アイビス×マサキ(スパロボOG)   作:マナティ

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第十三章:風は止み、流星は地に

 

 

   Ⅰ

 

 

 こと魔装機戦では気力はそのまま戦力に直結する。技量や機体性能を云々言う前に、まず心で勝つ。それが魔装機操者に求められる気構えだった。ましてや、魔装機神操者であれば尚の事だ。

 

 ゆえにマサキは、たとえ絶体絶命のときであろうと目を閉じなどしなかった。シルベルヴィントが胸元に生み出した光の渦は、一秒ごとに輝きを強めていった。そこに込められた威力は、ただの一撃でサイバスターの胴体をまるごと粉砕して余りある。それほどまでに凶悪なエネルギーの塊を前に、しかしマサキはますます挑むような目つきで睨みつけた。

 

 そんなマサキの勇猛さが運命の女神の歓心を買ったのかは定かではないが、いずれにせよその光子の渦がサイバスターの胴体を貫く事は無かった。アギーハが会心の笑みと共にトリガーを引く前に、けたたましいアラーム音がそのコクピット内に鳴り響いたためである。

 

 援軍? と脳裏に文字を描きおえるよりも早く、アギーハはシルベルヴィントを飛び上がらせた。そのすぐ足下を、一陣の閃光が薙ぎ払うように通り過ぎていく。チャクラム……あるいは輝く天使の輪のようなそれは、標的を逃したとみるやすぐさま無骨なワイヤーに巻き取られていき、いつの間にか地表に現れていた青色の巨人の右手甲部に収められた。

 

 紛れも無く人型でありながら、重戦車を思わせる鈍重なシルエットだった。太い腕、厚い胸板、しかしそのどれよりも重々しいのは、両肩に搭載された五連装の巨大キャノン砲。大出力ジェネレーターと直結するそれは、PTはおろか特機クラスの重装甲だろうと容赦なく貫通する。

 

 その重厚なる勇姿をみとめて、さしものマサキも安堵の溜め息をついた。

 

「ようやく起きやがったか」

 

「済まん。目覚ましを入れ忘れていてな」

 

 そううそぶくのはR-2の専属パイロットにしてSRXチームの二番機、天才との呼び名も高きライディース・F・ブランシュタインでああった。

 

「合体特機の二番目……」

 

 アギーハが目を剥くなか、雄々しく仁王立ちするR-2の背後から、さらに二機の機影が弩のように飛び出した。一方は戦闘機、もう一方は爆撃機のようなシルエットを描くそれらは、ようやく叶った解放の喜びを噛み締めつつ、まるで競い合うように高度を上げ、風を切った。

 

 R-2も含め、計三機。ともに赤・青・白の三色をまといつつ、それぞれに主体色を異ならせる三つ子の兄弟機。その正体はもはや言うまでもない。ハガネ隊が擁する最大戦力たるSRXチームが、ようやく瓦礫の海を脱し、満を持して大気の海へと飛び立ったのである。

 

「結構なアトラクションだったぜ。堪能したからには、きちんと料金を払わないとな」

 

「こちらR-3。割り勘でいきましょうね」

 

 SRXチームの一番機と三番機を務めるリュウセイ・ダテとアヤ・コバヤシ。そしてR-1にR-3。共に空戦能力に長けた二機は、囲むようにしながらアギーハに追いすがり、鬱憤を晴らすかのごとく執拗に追撃を加えていった。

 

「蠅共が、よくも……!」

 

 二対一を仕掛けられては、サイバスターをいたぶる暇もない。まんまと千載一遇の好機をかすめ取られたアギーハは、呪詛のような唸り声を挙げながらさらに高度を上げて行った。

 

 

 

「こっち。この下だ!」

 

 大地に膝立ちとなったサイバスターに、フランクが繰り返し地面を指差した。その意図を察したようにサイバスターの双眸に光が灯り、ついで黒と白の使い魔たちが主に先んじて地上に躍り出た。二匹の小動物は矢のように駆けてはバスケットボール大の脱出口を難なくくぐり抜け、度肝を抜くウィリアムをよそに内部のおおよその構造を素早く見て取った。

 

「いけるわ、マサキ」

 

「全員どいてろ!」

 

 言うが早いかサイバスターの右腕が、彼からすれば指先ほどの穴目掛けて思いっきりに突き入れられた。あまりといえばあまりな暴挙に当然瓦礫群は一斉に土砂崩れを起こしたが、承知の上である。クロのナビゲートによって正確に突き入れられたサイバスターの腕が、そのまま盾になってその影にいるウィリアムを守っていた。そうして雪崩が収まった頃を見計らい、小さくなったウィリアムを手の中に閉じ込めて、今度はゆっくりと外に抜き出していく。

 

 救出は鮮やかに完了した。

 

 かくして部屋の中にいたツグミたち五人全員は、誰一人犠牲を出すことなく地上に脱出することが叶ったのである。最後に生還を果たしたウィリアムは、フランクたちからは小突かれ、デイビッドからははたかれ、そしてツグミからはいくらかの説教のあとに力一杯の包容を与えられた。頬を染めつつ、ウィリアムは涙目になりながら皆に礼を言った。

 

 彼ら五人、アイビスとデイビッドも含め七人が生き残った。今宵に生じた犠牲者を思えば微々たる人数であったが、それでもその七人には間違いなく、互いに手を叩き、喜びを分かち合う権利があった。

 

 そしてすぐに八人目の救助活動が始まった。あるいは主よりも有能なのではと時に目されるクロとシロは、デイビッドが抱きかかえていた整備士の容態に気付くと、即座に治癒術をかけ始めた。決して万能な魔術ではないが応急処置としては十分であり、息も絶え絶えであった整備士はたちまちの内に容態を安定させ、落ち着いた呼吸を取り戻すことができた。

