アイビス×マサキ(スパロボOG)   作:マナティ

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第二章:翼持つ二人

   Ⅰ

 

 

 ハガネ隊は現在、地球連邦軍アビアノ基地に逗留し、補給と新型試作機の搬入作業を行っている最中だった。その間、ほとんどの人員はその作業のサポートか、束の間の休息を与えられている。

 

 しかしそんな中、数人のパイロットたちに哨戒任務に付くよう艦長たちから指示がくだった。アビアノ基地の周辺エリアの、いわばパトロールである。本来なら基地に所属する専用の哨戒機などが用いられる任務だが、アビアノ基地の駐在部隊はほとんどがこれまでの戦闘によって破壊されているか修理中であり、例外的にハガネ隊がそれを請け負うこととなったのだ。

 

 かくしてハガネ隊の中でも長時間の飛行が可能で、武装もある程度整っている四機の機体が選抜され、臨時小隊を組んで任務にあたることとなった。

 

 編成は以下の通りである。

 

 グルンガスト、イルムガルト・カザハラ中尉。

 

 R―1、リュウセイ・ダテ少尉。

 

 サイバスター、マサキ・アンドー。

 

 アステリオン、アイビス・ダグラス。

 

 アイビスに下りた、初の任務だった。哨戒は現代戦においても欠かせぬ重要な作戦行動だが、今回のところは、アイビスをハガネ隊の編隊飛行にある程度慣れさせておくための実践訓練の意味合いもまた強かった。

 

 

「よし、行くぞ!」

 

 機体の外部点検が終了し、小隊長のイルムの掛け声と共にパイロットたちは各自の機体に乗り込んだ。アイビスも遅れずにアステリオンのコクピット・シートに滑り込む。ハーネスを接続し、胴体とシートを密着させる。アイビスはアステリオンと一体になった。

 

 ヘルメットを装着し、グローブの指と指の間を交互に押し込んでから、準備完了のハンド・シグナルを外に送った。ヘッドセットを付けた整備士から、エンジン始動のサインが返り、アイビスはハッチを閉じて駆動用エンジンをスタートさせた。ついでメインエンジンの始動に移り、アステリオンの心臓はゆっくりと鼓動を開始する。その静かなるも力強い脈動に、アイビスもいつもなら満足の笑みをもらすところだ。

 

 スロットルをアイドルにいれて、プリタクシーチェック。すでにメインモニターが外部の光景を如実に映し出しており、整備士が機体と操作がしっかりと連動しているかを確認しているのが、アイビスから見てとれる。

 

 十数項目の点検を終了し、整備員から完璧とのシグナルが出た。その直後にイルムからの通信が飛び込んでくる。

 

「レイヴン・ゼロワン、チェックイン」

 

「ツー!」

 

「すりい」

 

「ふ、フォー!」

 

 多少のもたつきを挟んでアイビスは答えた。続いて通信機器の周波数を揃える際にも、同じようなやり取りをする。

 

「オール・オーケー。カタパルト接続開始」

 

 各機体が次々に動き出し、グルンガスト、R-1、サイバスター、アステリオンの順でカタパルト前に一列に並んだ。

 

「グルンガスト、イルムガルト・カザハラ、発進よし」

 

「了解。グルンガスト、発進どうぞ」

 

 カタパルト内の電磁誘導により、グルンガストが弦を放された弩のごとく加速する。その勢いのまま、蒼い巨人は薄暗い艦内から青空の下へと一挙に弾き飛ばされた。

 

 R-1とサイバスターも同じ要領で発進する。最後にアステリオンの番になった。

 

 スロットル・アップ。左右のテスラ・ドライブが静かに呼吸を始めた。

 

「アステリオン、アイビス・ダグラス、発進よし」

 

「了解。アステリオン、発進どうぞ」

 

 アイビスのみ、オペレーター以外からの声がかかった。

 

「アイビス、がんばって」

 

 チーフ? と反芻する間もなく、リニアカタパルトが四たび加速する。重圧がアイビスの全身を圧迫し、青空の彼方を目がけて約一秒で放り出された。

 

