アイビス×マサキ(スパロボOG)   作:マナティ

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第十九章:リューネという少女

 

 

   Ⅰ

 

 

 その日、その時、その場所で、一つの決戦が行われた。新西暦187年2月3日。南太平洋マーケサズ諸島はアイドネウス島。世間で最初にその地名が知れ渡ったのはメテオ3が落下したときのことだが、今日ではむしろDC発祥の地、そしてDC初代総帥ビアン・ゾルダーク落命の地としての方が有名となっている。

 

 同日、深夜0215時。地球連邦軍の精鋭部隊、通称ハガネ隊が同空域へ侵入。機動兵器部隊を展開し、DC軍の防衛部隊に対して夜襲を開始した。待ち構えていたDC軍もまた応戦。アイドネウス島本部から精鋭部隊も出陣し、ハガネの接近を押しとどめようとする。奇襲の甲斐なく正面衝突となった両軍だが、ハガネ隊にとっては順調に、DC軍にとっては遺憾なことに、戦いは空中戦、海上戦、そして本土決戦へと順繰りに場所を移していき、そしてついにハガネ擁する機動兵器部隊の先鋒がDC軍の守りを食い破り、DC軍最後の砦である地下基地内部へと雪崩れ込んだ。

 

 同日、深夜0430時頃。基地内部に侵入したハガネ隊を迎え撃つべく、DCAMー001 アーマード・モジュール ヴァルシオンが出撃した。ディバイン・クルセイダーズ製最初期のAMにして、フラッグ・マシン。今となっては後の最新鋭機たちに一歩譲る部分もあるが、それでも一つの戦争、一つの時代において、紛れもなく「究極」の二文字を体現した機体である。

 

 アイドネウス島地下要塞、最下層。本陣の中の本陣にまで見事切り込んだハガネ隊の猛者たちだが、彼らをして、この機体と渡り合うことは困難を極めた。当時ハガネ隊の中核をなしていたのは、まだ結成されたばかりのSRXチームと、地球連邦軍最新型特機のグルンガストである。現在では地球圏最強とすら謳われるほどの戦闘力を持つSRXチームであるが、この頃はまだチームとしての練度も水準に達しておらず、また彼ら最大の切り札である合体機構も完成していなかった。無論PTとしては傑出した性能を誇っていたものの、いかんせん決定的な火力不足により、ヴァルシオンが繰り広げる空間歪曲フィールドの前に終始敵し得なかったのである。

 

 となれば頼みの綱はグルンガストとということになる。グルンガストは、ヴァルシオンに比べれば開発時期としては後発にあたり、実際、性能面では決してヴァルシオンに見劣りすることはなかった。むしろ三段変形による運用の多彩さ、そして人型時における格闘能力の面では大きく上回っているとすら言えただろう。最大の兵装たる計都羅喉剣も、威力だけを見ればヴァルシオンを打倒しうること十二分である。

 

 しかしこの時ばかりは状況が彼に味方しなかった。第一に、グルンガストは計都羅喉剣をこのときすでに失っていた。最下層にたどり着くまでの戦闘で破壊されていたためである。

 

 第二に、そもそもグルンガストはヴァルシオンに近づくことすらできなかった。地下要塞最下層は、機動兵器の展開にも不自由しないほどの広さが確保されていたとはいえ、それでも閉所には違いない。加えてヴァルシオンが陣取っていたのは、そのフロア内の最奥、長大な通路の奥深くである。

 

 迂闊に通ろうとする者には、当然容赦無く最大火力の斉射が襲いかかる。通路の長さは、せいぜい二百メートルといったところだが、戦艦の主砲クラスの弾幕を掻い潜りながらとあっては、それは無限にも等しい距離であった。同じく火砲で対抗しようにも、ヴァルシオンの展開する歪曲フィールドはPTはおろか特機クラスの火力ですら容易に弾いてしまう。必殺の長距離砲と不動の盾をもってする、待ち伏せの構え。陸海空にあまねく適応し、現代においてもなお名機として名を轟かせるグルンガストであるが、シンプルながら極めて合理的なヴァルシオンの戦法の前に、容易に勝機を見出すことはできなかった。

 

 さらに付け加えるなら時間稼ぎによる援軍待ち、またはヴァルシオンのエネルギー欠乏を誘うことも不可能であった。いまこうしているときも、地上ではハガネと主力を欠いた機動兵器部隊が、敵の残存戦力を相手に抵抗を続けている。地上部隊が持ちこたえられるだけのわずかな猶予、その間になんとしても、SRXチームを始めとする地下突入部隊は敵総大将の首級を挙げなくてはならなかった。DC戦争の最終盤、現代戦史に燦然と輝く通称アイドネウス島攻防戦において、勝者側であるはずのハガネ隊はそんな袋小路のような戦況に陥っていた。

 

 

 

 この状況を打開する切っ掛けは、地下要塞の別階層から訪れることになる。SRXチームたちが絶望的な戦いを繰り広げている最下層から、二つ階を昇った地下二層目。そこで延々と終わりなき一騎打ちを繰り広げる一組の機動兵器があった。

 

 一方は鳥と騎士が合わさったような銀色の機体だった。力強い五体。白と銀の鎧。三層一対の翼。猛禽の爪。翠緑の噴射炎。一振りの銀剣を構え、縦横無尽に太刀風を走らせる。地球連邦軍の識別名によればAGX-05 アンノウン。搭乗者が名乗るには風の魔装機神サイバスター。

 

 もう一方は魔人のごとき群青色の機体だった。やはり力強い五体。黒と藍色の装い。翼は持たないが、それは持つ必要が無いためである。重力と慣性を理論と方程式で掌握する彼にとって、翼など無用の長物でしかない。銀騎士に習い、こちらも一応は一振りの大太刀を携えているものの、ヴァルシオン同様、彼の本領が一撃必殺の砲戦能力にあることは余人に知れ渡る。ディバイン・クルセイダーズにおけるもうひとつの傑作機。DCAM-000 アーマード・モジュール グランゾン。

 

 ヴァルシオンが出陣するより遡ることおよそ20分。地上搬入口より侵入し、そのまま最下層までを一直線に目指していたハガネ隊の前に、グランゾンは地下二層目にて突如姿を現した。その目的の最たるはハガネ隊全軍をその圧倒的火力にて一網打尽にすることだったが、さしものグランゾンも当代最精鋭たるハガネ隊相手にそこまでの戦果は成しえなかった。出会い頭の一手で損傷こそ与えたものの、二手目を放つことは妨害にあって叶わず、その隙にハガネ隊全機は無事に彼の領域を潜り抜けて行ってしまった。

