アイビス×マサキ(スパロボOG)   作:マナティ

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第十五章:眠り姫

 

   Ⅰ

 

 

 シルベルヴィントの爆発とともにラングレーから全ての敵反応が消失し、以降新たな増援の気配もない事から、間もなく若き戦闘指揮官の手で戦闘終了宣言がなされた。

 

「皆、ご苦労だった。ひとまず帰艦してくれ」

 

 最後に添えられたその一言に、パイロットたちはこぞって息をついた。

 

 やがてハガネブリッジから着艦の準備が整った知らせが入ると、パイロットたちは満身創痍となった己の乗機を、これまた満身創痍なハガネへとのろのろと近づけて行った。なお着艦の一番手はサイバスターとなった。列を作り始めた味方機の頭上を素通りして、我先にとハガネの着艦用ハッチに飛び込んだのである。

 

「くおら、マサキ。横入りとはなんだ!」

 

「ごめんなさい!」

 

 思わず叱り飛ばしたイルムだったが、返って来たのは切羽詰まったような女の声だった。

 

 そうして帰還者第一号としてサイバスターが格納庫まで辿り着いたとき、足下から全力の歓声と拍手喝采が鳴り響いた。整備士たちによるものである。直接戦闘に参加していない彼らだが、今宵のMVPが誰であるのかは重々に承知しており、こうして簡素ながらも凱旋式めいた出迎えを企画したのだ。

 

 堂々と胸を張り、親指の一つでも立てた少年の姿を今か今かと待ちわびていた整備士たちは、しかし大いに期待を裏切られることとなった。

 

「医者。医者をちょうだい!」

 

 機体が固定されるや否や、銀騎士のパイロットはすぐさまコクピットから飛び出してきて、そう声を張り上げた。そこには整備士たちが期待したものは何一つなかった。一番に姿を現したのは、まったくもって予想外なことに除隊したはずのアイビス・ダグラスの姿であり、勝利の立役者であるはずのマサキ・アンドーは全身血塗れとなって彼女に背負われていた。いつか見たような光景が、主客反転して再び整備士らの前に現れていた。

 

 すでに機内通信で連絡を受けていたらしい医療班の人間が、担架を引っ張って格納庫に傾れ込んでくる。二人であった。他の乗組員の治療に忙しく、人手が足りていないのだ。その代わり腕の方は確かであったようで、慎重にマサキを担架の上に乗せたあと、手早く点滴や輸血パックの針を刺し、呆然とする整備士たちを他所にそれとばかりに医務室へ駆け戻って行く。当然のようにアイビスもそれに付いていった。

 

 マサキは即座にICU行きとなった。元地球脱出船であるハガネならではの設備である。執刀を担当することなったのは、アイビスも一時世話になり通しであった医療班々長であり、外科手術をこそ本来得意分野とする人物である。執刀者として彼以上の経験とセンスを持ち合わせる人材はハガネ隊にいない。

 

 そんな優秀な彼であるが、手術室の中でひとしきり患者の外傷を見渡したのち、はてと首を傾げざるをえなかった。それほどまでにマサキ・アンドーの肉体は、奇妙な状態にあった。外傷はある。あるといえばある。いったい何に巻き込まれたのか、石やコンクリートの破片などに猛烈な勢いで肌を食い破られたような形跡が確かにある。しかしその破片はどこにも見当たらず、肌の傷も治療するまでもなくすでに塞がりつつあった。出血も止まっている。

 

 念のため外傷部に一通りの消毒を施し、輸血と麻酔投与を続けるよう部下に言い残してから、彼は釈然としない気分のまま手術室を出て、待合室のアイビスを訊ねた。

 

「そういうわけなんだが、心当たりはないかい?」

 

「あります。クロとシロが、なにか魔法をかけてました。治癒術だって言ってたから、多分それだと」

 

 言われて医療班々長は溜め息をつくしかなかった。彼は謙虚な男であったから、優れた医者や医学者と出会えば、いくらでも頭を下げるし教えだって請う。しかしまさか四本足の小動物にまでそれをしたくなる日がくるとは、これまで思ってもみなかったのである。

 

「となれば、彼は大丈夫だ」

 

「本当ですか!」

 

 医療班々長は、すんなりと頷いた。マサキ・アンドーが危ぶまれていたのは出血多量による失血死であり、その要因である外傷がすでに塞がっている以上、さらなる手術は必要ない。後は足りない血と養分を補充して安静にさせてやれば事は済む。無論、時間が経ちすぎていれば手遅れとなっていたが、少なくとも今回の場合は十分間に合うはずであった。

 

 ハガネ医療班にとってむしろ厄介であったのは、この直後に発生した患者の方であっただろう。なにせ原因も治療法も不明の、まったく摩訶不思議な病人であったのだから。

 