 へそ下三寸に伝わる浮遊感を合図に、アイビスはスロットルを上げた。先行した三機のうち二機は戦闘機形態に変形し、残る一機は人型のまますでに前方にて編隊を形作っていた。その末尾に追いつくべく、アイビスはスロットルをさらに上げる。速度を増したアステリオンは風に乗った。

 

「ようし、良い感じだ」

 

 編隊長のイルムは陽気に声を挙げた。

 

「初めてにしちゃスムーズなフィンガーチップだ。ゼロフォー、アイビス、気分はどうだ?」

 

「フォー、問題ありません」

 

「ようし、お前さんは今回四番機。三番機、つまりサイバスターのウィングマンだ。この場合は、ウィングウーマンかな? 奴の背中をよーく覚えておけよ。目立つから分かり易いだろう?」

 

「フォー、了解!」

 

 やや過剰なほど気合いの入った返答に二割の頼もしさ、四割の微笑ましさ、そして同じく四割の危うさを感じ取り、総じてイルムは唇を釣り上げた。悪い印象ではなかった。新兵とはこういうものだ。

 

 いつの日かこのガラスのような少女も、気負いや緊張の殻を捨て去って一丁前のパイロットになるのだろう。現時点でその姿を想像することは容易ではなかったが、生き残ることさえできれば必ずその時が来るのだと、イルムは経験で知っている。たとえば、たったいま閉鎖通信をかけてきたリュウセイ・ダテ少尉のように。

 

「いいんですか中尉? マサキに付いて行かせて」

 

「なんだ、代わりたいのかリュウセイ。お前も好きだな」

 

「ちがいますよ! 軍隊式の飛び方を練習するなら、俺かイルム中尉の方がいいじゃないですか」

 

「ああ、マサキだと編隊も糞もなくなるからな。だからいいんじゃないか」

 

「はい?」

 

「ハガネ隊自体が、そんな感じだろう。どこぞの堅物艦長が血管震わせるくらいにな。下手に最初だけ気を使ってやると、あとで逆効果だ。今のうちに劇薬つかませて慣れさせておくんだよ」

 

「あ〜……」

 

「それに、いざ本番になったら俺もお前も陸がメインだ。アステリオンほど極端な空戦屋は、ハガネ隊にだって数えるほどしかいない。だったらその数少ない一人との連携を、早めに覚えさせておくべきだろ?」

 

 ついでに言えばマサキの奔放すぎる面と、アイビスの固すぎる部分を掛け合わせれば、もしかすれば何か面白い化学反応が起こったりするのではないか、などともイルムは考えていたが、本人としてもさほど期待していることではないので口には出さなかった。

 

「なるほど、了解」

 

「腐るなよ。俺だってお前なんかより、初々しいかわいこちゃんとペア組みたかったんだ」

 

「だから違うって……またリン社長に嫌われますよ」

 

「分かってないな。あいつはこういう俺が好きなんだ。しっかしお前が新兵の心配とは、俺も歳を取るわけだ」

 

「なんですか、それ」

 

 イルムは再び開放通信に切り替えた。

 

「ゼロワンより各機。このまま直進。A地点に着いたら、二機ずつで左右に散開、各々B、D地点を経由しつつC地点で合流って手はずだ。いいな」

 

「ツー了解!」

 

「すりぃ、りょーかい」

 

「フォー了解!」

 

 約一名の明らかにかったるそうな返答に、リュウセイにはああ言っておいたものの、少し不安になるイルムだった。

 

 

   Ⅱ

 

 

 透き抜けるような青空は、絶好のフライト日和と言ってよかった。イルムらに口説かれるまでもなく、すでに星の海に心奪われているアイビスであったが、だからといって大気の海を嫌うことはない。

 

 宇宙を飛ぶことは、アイビスの感覚ではむしろ海に潜ることに近かった。先の見えない深淵を目指して、深く深く潜行することは、恐ろしくはある。孤独でもある。だがそれ以上の価値があるとアイビスは信じていた。

 

 それにしても、この「飛翔!」という感覚だけは大気圏内でしか得られないものだろう。追いかけるべき雲があり、立ち向かうべき風があり、そして眼下に広がる遠い大地があって初めて、この高揚感は得られる。天と地を同時に感じる、また違った快感だった。

