃はハガネ格納庫隅のゴミ箱の中にでも転がっているのかもしれない。

 

「ふふ、あはは!」

 

 そして高度40キロにも昇る上昇を果たしたいま、機体にもアイビス自身にも何一つ異変は訪れていなかった。むしろ最高の調子といえる。アステリオンも、それを操る自分も。第三の目はもう開かれない。たとえ現れようが、銀の凶相もあの大穴も、今なら一息に突き破ってしまいそうだ。

 

「あはははは!」

 

 心行くまでアイビスは笑った。

 

 今、彼女は全てを取り戻していた。どこからも文句が上がらないほど完璧に、身も心も、空も翼も、愛機も夢も、そしてもう一つのものも。

 

「このまま月まで行こうとかぬかすなよ」

 

「あは。いいね、それ。でもアステリオンだと、月まではちょっとね」

 

「なんだ、そうなのか?」

 

 実際のところ、現行最新鋭の航宙機であるアステリオンにはそもそも限界高度などなく、やろうと思えば大気圏離脱も十分可能である。ただし現時点ですでにロケット推進剤が三割ほど減ってしまっており、この状態で大気圏離脱・再突入を続けざまにこなせば、ほぼ確実に底を突くだろう。

 

 あくまでメイン推力はテスラドライブなので、それでも飛べないことはないのだが、犠牲にする要素も多々あり、さすがに試験フライトでそこまでギリギリの状況を作るわけにもいかない。

 

「将来宇宙探検をしようって奴が、案外だらしねえもんだな。こちとら前に地球を二十周もしたけど、全然へっちゃらだぜ」

 

 さも自慢げに言われ、アイビスの頭の何処かがカチンと鳴った。マサキの言は機体の長所以上に、彼自身の短所を露呈しているが、それでもだ。

 

「まぁ今に見ててよ。完成したシリーズ77の性能はアステリオンの比じゃないからね。これが限界と思われちゃぁ、困りますね」

 

「へーえ」

 

 言いながら、マサキは腕を組んだ。

 

「もう正式図も上がって、仕様書も貰えてるんだ。完成間近ってわけ。そうなったらもう、マサキの出番は無いね」

 

「ほーお」

 

 にやにやとマサキの口角が上がっていく。

 

「なんだったら、マサキが追っかけているシラカワ博士の……グランゾンだった? それもあたしが退治しておいてあげる」

 

「ふーん」

 

「……もう!」

 

 手を振り上げる真似をするアイビスに、通信窓に映るマサキはくっくっと肩を揺らした。

 

 

 

 高度四十キロの成層圏に機体を維持させたまま、二人はすっかり寛ぎ倒していた。マサキなどはシートの背もたれを倒して寝転がりすらしてしまい、アイビスを「あ、いいな」と羨ましがらせた。

 

 試験の結果は、もはや取りざたするまでもない。パイロットとしてアイビスが最高のコンデイションにあることは疑いようがなかった。一応監督役のマサキとしては用が済んだ時点でハガネに連れ戻さなくてはならないのだが、今回はアイビスにとって久しぶりのフライトであるし、そのアイビスがしきりにここに留まりたさそうにしているので、まぁいいやという気になっていた。その旨を一方的にハガネに通信文で送りつけ、それだけで済ませてしまう。

 

 そうして二人は成層圏にてあれこれと世間話に興じ合った。気圧は地上の十分の一以下。気温は氷点下。機体に守られているとはいえ、一切の生物の生存を許さない遥か高空の領域も、二人にかかればあたかもそこらの喫茶店かなにかのようだ。

 

 二人はハガネ隊の皆の話をした。

 

「二人して寝込んでたとき、みんなお見舞いに来てくれたのはうれしいかったけど、なんだか疲れたね。本当に毎日来てくれるから」

 

「とりわけタスクなんかはな」

 

「ああ、うん」

 

 アイビスはふと一計を案じた。

 

「ひょっとして、その、あたしなんかに気があったりするのかな、なんて。だとしたら、悪くないかなーなんて思ったりしなくもないんだけど……マサキ、どう思う?」

 

「なぬ?」

 

 ちょっとした思惑あって、まるで言い慣れないことを四苦八苦しながら言うアイビスに、マサキは真顔で目を見張った。

 

「お前ああいうのが趣味なのか? レオナの連れを狙うたぁ度胸あるな。まぁよしみで応援してやらなくもねえけどよ」

 

「冗談だって分かって欲しいな」

 

「なんだ、おどかすな」

 

 マサキは再びシートに寝転がり、アイビスはバツが悪そうに一本指で額を掻こうとしたものの、こつんとヘルメットに阻まれた。どんな思惑があったかは彼女のみぞ知るところだが、あまり上手くはいかなかったようだ。

 

「惚れた腫れただのは知らねぇけどよ。確かにあいつはあいつでお前さんのこと気にかけてたぜ。お前のことを、古くさいスポ根もののヒロインみたいだとさ」

 

「褒め言葉なの? それって」

 