 

「すまん。ありがとう、ありがとう。この通りだ」

 

 猫に謝辞を述べるなど初めてであったが、デイビッドは可能な限り誠心誠意に頭を下げた。病気や怪我にあまり縁のなかった彼は、人間の医者にさえこれほど感謝した事は無い。

 

 マサキはサイバスターを使って近場に埋もれていたトラックのコンテナを掴み上げ、扉を乱暴にもぎ取った。資材運搬用のトラックであったらしく、中には段ボールや折り畳み梱包箱が何十も積み重なっていたが、手早くあたりに撒き捨てて、コンテナを地面に下ろす。この後にようやくマサキも地面に降り立ち、威勢良く全員に指示を飛ばした。

 

「全員、これに乗れ。安全な場所まで運んでってやる!」

 

 いの一番にうごいたのはデイビッドであり、マサキの力を借りながら慎重に整備士の男を運び入れた。毛布もベッドもないが、ひとまず我慢してもらう他無い。他の者たちも命に別状こそないが大なり小なり傷を負っている。マサキは一人一人に肩を貸しながら、次々とコンテナに連れ込んでいった。

 

 後二人。そう思いながら残る二人のうち一人目の手を取ったところで、マサキはぴたりと動きを止めた。相手もまた同様であった。手を取った者と取られた者、二人して魂を抜き取られたかのように彫像と化した。

 

「…………」

 

「…………」

 

 アイビスとマサキ。彼らが本当の意味で再会を果たしたのはこのときだった。互いに硬直しながら、言葉無しに見つめ合う。言いたい事、言うべき事が数多くあるはずだったのに、アイビスもマサキも、一つもそれを思い出すことができなかった。

 

 触れられた手に伝わる感触に、アイビスの皮膚感覚は一杯になっていた。薄手のグローブのしっとりとした手触り、それ越しに感じられる少年の体温、そのどれもが懐かしく、恐ろしいくらいに尊く感じられた。思えばこの少年との全ては、こうした手と手の触れ合いから始まったのだ。

 

 ああ、取り戻せた。その思いがアイビスの胸中で爆発していた。あのとき自ら突き飛ばしたものが、こうして再び手の中にあった。勝手とそしられても良い。アイビスは神だろうが悪魔だろうが、何にでも感謝した。彼とまた巡り会えたことに、ひたすら感謝した。

 

(なんだよ、なにか言えよ)

 

 マサキはそう思った。彼らしからぬ弱音だった。少年の目に写るアイビスは、目を伏せて、何かに耐えかねるように、堪えきれぬように、小さく唇を震わせていた。それをどう受け取れば良いのか、マサキには分からない。まだ喧嘩中なのに咄嗟に手を取ってしまったのがまずかったのか。しかしそれにしてはアイビスに振り払おうとする素振りは見られず、どころか両手で包み、自らの心臓に押し付けていくのだから、どうにも筋が通らない。

 

(なんなんだよ。取って食う気じゃねえだろうな)

 

 そんな馬鹿なことを考えたが、次第にどうでもよくなって、しばらくアイビスの好きにさせることにした。彼にとってもアイビスの手の平の暖かさは悪い感触ではなく、その向こうから微かに伝わるアイビスの鼓動もまた同様だった。

 

 とにかく、こうして生きてまた会えた。

 

 それだけで十分に思えた。

 

 

   Ⅱ

 

  

 陰陽を描くように散開する二筋のほうき星。その中心をシルベルヴィントが怒濤の勢いで突っ切っていく。その背に食いつかせるように、リュウセイらは一斉にミサイルを解き放った。幾十もの弾頭が噴煙の尾を引いて、思い思いの軌道を描きながらシルベルヴィントに絡み付こうとする。

 

 小賢しい。アギーハは力強く操縦桿を引き倒した。速度を維持したまま、ほぼ直角にシルベルヴィントの機動を変化させる。もはや旋回と呼べる域にない、あまりに急激な方向転換に、ミサイル群はこぞって目標を見失い、そのまま明後日の方向へと飛び去っていく。

 

 そうだろうとも、と特段リュウセイは驚きもせず、シルベルヴィントに向けて再度トリガーを押し込んだ。照準はすでに終えてある。R-1のブーステッド・ライフルが音を越えて火を噴いた。ほぼ同時にR-3のレーザーキャノンもまた別角度から雄叫びを挙げる。各三点、計六点斉射。角度、タイミング、ともに絶妙な嫌らしさでずらされており、さしものアギーハもこれを避けきるには三秒間ほど息と瞬きを止めねばならなかった。避けきった後に、すかさず光子砲の反撃を加える。狙いはリュウセイ。

 

「うわととっ!」

 

 さすがに六発すべてを避けられるとは思わなかったのか、リュウセイはみっともなく面食らいながらも、ぎりぎりのところで反撃を躱した。双方ダメージなし。

 

 二対一とはいえ、戦いは決して一方的なものとはならなかった。もともとSRXチームの機体はシルベルヴィントほど空戦能力には長けておらず、とりわけ速度面では大きく遅れをとっている。しかしそれにしても二対一である。多少の足の違いなど物ともしないほどの有利な状況であるはずであったが、それ以上のハンディキャップが双方間の戦いを膠着させていた。

 

「ええい、くそっ、機体がガタガタだ」

 

「こっちも同じ。下手をすれば空中分解だわ」

 

