アイビス×マサキ(スパロボOG)   作:マナティ

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第十四章:されど疾風、そして流星の如く

 

 

   Ⅰ

 

 

 どうする。どうすればいい。

 

 焦りと絶望がない交ぜになって、アイビスの精神は破裂寸前となった。目の前が暗い。思考がかき乱れる。答えがでない。ひたすらアイビすの精神は、火花をあげて空転していた。

 

「いやだ……」

 

 医者だ。医者が必要だ。撹拌されたような思考の渦の中から、アイビスはようやくとっかかりを掴み挙げた。

 

 マサキの容態は、すでに自分の手に負える域では無い。医者をここに連れてくる必要がある。否、ここではだめだ。設備のないここでは、どのような名医がいても無意味だ。十分な力を持った医者と、設備。それらが揃った場所にマサキを連れて行く必要がある。要は病院だ。一刻も早く、そこに、自分が、マサキを連れて行く必要がある。

 

「いやだ、いやだ……」

 

 戦場と化したこの瓦礫の谷のまっただ中でも、幸い病院の当てはある。ハガネだ。もともとあの艦は軍艦ではなく、異星人の脅威から逃れるための地球脱出船として設計されたものだ。いわば現代のノアの箱船。医療設備の充実具合は、並の病院を凌駕する。

 

「やめて、お願い……」

 

 残るのは、移送手段の問題だった。マサキの魂が死線を越えるまでの僅かな猶予、それが尽きる前に確実に彼をハガネに運びきる手段が必要だった。

 

 いまハガネは空にある。そこに辿り着くためには、空を往くしかない。翼が必要だった。飛ぶための翼が。

 

 しかし……。

 

「やめてぇぇっ!」

 

 悲鳴が木霊した。残響が瓦礫の大地を伝った。応えるものはどこにもいない。ここには誰もいない。ライもツグミも、リュウセイもキョウスケも。あるいは、あの少年すらも。酷く寒かった。孤独感がひっそりとアイビスの肌を包んだ。

 

 ここにきて、ようやくアイビスの中で思考と言葉が一致を見た。理性が必死にあがいているなか、彼女の感覚はとうに事実を理解していた。

 

 アステリオンはハガネの中。残る機動兵器は遥か彼方で戦闘中。他はみな土の下だ。

 

 翼などどこにもない。

 

 ゆえに、マサキを救うことはできないのだと。

 

 血に塗れたマサキの頬を、アイビスは震える指でそっとなぞった。ぬるく、湿った感触がアイビスの指を通り過ぎていく。あご先まで辿り着き、ふっと宙を切った。

 

 ねえ。

 

 腕の中の少年は、身じろぎ一つしなかった。そして一秒ごとに重さを増していく。溢れんばかりの勇気と希望に満ちた彼が。これまで多くの戦いをこなし、多くの人間を救い、これからも多くの命を守ってゆくであろう彼という人間が、ただの肉の塊に堕していく。それは途方も無い、何者にも許されざる罪のように思えた。

 

 起きてよマサキ。

 

 か細い、しかし悲痛な懇願が、暗がりの中に溶けていった。

 

 

 

 戦況は膠着していた。否、身内びいきはするべきではない。確実にハガネ隊が不利であった。

 

 ハガネ全小隊が出撃したとはいえ、その数はせいぜい30〜40。対して異星軍は100機を越す。もとより多勢に無勢であった。しかしそれだけの不利であるならば、こうはならない。少しばかりの物量差など、これまで幾度となくハガネ隊の猛者たちは突破して来た。ただし、これほどまでに敵と味方が入り乱れた大乱戦となると些か話が変わる。

 

 アギーハ率いる異星軍は、言うなれば往くも退くも自在な遊撃部隊。対するハガネ隊は、あくまでハガネという本陣の存続を至上命題とする護衛部隊であった。となれば攻防が如何様に推移していくかは火を見るよりも明らかだろう。

 

 ガーリオンを駆るバイオロイド兵はたちまちのうちにハガネを包囲し、好き放題手当たり次第に砲火をぶつけていった。そしてそれを防ごうと、ハガネの機動部隊もまたハガネを囲うように散開する。ここに、ハガネを中心とする敵と味方合わせての球状陣形が形作られた。攻めるアギーハたち、防ぐハガネ隊。戦況は自然としてそのようになった。

 

 ゆえにこそ、ハガネ隊は劣勢であった。個々のポテンシャルを最大限に発揮し、少数精鋭の剛槍となって敵陣に穴をあけて行くのがハガネ隊の本領である。一転突破の攻撃力に特化した部隊であるだけに、こうした状況に対しては一層不得手、とまではいかずとも決して無敵とはいかない。

 

 そこにそもそもの地殻陥没によるダメージと、圧倒的な物量差が加わって事態は深刻となっている。ハガネの胎内にて守られていた機動兵器たちはともかく、ハガネ本体の損傷は著しい。援護射撃は愚か、堅牢を誇る高出力Eフィールドも展開不能となってしまっている。地球最新にして最高技術の塊であるハガネも、いまとなってはライノセラスにも劣る戦闘力しか発揮できなかった。