「そうなんだろ、あいつん中では。俺もおとぎ話の主人公って誰かさんに嫌味を言われたことあるけど、お前を同じように見る奴もいたってこった」

 

「そ、その辺の話は止めて欲しいかなーと」

 

「あぁ、今になってケツが痛いぜ。突き飛ばされたもんなー、そういや」

 

「はい、あたしも。あたしも殴られそうになりました」

 

「殴ってねえ」

 

「でもその気だったでしょ? 胸倉だって掴まれたし、ありゃ立派なパワハラだね。おあいこおあいこ」

 

「ちっ、調子のいいやつ」

 

 毒づくマサキだが、言うほど怒ってもいないようだ。

 

 次に二人は戦争の話をした。

 

「いま異星人は弱ってるでしょ。仮にアギーハが生きていたとしても、いまは四幹部のうち誰も機体がないはずだよ。これってチャンスなんじゃないかな?」

 

「ほう、お前にしちゃ好戦的だな。なんなら今から攻め込みに行くか?」

 

「どれくらいの敵がいるの?」

 

「月とホワイトスター、合わせて1000以上だとよ」

 

「ううん、サイバスターがあと二十機くらいあればなぁ」

 

 あいにくとマサキにはせいぜい3機しか心当たりがない。なんにせよ、いまは攻勢に出る時ではないということだが、少年としてもその点については思うところがないわけではなかった。

 

「どうもこの戦争、思ったよりも長引きそうだな。あまり時間はかけたくねえんだが……」

 

「故郷に帰るのが延びちゃうから?」

 

「シュウをぶちのめすまではどのみち帰れねぇけどな。……でも待てよ。そうだな、ハガネも異星人もしばらく動けねえなら、いっそ先にあいつを片付けにいくのもありだな」

 

「まさかハガネを降りる気? 冗談やめてよ。どこに居るのかも知らないんでしょ?」

 

「けどだな」

 

「マサキがシラカワ博士と戦うときは、あたしも一緒に戦う。皆がいれば、皆だってそうする。あんたが負けるなんてこれっぽっちも思わないけど、一人より二人、二人より大勢でしょ? いつか言ってたじゃないか、『多いこと』は力だって」

 

「まぁ、そうだけどよ」

 

「本当の仲間は故郷にいるのかもしれないけど、地上にいる間はあたしたちを仲間だと思ってよ。少なくとも、あたしはそう思ってるよ。軍人じゃなくても、異世界の人であっても、あたしの隊長といったらマサキだけだ。あんたしかいないんだ」

 

「……」

 

 マサキはしばしの間困り果てたような、それでいてむず痒いような複雑な顔で黙っていたが、やがて「悪かった」と不貞腐れ気味にぽつりと呟いた。この話はそれで終了となった。

 

 つぎに二人は、リューネの話をした。

 

「大事なさそうで良かったね」

 

「まぁな。妙なことにでもなったら、さすがに寝覚めが悪いからな。また懲りずに付け狙ってこなきゃいいけどよ」

 

「たぶん大丈夫だよ。いや、根拠はないけど」

 

「そうかい。にしてもビアンのおっさんの娘っていうから、どんな厳つい顔かと思ってたけど、結構かわいかったな」

 

 アイビスが相槌を打つまでに、二拍ほどの間があった。

 

「へえ、隊長はああいうのがお好みですか」

 

「あまり顔を合わせたくはねえがな」

 

 話はまたハガネ隊の皆のことに戻った。

 

「仮にも連邦軍のエースどもが、揃いも揃っていつまでも瓦礫運びにかまけてるようじゃぁ困るぜ。とっとと機体の方を直してもらわねえとな」

 

「内装までやられてるんじゃ、特務艦隊が来ても簡単にはいかないよ。PTなんかはそういうの多いみたいで、ラボ送りになる話も出てるんだって。修理ついでに改修もできるし」

 

「そういやキョウスケやエクセレンが、そんなことぼやいてたっけ。日頃の行いが悪いせいだな、ありゃ」

 

「マサキが死にかけたのもそうだったりして」

 

「てめぇ」

 

「うそ。冗談。感謝してます、ほんと」

 

「くたばりかけてたのは、そっちも同じだろうが。まったく余計な手間取らせやがって」

 

「……」

 

「どうした?」

 

「んーん。なんでもない」

 

 俯くことで自分の顔色を隠しながら、アイビスはそうとだけ言った。いい加減、ヘルメットを邪魔に感じていた。中が火照ってしょうがない。

 

「でもさ、サイバスターを操るのって、あんなにしんどいものなの? マサキは大丈夫なの?」

 

「まぁ乗り始めのころは色々あったけどよ、今はもうよっぽど無茶しなけりゃ問題ねえよ」

 

「例えばどんな?」

 

「サイフラッシュを四、五連発するとか」

 

「ふうん」

 

 そうと聞いて、アイビスの眼が悪戯っぽく煌めいた。

 