 

 まんまと獲物を取り逃がしたグランゾンであったが、目的の達成具合としてはさほど悪くもなかった。ハガネ隊がヴァルシオンを打倒しうる手札は決して多くは無い。それさえそぎ落とせば、あとは手間と時間の問題があるだけでDC側の勝利は揺るが無い。グランゾンの放った空間破砕砲の一斉掃射は、全機の急所をこそ逃したものの、グルンガストの最大兵装を粉砕することに成功していた。そしてグルンガストの他にもう一機、見過ごすことのできない機体が存在したが、その機体に限って言えばグランゾンの方から何一つ働きかける必要はなかった。ハガネ隊の中でただ一機、抜き差しならぬ因縁を持つ魔装機神サイバスターは、その因縁に決着をつけるべく自らグランゾンの下に残った。グランゾンの出現をいの一番に察知し、必殺の二撃目を防いだのも彼であった。

 

 まったくもって好都合。そんな声が聞こえてきそうなほど、グランゾンはこれ見よがしなくらい大仰に、大太刀を抜きはなって見せた。

 

 

 

 かくして一騎打ちは始まり、そして延々と終わらなかった。それも当然、むしろ終わらせないことこそがグランゾンの画策するところであった。

 

 果てしない剣戟の疲労と、通信回線から伝わる仲間たちの苦境は、動揺となり焦りとなり、サイバスターの挙動に如実に現れていた。倒さなければ、一秒でも早く。サイバスターはただその一念で剣を振るうも、そんな妄執をせせら笑うかのように、グランゾンの機動はどこまでも涼し気で、冷徹だった。

 

 この期に及んで、グランゾンではなくヴァルシオンの打倒をこそ優先する思考を、サイバスターの操者は持たないらしい。さもありなん、とグランゾンの操縦者は嗤う。彼ならばそうだ。このグランゾンを前にしながら、サイバスターが背を向けるなど、天地がひっくり返っても起こり得ない。それだけ多くのものを、彼から奪ってきたという自覚があった。

 

 飛来する熱素の礫。歪曲場で弾き散らす。

 

 飛び交う使い魔。空間破砕砲で撃ち落とす。

 

 迫り来る銀剣。大太刀にて迎え打つ。

 

 駆け抜ける破戒の巨鳥。極小のマイクロブラックホールにて相殺する。

 

 ありとあらゆる武装を跳ね返しながらも、グランゾンの動きには一抹の油断も見られなかった。サイバスターがこの他にあとひとつ、たった一発きりの、最強最後の魔術を残していることを知るためである。万が一にも直撃を受ければグランゾンとて大破は免れないが、しかし切札を残すのはグランゾンもまた同じであった。サイバスターがなりふり構わずに決着を求めるのであれば、いっそ応じるまで。そのときこそサイバスターはこの世最大の恐怖、神そのものの偉力を知ることになる。

 

 サイバスターが距離を取り、剣を構えなおした。途端に収束する魔力の波動。魔力最大、プラーナ最大。よもや来るかと、グランゾンもまた身構える。言霊を唱え、以って転神を為し、応現せしめれば、サイバスター最大の一撃とて恐るるに足らない。

 

 しかしそんなグランゾンの予測を裏切って、現れた六芒はたった一つであった。だとすれば件の一撃のプロセスではない。紛れもなくそれは、破戒の鳳を召喚するための魔方陣。それとて警戒に価する魔術には違いないが、グランゾンにしてみれば防げない技では決してない。

 

 本来は敵に打ち出す破戒の鳥をその身に纏い、サイバスターは蒼白い超音速の弾丸と化した。それ自体が破戒魔術の塊となったサイバスターは、あろうことかグランゾンには目もくれず直下へと急降下、鋼鉄製の床を難なくぶち抜いて、下層へと姿を消していった。

 

 勝負を捨てた。仇敵よりも、大局を取った。

 

 少なくない驚きとともに、グランゾンの搭乗者がその事実を認めたとき、それは同時に、彼がDC壊滅の未来を確信したときでもあった。

 

 

 

 突然の状況変化に驚愕したのは、ヴァルシオンとサイバスター双方ともであった。前者にとっては突如天井を食い破って出現したサイバスターがそれに値し、後者にとっては考えなしの向こう見ずに床をぶち抜いた途端、充填完了した最大火器を悠然と構えるヴァルシオンの真正面に躍り出てしまったことがそうであった。

 

 タイムラグはそれこそコンマの領域。ほぼ脊椎反射にて打ち出された蒼紅の二重螺旋。のちにおいてはシルベルヴィントのボルテック・シューターに勝るとも劣らぬ火砲の一閃に、サイバスターは倒れこむような勢いで身をひねった。躱しきれず、蒼紅の渦に左腕が丸ごと粉砕される。しかし悪い取引ではなかった。左腕を犠牲に第一射を躱すことで第二射までの猶予を得ることができた。それが何秒であるのかはサイバスターの知るところではないが、彼我の距離を鑑みれば、たとえ何秒であろうと最早関係ない。

 

 サイバスターはそのまま翼を咆哮させた。敵の数、味方機の位置、自機の被害状況、どれをもろくに把握せぬまま、ただ直感に頼って突撃した。まさしく疾風の如き速度をもって、一瞬の内に距離を詰めて見せたサイバスターは、その勢いのままに右手の銀剣を突き出した。空間歪曲場も決して無敵ではない。かつて異世界において剣皇の異名をとった一人の剣豪が、サイバスターより数段劣る機体を駆って、見事あのグランゾンに一矢報いてみせた。ならばサイバスターに出来ないはずがない。それを証明するかのように、咄嗟ながら渾身の魔力が篭ったサイバスターの剣はヴァルシオンの防御壁を打ち破りながら深々とその装甲に突き刺さった。

 

 しかしヴァルシオンとて、ただの一撃で葬られるほど脆弱な機体ではない。突き刺さった刃をものともせず、肉薄するサイバスターの胴体を、続く第二撃で根こそぎ吹き飛ばそうとする。

 

 しかしそれを許さぬ者がいた。敵の目を引きながら突撃したサイバスターにすかさず追従し、すでに至近距離まで迫っていたグルンガスト。武器はない。しかし特機のパワーであれば五体それ自体が凶器。剛腕が大気を抉るように繰り出され、まともに体勢を崩すサイバスターの左脇腹に猛烈な勢いで叩き込まれた。背後からの容赦ないレバーブローに、たまらずサイバスターが崩れ落ちる。それと同時に火を噴く二重螺旋。放たれたエネルギーの渦は、サイバスターの装甲薄皮一枚を掠めることなく、グルンガストの胸板をまともに貫いて行った。