 聞きたかった言葉を聞けたアイビスは安堵の溜め息をもらした。目尻に涙を蓄えながら、何度も何度も頭を下げるアイビスに、班長は恐縮で一杯となった。彼にしてみれば何もしていないに等しかったからだ。しかしそれもアイビスの体がぐらりと傾くまでのことで、まるで目眩を起こしたように倒れこんできた彼女を抱き支えたときには、もう何時もの医者の顔に戻っていた。

 

 

 

 マサキ・アンドー。出血多量による昏睡状態。現在医務室にて治療中。命に別条は無し。数日以内に回復する見込み。

 

 アイビス・ダグラス。こちらも現在昏睡状態。ただし原因不明。肉体的には打撲、脱臼程度で大きな外傷は見当たらず、にも関わらず心拍を始めとするあらゆる生命活動が異常減衰しており、それは尚も進行中。回復時期不明。

 

 以上の事実がパイロットたちに伝えられたのは、戦闘終了の一時間半後に開かれたデブリーフィングによってであった。つくづくこの小隊は、戦勝気分に水を差すのが好きであるらしい……というのは、パイロットたちの浮かべる表情を受けて、キョウスケが抱いた愚痴にも似た感想であった。

 

 そもそも戦勝などと呼べる結果でもなかった。

 

 ラングレー基地は壊滅。そしてハガネ隊においても、こたびの一戦による各機動兵器の損傷は極めて甚大であり、それはハガネそのものも同様だった。いまだ地中に埋もれているヒリュウ改にしても到底楽観はできないだろう。こんな状態では数日後に控えているプランタジネット作戦のフェイズ2……つまり月面都市解放作戦に参加するなど夢のまた夢であった。

 

 事前計画の段階ではフェイズ2におけるハガネ隊の役割はあくまで囮とフォローであったが、それにしても大役にはちがいない。そのハガネ隊がこんな様では作戦の全面的練り直しが必要となる。

 

 総司令部はこれから火の車だろうな、とキョウスケは他人事のように考える。上のことは上が考えればいいと投げ捨てていた。思慮浅い若者ではなかったが、他人の領分にあれこれ首を突っ込めるほど彼の業務は暇でもないのだ。

 

 原則全員参加のデブリーフィングであるが、いまこの場にいるのは半数程度である。アイビスたち以外にも、命に別条はないまでも医務室に直行となってしまったパイロットは少なからずいるし、一方肉体と機体双方に多少なりとも余裕があったパイロットには、やや過酷ながらも夜を徹しての救助活動が命じられていた。

 

 たとえばR-2のライディースなどがそれに当たる。今夜の戦闘では、彼は両手に避難民を抱えての戦域離脱を最優先にしていたため、機体の被弾は最小限に留められていた。ライ自身の気力・体力もまだまだ水準以上にあり、本人の強い希望もあって、ただちに残りの生存者を救出するべく大穴の中へと舞い戻って行った。他にもESPと看護兵としての知識を併せ持つクスハなどもそれに続いている。すくなくとも今現在地上付近に出て来ている生存者の救出は今夜中に取り掛からなくてはならない。本当であればハガネの医療班らも派遣させたいところであったが、まだまだ乗組員の治療活動に区切りがついていないため、そのままハガネ内で業務を続けさせることとなっていた。

 

 言うなれば今このデブリーフィングに参加しているのは、とりあえず大きな怪我は無く、それでいて動かせる機体も無い中途半端な者たちだけだった。リュウセイやタスク、カチーナにエクセレン。誰も彼もが疲れきっており、デブリーフィングが終わればすぐにでもベッドに倒れ込もうと決めて掛かっている様子であった。そしてそれを責めるつもりは、キョウスケには毛頭なかった。彼もまた同じ気持ちであったからだ。

 

「とりあえず、デブリーフィングは以上だ。みな、とにかく今日は寝てくれ。ご苦労だった」

 

 そう告げると、みな一斉に立ち上がり、揃いもそろってホラー映画のゾンビのようにゆらりゆらりと部屋から退室して行った。そして残ったのはキョウスケ、カイ、イルムといういつもの三人のみとなる。

 

 三人の男はそれぞれに剣呑な目つきで、無言に睨み合った。思うところは、三者共通であった。そして同時に腕を振り上げる。

 

 カイは石。キョウスケも石。イルムは鋏。

 

 決着はついた。まとめ役の間での夜勤担当はこうして決まり、カイとキョウスケは机に突っ伏するイルムの肩を順々に叩いては、各々の自室へと真っ直ぐに帰って行った。

 

 限界だ。キョウスケの頭にはもはやそれしかなかった。ライディースやクスハたちを思えば情けなさも甚だしいが、それでも無理なものは無理というときがあった。

 