「もしこの先マサキがあたしみたいになるときがあったらさ、そのときはあたしが助けなきゃね。だから今度やりかた教えてよ」

 

「……」

 

 案の定、マサキは見る見るうちに動揺しだした。無表情を装ってはいるが明らかに頬が強ばり、目もあちらこちらへと泳いでいる。もしや自分は彼の一生モノの弱みを手に入れてしまったのではと、今更ながらにアイビスは気付いた。

 

「ね、いいでしょ」

 

「やなこった」

 

「なんでよ。それくらいの激しい戦いだって無いとも限らないし」

 

「ねえ」

 

「なんで言いきれるのさ。もしもそうなったら誰もマサキを助けられないんだよ? それで死なれでもしたら、あたし一生夢で魘されるよ」

 

 からかい目的だったはずだが、言ってて自分でも危機感を覚え始めたのか、アイビスは段々と真顔になっていった。

 

「いらねぇったら、いらねぇ」

 

「だめ、教えて」

 

「断る」

 

「教えて!」

 

「嫌だ!」

 

「なにさ。そんなに嫌な事をあたしにしたっていうの?」

 

「やかましい!」

 

「あんたの命の問題なんだよ!」

 

 押し問答という名の意地の張り合いは果てしなく、どこまでも続いた。

 

 

 

   Ⅲ

 

 

 

 十分後、依然として高度四十キロの成層圏。押し問答は今にいたるまで延々と続いたが、どちらからともなく喋り疲れだしたことでようやく停戦、とまではいかずとも一時休戦の状態に辿り着くことはできた。

 

 その間隙を突いて現れたのが使い魔クロである。

 

「いきニャり補給の仕方を学ぶんじゃニャくて、このさい基礎的ニャところから、つまりはプラーニャ操作術を今後訓練の合間にレクチャーしていくっていうのでどう? 魔装機に乗る訳じゃニャいし、戦いには使えニャいけど、でもそれニャりに役に立つわよ?」

 

 程よい折衷案に、二人はひとまず頷き合った。問題を先送りにしたに過ぎないが、とりあえず今はもうこれ以上時間と体力を浪費したくないという共通した見解が、二人の和解を助けた。

 

「ねぇマサキ」

 

 その矢先にかかってきた通信に、しかしマサキは警戒心を持たなかった。それくらいアイビスの声は、まるで寝息のように安らかで、どこまでも染み入ってしまいそうにぬくもんでいた。

 

「あたしね、男の人とこんなに長くお喋りしたのって初めて。こんなの、父さんとだってなかった……」

 

 時刻を確かめると、2人がハガネを飛び立ってから一時間がとうに過ぎていた。そろそろ戻らないといい加減あとが面倒くさくなりそうだが、それはさておき確かにこれほどの時間、誰かと2人きりで絶え間なく喋り続けることなど、マサキにとってもそう記憶にあることでは無かった。よくもまぁ話が続いたもんだと、我がごとながらマサキは感心してしまった。思えば二人でサイバスターに乗り込んで、遊覧飛行に繰り出したときもそうだった気がする。

 

「こんなに喋って、もうへとへとなのに、まだまだ喋り足りない感じがするの。本当にいくらでもお喋りできそう。ほんとに不思議……」

 

 マサキは鼻の辺りをぽりぽりと掻いた。今ひとつどう応じればよいのかわからないときに見せる彼の癖だった。さりとて共感できるところもあって、フリューゲルス小隊が発足されてから今日にいたるまで、彼女と向き合って共に何かをしようというとき、マサキ自身しばしば時間を忘れた記憶がある。たとえば小隊訓練のとき。たとえばシミュレーター対戦のとき。あるいは、それこそ二人が一番最初に触れ合った、あの「鬼ごっこ」のときも。

 

「うん、懐かしいね……」

 

 そうアイビスは呟いた。そうして目を閉じて、夢見るように記憶の海へと埋没していく。思えばあの日に全てが変わったのだ。自尊心と自己不信の軋轢に自縄自縛するばかりであった、それまでの彼女の全てが。

 

「さんざんイルムたちに怒鳴られたっけな」

 

「今日もそうなりそうだね」

 

「いーんだよ。事情聴取だの査問だので閉じ込められっぱなしだったからな。リハビリがてら、ひさしぶりにガス抜きだ」

 

 アイビスは目を閉じたままくすりと笑った。土台、軍人だの兵士だのにはまるで向いていない少年なのだ。異様なほど懐深いハガネ隊だからこそかろうじて馴染めているにすぎず、他の部隊ではこうはならなかっただろう。そして、それは恐らく自分も同じなのだとアイビスは思う。

 

「ねぇ、あたしやっぱりこういうのが好きだな」

 

「ん?」

 

「やっぱりこういうのがいいや。敵なんていない、あたしたちしかいないような空を思い切り飛ぶのが。目的も目標もなにもない、本当にただ飛ぶだけのような時間がさ……」

 

「それが宇宙であれば、なおいいってか?」

 

「ぴんぽーん」

 

