アイビス×マサキ(スパロボOG)   作:マナティ

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第十二章:瓦礫の海の天使たち

 

 

   Ⅰ

 

 

 ラングレー基地の崩落の事実を、地球連邦政府ならびに連邦軍総司令部が正しく認識するまでには、かなりの時間がかかった。無能とそしるのは酷であろう。通常の襲撃、あるいは通常の天災ならばともかく、このような大規模な人為的災害は史上まれに見ることであった。さらに言えばラングレーは無論のこと、アメリカ大陸全体がほんの数日前まで異星軍の占領下にあったのだ。奪還が叶ったとはいえ各都市機能、および基地機能の回復は未だ十全ではない。近隣住民や地元の警察からの連絡だけではなかなか事の重大さが伝わらず、衛星からの映像をもってして初めて事態の大きさを飲み込むことができたのだ。

 

「救出活動を行う。救援部隊をただちに向かわせろ。周辺自治体にも支援要請を出せ」

 

 政府代表から即座に命が下ったが、それは言うに易く行うに難い事柄であった。幸いにも異星軍は徒に一般市民を痛めつけるようなことはしなかったが、それでも大陸内の各自治体や医療機関、警察機構、ならびに各種産業や物流は軒並み首根っこを抑えつけられていた。それぞれの組織の代表は軟禁状態にあり、人手はあっても組織や命令系統が機能不全を起こしている。それでは効果的な動きは期待できない。物資も乏しくては尚の事だ。

 

 バージニア以外の地域ではすでに解放活動ならびに機能回復が図られているが、それもまだまだ始まったばかりである。多少なりの支援ならば末端の者らの機転を当てにすることもできるが、組織だった支援活動までは頼めなかった。

 

 すぐに動かせる組織といえば、やはり軍しかない。奪還したばかりの近場の基地(マッコーネル基地やテスラ研など)に駐屯中の機動兵器部隊ならばすぐに動かせるし、また戦闘機の類いならば幾らでも飛ばすことができるだろう。しかしどちらも繊細な救出活動には到底適さない。様々な物資に衛生兵、ヘリや専門的な重機、そして陸軍による工作部隊をなんとか他所から掻き集めなくてはならなかった。

 

 総司令部は連合軍全軍に報せを発して、救出部隊の緊急編成と、大規模輸送船団の手配に取り掛かった。それに先行して現地情報の収集のため、ハワイ島から四機の偵察機編隊がラングレーに向けて発進した。このとき既に、事件発生から一刻は経過していた。

 

 その間も、現地では災厄が続いていた。それは崩落箇所のみに留まらず、その周辺の地域もまた同様だった。

 

 ようやく崩落が収まったかと思えば、今度は光子と荷電粒子の流星群が中空より降り注ぎ始めたことにより、現地を遠巻きに眺めていた周辺住民は慌てて避難を開始していた。報道陣やなんとか降下を試みていた地元警察やレスキュー隊の面々もまた、職務上の使命感はひとまずさておき、自分や家族の命を優先し始めた。

 

 異星軍の思惑は分からないが、あのままでは最悪基地に備蓄されていた航空燃料に火が付き、大火災を生じかねない。さらに言えばラングレー基地は海に面した基地でもある。もし地形破壊がこれより進めば海岸線が崩潰し、津波や洪水が巻き起こる危険もあった。

 

 しかし本来避難活動を統制するべき警察や州政府は、崩落以前からすでに命令系統に支障を来しており、役割を十全に果たす事ができないでいた。

 

「押さないでください! 慌てないでください!」

 

「皆さん、落ち着いて行動して下さい!」

 

 末端の警察官達が必死に声を張り上げようと、津波と化した市民達を止めるには至らない。混乱した民衆は思い思いに最善の逃走手段を試み、結果的にはさらなる混乱を呼び込んだ。車で移動しようとした者は徒歩者に車道を占領され、逆に徒歩者は車両に交通を阻害され避難は遅々として進まない。自然、交通事故や喧嘩沙汰なども多発し、死者すら生まれた。そうして、思わぬ二次・三次災害が今宵の犠牲者の数を増やしていった。

 

 

 

 基地そのものが不可抗力にも見放されようとしているなか、基地内にいながらにして現時点までなんとか生き延びている人々は、それぞれに懸命にその命を食い繋ごうとしていた。いまだ地下に閉じ込められている者達は必死になって地上への出口を捜索し、怪我や袋小路によって身動きが取れない者は神に祈りながら救助の声を待ち続けた。体を動かせるだけ前者の方がマシなのか、あるいは動けないだけ後者の方が楽なのか、それはどちらとも言えない事だった。ひたすら一欠片の希望に縋ろうとする、哀れな表情だけは少なくとも共通していた。

 

 ツグミ・タカクラは、そんな者達のちょうど中間の立場にあった。

 

 今宵一晩の宿として宛てがわれた第七棟の、三階北側。第七棟は本来五階建てであるのだが、いまは地中でまるごと横倒しになっているため、現時点ではそこが最も地上に近い位置になっている。

 

 アイビスと別れたあと、ツグミはずっと第七棟の客室の中に閉じこもっていた。部屋に帰った直後はそれなりに気力もあり、仕事でもして気分を変えようとハンディパソコンを立ち上げもしたのだが、結局何一つキーを押さないまま蓋を閉じることとなり、そのままのそのそと備え付けのベッドに潜り込んだ。日が暮れてからも、夕食もとらずにずっとそうしていた。頬の痛みが、食欲もなにもかもをツグミから奪い去っていた。

 

 そうして震災が起こった。幸い部屋自体が崩れることはなく、したたかに体を打ちはしたものの、ツグミは何とか部屋の中で五体満足に生き延びることができた。突然の事態に、さしものツグミも平時の気力を取り戻し、崩落が収まったころを見計らい部屋を抜け出した。そして上下感が狂い、異次元的な迷路と化した施設内の探索を始めたのである。

 

 道々でツグミは四人の生存者と合流し、そしてそれに倍する数の犠牲者を看取ることとなった。

 