 救出活動のプランなりシフト表なり、そしてアイビスたちのことなどに漠然と思いを馳せながら、キョウスケは足場やに自室へと戻り、そのまま着替えもせずベッドに倒れ込んだ。

 

 

 

   Ⅱ

 

 

 

 疲労困憊であったハガネ隊も、夜が明けてからはいくらか体力も戻り、平時よりは多少なりともギアを落としつつ精力的な活動を開始した。

 

 まず応急処置を済まされた機体のうち半数が出撃し、ライやクスハたちと交代で現地の救出活動に入った。残るもう半数のパイロットは他の乗組員のサポートに回った。機動兵器の修理にせよ、回収された生存者の治療にせよ、もはや本来の担当班だけでは回らなくなっている。とりわけ医療班などは、ほぼ全員が昨夜から一睡もしていない有様だった。墓穴からの救助者は昨夜だけで既に二十人を超えており、夜が明けた今からであれば、より多くの者が見つかるだろう。これほどの超過勤務とあっては、無用な事故が起こりかねない。

 

 そんなわけで、約半数のパイロットたちはその日の朝から慣れぬ業務を必死になってこなさなくてはならなかった。中でも特筆すべきはカチーナ・タラスクとラッセル・バーグマンの働きであろう。

 

「てんめぇ、あんま寝ぼけたこと抜かすようなら誤射を装って爆撃かますぞ。国家権力なめんなよ。いいからとっとと医者と救急車を三個大隊ばかし持ってこい。うちじゃもう患者が溢れ帰って、艦からこぼれちまいそうになってんだよ。いいか、一時間以内だ。てめーの名前と声は覚えたからな……て、おい、なんだよラッセル、放せ」

 

「もしもし、お電話変わりました。ラッセル・バーグマン少尉であります。はい、うちのものが、はい、大変申し訳在りません。ええ、ええ、大変失礼な振る舞いをしてしまい、はい、ええ、ええ、本当に。しかしそれはそれとしてですね、我が艦の実情としましては……」

 

 これは周辺医療施設との交渉を担当することとなったカチーナとラッセルの仕事ぶりを一部抜粋したものである。本来は通信士、あるいは副艦長あたりが適切な態度をもって行うべき仕事だが、先述したように人手が足らないため彼女たちが抜擢されたのである。礼よりも実と速攻性を期待されての人事であったが、一応その甲斐あって一時間もしないうちにハガネの下へ周辺の病院から救急車の大軍が届けられた。ラッセルと共に行わせたことが上手いこと「北風と太陽」、あるいは「怖い刑事と優しい刑事」に類する効果を生んだのだろう、というのは傍から彼らの様子を眺めていたエイタの分析だった。なんにせよ彼女らの働きによって医療班の負担は大分減らされた。

 

 他にもタスクやリョウトなどメカに強い者たちはこぞって格納庫に掻き集められ、機動兵器の応急修理に駆り出されることとなった。実のところこれが目下最大の重労働であると言えた。なにせ機体はハガネ・ヒリュウ改双方の分が勢揃いしているというのに、整備士についてはハガネ所属の分しか人手が無いのである。整備班々長が頭を抱えてしまうのも無理の無い事であった。

 

 ちなみにヒリュウ改所属の機体については、艦内に収容すらされていない。スペースの問題から、とうてい全てを受け入れることができなかったためである。現在ハガネは陥没地帯西方の平地に着陸しているが、余分な機体はそのまま艦の周辺に野ざらしの状態にしている。リョウトらの最初の仕事は、いつ雨が降ってもいいように外の機体達に機動兵器用の防水シートをかけて回ることだった。

 

 また別のところでは一部の女性パイロットたちが看護兵の真似事をさせられ、てんてこ舞いとなっている。しかし中にはエクセレンのように嬉々として役割を楽しむ者も一部だがいた。誰も指示していないのに看護服を悪趣味に着こなして、特に用途もないのに体温計をくるくると指先だけで回しては、男性患者に無用なちょっかいをかけていく。そんな彼女の姿に苦言を呈する者もいたが、仕事をさぼっているわけではないし、大きな害もないので放っておかれた。

 

 また艦長や副艦長はモニター会議室に延々と缶詰めになっており、総司令部の人間も交えながら今後の動き方についての打ち合わせに没頭していた。レフィーナやショーンの姿はまだ見えない。近距離通信により無事だけは確認されてるが、さすがに戦艦の引き上げとなると簡単にはいかず、まだ墓穴の中に埋まったままとなっている。実際に掘り起こすのは専門の重機や工員たちが派遣されてからのこととなるだろう。幸い、さらなる土砂崩れが起こる様子はなく、また食料なども一定量は確保されているが、クルーはさぞ不自由しているに違いなかった。