 

「随分と楽しそうだな、おい」

 

 そんな通信が入って来て、アイビスは二重に慌てた。急な通信そのものにも驚いたが、そのあと反射的にスクリーンを見渡しても、本来なら右手前方にいるはずの僚機の姿がどこにもなかったのだ。いつのまにか、アイビスがマサキを追い越してしまっていたのである。

 

「す、すみません。減速します!」

 

「ああ、いい、いい。そら」

 

 アイビスが左手のスロットル・レバーを引くよりも早く、サイバスターの翼から迸るエメラルド色の輝きが勢いを強め、あっという間に両機は元の位置関係を取り戻した。

 

 すでに小隊は散開を終えており、いまアイビスと空を共にしているのは、少なくとも視界内とレーダー上ではサイバスターのみだった。

 

「堅苦しい言葉もいらねえよ。とりあえず怪しいもんが無いうちは好きに飛んでりゃ良いのさ」

 

「ですけど……」

 

「敬語はよせって。俺は別に軍人でもなけりゃ、あんたの上官ってわけでもないんだ。いいな」

 

 これ以上の反論を封じられたアイビスは、しかし顔から火が出る思いを止められなかった。羞恥心が身を焦がし、操縦桿を握る手にさらに不必要な力がこもる。

 

 彼女に異常な緊迫を強いるのは、間違いなく彼女の僚機の存在だった。

 

 魔装機神サイバスター。三層一対、計六枚の翼を持つ半人半鳥の機体。航空力学的に明らかに飛行に適さない形状でありながら、風の抵抗など文字通りどこ吹く風と謳いながら、悠々とアステリオンの前を羽ばたいている。

 

 またもやマサキから「なあ」と通信が入って来た。粗忽な口調や、いかにも暇でしょうがないので、といったニュアンスを省けば「アイビスのことや機体のこと、ハガネ隊に来る前までのことなどを、よければ教えてもらえないか」ということだった。

 

「その、いいの? 哨戒中に」

 

「こっちには人手が二匹分余ってる」

 

 そう言われ、アイビスはぽつぽつと言葉を紡いでいった。マサキはとくにプロジェクトTDの理念について興味を持った。

 

「宇宙探査つってもよ、いまどき異星人やらなにやらで、宇宙も随分と物騒になってるじゃねえか。それで予算とか下りるのか?」

 

「前と比べたら、やっぱり落ちたみたい。でもシリーズ77の技術は戦争にも役立つからって、イスルギ重工がスポンサーになってくれてるんだ」

 

「ふうん。ならそいつは、本当はただの宇宙船なのか」

 

「これはまだプロトタイプだけど。武器を搭載するって決めたときも、上の方では色々あったみたい」

 

 フィリオとツグミの憂い顔がアイビスの脳裏をよぎった。時勢上やむを得ない措置とはいえプロジェクトの理念に背く行為であり、しかし従わなくては現在までのプロジェクトの進展は叶わなかった。プロジェクトに夢を賭ける誰もが抱えている、アンビバレンツだった。

 

「未来のスペース・シャトルが、今じゃ戦闘兵器でしかも軍に徴発か。難儀なこったな」

 

 少年の声には、社交辞令を越えた重みがあった。

 

「宇宙飛行士か。俺もガキの頃は人並みに憧れたもんだぜ」

 

「それが、どうしてサイバスターに?」

 

「俺が知るかよ」

 

 他に誰が知り得るのだろうか、とアイビスは思った。

 

「ねえ、今度はそっちのことを教えてよ」

 

「ん?」

 

「だってさ、普通じゃないでしょ? どう見ても」

 

 自覚があるのか、相手はしばしの間黙りこんだ。

 

 マサキ・アンドーは現在、地球圏の一部の間では大手軍事企業の役員クラスや著名なエンジニアらと並んで、最も有名な民間人の一人である。しかし彼らが周知の実績や立場によって名を馳せているのに対し、マサキ・アンドーは来歴不明、その愛機は原理不明、二つ揃って正体不明という謎が謎を呼ぶ神秘性によって注目を集めている。