 倒壊した第七棟は棟全体が真っ暗闇で埃臭く、壁の中に張り巡らされていた電源ケーブルが所々でむき出しになり、火花を散らしていた。またどこからか火の手が上がっているのか、白く焦げ臭い煙がうっすらと霧がかってもいた。およそ近代建築物の内部とは思えない、冒険小説に出てくる海賊の洞窟か、巨大な魔物の胎内としか思えないような光景がそこにあった。

 

 これで白骨死体でも転がっていればまさしくであったのだろうが、あいにくと転がっているのは血と肉と軍服をまとった生々しい死骸たちだった。瓦礫の中から手だけが生えていたり、大きなコンクリートの塊の下から下半身だけがはみ出していたり、人体でありながら、明らかに人体から逸脱したシルエットを描いて辺りに転がっていたり。闇の中で彼らはいっそう闇深い影絵として、ひっそりと慎ましく、そこかしこにぼんやりと浮かび上がっていた。

 

 黒とより深い黒のみで描かれた地獄絵図。水墨のゲルニカ。そんな世界を、ツグミたちはただ黙々と歩き続けた。堅固な意志によるものではない。むしろ逆であった。そうするしかなかったのだ。

 

 ツグミらはひたすらそうやって上を目指し、ようやく辿り着いたのが、いま彼らが足止めを食らっている三階北側の一室だった。

 

「……」

 

 血管に鉛が流れ込んでいるような重苦しい疲労が、ツグミの全身にのしかかっていた。短い間に、あまりに多くの死を見た。それは否応無く、人間に慣れを与えるほどだった。自分の神経の一部が、なにか致命的な麻痺を起こしつつあるのをツグミは感じていた。感じつつ、かといってどうこうする気も起きず、壁際にへたり込みながら薄らぼんやりと縦穴の向こうを見上げた。

 

 折り重なる瓦礫のほんの隙間、天窓のように小さいその穴は、地上の景色と音を僅かながらに運んできてくれる。銃声、悲鳴、爆発音。肉眼での目視は叶わないが、状況は明らかだった。ここよりそう遠くないところで、だれかが砲撃を仕掛けているのだ。

 

 なんのことはなかった。どうやら外も、内と大して変わらないらしい。

 

 爆発音に乗って、絶え間なき微振動が部屋全体に伝わっていた。壁や天井がきしみを上げて、パラパラと砂埃を落とした。泣いているようだ、とツグミはそんなことを思った。

 

 外に敵がいる以上、迂闊に登るわけにはいかない。かといってこのままここに留まっていても、いつこの場所が崩れるかも分からない。ツグミらに出来ることはただ助けを待つことだけであり、奇妙にもそのことを有り難いと思う部分が皆の心のどこかにあった。誰もが疲れていたのだ。

 

 えずくような声が聞こえた。ツグミの隣に座っていた軍人が、恐怖に耐えかねて嗚咽を漏らしていた。ウィリアムという名前で、軍人といってもツグミより明らかに年下な少年兵である。立派なのはまだ体だけであった。

 

 男のくせに情けない。そんな思いは禁じ得なかったが、彼の方が少年としては自然な姿なのだろうともまた思った。成人にも満たない齢で、かような極限状態のなか悠々と出来るはずもない。一人、出来たとしてもおかしくなさそうな少年にツグミは心当たりがあったが、彼のような者こそが、むしろ悲しいまでに異常なのだ。

 

 しばしのあいだ考えてから、ツグミはウィリアムの肩をつついた。涙でぐしゃぐしゃな顔を振り向かせた少年に、ちょいちょいと手招きをする。少年は幾分迷いながらも、やがて耐えかねたようにツグミの胸に縋り付いた。

 

 情けなさたっぷりな姿をいっそ哀れに愛しく思い、ツグミはその後頭部を柔らかく撫でた。子守唄のような、やさしげな鼻歌が意識無しに唇からこぼれてきた。さすがに成人はお断りと、どこか羨ましげに見てくる他の軍人たちには舌を出しつつ、ツグミもまた自分自身の思わぬ母性に内心で驚いていた。忸怩たるものがあったが、これも年長者の務めなのだろうと、なぜだろう、今ならば納得する事が出来たのだ。

 

 ツグミのかぼそい歌が、爆撃音の合間を縫って部屋の中を漂っていった。それはウィリアムのみならず、辺りの男達全員の胸に等しく染み渡った。

 

 一人の男は故郷の母親の顔を思い出し、涙を噛み殺した。

 

 一人の男は妻と子供を想い、こちらは人目憚らずに鼻をすすりだした。

 

 そして一人の男は、実のところそれまでウィリアム以上に恐慌を持て余しており、ともすればツグミに暴行を働くことすら考えていた。ツグミの端正な横顔も、ほそい首筋もハーフパンツから伸びる真っ白な足も、生命の危機に怯える彼の下腹部に際限なく熱を与えて行くようだった。しかしこうして彼女の歌を聴くうちに、ふと考えを改めることができた。美味そうな餌にしか見えなかった彼女が、なにか別の、尊い何かに見えたのだ。

 

 男は邪心を捨て去った。ここで死ぬのかもしれない。ならほんの少しでも、優しさの中で死にたい。そういう風に思ったのだ。

 

 天窓からどこか見覚えのある、蒼く燃え盛るような光が差し込んでツグミ達を照らしたのは、ちょうどそんな頃の事だった。

 

 

   Ⅱ

 

 

 地中よりまるで産まれ出づるがごとく。

 

 その蒼く燃ゆる巨鳥の羽ばたきを、アイビスは確かに目にした。近場にいたデイビッド・ブルーノもそれを見た。アギーハもまた。

 

 見まごうはずも無いその神秘に、それでも三人はまさかと思った。大地を食い破り、砂塵を切り裂き、現れいでた鳳は、その勢いのまま四機のガーリオンにぶちあたり、一呑みにした。そのまま諸共食い破りつつ、一切速度を落とす事なく上空へと突き進み、やがてくるりと錐揉むように一回転して、身にまとう青白いオーラを解き放った。

 