 そうリュウセイとアヤが毒付く通り、二機のコンディションは劣悪の一言であった。一部の武装は故障ないし消失によって使用不可。機体そのものも、旋回中に間接が軋み音を挙げるほどにがたがきていた。無理な機動を繰り返せば、まさしくアヤが懸念する通りの事態となるだろう。

 

 サイバスターとちがい、この二機は直接に地殻陥没に巻き込まれている。そんな中でもパイロット保護という最重要課題をクリアしたのだから讃えられるべき性能と言えるが、さすがに無傷では済まなかったのだ。彼ら最大の切り札も、今という状況では考えるも愚かである。

 

 逆に言うならば、これだけのハンデを抱えても二人はアギーハ相手に引けを取っていなかった。多は力である。シルベルヴィントがいかに最速を誇ろうと、二つの敵に全く同時に対処することはできない。いまアヤのR-3がそうしているように、常に片方が相手の死角に入りその機先を制し続けることで、リュウセイたちは天と地ほどの機体コンディションの差をかろうじて補っていた。

 

「見事なもんだ。念動力者の力ってやつだとしたら、薄気味悪いけどね」

 

 驚嘆と嫌悪を微妙に織り交ぜながら、アギーハは鼻を鳴らした。地上で盛んに研究が行われているESPと、それを操るエスパーたち。地球の軍事技術の中でも極めて異端な分野であり、SRXチームはその極致とも呼べる小隊である。人間の精神からエネルギーをくみ出し、それを兵器に転用しようなどという考えは、彼女らの常識にはないものだ。力はいつだって、肉体を含めた物質の作用が生み出すものとアギーハは信じている。

 

 しかし、今の場合はより注視しなくてはならない問題があった。

 

「マサキ・アンドーが生きていた。あの小娘も生きていた。さらにはこいつらまでとなると……」

 

 ハガネ隊は未だ健在。忌々しいが、この流れではそう判断せざるをえなかった。

 

 ならば、よし。アギーハは改めて意を決した。ハガネ隊がいまだ呼吸を続けているというのなら、今宵この手で確実に息の根を止めるまで。あくまで抵抗するというのなら、その方が彼女の好みにも合致して尚のこと気概が湧いてくる。

 

 本隊の転移は、合図一つですぐにでも可能であった。先のガーリオン四機などは、持てる戦力のほんの一欠片に過ぎない。いよいよとなれば本当に全てを出し切ってでも、この一戦必ず貰い受ける。

 

 そしてそのためには、どうしても今のうちにやっておかねばならない仕事があった。

 

 

 

「マサキ、サイバスターに乗れ」

 

 言いながらR-2がホバーを利かせながら接近して来て、アイビスとマサキは弾かれたように間合いを取った。特別なんの感銘も受けずに、ライは言葉を続ける。

 

「リュウセイたちが苦戦している。援護しなくてはならないが、ここはお前の方が向いている。そのコンテナは俺が引き受けよう」

 

 そう告げて、ライはR-2を地面に屈ませた。コンテナを両手で挟み、潰さぬよう落とさぬようちょうどよい力の設定加減を見つけ出し、固定する。

 

 彼の冷静な意見はマサキも同意するところだった。しかし自分でも理解不能な感情が働き、いくらか迷いも生まれていた。その間にも、コンテナの脇に立っていたツグミがR-2に向かって声を張り上げていた。

 

「生存者はまだ他にもいるはずよ! センサーで拾えない?」

 

「大尉の機体ならばいくらかは拾えるだろう。しかし、いま全員を救助しきるのは不可能だ。まずは一秒でも早く、戦闘を終わらせることを優先したい」

 

 これまたもっともな意見に、思うところありつつもツグミは納得せざるを得なかった。躊躇いつつ、彼女もまたコンテナに乗り込み、あとはアイビスだけとなる。

 

 マサキはサイバスターの方を見やった。剣を失いながらもその装いは未だ無傷であり、騎士のようにかしづきながら主の帰還を待ち受けている。それに向かって駆け出そうとしてところでマサキは足を止めた。とくに理由は無い。ただ何となく、首の後ろあたりがかゆみのようなものを覚えたのだ

 

 振り向くと、当然だがそこにはアイビスが立っていた。アイビスはただ立って、マサキを見つめていた。信じるように、祈るようにしながらその出陣を見送ろうとしていた。その姿に、なぜだろう、マサキの足がふと重さを増した。離れがたい、名残惜しさのようなものが足を前に踏み出させるのを躊躇させた。

 

 躊躇いは、ほんの数秒のことである。

 

 彼は一角の戦士であったから、為すべき事は大いに弁えていた。でなくては魔装機神にも選ばれまい。それでも彼とて当たり前の少年であり、何かを惜しむ心を完全に閉ざす事は出来なかった。

 

 そして結果的に言うならば、それがマサキの致命的な隙となった。そのほんの僅かな逡巡が、彼の未来に途方も無い影を落とすこととなったのである。

 

 

 

 速度に勝るシルベルヴィントは、それゆえ常に戦域の決定権を持つ。アギーハが逃げれば相手は追わざるを得ず、そしてその逆は、その時の作戦目的にもよるが彼我の速度差からして早々起こりえない。SRXチームとの競り合いの間中も、アギーハはそうして徐々に、気付かれない程度にゆっくりと戦域を遠方へと移動させ続け、地上に降り立つサイバスターとの距離を密かに稼いでいた。いざというときに繰り出す会心の突撃を、何者にも邪魔させないために。

 

 いまがその時と見て、アギーハはシルベルヴィントを一転させた。急加速させた。突然の反転にSRXチームは追従しきれず、双方の距離は見る見るうちに開いていった。ささやかな計略は見事に的中した。高笑いを堪えながら、アギーハは夜天を疾走した。