 

 床に崩れ落ちたサイバスターは、依然として状況をろくに掴めぬまま、再度右手に魔力を収束させ始めた。なにがなんだか分からないが、とにかく敵がすぐそこにいる。ならば一撃を。とにかく一撃を。

 

 ヴァルシオンが大剣を抜いた。砲戦主体のヴァルシオンとて格闘戦の心得が無いわけではない。むしろ刀剣の性能そのものは、並の特機を容易に凌駕する。右手にパワーを集めるあまりに結界装甲を弱まらせ、さらには無防備な背後をさらすサイバスターであれば、一太刀で息の根を止めることも容易であった。

 

 再度、それを防ぐ者たちがいた。グルンガストのさらに後を追い、すでに防御壁が消え失せているヴァルシオンと、跪くサイバスターの間に躍り出た白青赤の兄弟機。のちの地球圏最強。未完なる大器の三連星。その拳が、銃が、自律兵器が、ヴァルシオンの剥き出しの装甲と間接部へ次々に叩きつけられる。

 

 ひび割れるヴァルシオン。

 

 立ち上がるサイバスター。

 

 脱落する右脚部。

 

 突き出される右腕。

 

 取り落とされた大剣。

 

 描かれる六芒。

 

 そして満を持して、

 

 

 

 今ここに、ひとつの戦史を終わらせる、最後の一撃が放たれた。

 

 

 

 あとの結果はすでに歴史の知るところである。新西暦187年2月3日、0510時頃。朝日とともに巨星は墜ちて、芽生えたばかりの若葉が新たな大樹となった。

 

 アイドネウス攻防戦の一部始終を記録したデータは複数存在する。その戦場に出撃したあらゆる機体のレコーダーが全てを如実に物語る。しかし連邦軍はいまだその記録の公開を許可していなかった。理由は様々であるが、DC戦争終結からまだ間もないなか、軍に属さぬ異邦人の手を借りて戦争に勝ったという事実の公開を厭ったという面もある。いずれにせよ、アイドネウス攻防戦の一切の記録は、いまだ連邦軍作戦司令本部の機密資料棚にて、厳重に封をされたままだった。

 

 しかしながら如何な連邦軍とはいえ、敵軍側のデータまで網羅的に拘束することはできない。事実、アイドネウス攻防戦において連邦軍に拿捕されることなく戦場から離脱を果たした一つのDC機があり、当然その機体には攻防戦についてのあらゆるデータが保持されていた。どの機体がヴァルシオンを打ち破ったのか、だれがビアン・ゾルダーク総帥をこの世から葬ったのか、全てを克明に刻むその記録はやがて宇宙を渡り、父の訃報を知って急ぎ地球への帰還を果たそうとしていたビアン総帥の遺児へと届けられることになる。届け主の思惑は不明であるが、彼が心から信奉する存在が求めるのは世の混乱とそれによる悪しきプラーナの増大であったため、これもまたその供物の一つであったと見ることも出来るのかもしれない。

 

 いずれにせよ、ひとつの復讐劇の幕はそうして開かれたのである、

 

 

 

   Ⅱ

 

 

 

 シルベルヴィントを撃退してから今日に至るまでの約一週間、ハガネ隊はひたすら死傷者の救助活動に勤しんできたが、救助対象には当然ながら僚艦であるヒリュウ改の乗組員たちも含まれていた。レスキュー隊の力を借りて乗組員の救助だけは先行で完了していたが、肝心の艦そのもの自体はいまだ瓦礫の砂漠に埋もれたままでいる。当然、引き揚げ作業にかかりたいところだったが、こればかりはハガネ隊、レスキュー隊、そして連邦軍の工作部隊が雁首揃えたとしても手に余る状況だった。こういった状況を想定した重機など存在せず、エキスパートも存在しない。形だけなら陸に捕まったクジラの引き揚げ作業に近いかもしれないが、ここでは水の浮力の助けもない。

 

「重機と機動兵器で、一隻の戦艦を持ち上げるなんてナンセンスです。一端、艦を起こすことから始めましょう。その後、整備班が中に入って、ヒリュウの推進部をできる限り修理します。うまくいけば、ヒリュウは自力でここから脱することができる」

 

 そう提案したのはハガネ隊の整備班班長であり、幾つかの討議を挟んだ上で採用されることとなった。他にやりようと言えば、それこそヒリュウをバラバラに分解してしまうくらいしかない。

 

 瓦礫の砂中に横倒しとなっているヒリュウを、ひとまず正位置にまで戻す。そのように方針は定められたものの、それとて容易い作業ではない。少なくとも、ハガネ隊の機動兵器部隊のみではまず不可能と目されていたが、このたび、ハガネ隊は思ってもいなかった援軍を得ていた。

 

 

 

 まずロープの先端を適当な長さのところで折り返す。二重となった先端部で輪を作り、さらにもう一つ輪を作ることで8の字とし、ロープの端を最初の輪の中に通す。そして緩みを締める。いわゆる二重8の字結びの完成である。その強固さから命綱などによく用いられる結び方であり、一般人の間ではともかく、歴戦のレスキュー隊員などが大勢ひしめくこの場においては、さして珍しい技法ではない。

 

 しかし全長約30メートルにも及ぶ人型機動兵器が、直径12センチもの極太ワイヤロープを用いてそれを行うところを見るのは、おそらく誰にとっても生まれて初めてであったにちがいない。

 

「これまでも、色々なキワモノ機体を見てきたが、こいつは飛びっきりだな」

 

「ええ、負けました。本気で恐れ入りました」

 

 そのように言い合いながらカイ・キタムラとイルムガルドが見上げるのは、DCの救援部隊より出撃した、一際異彩を放つ全長およそ25メートルの機動兵器だった。白を主体色とした装甲。背中から伸びるウィングと、そして同じく翼のように左右へ伸びるショルダーガード。腰の後ろにマウントされた重厚なライフル。やや細身に過ぎるが、それでも首から下は通常規格の機動兵器と見て差し支えない。しかしその頭部ときたら、地上の機動兵器体系のみならず、異星人やラ・ギアスのそれと比較してすらあまりにも異質だった。

 

 女である。女にしか見えない。

 

 いったい如何なる材質で、そして如何なる趣向なのか、どうみても人間の女にしか見えない顔が、頭部としてその鋼鉄の体の上に生えているのである。腰まで伸ばされた鮮やかな赤毛。きめ細かな肌色の皮膚。すっきりとした鼻梁。うすい桜に色めく唇。瞳は淡く優しげな緑でありながら、どこか勝気に瞬いており、そんなはずはないと分かっていながらも、「彼女」自身のはっきりとした意志を感じさせる。