「へっ、簡単な奴」

 

「マサキはそうは思わない?」

 

「敵も誰もいないなら、そもそもこんなところ来ねえよ。家で昼寝でもしてるぜ」

 

 以前と変わらぬ答えをマサキは言った。まるで少年の生き様そのものを現しているような言葉を、今のアイビスは素直に受け入れることができなかった。

 

「誰もいなくはないよ」

 

 図らず、とがめるように訂正した。

 

「あたしがいるよ」

 

 目をつむっていたアイビスは、そのまま瞑る力を強くした。馬鹿な事を言ったと思った。しかし少年の方は深く考えもせず、とはいえ少しのあいだ言葉を探してから、やがて答えを改めた。

 

「そっか。んじゃぁ、まぁ、悪くねぇな」

 

 そう言った。彼の言葉はいつだって率直で飾り気がない。だとすれば、それは少年にとって、本当にそう思えることだったのだ。ただそれだけのことであったのに、たったそれだけの言葉であるのに、なぜだろう、アイビスはそれこそ胸を射抜かれたかのような感覚を覚え、心臓を抑えた。苦しい。比喩ではなく、本当に苦しかった。

 

「なんだ、どうした?」

 

 少年が怪訝そうな顔を見せたので、アイビスは慌ててヘルメットの前面を両手で覆った。胸も苦しいが、今の顔を少年に見られることも同様に、あるいはそれ以上に看過できないことであった。そうしてアイビスは、すっかり顔を隠したまま肩を震わせ続けた。

 

 胸の内が震え、そして輝いていた。少年と初めて出会ってから、今日に至るまでの数ヶ月。本当に、ほんのわずか数ヶ月。その節々の情景が、舞い踊るフィルムのようにアイビスの脳裏を駆け巡っていく。ときおりその中に映る呑気な顔をした自分に、アイビスは怒鳴りつけたい気持ちで一杯になった。ねぇ気付いてよ、いまあんたの目の前にいる男の子、その人がそうなんだよ。あんたたちがそんなだから、いまあたしが苦労してるんじゃないか。

 

 想いが溢れる。過去現在未来から、指先と唇と心の奥底から、洪水のように溢れそうな想いがある。想いとは元来言葉ではないが、アイビスはすでにそれに名を付けてしまっていた。あの崩落の夜、目に映る全てが悲惨と悲哀に塗れていたあの夜に、それら一切合切を切り裂くに足るほど美しく輝かしい、ある一文字の名を付けた。そうしてしまったからにはもうアイビスは、そのたった一文字から目をそらすことも、その音の響きに対して耳をふさぐこともできはしなかった。

 

 誰も喜ばせることのない気持ちとして、

 

 誰にも望まれない未来として、

 

 それでも、もはや揺るぎない事実として、

 

 アイビス・ダグラスはマサキ・アンドーを……

 

「おいどうした。まさかまた発作じゃないだろうな!」

 

「……ばか……ちがうよ……」

 

「なんだよ。じゃ、どうした?」

 

「……ばか……本当に……ばか……っ」

 

「なに、なんだって?」

 

「…………………………………………よしっ!」

 

 長い長い葛藤の末、アイビスは何かをかなぐり捨てるような掛け声と共に、ヘルメットの頬をひとつ叩いた。ばちんと派手な音にマサキが面喰らうのを他所に、思い切りスロットルを全開にする。心の叫びにすべてを任せ、空平線の彼方まで突っ走らんとアステリオンをフル加速させる。突風のような勢いで飛び立った僚機に、迂闊にもマサキは呆気にとられたように立ち尽くしてしまった。

 

「お、おい、どうした!」

 

 答えは返らず、アステリオンはなおも加速を強めた。彼方へと伸び去って行く光熱の尾がまるで千里の道のようにも見え、マサキも慌ててサイバスターを飛び立たせた。しかし初動の遅れは如何ともし難く、そう易々とは追い付けない。

 

「おい、らしくねえぞ! どうした!」

 

「……『鬼ごっこ』をやろう!」

 

「なに!?」

 

「さっき話したでしょう? 前にもやったやつ。あれをやろう!」

 

「なに言ってんだ、てめぇ!」

 

「あれ、もしかして自信無い?」

 

「はぁ!?」

 

 ぴしりと頭の何処かにひびが入るのをマサキは自覚した。

 

「そんなに体が鈍ってるの? 大丈夫、ちゃんと手加減してあげるからさ!」

 

 アイビスの言動は、わざとらしさすら感じるほど不遜極まりなかった。そんな部下のらしからぬ態度を怪訝に思うところもなくはなかったが、しかしもとより濡れティッシュ並の強度を誇る少年の忍耐心である。ろくに深慮せぬまま自制の縫い糸をあっさりと断ち切って、マサキは吠えた。

 

「上等だっ!」

 

 かくしてそれは始まった。

 

 地球圏ならびに異世界の技術の粋を集めた、単なる遊び。鬼ごっこ。少女にとってのすべての切っ掛け。二人にとってのすべての始まり。

 