 

 そんな風に、ハガネ隊の誰もが忙しく駆け回っていた。

 

 

 

 この日エクセレンは朝からずっと医務室近辺に居座っていたため、昼休みに医務室を訊ねて来たツグミとも必然的に顔を合わせることとなった。ツグミはリョウトらと共に格納庫方面のサポートについており、いまもどこから拝借したのか上下一体の野暮ったい整備用ツナギに身を包んでいる。よほどの激戦をこなしたのか、その下半身は無惨にも煤と油まみれになっていた。

 

 そんなツグミの姿を、エクセレンは似合わぬものとは思わなかった。男所帯に混じって懸命に働く女は、それはそれで輝かしい。それにしてもツグミは本来であればソフトウェア方面の専門家のはずで、下手にマルチな才能を持つべきではないらしいと、エクセレンは軽く同情した。

 

「いらっしゃい。格納庫はどう?」

 

「午前中をかけて、やっと三機。それも動かすだけなら、ってところです」

 

「うちのヴァイスちゃんはどんな感じ?」

 

「R-1とどっこいで、一番ひどいですね。内装までズタズタです。早速トリアージの対象になりました」

 

「ありゃりゃ」

 

 言いつつエクセレンは二つのティーカップに紅茶を注いでいった。いまは艦内は休み中だが、患者部屋からのコールに答えるためエクセレンはこの部屋で待機していなくてはならなかったので、話し相手になってくれそうな客人は歓迎したいのだった。

 

 カップを差し出すと、ツグミは礼を言ってそれを受け取った。椅子を汚すまいと遠慮してか、ソーサーを持って立ったまま一啜りする。そうしてエクセレンと目を合わせ、しばしの間なんとも言えない沈黙を共有した。

 

 笑いだしたのはエクセレンだった。

 

「変ね。長いこと一緒だったのに、二人で話をするのは初めてだったのね」

 

「ごめんなさい。そうですね、意外でした」

 

 ツグミも苦笑した。エクセレンのたった一言で、気まずさが嘘のように散った。こうしてみるに、やはり根は気配り上手な女性なのだろう。いつもあの少年と小喧しくやりあっているのは、なかば意図しての意地悪と見て取れた。

 

 二人は連れ立って、患者部屋の中に入って行った。現在この部屋には二十二人の患者が住んでいる。民間の病院の支援を得たことにより大部分をそちらに委ねることができたので、人数としてはピークよりずっと減っている。全員が乗組員であり、言葉は悪いが放っておいても勝手に快方に向かうであろうと目された人間のみが、ここに残されていた。

 

 しかしいささか例外も混じっている。

 

 フリューゲルス小隊の一番機と二番機。

 

 二人は隣り合うベッドの上に寝かされていた。間を仕切るカーテンはあるが、いまは退けられている。どちらも目を閉じて昏々と眠り続けているが、顔色は明らかにマサキの方がいい。遠からず目を覚ますだろうとの医師の見解にも沿う。

 

 対してアイビスの方は、見るからに血色が悪い。頬は青ざめ、唇は紫に近い色となっている。死相、そんな言葉すら見る者に思い起こさせた。ツグミの手がゆっくりと伸びていって、アイビスの頬をそっと撫でた。冷たくはない。断じて冷たくはないが、しかし暖かくもない。

 

 アイビスがこうなった原因は一切不明だった。外傷は、すくなくとも命に関わるようなものは何一つ無い。血液も栄養も足りているはずであったし、その上さらに念のための点滴まで受けているのだ。医学上、アイビスはむしろ人並み以上に健康でなくてはならなかった。だというのに、こんなにも暖かくない。そして呼吸は、まるで植物のそれのように小さく静かだった。

 

 医療班たちは匙を投げざるを得なかった。原因が分からない以上、一切の治療法も彼らの手の中には存在しない。そんなアイビスが、なぜ他の患者と違いハガネの中に止められているのか。それは彼女の病状について、隣で安らかに眠る少年がなんらかの知識を持っているのではないかと期待が持たれての事だった。昨夜にアイビスが経験した異常として最たるものは、サイバスターに乗り込んだことである。とすれば今のアイビスの状態についての詳細も、またその治療方法も、サイバスターの本来の操者である彼ならば知っているかもしれない。

 

 ツグミが頻繁に、さながら見比べるように二人の間で視線を行き来させているのもそういった理由によってであった。アイビスの命運を彼が握っているのだとすれば、ツグミの心中も穏やかではないられない。本心を言えば、いますぐマサキの頬を張り飛ばして、叩き起こしてやりたいくらいだったが、そうしないのは彼もまた怪我人には違いないことと、なにより彼が紛れも無くアイビスの、そして自分たちの命の恩人でもあるとも理解しているからだ。