 

 マネキン、蝋人形、石膏像など、人間の姿に擬するものは数あるが、それらとは明らかに次元を異にする人間性を、その機体の顔は獲得していた。掛け値なしに、これは機動兵器ではなく、鎧を纏った巨人であると説明された方が幾万倍も見る者の納得を得られるだろう。

 

「悪趣味もここまでくれば芸術だな」

 

「リュウセイなんぞはすっかり逆上せ上がってましたよ」

 

「節操のないやつだ。それにしてもあの精密さはなんだ。うちの機体で、誰があれを真似できる」

 

 カイがしきりに感嘆する通り、人間じみた姿を持つその機動兵器は、人間じみた精密さをもまた兼ねそなえており、登山家けだしのロープワーク技術をもってして、つぎつぎと特殊ワイアロープをヒリュウ改の外部装甲にくくり付けていった。並みの機動兵器に行える作業ではなく、現にこの機体のことを知るまで、カイらは同様の作業を機動兵器のサポートをつけつつ人力で行う腹積りでいた。手持ち火器の引き金を引く程度ならともかく、ロープワークをこなしてしまうほどの器用さなど、本来機動兵器には求められないものだ。

 

 しかし間違いなく言えることとして、横倒しになるヒリュウ改の各所にロープを仕掛けて回るという、単純ながら人の手でやろうとすれば多大な労力を要したであろう作業が、この機体のおかげでわずか二時間で完了したのである。

 

 さながら蜘蛛の巣にかかった龍といったところだろうか。艦の各所からワイアロープが張り巡らされ、そのうちの一つを掴んで女巨人が上空へと飛び立った。無論、一機で起こせるような重量ではなく、出番が来るまで待機していたハガネ隊、DC隊の機体もつぎつぎと自らのロープを掴み、同様に離陸していった。

 

 音頭は、ここまでで一番の働き者が取ることとなった。

 

「3、2、1、GO!」

 

 総勢50機にも及ぶ機動兵器たちが、一斉にスラスターを吹かせる。立ち上る幾十もの箒星。人工の彗星群。壮観とすら言える光景であったが、しかしヒリュウ改の艦体はビクともしない。

 

「もういっちょ。3、2、1、GO!」

 

 再度、リューネからの掛け声がかかる。尾をひく光熱。ギリギリまで張り詰めるワイヤー群。しかしヒリュウ改はまだ動かない。

 

「リューネ嬢、もうすこし高度を下げてくれ。そう、そこでいい。他の機体も彼女の高度を合わせるんだ」

 

「準備OK それじゃ、3、2、1、GO!」

 

 今度は手応えがあった。片翼を瓦礫の山より引っこ抜きつつ、ヒリュウ改の巨大な質量が徐々に引き起こされていく。

 

「いけそうです。一気にやりますか」

 

「焦っちゃだめ。慎重にやっていくよ。3、2、1、GO!」

 

 そうやって息を合わせること数十度目にして、ついにヒリュウ改が正しい天地を半ばまで取り戻した。ここから作業は引き上げから、引き降ろしに移る。機動兵器群でヒリュウ改の重量を懸命に支えながら、慎重に地面に下ろすのである。宇宙空間での運用を想定されているヒリュウ改の船底は平面状をしておらず、直接着底させることができないため、今回は瓦礫に穴を掘ることで対応している。加えて本引き上げに備えて特製の巨大ネットも敷かれていた。

 

 引き降ろし作業は、引き上げ作業以上に微細な力加減が求められる。連邦軍とDCの混成部隊であるが故の連携不足も災いし、作業は非常に難航したが、結果として日も暮れ始める頃にようやくヒリュウ改は重力に対して正位置を取り戻すことができたのである。

 

「は、疲れた」

 

 そんな声と共に、一仕事を終えた女巨人が額の汗を拭う仕草をする。ふんわりと舞う前髪、汗にきらめく肌、甘やかな息遣い。いくら人体を模しているとは言え、さすがに汗や息まで再現しているはずもないが、しかしそんなものが見えたような気がして、ある者はげんなりとし、ある者は謎の感動を覚え、さらに極少数のある者は小さく胸を高鳴らせるのだった。

 

 

 

   Ⅲ

 

 

 

 闇に染まった広い草原を焚き火だけが照らす。今宵の屋外食堂はそんなちょっとした幻想的なムードのなか開かれていた。ヒリュウ改の立て直しが叶ったことを記念して、ちょっとした慰労パーティを開くことが有志の者らによって企画されたのである。といってもさすがに被災地周辺で執り行うことは避けられ、わざわざトラックで数キロ離れた原っぱにまで機材を運びこみ、設営し直したのである。

 

 酒も食事もささやかなものであったが、これまでのストレスのためか、宴会は非常に盛り上がった。中には楽器を鳴らし始める者もいて、それに乗って歌い出す者たちまで現れた。屍体と瓦礫に挑み続けるの日々のなか、誰もが当たり前の娯楽に飢えていた。

 

「さぁさぁ! 次の挑戦者はいないの? まさかまさか、このまま連邦軍に勝ちを譲るわけじゃないだろうね。DCの名が泣くってもんじゃない」

 

 そう威勢良く煽り立てるのは、近頃何かと噂の的となるリューネ嬢であった。余興として開催された腕相撲大会にレフェリー役を買って出たはいいものの、すっかり胴元に成りきってしまっている。彼女の見目麗しさと気持ちの良い気性も、よく人々の話題にのぼる要因の一つだが、最たるものは他所から見て、DCにおける彼女の立場が全くの謎に包まれていることだろう。佐官どころか軍人にすら到底見えない風体でありながら、ユウキ・ジェグナン少尉を始めとして誰もが彼女に一定の敬意を払う。そして彼女自身はブリジッダ中佐にすらまるで友人のように気さくに話しかけ、しかもそれを咎められない。とどめにあのあまりにも異端な外見と異様な性能を併せ持つ謎の機動兵器だ。DC兵以外の者たちはしきりに好奇心を掻き立てられたが、こればかりはどのDC兵も判で押したように口を閉ざした。アラド・バランガが個人的に親交を持つゼオラ・シュバイルァーなどに尋ねても同じ結果であった。

 

「よくわからないが、隠しておきたい割りには、目立たせすぎじゃないか?」

 

「もっともだ。俺たちも困っている」

 