 それがまた、始まった。

 

 

 

   Ⅵ

 

 

 

 空気と大気は、いずれも風を司るサイバスターの眷属である。大地の魔装機神が土と同化し、なんの掘削装備も無しに地中へと潜航する能力を持つのと同様、サイバスターもまた迫り来る逆風、空気の抵抗、大気の摩擦すべてを我が身に取り込む力を持つ。そうして本来は飛行の障害となるそれら全てを味方に付けて、サイバスターはなおも加速を強める。地上の技術ではいまだ到底再現しえぬ魔性の加速に、双方間の距離は一気に縮小、そのまま両腕で跳ねっ返りのじゃじゃ馬娘を抱き捕らえようとする。

 

 しかし捕縛が成るその寸前、アステリオンの後背から放出されるテスラドライブの噴射光が、一瞬、馬の尾の如く左右に振られた。するとアステリオンは、それこそ魔術か何かのように、風に舞う布切れのごとくするりとサイバスターの腕をくぐり抜けていった。捕獲は失敗。一致しかけた二機の軌道は、またもや見る見るうちにかけ離れていった。

 

 ブレイク・ターン。敵機との交差角を増大させ、オーバーシュートさせる伝統的な防御機動である。シリーズ77であればそこに切り返しによるフェイントも挟み、それこそ一瞬機影が二つに見えるほど鋭い機動を見せる。動きをなぞるだけならばさして難しいテクニックではないが、意志を持った敵機に、ましてや風の魔装機神相手に成功させるとなれば児戯であるとは口が裂けても言えない。それをまるで児戯のごとく、息を吸って吐くように行えた感覚に、アイビスの興奮はますます疾走していった。

 

「はは!」

 

 肉体が躍動するままに、次の機動へ向かう。スピリットS、ついでインメルマン・ターン。大空に円が描かれ、その中心を突っ切って、円はQの字に変わった。そして来た道を引き返すように、アステリオンは地表目がけて猛スピードで急降下していった。

 

「ええい、うざったい!」

 

 マサキは臍を噛みつつ、アステリオンの縦横無尽な軌跡を遮二無二追い掛けて行った。演技でもなんでもなく、明らかにマサキは部下の巧みな逃げ足に手こずっていた。セオリーという言葉すらも振り切ったような奔放な機動。その鮮烈なまでの目覚ましさにマサキは目を見張り、舌を巻き、それと同時に腹が立って仕方がなかった。

 

 ラングレー奪還戦でもこの勢いを見せていれば、アギーハにだって負けなかったかもしれない。そうなれば一連のつまらない騒動だって起こることはなかった。

 

 否、ラングレー戦のみならず、彼女ときたらこれまでずっとそうであったのかもしれない。マサキは歯噛みする。どうしてこの女はいつも、こうも戦い以外のところで輝いてしまうのだ。

 

「あはははは!」

 

 サイバスターと異なり、アステリオンには急降下の風圧をキャンセルする機能などない。しかしその代わりに迫りくる逆風を軽やかに乗りこなしながら、アイビスは笑っていた。目尻から大粒の涙を零しながら、それでも心から楽しそうに笑っていた。涙と笑顔、喜びと悲しみ。相反する二つの感情が、彼女の肉体とテンションを最高潮にまで高揚させていた。

 

 ああ、飛んでいる。いま、あたしは飛んでいる。

 

 風の魔装機神すら易々に追い付けないほど、これまでに無いくらい速く巧みに飛べている。

 

 夢と翼と、あの少年。どれもが一度は、アイビスの前から砕けて消えたものだ。しかしいま彼女はその全てを取り戻していた。そして取り戻したそれらは、今まで以上の輝きを放ってアイビスの行く先を照らしていた。その光景のあまりの美しさに、アイビスは喜びで身も心もはち切れんばかりだった。

 

 それでも。

 

 そう、それでも。

 

 その中で、たった一つだけは留めておくことができないのだと今なら分かる。どれだけ求めても、どれだけ恋うていても、側に留めておけないものがあるのだと理解できる。その想いにもまた、アイビスは身も心も引き裂かれそうだった。

 

 アイビスは急降下を維持したまま、アステリオンを振り向かせた。風圧に背中を預け、大地を背負う。そうして上空に座す、自らと同じ白銀色のともがらを見上げた。

 

 サイバスターがやってくる。アステリオン目掛けて、アステリオンをも凌駕する速度で天より急降下してくる。その姿を目に焼き付けながら、アイビスは思った。そう、捕まえておけるはずもない。だって彼は風なのだから。

 

 アステリオンは武器を後付けした航宙機であり、サイバスターは翼を持った戦闘機。そしてアイビス・ダグラスは遥か天蓋の、星の海を思うままに往くことを生涯の夢として、マサキ・アンドーは地の底に広がる異世界にて、世を乱さんとする悪意と戦い続けることを生涯の務めとする。本来は交わるはずの無い、正反対な二つ。否、正反対であったからこそ二つは交わった。

 

 あの日、あの時、あの場所で少女は少年と出会った。数ヶ月前。テスラ研からの脱出行。輸送機の格納庫。タラップの下でその少年は、アイビスが階段を下りてくるのを待っていた。「いい腕だな、あんた」。嫌味でも慰めでもない対等の言葉。そして掲げられた手の平。それまでずっとアイビスが、心の奥底で渇望していたものが、そこに。

 

 いまだ色あせぬ過去の情景の乱反射が、アイビスの心を焼いていく。あれさえなければ。本当に本当に、あの出会いさえなかったら!