 

 大丈夫。きっと大丈夫。ツグミは祈るような気持ちで自分に言い聞かせた。きっと彼はすぐに目を覚ます。彼が目を覚ませば、きっと全部解決する。きっと「なんだ、そんなことか」と肩をすくめて、何らかの処置を軽々とこなし、そうしてアイビスを元に戻してくれる。

 

 そも易々とどうにかなるアイビスでもない。夢が、それまでの人生全てが砕け散ろうとも、地獄の淵を走り回ってはその破片を拾い上げ、組み直し、取り戻してしまうような女なのだ。こんなところで死ぬ訳などあるはずも無い。

 

 目を伏せて祈り続けるツグミの横顔を眺めながら、エクセレンは気付かれないように小さく溜め息をついた。そして彼女もまた、眠り続けるマサキの顔を見やった。

 

 アイビスの病状とサイバスターの関連性を指摘し、アイビスをこの艦に止めるよう提案したのはエクセレンであった。話は前大戦の頃まで遡る。その日、ハガネ隊は大きな戦いをこなした。具体的にどの戦いかは忘れてしまったが、なんにせよ戦いはかなり激しいもので、その頃は一人の部下も持っていなかったマサキも、かのMAPWを三発も放つほどの大判振る舞いだった。

 

 そして戦闘後。先に着艦したエクセレンは、少年の大健闘をちょっとばかりのスパイスを利かせながらも称えようと、続いて収容されたサイバスターの足下で彼が降りてくるのを待ち伏せした。

 

 して降りて来たのは、今のアイビスと同じか、あるいはほんの少しばかりマシといったくらいに顔を青白くしたマサキの姿であったのだ。慌てるエクセレンに力なく手を振りながらマサキはとっとと自室に帰り、その後二日間、一度も皆の前に姿を現さなかった。

 

 こうなれば推理は容易く進む。エクセレンの推理は一定の説得力が認められ、かくしてアイビスは手の施しようの無いままハガネに収容し続けられることとなった。

 

 そういった事情もあり、日に日に衰弱しつづけるアイビスの姿は、エクセレンにとっても到底他人事ではない。彼女の意見のもと、アイビスはいまこうして病院にも移されずハガネの中で刻一刻と弱っていっているのだ。

 

 早く起きなさいな。

 

 エクセレンもまた、内心でマサキを呼びかけた。

 

 貴方の部下が苦しんでるわ。ツグミさんもね。もう見てられないの。お願い、助けてあげて。

 

 

 

   Ⅲ

 

 

 

 深夜の医務室。アイビスとマサキも含め、患者全員が深く寝静まっている頃のことである。アイビスとマサキの姿には、昼間とまるで変化が見られない。眠り続けているのだから当然だ。心無しか、あるいは夜のためにそう見えるだけか、アイビスの顔がさらに青ざめているように見える程度だ。

 

 悪魔に生気を奪われた人間などが、あるいはこういう姿になるのかもしれない。それが事の真相に対して、当たらずとも遠からずな見解であると知るのは、このハガネ艦内においてはただ一人であった。

 

 否、一人ではない。正確には一人と二匹だ。

 

「ぷっはぁ!」

 

 まるで水底から這い上がったかのように、一匹の白猫が毛布の中から顔を出した。ちょうどマサキの顔の、すぐ左横からである。

 

「クロ~、生きてるか~?」

 

「あんたが生きてるニャら、あたしだって生きてるわよ、もう」

 

 マサキの顔の今度は右横から黒猫が這い出て来た。黒と白の使い魔たちは、主の顔を挟みながらひとまず相方との再会を喜び合った。

 

「いやー、今度ばかりは死んだかと思ったぜ」 

 

「実際死んでたわよ、半分くらい。全く少しは魔装機神操者としての自覚を持って欲しいもんよね。そう簡単に死んじゃいけニャい身だっていうのに」

 

 言いながらクロは、ぺしぺしと主の額を尻尾ではたいた。それを見てシロは、猫の身でなんとも器用だが、仕方無さげに肩をすくめてみせた。

 

「まぁ、あのときはしょうがニャいって。オイラにはマサキの気持ちがわかるぜ。クロだってそうだろ? オイラたちは結局三人とも『マサキ』ニャんだから」

 

「……まぁね」

 

 満更でもなさそうにクロは笑った。異体同心。余人には分からない絆が彼らにはある。

 

「それじゃぁ、マサキ三号? やるべきことは分かってるわよね」

 

 シロは合点とばかりに身を起こした。

 

「命の恩人に恩を返さニャいとニャ。ツグミも心配してることだし、一号を起こしますか」

 

 シロはそう張り切って、マサキの両頬を二つの肉球で勢いよく交互にはたき始めた。

 

 

 