 リューネたちからすこし離れたテーブルでそう言い合うのは、ブルックリン・ラックフィールドとユウキ・ジェグナンである。戦場で幾度ととなく対峙してきた因縁の組み合わせであったが、一応はそれも面識の一つには違いなく、加えて歳も近い。ブリッドの誠実さとユウキの斜に構えた態度がなんとはなしに噛み合うこともあり、あまり顔を合わせたくはないが、合わせてしまえばそれなりに話が弾んでしまう不思議な関係性を築いていた。

 

「ええい、大の男が雁首そろえてだんまりりたぁ、どういう了見よ。あんたらそれでもDC兵なの!」

 

「そりゃないですぜ、お嬢」

 

「こら! 誰がお嬢だ。全くだらしのない。こうなったらあたしが一肌脱ごうかね!」

 

 言って本当にコートを脱いだものだから、薄手の服装としなやかな肢体が露わになり、酔っ払いたちが一斉に歓声をあげた。

 

「さぁ来い!」

 

 そういってリューネは場の中央に置かれた机に、威勢良く片肘をついた。真向かいに立つのは、腕力だけならばパイロット連中も凌ぐと噂される筋トレマニアのハガネ隊整備士である。大型類人猿じみた体格で、つなぎがやけに窮屈そうであるり、そしてそれは見せかけだけに終わることなく、DCの腕力自慢をすでに5人も打破している。

 

「へへへ。よーし、おじさん手加減しちゃうぞー」

 

「なめんじゃないよ。ほら、はやく構えな」

 

 前かがみになったリューネの胸元から覗く、いかにも触覚をくすぐる光景に、暫定チャンピオンの男は露骨に鼻の下を伸ばした。酔っ払って、なおかつ五連勝もした直後とあれば、すこしばかり気が大きくなっても仕方あるまい。しかし天の神は見逃さず、果たして整備士の腕は盛大にテーブルへと叩きつけられ、その勢いで体が半回転までする羽目となった。諸手を上げてガッツポーズをしたリューネに、またもや盛大な歓声が上がり、拍手の嵐が巻き起こった。

 

「ほう、やるもんだ」

 

「ね、ね、言ったでしょ? 本当にすごいや」

 

 ブリッドらとはまた別のテーブルで、目を輝かせながら盛大に手を叩くアイビスに、マサキは仕方なさげに嘆息した。

 

「うちのおっさんに言ったんだよ。ただの筋トレマニアかと思いきや、案外演技派じゃねーか」

 

「あ、まさかやらせだって思ってる?」

 

「決まってんだろ。なぁ?」

 

 同じテーブルについていたリョウトに話を振る。マサキ同様にリューネの怪力を知らないリョウトは、判断に迷っているのか困ったように笑うばかりだった。

 

「なんと大番狂わせ! 今宵のチャンピオンは今のところこのあたし、謎の美少女リューネちゃんだ!」

 

 リューネの高らかな勝利宣言にマサキは肩をすくめ、アイビスはますます目を輝かせた。

 

「はん、自分で言ってりゃ世話ねえぜ」

 

「いいなぁ。格好いいや」

 

「さぁ連邦の次なる挑戦者は誰かな? おやおや、手が挙がらないぞ? まさかまさか天下のハガネ隊が、こんないたいけな女の子に恐れをなしたりはしないよね?」

 

「言うじゃねえか。どれ、ちょいと教育してやるかな」

 

 安い挑発にあっさり乗ってしまったマサキを、慌ててアイビスが止めにかかる。

 

「や、やめたほうがいいって」

 

「心配すんな。怪我させたりはしねーよ」

 

「いやそうじゃなくて」

 

「ようし、行って来いマサキ! お前こそ真の男だ」

 

 覆いかぶせるように囃し立てるのはタスクであり、言うまでもなく目端のきく彼はリューネの実力をよく知る側の人間である。

 

「おやっさんの仇を討てるのはお前だけだ。頼むぜ、ハガネ隊の名誉がお前にかかってんだからな」

 

「へ、よせやい。んなもん知ったこっちゃねーぜ」

 

 タスクの露骨な世辞に、しかしながら満更でもないこと火を見るよりも明らかな様子で、マサキは余裕綽々にステージへと歩いていった。その次なる挑戦者の姿を認めて、リューネは少しのあいだ表情を停止させ、すぐに不敵に笑みをうかべた。

 

「へぇ、面白い。相手に不足はないね」

 

「抜かせ。まぐれ勝ちのまま勝ち逃げされたらかなわねえからな」

 

 リューネの力を誤認しているが故の台詞であるが、それはそれで大人気ないことこの上ないマサキであった。両者は向かい合って肘をつき、力強く互いの手を握った。なんとなくそれに面白くない顔をしている誰かの視線に一切気づくことなく、マサキはその予想外に固い感触に、やや面食らった。

 

「制限時間は30秒。レディーゴー!」

 

 レフェリーの声を合図に、二人は一斉にぐん、と腕力を振り絞った。力は拮抗しあい、握り合われた二人の手のひらは中心線の上でぶるぶると震えた。

 

(まじかよ)

 

 マサキは驚愕し、同時に先の試合がやらせなどではなかったことをようやくに理解した。さも互角であるかのように手のひらは中心線の直上から動かないが、マサキはまるで岩の塊に挑んでいるかのような感触におののくばかりだった。

 

 思わず相手の顔を見やると、リューネはじっとマサキの目を見つめていた。その澄んだ面ざしからは、愛憎も喜怒哀楽も読み取れない。それでもマサキは彼女の表情から鬼気迫るものを感じた。彼女の瞳の、その深い深い紫水の色がマサキの胸を射抜いてやまない。彼女の目は、それこそ刃のようにあまりにもまっすぐだった。

 

「タイムアーップ!」

 

 レフェリーの掛け声がかかる。決着は引き分けとなったが、拍手は全くといってよいほど惜しまれなかった。リューネのことを知らない者らも今度は素直に彼女の健闘をたたえたし、逆に知る者は彼女が最後にわざと引き分けとすることで後腐れないようにしたのだろうと推量し、その気遣いを賞賛した。

 

「お疲れ。強いね」

 

 絶え間ない拍手の中、リューネはゆったりと構えを解き、にこやかに笑った。先ほどまでの緊張感が嘘のように消え、マサキは狐に抓まれた気分にもなった。

 

 それでも捨て置けない点もある。

 

「てめぇ、手加減しやがったな」

 

「さぁ、なんのこと?」

 

 リューネはコートを羽織りながら、片目を瞑った。

 

 

   Ⅳ

 

 