 

 そんな最大の弱点を背に、パイロットはすべからく防戦一方を迫られた。いや、それすら覚束なかった。ハガネを囲うように、広く間隔を空けた球形陣。そしてその隙間に百機もの敵が侵入してくるのである。結果として起こるのは、敵も味方も入り乱れた乱戦にして混戦状態。小隊内での連携すら閉ざされ、パイロットたちは皆が皆が球形陣の中に孤立していた。

 

 中でもATXチームの消耗は激しい。ハガネ隊の特長をそのまま凝縮したような小隊であるだけに、なおさら苦戦は免れ得なかった。

 

「各機、味方を捜せ! 誰でも良い! 独りでいるな!」

 

 隊長機のアルトアイゼンは既に主武装の弾薬が心もとなくなっていた。

 

「そういうキョウスケは今どこ! 敵しか見えないじゃない!」

 

 副隊長機のヴァイスリッターは同士撃ち、なによりハガネへの誤射を恐れて自慢の火器を生かせずにいた。

 

「くそ! 死ぬものか!」

 

 特機ゆえに攻撃力、殲滅力ならば小隊内一を誇るブリット達であれば尚更である。つい先ほども、繰り出したソニックシャウトが、レオナのズィーガーリオンを危うく巻き込むところだった。

 

 連携が崩れている。まるで統制がとれていない。ハガネ隊のうち、誰もが戦場の中で一人となっていた。

 

 戦意や闘志こそ失われていない。負けるものか、そう誰もが思っていた。しかし劣勢に変わりなく、そこかしこで挙る悲鳴は阿鼻叫喚には違いなかった。誰もが打開策を見いだせず、消耗と損傷だけが段々に増していく。

 

 ハガネ全部隊が、そんな窮地に陥れられていた。

 

 

   Ⅱ

 

 

 寒風が吹き注ぐ。

 

 それに煽られて、砂と塵だけが舞い上がる。

 

 静かであった。風の音だけがする。

 

 あとはすべて闇一つ。ただ月だけが煌々と。

 

 そんな中を、アイビスはぼんやりと座り込んでいた。その両腕にはいまだ少年の姿が抱えられている。

 

 駆け巡る走馬灯のようだ。彼と出会ってからの数ヶ月の日々。その間に目にしたもの、耳にしたもの、心で感じたものが、ほんの一抱えの塊にまで濃縮されてアイビスの胸を貫いて行っていた。

 

「いい腕だな、あんた」

 

 そう彼は言った。今でもアイビスは覚えていた。蔑むのでなく、励ますのでもなく、ただただ対等に接する信頼の言葉を。そうして掲げられた手の平を。

 

 あの感触は、いまもこの手に。

 

 ――破片を一つ、拾い上げる。

 

「昨日、カチーナたちとシミュレーターで遊んだろ? そのことでな」

 

 そう彼は言った。信じてくれていたのだと、その時に知った。最初の模擬戦の結果をエクセレンたちから聞いても、彼はあくまで彼自身が目にしたものを信じてくれていたのだ。

 

 あのあとに、再び掲げられた手の平。あの感触もまた、いまもこの手に。

 

 ――破片をもう一つ、拾い上げる。

 

「じゃぁ、今日から俺がフリューゲルス・ワンだ」

 

 そう彼は言った。

 

 その時から、彼はいつでも自分の前に立ってくれた。小隊長として、先達として、友人として、後ろを行く自分のために道を切り開いてくれた。迫り来る敵に対し、立ちはだかってくれた。戦い方を教えてくれた。飛び方を教えてくれた。自分を守ろうとしてくれた。

 

 ――破片をさらに一つ、拾い上げる。さらにさらに一つ。

 

 彼と出会ってから、僅か数ヶ月。その間に様々なことが起こった。喜びがあり、悲しみがあった。恐怖があり、安心があった。その多くを、彼と共有して来た。

 

 そのたびにかすかに、ひそやかに、けれども確実に、アイビスの胸の中で芽生え伸びゆく、ある一つの想いがあった。その想いの名前がなんであるのか、アイビスには分からない。想いには元来、名前などないのだから。

 

 それでも、無名のままでは名を呼べない。だから人は、自らの手で想いに名を付ける。

 

 アイビスもまた、自ら考えそれに名をつけた。

 

 その名が正しいものかは分からない。しかし推測できることはあった。人々は、きっとこういったものを……。

 

 ――最後の破片を、拾い上げる。

 

 

 

 ふらりと、弱々しく立ち上がる人影があった。人影は一つではなかったが、しかし二つであるようにも見えなかった。五本の指、一つの手。幾枚の花弁、一輪の花。寄り添い合う影と影は、そういうものに似ていた。

 

 ずず、と足を引きずる音がして、二つで一つの人影がわずかに移動した。片割れを背負い、懸命に支えながら、今ひとつの片割れは静かに、慎重に、一歩ずつ歩を進めた。

 

 諦めない。アイビスは思った。諦めない。

 