   Ⅳ

 

 

 

 夢を見ていた。

 懐かしくも悲しい夢を。

 

 母が死んだ。感染症による病によってだ。自業自得といえばまさにその通りだが、そんな言葉では片付けられないものを、当時からアイビスは感じていた。アイビスが思うに、母は売女であったが悪女ではなかった。不貞を犯し続けていたが、それでも邪な者ではなかった。母は母なりにその自らの業というものと真摯に向き合っていたように思えるのだ。神というものがいるとして、死者の罪を裁くにしても、この母であればそこまで無碍には扱われまい。そんな風に思えてしまうくらい母は懸命に生き、そして死に顔はほっそりと安らいでおり、その頃ティーン・エイジを迎えたばかりのアイビスに、なにか神聖なものを感じさせた。

 

 お疲れさま。ゆっくり休んで。

 

 そうしてアイビスは、母の最期を、忘れてはならぬものの一つとしてそっと胸の奥の宝石箱にしまった。

 

 そしてその後半年を数えたころに、アイビスは旅立ちを決意した。冬が明けて、瓦礫だらけのチェルシーにも、ほんの少しの暖かさが舞い降りるようになった頃、一抱えのナップザックを担いで、アイビスは十余年住み慣れた生家の玄関口に立った。別れの挨拶のときですら、父は背を向けたままだったが、アイビスは気にしなかった。その背中こそが父の表情なのだろうと、このころは思うようになっていた。

 

 行ってきますと、その背中に向けてアイビスは言った。返事は返ってこなかった。

 

 母が死んでから、父は変わらないようでいて、やはりどこかが変わっていた。父と母の間柄がどういったものであったのか、アイビスは今も昔もよく分かっていない。それは父と自分自身についても同じだった。酒と暴力にまみれた横暴な父。尊敬できるところなどありはしない。しかし、それでも父であった。

 

 そういったやりきれない繋がりが、きっと父と母の間にもあったのだろう。疎みつつも切り離せない、踏んづけたガムように心の壁面にこびり付く、そんなものが。だからアイビスは、そんな父の背中もやはり、胸の奥の宝石箱の中に大切にしまいこんだ。他人からすれば何の価値もないのだろうが、誰かの宝箱の中身などえてしてそういうものなんだろうと、そんなことを考えながらアイビスは父と今生の別れを果たした。

 

 そうしてアイビスは歩き出した。家を出て、すこし考えてから東に向かった。理由があってのことではない。強いて言うなら朝日へと向かって行こうと思ったのだ。

 

 最終的な旅の目的はあったが、そこに辿り着くまでの具体的なプランをアイビスは何一つ持ち合わせていなかった。伝手もあてもない。さらに言えば資金も。それでもアイビスはてくてくと、朝日に柔らかく照らされて一層退廃的に佇む故郷の街並を歩いて行った。物乞いをしながらでも、とにかく歩き出さなくては。そんな強迫観念に背を押されつつ、アイビスはなかば闇雲に朝日を追いかけて行く。悲しくないのに涙が出るのはどうしてか。そんな他愛のないことを考えながら……。

 

 

 

 アイビスは目を覚ました。これが最後の目覚めになるのだと、なぜか目覚めた瞬間に分かった。自ら悟ったのではなく、誰かが耳元で答えを囁いたような、そういう理解だった。

 

 ああ、彼がいる。目覚めてすぐに、アイビスはそう察することができた。ベッドに寝そべる自分の脇に、あの少年がひどく辛そうに立ち尽くしているのを、アイビスは視覚以外の何かで認識することができた。

 

 不可思議な感覚だった。ひょっとすれば、禅の境地とはこういうものなのかもしれない。筋肉の筋一つ動かせず、まったく身動きが取れないのに、それでいてなぜか不自由を感じないのだ。植物のようにひっそりとした呼吸が全く苦痛でない。そして目蓋はおろか眼球もろくにうごかせないのに、どうしてかアイビスは、周囲にあるものを如実に判別することができた。

 

(そうか、やりきったんだ)

 

 疲労困憊気味で全身包帯だらけでも、ひとまず両の足できちんと立っているマサキの姿にアイビスは満足した。未練も心残りも無数にあるが、それらを引き換えに彼がこれからも生き続けるのであれば、それは悪くない成果のように思えた。あるいは自分にしては、むしろ上出来すぎるのではないか。

 

(やったよ、あたし。ねぇ、褒めてくれる?)