 

 ジーパン姿の何処にでも居るような高校生くらいの少年が、公式・非公式問わずいかなるデータにも存在しない機動兵器を勝手に乗り回しているというだけでも十分すぎるほど異常事態なのだが、さらにその少年の肩の上には人語を話す二匹の猫が連れられ、尚かつその機動兵器は銃と火薬の代わりに剣と魔法を駆使し、条件を整えれば一基地を瞬時に制圧できるほどの戦闘能力を発揮するとなれば、良識ある人々にとってはまさしく悪夢そのものである。

 

「地底にある異世界からやってきたって噂だけど」

 

「それで合ってるよ。こいつもそこで作られて、それを俺が貰ったんだ。よくあるだろう? 剣と魔法の世界があって、その世界を救う為に違う世界から勇者が召喚されて、伝説の武器を渡されて『さぁ、魔王を倒せ』ってな」

 

「……日本ではよくあることなの?」

 

「漫画の話だよ」

 

「それで、マサキが勇者なんだ」

 

「そんな柄に見えるか?」

 

 今度はアイビスが黙る番だった。

 

「そうだろ?」

 

 

 

 世間話もいつしか止み、二人してただ茫洋と飛翔し続ける時間が二十分程続いたときのことだ。

 

「そろそろいいな」

 

「え?」

 

「なんでもねえ。さて、いい加減ただ飛ぶのにも飽きてきたな。あんたもそう思わないか?」

 

 上空1500メートル界隈、立派な作戦行動中にそう言われても、アイビスはむりやり愛想笑いをひねりだすしかなかった。

 

「実を言うと、絶好の暇つぶし方法をもう見つけてあるんだ」

 

「な、なに?」

 

 一体何を言い出すのかと、ハラハラしながらアイビスは聞き返した。

 

「今回はたしか俺が三番機で、席順は上だったよな」

 

「うん」

 

「一応、今俺はあんたに対して指揮権のようなものを持つわけだ」

 

「うん」

 

 さっき自分は上官じゃないって言ってたけど、と思いはしたもののアイビスは黙っておいた。

 

「というわけで、だ」

 

 少年の目が、猛禽のそれのように荒々しく煌めいた……ような幻覚がアイビスの視界を通り過ぎた。

 

「命令だ。今から俺とあんたで腕試しをする」

 

 その言葉をアイビスが噛み砕く前に、前方を行く機影からひと際大きくエメラルドの光が爆ぜ、サイバスターは爆発的に加速した。

 

「ち、ちょっと!」

 

「ほら、置いてくぜ!」

 

 少年の言葉は脅しではなく、レーダーに映る二機間の距離は目を疑う速さで伸びていく。モニターに映る機影はすでにビー玉のサイズにまで縮小し、さらにぐんぐんと遠ざかっていった。

 

「ま、待って!」

 

 あっという間の出来事に呆然とする暇すらなく、アイビスはスロットル・レバーを最大まで押し込んだ。一気に倍増したGがアイビスの全身を彼方へ突き落とそうとする。

 

「……待ってってば! 腕試しって、何を」

 

「そうだな。鬼ごっこなんてどうだ。まずはあんたが鬼で、俺に一発当てられたら鬼役交代だ」

 

「当てられたらって……」

 

 模擬戦闘訓練においては、格闘訓練でもないかぎり通常はペイント弾を使うか、あるいはライフルの先端などにカメラが仕掛けられ、相手の急所を撮影することで勝利とされるが、今の二機には当然どちらの用意もない。

 

「実弾で訓練なんて無茶だよ。それにあたしとマサキじゃ……」

 

 結果は見えている、と続けようとした唇をアイビスは噛み締めた。

 

 これから互いに命を預けるかもしれない人間に、己の実力を誤解させたままにさせておくこともない。しかし、アイビスにもプライドはあった。また、仮に前の戦場での戦果が百億に一つの奇跡だったとしても、アイビスには、この三番機にだけはそれを悟られたくない思いがあった。まだ右手には、あの手の平の感触が残っているのだ。

 