 夜もすっかり更けた。慰労パーティはすでにお開きとなっており、ハガネ隊もほとんどの者はすでに艦内の自室へと帰っている。そんな時分をアイビスが一人外をうろつくのは、彼女を知る者であればさほど不思議なことではない。

 

 降り注ぐような満点の星空の下を、アイビスはシャワー上がりの体を冷ましながら、ゆったりと歩いていた。地上の灯りが弱まれば、天の輝きが強さを増す。ラングレー基地という一大軍事施設が潰えたことで、基地跡地周辺は皮肉にも最高の夜空が広がる絶好の景観地に面変わりしていた。本当にひどい皮肉だった。

 

 太陽が沈み、文明の光が消えたのちに初めて現れる、本当の空の色。世の本質。世界の真実。この地に眠る屍全てを積み上げたところで、闇に散らばる宝石たちの一つにすら届かない。ひたすら無限の中で輝く星々は確かに美しいが、同時に凍てついてもいる。アイビスは星空が好きであった。しかしきっと星空の方はアイビスはおろか人類そのもののことすら、好きでも嫌いでもないでもないのだろなと、そんな風なことをアイビスは時々思うことがあった。

 

 気ままな散歩を続けるアイビスだったが、視界の端に見知った人影をふと見つけた。その者は陥没地帯に沿って備え付けられているガードレールに腰掛け、ぼんやりと夜空を眺めているようだった。

 

「リューネ?」

 

 声をかけられたことにリューネはひどく面食らったらしく、赤いパンプスを履いた足が小奇妙に跳ね上がった。

 

「あらま。どうしたの、こんな夜更けに」

 

「こっちの台詞だよ。あたしの方はただの散歩」

 

「あたしも似たようなもんだよ。慣れないのにワインになんて手をつけちゃってさ。ご飯も美味しかったし」

 

「うちのレーツェルさんは腕自慢だから」

 

「噂には聞いてたよ。あの人も元DCだったらしいね。全く、いい人材ばかり引っこ抜いてくれるよ」

 

「いや、ごめん……ていうのも変だけど」

 

「ふふ。うそ、冗談」

 

 言い合いながら、ごく自然にアイビスはリューネの隣に座った。そうして揃って星を見上げる。今宵は風もなく、寒さも弱い。だからだろうか、アイビスはこの不思議な少女とすこしばかり交流を持ちたい気になっていたし、それはひょっとすれば相手の方も同じであったのかもしれない。

 

「最高の星空だね。地上は最悪だけど」

 

「だからだよ」

 

 アイビスは星空の見え具合と、街の明かりの関係を説明した。

 

「ふうん。もしかして、あいつら流に慰めてくれてるのかもね。あんまり暗くなりなさんなよって」

 

「あは、いいねそれ」

 

 素直にアイビスはそう思った。メルヘンと笑われようとも、より救いのある感じ方であった。ついで、せっかくの機会であるので兼ねてから疑問に思っていたことを尋ねてみることにした。

 

「そういえば、リューネってどういう人なの?」

 

「んー? どうして?」

 

「だって、普通じゃ無いじゃない。どう見ても」

 

 誰かにも同じようなことを言ったな、とアイビスは懐かしくなった。

 

「DCの人なんだよね」

 

「ちょっと違うんだな、これが。世話になっているのは事実だけど」

 

「じゃぁ、どこの人?」

 

「どこでもないよ、あたしさ。ただあたしの親が以前、連中と一緒に仕事をしててね。ありがたいことに、連中の多くは未だにそのことを恩に着てくれてるんだ。あたしもあたしでちょっと一人じゃどうにもならないことがあって、親の縁故を使って、連中の力を借りたってわけ」

 

 DCのスポンサーであるどこかの財閥の令嬢といったところだろうか。そのような者がパイロットなどやるものだろうか。アイビスの疑念は尽きなかったが、一国の姫君が前線に出るような時分でもあるし、一概に否定もできなかった。親の素性についても尋ねたくなったが、あからさまに言を濁していることから、聞かれたくないことなのだと察し、聞かないでおくことにした。

 

「ねぇ、今度はそっちのことを聞かせてよ。あたしにしてみればアイビスもあまり軍人らしく見えないんだよね」

 

 事実であるだけにアイビスは苦笑するしかなかった。そうしてぽつぽつと、自分の本職とハガネ隊に参画する経緯について説明していった。

 

「プロジェクトTDかぁ。そういえば親父から聞いたことある気がする」

 

「もともとDCで始まったプロジェクトだしね。戦争が終わったら、あたしはツグミと一緒にそこに戻るんだ」

 

 ちくりと胸を刺すものがあったが、アイビスは無視した。

 

「それじゃ本当に臨時の徴兵なんだね、それもつい最近の。ハガネ隊って、てっきり厳つい強者だらけの顔ぶれだと思ってたよ」

 

「人手不足なのはどこも一緒だよ。でもそうだね。周りはみんな何度も実戦を経験してきた人たちだから、やっぱり随分差はあったよ。なんとか喰らい付いているけど」

 

「愛しの隊長さんのお陰で?」

 

 絶句したアイビスに、リューネはしてやったりとにやけ顔をして見せた。フリューゲルス小隊や小隊長についてのアイビスの語り口から、これはと思い鎌をかけたのだ。

 

「いいないいな、そういうの。羨ましー」

 

「や、やめてよ」

 

 しきりに脇腹の辺りを突かれ、アイビスはむずがゆさで一杯になった。

 

「ねぇねぇ、なんて告白するつもり?」

 

「しないよ」

 

「なんで?」

 

「なんでって……戦争中だし不謹慎だよ」

 

 加えて戦争が終わったら即刻離れ離れになることまで決定している。そんな状況で想いを告げるメリットなどアイビスには思い浮かばなかったが、奇しくもリューネという少女は全く逆の意見を持っていた。

 

「そう? 誰かを好きになるってさ、人間の中で一番当たり前で根本的な気持ちでしょ? 戦争中だろうがなんだろうが関係ないよ」

 

 臆面もなく言い切られて、アイビスは思わずまじまじとリューネの顔を見つけた。リューネは、それこそ何でもないように言葉を続けた。

 

「ハガネ隊にだって、隊内カップルの一つや二つあるでしょ? 一皮剥けばみんな一緒だよ。恋人や異性とは限らないってだけで、みんな結局は自分の好きな人のために戦ってる」

 

「そんなの分からないよ。世界のために死ぬまで戦うって、本気でそう考えている人も世の中いるんだ」

 

「はん。あたしに言わせれば、自覚してかせずしてか、その人は言葉を省略しているだけだね。世界という言葉を使うとき、必ず誰かの顔がその人の胸に浮かんでいるはずさ」

 