 

 アイビスは操縦桿を離した。想いがあふれるままにそうした。求めるように、捧げるように腕を伸ばして、そして笑った。

 

「マサキぃ!」

 

 涙は依然として滔々と。それでも満面の笑みを。そうしてアイビスは興が乗るままに景気よく、人生で一度言ってみたかった台詞を言ってみた。

 

「ほら、捕まえてごらん!」

 

 それはあまりにも古くさく、馬鹿馬鹿しい台詞だった。それでも、言ってみたかったのだから仕方がない。

 

「ほらほら、早くぅ。それとも速過ぎて追い付けない!?」

 

「ざけんな、このやろう!」

 

 女のささやかな夢もロマンも解さないマサキであるが、このときばかりは奇跡的に彼の心情とシチュエーションが一致を見た。言われずともマサキは、風圧に遊ぶアイビスを全速力で追いかけた。

 

 アイビスはきっと自分は生涯この光景を忘れないと思った。だってマサキが来る。アギーハでもシュウ・シラカワでも、他の誰を追ってでもなく。敵として倒すためでも、務めを果たすためでもなく。

 

 ただあたしを追って、ただあたしに触れようとやって来る。

 

 少年はきっと少女を抱きとめるだろう。しかしそれは、ほんのひとときのものなのだ。彼女に追いついて、彼女の望み通りに抱きとめたところで、それでも少年は止まらない。彼はきっとすぐに次の戦場へ、そして少女は戦いの無い場所へ。

 

 曲げてはならないことが、人生の中には存在した。マサキが戦いをやめて、例えば地上に残る事。アイビスが戦いを続け、例えば異世界にまで付いて行くこと。夢は夢であるからこそ美しく、現実に目を向ければそれらは誰にも望まれないことだった。ならば必然的に、別れはいつか必ずやってくる。

 

 それでも。

 

 そう、それでも。

 

「てめぇ、もう逃げんなよ!」

 

「逃げないよ!」

 

 予想外で力強い答えにマサキは面食らい、アイビスは一層の大声で叫んだ。

 

「もう逃げない!」

 

 それはまるで誰かのように。親の仇を前にして、正論も損得もかなぐり捨てて、ただただ胸の内の炎を吐き出した彼女のように。

 

「あたし、何処へも行かないから! 月にもプロキシマにも、絶対行かないから! だからお願い、早くあたしを捕まえて!」

 

「ああ? 何だって!?」

 

 それは彼女の胸に渦巻く願いの、ほんの一欠片だった。身も蓋もなく言えば嘘である。しかし全くの嘘ではない。勢い任せのでまかせである。しかし想いだけは確かにあって。

 

 宇宙への夢は依然として恒星の如く。対していまアイビスが口にしているのは、言うなれば地表の片隅にひっそりと咲く、一輪のちっぽけな花だった。自己矛盾という名の荒れ地に咲く小さな花。どこへも行き場のない、誰の目を楽しませることもできない一輪の花。それでも、在るということだけは確かなその花をこそ銃把に込めて、アイビスは撃った。撃ち尽くしてしまおうと思ったのだ。どこかの誰かと同じように、叶わぬ・間違っていると理解した上でなお、ありったけを。

 

「だからマサキにも、何処にも行かないで欲しいんだ! ずっとそばにいて欲しいんだ! あたしを、一生、離さないでいて欲しいんだ!」

 

「なに言ってんだお前!」

 

 そっちこそ何を言ってるのかと、アイビスは少年の胸倉を掴み上げたくなった。ここまで言っているのに。女が、ここまで言っているというのに!

 

 憎々しさと、それに百億倍する正反対のものにアイビスは今度こそ心を爆発させた。いつかの夜に目にした、リューネの人懐っこい笑顔と水晶のように澄んだ眼差しが今もアイビスを見ている。彼女の笑みが指し示す方に従って、理性、理屈、諦観、その他身を押しとどめるもの全てを振り切って、アイビスは叫ぶ。

 

 リューネが言うように、そこには何の飾りも誤魔化しもなく真っ直ぐに。さながらかの騎士が放つ、たった一発きりの最強最後の魔術ごとく。そうして彼女の想いという想いが込められた、たった一言の言葉を繰り出した。

 

「好きだよぉ!」

 

「はぁっ!?」

 

 どうにでもなれと思った。羞恥心もプライドも、みんなみんな空に散ってしまえばいい。

 