 

 合体の出来ないSRXチームなど恐るるに足らず。超音速のなか、ぐんぐんと狭まっていく視界の中心にて、彼女が一心に見据えるのは今も昔もただ一人だった。

 

 お前だよ、マサキ・アンドー。

 

 お前だけは捨て置けない。

 

 本隊を、圧倒的物量を呼び寄せる前に、なすべきこととは何か。言うまでもなくそれは、あの物量の天敵たる銀色の騎士を撃ち落とすことだった。シルベルヴィントに勝るとも劣らぬあの空の覇者を高機動戦で制する事は容易ではない。しかし、パイロットがのうのうと生身をさらしていれば全く話は別だった。

 

 この瞬間、三人の人物の意識が各々に炸裂し、閃光となって弾けた。あるいはそれは光を越え、時をも越えて、超新星のように熱く、大きく爆発していた。

 

 不倶戴天の敵を拡大モニターに捉え、アギーハは持てる限りの集中力をこの一秒に注ぎ込んだ。視界は狭窄し、必要最低限のエリアのみを残してあとの全てが闇と化す。音が消え、鼓動が消え、秒針の歩みが限りなくゼロとなる。照準マーカーの動きがやけにのろくさい。歯がゆいほどの間怠っこしさで幾何学模様がゆっくりと移動し、少年の背中と、ついでにそのすぐ近くにいる赤毛の少女にぴたりと合わさった。アラームがなるそれより先に、アギーハは躊躇い無く人差し指のトリガーを押し込んだ。

 

 一方、彼方より飛来するシルベルヴィントの姿を捉えた直後に、マサキは駆け出していた。反射的に走り出していた。サイバスターの方に、ではない。そうであれば、全ては変わったかもしれない。しかしマサキは逆を行った。まったく反射的のことであった。

 

 迫り来る銀影、主を待つ銀騎士、その全てに少年は背を向けた。善し悪しも、正も誤も、合理非合理も関係ない。ただ咄嗟の感情が命じるまま、心の赴くまま、想いが溢れるままに、マサキは呆然とするアイビスの肉体に飛びかかった。

 

 そして最後の一人、アイビスの体は雷に打たれたようにひとつ震えていた。闇夜の彼方より舞い降りんとするあの凶相。既視感が吐き気となって、アイビスの心胆を突き上げて来る。この光景を彼女はよく知っていた。眠っている間にも、起きている間にも、ことごとく夢と現実を侵略しては彼女から全てを奪い去ったあの光景そのものだった。

 

 五体が縛られる。彼方へと落ちて行く、すべてはあのときのまま。しかし、ひとつだけ異なる点がある。それがアイビスの脳裏を疑念で埋め尽くした。

 

 どうして。

 

 問いかけが弾けた。なぜあの少年がいるのだろう。あの凶相と、背後の穴。それ以外は闇一つしかなかったあの世界に、なぜいまあの少年の姿が見えているのだろう。いつだって遥か天つ彼方を羽ばたいていた彼が、なぜ大地を駆けて、さながら庇い守ろうとでも言うかのように、自分と凶相の間に割って入っているのだろう。

 

 どうして。アイビスには分からなかった。

 

 あたしはいつも一人だった。落ちゆくのはあたし一人だけだった。

 

 なのに、なぜあんたがいるの。

 

 だめだよ、これじゃあんたまで……!

 

 

 

 かくして光子砲が放たれる。

 

 遠方にてリュウセイが叫ぶ。ライもまた。

 

 生身の人間などやすやすと焼き尽くすその光は、矢となって大気を駆け、瓦礫の大地の一角ごと一人の少年と、一人の少女を焼き付くさんとする。

 

 ツグミが悲鳴を挙げ、クロとシロが同時に吠えた。

 

 矢が大地に接し、光が弾けた。

 

 そうして全てが吹き飛ばされた。

 

 

   Ⅲ

 

 

 アイビスとマサキの姿はたちまちの内に爆発と土煙の中に包まれ、誰の目からも覆い隠された。万が一にも無傷はあり得ない。死んでいるのか、あるいはかろうじて死んでいないのか。もはや問題はそこにあり、それは煙が収まるまで誰にも判断できないことだった。そしてそのときを、リュウセイは待ちなどしなかった。

 

「てんめぇぇぇ!」

 

 怒りに我を忘れた。視界が真っ白に白熱し、肌が沸騰するかのようだった。もはや間接の軋みなど完全に黙殺して、R-ウィングを遮二無二に駆る。白い鋼鉄の翼が風を切り、刀のように長く鋭いヴェイパーを描いた。

 

 Gリボルバーが次々に炎を吐く。そのことごとくをかいくぐりながら、アギーハは機体状況を知らせるモニターの一つを見ながら愕然としていた。

 

 左肩部スラスターと腰部アーマーに損傷が生まれている。大した傷ではない。しかし確かに損傷していた。

 

 撃たれていた。いったい何時?