 だがそんな思いをせせら笑うかのように、かの手の平の持ち主はさらに言い募った。

 

「なんだ、怖じ気づいたか? 宇宙飛行士ってのはエリート中のエリートって聞いていたが、安いプライドじゃねえか。大したことねえな」

 

「なんだって……?」

 

「こいつが造られたのは戦うためだ。作ったのは宇宙なんて見たこともない連中だ。あんた達が必死に夢を追いかけて造り上げたそのマシンは、そんなものにも追いつけないのか? 俺を見ろ。ほれ、見ての通りのガキンチョさ。あんたらの言う『星の海を往く』ってのは、そういう奴に道を譲ってやることを言うのか?」

 

「やめて! それ以上言うと!」

 

 たまらずアイビスは怒鳴った。侮辱を受けたのが自分だけなら、そうはしなかった。しかし少年の不遜な言葉はアイビスだけでなく、全てのアストロノーツの矜持に罅入れるものだった。グリソム、ラヴェル、アームストロング。名だたる英雄の系譜に、マサキはアイビスの体を通して手袋を投げつけているのだ。

 

 アイビスは奥歯を噛み締め、行く手に見えるサイバスターの背中を食い入るように睨みつけた。差は、だんだんと縮まってきている。サイバスターの三層一対の翼、そこから吹き出される翠色の噴射炎。この世ならざるもの、異端者、風の魔装機神。ふとその勇姿に、一度として敵うことのなかった緋色の影が重なる。

 

 怯えが生じた。震えが来た。

 

(勝てない。勝てるわけが無い)

 

 アイビスの四肢を、諦観と怯懦が蝕み始める。

 

(勝負にすらならない。そう、これは勝負じゃない。スレイの時と同じだ。自分はただ、振り払われるだけの……)

 

 蚊か、蠅か、あるいは塵か。留まるところを知らないアイビスの劣等感を他所に、マサキが振り払ったのはそれらの内のどれでもなかった。

 

「さぁ、勝負だ!」

 

 勝負と、少年は言った。

 

 プロジェクトの頃、アイビスとスレイが模擬戦を行う時、スレイは決して勝負という言葉を使わなかった。彼女にとって、それは常にナンバー・ワンという自らの称号の証明であり、確認でしかなかった。恐らく、他の者にとってもそうだったのではないか。中でも、あのタカクラチーフにとっては。

 

 どくん、と鼓動が一つ。

 

 アイビスの血液が徐々に沸点まで近づいていく。

 

「教えてやるよ。あんたらの夢も、そのマシンも、サイバスターの前では全く無意味なものなんだってな!」

 

 その言葉が、駱駝の背を潰す最後の藁となった。アイビスの脳裏で火花がひとつ散った。稲光にも似た一つの感情が、アイビスの全神経を紫電一閃に駆け抜ける。

 

「こ・ん・のぉーーっ!」

 

 「鬼ごっこ」が始まった。

 

 

   Ⅲ

 

 

 銀と銀が「最速」を賭けて競い合う。

 

 高度七千メートル。すでに大地は雲海の下に沈没している。上下左右前後、あまねく空の青と雲の白に支配され、計器から目を離せば容易に平衡感覚を見失う世界にて、翼持つ二人は縦横無尽に空を駆け巡った。

 

 アイビスは操縦桿を軽く左に倒した。直後機体が反転し、背面飛行の形を取る。天が地に、地が天に。

 

 レバーを手前へ。雲と海が頭上から真正面に飛び込んで来る。アイビスは思い切り下腹部にりきを入れた。慣性制御によって相殺されている分も含めれば、旧暦の戦闘機など比較にならない負荷がアイビスに降りかかる。

 

 やがて太陽光に煌めくサイバスターの脚部を正面にとらえた。スピリット・エスは敵の死角、つまりは後方下に潜り込む機動だ。左手中指でウェポン・セレクト、マルチ・トレース・ミサイル。もちろん発射する気などない。しかし絶好のポジションからロックできれば、最新鋭のミサイルは決して的を外さない。ゆえにターゲット・ロックを完了させるだけで、この場合はKO勝ちに値すること十二分だった。

 