 内に秘められたる銀騎士の姿が露となる。サイバスター。風の魔装機神。直径およそ二キロにも及ぶ巨大クレーター、それを生み出すほどの災厄を浴びながら、彼の者の肢体は依然銀色に一点の曇り無く輝いていた。

 

 地上の凄惨たる状況をひとしきり見渡したのち、マサキはその眼差しを一点に固定した。外敵の姿を捉えた少年の瞳が、燃え上がるように殺気立った。

 

「てめえか。そういや仕留め損なっていたな」

 

 外部音声を開放させる。アギーハに悪態を届かせるのは無論、地上の生存者に味方であると伝える意味もあった。

 

「一人なのか? 意気込んで出て来たのに、随分と寂しいお出迎えじゃねえか」

 

 たったいま、一息で四機ものガーリオンを葬ったばかりだが、どうやら少年にとってそれは数えるにも値しないらしい。不遜この上ない態度だったが、アギーハはむしろ嬉々としてその軽口に乗っかった。

 

「そういう坊やは元気そうだね。また会えて嬉しいよ。どうだい、外をご覧になった感想は。なかなか素敵な飾り付けだと思わないかい? 結構、頑張ったんだよ?」

 

「確かに、めったに見れるもんじゃねえな。人が埋まっている最中、随分と盛大にやってくれたじゃねえか。いますぐ降参すんなら、五分の四殺しで許してやらなくもねえぞ」

 

「お言葉、そのまま返すとするよ。それにしてもあんたこそ一人なのかい? あとの連中はどうしたのさ。もしくたばっているなら、手間が省けてとても嬉しいんだけど」

 

「さぁな、昼寝でもしてんだろ。てめえごとき、俺一人で十分だってことだ。降参しないってんなら、ちょうどいい。その首を叩っ斬ってアイビスへの手土産にしてやらぁ」

 

「アイビス? あの小娘の名前か。元気なのかい? ふふふ、死出の旅には花でも添えた方がいいんじゃないかい?」

 

「抜かしやがったな。だったらまずはてめえを送り出してやるよ。二度と帰って来れねえよう、八つ裂きにしてな!」

 

 舌戦はここまで。

 

 異界の風と異星の風は、同時に天へと昇った。双方勝るとも劣らぬ速度なれど、この距離、この間合いならば分があるのはサイバスターの方である。長剣ディスカッターが、魔力をたたえて振りかぶられる。その透徹した刃に込められた輝きの煌々たること、平時とは比べ物にならない。

 

 外部音声はそのままに、マサキは叫んだ。

 

「勝ったと思ったか!」

 

 口から炎を吐かんばかりに、マサキは叫んだ。

 

 いま彼は怒っていた。ディスカッターの刀身をより一層に煌めかせるのは、卑劣な敵手に対する少年の真正直な怒りだった。戦えない者を相手に武力をひけらかし悦に浸るアギーハへの、魂の奥底から迸るような純粋なる怒りだった。

 

「この程度で参ると思ったのか! よく聞け、俺はやられたら必ずやり返す!」

 

 しかし、少年の怒りはもはや少年だけのものではない。彼本人にそのつもりがなくとも、今の彼の体には多くの無念が宿っている。

 

 誰かが言う。斬れ、俺の代わりに。

 

 誰かが言う。撃て、私の代わりに。

 

 彼本人がそうと知らずとも、地の底にひしめく数多の怒りと恨みは、彼がかざす刀身へと一様に収斂し、その太刀筋に乗って世に放たれる時を待っていた。

 

「俺たちを……なめるなよぉぉーっ!」

 

 ——秘剣・ディスカッター霞斬り。

 

 少年の裂帛の気合い、そして幾千もの声無き声を宿し、銀の魔剣が音をも超えて夜気を裂く。

 

「ぐうぅぅぅっ!」

 

 当たった。切り裂いた。出会い頭の一閃が、稲光のように疾走して敵の左腕を音も無く両断した。今宵ラングレーの上空に出現して以来、天上人を気取ってやりたい放題に地上へ災厄をもたらしてきたシルベルヴィントが、いまようやくに、報いの一撃を受けてたじろいだ。

 

 躱せなかった。その思いと事実が、アギーハの自尊心を灼熱させる。

 

「よくもこのあたしに……坊や、きさまぁ!」

 

 射殺すような目で、アギーハは吼え立てた。無論たじろぐマサキではない。勝るとも劣らぬ猛禽の目に、隠す気もない侮蔑の色を交えて迎え撃った。

 

「抵抗できない奴にしか威張れねえのか! さぁ来い! 俺が相手になってやる!」

 

 それを狼煙として二つ銀影は夜天に散開し、猛烈な空戦を繰り広げ始めた。

 

 

 

 今宵という災厄において、サイバスターの出現はまさしく転機であった。死中に活が生じた瞬間であり、絶望の中に希望が生じた瞬間であった。外部音声にて周辺に響き渡ったマサキ・アンドーの啖呵は、ただの啖呵では終わらない。繰り出された反撃の一刀は、ただシルベルヴィントの一部を欠損させるだけに留まらない。多くの者がそれを耳に聞き、目にも見た。その音と姿は、さならがら打ち鳴らされた銅鑼の音の如く周囲の人々のはらわたに染み入り、振るわせた。

 

「今しかないわ。登るわよ!」

 

 ツグミはすぐさまウィリアムを放り出し、周りの軍人達に檄を飛ばした。呆気にとられる少年の尻を叩き、むりやり引き起こした。

 

「敵は浮上したわ。いまなら脱出できる。とっとと立ちなさい。生きるのよ!」

 

「生きるんだ!」

 

 所変わり地上で、異口同音に叫ぶのはデイビッドだった。誓いはいまだ違えない。よたよたと走り出す彼の背には、呼吸を終えつつある整備士の男がしっかりと背負われている。彼を抱えて懸命に走りながら、デイビッドは呼びかけるように、そして自分に言い聞かせるように叫び声をあげ続けた。

 

「おい聞こえるか。死ぬんじゃないぞ。生きるんだ、絶対に!」

 