 

 被弾してそれに気付かぬほど耄碌はしていない。しかしたった一つありうるとすればあの一瞬だった。トリガーを引く右指の感触と照準サイト、そしてあの少年の背中だけが世界の全てであったあの一秒にも満たない瞬間に、R-1かR-2かR-3、いずれかから銃撃を受けていたというのか。

 

 考える間もなく、見過ごせぬ新たな動きがメインスクリーンに生じていた。闇夜にまぎれるR-3の剣呑なシルエットから、一斉に八つの光が飛び散っていた。R-3自慢の誘導兵器が、それぞれに全く異なる軌道をとりながらアギーハに迫り来る。

 

 そして横手からは再びR-ウィングが。R-2の方は攻撃を仕掛けてくる様子はない。手にコンテナを掴みアギーハとは逆方向に遠ざかって行っている。生存者の保護を優先するというのだろう。

 

 三者の状況を一息に捕捉し終えて、アギーハはシルベルヴィントを舞い踊らせた。ストライクシールドとGリボルバーの挟撃を容易く捌き、みるみる内に高度を上げて行く。

 

 そうしてシルベルヴィントは月を背負った。

 

 巨大なる墓穴。瓦礫の海。眼下に広がる己がもたらした破壊の全容を見下ろした。しつこくも抵抗を続ける有象無象の姿を見下ろした。そして唯一無二のパイロットを失い、為す術も無く屈み続けている哀れな銀騎士の姿を見下ろした。

 

 アイビスとマサキを包んでいた煙はすでに晴れていた。拡大モニターをどれほど凝らしても、アギーハはそこから人の形をしたなにかを見つけ出すことはできなかった。

 

 勝った。終わったのだ。

 

 達成感が満ちた。全能感が込み上げた。突き抜けるような衝動にアギーハは身震いすらした。そして内なる自分が、ぬくもんだ吐息とともに耳元で更なる一言を囁きかける。

 

 大敵は去った。蹂躙せよ。思う存分に。

 

 アギーハは口角を限界近くまで釣り上げながら、そのシグナルを発した。そしてその瞬間に月が、まるで水面に映るそれのように大きく揺らめいたのだ。

 

 空間転移。さすがに歴戦のハガネ隊所属であるSRXチームはすぐにそうと気付いた。なかでも索敵に長けるアヤは、さらに詳細な情報をそのときすでに察知していた。

 

「機動兵器が転移してくる。数は三十……いえ、四十!」

 

 その正しさを称えるように、計四十機のガーリオンがいま空間を越えて、さながら月を覆い尽くすかのように現れ出る。一機一機で見るのなら、ハンデを抱えているとはいえ、到底リュウセイたちの敵ではない。

 

 しかし四十機。

 

 どれほど技術が進化しようと、戦の法則は古の時代より不変であった。多は力。無論、いくらか例外はあるだろう。しかし少なくとも現時点のこの場には存在しなかった。合体は封じられ、サイバスターも亡きいま、単純な物量差はそのまま覆し難い運命そのものとなり、SRX小隊を一気呵成に飲み込まんとした。

 

「潰せ」

 

 アギーハの酷薄な一言のもと、四十機のガーリオンは一斉に散開し、続々とリュウセイたちへと降り注いで行った。

 

 

 

 蹂躙が始まった。

 

 多方向からなる縦横無尽な銃撃に、R-1は早々に左手を吹き飛ばされ、右足にも深刻な損傷を受けた。R-3は手持ちの火器全てをバラまき続け牽制を加えていったが、十倍もの戦力に対しては焼け石に水にしかならない。やはり同じように四方八方からの砲弾にさらされ、五体のそこかしこが小爆発を起こしていく。

 

 一機のみ、戦場を離れようとしていたR-2にも戦力は差し向けられていた。数は十機のみであったが、避難民を両手に抱えるR-2にしてみれば、絶望的という他ない戦力である。

 

「放して、お願い! 私だけでも降ろして! 死んでなんかない。あの二人が死んでなんかいるものですか!」

 

「馬鹿言わないで下さいよ!」

 

 コンテナの中で、いまにも剥き出しの扉を飛び降りようとするツグミを、ウィリアムが必死に押さえ付けていた。ライの方でもそのやり取りは聞き捉えていたが、気にかけるも愚かと操縦に集中し続けていた。それでなくとも休み無く敵の砲弾が飛びかってくるのだ。ツグミを止めるどころか、息をつく暇すらありはしなかった。

 

 戦況は一方的であった。多勢に無勢の侵略劇に、反撃の糸口を見つけるどころか、文字通り一切の為す術がない。

 

「くそ。死ぬぜ、このままじゃ!」

 

「大丈夫よ」

 

 らしからぬ弱気を起こした一番機を、SRXチームのリーダーを務めるアヤが冷静に嗜めた。状況を飲み込めていないわけではない。彼我の戦力差が分かっていないわけでもない。むしろ逆であった。彼女自身の念動力とも直結され、結果類い稀な索敵範囲と精度を得ることとなったR-3ノセンサーが、他のどの機体にも捉えられていない、ある一つの事実をキャッチしていたのだ。

 

 それを見てアヤは、覆い尽くすような圧倒的な砲火のなか、まったくもって場違いな、心底の安堵の溜め息をついたのだった。

 

 ああ、皆が来てくれる。

 

 

   Ⅳ

 

 

 異星軍よ思い知れ。物量は物量によって覆される。

 

 まず現れたのは重厚にして長大な刃であった。敵の包囲網に閉じ込められ、コンテナを抱えながら右往左往するばかりであったR-2に、後背から一機のガーリオンが飛び掛かろうとしたそのとき、いかなる冗談か、機動兵器すらも越える馬鹿げたサイズの刀刃が地中より突き伸びたのだ。当然の真下からの斬撃に、そのガーリオンは為す術もなく両断された。一歩遅れて、その巨刀の担い手たる侍巨人が瓦礫を吹き飛ばしながら地中より姿を現した。

 

 我、悪断つ剣なり。燃え盛るような怒りと闘志が込められた、そんな宣戦布告の言葉をそのバイオロイド兵が聞き捉えることはなかった。

 