 右手薬指でシーカー作動。レーダー照射。こうも淀みなく指が動くのは初めてだった。敵が通常のPTかAMであるのなら、コクピット内で警報が「危険!危険!」と喚き散らしていることだろう。だがそんなことを考えている合間にサイバスターは突如進路を変えて、一挙に視界から飛び失せてしまった。

 

「なんてデタラメな動き……!」

 

 アイビスはすぐさま後を追った。空戦では予測が全て。かつてスレイが、ただ一つだけ自分に助言してくれたことだった。サイバスターを点として見るのではなく、その機動を予測も含めて線として捉えて、その先、その内側に飛び込む。

 

「おお、来た来た」

 

 後背を確かめながら、マサキは左右の手の先にある水晶を機嫌良く握り込んだ。コネクターであるそれはマサキの意志と駆動系を繋ぎ合わせて、サイバスターの動きをさらに溌剌とさせる。

 

 サイバスターの翼の向きを変えた。さきほどアイビスが見せたものと同じ、相手の後背に回り込む機動だった。すかさず追従して、アステリオンはそれを阻止してきた。

 

「おお」

 

 またもや同じことを、今度はフェイントを交えて繰り返した。アイビスはやはり付いて来た。

 

「おお、おお!」

 

 マサキは楽しくなった。

 

「どうした、すっとろいぞ。もっとだ、もっと迫ってこい!」

 

「……うるさい!」

 

「おー、こわ」

 

 いつしか、二機の戦いは鬼ごっこと呼べる様相ではなくなっていった。前を行く者は後ろを引き離すべく、後ろを辿る者は前に追いすがるべく、ただ走り続けるのが鬼ごっこだろう。だが空戦において、そのような機動は定石ではない。勝つためには、敵の尾に食らいつかなくてはならない。

 

「追いつく!」

 

「食いちぎってやらあ!」

 

 アイビスがマサキの背を追うように、いつのまにかマサキもまたアイビスの背を追っていた。それを見越して、さらにアイビスはマサキの背中を目指した。マサキはさらにそれを見越し、アイビスはさらにさらにそれを……。

 

 二人の機体が、意志が、どこまでも交差し、螺旋を描いていく。もはやこれは鬼ごっこではない。地球圏ならびに異世界の技術の粋を集めた、正真正銘の「ドッグ・ファイト」だった。

 

 超音速の空戦に集中する傍らで、自らの体から様々なものが抜け落ちていくのをアイビスは感じていた。先ほどまでの怒り、苛立ち、のみならず不安、緊張、虚栄心、自己嫌悪までも。およそ飛翔に不必要なものは全て大気の逆風に吹き飛ばされ、意識が流線形に研ぎ澄まされていく。ちょうどあの時のように。スレイに落とされ、敵に囲まれ、カリオンを失い、まことに崖っぷちまで追いやられた末に奇跡を起こしたあの時のように。

 

 時空を越えて、アイビスの耳朶に再びフィリオの言葉が届く。彼は告げた。君は流星だと。なぜ今の今まで彼の言葉を思い出せなかったのか。

 

 サイバスターがどれだけ異次元の速度を誇ろうが、アステリオンとて地上における現行ハイエンドの技術を持って作られた機体だ。たとえ相手が真実疾風そのものでも、それがなんだというのか。

 

 あたしは流星だ。

 

 風も、夜も、星の海も、

 

 何もかもを一緒に全部、

 

 切り裂いて飛ぶんだ!

 

「Rapid acceleration……」

 

 再びアイビスの視界がサイバスターの背後を捉える。

 

 まだ遠い。

 

 またもやサイバスターが機動を変えた。

 

 だが逃がさない。

 

「……Mobility break……!」

 

 機首を、サイバスターが描く軌道より一度でも内角に。

 

 時速一ミリメートルでも速く。

 

 より速く。

 

 ただ速く。

 

 敵機射程圏内補足を知らせる無機質なアラームが鳴った。アイビスが喝采をあげる。

 

「捕まえた!」

 

 

   Ⅳ

 

 