 彼ら以外の生存者もまた同様だった。アギーハが捉えていた多くの動体反応が、崩落とそれに続く砲撃をからくもかいくぐった人々が一斉に蠢動を開始する。多くの者が駆け出そうとしていた。

 

 アイビスもまた走っていた。この地獄に立ち向かうべく、月からの威圧に逆らうべく、そして夜空を駆け巡る、あの騎士の背を追うように走り出していた。足の痛みはあったが、歯を食いしばって堪えた。手足がちぎれようが、今は走らなければという思いがあった。

 

 今の彼女に許される限りの全速力で土砂の坂道を駆け下りながら、アイビスはもはや遥か昔のことにも感じられる四日前の出来事を思い出していた。

 

 心ない言葉を浴びせ続ける自分に対し、マサキもまたはっきりとした敵意をもって自分を睨みつけていた。殴られる。そう覚悟したし、そうであって当然のように思った。そう望みすらした。しかしマサキは一切自分に触れることなく、そのまま二人の関係は絶たれた。

 

 もう二度と会えない。会う資格もない。そう思っていたのだ。だというのに、彼は先ほど何と言ったのか。

 

 ——アイビスへの手土産にしてやる。

 

 そう言ったのだ。この期に及んで、彼は尚もそう言ってくれた。視界を遮る止めどない涙を、アイビスは乱暴に拭い捨てた。千の言葉と千の思いが胸中を縦横無尽に駆け巡り、一斉に何かを訴えかけた。それはあまりに騒然としていて、彼らの言いたい事がなんなのか、アイビスはにわかに掴み取ることができなかった。

 

 分かることはたった一つ。

 

 会いたい。

 

 顔が見たい。

 

 いま自分は、心の底からそう願っているのだと、アイビスには分かった。

 

 

   Ⅲ

 

 

 アイビスが倒れていた場所より南東役一キロメートルほど進み、さらに地下方向へ20メートルほど潜った地点。その一帯で、土砂と瓦礫に埋もれながらもなんとか相互通信に成功した一団があった。

 

「あーあー、こちらR-1。R-1より各機へ、聞こえるか? というか生きてるか? どうぞ」

 

「こちらR-2。どちらも肯定だ。今起きたばかりだがな」

 

「こちらR-3。私もよ。なんとか三人とも無事みたいね」

 

「そうでもないぜ。頭がガンガンするし、視界はぐらぐらだ。二日酔いってのはこういうのなのか?」

 

「生きているだけマシだ。相当な勢いでシェイカーに掛けられたようだからな。運が悪ければ、いまごろ三人まとめてハンバーグの具材になっていたかもしれん」

 

 いささか緊張感に欠けるやり取りの末、SRXチームの三人は互いの無事を確認しあった。崩落当時、ハガネ隊の乗組員はほぼ全員が艦内にて休息をとっていたが、彼らだけは機体に乗り込んで外の滑走路に出ていたのだ。補充隊の搬入作業が一段落した頃を見計らって、三機の合体機構を確認するためだった。

 

 三人、とりわけリュウセイにしてみればとんだ残業であったが、結果的には災い転じて福となったと言えるだろう。機動兵器の装甲ならば地殻陥没に対しても十分なシェルターになったし、今もなお艦内に閉じ込められている者と比べれば、その後の身動きも取りやすい。

 

「センサーがようやく復帰したわ。データを転送する」

 

「確認したぜ。ありゃ、やっぱりドンパチ中か」

 

「この反応は、異星人幹部機の高機動タイプだな。もう一つはサイバスターだ。となると、やはりさっきのはマサキの声か」

 

「とんだ目覚ましだったわね。見たところ、空戦の真っ最中みたい。ハガネ・ヒリュウ改は通信不能。独自に行動するしかないわ。二人とも、やれる?」

 

「言われるまでもねえぜ」

 

「元々俺たちの取りこぼしです。この手でおとしまえを付けなくては」

 

 三人はそう言い合って、各々の操縦桿を握りしめた。

 

 

 

 一方、ツグミ達のところでは一つの再会が果たされようとしていた。

 

 ツグミたちが立っている場所から天窓まで、高さおよそ十メートルというところだった。絶望的な高さではないが、知恵無しに昇れる高さでもない。軍人の一人が、周りのものを使って台を作るよう提案した。ロッカーを一つ見つけて何とか引っ張りだしたが、それでも高さが足りない。瓦礫をくずせば幾らでも材料になりそうだが、それで部屋そのものが崩れてしまえば元も子もない。

 

 どうしたものかと考えあぐねたところ、天窓の向こうから文字通りの天の助けがやってきた。

 

「そこに誰かいるんですか! 無事ですか!」

 

 若い女の声に、ツグミを含めた全員が歓声をあげた。

 

「いるぞ! ここに五人だ。閉じ込められている。昇れなくて困っているんだ。ロープかなにかないか!」

 

「来る途中で見かけました。ちょっと待っていてください!」

 

 そう言って一度声が途絶え、数分後にまた舞い戻って来た。

 

「下ろします。ちゃんと結んでますから、どうぞ!」

 

 声と同時にロープが降りて来た。実際のところ、それはロープではなく断ち切られた電線ケーブルのようだった。頑丈なのはありがたいが、ロープに比べれば些か掴みにくい。

 

「そっちはあんた一人か!」

 

「いいや、三人だ」

 

 今度は男の声がした。

 

「ただ一人は怪我をしている。動けるのは俺とこの娘だけだ!」

 

「よし。ならまずは、あんたが行ってくれ。お嬢さん」

 

 言われたツグミは眼を瞬かせた。

 

「フランクさん、でしたよね。いいんですか?」

 

「歌のお礼だよ」

 

 フランクと呼ばれた男は気障に片目を瞑り、そのいかにも慣れてなさそうな仕草に、ツグミはくすりと笑った。

 

 ああ、よかった。フランクはそう思った。もしあのまま馬鹿な真似をしでかしていたら、きっと自分は生涯この笑顔を見ることは無かった。本当によかった。フランクは噛み締めるように、ツグミの顔を瞳に焼き付けた。