 大層な決意、と言えるほどのものか、アイビス自身にも疑問だった。切り離したリンゴは地に落ちる。水を温めれば湯気を出す。どちらも当然のことで、アイビスが決して軽くはない少年の肉体を抱えながら、瓦礫の谷を進むのも、ある意味では同じことだった。そうするだけの、そうせざるを得ないだけの理由があったというだけだ。

 

「好きだよ、マサキ」

 

 その理由を、アイビスは口にした。

 

「本当に好き……」

 

 それはあまりにも他愛ない答えだった。

 

 恋うているのだ。

 

 だって恋うているのだ。

 

 恋うとは、きっと「乞う」や「請う」とも重なっていて、なんにせよそれは、強く求めることなのだ。

 

 アイビス・ダグラスは、マサキ・アンドーを求めている。

 

 それはもうずっと前から、あるいは初めて会ったときから存在した気持ちで、いまのアイビスは、まったくもってようやくに、それを認めることができた。

 

 求めるのならば、手を伸ばさねばならなかった。

 

 欲しいのなら、足掻かなくてはならなかった。

 

 ゆえにアイビスは歩いた。リンゴが上から下に落ちるように自ずと、全くの自然の流れとして、当然のようにそうしていった。瓦礫の斜面、非情な現実、か細い希望に向かって、これまでしてきたように一歩ずつ、彼が信じた通りに一歩ずつ、亀のような、それでいて確かな足取りで歩いていく。

 

「ねえ、マサキ」

 

 聞こえないと分かっていても、アイビスは口にし続けた。致し方なかった。想いが溢れてならなかった。

 

「あたし、あんたとキスがしたいな」

 

 一昼夜のあいだだって叫び続けていられるだろう。

「全部終わったらでいいから、そしたらあたしとキスをして。手の平だけじゃ、もう寂しいよ。だからキスして。うんと暖かいのがいい。嫌がらないで、くれるかな……」

 

 落ち着き無く戯言を捲し立てるアイビスの声は、音の早さで夜闇に溶けていく。せいぜい200〜300ヘルツに過ぎないそれは、せいぜい半径数メートルの範囲を僅かに震わせるだけで、なんの治癒能力も、物理的作用ももたらさない。

 

 それでも見る者が見ていれば、先ほどからアイビスが声を発するたびに、膨大なプラーナが彼女の言霊にのって虚空を弾けていることに気付いただろう。それはさながら地響きのように、あるいは波濤のように、または劫火のように、ともすれば竜巻のように、拡大し、拡散し、闇夜の中に放射されていった。

 

 プラーナを目視できる人間など、ラ・ギアスにも多くはない。しかしそれに呼応して起きた現象となれば話は別で、アイビスもまた、やがてそれに気付いた。

 

 風が、呼んでいる。

 

 ほのかな微風が、涼風が、自分とマサキを包み、そして導くようにそよいでいた。誰かが自分を呼んでいる。何者かが、来いと言っている。

 

 風の導き。そのままにアイビスは歩いていった。乱れた足場を慎重に踏みしめながら、そよ風の糸を必死に手繰る。風の化身へと、運命そのものへと。あるいはマサキも、かつてこうして歩んでいったのだろうか。 

 

 そして辿り着く。重い足取りでも、わずか数分の距離。そんなところに希望はあった。瓦礫の斜面のわずか上、小高い丘の上にそれはあった。小さな小さな希望が、巨大な騎士の姿をとってそこにあった。考えてみれば当然の事で、たとえハガネ隊の全戦力が空の上にあろうと、それだけはここにあるはずだったのだ。少年がここにいる以上、絶対に、なにがあろうとそれだけはここになくてはならなかったのだ。

 

 それは全長三十メートルにも届く銀巨人だった。力強い五体。白と銀の鎧。三層一対の翼。猛禽の爪。

 

 風の魔装機神。

 

「……」

 

 アイビスは迷い無く、そちらへと進んで行った。一つ歩を進めるごとに、彼女の心はますます燃焼の勢いを強め、肉体より溢れてかの騎士へと注ぎ込まれた。

 

 乗せて。心中でアイビスは叫んだ。

 

 お願い、あたしを乗せて。

 

 貴方がパイロットを選ぶのは知っている。

 

 でも、お願い。

 

 一度だけでいいからあたしを乗せて。

 

 サイバスターの双眸には何の光も灯らず、鉄の塊のように凍てついていて微動だにしなかった。人の乗らぬ機動兵器であれば当然だろう。しかしアイビスはそうは思わなかった。焦れるように、ひたすら言葉と歩みを積み上げて行く。

 

 ねえ、貴方も彼を必要としているんでしょう。

 

 あたしもそうなんだ。

 

 助けたいんだ。死んでも助けなくちゃいけないんだ。

 

 彼がこれから打ち倒していく何かのために。

 

 彼に救われていく誰かのために。

 

 そしてあたし自身のためにも、彼を助けなくちゃいけないんだ。

 

 だから、お願い。

 

 あたしはどうなってもいい。代償が要るなら全部あげる。

 

 だからお願い。

 

 あたしを乗せて。サイバスター!