 

 そうは言っても、マサキは立っているのも辛いのか、袖机に手をつきながら懸命に呼吸を整えるばかりだった。なにせ死にかけた後なのだ。顔色も大層悪く、褒め言葉をひねり出す余裕もなさそうだった。

 

(無茶しないでよ。また倒れちゃうよ)

 

 そうは思いつつ、また別のところではマサキにもう少しだけ頑張ってもらいたかった。意識の片隅が微かな眠気を覚え始めていた。日が落ちて、彼方からゆっくりと夜がやってくるように、二度と覚めない眠りがもうすぐそこまで来ている。

 

 それはどこか安らかではあったが、やはり恐ろしくもあった。なんにせよ一人で迎えたくはない類いの代物だった。せめて誰かの存在を感じていたかった。

 

(お願い、最後まで居てね。もうちょっとだから)

 

 アイビスは一人でトイレにも行けなかった時分の事を思い出して恥じ入った。思えば、今までついぞ思い返すことのなかった幼少の頃の記憶が、ここのところよく頭をよぎる。無意識に死期を悟っていたのか、それとも……。

 

「ほら、しっかりして」

 

「こればっかりはオイラたちじゃ出来ニャいんだ。びしっと決めてくれよ」

 

「うっせぇ、わかってるっての……」

 

 そう言って、マサキは息を吸った。今にもプールに飛び込もうとするかのように大きく吸いこんだ。肺に目一杯ためこんだ空気を、今度は小さく静かに吐いていく。ヨガを彷彿とさせる特殊な呼吸だった。

 

(?)

 

 アイビスの意識はようやく疑念を抱いた。どうやらマサキは、ただアイビスの顔を見に来たというわけではないようだった。マサキの奇妙な呼吸法は、気のせいか一呼吸ごとに、彼の輪郭を暗闇の中から浮き上がらせていくようだった。彼という存在感が増して行く。よく分からない、よく分からないが、彼はいま何かを高め、燃やしているのだと、なんとなくアイビスには分かった。

 

「くれぐれもやりすぎニャいでよ。いま補給しすぎたら、今度はこっちが危ニャいわ」

 

 言われるまでもないことであったから、マサキは応えない。プラーナ欠乏の際の緊急処置は、魔装機乗りであれば誰でも一度は講習を受ける。ついでに実践の経験もマサキにはあった。とはいえ、あのときとは主客が異なるが。

 

 寝込みを襲うようで全くもって気は進まないが、命がかかっていることなのだからそうも言ってられない。決意を込めてマサキは目を開いた。

 

(よし、やってやる)

 

(やだ、なにするの)

 

 マサキの眼差しの前に、まるで銃を突きつけられたかのように、アイビスの精神が強張った。肉体的には脈拍は弱まって行くばかりなのだが、意識の上ではアイビスは確かに緊張し、怯えていた。マサキの呼吸が一往復するたび、彼の肉体に込められた何かが恐ろしく高まっていた。熱いとすら感じる。さながら活火山のように、マサキの体内に宿る正体不明のエネルギーが激しく燃焼していた。

 

(悪く思うなよ。死ぬよりゃましだろ)

 

(待ってよ。ねぇ、待ってってば)

 

 あいにくとマサキは念動力者ではなかったから、アイビスの心の声など聞こえない。だから彼は待ちなどしなかった。

 

(そうとも。死なせてたまるか……!)

 

 なけなしの体力と、そしてこればかりは十全を通り越す気力を振り絞り、少年は行動した。ぐんぐんと近づいてくる少年の顔に、アイビスは言葉を失った。少年がなにをしようとしているのか、これから何が始まるのかを直感的に理解し、

 

 ――あたし、あんたとキスがしたいな。

 

 それを望んだのは、他ならぬ自分であったことも思い出して……

 

(ぅぁ……)

 

 そうして二人は触れ合った。接触し、繋がった。指先と同様に多くの神経や毛細血管が張り巡らされ、それでいて指先よりも幾倍も皮膚が薄いがため、もっとも脳へ刺激が伝わりやすいとされる感覚器官。すなわち唇と唇で。

 

(……!)

 

 声なき声で、アイビスは苦悶の悲鳴を挙げた。接触した唇の感触もさることながら、人工呼吸のように注ぎ込まれる彼の吐息と、そこに込められたエネルギーの迸りが彼女の体内を席巻し、蹂躙していく感覚に悶え苦しんだ。

 

(なに、これ……)

 

 入ってくる。

 

 流れ込んでくる。

 

 例えるなら雷が蜘蛛の巣を伝うように。彼女の血管という血管、神経という神経に、彼という異物が荒れ狂うように侵入していった。脊髄にいたっては、灼熱の鉄杭を打ち込まれたかのようだ。

 

(やだ……熱い……)

 