 

 ロッカーによじのぼってツグミはロープをつかんだ。その隣にウィリアムも立って、ツグミの前に跪く。すこしでも高さを稼ごうというのだろう。

 

「失礼するわね」

 

「とんでもないです」

 

 先の一件からか、ウィリアム少年兵は最大限の感謝と敬意をツグミに払うようになっていた。彼の肩に足を乗せると、ウィリアムはゆっくりと立ち上がった。幸いツグミが履いているのはハーフパンツであるが、それでも見上げられるとやや困る格好である。ウィリアム少年兵は出来る限り見上げすぎないよう、それでいてツグミがどこかに頭をぶつけないよう微妙な角度で上に気をつけており、それがやけに難しそうであったので、ツグミは笑って許す気になった。

 

 限界の高さまで来たところで、ツグミは力一杯にロープにしがみついた。独力でよじ上る力はツグミには無かったが、上の者が力強く引っ張ってくれたので危うげなくツグミは地上にたどり着く事が出来た。

 

 小さな天窓から体をはい出し、ようやく息をつけたツグミは息を切らしながら天の助けの姿を見やった。一人は鮮やかな金髪の男で、もう一人はツグミとさほど変わらない歳の、こちらは燃えるような赤毛の女だった。磨けばそこそこの美人だろうに、いまは顔中が誇りまみれで、さながら浮浪児のようだ。

 

 そんな彼女の姿を見て、今度こそツグミの全身という全身から力という力が抜けていった。座っているのに、腰が抜けたような感覚すらある。

 

「ありがとうございます。テスラ研所属の、ツグミ・タカクラです」

 

 座ったままの姿勢で、ツグミはなんとか敬礼の姿勢をとった。

 

「おつかれさま。連邦軍のデイビッド・ブルーノ中尉だ」

 

 金髪の男が柔らかい笑みで敬礼を返した。

 

 そしてもう一人は。

 

「……アイビス・ダグラスです」

 

 ツグミの視線に無理強いされたように、アイビスはやや顔を俯かせながら、そう言った。いかにも怯えるような、後ろめたいような、そんなアイビスの様子に、ツグミは何故だか無性に意地悪してやりたくなった。

 

「どこのアイビスさんかしら?」

 

「……」

 

 言われたアイビスはわずかに顎を振るわせ、いくらかの逡巡をもって次のように言った。

 

「テスラ研所属のプロジェクト候補生です……あとハガネ隊の、臨時軍曹も」

 

 後半はすでに失われている役職であったが、構わなかった。聞いた瞬間に、ツグミは力一杯にアイビスを抱き寄せていた。背骨をへし折って、体中で溶かしてしまおうとでもいうかのような、力強い包容だった。ツグミからの一方的なそれが、双方的なものに変わるのには7秒ほどかかった。

 

「ごめん……」

 

 ツグミの首筋に鼻先を押し付けながら、アイビスはそう言った。ツグミはぶんぶんと首を振った。

 

「昼間のことも、その前も、全部」

 

「いいのよ。私こそ……私こそ、ごめんなさい……!」

 

 そうして二人は再会したのである。

 

 

   Ⅳ  

 

 

 先制の一撃はマサキが加えたものの、もとより双方の戦力は一進一退である。機動力はほぼ同等。火力、白兵能力などその他の戦闘力ではサイバスターが優勢であるが、逆にパイロットの技量と経験、高機動戦闘への造詣の深さではアギーハに軍配があがる。ゆえにマサキ、アギーハともに相手の隙を見つけかねていた。

 

「ちぃぃっ!」

 

 渾身の光子砲を躱され、アギーハは忌々しげに舌打ちした。開戦以来、彼女は一撃もサイバスターに攻撃を加えることができないでいた。アイビスのアステリオンを一撃のもと葬ってみせたアギーハの偏差射撃だが、彼が相手となればなかなか同じようにはいかない。それは純粋な実力差によるものではなく、ひとえにマサキ・アンドーの特異な資質に要因があった。

 

 慣性制御機同士の空戦は、単純なドッグファイトとはならない。不規則な上昇・下降・反転も交えた複雑な機動は、三次元機動の括りの中でも限りなく多次元的と言え、そこでは型や経験の蓄積以上に、より直感的な感性が物を言う。

 

 その点で言えば、このマサキ・アンドーという男ははっきりとした強敵だった。勘が良いというのか、感覚が鋭いというのか、まるで弾が発射される前から既に弾道が見えているような節すら時折見せる。念動力を始めとする何らかのESPを彼が体得しているという情報は無いというのにだ。

 

 またもや光子砲が躱される。牽制・誘導も交えた三点斉射全てが。

 

「ええい、なんだってんだいっ!」

 

 堪えきれず、アギーハはやけを起こした。

 

 生気、オーラ、またはプラーナとも呼ばれる精神エネルギーがこの世に存在することなどアギーハは知らない。またそれを応用して、弾道プラーナをも見切ってしまう達人がこの世に少なからず存在することもまた知らなかった。マサキとて、このときはまだ自覚して使いこなしているわけではない。ただ長年戦いに身を置く事で磨かれてきた彼の感覚が、照準に込められるアギーハの悪意を朧げながら事前に察知することを可能としていた。

 

 三連の光子砲をかいくぐったマサキは、これを好機と見てサイバスターを反転、一気にシルベルヴィントの懐に飛び込ませた。お返しとばかりに銀光一閃。シルベルヴィントの五体を一気に断ち切らんとする。

 

 しかしマサキ同様、アギーハもまた一筋縄ではいかない女だった。ただほんのすこしスラスターと翼の向きを一ひねりするだけで、シルベルヴィントは驚くほどの軌道変化を見せ、サイバスターの剣閃をあっさりと躱した。

 

 慣性を無視するだけが芸ではない。引力と揚力、そして空力を味方につけてこその空戦。そう豪語せんばかりの、鮮やかなる回避運動だった。こればかりは感覚でサイバスターを動かしているマサキでは到底届かぬ境地であり、腹立たしくも舌を巻かずにはいられなかった。