 

 そうやって乞うように、呼びかけるように、アイビスはサイバスターの装甲に触れた。精霊と契約を結ぶ作法など分からない。ただ思いついたままにアイビスは手の平を、彼との絆そのものを差し出した。馬鹿な事とは思わなかった。この騎士には、紛れも無い意思と人格があるのだとアイビスは知っている。

 

 サイバスター、あるいはその中に住まう誰か。

 

 それが、自分をここまで招き寄せたのだから。

 

 ――失えない……まだ……

 

 そんな女の声が聞こえたような気がした。

 

 ――あなたを操者と……ただし一度だけ……

 

 一体誰の、と思う間もなく、気がついたときアイビスはもうそこにはいなかった。抱えていた彼とともに空間を渡り、かつてたった一度だけ目にした事がある、サイバスターのコクピットの中にいた。

 

 

  Ⅲ

 

 

 いつのまにか、かつて彼がそうしていたようにシートに身を沈め、左右のコネクタに両手を乗せていた。何の操作もした覚えがないのに、機体には既に火が入っているようだった。スクリーンに数々のウィンドウが現れては見慣れぬ情報群を映しだす。以前に乗った際は見た事もない異国語で表示されていたそれは、どういうわけか今は馴染みのある地球連邦共通語に完璧に翻訳されていた。曰く、全機能異常なし。

 

 訳も分からないままアイビスは咄嗟にマサキの姿を探したが、探すまでもなかった。彼はまるで勇者に抱かれる姫のように、アイビスの膝の上に横座りになっていたからだ。

 

 不安定な姿勢である。このままでは操縦できないのでアイビスは手早く体勢を整えた。いくらか迷ったがまずマサキをシートに座らせてから足を開かせ、彼の股にある僅かなスペースにアイビス自身は腰を下ろした。無論マサキを背もたれにはできない。背中を浮かせ続けるのはやや辛いが、G制御が充実したサイバスターであれば何とか維持できるはずだった。

 

 アイビスは後ろ手にマサキの両腕をつかみ、シートベルトのように自分の前へと持って来て、腰の辺りで交差させた。重々しい音を立ててはまる蝶番のイメージが脳裏に降って湧く。後ろから抱き締められているような、これまでのアイビスからすれば信じられないような格好だが構わない。この拘束は、きっと勇気を与えてくれる。

 

 そうして、ちょうどよく顔のすぐ横にあるマサキの口元に、まるで猫のように頬をすりつけた。か細い呼吸が、アイビスの皮膚を微かに揺らした。頬に触れた唇の感触も、まだほんのわずかに暖かい。

 

 まだ間に合う。アイビスは左手で少年の手の甲に触れ、二度と離さぬよう指と指を絡ませた。フィリオと口付けるツグミの後ろ姿を思い出した。あの時のツグミも、こんな気持ちだったのだろうか。誰かに触れること、触れ合うことはこんなにも暖かい。今にも息絶えそうな彼とすらこうなのだ。もし彼が、何一つ異常のない、若く健やかな体温で、こうしてくれたなら。

 

「待っててね……」

 

 操縦に支障はなかった。右手で触れるコネクタから、この機体に関するあらゆる情報が、電気信号となってアイビスの脳裏に直接伝わっていた。機体の起こし方、翼の吹かせ方、その他全ての操作方法を、いまやアイビスはアステリオンのそれのごとく自在に思い起こすことができた。

 

「すぐ、連れて行くからね……」

 

 ならば、残る懸念はあと一つだった。

 

 忌まわしき過去の記憶に、アイビスの心拍が徐々にものうるさく、間隔を狭めていく。これ以上ない翼を得た以上、次に行うべきはただひとつである。しかし自分にそれが出来るのか。なにせ、今の自分は……。

 

 考える前に、アイビスは意志を右手に伝えた。恐れはあっても恐れる事は許されなかった。背中のぬくもりがそれを許してくれない。

 

 そうして、サイバスターが立ち上がる。

 

 その様は平時とは比べるも哀れなほど辿々しかった。ぎこちなく、よろよろとして、危なっかしく、それでもなんとか四肢を動かして、銀色の騎士はどうにかこうにか膝立ちの状態から立ち上がった。

 

 次に翼を動かした。息をひそめるかのようにエーテル・スラスターがゆっくりと静かに呼吸し、騎士の体をふんわりと、まるでシャボン玉のように頼りなく浮上させる。ゆっくりとだが段々に高度を上げて行く外界の様子に、アイビスは歯を食いしばった。左手の感触をさらに強く握る。そうして高度五十メートルほどに到達したとき、恐れた通りにそれはやってきた。

 

 ――穴が空いている。

 

 現実とは異なるものを映し出す、もう一つの目が開かれた。闇夜に落ちる。前にはあの凶相と銃口が。そして背後にはあの穴が。非現実の体感覚がアイビスに押し寄せ、彼女の肉体をひたすら奈落へ追い落とそうとする。

 

 そう、落ちている。

 

 アイビスは、それを認めた。あたしは落ちている。

 

 これは幻影であって幻影ではない。たしかに、アギーハに撃墜されたあの日から、彼女の心は真実奈落に落ち続けていた。そうして今も落ちている。

 