 次に現れたのは一体の怪物である。しかし一体にして一体ではない。赤と白、紅白に彩られたその二機一体の怪物は互いに連なり合いながら、R-1を四方から追い立てる敵襲団目掛けて弾丸のように突撃した。ビームと実弾の入り交じる猛烈な砲火を受けて、いくらかの敵は足並みを崩し、またいくらかの敵は急所に直撃を受けて四散した。かろうじて生き延びた前者の敵だが、結果的にはほんの少しの時間差にすぎない。

 

 ただ撃ち貫くのみ。突如として眼前に出現した紅い機影、それが繰り出した凶器にして狂気たる右腕の前に、そのガーリオンの腹部はあっという間に千切れ飛んだ。

 

「こちらアサルト1。エネミータリホー、エンゲージ」

 

 ただいまの一手などあってなきものとするように、若き戦闘指揮官は怜悧にそう言い捨てた。

 

 援軍はまだ終わらない。否、最大の援軍はいままさにこれから訪れるのだ。この時にいたって、平凡な性能に留まるR-1とR-2のセンサーもまた、ようやくにその事実を掴んでいた。上空に座すシルベルヴィントもまた同様に。

 

 地響きがする。瓦礫の海の一角が蠢いている。さながらスモークを炊くように土煙が次々と噴き出し、否応無しに巨大なる何かの出現を想起させる。

 

 地中にて溜め込まれたもの、封じられていた巨大なるものが、いままさに解き放たれようとしていた。

 

 やがてそれは現れた。瓦礫を蹴散らして、土の壁を食い破って浮上した。全長500メートルを越すその姿。茶褐色の装甲は土と埃にまみれ、ハリネズミのような砲塔はことごとくがひん曲がり、推進システムにも支障をきたしているのか浮上速度もどこか不安定で覚束ない。

 

 それでもハガネであった。まぎれもなく、それはハガネであった。地球圏最強と謳われたハガネ隊。その旗艦にして絶対の象徴たるハガネが、いまこのとき、ようやくに地の下より蘇った。

 

 地中より脱し、ダイテツ・ミナセ艦長はさっそく周辺の戦況を見渡した。高機動タイプの幹部機が一機、ガーリオンが約四十機。ダイテツはひとつ頷き、そして副艦席で未だ気を失っているテツヤ・オノデラの姿をふと見やった。いま彼は力なくシートにもたれ掛かりながら、ようやく駆けつけて来てくれた医療班の手当を受けている。彼のお陰で自分は一命を取り留めたのだ。ならば年長者として、礼を実に変えて示さねばならなかった。

 

「カタパルトの者たちに伝えろ。全軍出撃。繰り返す、全軍出撃」

 

 そう告げた矢先に、あるいはそれよりも一瞬早くに、ハガネの機動兵器射出用カタパルトから次々に光が疾走して行った。

 

 ジガンスクードの姿があった。アウセンザイターの姿もまた見えた。ビルトラプター、フェアリオンにゲシュペンスト。そしてグルンガストにヒュッケバイン。ハガネが擁する全小隊、全戦力が矢のように打ち出されていった。

 

「ぶちのめすぞ!」

 

 吼え立てるのはイルムである。

 

「一匹残らずぶちのめすぞ! 断じて遠慮するな! 今日、何千という人々が何も出来ないまま死んでいったんだ! 泣こうが喚こうが一人も逃がすな!」

 

 隊全員から返答が返った。いや、返答と言えるのか。それは雄叫びであった。鬨の声であった。カチーナにタスク、アラド、ブリッド、クスハ、リオ……とにかく全員が一斉に勇猛果敢に声を上げ、一目散に敵目掛けて突撃していった。

 

「ダイテツ艦長、申しわけありません。やはり本艦の浮上は不可能のようです」

 

「謝罪には及ばない。貴艦の後押しのお陰で、こうして脱出が叶った。部隊だけ借り受けよう。あとは任せてもらう」

 

 通信モニターの向こうで無念そうに俯くレフィーナにそう応え、改めてダイテツは前方の戦況を見やった。マサキ・アンドーにSRXチーム。二十歳にも満たぬ若者らの勇気と行動力によって、事態はここまで持ちこたえられた。彼らがいなくては、ハガネとヒリュウ改は今頃もろともに破壊し尽くされていただろう。ダイテツはそんな彼らを心から頼もしく思いつつ、それとはまた別に心からの口惜しさを覚えていた。

 

 子供に頼らねば、生きることすらできんとは。これでは自分はなんのために齢を重ねてきたのか。

 

 ダイテツは口惜しさを闘志に変換した。蹴散らしてくれる。恐らくは今ある数が敵の限度ではあるまい。しかし蹴散らしてくれる。たとえ何が来ようとも。

 

 そのダイテツの読みは当たっていた。

 

 ハガネ復活。その勇姿を目の当たりにして、アギーハはにやりと今宵一番の、会心の笑みを浮かべた。いまこそ本懐を叶えるとき。ハガネ隊全軍が迫っていようと、この距離ならばこちらに分があった。決して慢心ではない。なにせハガネという急所を敵はさらけ出しているのだから。

 

 数は同等となっても、戦況は対等ではない。こちらは自由な遊軍、相手は母艦を剥き出しにした背水の陣だ。だったら攻めるのみ。

 

 再度シグナルを放った。全軍出撃、全軍出撃。

 

 ふたたび月が揺らめいた。次々と現れる新たな戦力。そして最後の増援。その数、百機にも届こうか。

 

 最後の決戦が始まった

 

 

   Ⅴ

 

 

 うっすらとした振動を、気を失いながらもアイビスは感じ取った。銃撃、剣戟、爆発音といったこれっぽっちも穏やかではない音と震動であったが、眠りのフィルター越しに伝わるそれらは、さながら風や樹々のざわめきのように優しく柔らかいものに感じられた。あるいは、それとは別の何かのようにも。