 

「やっろうっ!」

 

「鬱陶しいね、まったく!」

 

 言い合う二人だが、先に苛立ちが頂点に達したのはアギーハの方だった。シルベルヴィントを急上昇させ、直下のサイバスターに胸部砲塔を向ける。

 

「とっととくたばりな!」

 

 そう吠えると、シルベルヴィントの胸元に巨大な光子の塊が生まれた。これまでの光子砲とは、明らかにサイズもプロセスも異なっている。光は集い、弾け、十文字に火走り、渦を巻いた。さながら光の渦。これこそがシルベルヴィントが有する最大火力であると、いまこの場ではアギーハのみが知る。その一抱えほどのエネルギーの塊には、サイバスターの胴体を根こそぎ吹き飛ばすだけのパワーが秘められていた。

 

 照準固定、完了。鳴り響くアラームに聞き惚れるのもそこそこに、アギーハはその引き金を引いた。

 

 ボルテックシューター。その名の通りの渦流光子が、そのまま弾丸となって直下のサイバスターに向け発射された。

 

 威力のほどは分からないが、到底受けてはいられない。マサキは反射的に身をかわし、そして愕然とした。空を切った光子の渦はそのまま地上へと直進し、陥没地帯の四方を囲う切り立った崖の一角に激突した。

 

 爆発が生じた。高空からでもはっきりと分かるほどの規模だった。粉砕された崖は落石となって、奥底の瓦礫の海へと降り注いでいく。またその衝撃によって、瓦礫群の一角が雪崩のように崩れて行くのも見えた。

 

「てめぇっ!」

 

「はっ! いっそ埋めてやりゃいいんだよ。それが死者への手向けってもんだろ?」

 

 続けざまに放たれようとする第二撃。今度はマサキは看過しなかった。即座に中空に六芒の魔方陣を描き、力ある言霊を解き放つ。

 

「ボルテックシューター!」

 

「アカシックバスター!」

 

 蒼と赤の力の塊がぶつかり合い、夜空に万華鏡のような光芒の華を咲かせた。

 

 

 

 アギーハが繰り出した無慈悲な一撃は、地上のアイビスらに深刻な事態を引き起こしていた。弾丸そのものはまるで離れた場所に着弾したが、その衝撃が地響きとなってアイビスらが立つ瓦礫群を揺さぶり、それによりツグミが通って来た脱出口が塞がってしまったのである。内部の部屋にはまだ、ウィリアム少年を含めた四人の軍人が取り残されていた。

 

「ウィリアム。みんな!」

 

 塞がった穴の辺りに向けて、ツグミは必死に呼びかけを行った。よもや部屋そのものが崩落したのではと、顔を青ざめさせている。

 

「皆、無事? 返事をして!」

 

 返事は、数拍遅れで返って来た。

 

「な、なんとか無事だ。部屋そのものは崩れてない」

 

「良かった! いま脱出口を作るわ。念のため、下がってて!」

 

 そうは言うが、どう見てもそれは簡単にはいかない作業だった。地上には男手が一つ、女手が二つ。撤去しなくてはならない瓦礫群に対し、それはあまりにも心もとなかった。

 

 碌に考えずに、アイビスとツグミはすぐさま脱出口近くの瓦礫に飛びついて、遮二無二障害物をのける作業に取り掛かった。しかし小さなものならともかく、大きなコンクリートの塊などはさすがに手に負えない。ましてやアイビスは肩を負傷していた。脱臼した骨はすでに入れ直していたが、すぐさま重労働をこなせるはずもない。

 

「だめだ、重い。ブルーノ中尉、手を貸しください」

 

 そう言いながら背後を振り返って、アイビスは言葉を失った。唯一の男手であるデイビッドは、歯噛みしながらアイビスたちと、彼の足下に横たえたわる整備士の男を見比べていた。その名前も知らない整備士が、すでに一刻の猶予もない容態にあることをアイビスは知っていた。それでも無理を言ってツグミ等の救出の手伝いを頼んだのはアイビスであり、幾分迷いながらも快諾してくれたのはデイビッドだった。

 

 彼の言いたいこと、彼の望みを、言葉無しにアイビスは察した。非情、などとは口が裂けても言えない。言えないがしかし、割り切れないものが重い塊となって肺を圧迫した。

 

「こうなったらもう、何が正しいかなんて無いわ!」

 

 誰もが言葉を出せずにいたところを、ツグミが鶴の一声で断ち切った。

 

「皆それぞれ好きにするべきよ。三人とも、今ここで約束しましょう。今夜のことがどういう結果に終わろうと、絶対に互いを恨まないって。そしてもし、またどこかで再会できたなら、必ず笑って無事を喜び合うって。だって私たち、誰一人何一つ間違ってないんだから」

 

 そうして念を押すように、アイビスとデイビッドの眼を順繰りに見やって、再びツグミは撤去を再開した。わざわざ告げるまでもなく、彼女は残るつもりなのだ。

 

 深い深い尊敬の念が、アイビスの胸中に立ち籠めた。感嘆せずにはいられなかった。

 

「ブルーノ中尉、言った通りにしましょう」

 

「……」

 

「無事を祈ります。行って下さい。ツグミを助けてくれて、本当にありがとう」

 

 そうデイビットに一礼して、アイビスもまたツグミの後に続いた。そこいらに転がっていた鉄棒を拾って、梃子の原理で瓦礫をどかそうとする。

 

 それでも重い。アイビスがどれだけ歯を食いしばっても、片腕の女の力だけでは瓦礫は地面に食い込んだままぴくりともしなかった。やはり無理なのか。そう思いかけたとき、横からそっと伸びて来た力強い男の腕があった。

 

「手伝う」

 

 そう声が聞こえた。振り返らず、力を込めたままアイビスは尋ねた。

 

「いいんですか?」

 

「あいつも同僚だが、この下にいるのだってそうだ。加えて君らは民間人だしな。公務員がそれを放って一人で逃げたとありゃ、下手すりゃ首だ」

 