 だがこの先も落ち続けるのか、そうするしかないのか、それは誰にも分からないことだった。何時いかなるときも、現在の一歩先には必ず未来という不定の領域がある。

 

 闇夜は依然として深く、何も見えはしない。それでもアイビスは右手を動かした。たとえ見えなくとも、そこには自分とサイバスターをつなぐコネクタがあると分かっていた。

 

 そして左手を握った。いまや彼もまた堕ちゆく者のためか、血塗れのグローブに包まれた彼の優しい手の形がはっきりと見えた。そして決して失えないぬくもりを背中全体に感じる。いつまでも包まれていたいと思う、少年の優しい体臭の広がりがあった。人の形をした愛しさそのものが、いま自分の背中にあるのだ。

 

 守らなければ。アイビスは自分に言い聞かせた。彼を守らなければ。

 

 恐れる事はない。たしかに自分は落ちている。しかし、落ちているだけだ。ならば再び飛べば良いだけの話だ。

 

 かつてこの背には翼があった。天に輝く夢があった。そしてどちらも一度は砕けちった。さながらこの瓦礫の谷のように。しかしこんな無惨な世界からでも、生き延びて、登って行こうとする人々がいた。崩れた中から、また始まるものがあった。それをアイビスは、その目で見てきたのだ。

 

 今、アイビスは再び翼を得た。そして天まで昇るような想いがあった。ならば、ならばもう一度……!

 

 心の訴えに従って、幻影を構成する全ての要素を、アイビスは睨みつけた。己のすべてを賭けて、闇夜と、凶相と、穴と、なにより自分の心の弱さといざ対峙した。

 

 すると、今まで見えなかったものが見えて、アイビスは目を疑った。いま生じたのだろうか。いや、初めからそこにあったのかもしれない。ありそうな話だと思えた。なにせこれは自分の心なのだから。

 

 夜空が見えた。星々が見えた。太陽のまやかしではない、本当の空の色がそこにあった。

 

 星の海。

 

 銀の凶相の向こう、迫り来る強大な引力のその果てに、それは輝いていた。

 

 ――綺麗。あの向こうに行きたいな

 

 時を越えた、幼子の無邪気な呟きが木霊する。

 

 行けるさ。行けるとも。だってこんなにも体が熱い。

 

 全身が沸き立って行く。肉体は沸騰し、魂は湯煙となって天頂を昇る。懐かしい、あまりに懐かしい自らの心をアイビスは抱き締めた。そして行く手を阻む者全てを目掛け、まさしく全身全霊余すところ無く灼熱させて、雄叫びを挙げた。

 

 邪魔だ、どけ。あたしは往く。

 

 そんなアイビスの想いの丈の爆発と、サイバスターの双眸が力強く輝くのは、全く同時のことだった。

 

 

   Ⅳ

 

 

「おい、アイビスとマサキはどうなった! 死んじまったのか!」

 

「言ってる場合か! 自分の心配をしろ!」

 

 異星軍の包囲網の中心部で、ハガネ隊は凄惨たる地獄絵図のまっただ中にあった。無傷な機体など存在しない。中破した機体は数知れず、それ以上の損傷を受けている者はなお多かった。

 

 敵にもいくらか損傷は与えているが、陣形からして守勢を強いられているのだ。ただ防御と牽制にかまけるばかりで、ハガネ隊のだれもが、その強大な攻撃力を生かせずにいた。

 

「ちきしょう!」

 

 肩に砲弾を受けたジガンスクードの巨体が、大きく揺らいだ。ハガネ隊の中でも屈指の堅牢さを誇るジガンも、度重なるダメージについに限界を迎えつつあった。

 

「ちきしょう、ちきしょう!」

 

 特機の巨体も、こういう場では目立つ的でしかない。味方機と比較して幾倍も分厚い装甲をもっていたとしても、幾十倍もの砲火に晒されてはその差もあってないようなものだった。

 

 負ける。押し負ける。

 

 口にこそ出さないが、その予感は既に厳然とタスクの胸中に現れていた。悲観とは言えない。真っ当な判断力があれば、だれもがそう思う状況だった。

 

(このままじゃ負ける。それもただの負けじゃねえ。みんな死んじまう)

 

 負け戦が初めてなわけではない。辛酸を舐めたことなど数えきれないくらいある。しかしタスクやハガネ隊がこれまで経験してきた敗北とは、つまり余儀なき撤退のことだ。負けには違いなくとも、生還できる余地はあった。挽回の機会もまた。

 

 しかし今回は違う。すでに部隊一同は、落盤にあった鉱夫も同然であった。敵の包囲網は盤石の一言に尽き、撤退する道など一筋もありはしない。あまりに完璧な包囲作戦は、そのまま消耗戦へと直結するため逆に非効率というが、そんなことお構い無しにアギーハ率いる異星軍はどんどんと囲みを狭めてきた。その様にタスクは、敵の並々ならぬ執念を感じた。効率も費用対効果も度外視に、ハガネ隊だけは、必ずや今ここで、一人残らず打ち倒す。敵はあくまでその一念で動いている。

 