 

(やめてよ)

 

 言葉が無意識の海の中で波打った。

 

(分かったよ、もう起きるよお母さん)

 

 そんな勘違いが起こっていた。夢の中では心が裸になるためか。アイビスの父も、母も、もう何年も前に他界していた。

 

 よりはっきりとした尋常でない振動を感じ、アイビスの肉体はようやく現世の危機を思い出した。夜が明けるような、深海より急浮上するような感覚とともに、アイビスははっと目を見開いた。

 

 目が覚めても、やはり闇。月だけが照らす真夜中の、瓦礫の谷底。その奥底に、まるで取り残されるように寝転んでいる自分の姿をアイビスは認識した。

 

(死んでいない。生きている)

 

 立ち上がろうとするも、体が鉛のように重い。怪我などによるものではない。自分の体になにかがのしかかっているのだ。その正体を、アイビスはすぐに察した。胸をかき立てるこの匂いには覚えがあった。

 

「マサキ……」

 

「し。動かさニャいで!」

 

 傍らから細長いものが伸びて来て、アイビスの頬を押さえた。まるで猫の尻尾のように、いやに柔らかく毛深い感触である。

 

「いま治癒術をかけてるの。お願い、しばらくじっとしてて」

 

「クロ?」

 

 仰向けになったアイビスと、彼女を押し倒すようにその上にのしかかるマサキ。そしてその横合いから二匹の使い魔が、マサキの体に向けて何やら儀式でも執り行っているかのように両前足をかざしていた。

 

 その肉球の間からは青白い光のようなものが発せられている。整備士の男を癒したものと同じ光りだった。魔法のような光景だが、それが真実魔法そのものであるとアイビスは知っている。

 

「どうなったの、あたしたち……?」

 

「敵に撃たれたのよ。でもリュウセイたちが射線をずらしてくれた。あたしたちも結界を張った。マサキはあニャたを庇った。ニャんとか直撃は避けられて、爆発に吹き飛ばされるだけで済んだけど……」

 

「マサキは? 怪我をしているの?」

 

 クロは珍しく焦るようにかぶりを振った。

 

「ニャんとか出血は止めたけど、もう血が流れすぎてる。治癒術だけじゃもたない。医者に見せないと」

 

 アイビスは自分の体が血まみれになっていることに気づいた。銀のジャケットも、剥き出しの腹部も真っ赤に染め上げられている。自分の血ではない。すべて少年の肉体が流れ落ち、伝わったものだった。だからこそ恐ろしかった。悪寒の波が、ぞっとアイビスの肌を舐め上げた。

 

「ぐ……う……」

 

「マサキ、動くニャよ!」

 

 いつのまにか少年は腕に力を入れ、アイビスの上から身を起こそうとしていた。

 

「おい、マサキ!」

 

「うっせえ……起きるだけだ……」

 

 胸元にあった少年の頭が徐々に遠ざっていくのを、アイビスは呆然と見つめた。震える膝を立て、なんとかマサキが四つん這いになると、上下から二人の目が合った。ぎらぎらと射殺さんばかりの少年の目つきに、アイビスは息を飲んだ。この期に及んでなお、彼の瞳のなんと輝かしいことか。戦意、闘志、勇気、生き抜こうとする意志。なにもかもが溢れんばかりだった。

 

 そんな少年の目が、アイビスの視線と重なることでほんの僅かに和らぎを見せた。たったそれだけの所作に、アイビスは胸を射抜かれたような感覚を覚えた。

 

「大丈夫……みてえだな」

 

 少年のこめかみから、ぽとりと血のしずくが垂れ、それをアイビスは己の頬で受け止めた。

 

 アイビスは言葉を失った。

 

「クロ、シロ……でかしたぞ……」

 

 言いながらマサキの体がぐらりと倒れかけ、アイビスはようやく行動した。

 

「マサキ!」

 

 素早くマサキの体を脇の下から支え上げた。ずちゃりと、ぬかるみのような感触がした。

 

 そのままアイビスはマサキを腕の中に収め、寄りかからせるようにかき抱いた。クロとシロも追従し、ふたたびマサキに治癒術をかけはじめる。

 

 戦闘はいまだ続いていた。銃声と爆音の木霊が聞こえる。それら全てをどこか遠くに感じながら、ふたりは谷のどん底で寄り添い合った。前にもこんなことがあった気がする。あのときとは全く逆の立場になっているが。

 

 いや、ちがう。マサキは思い直した。自分はアイビスにすがりつきなどしない。男が、そんなみっともないことなどやっていいはずが無い。

 

 体が痛む。鉛のように重いし、血がこんなにも。馬鹿な事をやったもんだと、マサキは自嘲した。敵が大勢を繰り出している。こんなときこそ、自分が戦わなくてはならないというのに。物量の優位を突き崩すかの騎士の一撃は、こういう時にこそ真価を発揮し、きっとそれは人一人の命よりも……。

 

 マサキはふと正面のアイビスの顔をみやった。悲痛な面持ちで、自分よりもよほど痛みを抱えているような顔で見下ろしてくる彼女の顔を見た。元気そうだった。怪我もなさそうだった。ならいいや。マサキはそう思った。本当に、何一つ無理をするわけでもなく、そう思ったのだ。

 

「気分はどうだ?」

 

 マサキはそう尋ねた。世間話くらいの軽い気持ちだった。顔中から血の気が失せているのに、そんなことを言うマサキに、アイビスは思い切り頭を振った。

 

「喋らないで」

 

「もう引き蘢りは卒業したか?」

 

「いいから、喋らないで!」

 