 瓦礫が徐々に浮き上がりだした。アイビスも鍛えているつもりであったが、それにしてもやはり男の力には及ばない。十分に浮き上がったところで棒を捻り、大きな塊を斜面の下に投げ出した。まだ狭過ぎてさらなる撤去が必要だが、地下へ繋がる脱出口がはっきりと現れていた。その下の暗がりで、四人の男が待ちかねたように喜びの顔を見せている。

 

 息を切らしながらアイビスは棒を離した。向かい側のツグミと顔を見合わせ、二人同時にデイビッドの方を向いた。その二人の、あまりにも花開くような表情に、デイビッドは顔を顰めて明後日の方を向いた。

 

「くそ。テスラ研ってのは、顔でスタッフを選んじゃいないだろうな」

 

 

   Ⅴ

 

 

 その後も撤去作業は梃子摺りながらも進み、ようやくツグミが這い出た時よりもわずかに小さい程度のスペースを確保することができた。すこし狭いが、大の男でもなんとか通れるサイズだった。ロープもそのまま残っている。

 

「急げ! いつまた雪崩を起こすか分からん」

 

 そうデイビッドが叫ぶ通り、斜面上の瓦礫はいつ崩れてもおかしくないくらいに不安定であり、ましてや頭上では特機同士の死闘が繰り広げられているのだ。流れ弾が一つで終わるとは全くもって限らない。

 

「いや、そもそもサイバスターが負ける可能性だってあるわけだしな」

 

 その懸念に憤然と言い返したのが誰であるかは、言うまでもない。

 

「万に一つだって無い! どんな相手にだって、マサキは絶対勝つ。あたしが一番良く知ってる」

 

「なんだ。俺はマサキ・アンドーのステディと一緒だったのか」

 

「そんなんじゃない! ……いえ、すみません。中尉こそ、マサキのこと知ってるんですか?」

 

「前大戦の裏撃墜王だろ。正体はともかく、名前だけなら知らん方がおかしい」

 

 裏とはつまり非公式の、という意味である。マサキは正規兵ではない民間協力者という立場なので、そういうことになっている。

 

 言い合いながらも、救出活動はひとまず順調に進んだ。すでに三名を救出し終え、残るはウィリアム一人となった。ツグミの後も彼は足場役を続け、最後まで地下に残ていたのだ。

 

 あと一人。ようやくのことに、地上の六人に安堵の面持ちが見え始めた。しかし最後の最後で、そんな彼らに死神が凄絶な微笑みを投げかけることとなる。

 

 アギーハが、彼らを発見した。

 

「らっきぃ」

 

 そんな呟きが聞こえたわけもないが、差し迫った悪寒を頭上に感じて、アイビスは空を見上げた。

 

 シルベルヴィントが、あの銀の凶相がやってくる。忌まわしい記憶の写し絵が、アイビスの脳天から足先までを貫いた。

 

 一方、突如として変わったシルベルヴィントの機動に、マサキは意表を突かれていた。退避するにしては方角がおかしい。まるで地上に何かをよいものを見つけたかのような、そういう動きに見えた。

 

 嫌な予感がする。こういうときの勘はよく当たるのだ。マサキは慌ててアギーハの後を追った。

 

「降りて来やがる。伏せろ伏せろ!」

 

 言いながらデイビッドは、横にさせていた整備士の上に覆いかぶさった。ツグミや他の三人の軍人も彼に習う。アイビスだけが、体が鉛に変じたかのように立ち尽くしていた。

 

「なにしてるんだ!」

 

 デイビッドが飛びかかるようにアイビスを押し倒した。その一瞬後に、まるで目印でも突き立てるかのように、倒れ伏す六人のわずか数メートル脇に光子の束が突き刺さった。

 

 爆発が生じ、瓦礫と土砂が吹き上がった。

 

 凄まじい震動と衝撃、そして熱量に、アイビスはたまらず悲鳴を上げた。そしてその叫びを、マサキは遥か高空にて聞き捉えたのである。空気の振動としての彼女の声ではない。声より先んじて闇夜を突き抜けた、アイビスのプラーナの迸りが、空にいるマサキの感覚を打ち抜いたのである。

 

「まさか……!」

 

 さしものマサキも、さすがにすぐさまその感覚を鵜呑みにすることはできなかった。マサキがはっきりと事態を飲み込んだのは、拡大モニターを展開して地上の様子を確かめた時だった。

 

 瓦礫の谷底、アギーハが意図の掴めぬ砲撃を加えたちょうどその近くに、豆粒のように小さい人影があった。操者の意を汲み取ってすぐに拡大倍率が増大する。銀色の衣装が見るかげなく薄汚れていて、 髪も埃と砂まみれになってぼさぼさだった。全くもってひどい有様で、大地に情けなくへばりつくアイビスの姿を、マサキは確かにその目で見た。

 

 マサキはサイバスターを急降下させた。

 

 思うよりも早く、当然のように彼女のもとへ。

 

 しかし地表付近、高度二十メートルまできたところでサイバスターを一転させ、振り向き様に剣を振るった。剣そのものではなく、刃を伝い張り巡らせた防護結界にて、狙い撃たれた光子砲を弾き飛ばす。

 

 さらに二度三度と同様の攻防を繰り返し、マサキはようやく敵の意図を察した。自分はまんまと網にかけられたのだ。

 

「避けらんないよねえ。避けたら皆死ぬもんねえ」

 

 サイバスターを中心に、円を描く軌道をとりながらアギーハは勝ち誇ったように嘲った。今の四発はあからさまにアイビスらを巻き込む射線を取っており、疑いなくそれは今後も同様に続けられるだろう。

 

 予想を裏切る事無く、悪意に満ちた角度で第四、第五の砲撃が来た。風の化身たるサイバスターは、それを忘れ去ったかのように不動のまま砲撃を耐え続けた。着弾の衝撃が、サイバスターのコクピットを狂ったように揺さぶっていく。結界のためかろうじて損傷はない。しかし時間の問題である。どれほど専念しても、守勢とはいつかは破られるもの。他ならぬマサキ自身が、かつてアイビスに言って聞かせたことだった。

 