 ジガンの右肩が火を吹き、ついに右腕部が脱落した。

 

「やっろう!」

 

 歯を食いしばり、操縦桿を握りしめた。脱出装置を作動させたとして、棺桶のサイズが小さくなる以上のことは起こるまい。死を間近に感じながら、タスクは切実に願った。

 

 何でも良い。流れを変える何かが欲しい。

 

 ジョーカーよ、この手にいでよ。

 

 極上の賽の目よ、現れろ。

 

 風よ吹け、と。

 

 

 

 ――風よ、吹け。

 

 そのとき誰もが、大同小異に同じことを願っていた。

 

 そう、誰もが知っている。

 

 皆が知っている。

 

 この状況を打開するにあたって最も相応しい力の名を。

 

 ハガネを中心とした半径数百m以内に、数十の味方と百を越す敵が入り乱れ密集するこの異常な状況において、もっとも猛威を発揮する力があった。

 

 彼我の勢力がいかなる混戦状態にあろうとも、正確無比に敵だけを討ち滅ぼせる力があった。

 

 熱素の飛礫、銀の長剣、二機の使い魔、破戒の巨鳥、新星の輝き。彼の者が携える神秘の数々。中でも彼を彼たらしめるその象徴は、いかなる物量、いかなる布陣をもねじ伏せる、空前絶後の敵味方識別広域兵器。

 

 その力の名を、

 

「サイ――」

 

 「彼女」は叫んだ。

 

「フラァァァァッシュッ!」

 

 

 

 光る。

 

 輝き、煌めき、照らす。

 

 破邪にして退魔、ただひたすら聖なる星が現れいでる。

 

 青白き光はハガネを中心に戦域一帯を包み込み、内なる不浄をたちまちのうちに浄化した。浄化、とは過大な言いようであるが、しかし敵味方の入り乱れるこの戦陣の中、一切の誤射なく正確に、真実全くの一息に、ことごとく敵だけが撃滅されていくその様を、他になんと言い表すべきか。そうして光が過ぎ去ったとき、もはやそこには敵など一体も残っていなかった。一体たりとも!

 

 敵が晴れた。

 

 やや奇妙な表現になるが、リュウセイはそう思った。満身創痍のさらに上を行く、もはや鋼鉄のぼろ雑巾も同然なR-1を必死に制御しながら、このとき本当に、素直にそう思ったのだ。

 

 味方が見える。

 

 つい先ほどまで影すら見えなかった、それでもこんなにも近くにいた相方の姿を認め、キョウスケは心底の安堵とともに呟いた。

 

 風が吹いた。

 

 タスクは興奮しきったように息を切らし、嬉しげに、そして誇らしげに頭上を見上げた。満天の中央、星々と混じり合うようにその姿はあった。雄々しく翼を広げ、エメラルドの燐光を背に、風の魔装機神が夜空に浮かんでいる。勝利を謳うように、あるいは祝福するように、風の音の勝鬨を挙げながら。

 

 

 

 サイバスター。

 

 あまりと言えばあまりの事態に、アギーハは呆然とその名を口にした。彼の繰り出したMAPWは理不尽とすら言えるほどの威力を発揮して、決しつつあった戦況をひっくりかえしてしまった。

 

 ガーリオンは全滅。これ以上の戦力はアギーハには与えられていない。ハガネ隊の面々はことごとく半壊状態にあるも、彼女単独で突破できるとは到底思えない。ましてや上空には、ほぼ無傷も同然なあの騎士の姿あるのだから。

 

 サイバスター。

 

 アギーハはまたもそう呟いた。あの機体が全てをぶち壊しにした。たしかに始末したはずの、間違いなく撃ち殺してやったはずのあの少年が、勝っていたはずの戦況を覆し、勝利の栄誉を得るはずだった彼女を道化に堕とした。

 

 瞬間、アギーハの感情は点火した。その赴くままに従って、機体を反転させた。これ以上の戦闘に意味は無い。そうと知りつつそれでも、それでもあれだけは生かしては置けなかった。

 

「坊やぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 怒りという怒り、怨嗟という怨嗟をこれでもかと掻き集め、爆発させながら、アギーハは吼えた。背部、腰部のスラスターが一斉に嘶く。シルベルヴィントは風となった。

 

 

   Ⅴ

 

 

 一方、全身を正体不明の脱力感に苛まされながらも、アイビスは直ちに眼前を見据えた。視界は開けていた。先ほどの一撃で、既に敵機の群れはほぼ壊滅している。あとは皆に任せて、急ぎマサキの収容を、と行きたくもそうはいかなくなった。

 

 こちらを撃ち落とさんとする脅威が、彼方から急接近してくるのをアイビスは察知した。その鋭利なシルエットをいまさら見間違えなどしない。因縁のシルベルヴィントが、こちらを狙っている。忌まわしき過去の写し絵に、 アイビスは渾身の意志を右手の水晶に叩き込めた。具体的な指示も、ロジックもない。ただ打ち払えと。行く手を阻むあの者を打ち払えと命じた。自分と彼が歩む路を邪魔するあの者を、馬のごとく蹴り飛ばし即刻地獄に叩き込めと命じた。