 そうなのだろうか。すくなくも「そんなことはない」と言い切れるだけの材料をアイビスは持っていなかった。

 

「そしてその中には、なんと彼の可愛い部下の顔もあったのでした……、と」

 

「なんでマサキの話になるの」

 

「あれ違った?」

 

 アイビスは押し黙り、リューネはからからと笑った。

 

「この正直者。まぁともかく、あたしがアイビスの立場だったら、あれこれ考えずにとりあえず言いたいことを言うね」

 

「な、なんて言うの?」

 

「簡単だよ。『好きだよ』って」

 

「またストレートな」

 

「飾ったってしょうがないじゃん。こんなもんだよ」

 

「それで上手くいったことあるの?」

 

 今度はリューネが黙る番だった。苦し紛れの反撃であったが、期せずして相手の急所を撃ってしまったらしい。

 

「今までに誰に言ったことがある? 何時のこと?」

 

 あっという間に攻守は逆転し、アイビスは笑いをこらえながらも次々に言葉を被せた。

 

「じゅ、ジュニアスクールのときとか」

 

「クラスメートに?」

 

「うん。もう女の子みたいに綺麗な顔した子でさ」

 

「それでどうなったの」

 

「『僕は好きじゃないよ』って……」

 

 うつむくリューネの肩を、アイビスは神妙な顔でぽんぽんと叩いた。

 

「他には?」

 

「ジュニアハイスクールのときかな。あれはもう、あたしがどうかしてた。今思うと、なーんであんなチャラチャラした男に……」

 

「でも言っちゃったんだ」

 

「……だって可愛いって言われたから」

 

 もしここにバーテンダーがいたら、アイビスはきっととっておきのバーボンを彼女のために注文していた。色恋はいつの時代も女性にとって最高の話の種であり続ける。ふとした切欠で始まった女二人の恋愛談義は、まるで終わる気配もなく延々と続けられた。

 

 

 

   Ⅴ

 

 

 もう夜も遅いし、そろそろ帰ろう。そう言い出したのはアイビスの方で、いい加減眠たくなってきたのか、まぶたもどこか重たげであり、懸命にあくびをかみ殺している。リューネも異論はないらしく、照れくさそうに頭をかいた。

 

「ずいぶん話し込んじゃったね。ごめんね、こんな時間まで引き止めちゃって」

 

「ううん、あたしも楽しかった。こっちこそ飲み物をありがとう」

 

 アイビスはジュースの空き缶を掲げて見せた。話に夢中になるあまり二人が喉の渇きを覚えた頃、リューネがひとっ走りして調達してきたものだった。

 

「次は食堂でやりたいね。飲み物も最初から用意して、なんならそっちのレーツェルさんとやらにおツマミでも作ってもらってさ」

 

「ふふ、なら甘いものがいいな」

 

 二人して立ち上がった際、不意にリューネが思いついたように言った。

 

「そうだ。アイビスにぜひ渡したいものがあるんだ。よければちょっとブルーストークの近くまで寄ってくれない? 中には入れられないけど、すぐに取りに戻ってくるからさ」

 

 ストークとはハガネ、クロガネほどの性能はないものの、戦闘母艦として安定した費用対効果を持つDCの主力戦艦である。30隻以上も同時配備されており、個々の艦はそれぞれ固有の色名を頭につけて区別されている。たとえばビアン・ゾルダークの乗艦であったものはグレイストーク、ブリジッダ中佐が指揮するものはブルーストークといった具合にだ。そしてそのブルーストークは、現在ハガネとそう遠くない場所に停泊しており、ブリジッダ中佐らを始めとするDC兵たちの寝起きの場になっている。

 

「いいけど、渡したいものってなに」

 

「見てのお楽しみ。でも、いいものだよ」

 

 そういってリューネは、眠気に足元がおぼつかなくなってきているアイビスの手をぐいぐいと引いて行った。そのまま連れ立って歩くこと数分、寝静まるブルーストークの麓までたどり着いたリューネは、それとばかりに艦内へ駆け込んで行った。

 

「ごめんね、ちょっとだけ待ってて。すぐ戻ってくるから」

 

「うん、別に急がなくていいから」

 

 アイビスは手をひらひらさせながらリューネを見送り、また一つ大あくびをした。

 

(どうしたんだろ。すんごい眠いや)

 

 立ち疲れたアイビスは、ゆっくりと地面に腰を下ろし、体育座りの体勢になった。手足がやけに暖かく、まるでほろ酔い気分のようにアイビスの意識が揺らぎ始めた。

 

(すぐ戻ってくるって言ってたな。ちょっとだけ、ちょっとだけ目を瞑ろう)

 

 そうして目を閉じると同時に、アイビスの意識の中でも押し寄せるように夜の帳が舞い降りた。

 

「ただいま。アイビス、寝ちゃった?」

 

 そんなリューネの声が、いやに遠くに聞こえ、そのままアイビスは深い眠りの国へと落ちていった。

 

 

 

「そこで止まりなさい」

 

 真夜中のブルーストーク。すでに整備士たちも自室へ引き上げ、人っ子一人いないはずの格納庫で、かような剣呑な言葉が響き渡った。

 

 暗闇の中で人影が一つ、動きを見せた。アイビスを担ぎながら格納庫までやってきたリューネが、歩みを止めて背後を振り返ったのだ。

 

「やぁ、ブリジッダ。こんな時間まで残業?」

 

「ええそうよ。悪さをする猫がいやしないかって、見回りをね」

 

 そううそぶいて、いまひとつの人影も動き出す。ブルーストークを預かるブリジッダ・アンサルディ中佐が、深夜にも関わらず軍服姿のまま格納庫の出入り口近くに佇んでいた。

 

「その子はハガネ隊の娘ね。どうする気?」

 

「どうもしないよ。この子はアイドネウス以後に参加した子なんだ。だったらなにもしない。用があるのはこの娘の上官の方さ」

 

「許しません」

 

「いいよ、許してくれなくて」

 

 暗がりの中でも明らかなほど、リューネは酷薄に笑った。これまでの愛想が嘘のように、その目はどこか狂おしげに爛々としていた。

 

「前にも言ったでしょ。受けた恩の分だけは協力する。でもあたしはあたし。DCに与するつもりはないってね」

 

「リューネ。今がどういうときか分かってる? 何千人もの遺体が眠っているこの場所で、連邦とDC、予てからの敵同士が過去の諍いを一旦は忘れて、一緒に人々の死を悼んでる。そんなときに私情に駆られて、お父上が喜ぶと思っているの?」