 上空の一方的な戦況に、誰もが慄然としていた。中でもアイビスの衝撃は深く大きかった。アイビスが知る限り、マサキはどんな相手にも遅れをとったことはない。彼女にとって、マサキ・アンドーとはすなわち不敗の勇者そのものだった。その彼が敗れようとしている。

 

(あたしたちが邪魔になってるんだ)

 

 そうはっきりと分かった。そう分かった上で、自分達に為す術などないということもまた分かっていた。

 

 ここは動けない。足下のウィリアムを見捨てることなど、彼女達にできるはずもなかった。

 

「行って下さい!」

 

 それを察したのか、叫んだのは地下のウィリアム本人だった。

 

「皆がそこに立っていると、サイバスターが戦えません! 逃げてください!」

 

「馬鹿言わないで! あなたも一緒に逃げるのよ。早くロープを……」

 

 言いかけて、ツグミは絶句した。脱出口が再び塞がっていた。先の砲弾で、ふたたび雪崩が起きたのだ。かろうじてバスケットボールほどの穴は残っているが、これでは脱出は適わない。

 

「なんてことなの……!」

 

「分かったでしょう。もう限界です。逃げて下さい」

 

「こちとら尉官だぞ。一介の軍曹が偉そうに言うな! 待ってろ、すぐに穴を広げてやる」

 

 立ち上がり、穴に取り付いたのはフランクだった。

 

「彼が撃墜されたら、どのみち全滅です。頼みます。ツグミさんを守ってやってください」

 

「ウィリアム! そんなことを言って、私が喜ぶと思っているの! いいから、待っていなさい!」

 

「喜ばそうなんて思っちゃいませんよ。俺はただ、感謝してるんです。生きてて欲しいんですよ、あなたには!」

 

 まだまだ青臭さの抜けない少年が、精一杯にあらん限りの勇気を振り絞っていた。大の大人でさえそうそう口にはできないことを叫ぶその様は、それだけに悲壮そのもので、ますます年長者たちの足を縛り付けた。ウィリアムの意見は一面で正しい。アイビスらがこの場を動けば、マサキは戦える。しかし、そうなればウィリアムの命運は尽きたも同然だ。

 

 そも、この場を動いたところで、逃げることなど可能なのかという問題もあった。すでにアイビスらの存在はアギーハに補足されているのだ。生身で機動兵器の射程から逃れるなど容易なことではない。

 

 あるいは既に、詰みなのではないか。そのような考えが、六人の胸中にずっしりとしみ込んだ。それは凍えるような恐怖だった。ツグミらにとってはこの部屋に辿り着いてしまった時点で、アイビスとデイビッドにとっては彼らを助けようとしてしまった時点で、全ては終わっていたのではないか。その間違いに気づかないまま、ここまで来てしまったのではないか。

 

(そんな……これじゃ何も……!)

 

 この日の夜と同じくらい、深く薄暗く、凍てついたものが、アイビスの心を押しつぶそうとした。

 

 何かが変わると思っていた。この夜を乗り越えられたなら。穴の中の全員を助け出し、その上であの少年と再び顔を合わせることができたなら、自分の中の何かがもう一度変わってくれるような気がしていたのだ。

 

 だというのに、これが結末だとしたら。

 

 ウィリアムも、マサキも死なせるようなことになってしまえば、そのとき自分は……。

 

「くたばりな、サイバスター!」

 

 地上の嘆きなどつゆ知らずに、アギーハがそう吠えるとシルベルヴィントの胸元に再び光子の塊が生み出された。光が十文字に火走り、渦を巻く。言わずと知れたボルテック・シューター。一撃必殺の渦流光子が、再び弾丸となってサイバスターに迫る。

 

「くっそぉぉぉっ!」

 

 避けられるはずも無ければ、迎撃ももはや間に合わない。マサキはアギーハの予想に違う事なく、防御の構えを維持し続けた。結界装甲を最大に、なんとしても耐えしのぐ算段だった。

 

 耐えられるはずだ、一発程度なら。マサキは断じた。

 

 耐えられるわけがない、一発たりとて。アギーハもまた。

 

 しかし致命的であるのは、眼前の初弾においてどちらの判断が正しかろうと、彼の敗北は動かないということだった。

 

 竜巻が結界に直撃した。サイバスターの装甲の僅か手前でエネルギーの暴風が炸裂し、荒れ狂った。その猛威は、サイバスターの防護結界をいとも容易く食い破り、食いちぎろうとする。

 

「ぐ……うぅ……っ!」

 

 結界装甲だけでは到底もたないと見たマサキは、即座にサイバスターに意思を伝え、剣をかざさせた。オリハルコニウムの塊であるそれは、剣であると同時に魔術的触媒……いわば魔法使いの杖でもある。それにありったけプラーナを注ぎ、即席の楯とする。

 

 結界を引き裂き終えた竜巻が、今度はその盾に舌を伸ばした。ぎぃぃぃんと鋼を削り切るような音がする。これまで幾多の鋼鉄を切り払い、刃こぼれ一つしなかった銀の魔剣が盛大に軋みを挙げていた。それは絶え間なく、まるで悲鳴のように。

 

「あああぁぁーっ!」

 

 己を鼓舞するように、マサキは唸り声を挙げた。こと魔装機においては、決して無駄な行いではない。マサキが声帯を引き絞れば絞るほど、彼の意思はより一層脈々と剣へと注ぎ込まれ、その輝きを強くする。

 

「ああぁぁぁーっ!」

 

 かくして剣は、その身を犠牲にしつつもシルベルヴィントの最大火力を相殺するに至った。鋼鉄音が爆ぜ、刀身が砕ける。それに道連れにされるように、光の竜巻もまた光子のかすを残しながら雲散霧消した。

 

 耐えた。防ぎきって見せた。どこからも文句が挙らないほど完璧に。

 

 しかし。

 

「だから、どうしたっ!」

 

 シルベルヴィントの胸元で即座に二発目の充填が開始される。それを見て、マサキはついに敗北を覚悟せねばならなかった。

 

 

 

 

 


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