 

 サイバスターは、一瞬不服そうに両眼を翠に光らせつつも、それに応じた。翼が開く、エーテルが爆ぜる。アイビス・ダグラスの意を受けて、風の魔装機神が疾走する。あり得ざる一つの奇跡そのものが、疾風そして流星の如く、夜と暗雲を切り裂いて真一文字に駆け抜ける。

 

 真正面からのブルファイトを挑んで来た相手に、なおもアギーハは笑った。敵は「らしくない」失態を見せた。あの不可思議な読心をもって待ち受けられれば厄介であったというのに、自ら選択肢を狭めてなんとする。

 

 アギーハは瞬時に戦術を構築した。

 

 胸部展開。ボルテックシューター・バレルセット。マキシマム・チャージ。二機の相対速度により瞬きほどもないであろうヘッドオンの瞬間に身をかわし、その後背に最大の一撃を叩き込む算段だった。

 

 必勝の策を秘め、シルベルヴィントが行く。

 

 サイバスターもまた行く。

 

 彼方とこなたから飛び立った二つの軌跡が出会い、ぶつかり合うと思われたその瞬間に、アギーハは操縦桿をわずかに引いた。錐揉みするように機動を変えたシルベルヴィントの真下を、銀騎士はあっけなく通り過ぎていく。

 

(もらったよ、マサキ・アンドー)

 

 勝利を確信しながらアギーハは機体を反転させ、そして愕然とした。

 

 振り向いた先にサイバスターの姿は無く、翠緑の噴射炎の残滓が、さながら槍のごとく天上へと伸びきっているのみだった。トリガーは既に引かれ、凝縮されきった渦流光子の塊が虚しく空を裂いた。

 

(これは……!)

 

 雷鳴のごとく、アギーハの脳裏に呼び起こされたとある記憶があった。天啓にも似たその閃きに押されるがままシルベルヴィントを後方に退避させると、ほんの一瞬前まで彼女がいた空間目掛けてサイバスターが急降下し、落雷のように断ち切って行った。

 

(なんだ。どうなってる?)

 

 整理が付かぬままアギーハは愛機を加速させた。スロットルを目一杯に押し込んでの最大戦速。音の速度を一息に突き破って、夜空を遮二無二疾走する。

 

 状況は一変した。

 

 シルベルヴィントが逃げる。

 

 サイバスターが追う。

 

(振り切れない……!)

 

 制御しきれぬGに押しつぶされながら、その戦慄が数十数百の虫となってアギーハの肌を這い登る。何度切り返しても引きはなせない。敵は執拗なまでにシルベルヴィントの後を追ってくる。

 

 おかしい。なにかがおかしい。

 

 アギーハは混乱していた。

 

 同じ空戦であっても、先刻に演じたものとはまるで違う有様となっている。サイバスターの機動が、戦術そのものが、まるで異なるものに変わっていた。

 

 風のような自由さが無い。

 

 騎士のような毅然さが無い。

 

 これまでその挙動の節々に感じさせた、背筋が薄ら寒くなるような魔性と神秘がどこにも見当たらない。

 

 今見せる飛び方。どこまでも執拗にこちらの尾を追ってくるその機動。それだけを言えば、さして目新しいものではない。あくまで基本に忠実な、手堅い飛行術理。引力、揚力、空力、すべてを念頭に入れた物理領域に置ける最善手。全てが理にかなった正道の飛び方だった。しかし、だからこそ、おかしかった。

 

 アギーハほどでなくとも、サイバスターの機動が通常とまるで異なることに、地上でそれを見上げるハガネ隊の者たちも段々と気付き始めていた。

 

 どうしたんだ、マサキ?

 

 リュウセイは眉を顰める思いだった。

 

 ああいうやり方もできたのか。

 

 キョウスケは感心していた。

 

 さしもの歴戦の勇士たる彼らも思い至らなかったのである。マサキ・アンドーの意思。それ以外の何ものも受け付けないはずのあの風の化身が、たったいま全くの別人によって操られているなどと。

 

 それでも、気付きかけている者はいた。戦域を離脱し、溢れんばかり絶望と、有り余る悲しみと、ほんのわずかな希望しかなかった墓穴から一足先に抜け出したR-2と彼の抱えるコンテナ。

 

 そこから降り立って、まったくもって久しぶりに平らかな草地を踏んだツグミは、まるで夢見るように、あの疾風とも流星ともつかぬ羽ばたきを見せる銀色の光に見入っていた。

 

 なぜだろう。

 

 ツグミには分からなかった。

 

 サイバスターの果敢なる飛翔が、妙に眩しく思えてならなかった。彼がひとつ速度を増し、ひとつ敵との距離を縮めるたびに、胸が撃ち震えるのだ。まるで我が事のように誇らしく。

 

 ツグミはいつまでも、その光に見惚れていた。

 

 なにか尊いものが、かけがえのないものがあそこにあるのような気がしてならなかった。

 

 わけもなく、涙が溢れていた。

 

 

 

 脳内の記憶を司る箇所が、次々にざわめきを立て上げた。そう、アギーハは知っている。かつて二度ほどこの飛び方を目にした事がある。同じく空を駆ける者として、愛しさすら覚えるほど王道なるこの飛び方は……!