 直後、サイバスターの翼がエーテルをまき散らしてひと際大きく咆哮し、壁に垂直に当たったビリヤード球のごとく百八十度に反転、急速接近してきた。

 

 慣性を無視したありえざる動きに、アイビスは唖然とする。

 

「うそ……?」

 

 二機の相対速度の前では、その一言すら冗長だった。唯一光以外の何もかもをも置き去りにして、アステリオンのの眉間めがけてサイバスターが迫り来る。

 

 しかしもはや衝突するしかないと思われた寸前、まさしく紙一重、間一髪に、サイバスターが再び機動を変える。

 

 音速を遥かに超えて交差する二機。もしサイバスターの手に剣があれば、アステリオンは二機の速度が生み出す合力をまともに受けてまっ二つにされていたかもしれない。

 

 さながら悪魔の愛撫のごとく、アイビスの背中を冷や汗とぞっと流れ落ちたのは、交差から優に5秒間が経過してからだった。

 

「へへ、驚いたか?」

 

 少年の悪戯っぽい声が、試合終了の合図となった。

 

「び、びっくりした……」

 

 やっとのことでそれだけ言う。勝者はマサキ……と言えるのだろうか。しかし勝者本人にとってはどうでも良いことのようだった。

 

「異星人どもは慣性制御を使って飛ぶんだ」

 

「え?」

 

「地上の戦闘機と同じ理屈では飛ばないってことさ。さっきみたいな動きだってよく使ってくる。気をつけろよ」

 

「……え、え?」

 

「けど基本は変わらねえ。空戦をやる以上、一番大事なのはやっぱり速度なんだ。いくら小器用にジグザグに動けたって、追いつかせさえしなければ結局あんたの勝ちだ。だから心配いらねえ。奴らと互角以上に戦える。あんたと、その機体なら」

 

 アイビスは呆気に取られた。言葉の内容にではなく、少年の態度にだ。あまりに真っ直ぐな、先ほどの悪口雑言が嘘のような、率直な賞賛だった。

 

「エクセレンめ。ボケ役が行き過ぎて、とうとう本当に耄碌しだしやがった。見てみろ、誰がひよっこだ」

 

「ひよこ……?」

 

「昨日、カチーナたちとシミュレーターで遊んだろ? そのことでな。全く揃いも揃って、どこを見てるんだか」

 

「……」

 

「それと、な。さっきは悪かった。芝居……では一応あったんだが、調子に乗りすぎちまった。気に触ったろ? 悪かった」

 

「……」

 

 熱が発生していた。

 

 マサキがエクセレンから何を聞き、それに対して何を思い、そしてなぜ傍若無人を装い自分を挑発してきたのか。それら全ての答えが、すとんとアイビスの胸に降りて来たとき……。

 

 そこから、熱い熱い熱が発生していた。

 

 痺れる腕をなんとか動かし、アイビスはアステリオンを旋回させた。その先ではサイバスターが、太陽を背に雄々しく翼を広げている。陽の光を浴びて、白銀の装甲が神秘を宿しながら輝いていた。

 

「きれい……」

 

 そんな言葉が独りでに漏れた。

 

「なにが?」

 

「あ、いや、その機体が……」

 

「そうか?」

 

「そ、そうだよ。さっきも、すごくきれいに空を飛んでた。すごかった」

 

「そうか。いや、まぁ、そっちこそな」

 

「あたし……?」

 

「俺も存分にあんたのかっとび姿を見たぜ。さっきの動きは、あのアギーハって奴にぶちかました時のと同じやつだろ? 一度見てなけりゃ、正直危なかったんだぜ?」

 

「さっきの動き……」

 

 アイビスはようやく気付いた。

 

 マニューバー・RaMVs。

 

 前に一度、少年の前で見せたのは、それまでの夥しい数の失敗の果てに、たった一度だけ起きた奇跡の成功だった。たまたまその部分だけをマサキは目撃したに過ぎない。

 

 しかし今、アイビスは無意識に再び同じ快挙を成し遂げていた。一度成功したものを、今もう一度成功させた。二度起こったらそれは奇跡ではなく、偶然でもなく、れっきとした……

 

「そうか、出来たんだ、あたし。ううん、出来るんだ。これからも……」

 