 

「ふん」

 

 ブリジッダのあまりに真っ当すぎる説教を、リューネは一笑に付した。

 

「現金なもんだ。少し前までは親父に骨の髄までイカれきって、打倒連邦の急先鋒だったくせに。綱紀粛正が終わって牙が抜けたわけ? 人に嫌な役割ばっか押し付けといてさ」

 

「リューネ!」

 

「……まぁいいさ。親父の遺志を継ぐのも、大義名分の材料にするのも、好きにしなよ。あたしの知ったことじゃなし」

 

 構わずリューネはアイビスを背負い直し、目的の場所まで歩を進めていく。だが背後からより一層物々しい気配を察し、ふたたび歩みを止めた。銃で狙われていると、振り返らずとも分かった。

 

「今、連邦とDCの間に無用な亀裂を生じさせること、まかりなりません。両手を頭の上に乗せなさい」

 

「今でなければいいの?」

 

「分からないわ。でも言えるのは、今だけは駄目ということ。今だけは連邦と戦ってはいけない」

 

「立派だね。それも親父のため?」

 

「人類の勝利のためよ、これ以上の正義がどこにあるの」

 

「さぁ、少なくともあたしの中にはないよ。でもね……」

 

 リューネはゆっくりと床に膝をつき、ねむりこけるアイビスを床に寝そべらせた。降伏の姿勢を取るのに、アイビスを背負ったままではできないので、そこまではブリジッダも見逃した。結果的にはそれが彼女の敗因だった。

 

 アイビスを下ろしたリューネは、そのまま身を低くした姿勢から地を這うように跳躍した。獲物に飛びかかるライオンそのものの挙動で、速度もまた野獣じみていた。ブリジッダは銃の安全装置を外すことすらできず、ものの数秒で床の上に組み伏せられた。

 

「生憎、そんなもののためにやってんじゃあないんだよ」

 

「リューネ……っ!」

 

「ごめんね。あんたが泥を被らないよう、できるだけのことはするよ。これもその一つだから、悪く思わないで」

 

 どすんと重苦しい音と共に鳩尾を突かれ、ブリジッダはたまらずに意識を失った。もう少しわかりやすい外傷があったほうが良いかとリューネは再度拳を構えるが、やはりやめることにした。気絶した女に追い打ちをかけるのは忍びないし、今の一撃だけでもブリジッダの腹部には痛々しいほとどの痣が出来上がるはずだ。彼女が暴徒の手にかかった証拠は十分にある。

 

 缶ジュースに仕込んだ睡眠薬により、アイビスはいまだ眠り続けていた。夜が明けるまでは、滅多なことでは目を覚ますまい。そんなアイビスを丁寧に抱え直し、リューネは再度歩みを再開した。そして格納庫の一角にて屹立する、彼女の愛機にして、今となっては父親の唯一の形見となった女巨人の下までたどり着く。

 

 その内部に乗り込もうとして、ふとリューネは思い出したようにブリジッダの方を振り返った。

 

「言い忘れてた。ヴァルシオーネの修理、ありがとう」

 

 当然ながら返答は何もない。むしろ後腐れがなくて良いと、リューネは孤独に笑みを浮かべた。

 

「さようなら、ブリジッダ」

 

 それを古い知己との今生の別れとし、リューネは女巨人ヴァルシオーネへと乗り込んでいった。

 

 

 

 リューネがブリジッダと修羅場を演じた頃より、およそ1時間後。すでに日付も変わった時分に、マサキは一人艦内をうろついていた。好きでうろついているわけでも、はたまた道に迷っているわけでも今はなく、彼のたった一人の部下の姿を探してのことだった。

 

 三十分ほどまえ、自室のベッドでうつらうつらとしていたマサキのところに、ツグミがいやに殺気立った様子で乗り込んできた。そしてさんざんクローゼットやらトイレやらベッドの下など部屋のそこかしこを探し回ったかと思うと、なにやら安堵しきった様子で息をついた。

 

「おい、どういうこった」

 

「どうやら早合点だったみたい」

 

「そりゃよかったな。で、なにがどうした」

 

「休み中のところごめんなさいね。おやすみなさい」

 

「それで済むと思ってんのか、お前は」

 

 話を聞くとアイビスがシャワーを浴びに行ったまま、未だに部屋に戻ってきてないらしい。シャワー室、ラウンジ、格納庫、リオやクスハの部屋など思い当たるところはすべて探し、最後の最後にまさかと思いつつもここを訪ねたのだという。

 

「いるわけねーだろ。常識で考えろ、常識で。あぁ、眠い」

 

 別の場所を探しに行くというツグミをけんもほろろに見送り、再びベッドに寝そべったマサキだったが、およそ7分ほど経過したところで再度むくりと身を起こした。

 

「あぁ、眠い。眠いのに、ったく」

 

 簡単に身繕いし、ぶつくさ言いながらもマサキは艦内の捜索を開始した。20分ほど艦内を適当にぶらついたが、確かに件の不良娘の姿はどこにも見当たらなかった。ジャケットに入れっぱなしだった無線機から音が鳴ったのは、いい加減諦めて帰るかとマサキがさじを投げそうになった矢先のことである。液晶の画面には発信元のナンバーが表示されており、見覚えのあるそれはアイビスが所持している無線機のものだった。捜索隊に参加してからというもの毎日毎日、昼食時に彼を呼び出す番号であるから見間違えることもない。

 

「もしもし、アイビスか? さては道に迷いやがったな、てめぇ」

 

 そう言って無線に出たマサキだったが、結果としてマサキに連絡してきたのはアイビスではなく、しかし当たらずとも遠からずというところだった。そして用件の方は予想の遥か斜め上をいく物々しいものだった。およそ五分後、用をなさなくなった無線機のスイッチを切り、マサキはしばしの間、無線機を野球ボールのように放っては受け止めを繰り返しながらあれこれと考えを巡らせていた。

 

 誘拐。私怨。復讐。決闘。ぐるぐると単語が乱舞する。

 

 さてどうするか。どうしたものか。

 

 策を練ることはマサキの得意分野ではない。いわゆる最善、いわゆる最効率の道筋を頭の中で算出しようとすればするほど、彼の思考は決まって霧中の森へと迷い込んでしまう。しかしそんな自分ともすでに16年の付き合いなので、こういうとき結局自分がどういう結論を出すのか、マサキは熟知していた。

 

 迷うことなど何もない。行きたいところに行き、やりたいようにやるのだ。

 

「うし、いくか」

 

 そうして、マサキは格納庫へ向けて歩き出した。

 

 

 

 


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