 本気で怒りを見せるアイビスに、マサキは頬を綻ばせた。これだよ、これ。マサキは本当にそう思うのだ。彼の中で、アイビスはやはりこうでなくてはならなかった。

 

 するとマサキの視界が、ほんの一瞬だけ、天地がひっくり返るようにぐらついた。意識が飛びかけたのだ。あるいは魂なんてものがうっかり抜けてしまい、また戻ったのかもしれない。

 

 ああ、まずいかもな。

 

 そう思いながら、マサキは視線を横に、使い魔たちの方を見やった。しきりに焦燥するクロの横で、シロが口を真一文字に引き締め、首を振った。

 

 そうか。マサキはどこか他人事のようにそれを受け止めた。多くのものが、あまりにも多くのものが脳裏を通り過ぎていく。

 

 すまねえ。全てのものに、マサキは謝った。彼の人生に関わってくれた全てのものに。彼をここに送り出してくれた全てのものに。色々なものを投げ出して、いま自分は死に往こうとしている。その罪を、謝った。

 

 その償いではないが、ひとつだけ、いまの自分でもなし得る仕事があることにマサキは気付いた。死んだ人間にはなにもできないが、それでも、他の人間に何かを残すことはできるはずだった。

 

「なあ、アイビス……」

 

「マサキ、お願いだから……!」

 

「聞けよ。すぐ終わるから」

 

 弱々しくそう告げられて、アイビスは口を閉ざした。すぐ終わるから。それはあまりに少年に似つかわしくない、悲しい響きだった。

 

「いいか? お前がああやって自分を恥じなくちゃいけないほど、誰もお前に期待なんてしてなかったんだぜ。お前が、全部を最初から完璧にこなすなんて、そんな夢みたいなこと、誰も期待しちゃいなかったんだ」

 

 少年の物言いは、酷薄で突き放すようであった。しかしアイビスは、一言一句を聞き漏らすまいと耳を傾け続けた。少年の、なんと称すべきか、そう、慈愛に満ちたような目がアイビスの心を捕らえて放さなかった。

 

「でも、それでもな……」

 

 少年は続けた。

 

 それでも信じている奴がいたんだよ、と。

 

 たとえ何があっても。

 

 どんなに遅くとも。

 

 何度躓いても。

 

 何度倒れようとも。

 

 何が立ちふさがろうとも。

 

 それでも、お前は進む事を止めないだろうと。頼りない足取りで、それでも亀のように一歩ずつ、歩み続けるだろうと、そう信じる奴らがいたんだよ、と。

 

 ツグミであった。タスクもそうだったのかもしれない。なんにせよ、俺がそうだと胸を張って言えないことを今マサキは悔いていた。期待などしていない、でも信じてる。奇妙な矛盾を孕んだその響きに、かつて胸を揺らしたのは他ならぬマサキ自身であったのに。

 

 かつて一つの物語があった。地上の情勢とは何ら関わりなく、ハガネ隊の誰にも語ったことのない彼だけの前日談。そこに心からの挫折を味わい、何もかもが嫌になり、何もかもを拒絶し閉じこもった一人の少年の姿があった。ちょうど誰かと同じように。

 

 そんなマサキに、声を掛けてくれた人がいたのだ。マサキが、もう一度立ち上がれる切っ掛けを作ってくれた人が。滑走路で見たツグミの目、そして格納庫でのエクセレンの目を見て、自分が何を思い出そうとしていたのか、マサキはようやく理解した。

 

 ならば、マサキもアイビスに何かを言わねばならなかった。伝えられたものを、さらに伝えなければならなかった。世界でただ一人しかいない彼の部下に、永遠に叶わなくなるその前に。

 

「いいか。苦しさに、辛さに負けるんじゃねえ。自分に負けるんじゃねえ。いつか必ず、全部に勝てる日が来る。そのときまで、ゆっくり、お前なりに、一歩ずつでいいから、前に進んでけ。きっとそうやってでしか、そういうお前でしか手に入らない何かがある……」

 

 不思議と今のマサキは、ごく自然にそう信じることができた。身内びいきであるのだとしても、それで構わなかった。親が子に、師が愛弟子に注ぐものとは、得てしてそういうものであるに違いないのだから。

 

「分かった、分かったから。あたし分かったから、お願い、もう喋らないで……!」

 

 アイビスの両目から止めどなく溢れるものがあったが、マサキはそれを判別できなかった。視界は際限なく霞みゆき、もうアイビスの顔をそれ以外と区別する事すらできない。それでもマサキはアイビスを見つめた。記憶にあるあの暖かな眼差しに、少しでも近づけるようにと。

 

「死ぬなよ、アイビス……」

 

「やめてよ、そういうの。やめてったら!」

 

「怒鳴るなよ。俺が死ぬわけないだろ。奴を倒すまで……俺は……絶対に……」

 

 そうして、自身の言葉を裏切りながら、まるで眠るように少年の目は閉じられた。とさり、と小さな音が聞こえた。それは少年の手が地に落ちた音であり、彼の使い魔が糸の切れた人形のように倒れ付した音でもあった。

 

 体温が急速に失われていく。顔色も、見る見るうちに青白く。そんな主にどこまでも付き従うように、動かなくなった白黒の魔法生命体は、うっすらと幽鬼のように輪郭を失い、段々と風景に溶けていこうとしていた。

 

 あまりの光景に、アイビスは全身を、あるいは魂そのものを凍り付かせた。まだまだ新兵の域を出ず、また魔術生命体のなんたるかを知らない彼女でも、如実に、まざまざと感じられることがあった。

 

 これは、死だと。

 

 

 

 


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