 少年によって流し込まれた侵略軍めいた何かは、さながら彼の気性そのままに、あまりに無遠慮にアイビスの肉体のそこかしこへと押し入ってきた。そして府抜けた細胞を見つけては胸ぐらをつかんで無理矢理に叩き起こしていく。寝起きが悪い者には、もれなく往復ビンタが付いた。そうしてさんざんいたぶったのち放り棄て、侵略者はまたすぐ次の獲物へと走って行く。無惨な姿となった被害者がやっと終わったかと安堵するのも束の間、すぐに第二波が押し寄せて来て二重、三重の蹂躙を味合わされた。

 

「けほ……」

 

 ひとしきり息を吐き終え、咳をしつつもマサキは唇を離した。それでもアイビスの煩悶は収まらない。あるいは退路が断たのちにこそ、本当の侵略は始まった。本体から切り離された少年のプラーナは、ならいいやとばかりにそのままアイビスの体内に居座り、あろうことか彼女の一部として定着しようとした。

 

 もはや暴徒というほかない代物に、体内を好き放題に侵略されるこの痛み。自分の体が踏みにじられ、植民地化していくこの苦しみ。間違いなく苦痛であるはずなのに、恐ろしいはずなのに、全くそうと感じられないというのが尚のことアイビスは恐ろしかった。

 

 彼という異物がもたらす侵略と圧政に、肉体が歓びの声を挙げていた。全細胞が一斉に息を吹き返す。心臓は力強く銅鑼をならし、血流は疾走し、神経は総立ちとなって喝采を挙げる。わずかな理性と羞恥心だけがあまりの事態に目を覆う中、他のもの全てはまったくそれを意に介さず、この傍若無人な異物の大軍を神の恵みとばかりに全身で抱きとめ、あるいは自らを捧げ、一つとなっていった……。

 

 

 

「つ、疲れた……」

 

 さながら未完成のサイフラッシュを二連発したかのような、妙に懐かしい疲労感がマサキの全身を苛んでいた。もはらろくに足も動かせず、よろよろと後ずさるようにアイビスのベッドから離れて行く。本音を言えばこのまま倒れ込んでしまいたかったが、そうするとこの場合はアイビスの上にということになる。そんな状態で翌朝誰かに、あるいはアイビス自身に目撃されれば言い訳のしようがない。マサキは死に物狂いで自分のベッドを目指し、そしてそれは幸いにもなんとか成功した。

 

「お疲れ様」

 

「寝とけ、寝とけ。あとはオイラたちがやっておくから」

 

「わりぃ……んじゃ……頼まぁ……」

 

 そのまま自分のベッドに倒れ伏し、数秒と経たずに眠りの世界へと急降下していった。だらしのない主の姿に肩を竦めつつ、二匹の使い魔はアイビスへと視線を戻す。

 

「よく眠ってるわね。呼吸も落ち着いてる」

 

「途中で目を覚まさなくて良かったニャ。マサキのことだから、起きているときには絶対できニャいぜ」

 

「まぁ、夢に見るくらいはあったかもね。プラーニャを補給されるって、どういう気分ニャのかはよく分からニャいけど。さ、それより怪我の方を治してあげましょ。たしか左腕を痛めてたはずだから」

 

 そういって二匹は両前脚をかざし、青白くも柔らかな光を生み出して、眠り続けるアイビスへと浴びせていった。ぼんやりと照らされるアイビスの顔色は、さきほどまでの衰弱ぶりが嘘のように瑞々しく、赤々としていた。呼吸も安らかで、あとは怪我さえ治してしまえばもう元通りのアイビスになる。元通りのアイビスと、元通りのマサキがいて、元通りの二人になる。この夜が明ければ、それを目にすることができる。二匹の使い魔は、それぞれにその光景を想像して、それぞれに微笑んだ。

 

 

 

  Ⅴ

 

 

 

 偶然ではあるがマサキの意識が闇に堕ちたのとほぼ同時に、アイビスの意識もまた深い眠りの世界へと堕ちて行った。さきほどまで差し迫っていた二度と覚めぬ眠りにではない。操者ではない身で魔装機神を動かしたが故に、吸い尽くされ欠乏していたアイビスのプラーナは、いま本来の操者の手によって補われた。死出の眠りはもう訪れない。体内の嵐はすぎさって、次の覚醒のため、休息のためにアイビスは眠る。

 

 ――父さん。

 

 ――母さん。

 

 アイビスは夢と現のちょうど境目で、朧げながらに理解した。それまで心の奥底に閉まっていた思い出の中の人々が、なぜ近頃顔を出し始めたのか。理由は自分自身にあった。ただ、きっと、伝えたかったのだ。

 

 母が死に、家を出た。それからそう間もなく父も亡くなったと余所の者から伝え聞いた。本物の両親はすでにない。それでも、心の中にいる彼らにはせめて伝えねばと思ったのだ。一人娘の、両親に対する、当たり前の義務として。

 

 ――紹介します。彼がそうです。

 

 ――ありがとう。

 

 

 

 


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