「あたし、あんたが好きだよぉっ! 愛してるんだ! 心の底から! もうどうしようもないくらい! あたしの全部をあげるから、あたしもあんたの全部が欲しいんだ! 離れるなんて嫌だ! 絶対誰にも触らせない! 異世界になんか帰すもんか! あんたはずっとずっと、あたしと抱き合ってなきゃだめなんだ!」

 

 あまりと言えばあまりな告白に、アイビスは我が事ながら身を焼き尽くされそうになった。顔面がコロナのように熱い。そして心は太陽の中心、熱核融合炉のようにさらに熱かった。陸の上でなら到底口に出せなかったであろうが、空でなら話は別だった。一度飛び立ったアイビスは、誰にも負けない。自分にもリューネにも、きっとあの少年にも。

 

 あまりと言えばあまりな告白に、マサキは大口を開けてあんぐりとしていた。異体同心の使い魔も、両脇の影で揃って同じ顔をしていた。おいお前らなんて顔してやがる、しゃんとしろ。教えてくれ、いまあいつは何を言った? 俺はいま何を聞いたんだ? 

 

 アイビスとマサキ。天と地をそれぞれ背負い、そしてそれぞれ逆のものを見る二人は、徐々に距離を縮ませていく。天翔ける少年は常に地の底の故郷を想い、瓦礫の街を歩き続けてきた一人の娘は、ひたすら空の彼方を夢見た。そんなどこまでも正反対で、どこまでも対照的な二人が巡り会うことは、ある種の必然であったのだ。やがてはすれ違い、離ればなれになることも含めて。

 

 しかし、それでもいいとアイビスは思うのだ。今はただ、この出会いを心と体に刻み付けたかった。たとえほんのひとときであろうと、それでもこれは、きっと一生の恋なのだ。

 

 そうして、アステリオンとサイバスターは。

 

 アイビスとマサキは。

 

 互いの道の中間点であるこの大気の海で、まるで導かれ合うように邂逅し、ごく自然に互いの手を取り合った。

 

 

 

   Ⅴ

 

 

 

「おい、あれ見ろ」

 

 そんな声が聞こえて、レーツェル謹製の炊き出し弁当をひたすら台車に積み上げていたカチーナは、ふと顔を上げた。声の主はイルムであり、仕事さぼってなにやってやがると言いかけたカチーナだが、彼が左手を日差しよけにしながら右手でまっすぐに空の彼方を指差しているので、ついつい素直にそちらを向いてしまった。

 

 イルムが指し示す方を見上げると、高度五百メートルあたりだろうか、遥か上空を羽ばたく二つの機影を確認できた。その正体を察して、カチーナは面白くなさそうにぼやいた。

 

「いい気なもんだぜ。人が汗まみれになってるってのに、優雅に空中散歩かよ」

 

 一応は試験飛行であるのだが、イルムはあえて訂正はせずただ笑った。彼やリュウセイがその飛行に参加していないことからも分かるように、ただ念のためというだけの名ばかりの試験飛行である。であれば、あの二人にとっては確かに散歩も同然であるに違いない。

 

「空馬鹿小隊は今日も健在、と」

 

 そう面白げに呟いたイルムであるが、カチーナの視線もそろそろ痛いので仕事に戻ることにした。台車への乗せかえ待ちの弁当ケースは、すでにちょっとした万里の長城を築きつつある。こういうのって腰にくるんだよなぁと内心でぼやきながら、イルムはその城壁の切り崩しを再開していった。

 

 

 

 二機の姿は別のところでも目撃されていた。

 

「飛んでますね」

 

「飛んでるわねえ」

 

「なんか近すぎやしません?」

 

「まぁ、編隊飛行だし」

 

「そうでしょうか。いいえ、それにしたって」

 

 仮設テントの影。しきりにぶつくさ言うツグミの隣で、エクセレンは看護服の襟元をなんとはなしに弄くった。誰かに言われた通りなんとなく着心地を気に入ってしまったのと、せめて一言くらいは寡黙な恋人からそれなりの感想を引き出したいと考え、なかば意地になって着続けているものた。

 

 鳴り止まぬ隣からの呪詛めいたぼやきに、エクセレンはふと少年に憐憫の情を覚えた。どうにも女性に何かと苦労をかけるたちであるらしく、そういった人間は通常、姑や小姑などといった存在とはあまり相性がよくないとされる。 将来、彼の伴侶となるのがどんな人物かは分からないが、せいぜいその人に強面の父親だとか、きつい性格の双子の姉だとか、はたまたツグミのような過保護な友人がいないことを祈っておくべきだった。

 

「や、それにしてもいい天気よね」

 

 そう言いながらも、エクセレンの視線は大空を懐かしの我が家とばかりに飛び回る二連の銀鳥に固定されたままだった。彼らを一頻り、どこかまぶしげに眺めてから、やがてエクセレンらも腹ごしらえに配給所へと足を運んでいった。

 

 