 

 そのときになって、再びアギーハの脳裏に稲妻めいた神託が下った。迫り来るサイバスターの姿に、まるで異なる、それでいてどこか似通った全く別の機体が一瞬重なって見えたのだ。

 

 まったく異なる輪郭と、全く異なる質感をたたえ、それでいて色は同じく銀。シリーズ77、アーマード・モジュール・アステリオン。その姿がアギーハの目にはっきりと見えた。

 

 答えは出た。敵はマサキ・アンドーではなかった。

 

「お前か、小娘ぇぇぇっ!」

 

 アギーハは全てを察した。察したところでもう遅い。すでにまんまとサイバスターに背後を食いつかれ振り切れないでいた。無理も無いことだった。いまサイバスターが見せているのは、そういう機動なのだから。

 

 リールの鷲ことマックス・インメルマン。

 

 旧暦最大の撃墜王であるエーリヒ・ハルトマン。

 

 近代空戦術の祖とされるヴェルナー・メルダース。

 

 そして新暦に入り人型機動兵器の歴史が幕を開けてからも、多くのエースたちが空に生き、空に散った。

 

 この惑星における歴々の空の勇士たちが、それぞれの時代に、轟々たる戦火の中で編み出してきた技と術。めくるめく歴史と時代の中、それは常に誰かによって伝えられ、誰かによって受け継がれてきた。英雄たちの一代限りの才を、不断の努力と敬意によって写し取ろうとする者たちがいた。たとえ個人の才に欠けようとも、そこには偉大なる先人たちに対する愛と敬意が満ち満ちている。

 

 名付けてマニューバー・RaMVs。

 

 空戦の歴史、エースの系譜、その一つの精華がここにある。

 

 しかしそれだけには留められない。そうでなくてはアイビスの勝利は叶うまい。忘るまいぞ、この技とて、一度はアギーハに打ち破られている。マニューバー・RaMVsだけでは届かない。あの異星の風を捕らえるには、その先へ行かなくてはならない。

 

 アイビスは左手を握りしめた。少年の手の甲のなんと暖かな、そして冷たい感触なことか。その相反する感触が、アイビスに際限なく勇気と闘志を与えた。

 

 この手は放さない、もう二度と。

 

 死なせもしない、なにがなんでも。

 

 共に生きるのだ。この世界、この時代を。

 

 病める時、健やかなる時、いついかなる時も、未来永劫、彼と共に。

 

 故に、前へ。

 

 一歩ずつでも良いから、前へ。

 

 ただ前へ。

 

 ――さぁ、ぶちかまそうぜ。

 

 そんな声が聞こえた。ひどく聞き覚えのある、大好きな大好きな声だった。

 

 ――うん、ぶちかまそう。

 

 アイビスは愛しさを噛み締めながら、それを行った。

 

 地・水・火・風。その他二つ。この世全てを表すシンボルを宿した方陣が中空に展開され、四つに分裂した。その四つから一斉に、眩いばかりの極光が生み出された。これこそサイバスター、秘技中の秘技。地底世界に君臨する最強の四機神、その中でなお最強たるその証。運命を砕き、摂理を砕き、やがては最大の宿敵たる蒼の魔神をも打ち砕くであろう、大いなる新星の輝き。

 

 コスモノヴァ。その言霊をもって、今ここに正真正銘最後の一手が発動する。

 

 本来であれば四つの砲撃として放たれるはずの光は、このときはどういうわけか、まるでサイバスターを覆うように現れた。あるいは誰かの夢のように、ただひたすら輝き輝き輝き続けるその光が、一筋の流星となって夜天に一文字を描く。それをもって、アイビスはなおも加速を命じた。これまで常にアステリオンと共にそうしてきたように、物理という宇宙に定められた法則の下、人に許された、人に出来る限りの術理で、力の限りに飛翔せんとする。

 

 そして、そんな彼女が駆るのは王である。風の王にして空の王である。人々の無意識がそう定めた、人の理を越えた存在である。この双方が一つになったいま、一体何者が逃亡を叶えられるというのか。

 

 ――Ethereal Rapid acceleration Mobility break Cosmo-nova.

 

 ――Maneuver-EtRaMCn(エトラムクン)

 

 いささか異国的な響きだが構うまい。

 

 風と流星が、魔術と技術が、そして少年と少女の想いが一つに交わり、生まれ出た新たなる奥義の今ひとつ。おそらくはこの日以降、二度と行使されることのないその奥義をもって、今宵限りの人馬一体は尚も加速する。

 

 なにもかもを置き去りにして、さらにさらに加速する。

 

 風に乗り、星を追い、

 

 風を従え、星を越え、天駆ける。

 

 やがて来たる、睦み合う織姫と彦星のその彼方まで。

 

 

 

 全てを見下ろしながら冷ややかに輝く満月の中心で、その流星の先端はついにシルベルヴィントの背を捕らえ、そして貫いた。

 

 

 

 


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