 ざわざわと胸の奥からまた別の熱源が押し寄せた。少年に対してのと、自分に対しての。その二つの熱にアイビスの胸は張り裂けそうだった。

 

「アイビス?」

 

「やった……やったよあたし……やった……やったぁぁぁぁぁっ!」

 

 そして今、張り裂けた。

 

 周りの目も気にせずに、こみあげる歓喜のままアイビスは叫んだ。雄叫びとも言えた。そして通信の向こうでは、彼女の喝采をまともに浴びた少年が耳を抑えて苦悶していた。

 

 

    Ⅴ

 

 

 アステリオンとサイバスターが哨戒任務もほっぽりだして遊びほうけていた頃、アビアノ基地逗留中のハガネ隊では一騒動が起きていた。

 

「はて、おかしいな。もうとっくに帰って来ても良いころなんだが。どう見る? リュウセイ・ダテ少尉」

 

「は。マサキのことだから方角を間違えて、いまごろ北極にでもいるのではないかと推測します。中尉」

 

「ううむ、有り得るな。一応第二編隊長なわけだし、アイビスも口を出しにくいだろうしな。ああツグミお嬢さん、アステリオンの空調システムについて確認しておきたいんだが」

 

「いいから、とっとと救援部隊か捜索部隊を出して下さい! うちのアイビスになにかあったらどう責任をとる気ですか。言っておきますけど、事と次第によっては裁判も辞さないつもりですから!」

 

 イルムとリュウセイは聞こえない振りをした。

 

「とはいえ基地のレーダー範囲内にもいないみたいだし、どこをどう探したものか。そうだ。おいリュウセイ、ブリットたちを呼んで奴らの居場所を探れ」

 

「どうやって探れって言うんです?」

 

「こっくりさんでもダウジングでも好きにやれ。許可する」

 

「されても困りますよ。とりあえずここは二手に分かれた時点から現在までの時間と、サイバスターの速度を計算して……」

 

「それが現実的だな。おい、だれか地図とコンパス持って来てくれ。磁石じゃない方だぞ。さて、やつの到達可能範囲がせめて大陸内に収まってくれていると良いんだが……」

 

「話になりません。艦長を呼んで下さい艦長を!」

 

 イルム、リュウセイの討論とツグミ・タカクラのヒステリーはこれより半刻後、アビアノ基地のレーダーが二機の機影を捕らえるまで続いた。

 

 

 アイビスがアステリオンから降りた時、タラップの階下でアイビスを待ち受けている人影があった。いつぞやと違い今度は四人も、である。

 

 長身長髪の一番機は手を腰に当ててクールに佇みながら、どこかほっとした表情をしており、黒髪短髪の二番機は元気よくサムズ・アップしていて、そしてツグミ・タカクラは何故か涙目になって力一杯手を振っていた。

 

 そして三番機……あの風のような少年は、彼らよりも一歩後ろでばつが悪そうに頭頂部をさすっていた。

 

 先に着陸した少年が編隊長から拳骨を、ついでにツグミからは盛大に引きつった笑顔で痛烈な嫌味を喰らっていた事実など露とも知らないアイビスは、満面の笑顔でステップを駆け下りて行った。

 

 命令違反のことなどすっかり頭から抜け落ちているアイビスは、イルムとリュウセイ、ツグミにそれぞれ極上の笑顔を惜しみなく贈り、戸惑う三人を他所に、そして本命の少年の前に駆け寄った。

 

「お疲れさま!」

 

 アイビスの目は隠しきれない興奮に爛々と光っていた。何をこんなにも嬉しそうでいるのか、マサキには分からない。いい腕をしていた新入りが、その腕前をごく普通に披露した。彼にとって、あの空戦はただそれだけのことだった。

 

「お疲れさん」

 

 マサキは無造作に手の平を差し出した。それが目の前の相手にとってどれほど価値のあることかも、彼は知らない。しかし、思い起こされるものはあった。

 

「前もやったっけな、これ」

 

 アイビスは答えず、ただ花開くように笑った。

 

 パン、と景気のよい音が格納庫に響いた。

 

 

 


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