 

 また一方では、

 

(サイバスターだ……)

 

 拘留部屋を抜け出して、リューネはハガネの屋外デッキに辿り着いていた。寝起きに外は肌寒く、ロングコートの代わりにタオルケットを肩に巻いている。

 

 そうして空を駆け巡るサイバスターとアステリオンの姿を見つけると、リューネの視線は図らずその内の一方に強く焦点を合わせてしまう。命を賭して戦ったばかりの敵手であるはずなのに、一転してそれをこうして呑気に見上げることは、少し不思議な気持ちのすることだった。

 

 外は嫌になるくらいの青空。そういえば、こうして空を見上げることなど、随分と久しぶりなことのように感じる。

 

(相当参ってたんだね、あたし)

 

 実際のところ、そう仲の良い親子でもなかった。むしろ喧嘩ばかりしてたと言える。昔は昼行灯と呼ばれるようなうだつのあがらない研究者で、宇宙開発局の所属になってから今度は嘘のように才気と求心力を爆発させていった。リューネはそんな父に、なぜか誇らしさよりも危うさと嫌悪感を覚えていった。

 

(異星人の存在を知ったことが親父を変えた。それまで眠っていた才能が次々に花開いて、それに比例してどんどん野心も広がっていって、とうとう人一人の分を超えて、行っちゃいけないところまで行っちゃって……挙げ句の果てに、何に言わないまま死んじゃってさ……)

 

 リューネはパンと己の両頬を叩いた。いつまでもうじうじと鬱屈しているのは、本来彼女の性分ではない。

 

(ここまでにしよう)

 

 リューネはそう思った。親父は親父、あたしはあたし。そんな当たり前の結論に、ようやっとのことでたどり着けたのだ。

 

 リューネは再び空を見上げた。目指したのは、もはやサイバスターではない。その先にいるであろう、はるか異星軍の影を探して、彼女は空を見た。

 

(いいよ、親父。あんたの願いだったもんね。あたしが叶えてあげるよ。なにしろあたしは、あんたの最高傑作らしいから……)

 

 そのためにはDCに復帰するという手もあるし、なんであればハガネ隊に身を寄せるという選択肢もある。DC総帥の遺児が参画するとなれば政治的な問題も大きいが、政治だけでモノを言えるほど余裕のある戦況でもない。ヴァルシオーネならびにヴァルシオンの戦力的価値は連邦軍こそよく知るところであり、加えてヴァルシオーネにはとある機体を参考に作られた、ヴァルシオンにも搭載されていない新型戦術兵器も搭載されている。交渉次第では、良い買い物と見なしてくれる可能性は十分ある。

 

 といっても孤立無援では話も進めづらいだろう。誰かに口添えを頼めないかと、査問会でも幾度となく自分をかばってくれた、あの憎き恩人の顔を思い浮かべたところで、ふとアイビスが言っていた妙な一言がリューネの頭の中で木霊した。

 

「冗談じゃない、誰があんなやつ」

 

 そう吐き捨てて、リューネは踵を返した。そうして、心の中でもう一度、亡き父の冥福を祈り、艦内へと戻っていった。

 

 

 

 晴れ渡る碧空を、その二機は飛んでいた。かたや風を切り、かたや風を従え、さながら水を得た魚のように大気の海を飛翔する。目指すべき場所も、倒すべき敵も今はいない。哨戒は高性能レーダーと、さきほどから貝のように口をつぐみ続けている使い魔に任せきりにして、いまアステリオンとサイバスターは、まさしく誰かが望んだようにただ飛ぶためだけに飛んでいた。

 

 優雅とすら言える様であるが、しかしそんな機体に反して、乗り手二人の心境は全くもってその正反対の状態にあった。

 

「……」

 

 少年は愛機の中でひたすら混乱していた。困り果て、弱り果て、額が汗に滲むほど焦燥しきっていた。心臓がやけに喧しく、胸も気管が狭まったかのように息苦しい。これならば千を超す敵軍と相対した方が、よほどマシに思えた。少なくとも目指すものは明らかだし、そのために為すべき事も分かる。

 

「……」

 

 少女は愛機の中でひたすら俯いていた。少年にもお天道様にも二度と顔向けできないと言わんばかりに、赤熱した顔面を地に向け伏し続けていた。操縦桿を握る両手が、氷点下に置かれたハムスターのように震えている。地球よ、いますぐ滅びて。そんな不謹慎な思いにアイビスは一杯となっていた。

 

 しかし幸か不幸か、そんなパイロットたちの煩悶は、それぞれの機体の装甲に阻まれて、余人の目には写らない。外から見る彼らの機体は、並び合ってと表すにはやや近すぎ、かといって寄り添い合ってと表すほど近くもない微妙な距離感で、ただ心行くままに翼をはためかせているようにしか見えなかった。

 

 そうして連なり合う銀の鳥たちはやがて虹を描くように大きく旋回し、ハガネという名の巣の中へと帰っていった。

 

 

 

 

 


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